日記」カテゴリーアーカイブ

往復

 

つばめたちが巣立ったあとの玄関にデッキブラシを往復させる

ホステスがいつも吐いてる電柱の根元に生えたひょろひょろの草

デス吟行が俳句の本で紹介されたぞ!

 

「マッドマックス怒りのデス吟行」が『都市』2015年10月号の「新・俳句月評」というコーナーで取り上げられました!

結社誌『都市』/撮影地:農村

書いてくれたのは栗山心さん。
栗山さんは、映画や舞台を観てその感想代わりに俳句を作ってみる、ということを以前からなさっていたそうです。

すごく共感したのは次のところ。

不思議なことに、歳時記を読んでいて、この映画のことを詠んだに違いない、と思えるほどピッタリとはまる句に出会うのも楽しく、勉強になる経験であった。

わーかーるー!
ありますよね。「この俳句はこのシーンのためにあるに違いない!!」っていうの。(わたしの場合はこれ

そして三句を挙げていらっしゃるのですが、そのうち一句が……

熱砂駆け行くは恋する者ならん  三好 曲

ニュクサブル……!! うおおお!!!!(号泣)
あと2句はぜひ、『都市』10月号(600円)をお取り寄せして読んでみてください!

また、デス吟行参加者の作品から、
固有名詞ありの句の例としてるいべえさんの、

固有名詞はないが映画を観た人には誰のことを詠んだかわかるタイプの例として松本てふこさんの、


が引用されています。

縦書きで活字になった句を読むと、ブラウザで読むのとはまたちょっと雰囲気が違いますね。
るいべえさんの句は、長音の縦棒が茎のように屹立していて、苗を一本ずつ指差していっている印象が強くなる。
てふこさんの句は、句のエレガントさが際立つように感じました。

栗山さんはこの夏、デス・ロードを一ヶ月に三往復したそうです。

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文化部の活動に協力しているおとな(外部講師)からお願いしたいこと

最近、出身高校の文芸部の活動に協力する機会がありました。
高校生と接するのは刺激的でとても勉強になるのですが、「ここは改善できるよなぁ……」と思った点もあります。
お互い楽しく活動するために外部講師の立場からお願いしたいことを3つ書いておきます。
自分の体験に即して文芸部を例に出していますが、文化部全般にあてはまるような内容です。
会話はすべてフィクションです。

【1.できるだけ名札をつけよう】
初対面の日は必ず名札をつけてほしいです。さらに余裕があれば、学年と名前と自己紹介がひとこと入った名簿をもらえたらとーっても助かります。顔と名前を一瞬で覚えられる講師ばかりではありません。

【2.誰かがまとめて連絡しよう】
・たいていの場合、生徒は複数人で講師はひとりです。質問がある際には、ひとりずつ思いついたときに連絡するのではなく、全員分をとりまとめて代表(顧問の先生や部長など)から連絡(電話・メールetc.)するようにしましょう。メールの末尾には名前を記入しましょう。
・顧問の先生と生徒の代表の両方から同じ内容の連絡が届いたことがあります。「先生がもう連絡してるかも? でも万が一まだだったら連絡しなきゃだめだなぁ……」というときにはまずは顧問の先生に確認してみてください。

(例)
生徒「来週、石原ユキオさんが教えに来てくれるそうですが、質問したいことがいっぱいあります。先にメールで送っておこうかと思うのですが」
顧問「それはいい考えだね。部員全員に紙を配るから質問したいことを書いて明日の朝礼までにわたしの机に提出してください。そうしたらわたしがまとめてメールしておくよ」

【3.保護者の方に話そう】
・どんな講師がどのように指導しているのか、保護者の方に報告しましょう。保護者の立場からすれば、見知らぬ大人が自分の子供と親しくなるのはとっても不安です。

(例)
生徒「今日部活に来たの石原ユキオって先生で、たぶん30代くらいで、普段はデザインの仕事しながら俳句を作ってるんだ。顧問のH先生の教え子なんだよ。これから一ヶ月に一度俳句教えに来てくれるんだって」
保護者「そうなの。変わった名前だね。Twitterやってるかなあ」
生徒「それは見ないであげて!」

 

糸山饅頭

このあたりは寺院の門前町にあたるので、寺にちなんだ名物がある。
仏頭のかたちにふっくらと蒸し上げたあんまん。
宝珠を模した黒糖風味の今川焼。
「糸山饅頭」と書かれた提灯が町のあちこちに掲げられている。

砂浜の私娼窟

学校で、中国のある地方の性風俗産業がテーマの映画を観る。
曇天。
浜辺。
女性がスポンジ状のものを股に挟んで横たわり、半ば砂に埋まって男性を待つ。
男性がそこに性器を挿入する。
何組もの男女がそのようにして粛々と(擬似的に)交わっている。
服を脱ぎ、男女でペアを組んで映像と同じ姿勢で鑑賞するように言われる。
ある種の参加型インスタレーションであるらしい。
しかし、男女ペアで映像の真似をしてみたところで、女子生徒が売る側の、男子生徒が買う側の役割をなぞるだけで、ともに一面的な不快感しか得られないだろう。
作品について下級生の女子と激しい議論になり、レポートを提出することを教師に約束して上映が続く教室を出る。
 

レアンドロ・エルリッヒほどの深さ

港に停泊している豪華客船。
母が白い水着を着ている。
わたしは小学生の頃買ってもらった蛍光オレンジの水着。
船のプールは思いのほか深い。おとなの背丈よりもまだ深い。
色とりどりの水着を身に着けたひとが泳いでいる。
潜ったり泳いだりしてプールから上がり、階段状になった甲板を歩いていると、突然人々が逃げ始める。
船が沈みかけているらしい。
わたしはベンチに腰掛けていた祖母を背負って船から脱出する。
母の姿は見当たらないが、母ならひとりで逃げられるだろう。
真夏の日差しがまぶしい。気温が上がる。祖母は脱水症状を起こしかけている。
周りにはわたしと同じように船から逃げてきたひとがいる。みんな女性だ。
日陰を選んで休憩し、しばらく歩くと寺院の石段、その上に蛇口が見える。
祖母を背負ったまま倒れそうになりながら石段を上ると、住職が立っていて中へ入りなさいと言ってくれる。

仄暗い池の底から

 
引用の誤りや不正確な記述が指摘されて「炎上マーケティングかよ!」と話題になった稲泉真紀氏の「俳句評 短歌の穴からのぞいてみれば・・・」、突っ込みたいところもいろいろあるが、おおいに同意できる点がある。

俳句の方へ目をむけた時、短歌の世界の住人である私には、俳句の新しい世代やスタイルの提案が見えにくいのか、情報が思うように手に入らないのだ。

俳句関係のサイトや出版物に、俳句に興味を持ちはじめた若者にとって役立つ内容、楽しめる内容が少ない、ということは7〜8年前から感じ続けている。いま何が熱いのか。句集を手に取って選べる場所はないか。俳人の○○さんと××さんの関係には萌えを禁じ得ないけどこんなこと考えてるのはひょっとして自分だけなのか……!? そういった情報に手軽にアクセスできるものは少ない。

(定年後に俳句をはじめる層に向けられたものや、ハウツーは多い)
(情報はあるのにサイトのデザインや装丁が渋すぎて気づかずスルーしちゃうことよくある)

俳句は、コツをつかめば上達がはやいから、初心者感覚はすぐ消え失せ、オンラインやオフラインの句会に参加してるうちに情報を共有できる仲間もすぐにでき、いつの間にか感性がベテランになっていくのかもしれない。
だから、初心者向けの情報の必要性が感じられなくなるんじゃないのかしら。

わたしは地方で孤立気味、しかも知能がおっとりしているので、初心者向け情報いまだにほしいし、深く詳しく論じた評論だけじゃなくて肩のこらない文章も読みたい。

『線と情事』の「SWEET HAIKU REPLAY」や『共有結晶』の「BL短歌クラスタに俳人能村登四郎をお薦めする3つの理由」は、俳句をはじめたばかりのひとにも楽しんでもらいたいと思って書きました。
届け、届け、と祈るような、呪うような気持ちで。

(炎上マーケティングに便乗して自分の載ってる本を宣伝する作戦)

ついでに、どうしても突っ込みたかったところを書いておきます。

・「時評」枠の記事のわりに論じる時間の幅がかなり広い。
・「若者」というときに、50歳未満を指しているような気配。(それは俳人の一般的な感覚である。短歌の穴から覗いているんだからそこは短歌ルールで書いてくれていい)
・この記事には直接関係ないけど、詩客ってかなり迷路だ。(週刊俳句は記事を遡りやすい)

吹きっさらしのプラットホーム

高橋千波『プラットホーム』

高橋千波(@_hushabye)さんの小さな歌集『プラットホーム』(2014.2.11発行)から好きな歌を。

そのひとを思い出すときホームではひときわ圧を増すあぶらぜみ  高橋千波

間違えてばかりの僕にぽたぽたと修正液の花びらが降る

かみころされたあくびたちふかふかとふりつもる百貨店のフロアに

一首目。油蝉の声が急に大きくなったように感じることを「圧を増す」と表現してる。そのひとは別れた恋人かもしれないし、亡くなった友人かもしれない。学生時代の部活のライバルかもしれない。山がすぐ側にある新神戸のホームを思い出す。
二首目。花びらの形と大きさ、わずかな厚み。修正液とそっくりっていう発見。
三首目。やなぎみわのエレベーターガールのシリーズみたい。

プラットホームはどこかへ行くために一時的に立つ場所。その心もとない感じ。
中綴じの冊子を手に取ったときの薄さやわらかさが、繊細な歌の佇まいによく合っている。

「BLな俳句」のこと

 
腐女子なの?

と聞かれると返答に困る。

たとえば、いま現在「TIGER&BUNNY」「黒子のバスケ」「進撃の巨人」、といった特定のジャンルが好きで同人誌を集めたりイベントに参加したりしているわけではないから。

かといって、ボーイズラブのカテゴリに入るものに興味がないかというとそんなことはなくて、美しい男性二人が主演の映画があったりするととりあえず観ておこうかという気になるし、李博士やピンクフラミンゴを知るきっかけになったのは小野塚カホリだし、愛用のトートバッグは高畠華宵プリントだ(残念ながら女性像だが)。

微妙な感じが説明しづらくて「腐女子です」と言ってしまうこともあるが、心の中でなんとなく謝りながら使っている。
わたしなんかが腐女子を名乗るのはおこがましいと思ってるんです。でも便利だから使っちゃう。ごめんなさい。夜道で突然コピックを嗅がされて意識失ってるうちに簀巻きにされてお台場のへんから海に投げ込まれても仕方がない。
たとえば熱心な腐女子が艶やかに腐乱したロメロゾンビだとしたら、わたしは「28日後…」に登場するレイジウイルス感染者みたいな半チクである。
(こういう、腐っているようないないような、中途半端な状態が15年ほど続いている)

ところで、昨年、Twitterで#BL短歌というタグが流行した。※

BL短歌ブームは俳句クラスタにも波及し、#BL俳句というタグが登場したが、BL短歌タグが実作メインなのに対し、BL俳句タグには「この俳句がBL読みできる」という既存の俳句が多く寄せられた(このあたりの経緯は松本てふこさんの俳句時評をご覧ください)。おそらくはこのTwitter上の盛り上がりがきっかけになって、ふらんす堂通信で関悦史氏の「BLな俳句」という連載が始まった。

『ふらんす堂通信』136号に掲載された「BLな俳句」第一回では、

怒らぬから青野でしめる友の首  島津亮『記録』
かたつむりつるめば肉の食ひ入るや  永田耕衣『驢鳴集』
抱かねば水仙の揺れやまざるよ 岡本眸『十指』

といった俳句が紹介されている。

「怒らぬから…」の評を一部引用してみよう。

「青野」は夏の季語。両者の若々しさをいやが上にも暗示しますが、それだけではありません。この語があるから、二人は正面から向かい合って立っているのではなく、語り手が友を組み伏せているのだとのイメージが強まるのです。
草いきれに包まれつつの激情と密着。それは深い交歓の図以外の何ものでもありません。

おお。そうだったのか関さん!
ちなみにわたしは、俳句の入門書でこの句を知って、夏草の茂った河川敷みたいなところで学生服の少年Aが少年Bの首をふざける感じで絞めてるところを想像してたよ。歩きながら。じゃれ合う感じで。「怒れよ〜」っつって。そうか、萩原朔太郎の「愛憐」みたいなところまでいってよかったのか。いっていいもなにもないけど。
「それは深い交歓の図以外の何ものでもありません」っていうのは、意識としてはもうほとんどセックスと等しいということですよね! おおお……。

「BLな俳句」では(批評としては当たり前のことかもしれないけど)なぜそれがBLとして読めるのか、厳密に俳句の中の言葉に根拠を求めて指し示す、という方針があるようだ。

かたつむりの句では「雌雄同体という特徴」があること、水仙の句では水仙の学名「Narcissus」が自己愛の果てに命を落とした美少年ナルキッソスに由来することが根拠となっている。
これは男性同士に違いない、理由などない、敢えて言うならそのほうがわたしは萌えるからだ! という強引な突っ走り方を決してしない。
この姿勢は真っ当で健全で、読むほうとしたらすごくありがたい。
俳句の批評って、「ここ強引すぎんじゃね……?」っていうのに度々出会うので。

ただ、第二回以降で、関さんのテンションが上がりすぎて、BLの匂いが微塵も感じられない句を強引にBL化して読んでいくようになったらそれはそれで面白いのではないかとも思っている。理路整然とした冷静な関さんもいいけど、荒ぶる関さんも見てみたいのだ。

共有結晶×ふらんす堂通信

※ BL短歌
@AyahSakiさん曰く、BL短歌とは「五七五七七に萌えをぶっこむこと!」
2012年11月『共有結晶』という作品集がリリースされた。
まだ手元にないひとはアマゾンでも売ってるので、買いましょう。短歌作品も対談も漫画も入ってて読み応えあります。