明瞭に見えない自然

『岡大短歌4』に寄稿しました。
山田成海さんとのコラボで往復書簡と短歌連作を制作。
タイトルは「こゆびくんとやくざくん」。

灰皿の中身のような街でまたベビーカステラ買えるだろうか (山田成海 as こゆびくん)
マシンガンみたいな雨を聞きながらヨド物置で頓服を噛む (石原ユキオ as やくざくん)

大森静佳さん(ゲスト)と川上まなみさんの往復書簡と短歌連作も載ってます。
こちらは「口語での自然詠」がテーマ。

暗いけどそこには海があると分かる 五歩先くらいが波際のところ  川上まなみ
川に落ちた街の明かりの動くのは川の流れているからだろう

光の奥にひかりはあって、白梅はたぶん盲目の花なんだけど  大森静佳
粘着質な夕暮れ、とでも言えそうな空気に揉まれて北門を出る

「自然詠」から「写生」について考えさせてくれる作品でした。
川上さんの「五歩先くらい」「流れているからだろう」といった部分に強く表れているんだけど、自然の風景を肉眼で見るということは、明瞭に見えないことでもある。
大森さんは自然詠に詩情をぶっこみながら「たぶん」「とでも言えそうな」と断定を避けて仕上げている。肉眼で見た曖昧な自然とクリアな想像とを馴染ませるためのグラデーションとしての「たぶん」「とでも言えそうな」なのかもしれない。(断定を避けてみた。)

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岡山大学短歌会 blog twitter

葉ね文庫に二ヶ月ほど憑依します ۵

 

葉ね文庫の壁面スペースを若手詩歌人の新作発表の場にするプロジェクト「葉ねのかべ」に参加します。
前回は高塚謙太郎さんの詩とはらだ有彩さんのイラストレーションでした。
第二弾としてわたくし石原ユキオが葉ねのかべに取り憑かせていただきます!

【期間】2016年2月27日(土)から約二ヶ月間

【会場】葉ね文庫大阪府大阪市北区中崎西1-6-36 サクラビル1F

【こんなことをします】
(1)葉ねのかべ・・・憑依俳句を展示します。

(2)作家の本棚・・・憑依現象とアイデンティティについて考える本をえらびました。一部の本には書き込みあり。

(3)販促インレジデンス・・・会期中ときどき葉ね文庫に顔を出して俳句関連書籍を中心にポップ広告の滞在制作を行います。滞在日はTwitterでお知らせします。

(4)カンパバッジ・・・何回も葉ね文庫に来たい! でも大阪ちょっと遠い! そうだ、居住地岡山から大阪までの旅費をみなさんに援助していただこう! ということで缶バッジ(新色)を1個500円という強気価格で販売します。地方在住俳人にあいの手をソイヤッソイヤッ! ご協力よろしくお願いします。

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(5)トークイベント

句集の耳だけかじりたい
〜俳句の本の俳句以外(帯、序文、跋文、あとがき、奥付)を味わう〜

3月13日(日)13:30〜14:30
@葉ね文庫(大阪・中崎町サクラビル1F)
出演:石原ユキオ
参加費:300円
定員:10名程度 (要予約)

俳句の本の俳句以外の部分はアバンギャルドな表現に満ちている!
あまりにも喧嘩腰な序文、うんちくを語り過ぎる跋文、謎の動物が登場するあとがき、心配になるプロフィール欄などなど、俳句本の端っこにぎゅっと濃縮された味わい深いところをスライドトークで紹介します。

トーク終了後、休憩を挟んで15:00よりプチ句会(司会:佐々木紺)あり(希望者のみ)。
投句:当季雑詠(=いまの季節を詠んだ俳句)2〜4句予定。

スペースに限りがあるため、予約制となっております。
画像のメールアドレスあてにお名前、人数、句会への参加の有無をお知らせください。
(募集は締め切りました。当日券はございませんが、そのうち追加公演があるかもよ!)

句集の耳だけかじりたい
>>クリックで拡大

活動記録(2015年)

 

●文芸すきま誌『別腹』vol.8(2015年5月4日発行)に評論「妖怪俳句アンテナ」を寄稿。付録「ねがてぃぶ絵はがき」を1点制作。

●わたなべじゅんこ俳句評論集『歩けば俳人』(2015年5月発行)の装画を担当。

●第3回BL句会「仁義なきBL句会-広島詩闘篇-」を広島市青少年センターにて開催。(2015年7月12日)

●ツイッターで「#マッドマックス怒りのデス吟行」を企画(2015年7月)。『都市』2015年10月号「新・俳句月評」で取り上げられる。

●BL俳句誌『庫内灯』創刊号(2015年9月20日発行)に巻頭言「BL俳句の醸し方」、俳句連作「茎-nakago-」、評論「魅惑の小学生男子-長嶋有第一句集『春のお辞儀』を読む-」を寄稿。

●BL俳句誌『庫内灯』創刊号リリースに合わせて「第三回文学フリマ大阪」会場内で開催されたBL句会に参加。(2015年9月20日)

 

BL俳句誌『庫内灯』予約受付中です

BL俳句誌『庫内灯』、amazonでは2015年11月30日に販売開始されます。
すでに予約受付は始まっておりますので、雪のように白くて愛らしいこの本を、ご自身へのちょっぴり早いクリスマスプレゼントとしてご予約くださいね。

ほれ!
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べっぴんさんじゃろ!
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イベントや実店舗での販売価格と比べると通販の1,512円はちょっとお高いのですが、手数料の関係でやむを得ずこの価格になってます。ごめんなさい!
11月23日(月祝)開催の第二十一回文学フリマ東京では1,000円でお買い求めいただけますよ!

その他、大阪・葉ね文庫さん、東京・ふげん社さん(11月中旬〜)で取り扱いがございます。

以下、わたくし石原の執筆した部分、お試し読みをどうぞ。

巻頭言「BL俳句の醸し方」

巻頭言「BL俳句の醸し方」

俳句連作「茎-nakago-」

俳句連作「茎-nakago-」

魅惑の小学生男子-長嶋有第一句集『春のお辞儀』を読む-

魅惑の小学生男子-長嶋有第一句集『春のお辞儀』を読む-

デス吟行が俳句の本で紹介されたぞ!

 

「マッドマックス怒りのデス吟行」が『都市』2015年10月号の「新・俳句月評」というコーナーで取り上げられました!

結社誌『都市』/撮影地:農村

書いてくれたのは栗山心さん。
栗山さんは、映画や舞台を観てその感想代わりに俳句を作ってみる、ということを以前からなさっていたそうです。

すごく共感したのは次のところ。

不思議なことに、歳時記を読んでいて、この映画のことを詠んだに違いない、と思えるほどピッタリとはまる句に出会うのも楽しく、勉強になる経験であった。

わーかーるー!
ありますよね。「この俳句はこのシーンのためにあるに違いない!!」っていうの。(わたしの場合はこれ

そして三句を挙げていらっしゃるのですが、そのうち一句が……

熱砂駆け行くは恋する者ならん  三好 曲

ニュクサブル……!! うおおお!!!!(号泣)
あと2句はぜひ、『都市』10月号(600円)をお取り寄せして読んでみてください!

また、デス吟行参加者の作品から、
固有名詞ありの句の例としてるいべえさんの、

固有名詞はないが映画を観た人には誰のことを詠んだかわかるタイプの例として松本てふこさんの、


が引用されています。

縦書きで活字になった句を読むと、ブラウザで読むのとはまたちょっと雰囲気が違いますね。
るいべえさんの句は、長音の縦棒が茎のように屹立していて、苗を一本ずつ指差していっている印象が強くなる。
てふこさんの句は、句のエレガントさが際立つように感じました。

栗山さんはこの夏、デス・ロードを一ヶ月に三往復したそうです。

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都市俳句会 入会・購読のご案内

俳句ガチ勢、恐るるに足らず!〜BL俳句誌『庫内灯』リリースに寄せて〜

 

BLを好むひとが、BLを読むように俳句を読むこと。
BLを好むひとが、BLを書く(描く)ように俳句を書くこと。
BLと俳句の間でどんな楽しいことができるか探っていくこと。
それがBL俳句だとわたしは考えています。
(ここでの『BL』は、商業BLから二次創作、耽美の時代からいままでを全部含んだすごーく広い意味での『BL』と考えてください。)

BL俳句が生まれたのは、BL短歌がきっかけです。
BL短歌の先達が道を作ってくれていたおかげで(そして参加人数が少なくBL短歌ほど目立たなかったおかげで)、BL俳句は強烈な批判にさらされることはありませんでした。
しかし、『庫内灯』が出ることで、いままで届かなかったひとの目に触れて
「あんなの俳句じゃねーよ」
なんていう批判が舞い込んで来るのかもしれません。あるいはもっと率直に
「下手」
とか。
なんでこんなことを先回りして言ってしまうのかというと、BL短歌に関しては「あんなの短歌じゃない」「下手くそ」「痛い」「俺の短歌をBL読みするな」等々、悪口めいた非建設的な意見がさんざん飛んで来ていたからです。

ちょっと妄想してみます。
『庫内灯』を買ってくれたひとが自分もBL俳句を作ってみようと考え始める。
そのころTwitterで上記のような批判が出てくる。
『庫内灯』読者は萎縮してBL俳句の発表を思いとどまってしまう……。

いかーん!
それはいかんよ君!
どうか怖がらないでくれたまえ!

「下手」と言われたって大丈夫。下手な俳句は世界にごろごろしているんだ! 新聞俳壇、テレビの俳句番組、公民館の壁面。みんな下手くそながら俳句を楽しんでいるではないか。萌え転がりながら好きCPを描いているうちに超高レベルの画力を手に入れてしまう、などというのは同人誌界隈ではよくあることじゃないか。本人が上手くなりたいと思えば、いつかは上手くなるものだ。
「あんなの俳句じゃねーよ」に関しては一見とてもひどいことを言っているようにも見えるが、「BL俳句が俳句ではない理由を示すことで俳句というものの輪郭を明らかにすることができました。ありがとうございます!」の意味だ! 批判ではなくツンデレなのだ! 恐るるに足らず!

……ふぅ。ちょっと興奮してしまいました。

BL俳句誌『庫内灯』は2015年9月20日(日)に開催される「第三回文学フリマ大阪」でリリースされます(E-11っていうスペースを探してね)。わたしも俳句や鑑賞文を寄稿しました。
同じ会場内某所で13時半からBL句会を予定しております。当日投句もできますし、好きな俳句に投票して見学、という気軽な参加の仕方も。詳細は庫内灯ツイッターアカウントからのお知らせ (1) (2) (3) をご覧ください。
というわけで、9月20日、堺市産業振興センターでお会いしましょう。

 

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※2012年、Twitter上で「#BL短歌」タグの流行が始まる。創始者は佐木綺加氏。2012年11月BL短歌合同誌『共有結晶』vol.1発行。2013年にvol.2、2014年にvol.3が発行されている。

SWEET HAIKU REPLAY(試し読み版)

 

お菓子が好きです。
洋菓子店に併設された喫茶でいただく見目麗しいケーキから、手軽なコンビニスイーツ、お茶席の練り切り、温泉饅頭、ドライフルーツや砂糖漬、ホットケーキミックスで作る簡単なおやつまで、甘いものは一通り好きです。
脳がお菓子化しているため、なにを見てもお菓子のことを考えてしまう。たとえば絵画を鑑賞しているときも、ふと気づくとその絵がどんなお菓子でできているかを想像しています。大岩オスカールは果肉入りゼリーとムースの層。ブリューゲルが描く帽子はマカロン。平山郁夫は落雁(らくがん)。大きいし食べがいがあると思う。

さて。わたしは憑依系俳人という職業柄ひとの俳句をよく読むのですが、句集にはお菓子の俳句が結構な頻度で登場します。今回はその中から、おいしそうなものを中心に(多少の珍味も含む)好きな俳句を選んでみました。さっそく見ていきましょう。まずは和菓子系から。

鯛焼のやきたてといふ面がまへ  津川絵理子
『俳コレ』「週刊俳句」編集部 編/二〇一一年/邑書林

焼きたての鯛焼きは皮が乾燥していますが、時間が経つと湿気でやわらかくなってしまいます。この句ではその焼きたてのかりかり感を「面がまへ」と表現しています。キリッとした鯛が好きか、ほにゃっとした鯛が好きかは好みがわかれるところでしょう。わたしは持ち帰った鯛焼きを紙袋から出した際の切ないようなやわらかさを愛する派です。

カステラで腹いつぱいに子供の日  松本てふこ
『俳コレ』「週刊俳句」編集部 編/二〇一一年/邑書林

大人にとっては単なる休日である五月五日、カステラを食べながら子供時代を思い出している、と解釈しました。
幼い頃、子供の日には、お寿司屋さんのお子様セット、デザートのゼリー、ちまき、柏餅とテーブルの上の食べ物を食べ尽くしていたけれど、いまはたった一切れのカステラとお茶だけでお腹がいっぱいになってしまう。年取ったなあ、という感慨。
もしかしたらカステラが美味しすぎて一切れではなく一本まるまる食べてしまったのかもしれませんが。

草餅の濃きも淡きも母つくる  山口青邨
『改訂版 新歳時記(春)』平井照敏 編/二〇〇三年/河出書房新社

意図的にそうしたのではなく、混ぜる際にむらが生じて深緑色の草餅と薄緑色の草餅ができてしまったのではないでしょうか。大好きなお母さんが目の前で作ってくれているのが嬉しくて、大きさの違いや色むらさえもなんだか楽しい。子供時代の幸せな情景を描いたノスタルジックな句です。……

*  *  *  *  *  * 

この他、山口優夢・高山れおな・上田信治など、現在活躍中の俳人の作品を中心にお菓子俳句を紹介しています。

続きは『線と情事』第二号で。
創作・オリジナル同人誌専門店サッシからお買い求めいただけます。

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仁義なきBL句会-広島詩闘篇-報告

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2015年7月12日(日)、3回目のBL句会「仁義なきBL句会-広島詩闘篇-」を開催しました。
場所は原爆ドームのすぐ近くの広島市青少年センター。
参加者はちょっぴり少なめの7名(司会含む)。うち、「投句なし、選句のみ参加」の方が2名。
2句事前投句×5名で10句が集まったのですが、それだけだとちょっとさびしいので、著名俳人のBL味のある作品を勝手に加えて12句にしました。

この12句の中からそれぞれが並選3句、萌選1句を選び、合評&萌え語りしました。

おそらく、句会慣れしているひとはこの数字を見て、投句数が極端に少なく選句数が多すぎると思うはず。
0点になる可能性が限りなく低い嬉しい仕様でございます。
甘えていくよ! 大人にならないよわたしは!!

合評後、時間がちょっと余ったので、上五・中七・下五を紙に書いてシャッフルして遊びました。

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実駒さんによる関連ツイートまとめはこちら

9月20日の文学フリマ大阪でBL俳句誌『庫内灯』がリリースされます。お楽しみに。

マッドマックス怒りのデス吟行お気に入りセレクション(3/3)

 

マッドマックス怒りのデス吟行お気に入りセレクション(3/3)
ついに最終回です。まだの方はぜひ第一回第二回もあわせてご覧ください。

◆フュリオサ部門

すべてこの裏切りのため裏切った日々のすべてに火は燃えてあり(昭 @31_ti)
https://twitter.com/31_ti/status/617722700568530945

イモータン・ジョーを裏切ったフュリオサ。忍従を余儀なくされた7000日を思えば、その日々のすべてに悔しさの炎が燃え上がるよう。
拉致された時点で健康な若い娘だったはずのフュリオサがほかの女性たちと同じ運命をたどらなかったのは、整備の技術や戦闘能力が高かったからでしょう(鉄馬の婆様たちを見ればいかにタフで賢い集団なのか推測できる)。とはいえ、女ゆえの苦しみを与えられなかったとは考えにくい。ジョーを殺すときにフュリオサが言う ”Remember me?” は「お前が私(たち)にしたことを思えば当然の報いだぜ」って意味なのだと思います。

◆ニュークスとケイパブル部門
「マッドマックス怒りのデス・ロードには恋愛要素がない」なんて言ってるひともいるみたいですけど、全然そんなことないと思う。ニュークスとケイパブルの淡い恋は二次創作のモチーフとして大人気ではないですか! #nuxable ←最高なので見てくださいぷんぷん!

WAR BOYねむる睫毛に溜めた砂朝焼け色の髪で払って(チナミ @hushabye_c)
https://twitter.com/hushabye_c/status/617599137605816320

ニュークスとケイパブルがもたれ合って眠っている場面。睫毛がくっきり映るほどズームしたショットは存在しないのですが、そこをチナミさんは想像力でズームして見せてくれています。ニコラス・ホルト(ニュークス役)、ビューラーで押し上げたみたいに睫毛がくるんとしてますよね。砂溜まりそう。ケイパブルの赤い髪を「朝焼け色」と表現することで読者は地平線から太陽が顔を出す明け方の砂漠を想像することができます。
下句まで全部読んでもう一回頭から見直すと「WAR BOY」という呼びかけも「ふわぁふぉ〜ぃ」ってあくびしながら言ってるみたい。明け方、眠りの浅くなったニュークスが無意識のうちにケイパブルの赤い髪にゴシゴシ顔をすりつけてたらすごくかわいい。

砂灼けて我を見つめてくれしこと(松本てふこ @tefcomatsumoto)
https://twitter.com/tefcomatsumoto/status/620286817867309056

ウォーボーイズが死に際して叫ぶ「Witness me!(俺を見ろ)」が、全然違う意味を持った瞬間です。ウォーボーイズにとっての「Witness me!」は同じウォーボーイズの誰かに「Witnessd!(見届けたぞ=よく死んだ)」されればそれでよかった。それに対してニュークスが最期に叫ぶ「Witness me!」は他の誰でもなくケイパブルに向けたものです。ニュークスが求めたのは一方的に見られることではなく、見つめ合うことだった。ケイパブルがニュークスを見たとき、ニュークスもケイパブルを見ていた。だからこの作品は、ニュークスの側から詠まれた句でもあり、同時にケイパブルの句でもあるのです。
ところでわたしはデス吟行に寄せられた作品を読みながら「もしこれがデス吟行句でなかったらどう鑑賞できるか」と考えて楽しんでいます。この俳句の場合は次のように読みました。
海水浴場の熱砂を踏んで立っていた。あなたが少し離れたところから自分を見つめてくれたことを覚えているよ。
若々しい恋の、ひりひりするような切実さが「砂灼けて」にこめられています。

◆ニュークスとマックス部門

はらから【brother】と輸血袋【blood bag】が似てること赤いケーブル静脈に刺す(yen @golden_wheat)
https://twitter.com/golden_wheat/status/617832135374733312

そうそう。わたしも初めて観たときニュークスの言う ”blood bag” が ”brother” に聞こえたのでした。
上句はすんなり共感できるのですが、下句はちょっと不思議な表現です。なぜわざわざ輸血用チューブをケーブルにたとえなければいけなかったんだろう。輸血を給油にたとえる公式設定に従うのではなく、同じ行為を新しい比喩で書かなければいけないのはなぜだろう。わたしなりの答えを考えてみました。
マックスのO型RHマイナスの血が「ハイオク」と呼ばれるように、イモータン・ジョーとその配下は人間の身体を自動車になぞらえて考えています。自動車に使うもので「赤いケーブル」と言えばたぶんバッテリーケーブル。この歌ではおそらく、輸血を給油ではなくバッテリー上がりの救援と考えている。
輸血を給油にたとえると、輸血を受ける人が車で血液の提供者がガソリンの貯蔵タンクですが、バッテリー上がりにたとえた場合、輸血を受ける人は故障車で血液の提供者は救援車ということになります。
ニュークスにとってのマックスは、単なる輸血袋から同胞(はらから)のような存在に変わります。もしもう一度ニュークスへの輸血が行われたとしたら、「自動車の俺がガソリンを入れるのは当然」という感覚ではなく「俺という車がマックスという車にバッテリー上がりを助けてもらう」という感覚に近くなっていたのかもしれません。つまり、ケーブルの比喩はニュークスがマックスを対等な存在として見られるようになったこと、マックスにとってニュークスが敵ではなく共に戦う仲間になったことを表しているのだと解釈しました。(なお、車の知識が極端に乏しい人間が書いておりますので間違いがありましたらTwitterなどでご連絡ください……)

◆鉄馬の女部門
鉄馬の女たちの祈りの仕草を詠んだ歌を二首。

ただ人として在りたいと願う時我らの祈りは片手で足りる(いさな(タグ遊び用) @op_isana)
https://twitter.com/op_isana/status/617710455163740160

砂風(すなかぜ)に散らばってゆく魂を掴んで胸に墓標を刻む(きりゆき @kiriyukiko)
https://twitter.com/kiriyukiko/status/620246056664563713

一首目は、フュリオサが故郷の仲間たちと共に、亡くなった母へ祈りを捧げる場面。両手で行うV8ポーズに対して片手で行う鎮魂の祈り。それは四輪で移動するイモータン・ジョーの軍勢と、二輪で移動する鉄馬の女たちのスタイルの違いを反映しているものとも考えられます(バイクを運転しながら両手離しで祈りのポーズを取るのは危険だから)。
その祈りの仕草にどんな思いが込められているか描いてみせたのが二首目。「砂風」という言葉は耳慣れない表現ですが、雰囲気は伝わってきます。
最小の詩型の俳句と比べた場合、短歌という少し大きな器は、物語に描かれなかった部分を補完できるもの、逆に言えば、音の数を埋めるために補完するように書かざるを得ないものなのだと感じました。「マッドマックス怒りのデス・ロードには短歌よりも俳句のほうが合っている」という意見を何人かのひとが書いていましたが、台詞で語ろうとしない映画だけに、下手に言葉を尽くして補完されてしまうと「わたしの解釈と違うぞ……」ということが起きるのかもしれません。

◆幻のラストシーン部門

苗植えてこれはニュークス・ラリー・バリー(るいべえ@Vault111 @ruibee)
https://twitter.com/ruibee/status/617462972592467969

植えているのはケイパブルですね。ニュークスの面影を重ねて見ているのだから、数ヶ月後に収穫してしまう野菜の苗ではなく長い年月をともに過ごすことのできる樹木の苗だと考えたい。ちなみに「苗木植う」や「果樹植う」は春の季語です。この句に関してはナッツ(@nuts12)さんのていねいな鑑賞がよかったのでぜひお読みください。
・まず苗… https://twitter.com/nuts12/status/623854948606840833
・これはニュークス、の部分… https://twitter.com/nuts12/status/623856005605031936
・ラリー・バリーと続くことで… https://twitter.com/nuts12/status/623857213728108544
・輸血袋がなければ生きられない体だったニュークスが… https://twitter.com/nuts12/status/623858453853790208
ナッツさんのツイートをRTされていた、葛原あゆの(@k_ayuno)さんの妄想もかわいかった。
・シタデルに戻って… https://twitter.com/k_ayuno/status/624196698668032000
・種にペンでラリーの顔とバリーの顔と青い目をした顔を描くんだ。 https://twitter.com/k_ayuno/status/624196898350436352
でもここは「種」ではなく「苗」を植えるからこそいいのだと主張したい。
苗床に蒔いた種が発芽したものが苗です。植えた種のすべてが発芽するわけではないので、ちゃんと発芽したものをしかるべき位置に植えなおして大きく育てていくことになる。たしかに白い種は見た目はウォーボーイ的ではありますが、もし種の時点でニュークスの面影を見てしまったら、それが発芽しなかったときに悲しい。「苗」と書いたのが作者の優しさなのだと思いました。
樹木の種が苗になるまでには、砦はすっかり平和な村になっていることでしょう。

最後に自作を。

ふるさとは花のころかも幻肢痛(石原ユキオ @yukioi)

#マッドマックス怒りのデス吟行に参加してくださったみなさん、本当にありがとうございました。ここで紹介しきれなかった作品の中にも面白いものがたくさんあったのですが、ひとまず終了です。
またいつか、オンラインまたはオフラインのどこかで一緒に吟行しましょう。