投稿者「yukioi」のアーカイブ

ひとを殺しました

恋人に車を出してもらって、後部座席に死体。
 
当初わたしは名古屋まで、彼はさらに遠くまで行く予定だったが、わたしは高校の制服姿のままだったから、とても目立つ。殺害した女子高校生のものとカーディガンを取り替えてみるが、目立つことには大差ない。死後硬直によって彼女の腕がわたしの首にふれて動揺。そこらへんに捨てれば捕まる時期が早まるし、乗せたままでは腐り始める。結局わたしは死体を彼に押しつけ、ひとりで逃げる。
 
街角に、チンドン屋のような外国人パフォーマー。国籍も人種もさまざまであるようだ。はだけ気味の胸にいろいろな人物の顔をボタン状にペイントしてある。近隣に住む日本人の男から、この辺りにはいつも芸人がいるので、胸に描いてあるなかから気に入った顔を見つめてみるといい、と言われる。ボタン状のひとつ、歌舞伎のような顔を見つめてみると、「しらざあいってきかせやしょう――」流暢とは言いがたい日本語で語り始める。「どれも昔この国にあったものです」と日本人の男。選んだボタンによって「あかまきがみあおまきがみきまきがみ」「月月火水木金金」「はじめちょろちょろなかぱっぱ」誰も投げ銭をしないが、どうやって生計を立てているのだろう。
 
目立たない服装に着替え、ボストンバッグひとつ抱えて乗った特急列車。どこまで逃げても胸が苦しい。時効まで、あるいは残りの人生すべてを、こんな思いで過ごすのだろうか。隣の席に坊主頭の男が乗ってきて、いきなりわたしの膝に頭を乗せる。男はわたしの恋人だった。肩まであった髪をばっさり落としてきたのだ。名前を呼ぶとひとに知れるから、「おにいちゃん」と呼びかける。ごめんね、おにいちゃん、寝てていいよ、疲れたでしょう。わたしは恋人の頭を撫で、肩を撫で、巻き込んでしまったことを申し訳なく思う。
 
車掌が切符を確認するためにやってくる。手元には、昔風のパチンパチンやる鋏。前の席の家族連れの分とわたしたちの切符が混ざってしまって、分けようとしているうちにボストンバッグの中にそれが落ちた。中を見られた。乱雑に詰め込んだ衣類の間に不自然に札束が押し込んであったのだ。わたしはひとりで席を立って進行方向と逆に車両の中を移動。風呂、トイレなどがならんでいる。
 
突然甲板に出て、列車ではなく船に乗っていたことに気づく。
 

スティッキーかつディスガスティングなサムシング

 
そふとおんでまんどの世界にわたしという異物が紛れ込んでしまったのではないか。ならば申し訳ない。軽薄男にもまわりの男たちにも若いお嬢さんにも。こどもたちは死人のような顔色、土塀にうがたれた穴のような目、学校の中を走り回っている。人形劇、身体検査、賭場。非常口から外を見れば螺旋階段、たこ焼き屋やクレープ屋の雑居ビル、緑したたる山。試しに男の袖を引いてみる。現実さながらにいとも容易く手に入る。抱きしめる力はあるのに首から上になにも感じないのはなにゆえか。
 
顔が、ない。

晩夏の雪

被曝した初老の軍人ふたりが切腹する。
白い軍服だから海軍だ。
見守っていたのはそれぞれの妻。
妻たちの証言によってわたしはその様子を想像している。
これはわたしが見ている光景ではない、見たくないものは見ないことができる、腹圧ではみ出す腸や下血の様子をできるだけ見ないように、窓の方を向いている。
 
目の大きい、茶髪の、いかにも軽薄な、しかしいまどきのしゅっとしたギャル男などにはほど遠い一昔前のタイプの、温泉地にとどまっていろいろな商売に手を出している男。近頃ではJ党とK党のイベントを請け負ったりしているが、どうも虫が好かない。
男友達と温泉に行った日、たまたま軽薄男も来ており、混浴風呂が混み合っているのをいいことに手を伸ばしてくるので、はっきりした態度をとらねばと思い、局部をつかんで湯から引き上げる。それにしてもこの混浴風呂は男ばかりだ。わたし以外に来ている女といえば小さいタオルで下だけ隠した若いお嬢さん。まるでそふとおんでまんどのようだ。

水のかたまりをていねいにちぎる

塩水だけど、思ったほどは浮かないので、せっせと犬かきで浮いている。
ぎりぎり足のつく高さとはいえ、やはり泳がねば。
くらげとは、液体の氷である。
だからこのあたりのバーテンダーはシェイカーにくらげを入れて振る。
砂浜にいると、おしりがあたたかくてときどきまぶしい。
あなたのからだは海よりもつめたい。
 

懐かしき赤い客席にふかぶかと座った痩せぎすの

そのひとが10年以上前にふるさとのちいさな町で企画・演出した市民オペラのはなしを聞く。
コンサートホールは300人も入れば一杯になるような規模だが、のべ2万人が聴きにくる大盛況だったという。
舞台上で楽器を演奏するのはこどもたち、キャストに地元の劇団のメンバーや公募で選ばれた市民、フランスからアラン・ドロンらベテラン俳優が数名。
キャストが舞台をくまなく歩き回って歌い、踊り、セリフを投げ合うめまぐるしい演出で、いったいどうやって動線を覚えたのだろう、と不思議に思っていると、舞台上のポイントで、あるいは特徴的な台詞を言うときに、すれ違う相手を覚えるのがコツだ、ということを教えてくれる。

冗談以外で先生って呼んだことない

マスカラを塗り忘れていたら、そのメイクは知的な感じがして好きだと言われ、インテリジェンスが際限なく必要だ、以来、アルファベットを抱いて眠る、どの凹凸もわたしにそうことはなく、とりわけセリフが刺すから、無理だ、階級移動できる地点にはいない、数式を湯船に張ればいいのか、インテリジェンスはどこも尖っていて、身につかない、目が覚めて確認すると、潰れたアルファベットで畳まで白くなっている。

初期化する方法を夜明けまで検索していた

 
構造が部分的に損なわれる、それに伴って機能が部分的に、あるいは完全に喪失する。
 
恋人は保温機能を司る部分が破損しているに違いないので、背中から開けてみる。
「刺すとは思わなかった」
あなたがわたしを見なくなっていたことはむしろメンテナンスには好都合で、しかしこのトラブルに対しては、なすすべがない。
脊椎にある種の節足動物が寄生して神経を寸断し、間違った信号を送っているのだ。
「痛い」
間違った信号を受けて発せられることば。
「俺を殺すのか」
もはやどんなことばもわたしには向けられていない。
包丁を返しにキッチンへ行くと、電子レンジが明るく回転しており、ターンテーブルにのっているものはシャーベットだ。柚子の。いくら回ってもとける気配がない。
 
耐用年数をとっくに過ぎていた。

鉄鎖の端

隣接して建っている民家二軒は両方とも整骨院であり、先にできた整骨院は独身の男性が、あとからできた整骨院は夫婦がやっている。
独身男性は夫婦から、「二軒の間にレールを敷く、あるいはワイヤーを渡して機材を共有できないか」という話をもちかけられて困惑している。

バニラアイス

匙の銀色が、薄暗い部屋でひらひらと動いている。男はアイスクリームを掻き取っているのだ。女の口に、それを運ぶために。
 
「自分で食べる」
「ほどいたら逃げちゃうだろう」
「逃げないよ」
 
だめかもしれない、と思ったのは、彼女にとっては三回目。最初は幼稚園に上がりたての頃、補助輪つきの自転車が遊園地の海賊船みたいに空を舞った直後だ。ぐるりと視界がまわった次に見えたのはアスファルトと赤い水たまりで、不思議と痛みは記憶に残っていない。
二回目はごく最近。塩と檸檬とテキーラをかわるがわる口に運んで、かつて経験したことのない頭痛と嘔吐と下痢が同時に来た。駅地下のトイレに籠城し、しばらく意識を失い、警備員が閉鎖時間を告げにきたので這うように移動して近くのホテルに入り、朝までバスルームで過ごした。ポケットに入っていたボールペンで便器の蓋に巻いてあった薄い帯状の紙に、親の電話番号を書いた。
そして三度目、いま。男は楽しそうに笑っている。SNSで見つけた自称ソフトSの男と監禁プレイ中である。監禁プレイだと思いたい。まさか本当に監禁するつもりではないですよね?
約束と違うのである。最初は、お茶を飲んで、やってみたいプレイなど話し合ってからホテルへ向かう予定だった。清潔感のある服装、それなりに金のかかった車。車の中で一口もらった缶コーヒーに何か入っていたのは明らかで、いつの間にか知らない部屋で着衣のまま椅子に縛りつけられていた。
 
「どう? こういうの」
そう男が聞いたので、とっさに
「ドキドキする」
と言って微笑んでみせた。ドキドキどころではない。これはもう、だめなのではないか。彼女はくるくると回り始める走馬灯を頭の隅に追いやって、いまここから無事に帰る方法を考えなければいけないと思う。SNSで相手を見つけたりするのは、二年つき合った恋人と別れてからの、暇つぶしとしての自暴自棄の一環だ。どうにでもなれと思っていたはずだった。しかし、想定を超えた状態に置かれると、どうにかして危機を回避したいと願うものであるらしい。彼女はひとつひとつ、現在の状況を把握しようとする。
 
・外の喧噪が聞こえるから山奥ではない。セーフ。
・男は怒っていない。セーフ。
・目に入る範囲に刃物は見えない。セーフ。
・部屋は殺風景だが清潔だ。というより、自分が縛られている椅子以外に家具はない。アパートの空室のようなところだ。男は小さなカップに入ったアイスクリームを木の匙ではなく、金属の匙で差し出している。キッチンにはいくらか食器があるのだろう。つまりここは男の借りている部屋なのだろう。どちらかというと、ギリギリでセーフ。
 
「口を開けなさい」
彼女は当面この男に従おうと考えている。おとなしく口を開いて、貼り付くほど冷たい匙を受ける。バニラアイス。ずっしりとした濃厚な甘み。
男はおもむろにジッパーを下ろした。
「舐めていいの?」
「下品な女だ。舐めさせてください、だろう?」
「舐めさせてください」
顔中に粘液を擦り付けられて、「かたつむり美容液」という言葉を思い出す。雑誌によく載ってる。使ったことはないけれど、こういう感触のものなのではなかろうか。唇を割って圧倒的な存在感がもたらされる。
 
「俺は、つめたくした身体に入れるのが好きなんだ」
 
ああ、この発言は。
 
限りなくアウトだ。