読書」カテゴリーアーカイブ

ひょっとしたら

わたしは寺山修司が好きな人が好きなんだろうか。
誰も知らぬわれの空間得むとして空のままコインロッカーを閉づ

剥がされしマフィア映画のポスターの画鋲の星座けふも動かぬ

「きみはきのふ寺山修司」公園の猫に話してみれば寂しき

荻原裕幸『青年霊歌』

久しぶりに荻原裕幸氏の全歌集『デジタル・ビスケット [2]』を読んでいたら、知らず知らずオギー的言い回しを俳句に使っていた自分に気付いてびっくり。
うっかり盗作してしまわないようにもっとよく読もう。

 

メモ的なもの

・あるいは、この世界を簡単にわかってはいけないということ。
 

・人々はしゃべっている。まるでしゃべらされているみたいに。
 

・大事なのは、注文を断らないことだった。そしてそれをちゃんと納入することだった。
 

福間健二「詩は生きている」より
 
 
 
福間健二監督はときどきびっくりするぐらい普通におっちゃんだった。
「詩は生きている」を読んで、詩人の福間健二先生も女子学生に対する時はびっくりするぐらい普通におっちゃんだと思った。
 
そんな感想しかでてこない私は福間氏にとって普通に若い娘っ子なんだろうなぁ。

これは愛かな。

なにがしかのこたえ

平田俊子の詩七日を読む。

石原さんたらまるで詩人みたい。毎日詩の本を読んじゃって。
でも現代詩は書かないのよ。
俳人なんですってよ。おかしいわね。

で。
『詩七日』。
犬鍋伸之介さんの「ほろ酔い朗読会」で詩人のOさん(女性)が朗読したのだった。
あとがきによると、「毎月七日を『詩を書く日』と決め、執筆にあてることにした。連載タイトルは『詩七日』。(略)七日に書くという設定に加え、デビュー以来、『これが詩なのか』といわれてきたことに由来する。」のだそう。

一月七日から始まる。
十二月七日で終わる。
と思いきや、十二月七日の次に十三月七日、十四月七日、十五月七日……と二十四月まで続いていくのである。

とんちが効いてる、と思った。
十二月の次に十三月にいくところもだし、詩の途中で必ずとんでもない発想の飛躍がある。
この唐突にアクロバティックな感じ、谷川俊太郎と似てるかもしれない。
普通っぽい文章が続いて油断したところに突然とんでもないの(ときに駄洒落)が来るからたいそう驚く。
豊富な語彙力を派手派手しくアピールしたりしないところが良かった。
ひとりよがりな小難しい比喩を使ったりしないところも、すごく良かった。

スケベ心とどまるところを知らず、明日に向かう。

小峰慎也氏の『スケベ心とどまるところを知らず、明日に向かう。』を読む。

美沙子さんを必要な部分だけとりだし
のこりは
もてあました
—「いい運転だ」

五十音順に白状するんだな
んはむずかしいぞ
—「あなたってなまやさしいのね」

ぼくが見たくないのはそれではない
—「つかれたとき」

いつもどこを有名になさりたいとおっしゃってましたっけ?
—「ひしょ」

すごくいい。
いやらしい状況をにおわせるように書いておきながら、結果として少しもいやらしくないとこがいい。
たぶん一番適切な感想は、「おもしろい」。
男の子であることを笑ってるのかな。いや、そう単純でもなかろうし。
とにかく今っぽい。
不思議ボーイ、大好き。

鍵の穴/鳩を蹴る。

ほろ酔い朗読会でお会いした大阪の某M社 [1]のO氏が、きむらけんじ [2]氏の句集を送ってくださいました。

きむらけんじさんは自由律俳人。
自由律の句集って語り手(≒作者)のキャラが立ってないと面白くないと思うんですが、きむらさんの句集は割と立ってます。京ぽんなら4本ぐらいの勢いで。
現代の、働くおじさんが書いてます! って感じ。

自由律、とは言っても、韻律が全く自由というわけではなさそうだ。「自由律俳句」が単なる短い文ではなく「自由律俳句」に見えるということは、韻律(さらには詠まれる内容)に、ある特徴、共通点、いわば定型があるってことなんだろう。
「自由律という定型」。
これってなんだかまるで、クリエイティブのサラリーマンみたいじゃない?(暴言?)

[1] http://www.monolith-net.co.jp/
[2] http://www.amazon.co.jp/gp/search?ie=UTF8&keywords=%E3%81%8D%E3%82%80%E3%82%89%E3%81%91%E3%82%93%E3%81%98%E3%80%80%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%BE%8B&tag=ishiharayukio-22&index=books-jp&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211

「ペーパー」創刊号

白髪オールバックの老人が枕元に立って、新聞のようなものを広げる。

ほら、これ、あげますよ。
なかなかいいでしょう。

その、新聞のようなもの。
表紙というか一面というか、大きく書いてある。
「ペーパー」と。
ああ、そりゃ。「紙」だわな。
紙に紙と書いてあるなんて、さすが私の夢だ。
シュルレアリスティックでアーティスティックだ。

internetでないことを、blogでないことを、強く主張してるんだ。
かさばるんだ。
紙、なんだ。

なるほどね、と、私は妙に納得する。
老人は、私の胸の上に広げた「ペーパー」を置いた。
4ページが開いてあるんだと、すぐにわかる。

君ね、いまさら慌てふためいて現代詩を読むようになっちゃって。
それで安心してるようじゃ駄目ですよ。
ぼやぼやしてるとすぐにおばさんになるんだからね。
無駄だ無駄だ。焦ったって。
前歩いてる人と同じ道が歩けるなんて思いなさんなよ。

ここが何かわかりますか。
ここだよ、ここ。

老人は自分の胸の辺りを指差す。

心、ですか?

違う。
お乳、だ。

老人が「お乳」と言うやいなや、指差した先から赤い物がこぼれ落ちた。
私の真っ平らなお乳を覆った、「ペーパー」の上に、落ちた。

そんなわけで私の「ペーパー」創刊号には赤いしみが付いている。
携帯するにはかさばるばかりか、少し物騒な代物なのである。

実用青春俳句講座

小林恭二「実用青春俳句講座 [1]」を読む。
正木ゆう子の「起きて、立って、服を着ること [2]」を読んだときは「こんな読みやすい俳論集があるんだー」って感じだったんだけど、小林恭二のは「こんな笑える俳論集があってええんか!?」って思った。
小林恭二さんは人をおちょくる天才。安全な範囲で笑いをかっさらって逃げ足が速い。時代背景が伝わる書き方をしてくれているから、私のような初心者には大変良い勉強になります。

[1] http://www.bk1.co.jp/product/544834/p-shojolog29643
[2] http://www.bk1.co.jp/product/1678018/p-shojolog29643