さいきん、わたしにはこどもがいて、四つか五つぐらいの男の子なんだけど、名前がまだないので考えている。
そんな高価なもの誰が買い与えたんだろう――ラベンハムらしき緑色のキルティングジャケットを着ている。
彼の悩みは、わたしがときどき焼く「スコーン」と、「スコーン食べたい」と言った彼にわたしの母(つまり彼にとっての祖母)が与えた「すこーんぶ!」(都こんぶ)との関連がよくわからないことである。
よくわからないことはおとうさんに聞いたら解決してもらえると信じているが、おとうさんには滅多に会えない。
おとうさんには帰るべきおうちがあるので。
今度はおうちのないおとうさんを探すね、と言うのだが、彼はそのおとうさんがいいらしい。
わたしの知る限りでは、おうちのあるひとと彼は血がつながっている。
彼にとって重要なのは、おとうさんはウルトラマンと仮面ライダーのすべての歴史を知り尽くしているということである。
おとうさんの高い高いは滞空時間は短いかわりに、わたしよりかなり高いということである。
おとうさんはほかのおとなと会話するときと同じ口調で彼に話しかけるということである。
おうちのあるひとと彼がふたりでいるときに「お孫さんですか」と聞いてきたよそのおばさんに彼は「長男です」とこたえたが「ちょうなのー。おまごちゃんなのねー」と誤解される、そして憤慨する、泣く。
ラベンハムの袖口は涙と鼻水でずるっずるのちかぴっかぴだが、わたしはそれをクリーニングに出してやることはできない。
「日記」カテゴリーアーカイブ
脳内髭神父
こころを穏やかにしようと脳内の聖堂に小さな告解室を設けて髭の神父様を置いてみたところ、その男がオネエ言葉でまくしたてるのである。
「あんたね、『やさしいのね』ってのやめなさいよ。
なによ『やさしいのね』って。
あれでしょ、トイレに書いてある『いつもきれいにご利用いただきありがとうございます』
あれとおんなじようなもんでしょ。
通じないわよ。絶対通じないわよ男には。
『やさしいのね』って言い続けたらやさしくなるなんてドリィィィミィなのよ。
あんたみたいなバカは水に『ありがとう』って言い続けて
いっぺん水あたりで腹下してみたらいいんだわ。
『ふざけんじゃないわよバカヤロウ!死んじまえ〜!!』
ってね。こっちが正しいわよ。
またぐら蹴っ飛ばして言ってやんなさいよ。
聖書? 旧約の雅歌のとこでも読んでなさい!
あーやだやだ! しめっぽい女って嫌!
女が女の腐ったようになっちゃったらおしまいよ!」
『庶務課中村が承りました』公開中止につきまして
『庶務課中村が承りました』 [1]は、いろいろな作品(ドラマ・漫画・短歌・俳句etc…)からの引用(あるいはパロディ)で成り立っておりますが、先行する作品の作者の方から、引用元の不明記をご指摘をいただきました。
作者の方、また、今回『庶務課中村が承りました』をダウンロードいただいた皆様にもご迷惑をおかけし、申し訳なく思っております。
現在、改訂作業のため、内容を非公開としております。
既にダウンロード済の方は、たいへんお手数ではございますが、手元のファイルの破棄をお願いいたします。
改訂版の完成は、10月24日頃を予定しております。完成しましたら、ツイッター等でお知らせいたします。(2011年10月7日)
<追記>
改訂版こちら [2]です。
[1] http://p.booklog.jp/book/35018
[2] http://p.booklog.jp/book/44166
オノ・ヨーコ展@広島市現代美術館
作家:オノ・ヨーコ
CC:BY-NC-ND 2.1 日本
少年の面影を残したひとが「久しぶりに折りました」といって鶴を一羽きれいに置いた。
わたしは上手に折れなくて、羽根の付け根を骨折させてしまった。
東京という街の実在はやはり信じがたい
未来の60周年大会で目から耳からいっぱい妊娠した。
なにがうまれるんだろう。
ひるこみたいなものをたくさんつくってひるこジャパンを結成しますよ。
(得意技は反則とか呪いとか。)
翌朝、六時起床。
暑くなる前にとおもって七時ちょい前ぐらいに、井の頭公園へ。
東京の夏の朝のパンダ夫妻。
さらに翌日。
ちはやぶる神谷バーにて伝説の電気ブランを買ってみました。
えーっと、なんのために東京に行ってたんでしたっけ。
ちゃんとしたレポートはgucaブログとかにそのうち出るんじゃないでしょうか。
嵐のようなダメ出しを真摯に受け止めつつ、このまま流されて沖に出たい。
週刊俳句10句競作★落選!!
とはいえ、選考過程がほんとうに楽しくて。
自分の書いたものを批評してもらえることはほんとうに稀なので、めちゃ刺激的でした。
拙作は 【18 マーベロン28】。
生涯一小娘(フィエット)!
ガーリッシュ万歳!!
(石原さんいいかげんおとなになってください。)
20コキュートス
悪魔は、噺をはじめる落語家のような滑らかな所作で翼を背中から下ろし、足下へ畳んだ。
黒いジャケットを脱ぐと同時に雲がたちこめていた空はすうっと晴れわたり、姿を現した銀河はけぶるなんてものじゃなく、スワロフスキーのショーウインドウなみにぎらんぎらん瞬いている。
いつ逢へば河いつ逢へば天の川 田中亜美『新撰21』より
わたしは寝袋から出した手を伸ばし、オーケストラに指揮するみたいに揺れる尻尾を掴んでみた。
ぎくん。
一瞬の硬直。
その後、すぐに尻尾はやわらかく動き始めた。まるでなにもなかったかのように。
「起きていたのか」
「ごめんなさい」
「謝るな。余計不愉快だ」
角がひっこんでる。耳のとんがりがまるまっている。
血の気のない頬がいっそう青く見えるが、それは悪魔らしさというより貧血のひとの顔色だ。
肩に手を当てて首の骨を鳴らす姿は、ごく普通の、生活につかれた勤め人のように見える。
「目的地まであと20コキュートス」
「それって遠いの」
「きみの体重が林檎9個分軽ければ一晩で飛べる。いかんせんわたしも身体にガタがきてるからな」
「ちょっとぐらい肉がついてるほうがみりょくてきなんだよ」
「その通りだ。じつに美味そうに見える。ふとももから下を腹の中におさめてから飛ぶかな」
「ふーん……」
「手を離せ、ミニ豚」
わたしは再び寝袋の中に手をしまって胸の上で組んだ。
むかし飼ってた猫も、あんなふうにしゅっとした尻尾してたっけ。
「おやすみなさい」
悪魔は小さな声で、「おやすみ」とこたえた。
最近読んだのは
倉橋由美子『聖少女』
北野勇作『メイド・ロード・リロード』
森奈津子『先輩と私』
図らずも、「書くこと」について書かれた小説ばかりです。
北野勇作さんの小説を読むのは『かめくん』『どろんころんど』に続いて三冊目。
どの作品にも、ひっくり返ったカメが空中で足をばたつかせてもがくような悲しさと可笑しさがある。
『どろんころんど』にはカタルシスがあったけれど、
『メイド・ロード・リロード』は出口がなさすぎてちょっと苦手。
★
先日、guca [1]メンバーで、
男のひとから指輪をいただくことについて話しました。
わたしは指輪をもらったことがありません。
ネックレスやペンダント、チョーカーの類ならばあります。
いちばん痺れたのは、
「ガラス玉だよ。君が負担に思わないものがいいと思って」
と言って、白鳥の刻印されたネックレスをもらったときでしょうか。
あれは嬉しかった。
わたしの人生にそんなハーレクインな瞬間が訪れるとは夢にも思わなかったので。
真顔でそんな台詞が吐けるって相当なものです。もちろん誉めてます。最高です。
※誕生日が近いからといって、プレゼントを要求しているわけではありません。
↑強調。
人生にスペクタクルを求めると、ふつうの幸せが逃げてゆくようです。
でもさ、
キアヌ・リーブスとゲイリー・オールドマンを並べられて、
どっちか選べっつったら、断然ゲイリー・オールドマンじゃない?!
もしくはアンソニー・ホプキンスじゃない?!
キラキラした目で見られたら目ん玉えぐりたくなるもの。
これはもう、仕方がないのだと思う。
こういう間違った方向にドリーミーな部分をかわいそうに思ったり、救い出したいと思ったりしてしまうタイプの男性とは、一生かかっても歩み寄れないのでしょう。
嗚呼。
[1] http://guca-love.blogspot.com/
むずかしいところだ
「きみ……○○かね……○○してくれたまえ……」といった話し方をするひとと交流があるのだがときどき混じる関西弁とどっちが冗談なのかはかりかねている。
電車の中に中学生になりたての小学六年生みたいな女子が、よりこどもっぽい友達と一緒に乗っていて、こどもっぽくない方はBガール的に肩のずり落ちたTシャツにショートパンツだったのだが、春は名のみの寒さで腕にびっしり鳥肌が立っていてむしろ赤いぶつぶつになっていて、若々しくて、それはちっともうらやましくない。
蛍光灯のひっぱり紐に猫。定期入れに猫。台所で足下にからみつく猫。鳴き交わすとわたしも猫。
婚活している。意識の上では、つねに。
布団の上が本だらけで安眠できない。
ラムコークと呼んでもキューバリバーと呼んでも小児用風邪シロップの味にしか思えなくて、ちゃんとバーテンさんに作ってもらったら違うものができるんだっけ。こういう味でいいんだっけ。よくわからない。
心身のバランスを取るために血みどろの映画が見たい。
ご連絡
ここのところブログよりもっぱらtwitterを更新していましたが、
震災後、twitterが重要な情報源になっているようなので使用を自粛してます。
岡山は無事です。
下手に動くと邪魔になると思うので、基本的に、ふだん通りの生活をします。
本気でやってるひとには申し訳ないけど、街頭募金は方法として信用できないから無視してる。