日記」カテゴリーアーカイブ

盆梅が職員室にあって邪魔

体育館の裏側に呼び出して告白、というような儀式はいまも行われているのだろうか。
行われているといい。
魔女狩りを逃れた民間信仰のように、ひそかに息づいているといい。
 
高校の制服を久しぶりに風にさらしながら、わたしのなかのいくらかのぶぶんがまとまって失われたある期間のことを思い出す。
 
「ままごとみたい」という言葉には、きっと悪意はなくて、そのおとなからしてみれば体育館裏の告白を好ましく思う現在のわたしと似たような心持ちだったに違いない。
しかしながら当時の女子高校生はそのひとことに傷つきもし、また挑まれたようにも思ってしまった。
 
十八歳とはそのような年齢である。
 
われら、おおいにこの世に悪を為そうよ。
 
 

人間は故障する

どうもどうもこんばんは。
どこかの部品が外れるまで原稿依頼を決して断らない方針(らしい)石原です。
(断らないのが普通だ、当然だ、何様のつもりだ、世の中なめんな、と罵られた経験あり。)

出し惜しみするのが持続可能な開発じゃないのよ。
ばっさばっさ間伐して里山を育てる感じで。
という比喩が妙にポジティブで嫌です。
疲労だな、これは。

最近嬉しかったのは、推薦入試の面接を受けに行ってる高校三年生が、九州からメールをくれたこと。
「明日の面接で俳句のこと話すから、俳句見てください!」
って、九州に着いてから作った三句を見せてくれた。
こっちはこっちで移動中で、新幹線の中から返信しました。
出張だったのでね。

どうじゃー。仕事しとるっぽいじゃろー。

もう「石原さんって仕事してるんだっけ?」とは言わせません。

(でもほんとはちょっと嬉しい。生活感ないって言われるの)

「ごあんない」と「ごめんなさい」はすこし似ている

「俊読」のときに朗読した内容に関してご案内。

前半:谷川俊太郎さんの「七五の歌」を一連読むごとに自分の俳句を一首読む。
ブログの右側の「俳句」って書いてあるところを片っ端から開いていくと、
「白タイツ」とか「オーシャン」とか「新・都ホテル」が見つかります。
「七五の歌」は手元にある「谷川俊太郎詩集」(角川文庫/昭和五十七年)から。

後半:自作「三谷と花粉症」の間に谷川俊太郎さんの作品を挟む。
谷川作品を「営業トーク」として紹介してしまう大変失礼なネタです。

三谷に関しては、非常にしつこくブログに書いてます。

・去りゆく三谷と花粉症
・三谷と花粉症の復讐
・三谷と花粉症の後遺症
・三谷と花粉症と事務所移転

三谷幸喜は普通に好きですが、読みあさったり観あさったりしてるわけではないです。
「ザ・マジックアワー」は呼吸困難になるぐらい笑いましたが。
たぶんルックスが好きなんだと思う。

ずんずんどこ

バーゲンに行って安い服を買い漁らねばならぬ、と思うものの、闘志がいまいちわいてきません。
とりあえず、ワコールのブラジャーとパンティのセットを二組買っただけ。
某番街ではバーゲンにもかかわらず、おねいさんがフィッティングしてくれるのが嬉しい。
森奈津子的意味合いではなく、普通に嬉しい。
最近、下着の選び方が保守的になりがち。
よくない傾向であります。

断るけえ岩井志麻子になれんのじゃ原稿依頼とHの誘い

皮をむいた状態でストーブの前などに置き忘れて、何時間か経った、薄皮が紙のようにかぴかぴのみかんを噛んだら中がじわっとジューシー、という瞬間を愛してやまない石原です。お疲れ様です。
お屠蘇酔いしないうちに新年の出没情報をお知らせしておきます。
 
01.23 sat  6:00pm 開場/7:00pm 開講 → 9:30pm 終講予定
メトロ大學2010
『俊読〜shundoku〜』
 
出演者:
谷川俊太郎 / 桑原滝弥 / 豊原エス(詩人)
/ Nura(ベリーダンス) / 川尾朋子(書家) / 石原ユキオ(俳人)
/ 永尾蕗子(弾き語り) / 河野宏子(詩人)
 
「この国の子供たちは皆、この男の詩を読んで大きくなった。」
1948年の詩作開始以来、
2000編を超える膨大な量の作品を世に送り出し、
児童書・教科書から専門書、
果てはポルノ雑誌までフォローするほど多岐に渡る作風で、
誰もが一度は触れたことのある谷川俊太郎の詩の世界。
この現代日本を代表する詩人の作品を、
タイプの異なる現在注目の詩人/アーティストたちが、
それぞれの解釈/方法で大胆なる再生に挑む。
ラストには本人も登場する、大人気朗読イベント『俊読』が
2010年メトロ大學へ登場!
 
ということで、俊読に出演します。
(チケット完売だそうです!ありがとうございます!ギャボン!)
持ち時間、10分ぐらい。
満員のお客様と巨匠を前にキョドりまくる石原をたっぷり堪能してください♪
 

げんき?風邪引いとらん?

ちょびっとおひさしぶりです。略してちょびさしぶりです。順調に意気沮喪中の石原です。
佐々木あららさんに絶賛されました。びっくりした。心臓が止まったのでえら呼吸してます。え? 無理ですか? 心臓止まったらえら呼吸も無理ですか。もういいです。石原は只今留守です。メッセージはauお留守番センターに「石原さん、クリスマスプレゼントなんでも買ってあげるよ」っていう形で残しておいてください。ふらふらと出てきますよ。待ってるから。
 
12月26日は大朗読@スペースMIKANSEI。午後五時から。千円握りしめてきたらビールが飲めて朗読が聴けておまけに飛び入り朗読までできてしまうという。しかもMIKANSEIでやるのはこれが最後。
来た方がいいと思う。ね。是非とも。
高校生は受験シーズンのため参加不可能とのことで、「都会のトナカイ」再演は諦めて、ピンで何かやります。頑張ります。たぶん、頑張れると、思います。
 
どうせ私は、見下し気味に「面白いな」って言われたいだけなんです。
 
この病気は治らん。

ボジョレー・ヌーボー

とびきり浮ついた感じの、人気漫画のラベルとポップがついてるやつを買いました。
母が、ポリフェノールを摂りたいと言うので。
 
試飲コーナーはアラサー・アラフォー女性のひとだかり。
推奨販売のお姉さんは試飲のお世話に忙しい。
思いのほか香水臭くない集団に根性で分け入って、やっとこさ二銘柄飲み比べ、空気中からアルコールをたっぷりと摂取し、ふあふあと温かい身体でバス乗り場へ向かいました。

そこへ。
「お嬢さん」
と呼び止める人が。
 
「お嬢さん、ピアノの生演奏が聴けるような店を知らんかな」
 
浮浪者というにはさっぱりとしすぎている、しかし堅気ではない、贅沢な暮らしぶりをしたあとにどっと落ちぶれたような、やせ形で、目鼻立ちのはっきりした初老の男性でした。
「このあたりでは存じ上げませんが」
「どのあたりなら知っとるんかな」
「倉敷にはジャズバーみたいなところがありますよ。ライブやってる」
「ほおか。まあ座りんさい」
「いえ、母にワインを買って帰るところなので」
「少しでいいんだ」
男は自分の腰掛けているベンチを叩きました。
指には金の指輪。
指輪の下の皮膚に、指輪と同じように指に巻き付いている、青黒い線が見えました。
「楽器では何が一番好きかな」
「……バンドネオン」
「バンドネオン。あれはええな。アルゼンチン行ったとき弾かせてもらったんだ。ラ・クンパルシータ」
「それでは私はこれで」
「ラ・ラ・ラ・ラ・ララララ・ラ……踊りたくなる。名曲だ」
「……むかし踊っていましたよ」
「ポルテーニョかな?」
「いいえ、おかやまっ子です」
 
家へ帰って母にワインを注ぎました。
一口飲んだ母は軽く咳き込んで、
 
「ぬくうなる」

と言いました。

三谷と花粉症と事務所移転

リプレイス、という言葉を聞く度に、三谷のことを思い出します。わたしの働く事務所はごっそり中身を移すことになりました。あの日三谷がPCの中のデータをまるごと移し替えたみたいに。新しいPCに移し替えられたデータはこころなしかぴちぴちとしている。けれど新しい事務所に引っ越したわたしは前よりも今よりも疲れているでしょう。ねえ、三谷。三谷はまだ同じ仕事をしているの。三谷は本当は何屋さんなの。学生ではなかったかとわたしは踏んでいる。三谷がわたしよりも年下であればいい。わたしは妄想の中でさえ自分より年下の男を知らないから、三谷を初めての年下にしようと思うのです。三谷の幻影は、事務所の空気の中にわずかながら漂っています。三谷はくせっ毛でしたね。背はそんなに高くなかった。眼鏡をかけていた。痩せてはいなかった。どちらかというと色白で、言葉には訛りがなかったはずだ。三谷。わたしあなたの手が思い出せない。とても重要なはずなのに。どうせなら短くて太い骨組みに、ぽってりと肉がのってるのがいい。いままで白魚の指をしたひとにいつも苦しめられてきたから。白魚はわたしの首を絞める。締めるならさいごまで締めればいい。けれどすぐに飽きてべつの場所に泳いで行ってしまう。あの日包丁を持ったわたしが本当にしたかったことは、白魚の料理だったのかもしれない。三谷。わたし三谷を傷つけないよ。三谷はぜったいにわたしを傷つけないから。三谷はよじれたケーブルを一瞬で解いた。三谷はわたしの三年間をみるみるうちに吸い上げて新しい革袋に注いでしまった。七年でも八年でもできるでしょ、三谷。わたし多くを望んでるような気はちっともしない。終わったら去ってくれればいいのよ、三谷。作業報告書みたいに、静かな微笑を残して。

10歳差とか信じられない

今日も元気に開店休業。
石原ユキオ商店です、こんばんは。
 
先日、S高校の句会に参加させていただきました。
句会というより、合評会といった雰囲気かな。
なかなかみなさんアンファンテリブルでございます。
もっとはっきりと批評ができるようになってほしい。
自分にできないことを若い子に望むのも妙ですが。
 
俳句と出会って二年未満の皆さんの句を見せていただいて思ったのが、
季語にまとわりつくイメージにとらわれず、
遠いところまで発想を飛ばせるようになったら、
俳句初心者卒業なのかも、ってこと。
(二物衝撃に限らず、一物仕立ての句でもね。)
 
高校生の子たち、
自分の書いたものに、それなりのプライドを持っているところが頼もしい。
生意気さは大事よ。
睨んでやんな。凄んでやんな。牙をかくすな。
10代のわたし、主成分の90%はハッタリだったし、
いまだってそんなもんだし。
 
台風は来たんだっけ?
岡山はよくわからなかった。
 
18歳ぐらいからずっと暴風域におる気がする。