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半分妄想トルコ日記(最終日)空港のお菓子が高すぎて泣き止む

毎日宿泊先が変わったので、一泊目と同じホテルなのに朝食会場がどこか忘れてしまった。
一階に降りるとレストランは閉まっている。
フロントの男性にトルコ語で「朝食会場どこですか?」と尋ねて教えてもらい「オーケー、ありがとう」もトルコ語で言ったら爆笑されてしまった。見覚えのあるアジア人がいつの間にかトルコ語しゃべるようになってるのも朝食会場わかんなくなってるのも面白いよね、そうよね。ホテルの従業員としてはカジュアルかつちょっと失礼だけどそういうとこ嫌いじゃないわ。

最上階のレストランに行って、窓辺の席で朝食をとった。

朝食においしいチーズが食べられる生活が今日で終わるだなんて。

朝食ビュッフェの料理を補充したりテーブルを片付けたりするのは学生アルバイトのように見える若い子たちで、ひとりは廊下の椅子で居眠りしていた。うん、そういうとこも好き。仕事を与えられたからといって頑張りすぎないとこ大好きよ。

ホテルの仰々しい内装を名残惜しく思いながらチェックアウトして、ロビーでフレディを待った。
エセンレル・オトガルに行くとケバブ屋の店員だか客だかわからない男たちから「ハロゥ、アンニョンハセヨ、ダバイダバーイ」とユニバーサルデザインを心がけたみたいなキャットコールを受けた。やはりエセンレル・オトガルはわたしにとって鬼門だ。
後にルークから「エセンレル・オトガルのドキュメンタリー観たんだけど、地下でドラッグの売買が行われてるんだってさ! 俺も知らなかったんだよ! あそこはヤバすぎ。もっと早く教えてあげられればよかったんだけど!」という連絡が入った。『地球の歩き方』はイスタンブル新空港の情報が載ったものが近く発売されるはずですが、新しい版にはよく目立つように警告が書いてあるといいな……。エセンレル・オトガルからバスに乗るのはいいが、地下には絶対降りるな、と。

空港行きのバス(Havaist)はクレジットカードで運賃を支払うことができた。
実は初日に空港のATMで四苦八苦しながらお金を引き出したんだけど、そんなことする必要なかったかもな……。クレジットカードでバス代を払って、レートがいいと評判のグランド・バザールの両替屋に直接行ってもよかったかもしれない。
バスの運転手さんにトルコ語でお礼を言ったらほめてくれた。

イスタンブルは、のんびりとした休日の朝。
バスに揺られながらわたしはいつのまにか泣いていた。
まだ日本に帰りたくない。
わたしはうんざりするまでトルコにいるべきだ。

「なんで泣いてるのってなんで聞いてくれないの?」
「泣いていたんですか」
「泣いてるよ」
「なんで泣いてるんですか」
「離れたくないから」

フレディは、バスが非常にゆっくりと進むのを気にしていた。渋滞はないけど、とってもゆっくり。

「空港で買い物をする時間がないかもしれない」
「いいよ。わたしはひとりで買い物できるから。先に行って」

泣きすぎて頭がくらくらしてきた。
脱水症状だ。ポカリスエットを飲まなきゃ。ポカリスエットってトルコではどこで買えるの?

「君にお菓子を買ってあげたかったのに……」

ああ、そうか。
このひと、昨日わたしが多めに出した分、お土産で返そうとしてくれてたんだ。律儀だ。
律儀さに感動してまた泣いた。ひどい顔になってると思うけど、もういい。

空港に着いて、ありがとう、すごく楽しかった、帰りたくないけど帰るね、と伝えて握手をした。
「もう行って。先に行って。これ以上泣きたくない」
フレディは父親のように微笑んで国内線ロビーに向かっていった。

わたしは空港のソファでしばらくの間ぐったりと休み、シンガポール航空のチェックインカウンターに進んだ。
男性スタッフはどう見てもトルコ人(もしくはヨーロッパ人)だけど、航空会社の方針なのか、目が合った瞬間にっこりと微笑んで話しかけてくれる接客だった。YouTubeで見たアメリカのスターバックスのような、日本の百貨店のような。空港はもうトルコの外なんだな。

通路側と窓側どちらがいいか尋ねられ、ちょっと考えていたら、
「景色が見たい?」
と彼は言った。

そうだ。わたしは景色が見たい。
臙脂色の屋根の並ぶ景色を見たい。
金角湾が見たい。
モスクの尖塔が見たい。
本物のトルコをミニアトゥルクのサイズで見てみたい。

「OK。イスタンブルからチャンギ、チャンギから関空、両方とも窓側をお取りしますね」

空港内の免税店は値札がいちいちユーロだった。財布に残っているのはトルコリラ。リラ払いも言えばできるのかもしれないが、お釣りは使うあてのないユーロで受け取ることになるのかな……。まあここは普通カードで買い物だろう。いやしかし、かなりお高い。感覚として日本のお土産の2倍か3倍くらいの値段が設定されている。
ロクム(ターキッシュ・ディライト)を試食してみたら結構おいしかったのだけれど、粉があるから職場で食べるお菓子には向かない。チョコレートはシンガポール滞在中に溶けないかやや心配だ。冷房が効いているから大丈夫とは思うけど。

ゆっくりと悩んで、結局エルマ・チャイの素とチョコレートを買った。「エルマ・チャイ」は直訳するとアップルティー。紅茶に香りをつけたアップルティーではなく、紅茶成分ゼロの実質りんごジュースだ。トルコではそれをエルマ・チャイと呼ぶ。

ふらふらと搭乗口に向かい、時間が過ぎるのを待ち、飛行機に乗り込んだ。土産物を吟味していたから涙は止まっていたけど、水分が足りなくて気分が悪い。
機内で白湯がほしいなと思いながら「水をください」と言ったらちゃんと白湯が出てきた。無意識のうちに “hot water” と言ったのだろうか。それともわたしの顔が青ざめていたからCAさんが東洋医学的な配慮で白湯にしてくれたのだろうか。
先日何気なく鞄に入れて取っておいたPide by Pideの塩を舐め、白湯を飲んだ。

そして関西国際空港に帰ってきました。

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半分妄想トルコ日記(5日目・後編)言い値で買うことは許されません

ラマザン(英語だとラマダン)は終わった。いまはバイラム(ラマザン後の祝祭)。バスやら電車やらほとんど無料になっていて、チャージしていない空っぽのイスタンブルカード(イスタンブル専用ICカード)をかざして乗車することができた。(じゃあカードかざす必要なくない?)

フレディに、エジプシャン・バザールに連れて行ってほしいと頼んだ。残念ながらバイラム中はアーケードは閉店、ただし周辺にわずかに開いている店もあり、買い物する人でごった返していた。

「何が買いたいのですか?」
「石鹸が3つ、スカーフが3枚、お菓子を2箱、あとバラ水を1本か2本買いたいの」
フレディはとても真剣な顔で、
「バザールで買い物をするなら我々はトルコ式に交渉しなければなりません。値切らずに買うことは許されません
と言い出した。
「君が行くと観光客用の値段をふっかけられます。私が交渉しますから君は後ろにいてください。欲しそうな顔するの禁止です。笑うのも禁止です

なんだろう。許されないとはなんだろう。
たしかにガイドブックやらブログやら読んでもそんな風に書いてあるけど。わたしが損をするだけではなくお店の人にもすごく失礼みたいな感じなのかな。よくわからない。
ともあれフレディとわたしは化粧品やスパイスを扱う店を回り、わたしはサングラスをかけ眉間に皺を作って日本語でちょっとした悪態を(標準語だと日本語のわかる店員さんだったとき申し訳ないので岡山弁で)吐いたりして、数百円値切ることに成功した。これはけっこう楽しかった。
また再訪するとして、ひとりで同じように交渉できる自信はないんだけど、今度は安くしてもらった後に握手して「ありがとう友よ!!」みたいなトルコっぽいやりとりをしてみたいな。(君はまたそんな! この国の男は誤解します! とフレディに叱られるかもしれない。女性の店員さんが増えますように)

「でも、いいんですか。さっきの店員が、日本でも同じバラ水を売ってるって言ってましたよ」
「値段がぜんっぜんちがうの! 日本では高くて気軽に買えないんだよ」
石鹸とバラ水は手に入ったものの、お菓子はまだだ。最終的に空港で買うという手もあるし(と思ったのはかなりの誤算だった。後述します)ひとまずスカーフか。
「スカーフはどこで買えるかな。ホテルの近くにいいお店があったんだけど」
「おそらくそこもバイラムで休業です。ショッピングモールに行きましょう」

2日目に夕食を食べに行ったショッピングモールで、安くなっていた秋冬物のスカーフを何枚か選んだ。1枚20リラ(400円)くらい。日本人の感覚では1枚3000円くらいしそうに見える。物価の差と需要の差によってスカーフはものすごくお得。カパル(イスラム教の戒律に従ってヒジャブで髪を隠している女性)のひとにとってスカーフは消耗品なのだ。

いつもあなたが行くようなとこで食事がしたい、と旅行前から言っていたこともあり、この旅の最後の夕食もショッピングモールだった。いま思えばロカンタ(ずらっと並んでるなかから食べたいおかずを選んでよそってもらって会計する讃岐うどん的システムの大衆食堂)にも行きたいって言っておけばよかった。

相変わらずすべてにおいて量が多い。

彼は基本的には「赤い肉(牛、羊など)」が嫌いで、チキンをこよなく愛する。兵役を経験したひとにそんなこと言われると恐ろしいトラウマを想像してしまうが、子供の頃からの食わず嫌いのようだった。ここのチキンはフレディのおすすめ。ぱさつきのない、しっとりふっくらしたチキンだった。ペンネは薄味だったので塩を振った。

「まだそんなに遅くない時間ですけど、どこか行きたい場所はありますか」
「パブに行っていっしょにビール飲もう!」(注:半分くらい本気)
「ハハハ。だめです
「そうだよね、フレディは煙草も吸わないしぃ、お酒も飲まないしぃ」
「つまらない人間でしょう?」
「だが、そこがいい!」

結局わたしたちは少し散歩して、公園のベンチに腰掛けて翌日の集合時刻を確認した。フレディは国内線で親戚の家へ向かうのだ。わたしは昼過ぎの国際線に乗ってシンガポールを経由し、日本に帰る。

「新空港からエセンレル・オトガル(エセンレルのバスターミナル)までどのくらいかかったか覚えていますか」
「覚えてないけど、どこかにメモしたよ。ちょっと待ってね、えっと……30分」
「すばらしい」

こういうのはトルコの人がイメージする「日本人らしさ」にあてはまるのかもしれない。ルークにわたしが書いた旅程表を見せたら「日本人だね〜!」と大受けだった。

英語は適当だけどわりと細かくやりたいことをあれこれ書いた旅程表

だってツアーなら旅行会社のひとが旅程表をくれるんだもの。わたしにとっては初めての海外への個人旅行なのだから、詳細な旅程表がないと不安に駆られるじゃないか。
訪れる予定のない地方を外して束ね直した地球の歩き方に旅程表を貼り付け、(いかにもガイドブックらしい表紙が見えないよう)わら半紙の表紙を付け、それとは別に薄いメモ帳も持っていった。
出発前に確認する持ち物リストと何日目に何を着るかの計画は地球の歩き方に貼り付けてある。
どうですかトルコのみなさん。日本人っぽいですか、この行動。

ホテルに戻って、部屋の前の廊下でお土産を交換した。
フレディは、シャルワルを3着もくれた。わたしがマベル・マティスのミュージックビデオ(下の動画をご参照ください)を送って「こういうトルコのお婆ちゃんみたいな服がほしいの!」と無茶を言ったから田舎に帰省した際に買っておいてくれたのだ。シャルワルというのはトルコの伝統的な作業ズボン、いわばもんぺである。たぶんサルエルパンツの語源なんだと思う。布をたっぷり使って大きめに作ってあるのでサラッとして日本の夏にとてもいい。足を開いて座るのに適した服で、ソファなどにドーンと座ってもどことなく優雅に見える。
わたしは日本の文房具やてぬぐいを渡した。離れて暮らすお子さんがいるのを知っていたらポケモングッズでも持ってきたのに。

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半分妄想トルコ日記(5日目・前編)憧れのトルコ航空

アンカラ駅前のホテル。朝食ビュッフェがまたしてもすばらしかった。イスタンブルやカッパドキアでは屋上や上層階を朝食会場にして景色を見せることが多いようだけど、ここではよく手入れされた中庭が見える。そうよね、首都は風景では古都イスタンブルに敵わないもんね。
ギャルソンに声をかけて「朝ごはんおいしかったです!」と伝えた。少し話して、とてもいい笑顔で「ギュレギュレ(さようなら)」と送り出してくれた。「ギュレギュレ」は見送る側の挨拶で「ホシュチャカル」が旅立つ側の挨拶なんだけど、つられて「ギュレギュレ」と言ってしまった。「ギュレギュレ」って言いやすい。元々の意味は「笑って笑って」だそうです。笑顔でさようなら。

フレディはレンタカーでホテル前に現れた。もう返した後かと思ったけれど、今日これから空港に向かい、空港で返却するのだそうだ。レンタル期間の割に(自分でインターネットで調べた場合より)レンタカー代が安い。フレディ、交渉したのか。それとも割り勘にしてくれたのか。立て替えてもらっていたお金はキリのいい枚数にして返したけど案外すっと受け取ってもらえたのは彼の出費が実際もっと大きかったからだろう。
本日の予定は、わずか50分のフライトでアンカラのエセンボア空港からイスタンブルのサビハ・ギョクチェン空港に飛び、イスタンブルで1日過ごすこと。フレディは(プリンスィズ諸島)に行こうと言ったが、「日本にはオミヤゲと言って旅先で買ったギフトを友人や職場の人や親戚に配る習慣があるので今日はそれを手に入れねばならない」と説明してお土産購入を手伝ってもらうことになった。

エセンボア空港では機内持込手荷物の中に入れていた小型の鋏を没収された。トルコの国内線は鋏がだめなのだそう。髭剃り用の剃刀なんかは大丈夫。でも鋏は、どんなに小さくたってだめ。
中央アジア回ってトルコに来て、ウズベキスタン土産のきれいなコウノトリの鋏をうっかり機内持込手荷物に入れて没収されて泣いたひと絶対いると思う。そのひとよりはましだ。傷は浅いぞ。そうは思っても地味につらくて、あとでフレディに当たり散らした。

ところで、突然話は変わりますが、トルコの人は嫉妬深いという説があります。たしかに、自分の観測範囲でも友人関係に関してすら嫉妬心を表明することがあるし、トルコ料理店の主人がライバル店の話をするときに明らかに対抗心を見せることもある。でもそれは本当に嫉妬しているのか、「嫉妬してしまうほどあなたのことが好き!」「うちに毎日でも来店してほしい!」というポライト・フィクション(社交辞令。礼儀としての嘘)なのか、よくわからない。どちらにしても嫉妬を受け止める側としてはめんどくさい。そんなコミュニケーション普段しないからリアクションの仕方がわからない。
それゆえに、昨晩ルークに会ったことをフレディに報告するときはちょっとした決心とともに告白したのだが、嫉妬も何もなく普通に受け止められてしまった。
「MADOなら僕が連れて行ってあげたのに! なぜそんな危険な真似を?」
くらい言われるかと思ってた。
身構えただけに、ちょっとさびしい。

たった50分間の国内線とはいえ、ターキッシュエアラインズに乗ることができて幸せだ。切符はフレディが格安で見つけてくれた。さすがは地元民。自分では絶対に国内線を使うことは思いつかなかった。ターキッシュエアラインズの国際線はわたしには高級すぎる。東京からイスタンブルまでの直行便はあるけれども、航空券代だけでなく東京までの新幹線代が高い(と、ぼやいていたら2020年に関西国際空港からイスタンブルへの直行便が再開されるというニュースが)。

写真が微妙ですみません。ぬくぬくを察してください。

離陸して着陸するまで一瞬なのにちゃんと軽食がもらえた。しかもあったかい! 朝ごはんでお腹がいっぱいだったけど、せっかくなので半分くらいいただいた。めっちゃくちゃおいしい。

「おや、おしぼりが2つ付いてますね?」
「あれ? フレディのは1個なの?」
「彼(と、通り過ぎたCAの方にさっと視線を向けて)きっと日本人が好きなんですね」

ここでの「好き」はルークのようなイエローフィーバーという意味ではなく、客として扱いやすいから好き、というニュアンスだろう。日本人は記念に追加のおしぼりを欲しがるので予め二つ渡しておく、という作戦かもしれない。それならわたしに対しても大正解だ。日本のおしぼりは無香料のものが多いけれどターキッシュエアラインズのおしぼりは香料のいい匂いがする。トルコの香りだ。なんなら20個パックにして売ってほしい。(日本に帰ってから、職場のペン立てにこのおしぼりの空き袋だけを置いておいて疲れた時にスニッフィングしている。)
トルコ語と英語で書かれた機内誌 Sky life は東京・京都で開催される「トルコ至宝展」が特集されていて、フレディがCAさんに「もらっていいですか?」と声をかけて、ふたりとも持ち帰った。
「トルコ語を勉強してください。わたしも英語を勉強します」
いやいや、大学の授業は英語で受けてたくせに何をおっしゃいますやら。

サビハ・ギョクチェン空港に着いたらタラップを降りてバスに乗って空港の建物まで移動する方式だった。
季節も情景も違うけれど、

旅客機閉す秋風のアラブ服が最後  飯島晴子

という俳句を思い出した。

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半分妄想トルコ日記 彼の名は乾留液(カトラン)

乾留液(カトラン)と呼ばれる協力者は「手伝ってくれよ」と言った。ほとんど一日中狭いスペースに閉じ込められていたのだから無理もないが、あくびをしながらだるそうに手を伸ばす様子は4歳の息子が甘えるときの姿に重なってしまう。
手を貸して車から降ろすと、よろけることもなくきちんと自分の足で立っている。土砂降りに遭ったようなずぶ濡れだが脈拍は正常だ。顔色も悪くない。
鍵を渡して今夜は部屋で休むよう伝えると、なぜか彼は不服そうな顔をした。

翌朝、定刻に迎えに行くと乾留液は約束の時刻に駐車場に来ていなかった。念のため本部に簡潔に報告し、銃をいつでも抜けるようにして階段を上った。ドアをノックする。乾留液が水を要求したのと同じモールス信号のリズムで。
ドアが開いた。
素っ裸の乾留液が立っていた。
「出発の時間です。服を着てください」
「まだ乾いてなくて」

ムスリムは普通他人の前で全裸になることはない。だから他人の裸を見ることもない。ハマムの中でも腰にタオルを巻いたままだ。この男がそれを知らないとは思えない。過酷すぎる移送作戦に対する抗議のつもりなのだろうか。
両乳首、臍、性器。白い肌の上にピアスが輝いている。それを自慢したかったのか。驚かせたかったのか。なぜ私に。しかもわざわざ、今。

Maviの袋に新しい服があったでしょう? 3分待ちます」

ドアを閉めて駐車場に戻ると乾留液もすぐに階段を駆け下りてきた。シンプルな線でイスタンブルの観光名所が描かれたTシャツは彼にとてもよく似合っていたし、ジーンズのサイズもぴったりだ。部下の優秀さが誇らしい。

「悪かったよ」
「いいえ、問題ありません」
「ケレベッキ・ベイ(蝶さん)運転が丁寧だよな」
「乾留液。あなたが早く乗ってくれないととびきり乱暴な運転をしなければいけなくなります」

乾留液が握手を求めたので彼の手を握り、抱き寄せて、頬を合わせた。

彼はなぜか赤くなってそそくさとシートの下へ潜った。いまさら裸を恥じているのか。よくわからない男だ。

半分妄想トルコ日記(4日目・後編)逃げないトルコアイス

予定より早くアンカラに戻ってこれたので、思い切って本来なら会う予定はなかったゲーム会社勤務のルークにメッセージを送ってみた。夜食でもおごってもらおうと思って。(←トルコ滞在の副作用でおごられることに慣れてしまった)

彼は極東の文化が大好きだ。同業者として小島秀夫監督の動向をチェックしていたりする。プロジェクトを成功させたら韓国か日本に遊びに行きたいと言う。軽く「イエローフィーバー」を患っており、叶うことならアジア人女性を妻に、と夢見ている。が、彼とわたしは結構年齢も離れているし(ルークは20代である。)むずかしい関係になったりはしない。わたしは彼に東アジア文化をレクチャーするマスター・ヨーダだ。
ルークは生活感溢れる赤い車で現れて、挨拶もそこそこに
「日本のファッション大好き〜! そのパンツかっこいいねぇ〜!!」
と、わたしのお気に入りの森の動物さん刺繍入りサルエルパンツを褒めてくれた。さすが弟子。わしのもてなし方がわかっておる。
にぎやかな学生街のMADO(トルコの有名なスイーツ屋さん&カフェ。チェーン展開しててあちこちにある)でトルココーヒーとロクムをいただきながらひたすらだらだらしゃべるのは楽しかった。
「唇が日焼けしてつらい! 真っ赤だしガッサガサ!」「日本人はそういうの気にしすぎだよ」とか。
「日本の畳を買っていいか聞いたらママに大反対された」「かわりに畳と同じ素材のサンダル(=草履)はどう?」とか。
アンカラではアジア人女性との出会いは期待できないんだ、とルークはしょんぼり話していたけど、実際にカフェの中でわたしが唯一の(見た目でそうとわかる)東アジア人だった。なるほどなぁ。
何を話していても、ルークは目をキラキラさせて前のめりに聞いてくれるので、ちょっとだけ猫カフェの猫になった気持ちだ。うん、知ってる。君が平たい顔大好きなの知ってるよ。うんうん、好きなだけ見ればいいさ。
MADOを出て、種類の豊富なドンドゥルマ(トルコアイス)屋さんに行った(たぶんSimという店だと思う)。トルコアイスと言えばなかなか渡してくれないパフォーマンスを連想するが、地元の人が普段行く店ではパフォーマンス抜きですぐに受け取ることができる。パフォーマンスがうざいと感じるひともトルコアイスを諦めずに観光地からちょっと離れた場所でトライしてほしい。
どれにしようかだいぶ悩み、パイナップルとピスタチオのダブルを買ってもらった。選んだアイスの上からチョコレートをトロリとかけてナッツをまぶしてくれる。こんな食べ方初めて。ていうかそもそもドンドゥルマのダブルって初めてだ。日本人はトルコアイスが好きだけどフレーバーはヴァニラとチョコとストロベリーくらいしかないよ!! と鼻息荒く語ってしまった。

上がピスタチオ、下がパイナップル。

通りには露店がいくつか出ていて、記念に何かお土産を買ってあげると言うのでアクセサリーを選んだ。ブレスレットとアンクレット。
ホテルの前まで送ってもらい、再会を約束してハグして別れた。

翌朝、空港でフレディにもうひとりの友人に会ってきたという話をした。
危険なことをするなと言われるかと思ったけど、彼はただわたしのアンクレットを指差して、
「それ、こちらの言葉でhalhalと言います」
とだけ言った。

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半分妄想トルコ日記 俺は乾留液(カトラン)

シートの下に作られた灼熱の棺で俺はほとんど死んでいた。もうちょっとましな移送方法はなかったのか。もうちょっとましな細工ができなかったのか。それこそ身体中の血が乾留液(コールタール)のようにどろどろに固まってしまいそうだ。
ペットボトルの水は最初の一時間で飲みきってしまった。というか、うまく飲めなくて半分くらいこぼした。
一縷の望みをかけてシートを小突いた。一定のリズムで。モールス信号で “SU”。水。

「あれ何の音? うしろ何か聞こえる」
「整備不良かもしれませんね。しばらく様子をみましょう」

意識が遠のきかけた頃、嗄れた年寄りの声がした。誰か拾ったのか。蝶と年寄りが早口のトルコ語で世間話をして、突然水が一本投げ込まれた。車が止まって男が「じゃあ行くよ! 世話になったね! お嬢さんお元気で」と賑やかに言うのに紛れてキャップを開けた。こんどはこぼさないように。が、車が発進した瞬間に少しむせてしまった。

「また音!」
「妙ですね」
「トルコ、幽霊いる? イスラム教たましいどこ行く?」
「信仰について話すと長くなりますよ。日本はどうですか?」
「日本は幽霊たくさんいる! サダコ知ってる?」

日本人か。声が甲高いのはアジア系だろうとは思ったが。思うに助手席の楽しそうな女は移送作戦について知らされておらず、カモフラージュのために乗せられているのだ。呑気な顔をした観光客が乗っていれば警戒されることはないから。
しかし、それは必要な手間なのか。俺はそんなに重要人物だったろうか。いや、俺の持っている情報がいつの間にやら重要度を増したのかもしれない。
俺は単なる協力者だ。自分のしていることにどんな意味があるのかもわからず、物を運び、情報をかき集めてその対価を得てきた。あの蝶と呼ばれる諜報員だって似たようなものだろう。ひとつひとつの任務の内容は聞かされても、それが組織にとってあるいは国家においてどういう意味を持つのか把握することは難しい。

「フレディ! あれ何? 車とめる、警察かな?」
「よくあることです。君はなにも聞かれませんよ」

検問か。

「わたし心配しない」
「ええ、心配ありません。単なるセキュリティチェックです。大丈夫」

わざと声を大きくして俺に言ったようだ。気をつけろ、ということだろう。
車は速度を落としてやがて止まった。蝶が何か話しているようだ。

運転席側のドアが開いて、閉まる。次にトランクの開く音。
「これは女性の荷物?」「このバックパック以外は彼女のものです。もし彼女の荷物を開けるなら女性の担当者を」「いや、必要ない」バン、と衝撃が響いてトランクが閉じられた。

その後は緊張が解けて眠ってしまったのか本当に死にかけていたのか。蝶に頬を叩かれて気がつくと辺りは既に夜で、と思ったら薄暗いのは地下の駐車場にいたからだったが、時計を見ても実際に夜だ。自分の汗が目にしみて痛い。
蝶の手を借りて車を降りた。彼が力を込めるとき、細い腕にかすかに筋肉の線が浮き上がった。肘のあたりに手術痕らしきものが見える。俺はこの男の過去を聞いてみたい。

礼を言おうとしたら蝶は俺の手首を掴んだ。
ああ、そう来たか。
無事に逃がしてやるから感謝の気持ちは具体的に行動で示せよってことね。
兵役のある国では相手に不自由することがない。ここでもそうだ。
四角四面のこの男がそんなことを求めてくるとは思いもよらなかったが、俺の身体に触れてその気になったのかもしれない。
俺は汗でびしょ濡れの、ざくろのように赤い唇の、日に焼けた金髪の29歳。
来いよ。食いついてこい。張り裂けそうになるまで焦らしてやる。
薄闇の中、若草色の瞳を見つめた。

「どうしたんですか」
「は?」

蝶は俺の手に鍵を握らせた。

「部屋は4階です。階段を使うこと。明日は午前7時ちょうどにここへ来てください。空港に行って、そこから先は運転手が代わります」
「明日も俺は特別席か?」
「特別席? ええ。今日と同じです。無事に帰りたいならね」

半分妄想トルコ日記(4日目・中編)トゥズ湖、いかついSABON

トルコの旅も折り返し地点を過ぎた。
フレディの運転でアンカラまで帰って一泊、飛行機でイスタンブルに戻り一泊すれば、翌朝にはシンガポール経由日本行きのフライトが待っている。

カッパドキアからアンカラへの帰路、道路脇にポリタンクを持った白髪のおじいさんがいて、フレディは車を止め、彼を乗せた。いやちょっと待って。運転してくれているのはあなただけれど、そういうことをするなら何か説明がほしい。

「ガソリンがなくなったそうです。ガソリンスタンドまで行きます」

へえ、と思った。割とドライなこの人の、意外なトルコっぽさに驚いた。ふたりはトルコ語で何か話し合っていたけれど「タクシー」と言った気がしたから「帰りも頼めるかな?」「悪いが帰りはタクシーでも使ってくれ」だろうか。
「お嬢さん、お元気で!」というようなことを言って老爺は降りていった。
ガソリンスタンドはほんの10分ほどの距離だった。

トゥズ湖(塩湖)に立ち寄った。地面に貼られた巨大な鏡のようだ。
わたしは靴と靴下を脱いで塩水に浸かりに行き、フレディは待っていてくれた。足元の小石はたぶんぜんぶ塩の塊。足の裏のツボが刺激されてめちゃくちゃ痛い。
敬虔なムスリム女性は手首から先・足首から先・顔以外を見せてはいけないから、靴と靴下だけ脱いでドレスの裾が濡れるのもおかまいなしに塩水の中をずんずん進んでいく。

18:00頃。昼間見るとぜんぜん違う表情だと思います。

足を洗うシャワーはちゃんと男女別になっており有料、といっても入り口で1リラを払うだけだった。服が濡れて気持ち悪くて泣いている子供、それをあやす若いお母さん。
ふくらはぎから下をシャワーでざっと洗って手ぬぐいで拭く。手ぬぐいを用意しておいてよかった。靴が無印良品の撥水スニーカーなのも我ながらグッドチョイスだった。履き古したコンバースなら確実に泣いていた。
土産物屋は結構立派で、トゥズ湖の塩を使ったボディスクラブその他の化粧品、石鹸、塩そのものなどを売っていた。塩スクラブは半強制的にお試しさせてくれる。いわば店員がいかつい兄貴しかいないSABONだ。油断すると手のひらに塩を乗せられて「こすって、洗って!」とジェスチャーで示される。店内のPOPは主に中国語、それから韓国語。中国語と韓国語で話しかけられ、反応しないでいると最後に日本語が出てくる。日本語を上手に話す年かさの(といっても20代後半か30代前半に見える)店員は、日本人観光客が多かった時代から商売をやってる人なのかもしれない。スクラブは自分が普段使っているものの倍くらいの値段なのだが、使用感は以前オリーブオイルと粗塩で自作したものとほとんど変わらなかった。
(あ! いいこと思いついたんだけど! 荷物が重くなっても平気な人は記念にトゥズ湖で塩だけ買ってきてオイル類をエジプシャン・バザールで買って帰国してからスクラブやバスソルトを自作するといい思い出になるのではないでしょうか!)

アンカラについたのは夜の8時過ぎだったろうか。フレディはわたしをホテルに送り届けて家に帰った。首都の駅前のちゃんとしたホテルなので入り口にセキュリティゲートがあり、フロントは訛りの少ない英語を話す。「きれいなプーチン」とでも呼びたくなるような金髪で長身のポーターがわたしの荷物を運んだ。プーチンも流暢な英語だ。わたしはきっついトルコ語訛りの英語が好きなので「さすがー!」と思うと同時にすこしさびしい。2リラだったか3リラだったか財布にあった小銭をチップとして渡したんだけど、妙な顔をされたのでおそらく少なすぎたのだろう。2019年現在、ホテルのポーターに渡すチップは5リラくらいがいいようです(というのが友人の説だが地方やホテルのグレードにも関係するかもしれないし真偽のほどは不明)。

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半分妄想トルコ日記(4日目・前編)気球は上がらなかったけど

熱気球が上がるのは早朝だ。5時に起きて丘を登った。野良猫も野良犬も多い。野良猫はイスタンブルにもアンカラにもいたけど、ここにはけっこう大きい野良犬が何匹もいる。おとなしいけど触ってはいけません。猫もね。
しばらく待ったけれど、気球はひとつも見えない。
「今日は中止されたようです。いつもならこの時間は気球が見えますから。残念ですね」

カッパドキアの夜明け。西部劇のロケ地になることもあるらしい。

ひとりで来ているらしい東アジア系の女性がいたので声をかけたら日本人だった。二人の写真をフレディに撮ってもらい、彼女のiPhoneにAirDropで送った。きっと面白いひとなんだろうなという気がしたけれど連絡先は聞かなかった。あとで見返すとわたしも彼女もひどく眠そうな顔をしていて、どこか空気が似ている。学生時代は教室の隅で文庫本読んでたんだろうなって感じ。たとえるならば自分が中高一貫女子校の高校三年だったとき同じ部活に入ってきた中学一年生の、少しさびしそうでなんとなく気になっていたあの子(そんな事実はない)に再会したような気持ちだ。普段はそんなことしないけど、握手して別れた。
フレディが部屋に戻って仮眠を取る間、わたしは猫の写真を撮って回った。

猫に会うためにトルコに行く人も多いと思います。それは圧倒的に正しい。

朝食会場へ行く階段でアジア系の初老の男性に「日本からですか」と声を掛けられた。台湾のひとだった。
トルコに来る前に予習として見ていたYouTube動画で、周りにアジア系(中国人)がいるかどうか気にかけてる様子があって、わたしもアジア人の姿を探してしまうのかなーと思っていたけど、実際にそうだった。たぶん台湾のおじさんもわたしを見てアジアンレーダーが反応したのだろう。

トルコのお店や町の様子を知ったり持ち物を検討するにあたりこのヤモリさんという方の動画がいちばん役に立ったので個人旅行でトルコもしくは韓国を訪れる方には強く強くおすすめします。私小説的なダウナーな語りもすごくいい。去年の台北旅行ではウェットティッシュをあまり使わなかったのだが、動画を見て「やっぱり必要!」と思って買った。(でも張り切っていっぱい持ち込んだら5泊分としては多すぎて最終的にお土産を詰める隙間を作るためフレディに引き取ってもらった)
旅行終盤で猫写真を撮りたくなったのもヤモリさんの影響かもしれない。

ギョレメ屋外博物館で岩穴と岩穴と岩穴と岩穴の中に描かれたフレスコ画を見た後、車でいくつかの名所を回った。岩穴が多すぎて、観光客も多すぎて、結構疲れてしまった。「チャウシン」や「パシャバー」に行ったはずなのだが「岩だ」「穴だ」としか思えなくなって地名を確認していない。たいていの穴には自由に立ち入っていいので穴があったら入りたい人生を送ってきた人(わたし)にはぴったりだ。何も考えず登ったり潜ったりするのがけっこう楽しい。ただしわたしはここで体力を消耗しすぎて後に眩暈を起こします。

穴があったら入りたい気持ちが一生分満たされたのでこの先の人生は羞恥心のない人間として生きる。

昼食は少し遅めの午後2時半頃。アヴァノスという焼き物で有名な町の小さな食堂で。タルカンなどトルコのアーティストのミュージックビデオが流れていた。

この写真の左上の白いやつが感動的においしかったです。

何を食べてもおいしかったのだが、真っ白なヨーグルトソースの中に柑橘類のような果肉が入っていてその果肉部分にアルコールの刺激を感じる前菜的な何かがとてもおいしかった。あれはなんだったんだろう。葉っぱがわっしゃわっしゃしたサラダを食べるときはお箸がほしい。お箸は車に置いてきていた。残念。

フレディはお祈りに行き、わたしは食料品店でお菓子とジュースを買った。13歳ほどに見えるレジの少年は外国人への対応も慣れたもので電卓で値段を見せてくれた。彼は家の仕事を手伝っているのだろうか。流行のフェードカットだった。トルコではこのくらいの年頃の子供が整髪料を使った見事な髪型にしているのをよく見かけた。こちらでは普通なのかもしれないけれど、背伸びしているようでとてもかわいい。
焼き物はちらりと見るだけで買わず、集合場所に決めたマクドナルドの前に戻った。

アヴァノスの町の真ん中には橋が2本あって1本は吊り橋なのだが、そこを渡った後は平衡感覚がおかしくなり、地面が揺れ止まなくてしゃがみ込んだ。

海外旅行って、まあ一般的に生理をずらすことを考えるよね。
わたしも一応準備はしていた。中用量ピルをもらっておいたのに、血栓症のリスクおよび胃をやられる可能性を考えて結局飲まなかったのだ。飲まなくてもぎりぎりで回避できるほうに賭けた。博打が外れて予想よりも数日早く来た。

フレディは「こればかりはどうもしてあげられないので自力で頑張って!」を込めた目で待っている。

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半分妄想トルコ日記 俺は乾留液(カトラン)と呼ばれているらしい

かつてキリスト教徒を隠した奇岩地帯は今も隠れ住むのにちょうどいい場所だ。
外国人観光客が押し寄せては去っていくこの町では、誰もよそ者を気にかけない。俺はハニーブロンドをブルネットに染める必要もなく(というか元々この国には金髪の人間も結構いるし)Tシャツと短パンでホステルをはしごして過ごした。飯はうまいし空気もうまい。物価は安く酔っ払いは少ない。テロとも無縁の田舎だ。

いっそここらへんで土産物屋でもやって生きていけないかな。そんな妄想をし始めたころ「蝶(ケレベッキ)」と名乗る男から連絡が入った。「救援に向かう。無事に帰国できるようサポートする」と。

蝶は俺を街の中心のバス乗り場で拾い、安ホテルのひしめく坂道に車を停めた。
会ってみれば名前に反して地味な男だった。ここまでリアルな「一般市民」を用意できる組織だったとは。俺がいままで接触してきたトルコ側の担当者といえば筋骨隆々の軍人タイプかキャビンアテンダントのような背の高い美人と決まっていた。スパイ映画の幻想から自由になれよ、と思ったものだ。
蝶の緑色のポロシャツから伸びる細い腕。肘のあたりが日に焼けてほんのり赤いのは「残業続きの日々から解放されようやく休暇が始まりました!」という感じだ。いい。こういう普通のお父さんみたいなタイプ、俺は嫌いじゃないぞ。車に漂う甘ったるいチョコレートの匂いも悪くない。砂糖をこよなく愛するこの国の男たちが好きだ。かわいい。もう少し長居させてくれても俺は一向に構わないのに。

「ラマダン太鼓が聞こえたら座席の下に潜ってください。いったん降りられるのは首都についてから、夜の8時です」
「ラマダンに断食を体験できるなんて最高だよ」
「いいえ。水は用意してあります。イスラームの断食においては水すら口にしません」

にこりともせずに言った。なるほど。こういうところが組織の人間らしさか。

「国に戻ったら何がしたいですか」
「そういう元気づけるみたいな質問はやめてくれよ。俺は大丈夫だ。何も心配していない」

OK、と言って蝶は車から降り、坂道を登ってどこかへ消えた。

半分妄想トルコ日記(3日目・後編)レンタカーでカッパドキアへ


旅程を考えた当初は、夜行バスでカッパドキアに向かおうと思っていた。ラマダン後の休暇に帰省するひとたちがチケットを買うらしく、すべて売り切れで予約できなかった。その代わりにフレディが提案してくれたのがレンタカーだった。バスより早く、カッパドキアに着いてからの移動にも便利だ。

車に乗った途端、フレディは話しかけても答えてくれなくなった。

なんだ、これは、まずいやつか。
もしかして、だけど。夜行バスを取る方法だって本当はあったのに、敢えて二人きりになるレンタカーを選んだのではないか。
もしもわたしのからだが目当てなら。いままでいくらでもチャンスはあった。イスタンブルでは同じホテルに泊まったわけだし、何かと理由をつけてアンカラの自分の家に誘うこともできただろう。
どこかへ連れて行く必要があるのではないか。取引。人身売買。このままドナドナと海沿いまで運ばれて港湾倉庫で取引され石油産出国の富豪のドラ息子が寝転がって見るアジア人専門スナッフムービーに出演させられ最終的には地中海の魚の餌になるのではないか。え。でも地中海の魚の餌になるのよくない? なんておしゃれな最期……!
どうせ死ぬのなら奨学金を返済しなければよかった。あれはわたしが死んだらチャラになるはずだ。損をしてしまった。旅行保険の受取人、誰にしたんだっけ。殺人の場合は適用されるのか。いやこの場合きっと行方不明だから何年も支払われないのか。むしろ今ほしい。リラで払ってほしい。もうちょっと遊びたい。こんなことならハマム(トルコ式岩盤浴&垢すり)も体験すればよかった。最高級と名高いヒュッレム・スルタン・ハマムに行けるのなら成仏できる気がする。

などと想像を膨らませながら、カーステレオとiPhoneをBluetoothで繋いでお気に入りのターキッシュポップスをかけ、流れていく風景を楽しんだ。
フレディは運転が久しぶりだから無口になっているのだ。空港の駐車場を抜けたあたりで「集中させてくださいね」と切羽詰まった顔で言ったのでほんとうはわかっている。


İrem Dericiは”Ben tek siz hepiniz” っていう曲もすごく好きです。アゲアゲでなおかつめっちゃ中東っぽい!

それにしてもトルコは大きい。なんにもない大平原があるのがすごい。昭和時代の抗鬱剤の広告みたいな、だだっぴろい牧草地とそこにぽつんといる羊。そういう風景が実在する場所なのだ。
ガソリンスタンドに寄り、お祈りのためにモスクに寄り、また走った。標識には80という数字が見えたのだが、速度は120キロ出ていた。80というのは制限速度ではないのだろうか。周りの車も120キロか、もしくはもっと速い。

黄色い岩山が見えてくると興奮した。
「カッパドキア? もうカッパドキアなの?! 超かっこいい!」

ショッピングモールに入っているPide by Pideというピデ(トルコのピザ)やさん。一人分がでかい。

ショッピングモールで食事をしてからギョレメの町へ向かい、宿に到着した。いかにもカッパドキア! みたいな洞窟ホテルは満室だったので簡素なホステルだ(でも人気の観光地なのでそれなりのお値段がしてしまう)。駐車場らしい駐車場はなくて塀沿いギリギリに車をつけたけど、宿のスタッフが運転を代わってさらにギリッギリまで寄せた。まじかよ。他人の車なのにそんな思い切った真似を! みんな運転が下手なわけじゃなくて、単に荒いんだな、きっと。
(ところでカッパドキアと言ったりギョレメと言ったりしていますが、カッパドキアというのが奇岩地帯の名前、ギョレメはそのエリアの中にある町のひとつです)

「わたしは疲れているので休みますが、ひとりで出かけても大丈夫ですよ。この町は君の国と同じくらい安全です。明日の昼には再び車でアンカラに帰るので、夜のカッパドキアが見られるのはいまだけです」

水煙草の吸えるバーがあり、ライブハウスのようなところがあり、中華料理店まである。リゾート地だからなのか、なんとなくうきうきとした雰囲気が漂っていて祭の夜のようだ。断食月の夜だしそれが終われば祝日だし、すでにみんなお祭り気分なのかもしれない。少し散歩したら満足してしまって、部屋に帰って温度調節の難しいシャワーを浴びた。トイレは紙を流せないタイプ。角度の変わらないウォシュレットみたいなやつで洗い、紙で拭いて、拭いた紙は大きなゴミ箱に捨てる。洗面所の鏡に映る自分の顔がものすごく青く見えて、カッパドキアで殺された日本人女性がいたことを思い出した。

この日記の中にあるリンクを経由してamazonでお買い物していただくと筆者がターキッシュポップスを聴いてごきげんになります