悪魔は、噺をはじめる落語家のような滑らかな所作で翼を背中から下ろし、足下へ畳んだ。
黒いジャケットを脱ぐと同時に雲がたちこめていた空はすうっと晴れわたり、姿を現した銀河はけぶるなんてものじゃなく、スワロフスキーのショーウインドウなみにぎらんぎらん瞬いている。
いつ逢へば河いつ逢へば天の川 田中亜美『新撰21』より
わたしは寝袋から出した手を伸ばし、オーケストラに指揮するみたいに揺れる尻尾を掴んでみた。
ぎくん。
一瞬の硬直。
その後、すぐに尻尾はやわらかく動き始めた。まるでなにもなかったかのように。
「起きていたのか」
「ごめんなさい」
「謝るな。余計不愉快だ」
角がひっこんでる。耳のとんがりがまるまっている。
血の気のない頬がいっそう青く見えるが、それは悪魔らしさというより貧血のひとの顔色だ。
肩に手を当てて首の骨を鳴らす姿は、ごく普通の、生活につかれた勤め人のように見える。
「目的地まであと20コキュートス」
「それって遠いの」
「きみの体重が林檎9個分軽ければ一晩で飛べる。いかんせんわたしも身体にガタがきてるからな」
「ちょっとぐらい肉がついてるほうがみりょくてきなんだよ」
「その通りだ。じつに美味そうに見える。ふとももから下を腹の中におさめてから飛ぶかな」
「ふーん……」
「手を離せ、ミニ豚」
わたしは再び寝袋の中に手をしまって胸の上で組んだ。
むかし飼ってた猫も、あんなふうにしゅっとした尻尾してたっけ。
「おやすみなさい」
悪魔は小さな声で、「おやすみ」とこたえた。