体育館の裏側に呼び出して告白、というような儀式はいまも行われているのだろうか。
行われているといい。
魔女狩りを逃れた民間信仰のように、ひそかに息づいているといい。
高校の制服を久しぶりに風にさらしながら、わたしのなかのいくらかのぶぶんがまとまって失われたある期間のことを思い出す。
「ままごとみたい」という言葉には、きっと悪意はなくて、そのおとなからしてみれば体育館裏の告白を好ましく思う現在のわたしと似たような心持ちだったに違いない。
しかしながら当時の女子高校生はそのひとことに傷つきもし、また挑まれたようにも思ってしまった。
十八歳とはそのような年齢である。
われら、おおいにこの世に悪を為そうよ。
盆梅が職員室にあって邪魔
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