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半分妄想トルコ日記 俺は乾留液(カトラン)

シートの下に作られた灼熱の棺で俺はほとんど死んでいた。もうちょっとましな移送方法はなかったのか。もうちょっとましな細工ができなかったのか。それこそ身体中の血が乾留液(コールタール)のようにどろどろに固まってしまいそうだ。
ペットボトルの水は最初の一時間で飲みきってしまった。というか、うまく飲めなくて半分くらいこぼした。
一縷の望みをかけてシートを小突いた。一定のリズムで。モールス信号で “SU”。水。

「あれ何の音? うしろ何か聞こえる」
「整備不良かもしれませんね。しばらく様子をみましょう」

意識が遠のきかけた頃、嗄れた年寄りの声がした。誰か拾ったのか。蝶と年寄りが早口のトルコ語で世間話をして、突然水が一本投げ込まれた。車が止まって男が「じゃあ行くよ! 世話になったね! お嬢さんお元気で」と賑やかに言うのに紛れてキャップを開けた。こんどはこぼさないように。が、車が発進した瞬間に少しむせてしまった。

「また音!」
「妙ですね」
「トルコ、幽霊いる? イスラム教たましいどこ行く?」
「信仰について話すと長くなりますよ。日本はどうですか?」
「日本は幽霊たくさんいる! サダコ知ってる?」

日本人か。声が甲高いのはアジア系だろうとは思ったが。思うに助手席の楽しそうな女は移送作戦について知らされておらず、カモフラージュのために乗せられているのだ。呑気な顔をした観光客が乗っていれば警戒されることはないから。
しかし、それは必要な手間なのか。俺はそんなに重要人物だったろうか。いや、俺の持っている情報がいつの間にやら重要度を増したのかもしれない。
俺は単なる協力者だ。自分のしていることにどんな意味があるのかもわからず、物を運び、情報をかき集めてその対価を得てきた。あの蝶と呼ばれる諜報員だって似たようなものだろう。ひとつひとつの任務の内容は聞かされても、それが組織にとってあるいは国家においてどういう意味を持つのか把握することは難しい。

「フレディ! あれ何? 車とめる、警察かな?」
「よくあることです。君はなにも聞かれませんよ」

検問か。

「わたし心配しない」
「ええ、心配ありません。単なるセキュリティチェックです。大丈夫」

わざと声を大きくして俺に言ったようだ。気をつけろ、ということだろう。
車は速度を落としてやがて止まった。蝶が何か話しているようだ。

運転席側のドアが開いて、閉まる。次にトランクの開く音。
「これは女性の荷物?」「このバックパック以外は彼女のものです。もし彼女の荷物を開けるなら女性の担当者を」「いや、必要ない」バン、と衝撃が響いてトランクが閉じられた。

その後は緊張が解けて眠ってしまったのか本当に死にかけていたのか。蝶に頬を叩かれて気がつくと辺りは既に夜で、と思ったら薄暗いのは地下の駐車場にいたからだったが、時計を見ても実際に夜だ。自分の汗が目にしみて痛い。
蝶の手を借りて車を降りた。彼が力を込めるとき、細い腕にかすかに筋肉の線が浮き上がった。肘のあたりに手術痕らしきものが見える。俺はこの男の過去を聞いてみたい。

礼を言おうとしたら蝶は俺の手首を掴んだ。
ああ、そう来たか。
無事に逃がしてやるから感謝の気持ちは具体的に行動で示せよってことね。
兵役のある国では相手に不自由することがない。ここでもそうだ。
四角四面のこの男がそんなことを求めてくるとは思いもよらなかったが、俺の身体に触れてその気になったのかもしれない。
俺は汗でびしょ濡れの、ざくろのように赤い唇の、日に焼けた金髪の29歳。
来いよ。食いついてこい。張り裂けそうになるまで焦らしてやる。
薄闇の中、若草色の瞳を見つめた。

「どうしたんですか」
「は?」

蝶は俺の手に鍵を握らせた。

「部屋は4階です。階段を使うこと。明日は午前7時ちょうどにここへ来てください。空港に行って、そこから先は運転手が代わります」
「明日も俺は特別席か?」
「特別席? ええ。今日と同じです。無事に帰りたいならね」

半分妄想トルコ日記(4日目・中編)トゥズ湖、いかついSABON

トルコの旅も折り返し地点を過ぎた。
フレディの運転でアンカラまで帰って一泊、飛行機でイスタンブルに戻り一泊すれば、翌朝にはシンガポール経由日本行きのフライトが待っている。

カッパドキアからアンカラへの帰路、道路脇にポリタンクを持った白髪のおじいさんがいて、フレディは車を止め、彼を乗せた。いやちょっと待って。運転してくれているのはあなただけれど、そういうことをするなら何か説明がほしい。

「ガソリンがなくなったそうです。ガソリンスタンドまで行きます」

へえ、と思った。割とドライなこの人の、意外なトルコっぽさに驚いた。ふたりはトルコ語で何か話し合っていたけれど「タクシー」と言った気がしたから「帰りも頼めるかな?」「悪いが帰りはタクシーでも使ってくれ」だろうか。
「お嬢さん、お元気で!」というようなことを言って老爺は降りていった。
ガソリンスタンドはほんの10分ほどの距離だった。

トゥズ湖(塩湖)に立ち寄った。地面に貼られた巨大な鏡のようだ。
わたしは靴と靴下を脱いで塩水に浸かりに行き、フレディは待っていてくれた。足元の小石はたぶんぜんぶ塩の塊。足の裏のツボが刺激されてめちゃくちゃ痛い。
敬虔なムスリム女性は手首から先・足首から先・顔以外を見せてはいけないから、靴と靴下だけ脱いでドレスの裾が濡れるのもおかまいなしに塩水の中をずんずん進んでいく。

18:00頃。昼間見るとぜんぜん違う表情だと思います。

足を洗うシャワーはちゃんと男女別になっており有料、といっても入り口で1リラを払うだけだった。服が濡れて気持ち悪くて泣いている子供、それをあやす若いお母さん。
ふくらはぎから下をシャワーでざっと洗って手ぬぐいで拭く。手ぬぐいを用意しておいてよかった。靴が無印良品の撥水スニーカーなのも我ながらグッドチョイスだった。履き古したコンバースなら確実に泣いていた。
土産物屋は結構立派で、トゥズ湖の塩を使ったボディスクラブその他の化粧品、石鹸、塩そのものなどを売っていた。塩スクラブは半強制的にお試しさせてくれる。いわば店員がいかつい兄貴しかいないSABONだ。油断すると手のひらに塩を乗せられて「こすって、洗って!」とジェスチャーで示される。店内のPOPは主に中国語、それから韓国語。中国語と韓国語で話しかけられ、反応しないでいると最後に日本語が出てくる。日本語を上手に話す年かさの(といっても20代後半か30代前半に見える)店員は、日本人観光客が多かった時代から商売をやってる人なのかもしれない。スクラブは自分が普段使っているものの倍くらいの値段なのだが、使用感は以前オリーブオイルと粗塩で自作したものとほとんど変わらなかった。
(あ! いいこと思いついたんだけど! 荷物が重くなっても平気な人は記念にトゥズ湖で塩だけ買ってきてオイル類をエジプシャン・バザールで買って帰国してからスクラブやバスソルトを自作するといい思い出になるのではないでしょうか!)

アンカラについたのは夜の8時過ぎだったろうか。フレディはわたしをホテルに送り届けて家に帰った。首都の駅前のちゃんとしたホテルなので入り口にセキュリティゲートがあり、フロントは訛りの少ない英語を話す。「きれいなプーチン」とでも呼びたくなるような金髪で長身のポーターがわたしの荷物を運んだ。プーチンも流暢な英語だ。わたしはきっついトルコ語訛りの英語が好きなので「さすがー!」と思うと同時にすこしさびしい。2リラだったか3リラだったか財布にあった小銭をチップとして渡したんだけど、妙な顔をされたのでおそらく少なすぎたのだろう。2019年現在、ホテルのポーターに渡すチップは5リラくらいがいいようです(というのが友人の説だが地方やホテルのグレードにも関係するかもしれないし真偽のほどは不明)。

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半分妄想トルコ日記(4日目・前編)気球は上がらなかったけど

熱気球が上がるのは早朝だ。5時に起きて丘を登った。野良猫も野良犬も多い。野良猫はイスタンブルにもアンカラにもいたけど、ここにはけっこう大きい野良犬が何匹もいる。おとなしいけど触ってはいけません。猫もね。
しばらく待ったけれど、気球はひとつも見えない。
「今日は中止されたようです。いつもならこの時間は気球が見えますから。残念ですね」

カッパドキアの夜明け。西部劇のロケ地になることもあるらしい。

ひとりで来ているらしい東アジア系の女性がいたので声をかけたら日本人だった。二人の写真をフレディに撮ってもらい、彼女のiPhoneにAirDropで送った。きっと面白いひとなんだろうなという気がしたけれど連絡先は聞かなかった。あとで見返すとわたしも彼女もひどく眠そうな顔をしていて、どこか空気が似ている。学生時代は教室の隅で文庫本読んでたんだろうなって感じ。たとえるならば自分が中高一貫女子校の高校三年だったとき同じ部活に入ってきた中学一年生の、少しさびしそうでなんとなく気になっていたあの子(そんな事実はない)に再会したような気持ちだ。普段はそんなことしないけど、握手して別れた。
フレディが部屋に戻って仮眠を取る間、わたしは猫の写真を撮って回った。

猫に会うためにトルコに行く人も多いと思います。それは圧倒的に正しい。

朝食会場へ行く階段でアジア系の初老の男性に「日本からですか」と声を掛けられた。台湾のひとだった。
トルコに来る前に予習として見ていたYouTube動画で、周りにアジア系(中国人)がいるかどうか気にかけてる様子があって、わたしもアジア人の姿を探してしまうのかなーと思っていたけど、実際にそうだった。たぶん台湾のおじさんもわたしを見てアジアンレーダーが反応したのだろう。

トルコのお店や町の様子を知ったり持ち物を検討するにあたりこのヤモリさんという方の動画がいちばん役に立ったので個人旅行でトルコもしくは韓国を訪れる方には強く強くおすすめします。私小説的なダウナーな語りもすごくいい。去年の台北旅行ではウェットティッシュをあまり使わなかったのだが、動画を見て「やっぱり必要!」と思って買った。(でも張り切っていっぱい持ち込んだら5泊分としては多すぎて最終的にお土産を詰める隙間を作るためフレディに引き取ってもらった)
旅行終盤で猫写真を撮りたくなったのもヤモリさんの影響かもしれない。

ギョレメ屋外博物館で岩穴と岩穴と岩穴と岩穴の中に描かれたフレスコ画を見た後、車でいくつかの名所を回った。岩穴が多すぎて、観光客も多すぎて、結構疲れてしまった。「チャウシン」や「パシャバー」に行ったはずなのだが「岩だ」「穴だ」としか思えなくなって地名を確認していない。たいていの穴には自由に立ち入っていいので穴があったら入りたい人生を送ってきた人(わたし)にはぴったりだ。何も考えず登ったり潜ったりするのがけっこう楽しい。ただしわたしはここで体力を消耗しすぎて後に眩暈を起こします。

穴があったら入りたい気持ちが一生分満たされたのでこの先の人生は羞恥心のない人間として生きる。

昼食は少し遅めの午後2時半頃。アヴァノスという焼き物で有名な町の小さな食堂で。タルカンなどトルコのアーティストのミュージックビデオが流れていた。

この写真の左上の白いやつが感動的においしかったです。

何を食べてもおいしかったのだが、真っ白なヨーグルトソースの中に柑橘類のような果肉が入っていてその果肉部分にアルコールの刺激を感じる前菜的な何かがとてもおいしかった。あれはなんだったんだろう。葉っぱがわっしゃわっしゃしたサラダを食べるときはお箸がほしい。お箸は車に置いてきていた。残念。

フレディはお祈りに行き、わたしは食料品店でお菓子とジュースを買った。13歳ほどに見えるレジの少年は外国人への対応も慣れたもので電卓で値段を見せてくれた。彼は家の仕事を手伝っているのだろうか。流行のフェードカットだった。トルコではこのくらいの年頃の子供が整髪料を使った見事な髪型にしているのをよく見かけた。こちらでは普通なのかもしれないけれど、背伸びしているようでとてもかわいい。
焼き物はちらりと見るだけで買わず、集合場所に決めたマクドナルドの前に戻った。

アヴァノスの町の真ん中には橋が2本あって1本は吊り橋なのだが、そこを渡った後は平衡感覚がおかしくなり、地面が揺れ止まなくてしゃがみ込んだ。

海外旅行って、まあ一般的に生理をずらすことを考えるよね。
わたしも一応準備はしていた。中用量ピルをもらっておいたのに、血栓症のリスクおよび胃をやられる可能性を考えて結局飲まなかったのだ。飲まなくてもぎりぎりで回避できるほうに賭けた。博打が外れて予想よりも数日早く来た。

フレディは「こればかりはどうもしてあげられないので自力で頑張って!」を込めた目で待っている。

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半分妄想トルコ日記 俺は乾留液(カトラン)と呼ばれているらしい

かつてキリスト教徒を隠した奇岩地帯は今も隠れ住むのにちょうどいい場所だ。
外国人観光客が押し寄せては去っていくこの町では、誰もよそ者を気にかけない。俺はハニーブロンドをブルネットに染める必要もなく(というか元々この国には金髪の人間も結構いるし)Tシャツと短パンでホステルをはしごして過ごした。飯はうまいし空気もうまい。物価は安く酔っ払いは少ない。テロとも無縁の田舎だ。

いっそここらへんで土産物屋でもやって生きていけないかな。そんな妄想をし始めたころ「蝶(ケレベッキ)」と名乗る男から連絡が入った。「救援に向かう。無事に帰国できるようサポートする」と。

蝶は俺を街の中心のバス乗り場で拾い、安ホテルのひしめく坂道に車を停めた。
会ってみれば名前に反して地味な男だった。ここまでリアルな「一般市民」を用意できる組織だったとは。俺がいままで接触してきたトルコ側の担当者といえば筋骨隆々の軍人タイプかキャビンアテンダントのような背の高い美人と決まっていた。スパイ映画の幻想から自由になれよ、と思ったものだ。
蝶の緑色のポロシャツから伸びる細い腕。肘のあたりが日に焼けてほんのり赤いのは「残業続きの日々から解放されようやく休暇が始まりました!」という感じだ。いい。こういう普通のお父さんみたいなタイプ、俺は嫌いじゃないぞ。車に漂う甘ったるいチョコレートの匂いも悪くない。砂糖をこよなく愛するこの国の男たちが好きだ。かわいい。もう少し長居させてくれても俺は一向に構わないのに。

「ラマダン太鼓が聞こえたら座席の下に潜ってください。いったん降りられるのは首都についてから、夜の8時です」
「ラマダンに断食を体験できるなんて最高だよ」
「いいえ。水は用意してあります。イスラームの断食においては水すら口にしません」

にこりともせずに言った。なるほど。こういうところが組織の人間らしさか。

「国に戻ったら何がしたいですか」
「そういう元気づけるみたいな質問はやめてくれよ。俺は大丈夫だ。何も心配していない」

OK、と言って蝶は車から降り、坂道を登ってどこかへ消えた。

半分妄想トルコ日記(3日目・後編)レンタカーでカッパドキアへ


旅程を考えた当初は、夜行バスでカッパドキアに向かおうと思っていた。ラマダン後の休暇に帰省するひとたちがチケットを買うらしく、すべて売り切れで予約できなかった。その代わりにフレディが提案してくれたのがレンタカーだった。バスより早く、カッパドキアに着いてからの移動にも便利だ。

車に乗った途端、フレディは話しかけても答えてくれなくなった。

なんだ、これは、まずいやつか。
もしかして、だけど。夜行バスを取る方法だって本当はあったのに、敢えて二人きりになるレンタカーを選んだのではないか。
もしもわたしのからだが目当てなら。いままでいくらでもチャンスはあった。イスタンブルでは同じホテルに泊まったわけだし、何かと理由をつけてアンカラの自分の家に誘うこともできただろう。
どこかへ連れて行く必要があるのではないか。取引。人身売買。このままドナドナと海沿いまで運ばれて港湾倉庫で取引され石油産出国の富豪のドラ息子が寝転がって見るアジア人専門スナッフムービーに出演させられ最終的には地中海の魚の餌になるのではないか。え。でも地中海の魚の餌になるのよくない? なんておしゃれな最期……!
どうせ死ぬのなら奨学金を返済しなければよかった。あれはわたしが死んだらチャラになるはずだ。損をしてしまった。旅行保険の受取人、誰にしたんだっけ。殺人の場合は適用されるのか。いやこの場合きっと行方不明だから何年も支払われないのか。むしろ今ほしい。リラで払ってほしい。もうちょっと遊びたい。こんなことならハマム(トルコ式岩盤浴&垢すり)も体験すればよかった。最高級と名高いヒュッレム・スルタン・ハマムに行けるのなら成仏できる気がする。

などと想像を膨らませながら、カーステレオとiPhoneをBluetoothで繋いでお気に入りのターキッシュポップスをかけ、流れていく風景を楽しんだ。
フレディは運転が久しぶりだから無口になっているのだ。空港の駐車場を抜けたあたりで「集中させてくださいね」と切羽詰まった顔で言ったのでほんとうはわかっている。


İrem Dericiは”Ben tek siz hepiniz” っていう曲もすごく好きです。アゲアゲでなおかつめっちゃ中東っぽい!

それにしてもトルコは大きい。なんにもない大平原があるのがすごい。昭和時代の抗鬱剤の広告みたいな、だだっぴろい牧草地とそこにぽつんといる羊。そういう風景が実在する場所なのだ。
ガソリンスタンドに寄り、お祈りのためにモスクに寄り、また走った。標識には80という数字が見えたのだが、速度は120キロ出ていた。80というのは制限速度ではないのだろうか。周りの車も120キロか、もしくはもっと速い。

黄色い岩山が見えてくると興奮した。
「カッパドキア? もうカッパドキアなの?! 超かっこいい!」

ショッピングモールに入っているPide by Pideというピデ(トルコのピザ)やさん。一人分がでかい。

ショッピングモールで食事をしてからギョレメの町へ向かい、宿に到着した。いかにもカッパドキア! みたいな洞窟ホテルは満室だったので簡素なホステルだ(でも人気の観光地なのでそれなりのお値段がしてしまう)。駐車場らしい駐車場はなくて塀沿いギリギリに車をつけたけど、宿のスタッフが運転を代わってさらにギリッギリまで寄せた。まじかよ。他人の車なのにそんな思い切った真似を! みんな運転が下手なわけじゃなくて、単に荒いんだな、きっと。
(ところでカッパドキアと言ったりギョレメと言ったりしていますが、カッパドキアというのが奇岩地帯の名前、ギョレメはそのエリアの中にある町のひとつです)

「わたしは疲れているので休みますが、ひとりで出かけても大丈夫ですよ。この町は君の国と同じくらい安全です。明日の昼には再び車でアンカラに帰るので、夜のカッパドキアが見られるのはいまだけです」

水煙草の吸えるバーがあり、ライブハウスのようなところがあり、中華料理店まである。リゾート地だからなのか、なんとなくうきうきとした雰囲気が漂っていて祭の夜のようだ。断食月の夜だしそれが終われば祝日だし、すでにみんなお祭り気分なのかもしれない。少し散歩したら満足してしまって、部屋に帰って温度調節の難しいシャワーを浴びた。トイレは紙を流せないタイプ。角度の変わらないウォシュレットみたいなやつで洗い、紙で拭いて、拭いた紙は大きなゴミ箱に捨てる。洗面所の鏡に映る自分の顔がものすごく青く見えて、カッパドキアで殺された日本人女性がいたことを思い出した。

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半分妄想トルコ日記 彼はフレディとも呼ばれている

「フレディ、わたし困っている」
「どうしましたか」
「ごめんなさい。あなたに言う、失礼かもしれない。わたしピリオドある。始まった。女の子の日。スーパーマーケットかドラッグストアに行く必要ある」

period(月経)か。妻にしか、それも限られたシチュエーションでしか言われたことのない言葉に面食らってしまったが、彼女には他に頼れる相手はいないのだ。仕方がない。
「歩いてすぐの場所にミグロスというスーパーマーケットがあります。歩けますか」
「ゆっくり歩ける」
衛生用品の棚まで案内して、買い物の間すぐそこで待っていると伝えた。ユキサンは何度も頷いて棚の間に消えていった。レジの店員が「面倒くさそうな客置いていかないで!」というような目で睨みつけてきた。
大丈夫。その外国人は少し英語が話せるし、2歳児程度にトルコ語がわかる。

フレディというのは自分で考えた偽名ではない。ユキサンと知り合った頃は現場の人間ではなかったから、正直に本名を伝えた。ところが彼女は日本語に存在しない母音から始まり日本語に存在しない子音で終わるその名前を全く発音できなかった。発音するたびに「全然違います」「少し違います」「惜しい」「遠くなった」と感想を述べていたらついに諦めて、
「フレディはどう?」
と言ったのだ。由来は聞いていない。

しばらくしてユキサンはにこにこしながらスーパーから出てきた。青ざめているようにも見えるが、相変わらず笑顔だ。

半分妄想トルコ日記(3日目・中編)わたしは悪いムスリムだった

イルハン老人の件以外にも、もうひとつ問題が発生していた。
「フレディ、ごめんね、こういうことを相談するのはあなたに対して失礼かとは思うのだけど、生理になってしまいまして
フレディは一瞬間をおいて「生理」と繰り返した。
「えっと、女の子の日。スーパーマーケットかドラッグストアに行ってサニタリー用品を買いたい」
非常に思慮深い顔で「オーケイ…」という返事が返ってきた。
「歩いてすぐの場所にミグロスというスーパーマーケットがあります」
立ち上がると頭のてっぺんから爪先まで砂が流れるような眩暈を覚えた。
「歩けますか」
「ゆっくりなら歩けるよ」
わたしのスーツケースを運ぶフレディの後ろを、バックパックを背負ってついて行った。

ある意味、今回の旅におけるいちばんの冒険。説明書の読めない生理用品の購入。

体調はそれ以上悪くならなかったので、わたしの希望でアタチュルク廟に連れて行ってもらった。トルコ建国の父アタチュルクことムスタファ・ケマルの墓だ。
やや左寄りです、みたいな顔してこんなこと言うのもどうかと思うが、機械のように動く兵隊さんを見るのが好きだ。同じような理由で軍楽隊も好きだ。去年台湾を訪れた際には国父記念館(孫文の記念館)に行って衛兵交代式を見た。トルコの衛兵交代式も見なければ
衛兵交代式のもうひとつのみどころは交代式が円滑に行われるようサポートする側の兵士だ。ひきしまった軍人ボディにタイトなシャツとスラックス。インカム。しっかりと櫛目の入った頭頂部と刈り上げられたうなじ。美しい。
彼らは衛兵の通る道を確保したり、定位置について警備を始める衛兵の服装の乱れを直したりする。衛兵は動いてはいけないので介添人が必要なのだ。

廟の中にぽつんとある棺を見て、ちょっと不思議な感じがした。こんな巨大な建物がお墓、ということが。

「ここにアタチュルクがいます」
「ほんとうに、死体があるんだよね?」
「そうですよ」
「骨で? 防腐処理で?」

回廊は博物館になっていて、アタチュルクの愛用品などが飾られていた。帰り際に衛兵のひとりの隣に立って写真を撮った。丘を下りながら「プロパガンダについて考えるのは面白い」と言ったらフレディが珍しく声を上げて笑った。

アンカラ城では楽器を演奏しているグループとそれに合わせて踊っている女性たちがいた。

演奏するひとと踊るひと

日本の観光地は手すりを付けたり立ち入り禁止の札を立てたりするけれど、アンカラ城は滑って落ちそうなぎりぎりの端っこまで歩いていけるので結構怖い。
ところで「アンカラ城」をトルコ語で言うと「アンカラ・カレスィ」になる。次にトルコに来るときには「トルコのカレスィのところに行く」と言って出かけようと思う。ちなみにこの冗談はフレディには通じなかった。
喉が渇いて、坂の途中の売店で赤ワイン色のジュースを買った。フレディにもすすめたけれど断られた。
いま世間は断食月(ラマダン。トルコ語でラマザン)。何かの理由で断食をしない日でも周りの断食してる人に配慮して人前では飲食しないように気をつけるのだという。
ということは、(日焼け対策およびコスプレ心により)スカーフを被っておきながら人前で飲食するわたしはつまり見た目上……。
「悪いムスリムです」
まことに申し訳ありませんでした。以後、スカーフスタイルをやや工夫してムスリムに見えないよう気をつけるようになった。

はい、この人が悪いムスリムです。今後イスラム教がメジャーな国にラマダン中に旅行するときはガチのスカーフ姿になるのは控えようと思った。いかにも異教徒の観光客らしくふわっと使おう。もししっかり巻くならイスラム教の戒律を意識して行動しよう……。後ろはアタチュルク廟です。

ショッピングモールへ連れて行ってもらってワンピースと下着を買ったあと、バスでアンカラ郊外のエセンボア空港に向かった。空港からカッパドキアに向かうのだ。飛行機ではなくて、レンタカーで。

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半分妄想トルコ日記(3日目・前編)イルハンに口説かれる

朝食付きなのかどうかフレディに聞き忘れていたけれど、ここはトルコだから朝食付きが普通だろう。なければ朝食を食べられる場所を教えてもらおう。そう思って一階に下りると喫茶スペースの奥の厨房でヒジャブをつけた女性が野菜を切っていた。
「おはようございます」
トルコ語で言ってみると、にっこり笑って「おはようございます」と返事をしてくれた。
「朝食はありますか?」
「はい、はい、どうぞお召し上がりください」
まだ準備中という雰囲気のカウンターからサラダとチーズと果物を取って席につくと、彼女はパンとゆで卵を持ってきてくれた。
「アフィエットオースン(どうぞお召し上がりください)」

昨日のおじいさんが来たので挨拶をした。彼はイルハンと名乗った。わたしも名乗ったが発音しにくいそうで「よし、きみは今日からエミネだ!」勝手に名付けられてしまった。
会話をしよう、とイルハン氏は言った。トルコ語とGoogle翻訳でわたしたちはたどたどしい会話をした。
どこから来たのか。結婚しているか。空手はできるか。
わたしが食事を終えると彼はトルココーヒーを持ってきてくれた。

「いつまでアンカラにいるんだ」
「今日はどこに行くんだ」
「今夜はアンカラにいるかい?」
「このホテルに?」
「カッパドキアに行くのか? またアンカラに戻ってくるのかい」

感じのいいひとなのだが、やけにわたしの旅程を知りたがる。
案内してあげる、一緒に出かけよう、と言っているようだった。
なんだかおかしいな、と思っていると、
「電話番号を教えてほしい」
と言われた。イルハン氏はホテルのカードに自分の電話番号を書いてわたしに差し出した。

おっと。これはホテルの従業員としてやっちゃだめなやつなんじゃないですかね。たとえ下心がなくても。親切心だったとしても。

「いまこの番号をその携帯に登録してくれよ」
イルハン氏は身振りを交えてそう言う。

わたしはGoogle翻訳に「わたしのボーイフレンドが嫉妬するかもしれません」と打って見せた。日本のおじいさんたちなら「おいおい、誤解しないでくれよ、そういうつもりじゃなかったんだ。おっちゃんが悪かったよ。こいつは、まいったなあ……」と笑ってごまかすところだ。

イルハン氏は、
「男? 昨夜ここまで送ってきたあの男か。あああ……」
露骨に残念そうな顔をした。

不穏な空気を感じたので、部屋に戻って急いで荷物をまとめた。フレディに「問題が発生したので予定より早めに来てください」とメッセージを送った。

早朝。部屋からの眺め。

突然部屋のドアがノックされた。ちゃんと鍵をかけていただろうか。ドアには覗き穴がない。掃除に来たのなら掃除だと声がかかるはずだ。ここは三階。わたしは引きずりそうなマキシ丈のワンピースを着ている。どうする。ドアに近づき、様子をうかがった。物音はない。静かにドアから離れた。
結局何も起きなかった。フレディから返信が来たのでエレベータで一階に降りた。
フロントはイルハンではなかった。推定50代前半の白髪混じりの男性が座っていた。
目が合うとバッチーンとウィンクを寄越した。

ほんとうに。
トルコのひとのそういうところは嫌いじゃないが、ほんとうにやめてほしい、今は。

「チェックアウトお願いします。友人が来るまでここのソファで待っててもいいですか」
「どうぞ」
彼は微笑んでホテルのカードを差し出した。恐る恐る受け取ったが携帯番号はなかった。うん、そうだよね、よかった。
イルハン氏はシフトを終えて帰る前にわたしに挨拶に来たのだろうか。出なくてよかった。

「ホテルの前に来ました。出てきていいですよ」
メッセージを読んで顔を上げると公園の向こうにフレディの姿が見えた。中まで来てくれるわけじゃないのか。安全には配慮してくれるが過保護ではない。甘えさせてくれる範囲があって、そこを踏み越えようとするとあっさり拒否される。

「朝食は食べましたか。今日は運転するので断食しないことにしました」
「あのね、話をきいてほしい。さっきメッセージしたことについて話させて」

朝から開いているカフェに入って、チャイと小さなお菓子を選んだ。
お菓子はすごく乾燥したスコーンみたいでかじるそばから崩れた。

フロントの老人に電話番号を渡されたことを言った。
「その男に何かされましたか」
「触られなかった。性的なことも言われなかった。番号渡されただけ。でも怖かったんだ。だって日本だと絶対ありえないよ」
「それはトルコでも普通ではありえないことです。ホテルの従業員は顧客に個人的な電話番号を渡したりしない。ただ君の選んだホテルは安いところだったから。残念ながら我が国では十分に教育が行き届いていない面があります」

日本では大概の安ホテルは単に古くて掃除が行き届いておらず隣の部屋の音が聞こえてくるだけだった。だけどトルコでは、というか知らない土地では、清潔や快適だけではなく安全のことも考えなくちゃいけないんだ……。
イスタンブルのホテルを選ぶときに「従業員に口説かれました」というレビューを読んだのに、まさか自分がアンカラに来てその当事者になるとは。

「君は誰にでも笑顔を見せすぎます。むやみに笑わないでください。この国の男たちは誤解します」

いやでも、相手が自分と同じくらいの年頃に見えたらそんなにフレンドリーにはしないよ。でもおじいさんだったから、警戒解除してしまったのだ。
市川ラクさんの『わたし今、トルコです。』「おじさんたちも現役です」って書いてあったけど、いま実感としてようやくわかったよ。おじいさんになっても引退しないんだな……。

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(と、書きながら思ったけどトルコの人はわたしから見て大抵老けて見えるのでイルハンじいさんが実は50代半ば、チェックアウトのときのおじさんが40代だったりする可能性もなきにしもあらずだな?)

カッパドキアへ行った後アンカラへ再び戻ってきて同じホテルに泊まる予定だったんだけど、フレディはそれをキャンセルし、出張に来た人がよく泊まるという駅前の大きなホテルを予約した。
キャンセル料が必要かどうか聞いたら、フレディは必要ないと言った。本当に必要なかったのか彼が代わりに払ってくれたのかはわからない。

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半分妄想トルコ日記 彼女はユキサン

「お祈りに行ってきます」
そう伝えるとユキサンは何度か聞き返した。
「あなた遊ぶ? 祈る? なんのため? いまから?」
「遊びではなく、お祈りです。我々は1日に5回祈ります。イスラム教徒だから。僕は昨日も祈りに行き、その間君は待っていました。覚えていますよね。いまから4回目です。わかりますか?」
「わかった! オーケー」

ユキサンは駅舎の前の階段に腰を下ろし、買ったばかりのスィミットを持ったまま踊るようにひらひらと手を振った。大学時代、生物学を研究する友人があんな生き物を下宿に連れ帰って飼っていたと思い出す。赤ん坊の姿のまま成体になる桃色の両生類。
ユキサンは誰にでも笑顔を見せる。何もなくてもいつのまにか笑っている。自分の目には奇矯に映るけれども、日本では案外普通なのかもしれない。

モスクに入り、裏へ抜けて荷物からタブレットを取り出した。
「遅くなりました」
「蝶、残念な報告からだ。プジョーもルノーも用意できなかった。でもトヨタなら上等だよな?」
車の画像データが表示される。スワイプして車両部の行った「加工」の様子を確認する。後部座席を持ち上げれば中にひとが隠れられるようになっている。素人目には気づかない範囲の改造だ。
「問題ありません。一応トルコでは借りる車を選べないと事前に伝えてあります」
「念のため女は後部座席に乗せないように。復路は当然だが往路もだ」
「ええ、もちろんです」
「エセンボア空港のBレンタカー、担当者は首にフェネルバフチェのタオルをかけている男だ」
「了解。YHTは通常通り運行していますか」
「いまのところ異常なし。君たちの乗る便は既にホームに入っている。定刻に出発の予定だ」
「了解」

食料品店に寄ってユキサンの好みそうなジュースと菓子類を購入した。彼女は同じ場所に座っておとなしく待っていた。
待たせたことを詫びると得意げにトルコ語で
「さびしかった」
と言った。
スィミットの輪は齧られて四分の一ほどになっていた。

半分妄想トルコ日記(2日目・後編)巨大怪獣出現

ミニアチュルクという名前はミニアチュール(細密画)とかけているんだろうか。ミニアチュルクというのはトルコの有名な建造物をミニチュアで再現したテーマパークだ。イスタンブルにおける淡路ワールドパークONOKOROである。

ミニチュアだけどけっこう大きい。

電車まで時間があったので立ち寄ってみた。ここを勧めてくれたのもフレディ。正直、あまり興味はなかった(だって本物を見たことがないものに関しては再現度に感嘆できない)のだが、トルコならではの奇跡が起きていたので掌を返してみなさんに強くお勧めしたい。
トルコでは猫はどこにでも入り放題である。モスクはもちろんのこと博物館に入っていこうともつまみ出されることはない。

トルコ・イスラム美術博物館の猫

ミニアチュルクの中にも当然のごとく猫が歩き回っており、スルタンアフメットジャーミーに襲いかかる巨大怪獣(猫)や、カッパドキアの岩山をよじのぼる巨大怪獣(猫)などを見ることができるのである。猫がお好きなら、ぜひとも訪れていただきたい。(ただし猫のことなのであなたが行く日に偶然留守にしていたらごめんなさい)

ホテルに荷物を取りに戻ってからTCDDの駅に行った。駅前にはスィミット(ごまパン)や果物の屋台が出ている。

「トルコ語の練習をしましょう。あそこでスィミットが買えますよ。僕は座って待っています」

こちらへ来てからというもの、トルコの習慣(お客さんにはおごってあげる / 男性は女性におごってあげる)とフレディのホスピタリティにより常に食べ物を与えられている状態だった。自分で食料を調達していない。財布もほとんど開いていない。ここで逃げては駄目な人間になってしまう。更生プログラムだ。よし。

「通じましたか?」
「ビッターネ(1個)、スィミット(ごまパン)、リュットフェン(プリーズ)! ヤヌナダ(いっしょに)、ス(水)!」
「はは。素晴らしい」

スィミット。歯ごたえがあるので食べるのにけっこう時間がかかった。

フレディはお祈りに行き、ついでに電車の中で摂る夕食を買ってきてくれた。ジュースとチョコクロワッサンとチョコレートクッキー。サンドイッチみたいなものを買ってきてくれると想像したので、それ夕食っていうよりお菓子じゃん! と驚いた。トルコにはコンビニエンスストアがなく、かわりに欧米の映画で見るような小規模な食料品店がたくさんある。たぶんそういうところで手に入れてきてくれたんだろう。
パックされたサンドイッチがどこででも手に入るような日本がそもそも特殊なんだわ。台北のコンビニでもサンドイッチは少なかった。

鉄道のチケットを印刷していないんだけど大丈夫かと聞いたら、パスポートの番号でチェックインできるから大丈夫だと言われた。なるほど。そういえば二人分予約してもらうときにパスポート番号を聞かれたのだった。

高速鉄道YHTに乗り込む。フレディは窓側を譲ってくれた。
YHTはイスタンブル-アンカラ間を4時間37分で結ぶ。
「高速というには遅すぎませんか」
フレディはそう言ったけど、足元が広くて快適で何も不満がない。バスの場合もっと時間がかかるそうだ。モニターに地図が表示されておおよその現在地がわかるところもよかった。東京-岡山間の新幹線3時間半より短く感じた。運賃70リラ(1400円)。

今回の旅では、ホテル選びもフレディが全面的に協力してくれた。最初は自分で予約してみたりしたのだけれど、彼が悪いレビューを読んだと言うのでキャンセルした。確認するとたしかに「従業員に口説かれました」というようなレビューが入っていた。
「僕が電話で交渉します。君がそれを気に入ったらそのまま予約します」
そうなのか。ホテルって、値切れるものなのか。エクスペディアとかで割引してるとこを見つけて予約するから大丈夫だよいちいち交渉しなくても……と言おうかと思ったが、せっかくなのでお言葉に甘えた。
今夜アンカラで泊まる宿はできたばかりの小さなビジネスホテルだ。フレディが最初に見つけてきたホテルはゴージャスすぎるように見えて、もう少し安くていいよと言ったのだ。

フロントには愛想のいい白髪のおじいさんがいて、わたしがチェックインしたのを見届けてからフレディは家に帰った。(彼はアンカラ在住なのである)
カードキーだったイスタンブルのホテルと違い、こちらは昔ながらの鍵を渡された。開錠しようとしたらなかなか開かない。フロントに戻っておじいさんにGoogle翻訳で「鍵が開きません」を伝えた。おじいさんに見せてもらい、自分でもやってみる。開錠ができたら施錠も。カンフーマスターに教えを請う気持ちだ。わたしがコツをつかむのを見届けてからマスターはフロントへ戻っていった。
部屋にはエアコンがなかった。とはいえ夜は涼しいのでしばらく窓を開けておくことにした。
ルーク(1日目参照)にメッセージを送ったり、日本にいる母に無事を伝えたりしているうちにうとうとしてしまったけれど、おっとここは大都会、開けっ放しで寝るってわけにはいかないよねえ、と思ってきちんと窓を閉めた。

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