ちかごろはほんとうにしょっちゅう高校の制服を着ていて目の前に本物の高校生が歩いていたりするとひやりとするものだが、他人はわたしの格好などさして気に留めてもいないものなのかもしれず。
河馬の仮面をかぶった恰幅のいい男。着物を着ている。近寄ってみると、恰幅がいいと見えたのはお腹まわりに詰め物をしているためらしい。手を突っ込む。掻き出す。砂がざらざらと落ちる。アスファルト色の砂だ。粒子が均一で細かいが砂鉄よりは粗い。
河馬男と一緒に走って逃げる。追いかけられる。なぜ追いかけられるのかよくわからない。なぜ逃げているのかわからない。物陰に身を潜めて、さっきの続きをする。残った砂をさらに掻き出すのだ。このあたりで、体型から周星馳だと気づく。
着いた先はバスセンター。香港へ飛べるだろうか。
投稿者「yukioi」のアーカイブ
終焉の見える化
ベッドという寝具は暗喩みたいにいきなり崖になっていて、愛されながら終わりに押しやられる。
ひとを殺しました
恋人に車を出してもらって、後部座席に死体。
当初わたしは名古屋まで、彼はさらに遠くまで行く予定だったが、わたしは高校の制服姿のままだったから、とても目立つ。殺害した女子高校生のものとカーディガンを取り替えてみるが、目立つことには大差ない。死後硬直によって彼女の腕がわたしの首にふれて動揺。そこらへんに捨てれば捕まる時期が早まるし、乗せたままでは腐り始める。結局わたしは死体を彼に押しつけ、ひとりで逃げる。
街角に、チンドン屋のような外国人パフォーマー。国籍も人種もさまざまであるようだ。はだけ気味の胸にいろいろな人物の顔をボタン状にペイントしてある。近隣に住む日本人の男から、この辺りにはいつも芸人がいるので、胸に描いてあるなかから気に入った顔を見つめてみるといい、と言われる。ボタン状のひとつ、歌舞伎のような顔を見つめてみると、「しらざあいってきかせやしょう――」流暢とは言いがたい日本語で語り始める。「どれも昔この国にあったものです」と日本人の男。選んだボタンによって「あかまきがみあおまきがみきまきがみ」「月月火水木金金」「はじめちょろちょろなかぱっぱ」誰も投げ銭をしないが、どうやって生計を立てているのだろう。
目立たない服装に着替え、ボストンバッグひとつ抱えて乗った特急列車。どこまで逃げても胸が苦しい。時効まで、あるいは残りの人生すべてを、こんな思いで過ごすのだろうか。隣の席に坊主頭の男が乗ってきて、いきなりわたしの膝に頭を乗せる。男はわたしの恋人だった。肩まであった髪をばっさり落としてきたのだ。名前を呼ぶとひとに知れるから、「おにいちゃん」と呼びかける。ごめんね、おにいちゃん、寝てていいよ、疲れたでしょう。わたしは恋人の頭を撫で、肩を撫で、巻き込んでしまったことを申し訳なく思う。
車掌が切符を確認するためにやってくる。手元には、昔風のパチンパチンやる鋏。前の席の家族連れの分とわたしたちの切符が混ざってしまって、分けようとしているうちにボストンバッグの中にそれが落ちた。中を見られた。乱雑に詰め込んだ衣類の間に不自然に札束が押し込んであったのだ。わたしはひとりで席を立って進行方向と逆に車両の中を移動。風呂、トイレなどがならんでいる。
突然甲板に出て、列車ではなく船に乗っていたことに気づく。
スティッキーかつディスガスティングなサムシング
そふとおんでまんどの世界にわたしという異物が紛れ込んでしまったのではないか。ならば申し訳ない。軽薄男にもまわりの男たちにも若いお嬢さんにも。こどもたちは死人のような顔色、土塀にうがたれた穴のような目、学校の中を走り回っている。人形劇、身体検査、賭場。非常口から外を見れば螺旋階段、たこ焼き屋やクレープ屋の雑居ビル、緑したたる山。試しに男の袖を引いてみる。現実さながらにいとも容易く手に入る。抱きしめる力はあるのに首から上になにも感じないのはなにゆえか。
顔が、ない。
晩夏の雪
被曝した初老の軍人ふたりが切腹する。
白い軍服だから海軍だ。
見守っていたのはそれぞれの妻。
妻たちの証言によってわたしはその様子を想像している。
これはわたしが見ている光景ではない、見たくないものは見ないことができる、腹圧ではみ出す腸や下血の様子をできるだけ見ないように、窓の方を向いている。
目の大きい、茶髪の、いかにも軽薄な、しかしいまどきのしゅっとしたギャル男などにはほど遠い一昔前のタイプの、温泉地にとどまっていろいろな商売に手を出している男。近頃ではJ党とK党のイベントを請け負ったりしているが、どうも虫が好かない。
男友達と温泉に行った日、たまたま軽薄男も来ており、混浴風呂が混み合っているのをいいことに手を伸ばしてくるので、はっきりした態度をとらねばと思い、局部をつかんで湯から引き上げる。それにしてもこの混浴風呂は男ばかりだ。わたし以外に来ている女といえば小さいタオルで下だけ隠した若いお嬢さん。まるでそふとおんでまんどのようだ。
水のかたまりをていねいにちぎる
塩水だけど、思ったほどは浮かないので、せっせと犬かきで浮いている。
ぎりぎり足のつく高さとはいえ、やはり泳がねば。
くらげとは、液体の氷である。
だからこのあたりのバーテンダーはシェイカーにくらげを入れて振る。
砂浜にいると、おしりがあたたかくてときどきまぶしい。
あなたのからだは海よりもつめたい。
懐かしき赤い客席にふかぶかと座った痩せぎすの
そのひとが10年以上前にふるさとのちいさな町で企画・演出した市民オペラのはなしを聞く。
コンサートホールは300人も入れば一杯になるような規模だが、のべ2万人が聴きにくる大盛況だったという。
舞台上で楽器を演奏するのはこどもたち、キャストに地元の劇団のメンバーや公募で選ばれた市民、フランスからアラン・ドロンらベテラン俳優が数名。
キャストが舞台をくまなく歩き回って歌い、踊り、セリフを投げ合うめまぐるしい演出で、いったいどうやって動線を覚えたのだろう、と不思議に思っていると、舞台上のポイントで、あるいは特徴的な台詞を言うときに、すれ違う相手を覚えるのがコツだ、ということを教えてくれる。
冗談以外で先生って呼んだことない
マスカラを塗り忘れていたら、そのメイクは知的な感じがして好きだと言われ、インテリジェンスが際限なく必要だ、以来、アルファベットを抱いて眠る、どの凹凸もわたしにそうことはなく、とりわけセリフが刺すから、無理だ、階級移動できる地点にはいない、数式を湯船に張ればいいのか、インテリジェンスはどこも尖っていて、身につかない、目が覚めて確認すると、潰れたアルファベットで畳まで白くなっている。
初期化する方法を夜明けまで検索していた
構造が部分的に損なわれる、それに伴って機能が部分的に、あるいは完全に喪失する。
恋人は保温機能を司る部分が破損しているに違いないので、背中から開けてみる。
「刺すとは思わなかった」
あなたがわたしを見なくなっていたことはむしろメンテナンスには好都合で、しかしこのトラブルに対しては、なすすべがない。
脊椎にある種の節足動物が寄生して神経を寸断し、間違った信号を送っているのだ。
「痛い」
間違った信号を受けて発せられることば。
「俺を殺すのか」
もはやどんなことばもわたしには向けられていない。
包丁を返しにキッチンへ行くと、電子レンジが明るく回転しており、ターンテーブルにのっているものはシャーベットだ。柚子の。いくら回ってもとける気配がない。
耐用年数をとっくに過ぎていた。
鉄鎖の端
隣接して建っている民家二軒は両方とも整骨院であり、先にできた整骨院は独身の男性が、あとからできた整骨院は夫婦がやっている。
独身男性は夫婦から、「二軒の間にレールを敷く、あるいはワイヤーを渡して機材を共有できないか」という話をもちかけられて困惑している。