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『俳句と雑文 B』を(やくざ映画として)読む −ディレクターズエディション−

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瀬戸正洋『俳句と雑文 B』における俳句の世界は、やくざ映画の世界観に極めて近い。

【暴力の匂い】

拳銃を撃つや春月落つこちさう

サンダルと人とプールに浮びけり

句集の左右のページに隣り合って並んでいる二句である。拳銃を撃つ。銃声が空高く響く(消音器つけなくてよかったのかな)。空には春の月。目の前のプールには撃たれた人間とサンダルが浮かんでいる。そんなシーンが見えてくる。前者が春の句、後者が夏の句なのは気にしなくていいだろう。サンダルもプールも一年中あるのだ。

冷素麺口中切れてゐたりけり

草いきれ顔殴られてしまひけり

こちらは同じページに並べられた二句。「顔を殴られて口の中が切れてしまった」という物語が浮かび上がってくる。夏草の生い茂った土手で殴り合う男たち。草を踏みしだけば、むせるほど濃いにおいが鼻腔を冒す。ゴロのあとの冷素麺は、できるだけ傷にしみないようにつゆをほとんどつけずに啜るのだろう。

荒梅雨の私ひとりが濡れにけり

土居組組長、土居清の殺害を命じられた広能昌三(菅原文太)が、土砂降りのなか土居が現れるのを待つ。雪駄履きの素足が泥水に濡れる。足元に何本も吸い殻が落ちていることで長時間待っていたことがわかる。『仁義なき戦い』第一作の名場面である。

大綿や繋がれたるもの飛び跳ねて

大綿とは綿虫のこと。繋がれているのは犬だろうか。いや、人間だ。これはリンチの様子なのだ。目前に迫る死からなんとか逃れようともがく人間のまわりを、まるで命の儚さの比喩であるかのように綿虫が飛んでいる。凄惨な場面に感傷的で繊細な音楽を流すような演出は、深作欣二ではなく北野武のスタイルだろう。

ばらばらな人間ばらばらな西日

ばらばらなのは人と人の気持ち。ばらばらな西日とはブラインド越しに差してくる縞々の西日のこと。そう読めばいいのかもしれない。しかし、これはやくざ映画である。ばらばらになっているのは文字通り……

家庭用高圧洗浄機日短

高圧洗浄機で洗い流すのは当然、床の血痕だ。

【エンコ詰め】

やくざ映画といえば、組員が指詰めによって落とし前をつける場面は欠かせない。

油照左手爆発してをりぬ

蒸し暑い夏の日に詰めた左の小指。爆発したように飛び散った血。拍動のたびに痛む左手。『BROTHER』にこんな場面がある。モー(ロンバルド・ボイヤー)が「(小指を)切ったらどうなる」とたずねる。寺島進演じる加藤はこう答える。
“He can’t swim straight anymore.”(まっすぐ泳げないね)
瀬戸正洋はこう答える。

短日の右手が重くなりにけり

【組員の日常】

新涼のもぬけの殻の事務所かな

事務所には代紋の入った提灯や額などが飾られているに違いない。季語が「新涼」なので、九月頃。秋祭りで的屋の仕事が忙しく、組員は出払っているのだ。

仕事始めのプライベートの名刺かな

『竜二』の主人公花城竜二は、堅気風の名刺と極道仕様の名刺の二種類を持っている。それらはどちらも仕事のために用意した名刺である。やくざにとってのプライベートの名刺とはどんなものだろう。見てみたい。

ボクサーが蜜豆食うてゐたりけり

ボクシングの興行も組の重要な資金源だ。「おい、おめえ蜜豆なんか食ってていいのか」「さっき体重測定パスしたんスよ」「おうそうか、しっかり力つけていい試合しろよ」
テーブルに千円札を置いて肩で風を切りながら甘味処を出ていくパンチパーマの男。誰も指摘できないが、口髭に生クリームがついている。

【懲役】

雌伏十余年寒桜愛でにけり

組のために罪を被ってくれと頼まれ、懲役十余年。刑務所に植えられた寒桜に重ね合わせるのは愛しい女の面影か、兄貴の背中の桜吹雪か。

復活祭徒党を組んでゐたりけり

「復活祭」はイースターのことだが、懲役を勤め上げて娑婆に出た喜びに「復活」という言葉がふさわしい。組の仲間が何人も刑務所の出入り口の前まで迎えにきて、煙草を差し出し、火をつけ、労いの言葉をかけてくれる。「徒党を組む」とは軽い自虐だ。親分はイエス様、などとうそぶいて組を抜けていったかつての仲間に軽い皮肉を言っているのかもしれない。

【女たち】

烏貝嚙み難く妻は怖ろしく

おそろしいくらいでなければやくざものの女房は務まらない。噛みにくいながらも噛めばじわりと旨味の染み出てくる烏貝によって、苦楽を共にしてきた妻への信頼感が表現されている。

春の闇自宅へ帰るための酒

ときには妻の顔を見たくない夜もある。一杯ひっかけてほろ酔いで自宅へ向かう。

肌寒の思はず噓を付きにけり

ちからいつぱい頬叩かれて秋深し

これも二句の並びが鮮烈である。「あんた、またあの女のところに行ってたね」「いや、サブのとこだよ」「サブちゃんならさっき煙草屋の前で会ったわよ、馬鹿!」パシーン!
「秋深し」という叙情たっぷりの季語からは余韻が感じられ、叩かれた痛みをがいつまでも消えずに残っているような印象を受ける。

香水は厄除婦人警察官

男性の多い職場に女性が入れば「女のくせに生意気な」と言われるが、ことさらに「女らしく」振舞うことによって「わたしは弱い女性であり、あなた方男性の領域を侵犯するつもりはありません」というメッセージを発することができる。化粧は、スカートは、香水はまさに厄除なのだ。働く女性の処世術である。
しかし昭和なやくざがそこまで考えるだろうか。「うえっ! このねえちゃん香水付けすぎだな!」という気持ちをちょっぴり粋に言ってみたのだろう。

【ダメ。ゼッタイ。】

にんげんの顔がいつぱい瓜畑

出目金は生きるべきかを尋ねけり

扇風機左右に動く胃痛かな

薬物は人間の心身を蝕む。

夏負けの酒も薬も止めにけり

うん、うん。やめたほうがいいですよ。

この他、ガサ入れ、政界との癒着、密輸、彫物など、やくざ映画の定番モチーフを描いた(ように読める)句は枚挙にいとまがない。お疑いの向きはこぶしのきいた演歌を流しながらもう一度この句集を読み返してみてほしい。昔気質の極道の照れたような笑顔が、行間に見え隠れしているはずだ。

この文章は月刊俳句同人誌『里』二〇一四年三月号に掲載された「『俳句と雑文B』を(やくざ映画として)読む」に文字数の関係からカットしていた部分を加えたものです。

フローラル、スパイシー、夏フェス! - BLOMMA CULT / ROOM1015 –

ブロンマカルト

この記事は香水沼の浅瀬でちゃぷちゃぷ遊んでいる香水素人が書いているためあちこち間違っている可能性があります。お楽しみください。

コロナ禍が本格化する前の2月、念願のNOSE SHOP(大阪)を訪れて香水ガチャを引いた。
(いま思うと軽率でした。でもそのときは無症状の感染者が感染を拡大する可能性について知らなかったんだ。ウイルスが手から手へ媒介されていく接触感染に関してもテレビで実験の様子を目にするのはずっと後だ。風邪っぽい症状のないひと同士ならふつうに接触して大丈夫だと思っていました。)

そして出てきたのが…

BLOMMA CULT(ブロンマカルト)EDP / ROOM1015(ルームテンフィフティーン)

スタッフの方はガチャのカプセルを回収すると当たった香水について簡単に解説してくれた。
Room1015はミュージシャンが作った香水ブランドで、音楽に関係した香りを作っていること。1015というのはかつてミュージシャンのたまり場となっていたホテルの部屋番号だということ。

フラスコ(と香水コミュニティでは呼ばれているようなのだが、理科室では漏斗と呼んでいたのではなかったか)から匂いを試してみると「あ、これは当たりだ」と直感した。

ノーズショップ店内

このガラスの漏斗(でもフラスコって呼ぶんですね?)の内側に香水がついていて、持ち上げて嗅ぐ。

しばらくガチャで手にいれたお試しサイズを愛用し、後日10mlサイズを購入した。

NOSE SHOPのサイトには

狂乱の花々。爆発と混乱 。性革命のファンファーレ。長い髪の下、むき出しのうなじが官能的な香りを放つ。愛によって暴かれた道徳が肉体を解放する。自由の象徴、ほとばしるフラワーパワー。

となんだか恐ろしげな説明が書かれているけれど、ここから想像されるような濃厚で強烈な香りではなく、もっと「わーい !! たっのしー!! ひゃっはー!!」みたいな健康的な香りです。
おそらく日本語と日本の文化にどっぷり染まったわたし(たち)は「性」って聞いたときに重く薄暗く受け止めてしまうんだろうな。

具体的にどういう香りかというと、

トップ|ベルガモット、ライラック
ボディ|カシュメラン、パチョリ、バイオレット
ベース|シナモン、バニラ、ホワイトムスク

と書かれていますが、もうとにかくビリビリとスパイシー。
一瞬でいなくなる柑橘類の香り、これがベルガモットでしょ。
フローラルな感じがライラックとバイオレットなんだと思う。
ビリビリスパイシーなのは胡椒みたいな感じがするけど、シナモンなのかな。
たぶんそうでしょう。
Fragranticaを見たらシナモンがメインだと感じるひとが多いようだ。

Fragrantica

引用元:Fragrantica

時間が経ってくると、ビリビリがおとなしくなり、バニラの甘さが出て「すごくいいにおいの汗」みたいな香りになります。
そう、まさにライブでワーッと盛り上がって汗かいた感じ。
おお、我が眼裏に夏フェスが見えるぞ……。(行ったことないけど。)

持続性は結構ある(朝つけると夕方近くまでほんわり香る)けどあまり拡散しないみたいで、膝より下につけてしまうと香りがよくわからない。
少量つけるなら手首とか首とか胸元とか上半身のどこかがいいと思う。(おそらくちょっとぐらい大目についてしまっても大事故にはならない。)

ちなみに、blommaはスウェーデン語で「花」の意味らしい。英語のbloom(咲く)と語源は同じなのかな。

(2020年5月22日追記)
後日ムエットでHistoires de Parfume(イストワール ドゥ パルファン)の “1876 マタ・ハリ” を試したのですが、ブロンマカルトと結構似てる! ただマタ・ハリは後半土っぽさ(草っぽさ?)が強く出て物悲しい感じです。若くして処刑されたものね……。

半分妄想トルコ日記 一覧

※ 何日目か書いてある記事は事実が多め、書いてない記事はほぼ妄想です。
※ イスタンブールのエセンレルというところにあるオトガル(バスターミナル)が怖い(キャットコールを受ける、タクシー運転手が追いかけてくる、地下街で犯罪が頻発 etc…)のは100%本当です。一人旅の方はお気をつけください。
※ 言語交換相手であり案内を買って出てくれた2人の友人に感謝します。チョック・テシェキュレール(めっちゃありがとう)!

半分妄想トルコ日記(1日目・前編)武蔵坊弁慶イスタンブルに参上
半分妄想トルコ日記(1日目・後編)ちょっと祈ってきます
半分妄想トルコ日記 テロが怖いですか?
半分妄想トルコ日記(2日目・前編)三食朝ごはん食べたい
半分妄想トルコ日記 彼の名は蝶
半分妄想トルコ日記(2日目・後編)巨大怪獣出現
半分妄想トルコ日記 彼女はユキサン
半分妄想トルコ日記(3日目・前編)イルハンに口説かれる
半分妄想トルコ日記(3日目・中編)わたしは悪いムスリムだった
半分妄想トルコ日記 彼はフレディとも呼ばれている
半分妄想トルコ日記(3日目・後編)レンタカーでカッパドキアへ
半分妄想トルコ日記 俺は乾留液(カトラン)と呼ばれているらしい
半分妄想トルコ日記(4日目・前編)気球は上がらなかったけど
半分妄想トルコ日記(4日目・中編)トゥズ湖、いかついSABON
半分妄想トルコ日記 俺は乾留液(カトラン)
半分妄想トルコ日記(4日目・後編)逃げないトルコアイス
半分妄想トルコ日記 彼の名は乾留液(カトラン)
半分妄想トルコ日記(5日目・前編)憧れのトルコ航空
半分妄想トルコ日記(5日目・後編)言い値で買うことは許されません
半分妄想トルコ日記(最終日)空港のお菓子が高すぎて泣き止む
半分妄想トルコ日記 彼は老人と呼ばれた

天使かよ! 山田耕司『不純』は非常によいBLだからぜひ読んでみてほしい

※BLが好きでなおかつ俳句にもちょっと興味がある方向けの記事です。俳句が好きでBLにもちょっと興味がある方にもお楽しみいただけるかと思います。能村登四郎沼の歩き方続・能村登四郎沼の歩き方も併せてどうぞ。

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友人Mによると最近の石油王は受が主流(注1)なのだそうです。

向日葵よ目隠しは本当に要らないんだな  山田耕司『不純』

これはMさんが石油王受に認定した句です。
尋ねられている方が石油王ということですね。ほほう…。

目隠しをするシチュエーションとしてわたしが最初に思い浮かべるのは処刑ですが、「本当に」なんて念を押して質問している(=コミュニケーションが成立している)ことで緊迫感は弱まりどことなく間の抜けた性愛の場面のようにも思えます。
よしんば、
「目隠しなんかいるか。さっさと殺せ」
「おいおい。お前はそうやっていつも俺の親切心を踏みにじるんだ。せっかく用意してやったのに。本当にいらないんだな?」
という処刑の場面だったとしても、いや……むしろ完全にBLですね。(注2)

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能村登四郎を耽美的な翳りを帯びたJUNEとするならば、山田耕司さんの俳句はBL的な明るさとユーモアに溢れています。ちょっと極端な例を比べてみますが、

夏痩せて少年のゐる樹下を過ぐ  能村登四郎
鷹の眼をもつ若者とひとつ湯に

といった感じで年嵩の男から若者を眩しく見がち(ベニスに死すか!)な能村登四郎に対して、山田耕司は、

春それは麦わらを挿す穴ではない  山田耕司
つむじ嗅ぐ理由など知らず卒業期
泣く人に海鼠を見せてをりました
みつ豆の叱る側だけ泣きながら

こんなふうに同年代の男の子ふたり(年齢の近い先輩後輩?)のじゃれあいっぽい句が目立ちます。
もうちょっと引用するからとりあえず読んでみて。(以下引用はすべて山田耕司『不純』より)

濡らさるるこの奥ゆきをところてん
名月や背をなぞりゆく人の鼻
重陽の嗅ぎつくしてもなほ二人
乳首など要らぬといふを鳥わたる
耳咬むに至らず会釈春隣
妙な声出すまで春の泥うがつ

どうだ。
読んでるこっちが妙な声出ちゃうだろう。

とくに「ところてん」は直截的すぎてどう受け止めていいかわからない。(注3)

もうこれだけで『不純』が男×男として読むことで輝きを増す句が多い句集っぽいぞ! というのは十分にお察しいただけるかと思いますが、『不純』の面白い点は「そもそもこのひとたちは人間なのか」という疑問がわいてくるところです。わたしは男同士が好きだから男同士だと思って読んでるけど、性別以前の問題として、ヒトだと思っていいんだっけ、という。
というのも、まるで自分の肉体を珍しがるような句がたくさんあって、

たんぽぽに穴ある顔を寄する吹く
顔に穴があるのは当たり前では……?

鼻のあなに舌はとどかずヒヤシンス
試した。うん。それ試したよ子供の頃。

いきんでも羽根は出ぬなり潮干狩
それは試したことないな。むしろなぜ出ると思った?

河童忌を吐かずにゐられなくて息
吸って吸って吸って止めてたん?

囀りやくちびるもまた穴のふち
いろんな穴にいろんなふちがあるよね!

眼の球はぬれつつ裸ふきのたう
なぜそんな純真な目で下ネタに寄せるんだ。

豆の花おのが耳穴は覗けず
ってかお前、穴が好きだな。

つちふるやたて線上のここは臍
お外ではお臍しまってもらっていいかな?

座布団は全裸に狭しほととぎす
着て!

突っ込みを入れながら読んでしまいますが、この(ヒトの肉体を珍しがるような一言)+(季語)の組み合わせ、めちゃくちゃぐっときませんか。おかしなことを言っているというのに、季語との組み合わせが絶妙でピュアな透明感ときらめきが溢れてしまう

自分の肉体を不思議がるのは人間の肉体を得てから日が浅いひとの感覚ではないかと思います。子供とか、天使をやめて人間になったとか。そういう意味では推しが人間界に暮らすことになった天使や悪魔という方や、モノや概念(鉄道・武器・国 etc…)の擬人化ジャンルを愛する方ならなおさら楽しめる句集かもしれない。(注4)

山田耕司句集『不純』が気になったら、ぜひ週刊俳句の下記の回を読んでみてください。

第594号 2018年9月9日
佐藤文香プロデュース
特集 山田耕司句集『不純』を読む

版元のサイトはこちら

(注1)その後調べたところ石油王受のサンプル数が少なかったため石油王受が主流とまでは言い切れないとの訂正が入りました。「私の好みというバイアスがかかっていましたことをここにお詫びします」友人M談。
(注2)当方光属性のため、このあとの展開は「クソッ。サプライズが台無しだ」と言いながら目隠しを床に投げつけてポケットから指輪を出したところで処刑されかかった方のひとに「ふざけんな」って蹴り飛ばされるといいと思います。
(注3)竿に触らずに菊門の刺激だけで腎水が出ちゃう方のところてんを想像せずにはいられない! と識者の間では有名。
(注4)俳句の本を読むとき、「イメソン」的なものとして「イメ俳」を探すと楽しいです。

続・能村登四郎沼の歩き方

  Radek Pestka

能村登四郎が気になり始めたみなさんにちょっとショックなことを言います。
能村登四郎先生ってね、故人なんです。2001年に90歳で亡くなりました。
つまり新刊が出ません!(イヤァァァァァー!!!)

でも。

新刊は決して供給されませんが、生涯に句集が14冊(!)も出てるので泣かないで。わたし自身全然目を通せてない部分もいっぱいある。見逃してる名句が山ほどあるに違いないので、みんなで大事にdigりましょう。

さて、前回は第3句集『枯野の沖』第5句集『幻山水』を中心に紹介しました。
今回は第8句集『天上華』第9句集『寒九』から紹介していくよ。

1. やっぱり僧が好き『天上華』

能村登四郎といえば僧侶俳句。僧侶が登場しない句集は第2句集の『合掌部落』だけ。(合掌部落にも僧侶俳句あったよ! という場合は教えてください)『天上華』には「美僧」が登場します。

春怨 昭和五十九年
逃げ水に逃げられて逢ふ美僧かな
 逃げ水は春の季語です。春の陽気。逃げ水を追いかけるように歩いていくと当然その逃げ水は消えて、そこに立っていたのはひとりの美僧。「美僧」でも「僧侶」でも音の数は同じなのに、敢えて「美僧」と言いたかったんだね。「杉の花降らす杉山に僧入れば」と並んでほとんどファンタジーの世界。

竹皮を脱ぐや僧衣も脱ぎすてに
 全集で読むと美僧を出したのと同じページにこの句があるんですよね。さっきの美しい魔物のような美僧がバサッと脱ぐとこ想像してしまう。グッジョブとしか言いようがない。発光してそう。

一雁 昭和五十六年
滝行のすみし火照りとすれ違ふ
 この句も僧侶俳句と考えていいかもしれない。滝の冷たい水に打たれた後の身体から「火照り」を感じた。っていうか火照りを感じる距離なのかよ。こういう能村登四郎の前のめりなところが好きだ。

午後からの雪 昭和五十七年
削るほど紅さす板や十二月
 ひええ! 色気がやばい! 鉋ををかけて木の肌を削っていくとだんだん赤みが見えてくる。単に木工の様子を言っているはずなのに艶やか!「紅さす」という言葉は口紅を連想させるし、人の肌が紅潮することも思わせる。「十二月」なんて素知らぬ顔で時候を季語として置いていくさりげなさが憎い。能村登四郎の句には、
身を裂いて咲く朝顔のありにけり『寒九』
散りしぶる牡丹にすこし手を貸しぬ『菊塵』
のように「美には痛みが伴う」とでも言いたげな句がときどきありますよね。滝行の句にもほんのりその空気は感じる。BDSMじゃないですか。

天上華 昭和五十八年
宿敵のゐるはるかへと豆を打つ
 ぜひ「敵手と食ふ血の厚肉と黒葡萄」とセットで読みたい。豆まきの豆を宿敵のことを思って撒くけれど、その宿敵ははるか彼方にいる。もう二度と会わない相手なのかもしれない。すでに近くにはいない宿敵にわざわざ豆を撒く必要ある? 追い払う気あるんだろうか。むしろ気づいてほしいという祈りなんじゃないのか。まるで教室の少し離れた席に向けていたずらで投げる消しゴムみたいだ。無視すんなよ、俺にかまってくれよ、お前と喧嘩できない人生なんてつまんねえよ、と。

仕置場にやや似て寒の水垢離場
 仕置場というのは処刑場のことなんだそうです。水垢離の過酷さを処刑場にたとえている。それってちょっと不謹慎ではないでしょうか。不謹慎なのは妄想がはかどりすぎるわたしでしょうか。BDSMじゃないですか。(2回目)

少年のわれゐて蝌蚪を苛(さいな)める
 蝌蚪(かと)、オタマジャクシのことですね。春の句ですよね。田んぼのわきにしゃがみ込んで棒でオタマジャクシの群れを散らして遊んでるんでしょうね。お日様の下でするちょっぴりうすぐらい遊びです。なぜだろう、そこはかとなく性的なものを感じる。お察しいただきたい。

たらの芽や男の傷は一文字
 男の! 傷って! なんですか!?

2. 『寒九』−−いまさらの「男同士もいいなあ」

昔むかし 昭和六十一年
男同士もいいなあと見て松の花
『寒九』のいちばんの突っ込みポイントは「男同士もいいなあ」です。
いや、知ってるし! ずっと男の美ばかり語ってきたじゃん、あなた!
でも、リアルタイムで作品を追っていたファンは「ふうん?」ぐらいでスルーしたかもしれません。毎月少しずつ読んでいたら、他のいろんな句にまぎれて男同士の熱い句が多いことに気づかなかったんじゃないのか。気づいたとして言いにくかっただろう。

芭蕉わすれ 昭和五十九年
夏果ての男は乳首のみ老いず
 能村登四郎、老いと若さを語りがち。この句では乳首に着目した。いやしかし、これは良さを語りにくい句だよ、即物的すぎて。夏の終わりだから夏痩せもあるのでしょう。枯れたような上半身に、ただ乳首だけは若き日とおなじ佇まいで存在している。ご自身のことをお詠みになったと考えるなら「妖艶」と言ってしまうのは憚られるけれども、故人だからいいですか。ちなみに下半身にフォーカスした句もあります。
今にある朝勃ちあはれ木槿咲く『菊塵』
こんなことも言っちゃう。
夏痩せて身の一筋のものやせず『民話』
えー……。

心づくしの秋 昭和五十九年
鷹の眼をもつ若者とひとつ湯に
 関係性を語れる句はいいな! 鷹のような鋭い眼をした若者。それを見ている自分も湯に浸かっている。二人とも裸で。「鷹」はいちおう冬の季語だけど、比喩として使われているから実在の鷹のことは詠まれていない。実質無季ですよね。だけど「鷹の眼をもつ若者」に生々しい実在感があって読者の脳裏に情景が広がる。語り手が若者を見ているということは、若者もまた語り手である年上の男を見ているわけです。鷹って捕食者ですよね。やだ〜〜〜! 食べられちゃう〜〜〜!

湖の地蔵盆 昭和六十一年
素裸の僧ゐてやはり僧なりし
 僧侶が僧衣を着ていれば当然僧侶に見える。しかし僧衣を脱ぎ捨てて素裸になってもやはり僧侶に見えると言う。これも無季っぽく見えますが「裸」が夏の季語です。素裸であってもそのひとの立ち居振る舞いがどこか僧侶らしいのだろうか。僧侶以外でスキンヘッドにするひとは目つきが極端に鋭かったり彫物があったりするから(※仁義なき戦いシリーズを何度もリピートしているひとの意見です)そこでなんとなくわかるのかもしれない。「裸」という季語を使う人は多いけれども、「裸の僧侶」について言及したのは能村登四郎ぐらいのものではないでしょうか。

はい。
ということで今回は以上です。
先日友人のMさんとメッセージのやりとりをしていてこんなことを言われました。

「能村登四郎の俳句ってBLというよりむしろJUNEなのでは」

そうだ。
ハッとしました。
植物に託されたエロスのむせかえるようなキラキラ点描世界はたしかに “JUNE” だ。男性美や男性同士の関係性が読み取れるとわたしは自動的に “BL” って言ってしまいがちだけど、能天気にラブラブハッピーだったり受がでかくてごつくてオラオラしてたりする “BL” が生まれる以前の空気感が能村登四郎の作品にはある。

それじゃあ、もっと現代の “BL” っぽい俳句を作る作家さんはいないの?

え。
いるじゃん。

少年兵追ひつめられてパンツ脱ぐ 山田耕司

どうですか。
九州男児先生を思わせるこのギャグ漫画っぽさ。
次回、山田耕司さんの俳句を紹介します!!

第3回超人 #タッグマッチ句会 プレイバック

恒例になりつつある古本斑猫軒店主ミコシさんとわたくし石原ユキオの句会プレイバック対談、今回は2019年11月〜12月に開催された第3回超人タッグマッチ句会の俳句を振り返りたいと思います。

タッグマッチ句会とは

「タッグマッチ句会」とは、二人一組で参加する句会です。共作した句を投句し、選句・選評も二人で相談して行います。

兼題は【食べ物しばり】【別に】【加湿器】。2名1組のタッグチームが兼題を含む4句を共作し、代表者がシステム上から投句しました。
句会参加者は特選1句、並選12句をタッグで選ぶというルールですが、我々もだいたい同じくらいの数を選ぼうということで各自特選1句と並選6句を選びました。

(CM)石原の句も掲載されてる『俳句は入門できる』をよろしくおねがいします。

ミコシ(古本斑猫軒)選
【特選】
記憶する水の冥きを鮟鱇が  (クリームソーダ)
【並選】
寒昴アル・アヒージョの海老縮む  (Jサポーターズ)
風花や霊柩車から空撮る子  (Jサポーターズ)
一匙の羊の脳やクリスマス  (ヘル⭐︎コンビ(from Hell))
年の瀬のトングの掴むちくわ天  (モストドンジャラスコンビ)
加湿器に重くなりゆく楮紙  (けむ子とめぇ子)
加湿器にバリスタのつぐ美しき水  (馬鈴薯姉弟)

石原ユキオ選
【特選】
どのポケットに手を入れようか寒鴉  (ヘル⭐︎コンビ(from Hell))
【並選】
小春日のフィレオフィッシュの軽さかな  (ゴールデン💘アローズ)
くらやみにトマト缶ある寒さかな  (ペーパードライヴァーズ)
タッパーのさまざま集い聖夜来る  (閉所と暗所)
雪女遅れます先はじめてて  (ラブ&サンダー)
ふりかけのをはりは粉よクリスマス  (たいやきズ)
湯気立てて職員室は明るい部屋  (ペーパードライヴァーズ)

かっこ内は(久しぶりに見るとぎょっとしますが)チーム名です。並選は選句用紙の番号順に並べました(川柳の句会みたいに評価の高い句から順に並んでいるわけではない)。

八宝湯ぜんざい

不穏なので特選にしました

どのポケットに手を入れようか寒鴉  (ヘル⭐︎コンビ(from Hell))
[ ユキオ特選 ]

ユキオ これ自分がポケットの多い服を着ていて「どのポケットに手を入れようか」と言っているのか、そこらへん歩いてる人の誰かの「どのポケットに手を入れようか」なのかどっちかわからない。他人のポケットに手をいれる話としたら、これって…
ミコシ スリですよね。
ユキオ そう。あるいは、ポケットの中で手をつないだりすることを考えて、適当にそこらへんにいるひとと不適切な関係を結んじゃおっかな的な、そういうのも感じて。
ミコシ すごい。特殊な読み方だな。
ユキオ なんかひととの距離感がいきなり変になる句じゃないですか、後者の読み方をすると。寒鴉という季語ゆえに不穏な読み方を誘ってしまうのだと思います。寒々とした街でスリを働くのかあるいは…
ミコシ そうか。ここは寒鴉じゃなくて何か穏当な季語だったらシンプルに。
ユキオ そう、シンプルに自分のポケットって思っちゃうかもしれない。でも自分のポケットってどれに手を入れようって思いますかね。ズボンかジャケットかぐらいしかない。だからどうしてもこれは他人のポケットを考えてしまいますね。

記憶する水の冥きを鮟鱇が  (クリームソーダ)
[ ミコシ特選 ]

ミコシ 今回の句の中にこういうザ・不穏! ていう句があんまりなかったということもあってこれが際立って見えました。あと、倒置法ですよね。
ユキオ 水の冥きを鮟鱇が、記憶する。
ミコシ 普通に語順を入れ替えて「鮟鱇が水の冥きを記憶する」でも成立する。というか、むしろ文章としてはそっちのほうが正解なんだけど。敢えて倒置法にしたことで鮟鱇の水底の暗いところにいる感じが出たと思います。ここは鮟鱇という文字は一番下に持ってこなきゃだめだ、という妙な納得をさせられました。
ユキオ 「記憶する」で切れて「水の冥きを」で切れて「鮟鱇が」でまた切れる、ぶつ切り感がありますけど、でもまあ鮟鱇ってぶち切られてますしね。
ミコシ 誰かも言ってたかもしれないけど鮟鱇って「吊るし切り」で解体されるんですよね。その感じと言われたらそんな気もする。語順を入れ替えたことにも意味があるように見えてしまう。
ユキオ より凄惨な感じになってるかもしれない。
ミコシ バラバラにされながらも記憶が、意識がまだそこにあるという一種のグロテスクさですね。鮟鱇ってそういうグロテスクなものに似合う言葉な気がするし。

雪女は萌選です

ユキオ 今回「萌選」というシステムは設けてなかったんですけど、自主的に萌選を挙げさせてください。

雪女遅れます先はじめてて  (ラブ&サンダー)
[ ユキオ並選かつ萌選 ]

ミコシ うん、これはシンプルにかわいいですね。
ユキオ なんか「あ~、すみません山田遅れます~」とか「秘書課遅れます~」とか自分の名前や部署名を言う感じで「雪女遅れます」って言ってる。雪女っていう役職の人なのかなとか。
ミコシ どこかで集まって口頭で言ってるのかそれともLINEメッセージみたいなもので言ってるのか。
ユキオ LINEかもしれないですね。
ミコシ このLINE感がどこから出てくるかはちょっとわからないけど。
ユキオ シチュエーションとしては飲み会ですよね。忘年会か何か宴会の前のメッセージ。友達同士というよりお仕事感覚がある気がする。ぬらりひょんの人とかも来ると思うんですよ。
ミコシ うん、来ると思います。
ユキオ そういうかわいい妄想をさせてくれるところがいい。あと雪女の職場での苦労も勝手に考えちゃうんですよ。彼女は季節労働者なので一年中いるわけじゃない。
ミコシ ああ。仕事で遅れるのかなあ。いま繁忙期だから。
ユキオ そう。夏に働くわけにはいかないですからね。
ミコシ 待ってる側もそんな話をしてるんですね。「繁忙期だからねー」って。

悲しみに対する整理のつけ方

風花や霊柩車から空撮る子  (Jサポーターズ)
[ ミコシ並選 ]

ユキオ いかにもありそうな風景ですが。
ミコシ 霊柩車に同乗しているということは亡くなったのは近親者。気軽に写真を撮るっていうのは割と最近の風俗なのでそこでなんとなくこの子の年代や雰囲気が見えてくる。
ユキオ 中学生か高校生ぐらいでお父さんかお母さんが亡くなったっていう。
ミコシ 一種無作法とか不謹慎とはたからは見えることでも、近親者の中ではその無邪気さが救いになることってやっぱりあるわけで。みんなで沈み込んでいれば不謹慎ではないけど救いはない。そこにいっこ穴を開けちゃう存在でもあるし、この子自身としてはこの子なりの悲しみに対する整理のつけ方なのかもしれない。
ユキオ なるほど。
ミコシ 風花っていう、舞いながら空から降りてくるものと、天に帰っていくものという対比もそこにあると思う。風花という季語を活かしながら近親者であるからこその心の機微を描けていると思います。

ダジャレか事故か

寒昴アル・アヒージョの海老縮む  (Jサポーターズ)
[ ミコシ並選 ]

ユキオ すみません、わたし全然調べなかったんですけど、アル・アヒージョって料理の名前なんですか。
ミコシ 海老のアヒージョのことをガンバス・アル・アヒージョというらしいんですよね。どうも「カンスバル」と「ガンバス(=海老)」のダジャレになってるようなんです。なのでこの句はとろうかどうしようかちょっと悩んだんですよね。季語の使い方どうなん? って。で、仮にダジャレではなくて「寒昴アル・アヒージョ」という架空の料理、「星座のオリーブオイル煮込み」だと解釈してみると、けっこう面白くなるんだけど今度は下五の「海老」が分からなくなってしまうし。じゃあ何故この句をとったかというと、「寒昴」という天体が、バル→アル→アヒ→エビと音の連なりを辿って食卓という地上に収斂する星座っぽさを捨ておけなかったというか。
ユキオ んー……やっぱり言葉に変な負荷をかけすぎじゃないですかね。わたしダジャレの時点でとれないな。
ミコシ じゃあ、この句はどうですか。

小春日のフィレオフィッシュの軽さかな  (ゴールデン💘アローズ)
[ ユキオ並選 ]

ユキオ 手に持ったときの物理的な軽さと噛んだときのサクッとカリッとした軽さが出ていると思いました。この変な明るさが好き。
ミコシ 屈託はないですよね。小春日にちょっとつきすぎてるかなとは思うんですが。そこは見逃していいんですか?
ユキオ 小春日、そうねえ。意外性はないですよね、たしかに。
ミコシ 変にひねってくるよりは屈託のなさという意味ではこのくらいでちょうどいいのかな。
ユキオ そういえばフィレオフィッシュってヘルシーそうに見えてカロリーが結構高いんですよね。白身魚とはいえ油で揚げているので。

ちゃんと調べてみるとフィレオフィッシュ(139g) 341kcal。ハンバーガー(104g)256kcalよりは高いものの、マクドナルドのメニューの中ではカロリー低めでした。

ミコシ 魚といえば。この「軽さかな」って「魚」とかかってると思います?
ユキオ ンッ!? え???
ミコシ 考えすぎ?
ユキオ あああああ。そう考えるととれなくなっちゃいますね。ダジャレかあ、と思うと。寒昴アル・アヒージョもダジャレかあと思うと絶対とれないし。
ミコシ わかる。それも気持ちとしてはよくわかる。
ユキオ いや、でもこっちは事故じゃない?
ミコシ うっかりダジャレかな?
ユキオ うっかりダジャレ。笑
ミコシ ところで昔の言葉遊びでこんなのがありまして。

You might think though today’s some fish.

ユキオ ????
ミコシ これ僕の中学校のときのおじいちゃん先生が教えてくれたんですけど「言うまいと思えど今日の寒さかな」って読むんですよ。
ユキオ へっ???
ミコシ You mightは「言うまいと」じゃないですか。thinkと逆接のthoughで「思えど」。today’sで「今日の」。some fishが「寒さかな」。
ユキオ これはひどい! たいしてうまくも面白くもないしなんでわざわざ!
ミコシ そうなんですよ。おじいちゃん先生がいかにも言いそうなことじゃないですか。
ユキオ たしかに!
ミコシ その寒い感じをフィレオフィッシュの句を見て思い出してとれなかったんです。
ユキオ そう言われるとわたしもとれないな。
ミコシ まあでも事故でしょうね。
ユキオ 事故だと思いたいです。

クリスマスとグロテスクさの取り合わせ

一匙の羊の脳やクリスマス  (ヘル⭐︎コンビ(from Hell))
[ ミコシ並選 ]

ミコシ これ逆にユキオさんとらなかったのが意外です。ハンニバルじゃないですか。
ユキオ あれ。ハンニバルってこんなシーンありましたっけ。
ミコシ そのまんまのシーンはないけど。脳を食べるのと『羊たちの沈黙』じゃないですか。一種のグロテスクさというか。羊の脳はハンニバル食べてないんだけど。選評でもハンニバルって書いてる人何人かいて。
ユキオ んー、なんだろう。クリスマスと羊のつきすぎ感でとれなかったのかな。
ミコシ 羊じゃないほうがよかったのかな。
ユキオ でも羊の脳は食べますもんね、実際。
ミコシ クリスマスにグロテスクなものを持ってきたという面白さ。
ユキオ 羊の脳はグロテスクなのかな。うーん。どこで誰が見た景色を誰が書いてるんだろうって考えちゃうと頭で作った感が出すぎちゃうかなっていう気もして。たぶんわたしハンニバルとか好きだからこそちょっとそこらへんには厳しくなっちゃうのかもしれないですね。

もろびとこぞりて

タッパーのさまざま集い聖夜来る  (閉所と暗所)
[ ユキオ並選 ]

ミコシ この句とろうかとるまいか迷ったんですけど。
ユキオ わたしこの「来る」のところに線を引いてるんですけど、「来る」は余計だなって思ったの。タッパーがさまざま集うっていうのは持ち寄りパーティとか、家族連れ子供連れで集まるパーティかもしれないですよね。聖夜のめでたさをいろんなうちから来たいろんな色の蓋のついたいろんな形のタッパーに託して…
ミコシ モノで示したという。
ユキオ そう。そこが面白い。
ミコシ この「集い」からクリスマスの「もろびとこぞりて」的なものを連想するけど、そこまで深読みすると面白くなくなるのかなあ。
ユキオ さまざまなタッパーが「ある」のではなく「集い」と書くことによっていろんなところから人が集まってきたことが伝わりますよね。何かを持ち寄るという行為自体が東方の三博士が贈り物を持ってやってくる姿を想起させます。
ミコシ そうですね。そこの想起させる部分をよしとするかやりすぎと取るかで分かれちゃったんですね。

加湿器と紙シリーズ

ミコシ 加湿器と紙の取り合わせの句がいくつもあったんですよね。

加湿器に重くなりゆく楮紙  (けむ子とめぇ子)
[ミコシ並選]

加湿器にあたる手紙のやわらかさ  (余花)

加湿器や校正指示を付箋紙に  (クイーン&マダムのダイナマイトお茶会)

ユキオ 加湿器で紙が湿るのってあるあるなんですかね。わたしそこまで加湿器と紙をリンクさせて考えたことがなかったんですが。そんな中ミコシさんが選んだのが「加湿器に重くなりゆく楮紙」。
ミコシ この3つでどれかと考えたときに加湿器との距離感のちょうどいい紙を選んじゃったっていうのが僕の理由なんですよね。楮紙って伝統的な和紙じゃないですか。それと加湿器っていう比較的近代的な機械との取り合わせで面白い紙を選んだという。湿気で重くなるというぱっと見ではわからない、見えない部分への洞察も面白かった。湿ってゆく紙を何で表現するかというところで手紙の句は「やわらかさ」で、楮紙の句は「重さ」で表現している。僕は「重さ」のほうがちょっといいなと思ったんです。ユキオさんは「加湿器」の句だと…
ユキオ 最終的には外したんですけど予選では付箋紙の句をとってました。加湿器と紙の関係が「湿る」ではなくて、発想はそこだったかもしれないけれど、完全に切れて全然関係ないものとして取り合わせられてる。単にオフィスかどこかの景を詠んだだけみたいな。

クリスマスの魔法

ふりかけのをはりは粉よクリスマス  (たいやきズ)

ミコシ これはなんで選んだんですか?
ユキオ スノードームをイメージしたんです、読んだときに。
ミコシ へええええ。そうですか。
ユキオ ふりかけって最初から粉だから終わりだけ粉ってわけじゃないんですけど、終わりって本当に細かい粉じゃないですか。それをさらさらさらさらご飯の上にかける様子とスノードームをひっくり返して雪が舞い降りる様子を重ねて幻視したので。
ミコシ なるほど。わりと特殊な読みではありますよね。
ユキオ ふりかけのことを詠んでいるのに雪が見える。季語がクリスマスじゃなければ雪はイメージしなかった。言葉による魔法を見せてくれたという気がします。
ミコシ この句はすごく「は」行と「り」が多いですよね。音読するとowariwaなんですけど字面で見たとき「をはりは」で。
ユキオ あああー! あれだ! ふはふはのふくろふの子のふかれをり現象だ!(ふはふはのふくろふの子のふかれをり/小澤實)
ミコシ そう。だからはらはら感が出るんですよね、ここに。粉雪が降ってる感が。
ユキオ そうかそうか。それもあるかもしれない、たしかに。

会場:無天茶坊(岡山県玉野市)

句やチーム名の間違いがあればお知らせください。

古本斑猫軒

古本斑猫軒
綺想・幻想・怪奇趣味の文学・芸術・人文書籍。民俗、妖怪、博物学、江戸趣味。レトロな暮しの本、手芸などの雑誌や児童書も。

能村登四郎沼の歩き方

能村登四郎読本

能村登四郎が訪れた金陵山西大寺(岡山市)で撮影しました。

この記事は「俳人能村登四郎は男×男的な意味でたいへん熱い作家だと聞いている」「能村登四郎のライフワークは男性美の追求だったんですよね?」「美僧! 美僧!」というような方向で能村登四郎が気になり始めたひとに向けて書いています。

さて、能村登四郎を読みたいと思ったとき、図書館に行って『能村登四郎全句集』もしくは『能村登四郎読本』を書庫の奥から引っ張り出してもらうことになるのではないでしょうか。全集は完全に鈍器だし、読本にしたって読むところがいっぱいあってどこから手をつけていいかわかんない。ご安心ください。能村登四郎の魅力がぎゅっと凝縮したおすすめの箇所を紹介します。

1. まずは第3句集『枯野の沖』を読もう

悲母変 昭和三十四年
麦刈りの少年の腋毛おどろかす
 三島由紀夫的な!? とツッコミを入れてしまったなら既にあなたは能村登四郎沼の民です。おめでとうございます。

同温 昭和三十六年 – 三十七年
夏痩せて少年のゐる樹下を過ぐ
 完全に夏に負けている老いた自分と涼しげな木陰にいる少年の若さの対比。
シャワー浴ぶ若き火照りの身をもがき
 シャワーを浴びる仕草ってもがいているように見えるかもしれない。それを「若き火照りの身をもがき」と表現してしまう。これも「若くない自分」が「若者」を見ている句と考えていいと思う。水滴を弾くギリシャ彫刻のような肉体を想像させてくれます。
敵手と食ふ血の厚肉と黒葡萄
 ライバル同士で! 血の滴るステーキと黒葡萄を! 食べているんですね! それもまたひとつの闘いのように! 肉と葡萄という組み合わせの地中海っぽさ。やっぱり何かギリシャを感じる。ちなみに能村登四郎が実際にギリシャを訪れるのは昭和42年です。
青年なまめく乾草ぎつしり納め来て
蓼あかし売るときちよつと豚拭かれ
 乾草の句と豚の句はぜひセットで読んでほしい。豚農家の話ではないのだが「ゴッズ・オウン・カントリー」というボーイ・ミーツ・ボーイな映画を観てほしい。汗臭さ+獣臭さ+若さのきらめき。

露一粒 昭和四十一年
冷されし馬なりすれちがひざま匂ふ
 濡れた何かとすれ違うときににおいを感じる俳句というのは、能村登四郎全句集の中でときどき遭遇するのですが、これは馬。「冷し馬すれちがひざま匂ひけり」とか書けば定型に収まるだろうに、敢えての破調。強い意図を感じませんか。字余りによって馬の長さが強調され、馬の頭から首筋、胴体、尻、尻尾…とずっと凝視したまま見送ったのではないかという印象。たてがみからしっぽまで馬の匂いを肺深く吸い込んでいる。
冷し馬濡れ毛のなりに拭ひやり
「濡れ毛のなりに」がちょっとわかりにくいけど、濡れた毛の流れにそって拭ってやっている様子なのだろうか。馬というモチーフはどうしても性的な連想を誘う。
露が露を散らす朝の髭荒剃り
 ひとつの葉から露が落ちて、下にある葉の露を散らす秋の朝。まるでアフターシェーブローションのコマーシャルのよう。

ながれ鳰 昭和四十一年
楤の芽をわかきけもののごとく嗅ぐ
 俳句ではよく主語が省略される。ゆえに妄想の余地がたっぷりと確保されている。楤の芽をてのひらに包んで荒々しく嗅いだ若くもない俺、なのか、あるいは「お前はまるで若いけもののように嗅ぐんだな」なのか。後者がいいな。
夜ざくらに屋を掩はれて眠り得ず
 一瞬「夜ざくらに攫われて」に空目して「何それ懐かしい!」と思いましたが屋を掩(おお)われてたのね。家の中からは桜は見えないはずなのに外に桜があるから眠れないと言う。なんと繊細な、なんと耽美な。実質攫われているも同然だと思う。
笑つてすぐ涙にじむよ鳥曇
 えっ。かわいい。

藁のねむり 昭和四十三年
中山法華経寺に荒行僧をたづねて
しづかな熱気寒行後の僧匂ふ
 はい。濡れてにおうシリーズです。いままさに寒行を終えた僧侶の熱気。身に張り付く白装束。寒行は冬ですが似たようなモチーフの夏の句では「滝行のすみし火照りとすれ違ふ」が第8句集『天上華』に入っています。

悪霊 昭和四十三年
若木ばかりの林がかもす朝曇
 グーテンモルゲン。僕たちのギムナジウムへようこそ。昭和の少女漫画を感じる。
起きてすぐ手触れしものに夏の露
 初めて読んだとき「誤読よな?」と思って10回ぐらい繰り返し読み直しましたがやはり朝のペニスを美しく表現したとしか思えない。一万歩譲ってペニスでないとしたら「キャンプの朝かな?」「野宿してみたのかな?」と思えなくもないがやはり無理がある。夏の朝の森林とベッドルームを頭の中で二重写しにしてむせかえるような青臭さを感じてください。
あたらしき水着の痒さ海まで駈く
 真新しい水着はきつくてぴっちりして痒い。その痒さを振り切るように砂浜を走って海へ。若さが弾けている。っていうか「痒さ」だけでいかにその水着がきつく肉体に密着しているか表現できているのがすごくないですか。水着の種類まで限定されている。絶対にサーファーパンツではない。ブーメランしかありえない。
潮焼にねむれず炎えて男の眼
 日焼けの痛みをこんなに艶かしく言うなんていけない子だな。日焼けだけが原因ではないと白状してるみたいじゃないか。

2. 第5句集『幻山水』もやばいぞ

自然を詠んでいるように見せかけてるけど…これ…もしかして男同士の愛なのでは……?
という句が多い句集です。
よく訓練された読者に向けて「みなさま、おわかりですね?」と差し出される優雅なほのめかしを楽しみましょう。

木晩 昭和四十七年
鬼羊歯の毛深き崖の多聞天
臼杵石仏(摩崖仏)を詠んだ四句のうちの四句目。毛深いのは鬼羊歯なのだが、筋骨隆隆たる多聞天(毘沙門天)に胸毛が生えているところを想像してしまう。

遠野の春 昭和四十八年
ザイルの露乾き男の匂ひせり
 これも一種の濡れてにおうシリーズと考えていいだろうか。乾いて(乾きかけで?)におうやつです。登山をしないのでよく知らないのですが、ザイル(登山用ロープ)ってにおいがつくような材質なんでしょうか。バックパックに入れていたら持ち主の体臭がついたり煙草のにおいがついたりするのかな。においに対して受け身になるのではなく積極的に嗅いでいく姿勢が感じられる。
葉月潮男の欲のうねりもて
充つるときむしろ声なき葉月潮
 二句セットで読んでください。「充つるときむしろ声なき」で意味的には切れているも同然。「充つる」の本当の主語は「葉月潮」じゃなくて「お前って」だろ。「お前って最初はあんあん騒ぐのに気持ちよくなりすぎると逆に静かになるよな」「し…しらねえよ!」「何恥ずかしがってんだよ」「うるせー」。

うらみ葛の葉 昭和四十九年
血をすこし薄めんと出づ夜の朧
 こういう抑制の効いた色気もすごくいい。
杉の花降らす杉山に僧入れば
 能村登四郎は僧侶に神秘性を託すことがままあるのですが、この句は僧侶と山の間で何かが通じ合っていそう。山の精霊が美僧を山に閉じ込めてしまいそう。
濃厚に渇きをそそる八重ざくら
 華やかな八重桜を見て喉が渇くというのは甘いもの食べ過ぎて喉が渇く感じなんでしょうか。なんとなくヴァンパイアみがある。
月ありて若さを洗ふ冬の僧
「洗ふ」は「月光を浴びる」の比喩なのか、月光の下で水垢離をしているのか、それとも洗濯をしているのか。洗濯だとしたら褌であるはずだ。俺にはわかる、わかるよ、としろう!!
大き手に恍惚と餅伸されゐる
 つきたての餅が餅取り粉を敷いた容器に移される。粉だらけにした手で撫でられながらその重みのままにののーんと伸びてゆく。その伸ばされてゆく餅に「恍惚」を見出している。擬人化というよりもむしろ餅と同化しているかのような。「大き手」はごつごつとした男の手と読んで餅の質感との対比を楽しみたい。

余談ですが「裸詣り」や「裸押し」という言葉を畳み掛ける「西大寺会陽」連作15句が収録されているのも『幻山水』。正直、西大寺会陽という祭りを知らないと特に面白くはないと思うのですが、祭りの歴史の中でここまで大喜びして筆を走らせたひとはいなかったんじゃないかという興奮ぶりが伝わるかと思います。

※以上、引用句はすべて『能村登四郎全句集』(二〇一〇年九月/ふらんす堂)より

3. 『能村登四郎読本』で散文を読むなら「欧州紀行」か「雁渡し」

『能村登四郎読本』には俳句だけではなく随筆や紀行文が入っています。
「欧州紀行」シリーズは能村登四郎が教育事情の視察のために団体で欧州10カ国を巡った際の思い出が書かれています。「おう、視察言いながらなんで闘牛みとんじゃワレ?」と詰め寄りたくなったりしますが(いやわかるよ、視察にも休日はあるよね、文化に触れるのも大事だよね)当時の日本人てこうだったんだ、というのが随所にうかがえてなかなかおもしろい。アテネ国立考古学博物館のポセイドン像をめっちゃほめてるところも良い。としろう’s ベストギリシャ彫刻はポセイドンです。

随筆なら「雁渡し」。時間がないひとは騙されたと思って「雁渡し」だけでも読んで。
ちょっとだけ引用します。

今でも時々思い出すふしぎな思いがある。それは少年の日にふと抱いた初恋に似た思いで、とうに消えてよい筈のものが三十年近い歳月を縷々と消えず生きつづいた。
その人は中学上級の時、一年だけ受持になったKという国語教師であった。

能村登四郎は中学校の恩師K先生に憧れて自らも教師になりました。
文句なしの名随筆ですが、手放しにキュンとする、といってしまっていいのかわからない。今よりもずっと難しい時代だったろう。注意深く言葉を選んで書かれているようにも感じる。
個人的には、能村登四郎本人がかつて男性に恋のような気持ちを持ったことと俳句作品が男性美に溢れていることはできるだけ分けて考えるよう心がけています。
(と言いながら一連の流れの中で紹介してごめん……)

アジラフェルの香りでは? Santa Maria Novella – Pot Pourri

【注意】この香水レビューは香水にまったく詳しくない素人がフェチごころだけで書いています。ご了承ください。

人間界で暮らす天使が毎朝ばしゃばしゃ付けそうな香りです。

Santa Maria Novella – Pot Pourri

Good Omens の第1話と第2話を観ました。

Sherlock界隈で人気が高いので教養としてキャラクターだけでも把握しておきますかね、ということで観始めたのですが、オープニングがいかにもイギリス! という人を食った始まり方で(類例:銀河ヒッチハイクガイド)天使と悪魔がハルマゲドン阻止を画策しながらほのぼの日常生活を送る感じが微笑ましくて。特に悪魔のクロウリーさんの善いヤツっぷりにやられました。

そんなときに試してみたサンタ・マリア・ノヴェッラのポプリ。

これはあれだ。人間の作った文化をこよなく愛する天使のアジラフェルさんがフンフンフーンと鼻歌を歌いながら身に纏いそうな香りだ。

試香紙で試すと、アロマオイルみたいな草の香りから始まり、みずみずしい野の花の香りが広がっていく。青い草で花冠を編んでいたらつぎつぎに小さな花がひらいていくみたいなイメージ。

(アジラフェルさんぜったい花冠似合うじゃないですか。)

それから徐々にスパイシーさが増していき、漢方薬局のような、乾燥した薬草の香りに。
つまりそれは「ポプリ」なんだろうけど、ラヴェンダーだけでもローズだけでもない複雑に計算されてブレンドされたポプリ。

肌に直接つけるとやや苦味が強くなり、なおかつ神秘性が増すように感じました。

香水ってつける人の体温やつける部位で香り立ち方が結構違ったりするから、誰か他人がつけていたら「香水の香り」だとは思わないかもしれない。
そもそも「人から漂ってくる香り」として認識できないかもしれない。
特に乾いた薬草っぽさが強く出た場合には。

古書、骨董品、クラシックミュージック、万年筆。
古いものが好きな人はこの香りがきっと好きだ。

ちなみに、実際にアジラフェルさんをイメージした香りというのはパフュームオイルとして発売されているようです。


なので、そちらの公式設定の香りとぜんぜん違ったらごめんなさい。
でもドラマの第1話には「コロンを変えた」っていうセリフがあるからサンタ・マリア・ノヴェッラがコレクションの中の一本として存在してもおかしくないような気がするんだ。

墨とギャップ萌えの香りByredo – Gypsy Water

【注意】この香水レビューは香水にまったく詳しくない素人がフェチごころだけで書いています。ご了承ください。

お習字の墨っぽい香りが好きで墨の匂いの香水がほしいという希望があったのですが、このたびかなり理想に近い墨っぽさに出会いました。

Byredo – Gypsy Water

最初は薄い? においしない? と思うぐらい自然。
ジンの香りというかジントニックみたいな香りというかむしろ主にエタノールのにおいがしてるな? という感じから始まり、柑橘類っぽい爽やかな甘さが出てくる。
そのあとで甘みが濃くなってわずかにヴァニラっぽくなる。
で、この間、通底して墨っぽさがあります。
自分が何に対して墨を感じているのかわからなかったんだけど、Eau Duelleにもちょっぴり墨っぽさを感じるということは両方に共通しているヴァニラの要素がそれなのかもしれない。
ここまでは試香紙につけた場合の感想。

試香紙につけた場合と肌につけた場合でけっこう印象が違った。
肌につけると爽やかさがすぐに飛んでガッツリ甘味が主張してくる。
だから海外のフレグランスレビューで髭のお兄さんに「自分用には買わない。フェミニンすぎる」と言われたりするのはなるほどなぁと思ったりした。
手首とお腹に直接つけて肌着やらセーターやらいっぱい着込んだ状態で仕事をしていると、ときどきフワッと墨の香りが漂ってきて落ち着く。鼻を近づけなければそれほど甘味は気にならない。
モテ香水的なランキングに入っていることもあるようなのだが、それはつまりちょっと風変わりなお香のような匂いを身につけてるけどぐっと近づくと超甘々というギャップ萌え的なあれか。

余談ですが武蔵野ワークスさんのブログでは墨の香りの正体は竜脳と明かされています。
(わたしが墨っぽいと思い込んでるのがそれなのかどうかはちょっとまだ確信が持てない感じ)
ていうかそもそも墨ってそれ自体があの匂いなんじゃなくて竜脳で匂いをつけているものだったとは! もうたんすに石鹸を入れとくみたいな感じで鞄に小さい墨を入れとけばいいじゃん! と思わないでもない。

2020年5月1日追記
一般的にはパチュリが含まれているものが墨の匂いを感じさせるのだそうです。だからわたしが何を墨っぽいと思ってるのかは本当に謎です。もしかしたら幼い頃通っていたお習字教室が山の麓の古い木造の小屋だったことが香りの記憶にノイズを与えているのかも。

台北の隠れ家にひきこもる旅(6)ひとり旅と61noteと旅行ゴミノート

ひとりで台湾に来た(行った)と言って(日本でも台北でも)何回か驚かれたのだが、ひとり旅はそんなに珍しいのだろうか。

いや、わかるよ。旅行会社で申し込む場合、おひとり様料金が追加されるので経済的でない。
個人旅行だとしても、ひとりでは料理を何種類も頼んで食べくらべることなんてできない。
夜市名物の巨大な鶏排(じーぱい)だって、ひとりなら買うのを躊躇してしまう。

でもひとりは気楽だ。夜中に目が覚めて深夜番組見てもいいし、ベッドで甘いジュースを飲みながら旅行ゴミノートにゴミを貼り付けていても「お菓子の袋は捨てて! 虫がわくよ!」とか言われない。

っていうか、誰かと一緒に行く場合、経済状況が著しく違うとお互い疲れるでしょう?
わたしはできるだけ安いホテル、場合によってはゲストハウスの相部屋でもOKぐらいに思っていても、友人はフロントのひとがビシッと制服着ててシャンデリアが下がってて見るからにお湯の温度が安定してそうな朝食ビュッフェつきのホテルに泊まりたいかもしれない。
「LCCはちょっと抵抗がある……」って言われるかもしれない。
だからもし誰か海外旅行するなら、現地集合・宿泊先ばらばら・現地解散の旅がいいかな……。

あと、ちょっと考えたのは、本当はみんなひとり旅なのに防犯上「友達と一緒に来てる」とか「ツアーで来てる」とか言い張ってるんじゃないの、っていう。
台湾はギラギラかつニヤニヤした感じでガン見されることがないからつい正直にひとり旅だと白状してしまっているが、もしかして言わないほうがいいのか。今後気をつけます。

さて、わたしのようなソロ活動がお好きな方にも自信を持っておすすめできるビールのお店が61noteです。

61note

このソーセージが甘くてじゅわっとしておいしいの。

ビール、甘いソーセージ、きゅうりでさっぱり。
うっかりすると無限ループだよこれは。
(と言いながら一杯しか飲んでいない。酒に弱いので)

朝食も昼食もさっと食べてさっと出ていくタイプの店だったから、61noteでゆっくりのんびりできたのはすごくよかった。お店の内装もスタッフの女性もおしゃれだった。こういうとこで一人でビール飲んでるとかっこいい大人になったような錯覚に陥るわ。ヒャッハー。

旅行ゴミノート

旅行ゴミノートの一例です。

余談だが旅行ゴミノートを始めると

「ゴミノートに張り込んだらかっこよくなるかどうか」という目線でものを買うようになる

らしい。
自分はそこまでではないと思っていたのだが、徐々に一度手にしたゴミは可能な限りノートに貼りこみたいという欲望に支配されるようになっていたようだ。
台湾から帰ってきた際に空港のバス乗り場で
「台湾岡山便の搭乗券をお持ちの方は岡山駅までのバスが無料です!」とにこやかに言われて俺の大事なゴミを回収しようとするとは……!」と敵意を覚えた。

(でも結局おとなしく搭乗券を差し出して無料で乗せてもらった。)