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載ったど!『野性時代』3月号

野性時代2018年3月号

KADOKAWAのロゴと鳳凰マークが燦然と輝く(イメージ)封筒を開けてみると野性俳壇のステッカーが入っておりました! わーい!
このステッカーは特選入賞者がもらえるものだそうですよ。どこに貼ろう。歳時記? Macbook?

夏井いつき・特選
資材部は土筆ゆがいているそうです  石原ユキオ

夏井さんがコメントで ”建築土木会社の「資材部」を想像。” と書いてくれていたのが嬉しかったです。俳句を受け取ったひとが妄想を広げてくれるとすごく嬉しいよね。

この上機嫌のいきおいで今月号の野性俳壇からぐっときた句を紹介します!

少女ぴよんぴよんす春の列車のとほければ  くらげを

「跳ぶ」でも「跳ねる」でも「跳躍す」でもなく「ぴよんぴよんす」なのがいい。口語の「ぴよんぴよん」に文語の「す」がつくとコミカルな雰囲気に。遠くの列車を見ようとするというよりは、はやる気持ちがおさえられなくてこころぴょんぴょんの状態なのではあるまいか。

麗かや分かった順に笑ふ寄席  霞山旅

たぶん昼席ですね。あったかくて客席はみんなぼーっとしてて、噺家さんのネタが笑いに変わるまでにタイムラグが生じる。ああ、繁昌亭に行きたい。

麗らかや婆さんは池に落ちない  井口可奈

落ちそうで落ちないんだと思う。落ちたら面白いのではないかと淡く期待してしまう。余談だがわたしは川に落ちそうな爺さんを拾ったことがある。

鈍行が一番早く着く春野  徳山雅記

誰も死なない時刻表トリック。

そういえばビバ!ユキオ俳句賞に応募してくださった方、野性俳壇の常連さんがけっこう多いです。野性俳壇でわたしの名前を見かけてSNSでチェックして応募してくださったんだと思う。野性俳壇のオフ会があったらいいなー。句会しないのかなー。あったらいいなー。あったらいいなー。

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活動記録(2017年)

●月刊俳句同人誌『里』2017年1月号に瀬戸正洋『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』一句鑑賞を寄稿。

●「谷川俊太郎トリビュートLIVE 俊読2017」に出演(原宿クロコダイル)。俳句と詩を朗読する。2010年に続き2度目。

●BL俳句誌『庫内灯』スタッフとイベント「ことばや俳句と遊ぶ会」を開催(岡山市)。「ちょめ俳しせ俳クイズ」のコーナーを担当。

●円錐新鋭作品賞落選(高柳蕗子選上位5作品にノミネート)

●「poecrival 1」2席入賞(関悦史選)

●『小説 野性時代』の投句欄「野性俳壇」で特選に入賞。他、入選数回。

●『共有結晶別冊・二次創作短歌非公式ガイドブック』(2017年5月7日発行)に「石原ユキオインタビュー 憑依俳句と二次創作俳句」を寄稿。

●アートイベント「まちのすきまカフェ」(岡山市)にて「ぺったん詩」ワークショップと、短詩をめぐるトークライブ「短歌と俳句とぺったん詩」を開催(共演:荻原裕幸、中山奈々)。

瀬戸内ブッククルーズ「イチョウ並木の本まつり」(岡山市)に参加。俳句関連書籍を販売。また、トークコーナー「店主のオススメ本Z」で瀬戸正洋『俳句と雑文B』を紹介。

『現代詩手帖』2017年10月号「川口晴美と、詩と遊ぶ」に連作「四代目中村地球三郎第一句集『宙乗』より」を寄稿。
『Solid Situation Poems』稀人舎から発売中です。

●ワークショップ「ぺったん詩ぺったん会」を開催(東京)。

●『共有結晶別冊 萬解』(2017年11月23日発行)の「俳句百合読み鑑賞バトル」に寄稿。

●月刊俳句新聞『子規新報』第64号(2017年11月30日発行)「次代を担う俳人たち」に掲載。

●BL俳句誌『庫内灯3』(2017年11月23日発行)の「海外文学海外文学感想文BL俳句」に連作「レニー、俺たちいつかちひさな土地を手に入れてぜいたくざんまいに暮らすんだ。」を寄稿。

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「はつかねずみと人間」はイケメン訳の高村版を読むべし!

家畜を見るためにヤギ牧場に吟行しました

『庫内灯3』の「海外文学海外文学感想文BL俳句」に参加しています。

今回わたしが取り上げたのはジョン・スタインベックの「はつかねずみと人間(Of Mice and Men)」。

小柄で頭の切れるジョージと知的障害を持つ怪力の大男レニーは二人で農場を渡り歩く労働者。彼らは自分たちの土地と家を持つことを夢見ていましたが、それがあと少しで叶いそうになったとき、突然悲劇が訪れ夢は潰えてしまいます。

そもそも海外文学でBL……というお話をいただいたときに真っ先に思い出したのがこの作品なのですが、最初に読んだのはおそらく小学校高学年か中学生の頃です。読み直してみようと新潮文庫の『ハツカネズミと人間』(大浦暁生訳)を取り寄せてみたところ……

レニーの一人称が「おら」!
ドラゴンボールかよ!!

謎方言が気になってストーリーに集中できないので図書館で『スタインベック全集4 はつかねずみと人間<小説・戯曲>』(高村博正訳)を借りてきました。

よかった。高村版では二人とも「おれ」だし話し言葉が自然だ!

(大浦訳)
「ジョージ……おらのがねえよ。なくしたにちげえねえ」
そっとつぶやくと、がっかりして地面に目を落とした。
「おめえ、初めから持ってねえんだよ、バカだな。おれが二枚ともここに持ってる。おめえになんか労働カードを持たせておけるもんか」

(高村訳)
「ジョージ––おれのがない。きっと落としたんだ」とそっとつぶやき、がっくりして地面に目を落とした。
「おまえは、はじめから持っちゃいないんだよ、ばかだな。おれが両方ともここに持ってるんだ。おまえに労働カードを持たせておくはずがないだろが?」

おわかりいただけたでしょうか。
高村版レニーは少年のようでかわいらしく、高村版ジョージはそこはかとなくイケメンなのです。レニーへの「もうしょうがないなあ(おれが守ってやるぜ!)という雰囲気が滲んでいはしまいか。「ないだろが?」のあたりとか。

スタインベックはこの小説で “give me” → “gime” など、農夫たちの話し言葉を音のまま記述することを試みたそうで、大浦版はその日本語での再現を目指したものだとは思いますが、ジョージが「おれ」なのにレニーが「おら」なんて、レニーにだけ特別なキャラ付け(漫画などによくある、特定のキャラだけが特徴的な話し方をするやつ。ラムちゃんのだっちゃ口調、孫悟空のオッス、オラ悟空口調など)を与えているようで嫌です。ラフな話し言葉にとどめている高村版のほうが好感が持てます。

また、あとがき・解説では翻訳者それぞれのスタンスの違いが明確に分かれています。

ジョージがレニーをリンチから救うために射殺する結末の場面は、何気ない動作や言葉をとおして、ジョージのやるせない気持ちが切実に伝わってくる。(訳者あとがき/大浦暁生)

残酷な私刑(リンチ)から親友を救うために、ジョージはレニーを「安楽死」させます。いちばんしたくないことをせざるをえないジョージのいたたまれない気持ちに同情する読者もいるでしょう。しかし逆に、生きる権利を奪われたレニーに対してはどうでしょうか。最愛の、もっとも信頼していた親友に突然うしろから殺されるレニーの運命とその扱いに疑問を感じる人も多いはずです。(訳者解説/高村博正)

(ごめん、いま引用でサラッとネタバレしたけど、どうしようもなく追い詰められた状況でジョージが相棒のレニーを殺してしまうのです。)

一方的にジョージの側に感情移入して鑑賞する大浦氏に対し、殺される側のレニーに目を向ける高村氏。高村氏はスタインベックの作品を原作とした映画や舞台公演を可能な限り観ているスタインベックオタク(推定)ですが、強者の立場に立ちがちなスタインベックの姿勢に対して非常に批判的です。愛ゆえの批判を感じます。『はつかねずみと人間』を読むなら、もうぜったい、高村博正訳の全集をおすすめします。あたくし思いますに、イケメンとはヒューマニストのことなのよ!

ただし流通してません。ぜひ図書館で読んでください。

10/28(土)イチョウ並木の本まつりに出店したよ

瀬戸内ブッククルーズ「イチョウ並木の本まつり」に参加しました。

瀬戸正洋『俳句と雑文B』
佐藤文香『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』
『BL俳句誌 庫内灯 2』『guca紙(ぐーかし)』など、
俳句の本をすこしだけ持っていったところ……

まさかの完売!!!!

本当にありがとうございました。
(そして、ほしいのに買えなかった方ごめんなさい)

ガラスに何か貼ってあるのは……

「店主のオススメ本Z」というトークのコーナーで紹介した瀬戸正洋『俳句と雑文B』に入っている俳句です。ちなみにこの本はわたしから買うか、版元から著者に連絡してもらうか、直接著者本人に連絡する以外手にいれる方法がありません。

もっと俳句の本を流通させなければ! という思いを強くした一日でした。

まちのすきまカフェ*ぺったん詩報告

2017年9月30日(土)・10月1日(日)「まちのすきまカフェ」にて「ぺったん詩」ワークショップと短詩をめぐるトークライブ「短歌と俳句とぺったん詩」を開催しました。

ワークショップ一番乗りは『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』収録作家のこちらの方。

注目の若手俳人なのに日本全国どこでも会えるイメージが強すぎてツイッターで宣伝するのを忘れていました。もっと「クロイワくんに会えるよ!」アピールをすればよかった……。

荻原裕幸さんの短歌、中山奈々さんの俳句、石原の俳句がばらばらのまぜこぜになっている中からお気に入りのフレーズを見つけてぺったん!

↑ちなみに手タレは岡山大学短歌会のみなさん。

完成したぺったん詩は壁に貼りました。

字を消すために*(アスタリスク)を使うなど様々な技法が発明されていた!

こちらはトークの様子。右から中山さん、荻原さん、石原。

物販コーナーは文藝イシュタルさんが手伝ってくれました。わたしの強引なリクエストでエプロンをつけてもらいました。

二日間使ったはんこは「歴戦の勇者」みたいな貫禄のある汚れ具合に。

今後、岡山でも他のまちでも「ぺったん詩」の会を開きたいと思っています。「うちのまちに来て〜!」というお誘いもお待ちしてます!

 

9/30(土)・10/1(日) #まちのすきまカフェ に遊びに来てね

9/30(土)10/1(日)の2日間岡山市で開かれる「まちのすきまカフェ」というイベントで「ぺったん詩」ワークショップを開催します。ことばのはんこをぺたぺたして短い詩をつくるよ!
初日の18時からは歌人の荻原裕幸さんと俳人の中山奈々さんのトークライブ!

短詩をめぐるトークライブ「短歌と俳句とぺったん詩」について

ぺったん詩 ワークショップについて

●「ぺったん詩」ワークショップ[予約不要]
9/30(土)11:00〜16:30 / 10/1(日)11:00〜18:00

 

●短詩をめぐるトークライブ「短歌と俳句とぺったん詩」[要予約]
9/30(土)18:00〜20:00
ishiharayukio★gmail.com 件名「短歌と俳句とぺったん詩予約」でお名前と人数をおしらせください。
椅子の用意が必要な方はその旨お書き添えください。

まちのすきまカフェ
岡山市北区中山下 2-1-21
中山下21ビル

俊読2017報告

2017年4月30日、谷川俊太郎トリビュートLIVE 俊読2017に出演しました。
原宿クロコダイルに駆けつけてくださった友人たち、先輩方、本当にありがとうございました。
東京のライブハウス(そう、この響き!東京の!ライブハウス!)で、緊張のあまり本番前の打ち合わせで笑いの発作に襲われたりしながらも(当然、司会進行の桑原滝弥さんに突っ込まれた)なんとか無事にパフォーマンスすることができたのは、知ってる人いっぱいいるしこの会場実質全然アウェーじゃなーいー! という心の支えがあってこそでした。
そして、すばらしい職人技を見せてくださった共演者のみなさん、主催者の桑原さん、スタッフさん、ご本尊(!?)谷川俊太郎さん、ありがとうございました。


 

 

今回取り上げた作品について。
『おばあちゃん』谷川俊太郎・文/三輪滋・絵
わたしが手に持っていたのは2016年にいそっぷ舎から出版された復刻改訂版の絵本で、オリジナルは1982年にばるん舎から出たものです。
(ちなみに1982年といえば、わたしの祖母が「おばあちゃん」になった記念すべき年。)
認知症で寝たきりのおばあちゃんのことを孫の視点から語った本文にシュールで不穏な絵がついています。
なぜこの作品を選んだかというと、祖母が昨年の春に他界し、認知症や介護についてすこし冷静に考えられそう、という気がしたからです。

そのあとに朗読した自作の詩「祖母のパイナップルジュース」は、2007年ごろ「詩のボクシング」で発表した「祖母ジュース」が元になっています。

長年わずらった糖尿病の悪化により
祖母の尿はパイナップルジュースになりました

憑依系俳人としてはここまで自分自身の体験を元にしたものを発表するのはけっこうレアかもしれない。
谷川俊太郎さんにも笑っていただいて、お客さんに休憩中や終演後に声をかけていただいて(ご自身も朗読される方がたくさんいらっしゃってた様子。あと、「わたしも腐女子です!」と明るく宣言して庫内灯のフライヤーを取りに来てくれた方!)10年分くらいのちやほやをもらって岡山に帰りました。

緊張で記憶が飛び飛びなので出演者限定の記録映像が届いたら他の方のパフォーマンスをちゃんと見たいです。

 

↑内容はビターきわまりない。お父さんとお母さんの年齢差が気になる。同じコンビの『せんそうごっこ』もおすすめ。

↑主催者桑原滝弥さんが詩を書いた夫婦がテーマの写真集。贈り物によろしいのではないかと。

往来させるもの−五十嵐秀彦第一句集『無量』を読む

「直喩」は意味において、「対句」は文章構造において、ともに言葉の類似を示唆するものであると考えられているが、五十嵐秀彦の創作では、類似のあり方が一筋縄ではいかない。
本論ではそのふたつの修辞法を掘り下げ、独特の魅力に迫っていきたい。

一、直喩

五十嵐秀彦第一句集『無量』には比況の助動詞「ごとし」を用いた直喩が十回登場する。直喩は通常、類似点を指摘することで対象をイメージしやすくするために用いられる。しかし、この句集では一見類似点のないような意外な言葉が「ごとし」で結ばれて直喩として差し出される。

遊星のごとき君らの薄暑かな

「遊星のごとき君ら」とは、公転・自転する複数の遊星(惑星)のように楽しく遊び回る少女たちだろうか。なぜ少女かというと、西東三鬼の「おそるべき君等の乳房夏来る」を連想するからだ。三鬼の句のイメージも重なって、外で遊び回っている少女たちは薄着で元気いっぱい、それを見ている作中主体は初夏の暑さに早くも疲れてしまっているように感じる。
二〇一三年の初夏はきゃりーぱみゅぱみゅの服装を真似た若者がピンクやブルーの髪をして街を闊歩していた。「遊星のごとき」という表現からは、全く違う価値観の若者を目にしたときの、違う惑星に来てしまったような違和感を読みとることもできる。

月照らす机上流砂のごとき文字

砂漠に描かれた不明瞭な文字。風が吹けば消えてしまいそうだ。「月」と「流砂」から連想するのは童謡「月の砂漠」のような世界。そのイメージを受けて「流砂のごとき文字」を想像すると、右から左へさらさらと書かれたアラビア文字が思い浮かぶ。月光の差す机上で自分の書いた文字が(それはなぜか見知らぬ異国の言葉で)書いた側から風紋のように形を変えていく。
あるいは、手書きの文字ではなく一瞬で形を変えるコンピュータのテキストデータかもしれない。月光とディスプレイの青白い光は似ている。また、初代キンドルなど実際に砂(砂鉄)を用いて文字を表示するタイプの電子書籍リーダーを詩的に表現しているのだと考えても面白い。

若水の謀議のごとく流れおり

ただの水に、それも本来おめでたいはずのものに「謀議のごとく」と言ってしまうのは大げさすぎるように感じる。何がこの作中主体を神経過敏にさせているのだろう。仮に作中主体を正月行事のとりしきりを任された年男だと考えてみよう。元旦の厳粛さと華やぎに包まれた古い家で、しきたりに従って正月の行事をこなしながらふと感じた不安感。家長としての責任を立派に務めようとするあまり、些細なことにまで過剰に反応してしまう生真面目な男の姿が思い浮かぶ。

二、対句

対句は、類似の構造をもつふたつの言葉を重ねて用いる修辞法である。対句もまたこの句集に頻出する特徴的な表現であると言える。俳句は十七音の非常に小さな形式の詩であるため、通常は言葉の重複を避けがちである。五十嵐秀彦が対句という重複を含む表現を好んで採用しているという点には強い意図が感じられる。

天道虫あこがれやすく死にやすく

あこがれることと死ぬことは一見遠いように思える。しかしこの句ではあこがれやすさと死にやすさが同時に成立すると言う。天道虫は、ここでは若さや幼さの暗喩だろう。たとえば青春期、強すぎる憧憬のために自ら死を選んでしまうというようなことだろうか。「愛(エロス)」と「死(タナトス)」と書けば単純すぎるが、愛を「あこがれ」にシフトすることによって常套句を回避している。

外套をまとひちひさき闇まとふ

外套をまとうということは小さな闇をまとうというということなのだ、と言っている。ここでは対句はイコールの関係で、ひとつの行動がもつ二種類の意味を書くために用いられている。外套を着て歩いている人々は、それぞれ外套の中に小さな闇をまとっている。それはひとが抱えている苦しみや悪意など暗い感情の比喩でもあるだろう。

夜に還る隧道を抜け冬を抜け

いただきし鱈さばくともあばくとも

靴底の雪剝がし黙剝がしけり

といった句も、ひとつの行動がもつ二種類の意味を書いていると言える。

秒針の速度牡丹雪の速度

この句は対句表現だけで一句が成立している。「秒速5センチメートル」というアニメーション映画がある(新海誠監督/二〇〇七年)。「秒速5センチメートル」は桜の花びらの落ちる速度を表しているそうだ。牡丹雪の速度は秒速何センチメートルだろう。秒針が動く速度と牡丹雪が舞い降りる速度を思い描いているうちに、速度よりもそれらが絶え間なく続いていくことを意識させられる。
似た構造をもつものとして、

赤とんぼ無数失踪者無数

という句がある。「赤とんぼ」は可視的な存在。「失踪者」は不可視の存在。ふたつを並べることによって失踪者が変化したものが赤とんぼなのではないか、とも思えてくる。
これらの句では、「秒針」と「牡丹雪」の取り合わせ、「赤とんぼ」と「失踪者」の取り合わせを対句として行っていることになる。

蝶有罪あるいは不在雨あがる

「有罪」の対義語は「無罪」だが、対として選ばれたのは「無罪」に近い音をもつ「不在」だ。「無罪」の気配をただよわせつつ「不在」と言ってしまうところに自嘲のような諦めのような感情が感じられる。無罪放免となったのではなく、有罪でありながらもうそこには存在しない蝶。事件は解決したもののルパン三世を取り逃がしてしまった銭形警部のようである。

三、直喩と対句のもたらすもの

五十嵐秀彦はあとがきにおいて「私の俳句はそんな具合に(古代と現代、あの世とこの世の)両界を往来しているように思う」(括弧内筆者)と記す。
この「往来」は俳句の意味内容によるものを指しているが、「直喩」や「対句」は構造の上で読者の意識の「往来」を促している。
意外な言葉を「ごとし」で結んだ「直喩」によって、読者は喩えるものと喩えられたものの間の類似点相違点を探しながらふたつの言葉の間を往来する。
対句もまた、対になったふたつのものの間で読者の意識を往来させる。そもそも対句は言葉の変奏による繰り返しであり、往来する構造そのものと言える。
ふたつのものの間を幾度となく往来するうちに、様々な解釈の可能性を得て、イメージは重層性を帯びていく。句会などで「景がひとつにしぼれない」ことがその句の欠点として指摘されることがあるが、この句集に関しては、むしろそれこそが魅力である。
本句集の表紙には、雪原の向こうへと続いていく足跡が色鉛筆の素朴なタッチで描かれている。その足跡はまるで「この無量の可能性を秘めたイメージの大地を、どうぞ、楽しく彷徨ってください」と読者に誘いかけているかのようだ。

『逸』第33号(2014年3月31日発行)掲載

【報告】「ことばや俳句と遊ぶ会」を開催しました

2017年4月9日(日)、BL俳句誌「庫内灯」スタッフによる「ことばや俳句と遊ぶ会」を開催しました。
会場は岡山県立図書館。当初の予想を上回る9名の方が参加してくれました!
いちばん遠くから来てくれた方は新潟から。ありがとうございます!!!

(内容)
打越マトリクス(季語から連想し、取り合わせにちょうどよい距離間の言葉を探すメソッド)
・音韻に凝った俳句かっこいいよね!の話。
・ちょめ俳しせ俳クイズ(著名俳人の作品と市井の俳人の作品を振り分けるチーム対抗戦)
・俳句カードゲーム(佐藤文香・石原ユキオセレクトの俳句カードにBL俳句の札を追加)
・袋回し(回ってきたお題でスピーディーに作句)

会場のようす

打越マトリクス

司会進行は「庫内灯」初代編集長佐々木紺
石原は「ちょめ俳しせ俳クイズ」のみ担当し、あとはたのしく遊んでおりました。

イベント終了後はEXCAFEさんに移動し、二次会を行いました。
「紙を回しながら食べやすい料理」という無茶なリクエストに応えてもらったー!

写真はdyngnさんの撮ってくださった袋回し中のわたくしです。

dyngnさんの写真のサイトはこちら↓
ほやのえ

このイベントは佐藤文香『俳句を遊べ!』を大いに参考にしました。ぜひ読んでみてねー。

手紙魔まみ、ゆゆのおるすばん

手紙魔まみ、ゆゆのおるすばん

皆既日蝕。兎の尻を抱きしめる
はるいちばん薬袋に貼る切手
ゆゆです。姉は出掛けています。春の星
あたたかし盗聴器のようなタンポン
銀河系共通言語シャ・ボンダ・マ
ゆゆの苺、つぶさないでって云ったはず
ゆゆの髪、洗わないでって云ったはず
宇宙船。ほら。虹色が非常口。
重力の弱い地球へ桜しべ
黴び方がとても上手ね、まみの爪
風は死んだの。虫歯、こじらせて
水中花とミジンコたちの愛でした
油蝉があれば海まで行けたのに
妹型昼寝装置としてゆゆは
マリリンのM まみのM MM忌
つけまつげにささる来世の流れ星
甘噛みの、まみの歯形の、腐る桃
糸電話料金未納通知かな
マンホールの蓋がつめたい朝ですね
ばつ、くちづけ、ウサギのくち ×××