カテゴリー別アーカイブ: 句会

葉ね文庫に二ヶ月ほど憑依します ۵

 

葉ね文庫の壁面スペースを若手詩歌人の新作発表の場にするプロジェクト「葉ねのかべ」に参加します。
前回は高塚謙太郎さんの詩とはらだ有彩さんのイラストレーションでした。
第二弾としてわたくし石原ユキオが葉ねのかべに取り憑かせていただきます!

【期間】2016年2月27日(土)から約二ヶ月間

【会場】葉ね文庫大阪府大阪市北区中崎西1-6-36 サクラビル1F

【こんなことをします】
(1)葉ねのかべ・・・憑依俳句を展示します。

(2)作家の本棚・・・憑依現象とアイデンティティについて考える本をえらびました。一部の本には書き込みあり。

(3)販促インレジデンス・・・会期中ときどき葉ね文庫に顔を出して俳句関連書籍を中心にポップ広告の滞在制作を行います。滞在日はTwitterでお知らせします。

(4)カンパバッジ・・・何回も葉ね文庫に来たい! でも大阪ちょっと遠い! そうだ、居住地岡山から大阪までの旅費をみなさんに援助していただこう! ということで缶バッジ(新色)を1個500円という強気価格で販売します。地方在住俳人にあいの手をソイヤッソイヤッ! ご協力よろしくお願いします。

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(5)トークイベント

句集の耳だけかじりたい
〜俳句の本の俳句以外(帯、序文、跋文、あとがき、奥付)を味わう〜

3月13日(日)13:30〜14:30
@葉ね文庫(大阪・中崎町サクラビル1F)
出演:石原ユキオ
参加費:300円
定員:10名程度 (要予約)

俳句の本の俳句以外の部分はアバンギャルドな表現に満ちている!
あまりにも喧嘩腰な序文、うんちくを語り過ぎる跋文、謎の動物が登場するあとがき、心配になるプロフィール欄などなど、俳句本の端っこにぎゅっと濃縮された味わい深いところをスライドトークで紹介します。

トーク終了後、休憩を挟んで15:00よりプチ句会(司会:佐々木紺)あり(希望者のみ)。
投句:当季雑詠(=いまの季節を詠んだ俳句)2〜4句予定。

スペースに限りがあるため、予約制となっております。
画像のメールアドレスあてにお名前、人数、句会への参加の有無をお知らせください。
(募集は締め切りました。当日券はございませんが、そのうち追加公演があるかもよ!)

句集の耳だけかじりたい
>>クリックで拡大

俳句ガチ勢、恐るるに足らず!〜BL俳句誌『庫内灯』リリースに寄せて〜

 

BLを好むひとが、BLを読むように俳句を読むこと。
BLを好むひとが、BLを書く(描く)ように俳句を書くこと。
BLと俳句の間でどんな楽しいことができるか探っていくこと。
それがBL俳句だとわたしは考えています。
(ここでの『BL』は、商業BLから二次創作、耽美の時代からいままでを全部含んだすごーく広い意味での『BL』と考えてください。)

BL俳句が生まれたのは、BL短歌がきっかけです。
BL短歌の先達が道を作ってくれていたおかげで(そして参加人数が少なくBL短歌ほど目立たなかったおかげで)、BL俳句は強烈な批判にさらされることはありませんでした。
しかし、『庫内灯』が出ることで、いままで届かなかったひとの目に触れて
「あんなの俳句じゃねーよ」
なんていう批判が舞い込んで来るのかもしれません。あるいはもっと率直に
「下手」
とか。
なんでこんなことを先回りして言ってしまうのかというと、BL短歌に関しては「あんなの短歌じゃない」「下手くそ」「痛い」「俺の短歌をBL読みするな」等々、悪口めいた非建設的な意見がさんざん飛んで来ていたからです。

ちょっと妄想してみます。
『庫内灯』を買ってくれたひとが自分もBL俳句を作ってみようと考え始める。
そのころTwitterで上記のような批判が出てくる。
『庫内灯』読者は萎縮してBL俳句の発表を思いとどまってしまう……。

いかーん!
それはいかんよ君!
どうか怖がらないでくれたまえ!

「下手」と言われたって大丈夫。下手な俳句は世界にごろごろしているんだ! 新聞俳壇、テレビの俳句番組、公民館の壁面。みんな下手くそながら俳句を楽しんでいるではないか。萌え転がりながら好きCPを描いているうちに超高レベルの画力を手に入れてしまう、などというのは同人誌界隈ではよくあることじゃないか。本人が上手くなりたいと思えば、いつかは上手くなるものだ。
「あんなの俳句じゃねーよ」に関しては一見とてもひどいことを言っているようにも見えるが、「BL俳句が俳句ではない理由を示すことで俳句というものの輪郭を明らかにすることができました。ありがとうございます!」の意味だ! 批判ではなくツンデレなのだ! 恐るるに足らず!

……ふぅ。ちょっと興奮してしまいました。

BL俳句誌『庫内灯』は2015年9月20日(日)に開催される「第三回文学フリマ大阪」でリリースされます(E-11っていうスペースを探してね)。わたしも俳句や鑑賞文を寄稿しました。
同じ会場内某所で13時半からBL句会を予定しております。当日投句もできますし、好きな俳句に投票して見学、という気軽な参加の仕方も。詳細は庫内灯ツイッターアカウントからのお知らせ (1) (2) (3) をご覧ください。
というわけで、9月20日、堺市産業振興センターでお会いしましょう。

 

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※2012年、Twitter上で「#BL短歌」タグの流行が始まる。創始者は佐木綺加氏。2012年11月BL短歌合同誌『共有結晶』vol.1発行。2013年にvol.2、2014年にvol.3が発行されている。

マッドマックス怒りのデス吟行お気に入りセレクション(3/3)

 

マッドマックス怒りのデス吟行お気に入りセレクション(3/3)
ついに最終回です。まだの方はぜひ第一回第二回もあわせてご覧ください。

◆フュリオサ部門

すべてこの裏切りのため裏切った日々のすべてに火は燃えてあり(昭 @31_ti)
https://twitter.com/31_ti/status/617722700568530945

イモータン・ジョーを裏切ったフュリオサ。忍従を余儀なくされた7000日を思えば、その日々のすべてに悔しさの炎が燃え上がるよう。
拉致された時点で健康な若い娘だったはずのフュリオサがほかの女性たちと同じ運命をたどらなかったのは、整備の技術や戦闘能力が高かったからでしょう(鉄馬の婆様たちを見ればいかにタフで賢い集団なのか推測できる)。とはいえ、女ゆえの苦しみを与えられなかったとは考えにくい。ジョーを殺すときにフュリオサが言う ”Remember me?” は「お前が私(たち)にしたことを思えば当然の報いだぜ」って意味なのだと思います。

◆ニュークスとケイパブル部門
「マッドマックス怒りのデス・ロードには恋愛要素がない」なんて言ってるひともいるみたいですけど、全然そんなことないと思う。ニュークスとケイパブルの淡い恋は二次創作のモチーフとして大人気ではないですか! #nuxable ←最高なので見てくださいぷんぷん!

WAR BOYねむる睫毛に溜めた砂朝焼け色の髪で払って(チナミ @hushabye_c)
https://twitter.com/hushabye_c/status/617599137605816320

ニュークスとケイパブルがもたれ合って眠っている場面。睫毛がくっきり映るほどズームしたショットは存在しないのですが、そこをチナミさんは想像力でズームして見せてくれています。ニコラス・ホルト(ニュークス役)、ビューラーで押し上げたみたいに睫毛がくるんとしてますよね。砂溜まりそう。ケイパブルの赤い髪を「朝焼け色」と表現することで読者は地平線から太陽が顔を出す明け方の砂漠を想像することができます。
下句まで全部読んでもう一回頭から見直すと「WAR BOY」という呼びかけも「ふわぁふぉ〜ぃ」ってあくびしながら言ってるみたい。明け方、眠りの浅くなったニュークスが無意識のうちにケイパブルの赤い髪にゴシゴシ顔をすりつけてたらすごくかわいい。

砂灼けて我を見つめてくれしこと(松本てふこ @tefcomatsumoto)
https://twitter.com/tefcomatsumoto/status/620286817867309056

ウォーボーイズが死に際して叫ぶ「Witness me!(俺を見ろ)」が、全然違う意味を持った瞬間です。ウォーボーイズにとっての「Witness me!」は同じウォーボーイズの誰かに「Witnessd!(見届けたぞ=よく死んだ)」されればそれでよかった。それに対してニュークスが最期に叫ぶ「Witness me!」は他の誰でもなくケイパブルに向けたものです。ニュークスが求めたのは一方的に見られることではなく、見つめ合うことだった。ケイパブルがニュークスを見たとき、ニュークスもケイパブルを見ていた。だからこの作品は、ニュークスの側から詠まれた句でもあり、同時にケイパブルの句でもあるのです。
ところでわたしはデス吟行に寄せられた作品を読みながら「もしこれがデス吟行句でなかったらどう鑑賞できるか」と考えて楽しんでいます。この俳句の場合は次のように読みました。
海水浴場の熱砂を踏んで立っていた。あなたが少し離れたところから自分を見つめてくれたことを覚えているよ。
若々しい恋の、ひりひりするような切実さが「砂灼けて」にこめられています。

◆ニュークスとマックス部門

はらから【brother】と輸血袋【blood bag】が似てること赤いケーブル静脈に刺す(yen @golden_wheat)
https://twitter.com/golden_wheat/status/617832135374733312

そうそう。わたしも初めて観たときニュークスの言う ”blood bag” が ”brother” に聞こえたのでした。
上句はすんなり共感できるのですが、下句はちょっと不思議な表現です。なぜわざわざ輸血用チューブをケーブルにたとえなければいけなかったんだろう。輸血を給油にたとえる公式設定に従うのではなく、同じ行為を新しい比喩で書かなければいけないのはなぜだろう。わたしなりの答えを考えてみました。
マックスのO型RHマイナスの血が「ハイオク」と呼ばれるように、イモータン・ジョーとその配下は人間の身体を自動車になぞらえて考えています。自動車に使うもので「赤いケーブル」と言えばたぶんバッテリーケーブル。この歌ではおそらく、輸血を給油ではなくバッテリー上がりの救援と考えている。
輸血を給油にたとえると、輸血を受ける人が車で血液の提供者がガソリンの貯蔵タンクですが、バッテリー上がりにたとえた場合、輸血を受ける人は故障車で血液の提供者は救援車ということになります。
ニュークスにとってのマックスは、単なる輸血袋から同胞(はらから)のような存在に変わります。もしもう一度ニュークスへの輸血が行われたとしたら、「自動車の俺がガソリンを入れるのは当然」という感覚ではなく「俺という車がマックスという車にバッテリー上がりを助けてもらう」という感覚に近くなっていたのかもしれません。つまり、ケーブルの比喩はニュークスがマックスを対等な存在として見られるようになったこと、マックスにとってニュークスが敵ではなく共に戦う仲間になったことを表しているのだと解釈しました。(なお、車の知識が極端に乏しい人間が書いておりますので間違いがありましたらTwitterなどでご連絡ください……)

◆鉄馬の女部門
鉄馬の女たちの祈りの仕草を詠んだ歌を二首。

ただ人として在りたいと願う時我らの祈りは片手で足りる(いさな(タグ遊び用) @op_isana)
https://twitter.com/op_isana/status/617710455163740160

砂風(すなかぜ)に散らばってゆく魂を掴んで胸に墓標を刻む(きりゆき @kiriyukiko)
https://twitter.com/kiriyukiko/status/620246056664563713

一首目は、フュリオサが故郷の仲間たちと共に、亡くなった母へ祈りを捧げる場面。両手で行うV8ポーズに対して片手で行う鎮魂の祈り。それは四輪で移動するイモータン・ジョーの軍勢と、二輪で移動する鉄馬の女たちのスタイルの違いを反映しているものとも考えられます(バイクを運転しながら両手離しで祈りのポーズを取るのは危険だから)。
その祈りの仕草にどんな思いが込められているか描いてみせたのが二首目。「砂風」という言葉は耳慣れない表現ですが、雰囲気は伝わってきます。
最小の詩型の俳句と比べた場合、短歌という少し大きな器は、物語に描かれなかった部分を補完できるもの、逆に言えば、音の数を埋めるために補完するように書かざるを得ないものなのだと感じました。「マッドマックス怒りのデス・ロードには短歌よりも俳句のほうが合っている」という意見を何人かのひとが書いていましたが、台詞で語ろうとしない映画だけに、下手に言葉を尽くして補完されてしまうと「わたしの解釈と違うぞ……」ということが起きるのかもしれません。

◆幻のラストシーン部門

苗植えてこれはニュークス・ラリー・バリー(るいべえ@Vault111 @ruibee)
https://twitter.com/ruibee/status/617462972592467969

植えているのはケイパブルですね。ニュークスの面影を重ねて見ているのだから、数ヶ月後に収穫してしまう野菜の苗ではなく長い年月をともに過ごすことのできる樹木の苗だと考えたい。ちなみに「苗木植う」や「果樹植う」は春の季語です。この句に関してはナッツ(@nuts12)さんのていねいな鑑賞がよかったのでぜひお読みください。
・まず苗… https://twitter.com/nuts12/status/623854948606840833
・これはニュークス、の部分… https://twitter.com/nuts12/status/623856005605031936
・ラリー・バリーと続くことで… https://twitter.com/nuts12/status/623857213728108544
・輸血袋がなければ生きられない体だったニュークスが… https://twitter.com/nuts12/status/623858453853790208
ナッツさんのツイートをRTされていた、葛原あゆの(@k_ayuno)さんの妄想もかわいかった。
・シタデルに戻って… https://twitter.com/k_ayuno/status/624196698668032000
・種にペンでラリーの顔とバリーの顔と青い目をした顔を描くんだ。 https://twitter.com/k_ayuno/status/624196898350436352
でもここは「種」ではなく「苗」を植えるからこそいいのだと主張したい。
苗床に蒔いた種が発芽したものが苗です。植えた種のすべてが発芽するわけではないので、ちゃんと発芽したものをしかるべき位置に植えなおして大きく育てていくことになる。たしかに白い種は見た目はウォーボーイ的ではありますが、もし種の時点でニュークスの面影を見てしまったら、それが発芽しなかったときに悲しい。「苗」と書いたのが作者の優しさなのだと思いました。
樹木の種が苗になるまでには、砦はすっかり平和な村になっていることでしょう。

最後に自作を。

ふるさとは花のころかも幻肢痛(石原ユキオ @yukioi)

#マッドマックス怒りのデス吟行に参加してくださったみなさん、本当にありがとうございました。ここで紹介しきれなかった作品の中にも面白いものがたくさんあったのですが、ひとまず終了です。
またいつか、オンラインまたはオフラインのどこかで一緒に吟行しましょう。

マッドマックス怒りのデス吟行お気に入りセレクション(2/3)

 

7月5日〜12日にかけて開催した「#マッドマックス怒りのデス吟行」から、個人的お気に入り作品を紹介します。第一回はこちら

◆これぞ吟行句!部門
吟行というのは詩歌を作るために散歩すること。リアル吟行をした場合、当然景色を詠んだ作品が多くなります。ということで今回はFURY ROADの景色が目に浮かぶような俳句を集めました。

スピードや振り落とされしものに月(るいべえ@Vault111 @ruibee)
https://twitter.com/ruibee/status/617468772090122241

スピードのあまり月が見えなくなることを「振り落とされ」ると言っているのだと解釈しました。遠くにある月が見通しのいい砂漠の中で見えなくなるなんて、絶対そんなわけないのでかなり大げさな比喩なんですけれども、速さの比喩としてなんだか妙にわかる。それはわたしたちが乗物に乗って移動しているとき、近くの建物に遮られて月が見えなくなるということを経験しているからでしょう。
上五(かみご※1)で「スピードや」と、とんでもないフレーズで詠嘆してしまうところもチャーミング。「や」の前って、「古池や」とか「降る雪や」とか、普通は和語・漢語が来るポジションですから。

風死して風を呼ぶなりウォー・タンク(ネムカケス @kakesunemu)
https://twitter.com/kakesunemu/status/617666387595497472

「風死す」は夏の季語。風が止んで暑い状態のこと。太陽が燦々と照りつける荒地をウォータンクが猛スピードで進み、ジョーの妻たちの髪やドレスが風にそよぐ様子が眼裏に蘇ってきます。進まなければ風は起きない。命がけで求めなければ何も得られない。マッドマックスの世界の過酷さを思いました。

道果てて晩夏の塩の明るさよ(ドーナツハンター正井 @kelmscott_masai)
https://twitter.com/kelmscott_masai/status/618388025991540736

ヒャッハー! 吟行句オブ吟行句ス!!
まるでその地に立って見てきたかのような書き方です。
この句をもし句会※2で見かけたら「道果てて晩夏の潮の明るさよ」(道がなくなったらその先は海でとても明るいなあ…)の書き間違いだと考えるでしょう。フュリオサたちが「塩の湖」と呼んでいるところは、かつて海だったという設定らしい。そのことを暗に示唆している俳句のように思えました。

さて。やや地味な場面に着目した作品もありました。

約束の地に整然と夏菜かな(千百十一 @L_Gar_2)
https://twitter.com/L_Gar_2/status/618833324753039360

砦の奥で植物が水耕栽培されているシーン。「約束の地」と呼ばれているということは、ラストシーンのその後なのかもしれません。他のひとが注目しないところを拾い上げていくのも吟行の醍醐味です。

次回はフュリオサ、マックス、ニュークス、鉄馬の女たちが登場します!

※1 俳句の五音、七音、五音を、それぞれ「上五(かみご)」「中七(なかしち)」「下五(しもご)」と言います。
※2 句会というのは俳句を無記名で提出し、誰がどれを作ったのかわからない状態で批評し合うMADなパーティのこと。高得点を集めた俳人はV8ポーズで讃えられます。

マッドマックス怒りのデス吟行お気に入りセレクション(1/3)

 

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2015年7月5日から12日にかけて「#マッドマックス怒りのデス吟行」と題して映画「マッドマックス怒りのデス・ロード」をモチーフにした詩歌を twitterにて募集しました。お寄せいただいた数々の熱い俳句・短歌・その他の中から、お気に入り作品のごく一部を紹介します!

◆イモータン・ジョー部門

疱瘡に鎧まといて螢狩(沼尻つた子` @numatsuta)
https://twitter.com/numatsuta/status/618327798839574528

イモータン・ジョーの背中に白い粉を吹きかけて透明な鎧を装備させるシーン。ジョーの背中は瘤だらけ(腫瘍?)でしたが、それを強引に「疱瘡」と呼んで古風にまとめたところが技あり。つた子さんは他の作品でも銀スプレーを「銀粉」と書いたり、フュリオサに芍薬の花を取り合わせたり、マッドマックスの世界観を短歌・俳句に馴染む言葉に置き換えて表現なさっていて、テレビゲームを浮世絵風に描いたファンアートみたいなかっこよさを感じました。
蛍は逃げた妻たち。あるいはフューリー・ロードで文字通り燃え尽きて死んでいくウォーボーイたちもまた蛍なのかもしれません。

◆ウォーボーイズ/ウォーパプス部門

燃え尽きるかがやきだけを教えられ声を揃えるしろき幼子(ミクニハレノ @mikuni_hareno)
http://privatter.net/p/889501

砦には幼い子たちがたくさん集められていました(ウォーパプスというらしい)。ニュークスやスリットもあんな小さいころから車の運転と殺すこと死ぬことだけを教えられてきたのでしょう。
ところで、砦の子供たちはニュークスやスリットと違って身体改造をしていないように見えました。一人前のウォーボーイになるときに通過儀礼として身体改造を行うのかも?

さて、次の三首はウォーボーイズの側に立って詠んだものです。

ノックなどすればゲートが閉じるからV8エンジンに注げハイオク(きりゆき @kiriyukiko)
https://twitter.com/kiriyukiko/status/617728378234212352

デス吟行であることを忘れて読めば「千載一遇のチャンスに向かってハイオク満タンで飛ばしていこう!」という何か楽しそうな歌のように見えます。が、ここでのゲートというのはヴァルハラの門。車を運転して前に進むことと死に向かって突き進むことが重ねられています。イモータン・ジョーの教えに忠実な模範的ウォーボーイ短歌です。

しろがねのスプレー噴けば魂はいとかろやかに肉叢(ししむら)を脱ぐ(いさな(タグ遊び用) @op_isana)
https://twitter.com/op_isana/status/617503357389778948

ウォーボーイズがスーサイドアタックする前に口に銀のスプレーをプシャーッとやる儀式ですね。「しろがね」「たましい」「ししむら」のshの音が多用され、音そのものもスプレーみたい。そしてそこから魂までも揮発していくようなイメージが喚起され、なんだかとても美しいです。爆発で派手にふっとぶウォーボーイズを見てこんなに静かな短歌が生まれるとは。

俺を見ろ他の誰でもない俺をどの俺でもない死にゆく俺を(もじほこり @saikasouko140)
https://twitter.com/saikasouko140/status/617709923661561858

“Witness me!(俺を見ろ!)”
上の句では他のウォーボーイではない「俺」、下の句では白塗り中の姿でも整備中の姿でもなくいままさに突撃していく「俺」を目に焼き付けろという切実な叫びが歌われています。ウォーボーイたちは、自分が出世していい車を運転できるか、自分がヴァルハラに行けるかどうかを非常に重要視しており、実は個人主義的とも言える。大儀のためには自分の命など惜しくないというようなスタンスではなくて、誉め称えられるから、また、その先によりよい世界があると信じているからこそ死んでいく。そういったことが「俺」の畳み掛けによって表現されていると思いました。
余談ですが、歌人の高柳蕗子さんの評論集『短歌の酵母』っぽい表現で言うなら、この短歌には「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ(小野茂樹)」が背後霊として憑き、それとなく恋の気配を漂わせています。

吟行期間中もずっと考えていたんですが、勇ましく戦って死んでいくひとの側に立って詠まれた短歌は、映画モチーフということを知らずに読むと怖くなります。「マッドマックス怒りのデス・ロード」が一面的な暴力礼賛にならないように配慮して作られたアクション映画だけに、二次創作した詩歌の政治的配慮についても考えさせられました。(で、線引きは難しいのですが、あくまでもわたしの感覚で、映画モチーフのものとしてもこれは完全に駄目だろ、という作品は紹介しない方針です)

次回は、「これぞ吟行句!」という俳句を紹介します。

句荘gucaとはなにか

米光:それこそカードゲームのショップみたいにさ。行ったことある? テーブルがあって、そこで遊べるの。カード買うついでに友達と会ったり、その場でチーム組んで4人で遊んだりできる。俳句もそういう場があるといいのにね。囲碁だったら碁会所でしょ?

佐藤:雀荘みたいな!

米光:クソウ!

guca2より

guca2での、米光一成さんへのインタビューの中で飛び出したことば、「クソウ」。

その、「クソウ」を実際にやってみよう、というイベントを企画しました。

ゲスト出演いただくのは、米光一成さん(ゲーム作家/ライター)、松本てふこさん(俳人)。
いわば、句荘の常連客(句鬼!?)的ポジション。
gucaメンバーからは、おーた(歌人/蔦系女子)&石原(俳人/廃人)。
お越しいただいたお客様全員(そう、これを読んでいるあなた!!)に一句ずつ投句していただき、実際に句会を行います。

句会とか行ったことないし…

という方。大丈夫です。
十分お楽しみいただけます! と自信をもって申し上げたい。

句荘にはオーナー兼店長がいて、初心者の方にもわかりやすく、俳句(句会)というゲームのしくみを説明します。
このオーナー兼店長が、サトウ(俳人/藻系女子/コスプレはじめました)。

どうかお気軽に、なじみのお店にふらっと立ち寄るみたいに、句荘gucaへお越しください。

電子書籍「期間限定短詩系女子マガジンguca2」発売記念イベント

句荘guca

出演;米光一成(ゲーム作家/ライター)
松本てふこ(俳人)
guca(太田ユリ・石原ユキオ・佐藤文香)

日時;7/17 18:00-20:00 (開場17:30)
場所;Neuro Cafe
(吉祥寺駅公園口から徒歩3分、武蔵野ビル7F)

参加費;1000円

※飲物は各自ご持参ください。

※先着30名!お申し込みはメールにて!

件名;「句荘guca」
本文;お名前、お電話番号、メールアドレス
をご記入の上、
tanshikeijoshiアットマークgmail.com 宛にお願いします。

受付当日受付と同時にお題が発表されます。みなさんに1句作っていただきます。
句会形式で、出演者5名が選句します。もちろん、トークもお楽しみいただけます。

句荘gucaフライヤー

東西句会にいってきました! その2

2月3日、名古屋の東西句会に参加させていただきました〜♪
 
とんとんぼうぼうさんことN村さん(俳人)と荻原裕幸さん(歌人)が駅まで迎えにきてくださって感激。
 

 
お二人にみそにこみうどんのお店に連れて行っていただきました!
みそにこみうどんって、いわゆるうどんの食感じゃないんですよ。
団子っぽい生地をうどん型にしてある感じ。讃岐うどんの感覚でつるつるんとすすることは不可能。
蓋にのっけてふーふーしながら食べます。
 
句会は少人数で何でも言える雰囲気でした。全然堅苦しくない。はじめてなのにアウェー感は薄かったです。
一句一句時間をとって批評し合えるとこがすごくよかった。
さほど点が入らなくても面白い句、というのが置き去りにされない。
度重なるドM発言と頭の悪そうな感想、申し訳ございませんでした。
  

 
句会の後、句会に出席されてたみなさんとコメダ珈琲へ。
名物「シロノワール」おいしかったです!!
ほかほかのパンの上にソフトクリーム!!!!
シロ(白)なのかノワール(黒)なのかよくわかんない名前だなあと思ってたら、本当に語源は白と黒 [1]なんですね。

ところで、結社の話になったときに、
自分の所属してる結社の主宰の名前が一瞬(2分ぐらい。長っ!)出てきませんでした。うはは。
(主宰万歳なかわりに憲法九条万歳な結社だから全然OKなのかも……)
 
 
東西句会のみなさん、ありがとうございました♪

また行きます!!

[1] http://www.komeda.co.jp/contents/special_w.html

東西句会にいってきました! その1

ユキオ的にツボだった荻原さんの言葉

・「だめでしょ」
・「20代って思春期じゃないの?」
・「●●●●って二人っきりのときに言ったら本気で叩くよ」※
 

※「どんなご褒美ですかーっ!!!」って
 心の中で思いっきりしっぽをふりました。
 
好き。
ああ。
きょどってごめんなさい。
 
荻原様にもっとキツいことを言われたい!!!
 
書ける!
 
書けるぞ私は!!!!
 

本日倉敷あきさ亭で忘年句会です

ばかですとか素人ですとかじゃんじゃん言ってそこらへんでストレスを回避しつつ前進、スーサイドアタック、スーサイドアタックの目的は自己満足なので実際の効果は不問、みたいな。

忘年句会でアルコールが入ったらドラえもんよりオスカルの瞳よりナディアの海より青いことを言ってしまいそうな気がするのでブログに書いとく。

野望と性欲は小出しにするのがいい。

アウェーの練習試合

バックストロークの略称がBSだと気付くまで、衛星中継される川柳の集まりがあるのかと考えていました。春にあった大会の会場に入った時点でちゃんとBS=バックストロークだと気付いた私は偉いと思います。今回は早かった。中原道夫は現代詩も俳句も書ける超人だと年単位で信じてたけど、今回は気付くの早かったよ石原さん!!
 
その、川柳BS(バックストローク)の、句会に行ってきました。
 
はい。
わたくし、俳人ですが、何か?
 
温かく迎え入れてくれた石部さん、誘ってくれたちかるさん、ありがとうございます。
石部さんの
「(抜けるか抜けないかだけを気にして)ゲームのようになった川柳を、文芸の方に取り戻したい」
「悪口(=厳しい批評)に慣れないかんです」
といった言葉が印象的でした。
 
気付いたこと、考えたことメモ。
 
・川柳では、互選の句会は少ないらしい。
・川柳は意地悪な読み方をするもの、という偏見があったけど、できるだけプラスの意味を読み取ろうとする、幸せなストーリーを読み取ろうとする人もいる。(私は不幸なお話が好きなので川柳も俳句もそのように読みます。)
・「たぬき」=「オヤジ」みたいなきまりごとが、川柳にはできてしまっているらしい。そこに頼らずに書く、という立場。
・現代川柳を書く人って、見た目はあんな普通の人たちばかり(1〜2割の確率で例外あり)なのに、しゃべっても普通の親切な人たちなのに、どうしてあんなシュルレアリスティックな情景を作ってしまえるんだろう。
・川柳の作り方として、(1)言葉を組み合わせる→(2)情景を想像して品質チェック→(3)言葉を整理→(4)完成という工程を勝手に想像しておりました。
これ、違うかも。
情景を想像して、という発想がそもそも俳句に毒されてるのかも、私。