旅行記」カテゴリーアーカイブ

半分妄想トルコ日記 彼はフレディとも呼ばれている

「フレディ、わたし困っている」
「どうしましたか」
「ごめんなさい。あなたに言う、失礼かもしれない。わたしピリオドある。始まった。女の子の日。スーパーマーケットかドラッグストアに行く必要ある」

period(月経)か。妻にしか、それも限られたシチュエーションでしか言われたことのない言葉に面食らってしまったが、彼女には他に頼れる相手はいないのだ。仕方がない。
「歩いてすぐの場所にミグロスというスーパーマーケットがあります。歩けますか」
「ゆっくり歩ける」
衛生用品の棚まで案内して、買い物の間すぐそこで待っていると伝えた。ユキサンは何度も頷いて棚の間に消えていった。レジの店員が「面倒くさそうな客置いていかないで!」というような目で睨みつけてきた。
大丈夫。その外国人は少し英語が話せるし、2歳児程度にトルコ語がわかる。

フレディというのは自分で考えた偽名ではない。ユキサンと知り合った頃は現場の人間ではなかったから、正直に本名を伝えた。ところが彼女は日本語に存在しない母音から始まり日本語に存在しない子音で終わるその名前を全く発音できなかった。発音するたびに「全然違います」「少し違います」「惜しい」「遠くなった」と感想を述べていたらついに諦めて、
「フレディはどう?」
と言ったのだ。由来は聞いていない。

しばらくしてユキサンはにこにこしながらスーパーから出てきた。青ざめているようにも見えるが、相変わらず笑顔だ。

半分妄想トルコ日記(3日目・中編)わたしは悪いムスリムだった

イルハン老人の件以外にも、もうひとつ問題が発生していた。
「フレディ、ごめんね、こういうことを相談するのはあなたに対して失礼かとは思うのだけど、生理になってしまいまして
フレディは一瞬間をおいて「生理」と繰り返した。
「えっと、女の子の日。スーパーマーケットかドラッグストアに行ってサニタリー用品を買いたい」
非常に思慮深い顔で「オーケイ…」という返事が返ってきた。
「歩いてすぐの場所にミグロスというスーパーマーケットがあります」
立ち上がると頭のてっぺんから爪先まで砂が流れるような眩暈を覚えた。
「歩けますか」
「ゆっくりなら歩けるよ」
わたしのスーツケースを運ぶフレディの後ろを、バックパックを背負ってついて行った。

ある意味、今回の旅におけるいちばんの冒険。説明書の読めない生理用品の購入。

体調はそれ以上悪くならなかったので、わたしの希望でアタチュルク廟に連れて行ってもらった。トルコ建国の父アタチュルクことムスタファ・ケマルの墓だ。
やや左寄りです、みたいな顔してこんなこと言うのもどうかと思うが、機械のように動く兵隊さんを見るのが好きだ。同じような理由で軍楽隊も好きだ。去年台湾を訪れた際には国父記念館(孫文の記念館)に行って衛兵交代式を見た。トルコの衛兵交代式も見なければ
衛兵交代式のもうひとつのみどころは交代式が円滑に行われるようサポートする側の兵士だ。ひきしまった軍人ボディにタイトなシャツとスラックス。インカム。しっかりと櫛目の入った頭頂部と刈り上げられたうなじ。美しい。
彼らは衛兵の通る道を確保したり、定位置について警備を始める衛兵の服装の乱れを直したりする。衛兵は動いてはいけないので介添人が必要なのだ。

廟の中にぽつんとある棺を見て、ちょっと不思議な感じがした。こんな巨大な建物がお墓、ということが。

「ここにアタチュルクがいます」
「ほんとうに、死体があるんだよね?」
「そうですよ」
「骨で? 防腐処理で?」

回廊は博物館になっていて、アタチュルクの愛用品などが飾られていた。帰り際に衛兵のひとりの隣に立って写真を撮った。丘を下りながら「プロパガンダについて考えるのは面白い」と言ったらフレディが珍しく声を上げて笑った。

アンカラ城では楽器を演奏しているグループとそれに合わせて踊っている女性たちがいた。

演奏するひとと踊るひと

日本の観光地は手すりを付けたり立ち入り禁止の札を立てたりするけれど、アンカラ城は滑って落ちそうなぎりぎりの端っこまで歩いていけるので結構怖い。
ところで「アンカラ城」をトルコ語で言うと「アンカラ・カレスィ」になる。次にトルコに来るときには「トルコのカレスィのところに行く」と言って出かけようと思う。ちなみにこの冗談はフレディには通じなかった。
喉が渇いて、坂の途中の売店で赤ワイン色のジュースを買った。フレディにもすすめたけれど断られた。
いま世間は断食月(ラマダン。トルコ語でラマザン)。何かの理由で断食をしない日でも周りの断食してる人に配慮して人前では飲食しないように気をつけるのだという。
ということは、(日焼け対策およびコスプレ心により)スカーフを被っておきながら人前で飲食するわたしはつまり見た目上……。
「悪いムスリムです」
まことに申し訳ありませんでした。以後、スカーフスタイルをやや工夫してムスリムに見えないよう気をつけるようになった。

はい、この人が悪いムスリムです。今後イスラム教がメジャーな国にラマダン中に旅行するときはガチのスカーフ姿になるのは控えようと思った。いかにも異教徒の観光客らしくふわっと使おう。もししっかり巻くならイスラム教の戒律を意識して行動しよう……。後ろはアタチュルク廟です。

ショッピングモールへ連れて行ってもらってワンピースと下着を買ったあと、バスでアンカラ郊外のエセンボア空港に向かった。空港からカッパドキアに向かうのだ。飛行機ではなくて、レンタカーで。

この日記の中にあるリンクを経由してamazonでお買い物していただくと筆者が国際的に通用するジョークを身につける手助けになります

半分妄想トルコ日記(3日目・前編)イルハンに口説かれる

朝食付きなのかどうかフレディに聞き忘れていたけれど、ここはトルコだから朝食付きが普通だろう。なければ朝食を食べられる場所を教えてもらおう。そう思って一階に下りると喫茶スペースの奥の厨房でヒジャブをつけた女性が野菜を切っていた。
「おはようございます」
トルコ語で言ってみると、にっこり笑って「おはようございます」と返事をしてくれた。
「朝食はありますか?」
「はい、はい、どうぞお召し上がりください」
まだ準備中という雰囲気のカウンターからサラダとチーズと果物を取って席につくと、彼女はパンとゆで卵を持ってきてくれた。
「アフィエットオースン(どうぞお召し上がりください)」

昨日のおじいさんが来たので挨拶をした。彼はイルハンと名乗った。わたしも名乗ったが発音しにくいそうで「よし、きみは今日からエミネだ!」勝手に名付けられてしまった。
会話をしよう、とイルハン氏は言った。トルコ語とGoogle翻訳でわたしたちはたどたどしい会話をした。
どこから来たのか。結婚しているか。空手はできるか。
わたしが食事を終えると彼はトルココーヒーを持ってきてくれた。

「いつまでアンカラにいるんだ」
「今日はどこに行くんだ」
「今夜はアンカラにいるかい?」
「このホテルに?」
「カッパドキアに行くのか? またアンカラに戻ってくるのかい」

感じのいいひとなのだが、やけにわたしの旅程を知りたがる。
案内してあげる、一緒に出かけよう、と言っているようだった。
なんだかおかしいな、と思っていると、
「電話番号を教えてほしい」
と言われた。イルハン氏はホテルのカードに自分の電話番号を書いてわたしに差し出した。

おっと。これはホテルの従業員としてやっちゃだめなやつなんじゃないですかね。たとえ下心がなくても。親切心だったとしても。

「いまこの番号をその携帯に登録してくれよ」
イルハン氏は身振りを交えてそう言う。

わたしはGoogle翻訳に「わたしのボーイフレンドが嫉妬するかもしれません」と打って見せた。日本のおじいさんたちなら「おいおい、誤解しないでくれよ、そういうつもりじゃなかったんだ。おっちゃんが悪かったよ。こいつは、まいったなあ……」と笑ってごまかすところだ。

イルハン氏は、
「男? 昨夜ここまで送ってきたあの男か。あああ……」
露骨に残念そうな顔をした。

不穏な空気を感じたので、部屋に戻って急いで荷物をまとめた。フレディに「問題が発生したので予定より早めに来てください」とメッセージを送った。

早朝。部屋からの眺め。

突然部屋のドアがノックされた。ちゃんと鍵をかけていただろうか。ドアには覗き穴がない。掃除に来たのなら掃除だと声がかかるはずだ。ここは三階。わたしは引きずりそうなマキシ丈のワンピースを着ている。どうする。ドアに近づき、様子をうかがった。物音はない。静かにドアから離れた。
結局何も起きなかった。フレディから返信が来たのでエレベータで一階に降りた。
フロントはイルハンではなかった。推定50代前半の白髪混じりの男性が座っていた。
目が合うとバッチーンとウィンクを寄越した。

ほんとうに。
トルコのひとのそういうところは嫌いじゃないが、ほんとうにやめてほしい、今は。

「チェックアウトお願いします。友人が来るまでここのソファで待っててもいいですか」
「どうぞ」
彼は微笑んでホテルのカードを差し出した。恐る恐る受け取ったが携帯番号はなかった。うん、そうだよね、よかった。
イルハン氏はシフトを終えて帰る前にわたしに挨拶に来たのだろうか。出なくてよかった。

「ホテルの前に来ました。出てきていいですよ」
メッセージを読んで顔を上げると公園の向こうにフレディの姿が見えた。中まで来てくれるわけじゃないのか。安全には配慮してくれるが過保護ではない。甘えさせてくれる範囲があって、そこを踏み越えようとするとあっさり拒否される。

「朝食は食べましたか。今日は運転するので断食しないことにしました」
「あのね、話をきいてほしい。さっきメッセージしたことについて話させて」

朝から開いているカフェに入って、チャイと小さなお菓子を選んだ。
お菓子はすごく乾燥したスコーンみたいでかじるそばから崩れた。

フロントの老人に電話番号を渡されたことを言った。
「その男に何かされましたか」
「触られなかった。性的なことも言われなかった。番号渡されただけ。でも怖かったんだ。だって日本だと絶対ありえないよ」
「それはトルコでも普通ではありえないことです。ホテルの従業員は顧客に個人的な電話番号を渡したりしない。ただ君の選んだホテルは安いところだったから。残念ながら我が国では十分に教育が行き届いていない面があります」

日本では大概の安ホテルは単に古くて掃除が行き届いておらず隣の部屋の音が聞こえてくるだけだった。だけどトルコでは、というか知らない土地では、清潔や快適だけではなく安全のことも考えなくちゃいけないんだ……。
イスタンブルのホテルを選ぶときに「従業員に口説かれました」というレビューを読んだのに、まさか自分がアンカラに来てその当事者になるとは。

「君は誰にでも笑顔を見せすぎます。むやみに笑わないでください。この国の男たちは誤解します」

いやでも、相手が自分と同じくらいの年頃に見えたらそんなにフレンドリーにはしないよ。でもおじいさんだったから、警戒解除してしまったのだ。
市川ラクさんの『わたし今、トルコです。』「おじさんたちも現役です」って書いてあったけど、いま実感としてようやくわかったよ。おじいさんになっても引退しないんだな……。

<クリックorタップで拡大します>

(と、書きながら思ったけどトルコの人はわたしから見て大抵老けて見えるのでイルハンじいさんが実は50代半ば、チェックアウトのときのおじさんが40代だったりする可能性もなきにしもあらずだな?)

カッパドキアへ行った後アンカラへ再び戻ってきて同じホテルに泊まる予定だったんだけど、フレディはそれをキャンセルし、出張に来た人がよく泊まるという駅前の大きなホテルを予約した。
キャンセル料が必要かどうか聞いたら、フレディは必要ないと言った。本当に必要なかったのか彼が代わりに払ってくれたのかはわからない。

この日記の中にあるリンクを経由してamazonでお買い物していただくと筆者のヒットポイントが回復します

半分妄想トルコ日記 彼女はユキサン

「お祈りに行ってきます」
そう伝えるとユキサンは何度か聞き返した。
「あなた遊ぶ? 祈る? なんのため? いまから?」
「遊びではなく、お祈りです。我々は1日に5回祈ります。イスラム教徒だから。僕は昨日も祈りに行き、その間君は待っていました。覚えていますよね。いまから4回目です。わかりますか?」
「わかった! オーケー」

ユキサンは駅舎の前の階段に腰を下ろし、買ったばかりのスィミットを持ったまま踊るようにひらひらと手を振った。大学時代、生物学を研究する友人があんな生き物を下宿に連れ帰って飼っていたと思い出す。赤ん坊の姿のまま成体になる桃色の両生類。
ユキサンは誰にでも笑顔を見せる。何もなくてもいつのまにか笑っている。自分の目には奇矯に映るけれども、日本では案外普通なのかもしれない。

モスクに入り、裏へ抜けて荷物からタブレットを取り出した。
「遅くなりました」
「蝶、残念な報告からだ。プジョーもルノーも用意できなかった。でもトヨタなら上等だよな?」
車の画像データが表示される。スワイプして車両部の行った「加工」の様子を確認する。後部座席を持ち上げれば中にひとが隠れられるようになっている。素人目には気づかない範囲の改造だ。
「問題ありません。一応トルコでは借りる車を選べないと事前に伝えてあります」
「念のため女は後部座席に乗せないように。復路は当然だが往路もだ」
「ええ、もちろんです」
「エセンボア空港のBレンタカー、担当者は首にフェネルバフチェのタオルをかけている男だ」
「了解。YHTは通常通り運行していますか」
「いまのところ異常なし。君たちの乗る便は既にホームに入っている。定刻に出発の予定だ」
「了解」

食料品店に寄ってユキサンの好みそうなジュースと菓子類を購入した。彼女は同じ場所に座っておとなしく待っていた。
待たせたことを詫びると得意げにトルコ語で
「さびしかった」
と言った。
スィミットの輪は齧られて四分の一ほどになっていた。

半分妄想トルコ日記(2日目・後編)巨大怪獣出現

ミニアチュルクという名前はミニアチュール(細密画)とかけているんだろうか。ミニアチュルクというのはトルコの有名な建造物をミニチュアで再現したテーマパークだ。イスタンブルにおける淡路ワールドパークONOKOROである。

ミニチュアだけどけっこう大きい。

電車まで時間があったので立ち寄ってみた。ここを勧めてくれたのもフレディ。正直、あまり興味はなかった(だって本物を見たことがないものに関しては再現度に感嘆できない)のだが、トルコならではの奇跡が起きていたので掌を返してみなさんに強くお勧めしたい。
トルコでは猫はどこにでも入り放題である。モスクはもちろんのこと博物館に入っていこうともつまみ出されることはない。

トルコ・イスラム美術博物館の猫

ミニアチュルクの中にも当然のごとく猫が歩き回っており、スルタンアフメットジャーミーに襲いかかる巨大怪獣(猫)や、カッパドキアの岩山をよじのぼる巨大怪獣(猫)などを見ることができるのである。猫がお好きなら、ぜひとも訪れていただきたい。(ただし猫のことなのであなたが行く日に偶然留守にしていたらごめんなさい)

ホテルに荷物を取りに戻ってからTCDDの駅に行った。駅前にはスィミット(ごまパン)や果物の屋台が出ている。

「トルコ語の練習をしましょう。あそこでスィミットが買えますよ。僕は座って待っています」

こちらへ来てからというもの、トルコの習慣(お客さんにはおごってあげる / 男性は女性におごってあげる)とフレディのホスピタリティにより常に食べ物を与えられている状態だった。自分で食料を調達していない。財布もほとんど開いていない。ここで逃げては駄目な人間になってしまう。更生プログラムだ。よし。

「通じましたか?」
「ビッターネ(1個)、スィミット(ごまパン)、リュットフェン(プリーズ)! ヤヌナダ(いっしょに)、ス(水)!」
「はは。素晴らしい」

スィミット。歯ごたえがあるので食べるのにけっこう時間がかかった。

フレディはお祈りに行き、ついでに電車の中で摂る夕食を買ってきてくれた。ジュースとチョコクロワッサンとチョコレートクッキー。サンドイッチみたいなものを買ってきてくれると想像したので、それ夕食っていうよりお菓子じゃん! と驚いた。トルコにはコンビニエンスストアがなく、かわりに欧米の映画で見るような小規模な食料品店がたくさんある。たぶんそういうところで手に入れてきてくれたんだろう。
パックされたサンドイッチがどこででも手に入るような日本がそもそも特殊なんだわ。台北のコンビニでもサンドイッチは少なかった。

鉄道のチケットを印刷していないんだけど大丈夫かと聞いたら、パスポートの番号でチェックインできるから大丈夫だと言われた。なるほど。そういえば二人分予約してもらうときにパスポート番号を聞かれたのだった。

高速鉄道YHTに乗り込む。フレディは窓側を譲ってくれた。
YHTはイスタンブル-アンカラ間を4時間37分で結ぶ。
「高速というには遅すぎませんか」
フレディはそう言ったけど、足元が広くて快適で何も不満がない。バスの場合もっと時間がかかるそうだ。モニターに地図が表示されておおよその現在地がわかるところもよかった。東京-岡山間の新幹線3時間半より短く感じた。運賃70リラ(1400円)。

今回の旅では、ホテル選びもフレディが全面的に協力してくれた。最初は自分で予約してみたりしたのだけれど、彼が悪いレビューを読んだと言うのでキャンセルした。確認するとたしかに「従業員に口説かれました」というようなレビューが入っていた。
「僕が電話で交渉します。君がそれを気に入ったらそのまま予約します」
そうなのか。ホテルって、値切れるものなのか。エクスペディアとかで割引してるとこを見つけて予約するから大丈夫だよいちいち交渉しなくても……と言おうかと思ったが、せっかくなのでお言葉に甘えた。
今夜アンカラで泊まる宿はできたばかりの小さなビジネスホテルだ。フレディが最初に見つけてきたホテルはゴージャスすぎるように見えて、もう少し安くていいよと言ったのだ。

フロントには愛想のいい白髪のおじいさんがいて、わたしがチェックインしたのを見届けてからフレディは家に帰った。(彼はアンカラ在住なのである)
カードキーだったイスタンブルのホテルと違い、こちらは昔ながらの鍵を渡された。開錠しようとしたらなかなか開かない。フロントに戻っておじいさんにGoogle翻訳で「鍵が開きません」を伝えた。おじいさんに見せてもらい、自分でもやってみる。開錠ができたら施錠も。カンフーマスターに教えを請う気持ちだ。わたしがコツをつかむのを見届けてからマスターはフロントへ戻っていった。
部屋にはエアコンがなかった。とはいえ夜は涼しいのでしばらく窓を開けておくことにした。
ルーク(1日目参照)にメッセージを送ったり、日本にいる母に無事を伝えたりしているうちにうとうとしてしまったけれど、おっとここは大都会、開けっ放しで寝るってわけにはいかないよねえ、と思ってきちんと窓を閉めた。

この日記の中にあるリンクを経由してamazonでお買い物していただくと筆者が「鍵が開きません」と伝えられるだけの語学力を身につける手助けになります

半分妄想トルコ日記 彼の名は蝶

 コードネーム蝶(ケレベッキ)は買ったばかりの緑色のシャツを洗濯機で回しながら一泊分の荷物をバックパックに詰めていった。一回洗濯したぐらいでは自然に着古したような風合いは出ないのだが、仕方がない。値札を切ったばかりのまっさらな状態よりはだいぶましだろう。現場の人間は普通こんな作業はしないものだが、彼は完璧を求めるタイプなのだ。人員削減の嵐が吹き荒れる中、それでも仕事の質にこだわっていた。

諜報員が任務に馴染むよう装備を整える。それが元々の彼の仕事だった。観光客を装ってリゾート地に潜伏させるなら色褪せた柄物のシャツにブラジル製のビーチサンダル。学会に紛れ込ませるなら野暮な眼鏡と肘にパッチを当てたジャケット。衣類だけではなく身分証、偽の家族写真、小道具としての新聞や雑誌、有名バクラヴァ専門店の箱と袋……。武器以外のたいていのものは用意する。事前調査、調達、場合によっては加工、修理、在庫管理、処分までを10人ほどで行う部署のチーフが彼だった。つい数ヶ月前までは。

二週間の休暇を申請した途端、普段は無表情な上司がにっこりと笑った。
「どこへ行くんだったかな」
「子供たちに会いに」
「極東の恋人にではなく?」
「なんのことでしょう」
「ボスフォラス海峡から君が電話した女性のことだよ」

イスタンブル出張のついでに何気なく乗ってみたクルーズ船を思い出した。秋の風に吹かれながら熱いチャイを飲んでいるといつになく浮かれた気分になって、日本に住む知人にビデオ通話を繋いでみたのだ。
パジャマ姿のまま、口元をサージカルマスクで覆って通話に出た女は小さな目を丸くして「ハーリカ(すばらしい)!」と何度も言った。

そうか、あれは「我々の」船だったのか。

「二週間の休暇はもちろん許可するよ。労働者の権利だからね。それからついでと言ってはなんだが、人事異動のしらせだ、蝶(ケレベッキ)」
「はい?」
「蝶。それが君のコードネームだよ。現場に出てほしいんだ。来週から訓練だ。おめでとう」

拒否するという選択肢はない。離れて暮らす3人の子供たちを高等教育に送り出さなければならない彼にとって、昇給と危険手当は魅力的でもあった。

「異動するんですね、チーフ」
部屋に戻るなり部下たちに取り囲まれた。
「なんで話が筒抜けなんだ。君たちが現場に行ったほうが向いてるんじゃないのか」
おどけて言ってみせたが、誰かが現場に回されるという噂はしばらく前からあったのだ。まさか四十近い自分が選ばれるとは思いもしなかったが。
古株のデニスが熱のある子供のように目を潤ませて静かに抱きついてきた。頭ひとつぶん背の高いデニスに分厚い胸板を押し付けられて息が止まりそうになる。

報道は決してされないが、組織の人間なら誰もが知っている。ほんの数年でどれほど多くの職員が殉職してきたか。あるいは再起不能の大怪我で引退を余儀なくされたか。
彼がなぜ選ばれたか、部下たちには理解できた。合理的な判断と的確な指示。誰に対しても声を荒げたことがない。何があっても決して顔色が変わらない。身体能力を除外すれば諜報員にとって重要な資質を備えているのが彼だった。新人時代、訓練中に腕を折らなければすぐさま現場に配属されていただろう。

半分妄想トルコ日記(2日目・前編)三食朝ごはん食べたい

トルコのホテルの朝ごはんは最高だ。
日本ではデパートのお高級食材店に並ぶようなチーズが何種類も何種類も並び、オリーブの漬け物もこれまた何種類も用意され、果物は缶詰ではなく生、ああジャムと蜂蜜は日本の朝食会場でもよく見るような小さなパックで並んでいるなあ、まあ種類は多いけど、と油断したらでっかいボウルからジャムと蜂蜜を山ほど取ることもできた。せっかくだからボウルのほうからジャムをすくってみたらンンヌヌヌヌヌッッポン! という感じで粘度がすごかった。すくったらすくったでおたまからなかなか落ちてこない。重力を信じて待たねばならぬ。焦ってはいけない。時間はたっぷりある。断食中のフレディは夜明け前に朝食をとっていまはまだ眠っているはずだ。

トルコではチーズは別に高級品ではないそうです。まじかよ。

ところでチャイと言われて何を思い浮かべるだろうか。インド料理店で出てくるスパイシーなミルクティを想像する方が多いのではないだろうか。トルコではチャイといえばストレートティだ。砂糖は山ほど入れていいがミルクは入れない。トルコのチャイの最大の特徴は、濃く煮出された紅茶を適宜お湯で薄めて好みの濃度にできる(してもらえる)こと。「ふつうに紅茶」などとちょっとがっかりしたニュアンスで言われることも多いようだがフレキシブルなところにトルコらしさを感じる。
朝食会場には特に説明もなくチャイサーバーが置いてあるのだが、初見では使い方がわからなかった。注ぎ口のふたつついた給湯器の片方が熱湯、片方が煮出した紅茶なのだ。はじめは濃すぎる紅茶の方だけ飲んで「トルコはなんでもかんでも濃厚だな〜」などと思っていた。

さて、本日の予定はボスフォラス・クルーズ。夕方トルコの国鉄TCDD(テージェーデーデー)の高速鉄道に乗って首都アンカラへ向かう。

イスタンブルという街はボスフォラス海峡を隔てて西と東に分かれていて、西側はヨーロッパ、東側はアジア。その海峡を船で渡るのがボスフォラス・クルーズだ。

あ、これはわたしが乗った船ではありません。

トルコに住むフレディと日本のわたしはメッセージでだいたいの時間を決めてからビデオなり音声なりで話をすることが多かった。たった一度、いきなり着信が入ったことがある。ビデオ通話で「いまヨーロッパとアジアの間にいるよ!」とパンして両岸を見せてくれた。映像が粗くてよくわからなかったけど、普段感情を表に出さないフレディが嬉しそうにしていたのが面白かった。わたしが船に乗ってみることにしたのは、フレディの強い勧めによるものだ。

舳先の方の席に座った。海の上は風が冷たくて、五分袖のシャツ、長ズボン、頭から肩までをストールで覆っているスタイルはちょうどよかった。
数日前に、
「トルコは寒暖差が激しいので長袖の上着を必ず持ってくるんですよ!」
とパーカの写真入りでリマインドしてくれたフレディ本人は半袖のポロシャツで震えている。

ドルマバフチェ宮殿、乙女の塔、ベイレルベイ宮殿など、美しい建築物や名所をつぎつぎに海から眺めたのだが、脳の情報処理が追いつかない。そこらへんの野犬でも買い物のレシートでもなんでもかんでも珍しいのだ。豪華な宮殿も瀟洒な別荘地もすごすぎてよくわからない。
デッキの手すりに寄りかかって歌う女性たち。チャイとジュースをお盆に載せたギャルソンが回ってくる。ヨーロッパから来た白髪の男性がチャイ一杯に100リラ(2000円)札を出そうとすると、ギャルソンは財布を覗き込んで10リラを指差し、おつりを用意する。こういうとこ親切だし案外怖くないぞ、イスタンブル。

前の晩、ショッピングモールのフードコートで食事をしながら「日本の父親は子育てをしない。母親にまかせきりだ」という話をした。トルコでは父親が幼い子どもの世話をしている姿を頻繁に目にする。

スクールゾーンの写真に写り込んだトルコのお父さんによる思い切りの良い高い高い

船には一組、日本語で話している家族がいて、息子たちふたりは疲労困憊したお母さんを捕まえてずっとおしゃべり、中村勘九郎似のお父さんは写真を撮るのに忙しかった。
iPhoneに「典型的な日本人家族です」と打ってフレディに見せたら苦笑していた。

ふいにフレディが
「もう二度と結婚することはないと思う」
と言った。

それがいいよ。わたしも一生結婚しないと思う。

この日記の中にあるリンクを経由してamazonでお買い物していただくと筆者がチーズや茶葉などを購入する手助けになります。

半分妄想トルコ日記 テロが怖いですか?


みなさんトルコのなにが怖いですか。テロリズムですか。
そもそも怖い前提で話を始めるのもどうかと思いますけど、だってみんなそういう反応したんだもん、わたしがトルコに行くって言い始めた頃。

できたてほやほやイスタンブル空港。

結論から言うと実際イスタンブルは東京より怖い。ただ、テロリズムはわたしにとっての差し迫った脅威ではなかった。
トルコ滞在中はセキュリティチェックが頻繁にあって鞄の上げ下ろしが忙しかった。美術館でもショッピングモールでも大きめのホテルでも、入り口にはセキュリティゲートがあり、ベルトコンベアに荷物を載せて自分もゲートをくぐる、空港で行うあの一連の動作を何度も繰り返さなければならない。
そして前回述べたように人の集まる場所にはマシンガンを持った警官がいたりする(仲間同士楽しそうに談笑しているので安全装置がちゃんとかかっているか心配にならないでもない)。
日本では考えられない、うんざりするほどの警備体制だ。
もちろん、それをもって「だから安心」ということはできないが、いちおう対策はしてくれているのである。

むしろわたしにとって恐ろしかったのは交通事情だ。横断歩道は少なく、道路の向こう側へ渡るタイミングは難しい。あちこちで絶え間なく鳴り響くクラクション。老いも若きも運転はワイルド極まりない。タクシー運転手は間違いなくあなたにジェットコースターに勝るとも劣らぬ最高のエンターテイメントを提供するでしょう。路線バスも同様なので覚悟しておいたほうがいい。

「イギリスに短期留学して帰ってきたらトルコ人の運転を怖いと感じるようになっていました」

そう語る友人の運転はというと、急ブレーキや無理な車線変更はないもののスピードはかなり出す。トルコは広いので法定速度を守っていては永遠に目的地に着かないのだ。

旅行保険、必要だな…って思った。

この日記の中にあるリンクを経由してamazonでお買い物していただくと筆者が上げ下ろし易い軽量バックパックなどを購入する手助けになります。

半分妄想トルコ日記(1日目・後編)ちょっと祈ってきます

Q. せっかくちゃんとしたスカーフを買ったのに、大判ストール巻いて武蔵坊弁慶スタイルを続けているの?

A. ええそうです。とりあえず初日はこれで我慢です。5泊6日あるので衣類のペース配分が大事なのです。

当初の予定では、ホテルに着いてすぐ、荷物だけ置いてカーリエ博物館(モザイクで有名)もしくはハマム(トルコ式岩盤浴&垢すり)に行くつもりだった。
が、空港からの移動で思ったより時間を使った上にエセンレル・オトガルのホシュゲルディニス攻撃に疲弊してしまったので、ホテルの周りを散策して友人の到着を待つことにした。
通りに面したオープンカフェ(と表現するしかないが全くもっておしゃれではない)は中高年男性の溜まり場で、なんか見慣れないのが歩いてるぞおいおいなんだありゃあ、という視線を感じる。

どうも。日本から来たおとなしい珍獣です。

歩き疲れてフレディに連絡を取ってみるとちょうどホテルに着いたと言うのでホテルまで戻る。

ホテルの前にモスグリーンのシャツを着た細身の男性が立っていた。フレディだ。先日ビデオ通話で話したときよりもさらに痩せて見える。いまは断食月の終盤なのだ。断食月、ラマダン。トルコ語でラマザン。日の出ている時間に飲食を一切控えるかわりに夜間に大量に食べるから、ひとによっては太ってしまうらしいのだが。
手に持っていたスマートフォンをポケットに収めた彼は、滑るような足取りで近づいてきて右手を差し出した。
「はじめまして」
そうだった。見慣れた顔、聞き慣れた声なので忘れそうになるが、わたしたちは直接会うのは初めてなのだ。
「カーリエ博物館には行きましたか」
「まだです。飛行機で疲れちゃって」
「少し休みますか。それとも出かけたいですか」
「出かけたいです!」

スルタンアフメットジャーミィ。工事のためのテントに元の建物の形が印刷してある。日本でも最近こういうのよくあるよね。

わたしたちはバスに乗って、スルタンアフメット地区へ向かった。
スルタンアフメット地区にはブルーモスクことスルタンアフメットジャーミィをはじめとしたイスタンブルの有名な観光地がぎっしりと集まっている。
観光客の多いモスクではヒジャブ(ヘッドスカーフ)を貸し出したりするものだが、スルタンアフメットジャーミィではヒジャブだけではなく丈の長いスカートも貸し出しており、短パンで来てしまったらしい旅行者風の少年たちがお揃いのスカートを履いて歩き回っていた。愛らしい。
細いスカーフを頭頂部に軽く載せただけの女性は入り口の警備員に注意されていたが、わたしは無印良品のストールを装備した武蔵坊弁慶なので心配はない。靴を脱ぎ、渡されたビニル袋に突っ込み、モスクの中へ入る。
きれい、だったと思うのだが、人が多すぎて感動している暇がない。大規模な改修工事中ということもあって、ゆっくりと鑑賞する雰囲気ではなかった。
あと、たいへん申し上げにくいのですが噂通りちょっと臭いです。わたしが清掃会社を所有する石油王なら(石油王ってなんでも持ってるんだよね?)絨毯のクリーニングを申し出るところだ。

フレディは突然「ちょっと祈ってきます」と言った。
「ご存じのように我々は1日5回お祈りを行います。少し離れますがどうしますか。ここで待っていてくれますか」
わたしは頷いて、いま出てきたジャーミィにまた戻っていくフレディの背中を見送った。
ラマザン中の夕食はピクニックをして楽しむ習慣があるらしい。芝生のあちこちに場所取りをしている人たちがいる。家族連れの間に荷物を降ろしてストレッチした。フライトの後は腰が痛い。

お祈りから戻ってきたフレディにオープンカフェで搾りたてのアップルジュースをおごってもらいながら(もちろん断食中のフレディは何も口に入れず側に座ってつきあってくれている)わたしはトルコにいることがまだなんとなく信じられなかった。
ついこの前までストリートビューの解像度に歯がゆい思いをしていたのに、いまは気になったものにどこまでも近づいていき、間近に見て手に触れることができる。触れる、ということがとにかく不思議だ。アップルジュースのぬるいグラスに触れて、いましがた握手した彼の手のしっとりとした冷たさを思い出した。

ちゃんと生搾りアップルジュースが出てくるとは思わなかったよ。

アヤソフィア博物館も改修中だったのだが、建物の中に足場が組んである様子を「鑑賞」しようと試みたら、なかなかおもしろかった。姫路城の改修のように上の方までエレベータで見学できたらいいのに。

ほらほら、足場に登りたくなるでしょう?

金色のモザイクは生で見るとまったく印象が違う。タイルの一枚一枚がこまかく光をばらまいて、印刷でもTVでもPCのディスプレイでも表現できない情報量だ。あちこちの壁に描かれた壁画が太陽の角度によってまったく別の表情を見せるかと思うと、ここを何度でも訪れることができるイスタンブル在住者が羨ましい。
ミュージアムショップのスタッフに「どちらから?」と聞かれて日本からだと言うと「お元気ですか?」という日本語が返ってきた。日本でトルコ出身者と話すときも度々思っていたけれど、トルコの人は “nasılsınız?” の訳語として「お元気ですか?」とよく言う。日本ではそれは久しぶりに会った人が言うやつなんだよ。そう思いながら「おかげさまで」と答えた。

土産物屋を眺めながら歩いていると、突然若い男がフレディに話しかけきた。フレディはそれを無視して歩調を速めた。あわててわたしもついていく。男はまだ話しかけながら追ってくる。
「ちょっと待って。何これ何これ」
「なんでもありません」
フレディが足を止め、トルコ語で男に向かって強めに何か言った。男は諦めて離れていった。
「なにあれ? あのひと何か売りつけようとしてたの?」
「あれは一種の物乞いです」
「外国人? 難民?」
「いいえ。言っていることが支離滅裂だったので、なんと言えばいいか、たとえばヘロインかコカインかMDMAか……」
「ジャンキー?」
「そう、それです」
スリや詐欺師や客引きが問題になる地区だけれど、薬物は予想外だった。
「なんて言って諦めさせたの?」
フレディは答えずに、
トルコ・イスラーム美術博物館に行きますよ。普段なら閉まっている時刻ですが開館時間延長中、しかもラマザン割でお得です」
と真顔で言った。

ジェッディン・デデン♪ ネースリン・ババン♪

外に出ると、人口密度のますます高まった広場でメフテル(トルコ軍楽隊)の演奏が行われていた。日程の関係上メフテルは聴けないだろうと諦めていたのに、とつぜん夢が叶ってしまった。

わたしたちは大きなマシンガンを抱えた警官が警備する広場を抜けて、ショッピングモールで夕食を摂り、ホテルに戻った。

それにしてもあの男が精神疾患ではなく薬物中毒だということを、フレディはどこから判断したのだろうか。

この日記の中にあるリンクを経由してamazonでお買い物していただくと筆者がトルコ語の教材やアップルジュースなどを購入する手助けになります。

半分妄想トルコ日記(1日目・前編)武蔵坊弁慶イスタンブルに参上

「ホシュゲルディニス!」
「ホシュゲルディニス!!」
「アンカラ? アンカラ?」

空港からのバスを降りた瞬間、タクシードライバーたちが口々に叫びながら追いかけてきた。スーツケースを引きずりながら無視して逃げる。無視しているのについてくる。ノーサンキューと言っても諦めないひとりには「マイフレンドが迎えに来るから」と言ってみた。通じたらしくようやく引き下がった。

エセンレル・オトガル。イスタンブルの主要なバスターミナルのひとつだ。
『地球の歩き方』およびインターネットで読めるいくつかのトルコ旅行記によるとここから地下鉄に乗り換えられるはずなのだ。
なのにいちばん近い階段には「○○商店街。メトロはこちらではありません」みたいなことが書いてある(ような気がする)。わたしのトルコ語レベルは2歳児ほどだ。「こんにちは」「ありがとう」「みず」「りんごジュース」「さびしかった」などが言える。1年勉強して2歳児ぐらい話せるのだから偉いと思う。普通2歳児は字が読めないはずだ。わたしはほんの少し読める。3歳かもしれない。ともかく地下鉄がここじゃないことは察した。偉い。偉いぞ。

ギラついた視線のおっちゃんたちに関わりたくないので女性の集団に声をかけて「メトロはどこですか」と聞いてみるものの、地方から遊びに来た若い女の子たちだったようで「キャハハ! うちらも旅行できてるからわかんないんだよね!」という反応で、楽しそうに通り過ぎて行った。
なんだかもう、声をかける相手を決めるだけで体力を消耗してしまう。
初夏とは思えない本気の日差しに腕も首筋もじりじりと炙られている。食堂の店先で焼かれるドネルケバブの気持ちがわかる。オトガルのドネルケバブ屋が「いらっしゃいませどうぞ!」とわたしに向かって叫んでいるような気がするが全て無視する。喉乾いたな。なんとか日陰に入って手持ちのストールを被った。なんだよヒジャブ(イスラム教の女性が頭に巻くヘッドスカーフ)って実用品じゃないか。楽だ。これで砂漠でも戦える。

(のちに知ったことだがトルコは乾燥しているものの “砂漠” はないらしい。むしろ中東にあって緑豊かな土地である)

一旦落ち着いたので、荷物貼り付けられていた「イスタンブル新空港行き」のタグとシールをむしり取った。そうだ。これが「いま飛行機から降りてまいりました!」というアピールになってしまうのだ。空港から来たばかりの客は物価を知らない格好の鴨と判断されてしまう。ところで鴨ってハラールだろうか。

トルコには連絡を取り合っている相手がふたりいて、ひとりは午後から合流する旅のパートナー、会計士のフレディ、もうひとりはゲーム会社勤務のルーク。彼らの名前がヨーロッパ風なのはこの日記がプライバシーに配慮しているからで、本名はちゃんとトルコの名前だ。予定ではフレディはいまバスでイスタンブルに向かっていることになる。ルークには今回の旅で会う予定はなかったのだが、いつも異様に返信が早いので試しにメールしてみた。

「ハーイ、ルーク。げんき? いまエセンレル・オトガルに着いたんだけど、地下鉄の入り口が見つからないんだ。知ってる?」

10分ほど待ったが返信がない。
諦めて、目を皿のようにしてロータリーになったバスターミナルをぐるりと取り囲む建物に取り付けられた看板を端から端から読んでみようと試みた。
馬蹄型になった建物のいちばん端に「メトロ」「イスタシヨン(駅)」と書いてあった。

地下鉄でホテルへ向かう。
トルコの公共交通機関は、基本的に運賃先払いだ。地下鉄の改札でイスタンブルカード(イスタンブル地域限定ICカード)をタッチして、ロックが解除されたバーをぐるっと回しながら改札を通過する。スーツケースの持ち手がバーにひっかかって外れなくなり「まじかよ…」とつぶやいていたら後ろからきた初老のベーシスト風男性が「大丈夫大丈夫」というジェスチャーをして同じゲートにタッチしてくれた。やさしい。
コロコロ付きスーツケースは空港内の移動には便利だけれど、石畳や段差の多いトルコの街ではなかなか過酷だった。即席ヒジャブ(無印良品のストール)の中で汗をだらだら流しながらしばらく歩き回っているうちに、事前にGoogleのストリートビューで予習しておいた景色に出会った。服や靴の店が多いにぎやかな通りだ。
まずはトルコ旅行の必需品、スカーフを手に入れなければならない。いつなんどき素敵なモスクに出会ってもいいように。モスクでは女性はヒジャブを被るのがマナーなのだ。(ちなみに、主要な観光地のモスクではスカーフの無料貸し出しを行っているので持参しなくても問題はない)
いま頭にのせているストールはヘッドスカーフとして身につけるには大きすぎるのだ。まるっとボリューミーで武蔵坊弁慶ぽさが出てしまっている。

ストリートビューで目をつけていたスカーフショップ、スタッフは若い女性たちだった。彼女たち自身もヒジャブを巻いて長袖の服を着ている。綿か麻を出してと伝えたかったが、麻という単語を知らない。綿はノーベル賞作家の苗字と同じだから覚えていた。一枚だけ選んでレジをお願いしたら、ちょっとがっかりさせてしまったようだ。ええ、わかります。せっかく遠くから来たんだからいっぱい買うと思うよね。ごめん、今日はまだ1日目だから買い物は様子見なんだ。

ホテルに到着し、予約してくれたフレディの名前を言ってチェックインした。聞き取ってもらえるまで3回くらい言わねばならなかった。まだ正午にもなっていないが、追加料金もかからずチェックインできてしまうらしい。さすがホスピタリティの国トルコである。
カードキーとWi-Fiパスワードをもらい、ポーターに荷物を運んでもらう。
誰かが荷物を運んでくれるホテルというものに普段泊まらないので緊張してしまいエレベータの中で「いまチェックインできると思わなかったです!だってチェックインの開始時刻よりだいぶ早いでしょう?」と英語で言ったつもりだったけど、いまいち通じなかった。英語が苦手なひとなのかわたしの英語が下手なのか。たぶん両方だ。
ポーターはざっくりと(いちおう英語で)部屋の説明をしてくれた。チップは渡しそびれた。

荷物を簡単に詰め替え、武蔵坊弁慶を巻き直して散歩に出た。日傘や帽子を持ってきていないわけではない。こんなに燦々と降り注ぐ日差しの中で帽子や日傘を使うひとにひとりも遭遇しなかったので、なんとなく使いたくなくなったのだ。せっかくのトルコなのだし、ヒジャブを活用しましょうヒジャブを。トルコ人たちは突然の武蔵坊弁慶出現に全然落ち着かないかもしれないが、いい。太陽が眩しかったから仕方がない。

1日目・後編へつづきます)

この日記の中にあるリンクを経由してamazonでお買い物していただくと筆者が最新のガイドブックや日焼け止めなどを購入する手助けになります。