カテゴリー別アーカイブ: 読書

打越マトリクス

バレンタインデー前後にTwitter上で佐藤文香考案「打越マトリクス」が(ごくごく局地的に)流行したのでこちらにも記録しておきます。

打越マトリクスまとめ https://togetter.com/li/1081579
打越マトリクス交換 https://togetter.com/li/1081596実駒さんによるまとめ)


以下は打越マトリクスの詳しいやり方が載っている『俳句を遊べ!』ほか佐藤さんの著書(の一部)。
(ここからお買い上げいただくと石原の私腹がすこしだけ肥えます。飴ちゃん1個分ぐらい。)



かばん6月号を読んでます(2)

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つづきです。前回はこちら

●「かばんゲストルーム」は俳人の福田若之さん。
タイトルが「題名に似て置き去りの蛇の皮」。題名も一句と数えれば13句の連作。禍々しい、陰鬱なイメージでいくのかと思ったら、最後の二句でふっと明るくなってすっきりとした読後感、というところに意外性があってよかった。

胃のなかに六月の煮崩れた街  福田若之

蛇モチーフを踏まえて読むと、やはり蛇の胃袋なのだろう。
人間の胃袋の内容物は咀嚼されたために元の形を保っていない。
蛇は丸呑みするから、蛇の吐いたネズミなどはまさに「煮崩れた」ような状態で出てくる。ちなみに吐き戻されたピンクマウスはこんな感じだそうです(リンク先のページ、スクロールして真ん中あたり)。
「煮崩れた街」は、それでも「街」だったとわかるだけの形を保っていそう。

脱ぐと時間をずれていく蛇ずれていく  福田若之

皮の中を蛇のからだが動いて模様と模様がずれながら脱皮していく。繰り返される「ずれていく」が伸び縮みの動きを繰り返す蛇の姿を思わせる。俳句による蛇の形態模写みたいで面白い。

さっき雨脚をぜんぶ自分で捥いでかなぐり捨てた虹だ  福田若之

空まで脱皮してる!

●評論ののぞき穴——あなたの書き方、教えてください!——
これは、評論やコラムでスランプに陥ったときに繰り返し読みたい特集でした。

評論を書くときは「歌書プラスワン」をルールとして意識している。学術書なり短歌外の作品なり、論じるテーマと同時代を表象した資料を一つは入れることで、批評の骨格が立体的になることを知ったのである。

山田航「評論の方法論が確立するまで」

(頑張れそうなときは)真似しようと思う。

また、飯島章友さんの「過ぎゆきにヘッドロックをかけられる」は、五年前に執筆した小論の反省。「うまくいかなかったパターン」を教えてくれるひとはなかなかいないので貴重な視点。
「労働・職業」の歌として引用した、

息つまるヘツドロツク、はつと思ふまにどたりといふマツトのひびき  前田夕暮『青樫は歌ふ』

は、プロレスではなくて十中八九アマレスだと思ってたから本当は「職業」の歌としてふさわしくなかった……という告白、ちょっと笑ってしまった。

特集の執筆陣による「評論七つ道具」はかなり具体的で今日から使えるアイデアに溢れています。
東直子さん「ポスト・イット ジョーブ透明見出し 44×6mm」。透明ふせん流行ってますね。
高柳蕗子さん「ネコ」「こたつ」この二つは個人的には諸刃の剣だと思っております。
久真八志さんおすすめの「Evernote」はわたしも愛用しています。共有設定にできるので、資料を共有したり、アイデア出ししたり、共同制作にすごく便利。最近1アカウントを3台以上(例:自宅PC・職場PC・スマートフォン)で同期するユーザーは有料になりましたが、有料で使う価値はあると思う。

ところで、こんな楽しい「かばん」にわたしの書いたものも載っております。
特集「酵母と桜」に「歌の外を見ない歌論」と題して高柳蕗子著『短歌の酵母』評を寄稿したのであります。
「歌の外を見ない評論」ってまるでディスってるようなタイトルですが、高柳蕗子ファンとして「短歌の酵母はいいぞ! 最高だぞ!」という話を「BL短歌」や『共有結晶』に言及しながら書きました。

“わたしはつねに腹を立てながら短詩型文学に関わってきた。”

“誰の人生も消費しない短歌評論が可能だという事実は、他人の人生をワイドショー的に詮索する鑑賞態度に違和感を覚え続けてきた者に勇気を与えてくれる。”

このあたりはわかるひとには「あああああー……↓↓↓」と共感していただけると思います。

かばん取り扱い書店

かばん6月号を読んでます(1)

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特集「酵母と桜」に寄稿させていただいた『かばん』2016年6月号から気になった短歌を。

いつもよりちょっと悪い子になる薬 ルームサービスのきつねうどんは  うにがわえりも

「いつもよりちょっと悪い子になる薬」までなら昭和の、ちょっとエロい歌詞をカマトトな態度で歌うタイプのアイドルソングみたいな言葉選び。「ルームサービスの」で、ふむふむ、実際の薬物じゃなくて比喩なのね、シャンパンかなフルーツかな、と思わせたところに「きつねうどん」でうっちゃりをかけるセンスに痺れた。なかなかこの流れで「きつねうどん」は出てこないですよ。「ルームサービスのきつねうどん」というとラブホテルの小窓から差し入れてドンと置き去りにされる、伸び切った、あるいは部分的に凍ったままの絶望的なきつねうどんしか思い浮かばないのだが、どうやったらそんなもので悪い子になれるのか。悪い子ってどういうのが悪い子なの。物事の捉え方のおかしい感じ、状況のわからなさが逆にいい。

履歴書の四角いところ三センチくらいの笑顔だけ貼りつける  藤島優実

「履歴書の写真貼付欄に三センチくらいの笑顔の写真を貼りつけた」ということではなく「履歴書に写真を貼るみたいに(うわべだけの)笑顔を作ってみせた」ということなのでしょう。普段「四角いところ」と言うときに長細い形ではなく真四角に近いものを指して言ってるんだなということに気づかされる。就職活動を想起させるんだけど、魂までは売り渡してない、と同時にその場に器用に順応することもできてないような。

祖母が遺していった薄手のシャツのなかでまだペイズリー柄が動いています  小坂井大輔

そうなんだよね。ペイズリー柄って動くんだよ。うちのもわりと動く。

<黒王子>。<白王子>との関係と見なしてしまう。「腐ってやがる」。  ミカヅキカゲリ

※「関係」に「カップル」とルビ
言わずと知れたことですが「腐ってやがる」は『風の谷のナウシカ』に出てくる台詞で、ネットスラングとしては「腐女子/腐男子」に対しても使われる言葉。「腐ってやがる」は説明的に思えてしまうけど、「黒王子」と聞いたら黒王子×白王子という構図を自動的に妄想してしまうことに関しては共感せずにはいられない。

モザイクの向こう側にはあるだろう図鑑に載っていない性器が  谷川電話

「図鑑に載っていない」がすごい。モザイクの向こう側の性器を想像することはあっても、そこに「図鑑」というものを持って来れるなんて。「モザイクの向こう側」の「性器」は性的な欲望を向けられるものとしてあるはずなのに、「図鑑」によって「性器」が虫や魚や植物みたいなものと並べられて、性欲から少し遠ざかる。(逆に、現実に図鑑に載っている動植物は性器そのものと言えるのではないか、とも考えてしまう。)性器に関して、図鑑に載っていない虫を追い求めるようなまっすぐな探究心を向けるひとというのを想像するとちょっとおかしい。

猫だけが入れる扉のからんころんこの世ですこしかみさまに流行る  柳本々々

壁の下の方に設置された小さな猫ドア。神様が猫ドア鑑賞をしてるんじゃなくて、猫ドアを出入りしてると考えた方が面白い。多神教だとしたら「あの、猫用のやついいっすよ」「まじ? いつも適当に壁抜けてたわ」「いやあ、あのからんころんが最高なんすよ。つぎ人間界行くときぜひ。猫の背中に乗ったまま通るのがまた良くて〜」みたいな神様同士の口コミがで流行が広がったはずだ。一神教の神様のマイブームを「流行る」と言っているのだとしてもそれはそれでかわいい。ところで猫ドアって「からんころん」って音がするんでしょうか。製品によっては鳴るのかな。「からんころんこの世」という連なりが心地よい。

薔薇食めば薔薇に骨あり骨吐けば銀河宇宙や食はさびしゑ  睦月都

あー! 彗星の尻尾で魂を洗われるような耽美感! きもちいい!
薔薇の骨は魚の骨みたいな骨なんだろうか、それとも獣の骨みたいな骨なんだろうか。どちらかというと獣の小骨っぽいような気がする。宇野亜喜良の絵柄で脳内でアニメーションにしました。「食はさびしゑ」って、食べ物らしいもの食べてないのにそれを「食」と呼んでいる、この、霞食って生きてる感じ大好き。「ゑ」がね、これ自体が口から出てきそうな字ですよね、ペッてしたとき。

3年目のおかたん。

 
『岡大短歌3』から好きな歌を紹介します。

インスタントコーヒーを手にしばらくは終わりから剥がされる夜を見て 高岡晶美

連作の文脈からすると、「学生生活の終わり」から剥がされて「社会人生活」へ移行しなければいけなくなることを言っているのだと思うけど、「終わり」から「剥がされる」という捉え方が面白い。じんせいにはこういう時間がときどきありますね。終わった瞬間次の場所にいるのではないんだよね。
本業ニートで子供舌のわたしからすると「インスタントコーヒーなんてそんな、ワーカホリックみたいな飲み物まだ飲まなくていいのに……(ミロのほうが美味しいのに)」と思ってしまうが、この歌の人物はもう社会人生活に適応しはじめているのだ。

午後九時に半額になるスーパーに段ボールだけをもらいにゆく日 上本彩加

これも文脈から卒業→引越しのため、と推測される。いつもなら午後九時の半額を狙ってお惣菜を買いに行っていたスーパーで、その日は買い物をせず、段ボールだけをもらう。
たまったポイントはちゃんと商品と交換できただろうか。引越しの前に荷物を増やすわけにもいかないから諦めたかもしれないな。

通過する新幹線に引っ張られゆがんでしまったようだ、世界は 川上まなみ

新幹線で移動していったひとを見送ったあとの歌だろうか。ひらがなの「ゆがんでしまったようだ」のところが、上の句の漢字との対比で飴をひゅっと引っ張って伸ばしたように薄くなって見える。喪失感なんて言っていないのに喪失感の大きさを感じさせる。

夕焼けとあなたのからだをいっぺんに抱きしめたくて三歩下がった 山田成海

いい意味で変なところがある山田さん。ええ。わかります。映画の言葉で言うならマジックアワー。かっこいい背景に立ったかっこいいあなたを全部まとめて抱きしめたい。至近距離に立つと顔しか見えない。ちょっと下がる。ぎゃー!! めっちゃかっこいいー!! からのだいしゅきホールドです。三歩はだいしゅきホールドの助走にちょうどよい距離です。

岡大短歌会(blog)

真逆にいたり、引き合ったり。

S極N極
 

アネモネアネモネ顔を上げたらその口にアネモネを活けているような愛  野口あや子
 
葉牡丹に霜のきらめき 水たばこ  佐藤文香

佐藤文香野口あや子のユニットS極N極による『S極N極』。

俳句・短歌とエッセイに、みんな大好き安福望さんのイラストがついた贅沢なZINE。

個人的なツボは、野口さんがカラオケで歌うのが相対性理論、山口百恵、椎名林檎と歌集のイメージ通りなところと、さとあやが薄毛愛を語っているところ。

最近自分が関わったものは何故か食がテーマになる本が多くて(『線と情事』 『別腹』)、ついでにわたしが尊敬して止まない『生活考察』vol.05も “食” 本考察という特集を組んでいたし、食、流行ってるのか、いや、食わずに生きていけるひとなんていないし人類普遍のテーマだからか、などと思っていたら『S極N極』にも野口さんによる「あなたと食いつなぐ短歌」という文章が。
こんな短歌が紹介されてます。

買ったんはボルビックやったのに半分くらい飲むとクリスタルなんとかなんですわええかげんなもんですわ  吉岡太朗

お取り寄せはこちらから。
 
 

密着!俳句警察24時

週刊俳句第365号特集「悪い俳句」に「俳句警察24時~『遊戯の家』に潜入せよ!~」を寄稿しました。(イラストつき!)

もともと「俳句警察」や「歳時記警察」というのは表現よりも規範を優先する俳人のことを揶揄して言った言葉(……と、わたしはとらえているんですが、合ってますでしょうか)なのですが、今回の記事では文字通り二人の刑事が登場して事件性のある俳句を捜査します。

俳句警察

(右)山さん。ベテラン刑事。一人娘を溺愛している。
(左)インバネス。新米刑事。(日本の一般的な警察組織では刑事同士が『ジーパン』『テキサス』『スニーカー』といったニックネームで呼び合う習慣があるらしいので、俳句っぽいニックネームをつけてみました。)

ちなみに、『遊戯の家』のほかに捜査対象として考えられていた句集・アンソロジーは次のようなもの。
悪い俳句、探してみてくださいね。

  

 

吹きっさらしのプラットホーム

高橋千波『プラットホーム』

高橋千波(@_hushabye)さんの小さな歌集『プラットホーム』(2014.2.11発行)から好きな歌を。

そのひとを思い出すときホームではひときわ圧を増すあぶらぜみ  高橋千波

間違えてばかりの僕にぽたぽたと修正液の花びらが降る

かみころされたあくびたちふかふかとふりつもる百貨店のフロアに

一首目。油蝉の声が急に大きくなったように感じることを「圧を増す」と表現してる。そのひとは別れた恋人かもしれないし、亡くなった友人かもしれない。学生時代の部活のライバルかもしれない。山がすぐ側にある新神戸のホームを思い出す。
二首目。花びらの形と大きさ、わずかな厚み。修正液とそっくりっていう発見。
三首目。やなぎみわのエレベーターガールのシリーズみたい。

プラットホームはどこかへ行くために一時的に立つ場所。その心もとない感じ。
中綴じの冊子を手に取ったときの薄さやわらかさが、繊細な歌の佇まいによく合っている。

行間からフェロモン

 
榮猿丸さんの句集『点滅』からいい匂いがするような気がして、鼻を近づけていっしょうけんめい嗅いでみたのですが、気のせいでした。
 
こんばんは、石原です。
 
ちょっと前に掲載していただいたものの報告ですが、週刊俳句第351号(2014年1月12日)「それでも愛し愛されて生きるのさ 小津夜景「ほんのささやかな喪失を旅するディスクール」について」という文章が載ってます。
 
ロラン・バルトってよくわからないけど、天ぷらをレースにたとえたのはとても素敵なことだと思います。

『冬夕焼』のお菓子俳句について

『線と情事』第二号の「SWEET HAIKU REPLAY」では紹介できなかったのですが、金子敦さんの『冬夕焼』(2008年、ふらんす堂)はお菓子俳句的にかなり熱い句集です。

如月のざらめびつしりリーフパイ  金子敦

二月の寒さと乾燥がリーフパイのかさかさした感じとよく合っていて美味しそう。
(もし六月ならリーフパイは湿気でべちゃっとしてると思う。)

かき氷ひかりをこぼしつつ運ぶ  〃

運びながら崩れて落ちていくかき氷の粒を「ひかり」と言っています。
手元も濡れてきらきらして、運んでいるひとの汗も光ってます。
少女漫画っぽい。

飴を切る音の幽かに寒牡丹  〃

庭で寒牡丹を見ていると、どこからか、かすかに飴を切る音がする。柔らかい飴をバチンと鋏で切る音なのか、硬い飴を包丁で叩き切る音なのか。なんとなく前者の飴細工のような気がします。老舗の和菓子屋さんっぽい。冬のさびしい庭に一点だけ咲いた寒の牡丹と、口の中にほんのりと甘味を感じさせるような飴の音。抑制のきいた華やぎがかっこいいです。

行く春やロールケーキの緩き渦  〃

「SWEET HAIKU REPLAY」では相子智恵さんの「ロールケーキ切ればのの字やうららなる」(『新撰21』より)について書きました。
この二本のロールケーキを比較すると、パティスリー・アイコのロールケーキはスポンジにもクリームにも弾力が感じられるのに対し、パティスリー・カネコのロールケーキは生クリーム多めで全体的にとろけるような柔らかさが感じられます。
この印象がどこから来るかというと、「行く春」「緩き」の「ゆ」音から導かれる柔らかさ。そして、春の終わり頃であることから、気温が高め、よってクリームが溶けやすい、という連想だと思います。
(どちらもすごく美味しそうです。ううう。食べてみたい……)

水たまり跳び越えバレンタインデー  〃

これはすごくかわいらしい句。好きな人にチョコレートを渡したったぞ! 笑顔で受け取ってもらえたぞ! という喜びなのか、好きな人からチョコレートもらったぞ! という喜びなのか。それともこれから意気揚々と渡しに行こうとしているところなのか。冷たい冬の雨のあと、あるいは雪がとけたあとにできた「水たまり」が、幸せな未来を予感させます。

リカ、お前はあきらめろ。

猫は踏まずに
 
本多真弓(本多響乃)さんの歌集『猫は踏まずに』から好きな歌と、その感想を。

わたくしは
けふも会社へまゐります
一匹たりとも猫は踏まずに

猫を踏まないのは普通のことだ。
猫を踏まないことをなぜわざわざ言うのだろう。
このひとは猫を踏むことを考えながら通勤しているんじゃないかしら。
猫を踏んだときの「フギャッ!」という激しいリアクション。
「一匹たりとも」と強調されることによって、
目に入る猫をかたっぱしから踏んでしまうことも
彼女の頭の中にはあるんだろうなという気がする。
「フギャッ!」「フギャッ!」「フギャッ!」
たいへんな騒ぎになるにちがいない。
しかしこのひとはそれを頭の中だけにとどめて
淡々と日常的な仕事をこなすのである。
こんなひとは絶対に怒らせたくない。

半年の通勤定期ちやんと買ふ
わたくしはいつも長女ですから

この歌も、当たり前のことをわざわざ言っている。
敢えて言うのは、「ちやんと買」わないという選択肢が存在するからだ。
区間や通勤手段を偽って申請すれば、
交通費として手に入れたお金をお小遣いにしてしまうこともできるのだろう。
だけどこのひとは「ちやんと買ふ」と言う。
したら得することはわかっていて、
けれど、してはいけないことになっているから、それをしない。
その理由を「わたくしはいつも長女」だからだと言う。
弟妹に規範を示せるように、長女としていつも親の期待通りに行動してきた。
おとなになってもそのことをひきずってしまう不器用さが、
「わたくし」「長女ですから」という真面目そうな口調にも現れている。
ただ、油断してはならない。
このひとは、悪事の可能性も、ちゃんと念頭に置いているのだ。

リカへ
 
 
ありがたう
教へてくれて
ケンちゃんの
キスの仕方は知つてゐたけど

最後の一行が衝撃的で、
急に人間関係が明らかになりドラマが生まれる。
リカさんはこのひとに対して
最近付き合いはじめたケンちゃんのキスの仕方などを
楽しそうに話したのだろう。
しかし、このひとは、
すでにケンちゃんのキスの仕方を知っている。
ケンちゃんと、キスしたことがあるから。
そして、ケンちゃんのことを憎からず思っているのだ。
この歌、とくに後ろの二行は、
リカに対して話しかけた言葉や
送られたメールではなくて、
心の中の独白のように思える。

悪いことは言わない。
逃げろ、リカさん。
ケンちゃんのことはあきらめた方が身のためだ。

このひとは、敵に回してはいけないひとだ。