歌集『リリカル・アンドロイド』さんに梅の香水をおすすめする

荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』 (現代歌人シリーズ29) 書肆侃侃房 

荻原裕幸さんの歌集『リリカル・アンドロイド』には梅の短歌が多いのです。
いや、340首中の10首だからめちゃくちゃ多いわけじゃないんだけど、目立つ。
「触れると梅だ」と、章のタイトルにも梅が出てくるし、濱松哲朗さんが「矛盾と異化を含んだ梅の心地良い香りに誘われて、荻原裕幸は今日も現代短歌の<夢>をリリカルに完食する」という帯文を寄せています。

というわけで梅の歌を一気に引用しちゃおう。ドーン。

優先順位がたがひに二番であるやうな間柄にて梅を見にゆく
早いものですね立春なんですねえ梅の木がその影にささやく
こどもがゐても今この人と恋をしてゐたのだらうか妻と見る梅
父に頬を打たれるやうな懐かしい痛みのなかに咲いてゐる梅
妹であることをすこしもいやがりもせずにしづかに梅園をゆく
梅とか他にも奇妙なものがほころびて動きはじめる春の心臓
影の濃い木と薄い木と見あたらぬ木があるひるの梅園をゆく
習作として描かれた絵のやうなしかしたしかに触れると梅だ
梅の匂ひにまぎれながらも端的に弱みを衝いてくるこのひとは
どの枝も外へと伸びて眠りから抜けねば梅が見えないらしい

スンッ……(想像上の空気を吸引)。
いい梅ですね……。

まずは梅の花の咲いてるところを誰かと歩く歌から読んでいきましょうか。

優先順位がたがひに二番であるやうな間柄にて梅を見にゆく

これはずるい。夢女子としては(荻原裕幸と梅見、ワンチャンあるな……)という気になれるじゃないですか。あざとい。許せない。好き。

こどもがゐても今この人と恋をしてゐたのだらうか妻と見る梅

ほら! ほら! 妻が一番なんですよ! こどもがいないことを言いながら(そしてそれによってもう子供を作るような年齢でないことを匂わせながら、その年月を経て)今もまだ妻と恋をしていることをサラッと断定しているところがすごい。しかも妻 “に” 恋をじゃなくて妻 “と” 恋をだよ。妻も自分に恋をしていると信じて疑ってない。んもう!!!

妹であることをすこしもいやがりもせずにしづかに梅園をゆく

浮気や婚外恋愛を連想させる「優先順位」の歌よりもしかしたらこっちの方が不穏かもしれない。普通に考えれば妹であることはいやでもついて回るので、いやがっても無駄みたいな気がしませんか。このひとは妹としての役割を受け入れる言動をしながらこの歌の語り手である兄(と断定します、夢女子だから)と梅園を散歩してくれているのだろうか。そうだね。梅園に来たかったのは兄で、妹はついてきてくれたのでしょう。「いやがりもせず」と書くことにより、妹であることをいやがる可能性、つまり、あに・いもうとではない関係性を選び取ることの可能性が示唆されている。薔薇園だと明るすぎるんだよな。梅園だと二月の曇天と冷たい空気がセットになって思い浮かぶ。

梅の匂ひにまぎれながらも端的に弱みを衝いてくるこのひとは

「弱みを衝いてくるこのひと」が妻だった場合、妹であることを受け入れているひと(妹かどうかわからない)だった場合、またはそれ以外……といろいろと妄想できる幅があってありがたい。梅の香りのツンとしたところが弱みを衝かれたとき胸に感じるダメージとよく響いている。断崖絶壁に追い詰めるような詰め方ではなくツボに的確に鍼を打つような指摘だったんでしょうね。いいぞ。もっとやれ!

梅と痛みを組み合わせた歌、と考えるなら物理的な痛みが登場するのがこちら。

父に頬を打たれるやうな懐かしい痛みのなかに咲いてゐる梅

物理的な痛みが登場するといっても、たとえとして物理的な痛みが引き合いに出されているわけですけれども。
これもやはり、梅の匂いのツンとした部分が描かれているように思う。頬を張られたときの、鼻の奥にダメージがくる感じ。「あ、くる!」と身構えて次の瞬間予想通りぶっ叩かれるように、「あ、おセンチになっちゃう!」と思ったとして避けられない感傷というものがあるじゃないですか。スーッ……(吸引)。

つぎにシュールな情景をまとめて見ていきたい。

梅とか他にも奇妙なものがほころびて動きはじめる春の心臓
影の濃い木と薄い木と見あたらぬ木があるひるの梅園をゆく
習作として描かれた絵のやうなしかしたしかに触れると梅だ
どの枝も外へと伸びて眠りから抜けねば梅が見えないらしい

「奇妙なもの」はほかの木の芽などではなく目に見えないものっぽい。
影の見当たらない木はこの世に存在している木なんだろうか。
触れるまで梅だと確信できない梅。
夢の中で夢の外に咲いていると推測する梅。

この梅たちが咲いているのは冬と春の境目であり、現実と非現実の境目。夢と梅って音が似てますねそういえば。

早いものですね立春なんですねえ梅の木がその影にささやく

「立春なんですねえ」の「え」のため息まじりの字余り。
話し相手が自分の影なのちょっと不憫になってしまう。この本においては梅を見に来るひとのほうはしょっちゅう複数人で来ているというのに。

さて、それではこんな梅の短歌が所収されている『リリカル・アンドロイド』さんに梅の香りを含む香水をおすすめしたいと思います。

ナイチンゲールのサンプルをカナダからお取り寄せしました。

ものすごく梅の花 – ナイチンゲール EXTRAIT DE PARFUM –

NIGHTINGALE EXTRAIT DE PARFUM
ブランド:ZOOLOGIST

トップノート:ベルガモット、レモン、サフラン
ミドルノート:日本の梅の花、紅薔薇、スミレ
ベースノート:アンバーグリス、フランキンセンス、ラブダナム、モス、ウード、パチュリ、サンダルウッド、ムスク

とてもリアルな梅の花の香りをメインに据えた香水。ここでのナイチンゲールは日本のウグイスのことです。梅に鴬。
ひと吹きした瞬間から梅の花が頭の中でパカーンと開きます。ベルガモットやレモンの効果か、トップノートには梅特有の鋭さが感じられます。そして徐々におだやかにまろやかに薔薇が登場するのですが、それでいてわりかしずっと梅々しさも継続していきます。エキストレドパルファムなので持続性があり、せつないような梅の香りとずっと一緒にいられるので『リリカル・アンドロイド』さんはきっとお気に召すと思います。

まじめかふまじめかといえばすごくまじめな香り。とても美しいけれど誘惑を感じる美しさではなく、すこし近寄りがたいような気高さがある。じゃあ誘惑を感じる香りってなんだよって話ですが、ディオールのピュアプワゾンなら裸エプロンみを感じるしニシャネのウヌタマンもハーブの王冠を被った野獣だからやばい(総攻め感)。

ナイチンゲールは液体の色がピンクなので女性用のイメージが強いかもしれないけど、香り自体は本当に梅の花なのでフェミニンなものが苦手だからといって避ける理由はないと思います。たとえば梅の花の香りがする男性を想像してください。単なる平安朝の貴公子です。ナイチンゲール、完全にユニセックス!!!(←誰かのまとっているナイチンゲールを吸いたいので強く主張しました)

ところでこの香水はカナダに本拠地を持つズーロジストというブランドから発売されており、調香師は日本人の稲葉智夫氏。
稲葉氏自身のウェブサイトで明かされているように、この香水は

かはるらむ衣の色を思ひやる涙やうらの玉にまがはむ  藤原妍子

という和歌をモチーフにしたものだそうです。

「出家していく姉に、ウードの数珠をサンダルウッドの箱に入れ、梅が枝で止めた贈り物を渡した」

という背景の説明はまるでアーサー・ウェイリー訳『源氏物語』の再翻訳版のよう。

表紙の絵(唐崎昭子さん作)も姉妹のように見えるので姉妹の物語をもつ香水はお似合いになるのではないかと。

その他、梅感のある香水を紹介します。

洗練された都会のプラム – ノマド アブソリュ ドゥ パルファム –

CHLOE NOMADE ABSOLU DE PARFUME
ブランド:CHLOE

トップノート:ミラベル
ミドルノート:オークモス、ダバナ
ベースノート:サンダルウッド、ムスク
*ノートについてはFragranticaを参考にしました。

ショッピングモールの化粧品コーナーで昨年見かけ、なにげなく試したところ梅っぽさが強くて驚いた。
ナイチンゲールと比べると梅の花らしさは劣るのですが、単体で嗅ぐと「ん? 梅じゃな!?」と感じます。

ミラベルというプラムの一種が書いてあるので、正確には梅の花ではなくプラムの実の香りなのかもしれない(ちなみに欧州にはミラベルを梅の代わりにして梅干しを作るひともいるらしい)。
ノマドアブソリュとナイチンゲールが似ているかというと似てない姉妹くらいには似てる。
たとえばナイチンゲールが地方都市の図書館に勤務する30代の内向的な姉(童顔)だとするなら、ノマドアブソリュドゥパルファムは都会で会社勤めをする社交的な20代の妹(趣味はボルダリング)です。
ちなみにこれはどちらも「シプレ」という様式に則って作られた香りであるがゆえの類似とも言えます。
それでいくと彼女たちの母親はゲランのミツコ(童顔で社交的、趣味は寺巡り、好きな果物は桃)かもしれない。

クロエノマドシリーズの棚の前に陣取ってEDP(アブソリュより薄い)やEDT(EDPより薄いかわりによく拡散する)も嗅ぎ比べてみましたがアブソリュほどの梅感はありませんでした。

高級な梅酒または梅干し – プラムジャポネ EDP –

PLUM JAPONAIS EDP
ブランド:TOM FORD

トップノート:シナモン、サフラン
ミドルノート:日本の梅梅の花、イモーテル、椿、リカー、サイプレス
ベースノート:ウード、アンバー、ベンゾイン、樅、バニラ
*ノートについてはFragranticaを参考にしました。

今回紹介するなかではいちばんメンズ寄りだと思います(Fragranticaではユニセックス〜男性用と感じているひとが多い)。そして梅の花っぽさはいちばん低くてほぼ完全に実。毎日の香りというよりはドレスアップしたとき用という雰囲気(ええ、お値段もそういうお値段です。フルボトルを買うならかなりの勢いが必要)。
ミドルノートのところにリカーと書いてありますが、トップから結構酒が強い。梅酒のような、あるいは貴腐ワインのようなとろりと甘い酒から始まり、かすかに漂うシナモン。甘く重いまま酒樽感のあるウッディが出てきて最終的には酸味が増し、ちょっとした塩気まで感じる。しょっぱい梅……梅干し……ああこれは蜂蜜入ってるあまじょっぱい梅干しだ。それでいて決してチープにも珍品にもならず、ただならぬ押しの強さでプレミアム感を出してくる。お香っぽさもあるにはありますが、日本で一般的に売られている梅の香りのお線香などのイメージとはだいぶ違います。それよりは梅酒に近い感じ。

で、そういう面白い香りなのにこれ、残念ながらディスコン。ディスコンティニュード。廃盤です。「日本の梅」じゃなくて「中国の梅」みたいな名前にしておいてくれればもっと広い層にアピールできて生き残ったのでは、と思わないでもない。

※ もし「そこまで後をひかない潔い梅の香りを好きなときだけまといたい」という場合は賦香率10%程度の武蔵野ワークスの「白梅」がいいかもしれない。

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