投稿者「yukioi」のアーカイブ

完全に自慢だがLOOPY!の服を見てくれ

ショッパー持ってご満悦

台湾のゆるゆる雑貨ブランドLOOPY!鹿皮のスエットを買ったので見てください。

口下手でも上手にケンカを売れるスエットなのです

象の顔のところがマジックテープでバリッと剥がせるようになっております。
中国語ではケンカを始めるときに「てめえの面の皮剥がしやがれ」みたいな言い方をするらしく、この象さんをバリッとすることにより!なんと!口下手なわたしも!簡単にケンカが始められる便利なスエットなんですよ!!!

LOOPY!のGAGAさん&LUCKYさん、今度大阪にいらっしゃるみたい〜。
大阪のみなさん会いに行ってみてね〜!

タイマン句会W杯 投句一覧 #taiman_kukai

トルココーヒー

俳句同人「傍点」主催タイマン句会ワールドカップ2018
我がトルコチームの投句一覧です。
祝勝会の様子はこちら

水タバコの水を人魚の泳ぐ音
7/20 題「シーシャ(水タバコ)」

姉妹来てチェリータルトを鈍角に
7/9 題「角」

ギュレギュレとみんな手をふる避暑の荘
7/31 題「拗音が3つ以上ある句」

城傾く箱庭の木を抜けば
7/13 題「抜」

蓴菜をちいさく掬う接続詞
7/26 題「接」

口中に骨片のある夏の月
7/26 題「骨」

夜のプールにかぶとがに連れてきて
7/13 題「カブトガニ」

袋いっぱい金魚をくれるココ・シャネル
7/20 題「人名しばり」

避難所に寝かされているエレキング
7/9 題「安全しばり」

五号室に夏は果てたり面格子
7/31 題「格子」

(得点順)

 

【祝優勝】タイマン句会W杯2018 #taiman_kukai

 

俳句同人「傍点」主催「タイマン句会ワールドカップ2018」
トルコ代表監督として出場し、優勝しました!
やったー!
(は? なんぞそれ? という方、石原監督の勇姿をtogetterからご覧ください)

そんなわけで8月某日、祝勝会を開催すべく地元の句友である古本斑猫軒店主ミコシさんを強引にお誘いしターキッシュレストランへ。
トルコの優勝を祝っていただくとともに、惜しくも勝利を逃したチームの作品について語ってもらいました。

石 原「今日はどうぞよろしくお願いします。シェレフェ(乾杯)!」
ミコシ「おめでとうございます。シェレフェ!」

Efes

トルコビールEfesで乾杯。

石 原「ではさっそくタイマン句会W杯に投句された全作品の中から3句取り上げていただき簡単な感想をいただければと思います」

炎昼超能力バトル反る少女  凡コバ夫(ブラジル)

7/31 決勝 題「拗音を3つ以上含む句」

ミコシ「文句なくよかったですね」
石 原「うん、これはやられましたね」
ミコシ「“バトル” “反る” の韻を踏んだたたみかけもうまいし “反る” という音から “sol(ポルトガル語などで太陽の意)” を連想させて南米の感じも出てる」
石 原「そこ……!? いやでもブラジルのサックー(タイマン句会W杯では作句をこう呼ぶ)はもう一定の評価を得ているのでスルーしてこれ以外で3句いきましょう」
ミコシ「えー……(野性俳壇でなかなか選んでもらえない※から拗ねてるのかな……)」

古本斑猫軒店主ミコシさん

古本斑猫軒ミコシさん。シーシャ初体験とのことだが毎日吸ってるひとにしか見えない。

トルコ代表監督 石原

監督らしくしようとスーツを着てみた石原。監督というよりはやさぐれた保険外交員だ。

ガードレール灼けて漁村の道に縄  黒木理津子(クロアチア)

7/10 B1 題「海沿いしばり」

 

ミコシ「句もいいんだけど、この試合自体がよかったんですよね。クロアチアチームの “正統派” 的な句に対してポルデヴィアからは実験的な句が出てきたわけで、この試合は双方が持ち味を出しておもしろい句が揃った。ここからどうしてもひとつ選びたかったんです。
その中でもクロアチアの “ガードレール灼けて漁村の道に縄”。漁村というひなびたものとして描かれがちですが、ガードレールを出すことで近現代の漁村になっている」

石 原「なるほど。たとえば灼けているのがガードレールじゃなくて石とかただの道だったら前近代の雰囲気になってしまうかも」

ミコシ「そうそう。漁村ということばに近代以前のイメージがつきまといがちなんだけど、そこへガードレールを持ってくることで現代的なリアリティが与えられている。
きっと人はそう多くない漁村で、灼けて真っ白な情景というのがそれにとてもよく合ってる。非常に夏らしい句だと思います。海のそば、人がほとんどいない中、道にぽつんと縄がある」

石 原「情景がしっかり見えますね」

ミコシ「叙情性もあるし、よくまとまってますよね」

夕菅にゆるい手綱の馬と行く  トオイダイスケ(スコットランド)

7/9 A1 題「安全しばり」

 

ミコシ「タイマン句会に出たものに限って言えば、トオイさんは全体にゆったりとした雰囲気の句が多くて、カメラワークで言うならば引きの画なんですよね。詠まれているものがはじめからひとつの画のなかに入っていて、カメラがパンしない。二物衝撃って要するにカメラがパンすることだと思うんですけど、そういうものをあまり感じさせない。
ゆったりとした時間の流れを引きの画で、なおかつカメラを動かさずに表現している。情報量としては多くないし情景として角の立ったものではないんだけど、空気感というのをよく伝えている、というのが今回トオイさんの句を読んで全体に受けた印象です。
その中でも “夕菅にゆるい手綱の馬と行く” は見事に言ってきたな! っていう。 “に” をどう解釈するかという問題はもちろんあるんですが、せっかくのロングショットなので細かい文字遣い以前にこの空気感を堪能したいですね」

石 原「“ゆるい手綱” は自分の語彙の中からは絶対出てこないフレーズなので痺れました」

内接円に半径とハンモック  ネル山ネル子(クロアチア)

7/26 準決勝1 題「接」

 

ミコシ「意外と点が伸びなくてもったいないな、ということもあって選びました。これたしか、しばりが “接” ですよね。そこからの句の連想の流れがスムーズで後を追いやすかった。
“接” から “内接円” を連想し、“内接円” から “半径” も連想しやすい。で、今度は単純なイメージの連想ではなく “半” という音から “ハンモック” に飛躍している。一回意味で連想を飛ばし、その次は音で飛ばしましたっていう。読者が連想の軌跡をたどりやすく、なおかつおもしろさもあるんです。結果的に、ひとつの抽象的な情景ができあがっている。そういうそつのなさがあったので、もうちょっと点が伸びてもよかったのかなと思います」

石 原「“半径と” までは実体のないもの、数学的なものなんですよね」

ミコシ「そう、形而上というか、概念」

石 原「それがハンモックでいきなり実体のあるモノが出てくる。そこがおもしろいですね」

タイマン句会得点一覧表

得点一覧表を見ながら語り倒す。たのしい。

石 原「それでは最後に斑猫軒からお知らせやおすすめ商品があればお願いします」

ミコシ「うーん、そうですねえ。俳句関連の在庫から具体的に何かおすすめしたいところなのですが、たぶんこのページをご覧になる皆さんのほうがよほど目も肥えていらっしゃると思うので、弊店ウェブショップの「短歌・俳句」カテゴリーページをご覧ください、という程度に留めておきましょうか。
つい先だって、『増補 現代俳句大系 全15巻揃』ほか、俳句の本を少し仕入れたんですが、すみません、まだウェブに掲載する作業を進めてない……。近日中にとりあえず何点かは載せますので。
他のジャンルでしたら、幻想文学妖怪関連書籍に力を入れていますので、ご興味ございましたら是非!」

俳句関連書籍入荷してます

店舗を持たない幻の書店古本斑猫軒へぜひお越しください。

古本斑猫軒(はんみょうけん)
〜幻想文学・人文書から絵本・暮しの本まで、古書買取販売いたします〜

「野性俳壇」「小説 野性時代」の俳句投稿欄。長嶋有(=ブルボン小林)夏井いつき両氏が選者をつとめており石原は毎月投句しているが長嶋さんに選んでもらえることは激レア。

スイーツ句会 ワッフルと珈琲

ワッフル、チーズケーキなど

4月14日(土)は2回目のスイーツ句会でした。
前回(2018年1月6日)は特に名前のない新年句会だったのですが、生クリーム山盛りのパンケーキを囲んだため「スイーツ句会」と呼ぶことになったのでした。

参加者募集はこんな感じ。

スイーツ句会の告知画像

進行役の自分を入れて4名(欠席投句2名)でこぢんまりと実施しました。
この句会では進行役はゲームマスター的な存在です。
通常の句会では出席者の俳句を無記名で並べて選句や合評を行う、場合によっては投句のみ参加の「欠席投句(不在出句)」も混ぜて行うのですが、ここにゲームマスター権限で手元の句集や入門書からピックアップしたお気に入りの俳句を加えます。
いわば部分的な「借り物句会」(別称「つくらない句会」)。

お借りした俳句はつぎの6句。

しやぼん玉ことばにふれて失明す  小津夜景『フラワーズ・カンフー』
死者生者こみ合ふ春の回転扉  はるのみなと/大井恒行著『俳句 作る楽しむ発表する』
▶︎「死者」と「生者」の語順はこれでいいのか、逆だとどうなるのか、と検討したのが面白かった。
抽斗につかはぬ音叉春の虹  菅原鬨也(大型俳句/俳句関連文書検索エンジン)
▶︎ひきだしにあるってことは使ってないんだから「つかはぬ」は説明的では? という意見あり。
しんじてもかぜはさくらを書きくだす  宮﨑莉々香/佐藤文香編著『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』
葉桜や空は疎にして鳴らせば葉  田島健一/佐藤文香編著『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』
つばくらや小さき髷の力士たち  津川絵理子/佐藤文香編著『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』
▶︎つばめのかわいさと力士のかわいさ。

以下、わたしの出した句。

蕗味噌トーストねむいとき怒るのね   石原ユキオ
宗教につかう音叉や暮の春
春日傘KGBに狙われたい

次回は5月下旬か6月にできるといい……かな?
開催地は岡山・倉敷・総社あたりのどこかの予定です。

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実は『野性時代』4月号にも載ってました

3月号に続き、2ヶ月連続で入選。

夏井いつき・特選
火のような魚のようなチューリップ  石原ユキオ

1月のスイーツ句会にも来てくださったトートバッグ職人にして敏腕デザイナー中原ポール氏が長嶋有さんの選外佳作に入ってる。

ポールさん発案の #ロードサイド俳句 シリーズ、Twitterでもっと盛り上がるといいな。

発表☆第1回ビバ!ユキオ俳句賞(7/7)

第1回ビバ!ユキオ俳句賞の連載最終回です。全体の所感と選外の作品へのコメントなど。

1)連作が豊作でした!

募集要項に(1句単位での審査となるため連作的要素は考慮しなくてもいいと思う)と書いていたにも関わらず、連作が豊作でした。
20句とか100句とかをまとめて応募するタイプの賞に出さなかったボツ句を送ってもらえたら、あるいは雑誌の投稿欄に送らなかったストックを送ってもらえたらいいな、お気軽にどうぞ! というような意図がありましたが、ビバ!のために腰を据えて5句作ってくれた方が何人もいらっしゃったということが嬉しいです。もちろんバラエティ豊かな5句を送ってくださった方も、いろんな可能性を見せていただけて楽しかったです。ありがとうございました。

2)麺類の件!

募集要項には「ついでに、好きな麺類を教えてください。」という項目がありました。聞きたいから聞きました。書かなかったひとは会ったとき教えてね。

・尼崎武さん一押し、大阪の「らーめん香澄」はわたしもおすすめです。おとなになってから食べたラーメンの中で一番おいしかった。お店の居心地もいいです。
・亀山朧さん「ちゃんぽんめん(音が好きです)」という回答がいかにも言葉フェチで共感。
・長めにこだわりを書いてくれて面白かった2名。
藤幹子さん「料理としてなら冷麺(スイカ必須)麺のみの魅力ならば中華麺を愛する。愛ゆえに、子供の頃は、焼きそばのソースをかける直前の、味なし焼きそばを好んで食した。」
味なし焼きそば……わかる!
西川火尖さん「担々麺、その答を書いた瞬間に答は問に変わる。俺でいいのかと担々麺自身が問いかける。」
麺類好きすぎるんですね。でも「全部好き」とは書かずに一つを選ぶ姿勢に俳句魂を感じました。
麺類

3)俺は下ネタには厳しいぞ!

いたんだよね。昭和のおっさんのような下ネタの俳句を送ってきてたひとが。何人も。

選考委員ユキオ氏、夜、自室に帰ってくる?
俳句とは別にシノギがあるので、それなりに疲れている。
パソコンの電源を入れてネットに繋ぎAOLのアドレスに来たメールを開く。
なんか……下ネタが書いてある……。
はい、この時点でそのメールを見なかったことにするのは想像に難くないでしょう。

たとえば、わたしが俳句を取りまとめて選考委員に渡す立場にあるなら下ネタだろうと犯罪予告だろうと何も考えず印刷するなりエクセルにまとめるなりして選考委員に回すでしょう。複数名の審査員が会議室に集まって審査するなら「手垢のついた下ネタだね」「しょうもねえな」「いやこの句はちょっと面白いですよ」ということはあるかもしれない。

でも、ひとりだからねえ。気持ち悪さを他者と分かち合えないんですよ。

ねえ、冷静に考えて。
面識のない個人のメールボックスに卑猥なジョークを送りつけていいかどうか考えてみましょう。

そういうのは、会ってする句会に出してボコボコにされた方が浮かばれるのではないかな。

ZAZEN

こころおだやかなかんじの画像を貼っておきますね。

4)選外の作品にひとことコメント!

ほんとうは応募者全員ひとことコメントがやりたかったのですが、あまりにも多くの方にご応募いただいたので少しだけ。

初雪やライカ犬から返事なく   みずほ
2016年に半年間「まいにちロシア語」を聞いていたのですが4月号のテキストの表紙がにこにこ笑っているライカ犬で「おそロシア……」とつぶやかずにはいられませんでした。ライカ犬を乗せたスプートニク2号の打ち上げは11月3日なので地域によっては初雪のころ。


はしやぎ疲るゝ怪談の夜も猥談の夜も   ゆなな子
若さがみなぎってる。寮生活っぽくていいですね。前書きの「夏」は必要ないのでは。

じつと見るとうもろこしを削ぐ歯列   竹内くるは
「じつと見る」と言わなくても、ぎっしり並んだとうもろこしの粒と歯列を描いているだけで凝視していることは伝わりそう。とうもろこしの粒と前歯の形が似ているので絵として面白い。

大寒やボディーソープは空っぽに   雪李
大寒が動く(=他の季語と置き換えても成立する)ような気がしたのですよ。
俳句の内容とは別問題ですが冬は固形石鹸の方が洗うとき寒くないような気がしない? わたしだけ?

ままごとのきゅうりうずもる糠床や   知己凛
ままごとのきゅうりが本物の糠床に入ってる句、もうすこし整理して上手に言えそうです。逆に、ままごとの糠床に本物のきゅうりの句を作ってみても面白いかも。下五に「や」をつけると文字数が足りなくて適当にくっつけた感が出てしまいがちなのでわたしはあまり使いません。

白帝を彼氏にしたく眉を描く   花咲凜
白帝は秋の異称。白帝の彼女(ないしは彼氏)になりたい、ではなく、白帝を自分の彼氏にしたいと詠んだところがいい。自分の側に引き寄せるポジティブな図々しさ。でももしかしたら逆に「恋人にしたい芸能人」みたいな遠さなのかもしれない。

跳び蹴りの低みの映えて春の泥   何居主水
ジェット・リーか、ドニー・イェン。ちょっと古ければジャッキー・チェン。もっと遡るとブルース・リー。上品な服装をしている方が汚れていく様がより映えるかもしれないのでここはドニー・イェンのイップ・マンがベストかな……。5句の中にはスタートレックっぽい句もあって楽しかったです。

棺桶を豆腐で満たして針祭る   桜電子
針供養の句ではなく棺桶を豆腐で満たすだけの句ならば選んでいたと思います。

セルカ棒向日葵畑から伸びて   若林哲哉
(以前に比べるとセルカ棒を見かけなくなってはいるものの)新しい事物を果敢に取り入れている。いいロングショット。いまという時間をノスタルジックに見るような句ですよね。予選では取っていました。

発表☆第1回ビバ!ユキオ俳句賞(6/7)

心配部門の受賞作を発表します。
「大丈夫?」
「背中とんとんしようか?」
「専門家に相談したほうがいいのでは……」

と、登場人物※1が心配になった句を選びました。

めっちゃ心配

【心配部門】

★シェルター賞
麦酒ケース買ふDV夫のため   市川綿帽子

「麦酒ケース」は絶妙な道具立てだ。
ケース単位でビールを買うというよりは、文字通りビールケースそのものを買ったように思える。ケース単位で買う場合には「1箱買う」「2ケース買う」「ビールをケースで買う」というような表現が一般的だから。
ビールケースの句と言えば

炎天のビールケースにバット挿す  榮猿丸『点滅』

を思いつくが、この夫はそういう健康的な暑さ・熱さからはほど遠い。
「麦酒」と「DV」が一句の中に共存していることで、夫はアルコール依存症なのではないかという連想が働く。
「DV夫のため」は「夫が私を殴るためのビールケースを私が買う」という意味かもしれないし「夫の暴力に対抗するために防具あるいは武器としてビールケースを買う」のかもしれない。あるいは単に(妻はそんなもの必要ないと思っているのに)どうしてもビールケースが欲しいと夫が言うので買わざるを得ないのかもしれない。
全体としては字余りになる破調の句なのだが、575のリズムに当てはめて読もうとしたとき、
麦酒ケース/買ふ◯DV/夫のため
というように1音足りない中七部分の◯のところに息を飲むような欠落感が生じる。
どうか依存を断ち切って無事に逃げてください、と祈るような気持ちになってしまう。

★厚生労働賞
白菜をブラック企業の前に置き帰る   八鍬爽風

梶井基次郎「檸檬」の主人公は、檸檬を丸善に置いて去っていった。
このひとは白菜をブラック企業の社屋の前に置いていったようである。玄関の自動ドアの前にぽつんと置かれた白い塊。そこを行き交う社員たち。
ブラック企業の元社員が、抗議のつもりで行ったことなのではないかと思うけれど、ブラック企業はブラックだから白菜が置かれてたって誰も疑問に思わない。痛くも痒くもない。やがて清掃業者が回ってきて片付けていくだけ。こんなのなんの意味もない。この冬白菜高かったのに。大事な白菜を、こんな使い方して。もったいない。しかしそんな意味のない、もったいないことをせずにはいられないほどこのひとは病んでいたのだろう。
どうせなら眠っている経営者の布団の中に愛馬の生首を入れておくとか、わかりやすい復讐をしてもよかったのではないか。そういえば白菜は人間の頭くらいの大きさだ。そういう意味では人参や大根に比べるとどこか不吉な雰囲気が漂う。
ところで「白菜をブラック企業の前に置く」としてしまえば下五が5音におさまる。最後の「帰る」3音が定型からはみ出しているのだ。このはみ出した3音が妙に生真面目じゃないですか。「帰る」があるからこそ白菜はそこに置いたまま人物が立ち去ったことがはっきりするし、それが「檸檬」の連想にも繋がるのだ。

★花冷え賞
花花花花トイレはどこだ花   吉田どんぐり

お花見の景と読みました。
川沿いに植えられた桜並木。土手に敷かれたレジャーシート。企業名のぼんぼり。屋台。焼肉の煙。ビールサーバーを背負ってナンパするサラリーマン。
お花見は下腹部に負担のかかりやすいイベントだと思います。まだまだ肌寒いし、冷たいビールやチューハイを飲むし。突然襲いかかるはげしい尿意。悪くすると腹痛とのコンボ。しかし、慣れない土地の場合、トイレがどこにあるかすぐにはわからない。かくしてひとはトイレを探して花見会場をさまようのであります。百メートル歩いた先にトイレがあればいいが、もしこれが間違っていたらどうなるのか。真剣な面持ちで、そのひとは歩く。桜吹雪にまみれながら。

★経理課困惑賞
星冴ゆる鞭は経費で落ちますか   田島ハル

高額な物品を購入する際は事前にご相談いただきたいと申し上げていたはずなんですが、困りましたね。もうご購入済みなんですよね。「鞭」? 鞭を買ったんですか……。業務に必要なんですよね。ええ、まあそうですよね。ちなみに今日はその領収書お持ちですか。但し書きは。は?「お仕置き用品として」?

たぶん、経理のひとは鞭を経費で落とすのは不可能という結論を出すだろう。鞭といえば本革で手作り。それなりの出費になるはず。しかしこの句の語り手からしてみたら、それも全部込みでプレイなのかもしれない。迷惑な話である。
「星冴ゆる」である。夜なのだろう。残業中だろうか。残業中に人気のないオフィスで鞭の領収書を見せられたら、怖い。

★ショコラ賞
ココア溶く明日も明後日も休む   嫉妬林檎

ダジャレをスルーされそうなので言っておくと「ショコラショー(ホットチョコレート)」と「賞」をかけました。ショコラショーとココアは別物という説もあるようですが目をつぶってほしい。
さて、漫画など創作物の中では温かいココアは傷ついた心を癒すものとして登場するという指摘があります。(『ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50』福田里香 いま手元になくて正確な引用ができなくてごめんなさい! 面白いのでぜひ読んで!)
この句は連休でココアを飲みながら日頃の心身の疲れを癒している句なのだろうか。いや、もうちょっと引っ掛かりがある。
まず、ココアを飲む前の段階が描かれている。「ココア飲む」や「ココア吹く」ではなく、粉末のココアを熱湯でどろどろに溶いている。ダマにならないように少量の熱湯を加えて溶くその初期の状態は溶岩のようにも血溜まりのようにも見える。
それから、「明日も明後日も休み」ではなく「明日も明後日も休む」と本人の意志が入っている。どうやらあらかじめ決められていた休日ではなく、「もう休む! うちは休むけんね!」と決めて休んでいるようなのだ。
ココアはもちろん癒されるものだけど、癒さなければいけないのは疲れているからだ。ココアの熱いどろどろには憤りや不満が表れている。単純に「癒し」としてのココアではなく、その前提となる痛みを描いた点を評価したい。

<類想について>
嫉妬林檎さんの上記の句について、類想句があったとの報告を受けました。

ホットココア明日も明後日も休み   香野さとみ

嫉妬林檎さん、香野さとみさん、どちらの句が先に発表されているかの調査は行っておりません。
ここまで似てしまった例は少ないかもしれませんが「ココア」が「心を癒す」「ほっとする」というイメージと結びつきやすい以上、「休日」と取り合わせられた句は他にも見つかるかもしれません。

今回、作品の審査にあたり類想句のチェックについては一切行っていなかったことを反省し、今後は類想感のある句に関しては慎重に検討したいと思います。
ただ、書籍の確認や、データベース検索ができる範囲には限界があります。
作る側の問題としても完全に類想句を避けることはできません。俳句というとても短い詩型には常に付いて回る問題です。
なおビバ!ユキオ俳句賞の趣旨から言って類想句があったために受賞を取り消すというのはナンセンスですので、ご報告のみにとどめておきます。
(4月18日追記)

★サスペンス賞
枯野来て「もしも」を多用する男   香野さとみ

もしも旦那さんが転勤決まったらどうする?」
もしもあのとき俺が好きだって言ったら俺とつきあってた?」
「俺たちやっと二人きりになれたね」
「え? 帰りたいって? もしもその鞄の中に携帯も財布も入ってなかったらどうする?」

人気のない枯野に一緒に来てしまったことを全力で後悔するシチュエーションです。火曜サスペンス劇場的な展開になってしまうのか。
後のことは何も考えず金的をくらわして走って逃げてください。

★パンデミック賞
恋愛セミナーまずはマスクを外しましょ   シシオ澤ガイ

このセミナーは、あやしい。
風邪をうつしたくないから、あるいはうつされたくないからマスクをしているのである。顔を隠したくてマスクをしているわけではない。
なぜなら、ここは俳句の国でマスクは冬の季語で本来冬場の風邪の感染を防ぐもの、あるいは防寒のために身につけるものだからだ。室内ならばマスクをする理由はひとつ。感染予防だ。
マスクを外すように言ったのはセミナー講師やスタッフだろう。

「まずはマスクを外してあなたの素顔を見せてくださいね〜」

セミナー参加者の間で風邪が蔓延したらどうするのか。インフルエンザに罹っているひとがいるかもしれないのに。そういうことは一切考慮せず、マスクを心の壁の比喩のように扱って主導権を握ろうとしているのだ。言っている内容に加えて語尾の軽さ、語呂の良さがあやしさに拍車をかけている。

マスク

★嚥下賞
春眠の口にねじ込むチョコレート   実駒

眠っているひとの口にチョコレートをねじ込む。反射的に飲み込んでしまい、喉に詰まったらどうしよう……と心配になりました。
いや、口を開けて寝ているひとの口の中に放り込んだのなら誤飲の危険性が高まるけど「ねじ込む」だから大丈夫なのかもしれない。唇は閉じているわけで、前歯で止まるような気もする。ちょっと溶けた状態で口からぽろっと落ちたら服が汚れそう。
春は馬鹿なことやしょうもないいたずらをしたくなる時期です。チョコレートをねじ込むなとは言わない。ねじ込んだままその場を離れてはいけない。ねじ込んだひとは責任を持ってチョコレートを回収していくべき。BL読みをおすすめしたい句です。

★心配ない賞
石鹸玉 日々見える私は 頭がおかしい   高橋あずさ

高橋さんは俳句に興味を持ち始めたばかりなのではないかと思います。
なぜそう思ったかというと上五・中七・下五の間に一字分のスペースを入れているから。一句だけではなく、応募作がすべてこの形式だったから。
俳句や短歌ではスペースを入れずに続けて書くのが一般的です。(もし、意図的にこのスタイルで書いているのならごめんなさい。その場合はあなたのトリックにわたしが完全に騙されているということなのでガッツポーズ!)
たぶん、筆で書いていたころはどこにスペースを入れるかなんて気にする必要がなかったわけで、スペースという概念は印刷機のせいでできちゃったのでしょう。印刷物やデジタルデバイスで作品を発表するわたしたちは、スペースを表現技法として使うことができる。入れる、入れないが選択できるわけです。
「すべての句の五七五それぞれの間にスペースを入れる」を自分のルールとして選択するのなら、それも面白いのかもしれない。それによってたとえば使える言葉は制約を受けて「スリジャヤワルダナプラコッテ春の雨」※2みたいな句は書けなくなります。このルールだと「句またがり」や「破調」の句が書きにくく、五七五の枠にきっちりおさまった作品になりがち。
で、本来だったらここまでで説明を終えて「まあ、次からはスペース入れずに続けて書けば?」と言ってしまうのですが、高橋さんの句が面白いのは、間にスペースを入れるルールを採用しながらも字余りの句になっているところ。

しゃぼんだま(5音)ひびみえるわたしは(9音)あたまがおかしい(8音)

リズムからしたら「自由律」と言っていいと思います。
つまり、自由律の音を記述する際に五七五の定型を強く意識させるようなスペースの入れ方をしている。そう考えると興味深い試みです。

生きていたら視界に石鹸玉がふわふわする時期もあるでしょう。だいじょうぶ、あなただけがおかしいわけではありません。あまり気になるようならお医者様に相談を。

※1 作者=俳句の作中主体(作中人物)と解釈する方も結構いらっしゃるようなのですが、わたしはそういうふうには読みません。他人の人生に土足で踏み込みたくないからです。たとえ作者自身から「わたしの人生の物語として読んでね」と差し出されたものだったとしても、そこにはクッションを挟みたい。

※2 いま適当につくった句なので品質についてはご了承ください。スリジャヤワルダナプラコッテはスリランカの首都。言葉の塊ごとに分けると「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」となるようです。

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発表☆第1回ビバ!ユキオ俳句賞(5/7)

BL部門※1の発表です。
かの松尾芭蕉は四十八字皆BLなりと言い、高浜虚子は選はBLなりと言いました。
言いませんでしたっけ。言ってないか。

【BL部門】

★擬人化ジャンル万能賞
人肌のそしてわかったくすぐったい   藤田千鳥

もうこれは、無生物を擬人化したジャンルであれば鉄道であろうと刀剣であろうと何でも重ね合せることのできる万能BL句ではないでしょうか。
「人肌の」で一度切れて、唐突に「そしてわかった」「くすぐったい」。
人肌が触れてくるとくすぐったい。人の肌を持っているとくすぐったい。
無季だけど春めいてる。きらきらと光に透ける産毛を感じます。

★雄っぱいがいっぱい賞
ヒールからヒールに渡るビールかな   藤田俊

悪役プロレスラー(ヒール)から別の悪役プロレスラーにビールが手渡される。試合の後の打ち上げだろうか。
屈強な男たちが居酒屋の席にぎゅっと押し込められ、筋肉と筋肉が触れ合っているところを想像してほしい。Tシャツの袖の許容範囲ギリギリまで太くなってる二の腕と二の腕。ジャージの太腿とダメージジーンズの太腿。山盛りの食事はあっという間に消えていく。ジョッキがショットグラスに見える。
重要なのは、このひとたちは奥の席にちゃんとビールを回してくれるという点である。
「お姉さんありがとう、こっちで回しまーす! はい、グレート〇〇さんどうぞ〜。はいよ〜、ウルティマ××さんどうぞ〜」
なごやかである。試合で激しくぶつかり合う彼らは、実際はみんな仲良しなのである。その様子を思うと、なんというか、こう、胸の奥がほっこりして、あれが、あれだ、俺たちは、易々とテンカウントを取られてしまうんだ……。
ヒール、ヒールと繰り返してビールで韻を踏む他愛もない駄洒落。このレスラーたちも「ハイハイ! オレ一句詠みます! 俺ヒール、お前もヒール、これビール!」とか適当なこと言っているのではないだろうか。

★ボラード賞
妻の兄とは冬鷗見たつきり   西川火尖

北風吹きすさぶ海で彼らは冬のカモメを見た。妻の兄とはそれっきり会っていない。
この句は、たったそれだけの情報でBLみを匂わせてくる。※2
仮に「正月に麻雀したっきり」「ナイターに行ったっきり」「バーベキューしたっきり」「一緒にパチンコ行ったっきり」のようなエピソードと置き換えてみると「冬鷗」に宿るドラマ性の豊かさがおわかりいただけることと思う。麻雀やナイターやバーベキューやパチンコに行ったきり会っていない設定ならば、またすぐに会えそう。
しかし「冬鷗」は。
なんだか、それっきり、本当にそれっきりの永遠の別れになってしまうような寂しげな雰囲気が漂っていませんか。
汽笛。潮の香り。消波ブロック。係船柱。
歳時記によると夏に見かけるカモメは「うみねこ」で、他の種類のカモメは冬の間を日本で過ごすらしいです。妻の兄もまた渡り鳥のように遠くに行ってしまったのではないか。そしてこのひとは、毎日見ている妻の顔の中にときどき義兄の面影を重ねてしまったりするのではないでしょうか。

★24年組賞
ぼくはいちじくあおいいちじく薬缶鳴る   はんざき

「青い果実」という表現がある。そのように言われる側の人格を無視して「食われるもの」扱いしてるしそもそもペドフィリアだし21世紀にはしっかり滅んでいただきたい言い回しである。
しかし、当の若年者が若さゆえに性的な視線を向けられることを意識して「あおいいちじく」と自称してみせる痛々しい美を、わたしはまだ完全には否定することができない。飽くまでファンタジーの範囲として、だが。
「ぼくはいちじくあおいいちじく」の繰り返しは誘惑だろうか。それとも陵辱されながら自分は「あおいいちじく」なのだと繰り返し言い聞かせてやり過ごそうとしているのだろうか。
何かがピークに達したことを表すような薬缶の音。悲劇的でもあり、同時にコミカルでもある。
禁断の果実を食べたアダムとイブが股間を隠した葉はいちじく。肛門性交と縁の深いイチジク浣腸。茎を傷つけた際に出てくる白い汁。いちじくは何かとエロティシズムを仮託されてしまう植物だ。
現役最高齢腐女子として生を全うされた金原まさ子さんにも

猿のように抱かれ干しいちじくを欲る 『カルナヴァル』

という句がある。

★うたかた賞
炭酸水あなたはまじで死ぬやうだ   栞名子

「あなたは……ようだ」という書き言葉の中にカジュアルな話し言葉の「まじで」がぶっ込まれている。書き言葉では間に合わず「まじで」と思ってしまうほどまじでまじでまじで「あなた」は死にそうなのだ。
ところでみなさんは90年代末期をどのようにお過ごしでしたでしょうか。わたしは友人の貸してくれた小野塚カホリの漫画を読んでいました。寺山修司の引用があったり、カルト映画をチラッと紹介したり、とにかく文化的で、適度に暴力的で、おしゃれで、かっこよかった。
この句を読んだとき、小野塚カホリを思い出したのです。AIDSを発症して死んだ誘拐犯に馬乗りになって事に及ぶ被害者少年みたいな、いま思うと「ちょ、待って?」という漫画でしたが当時は泣きました。いま読んでも「ちょ」って言いながら泣くかな。
炭酸きつめの炭酸水を飲むときの、喉のに生じる抵抗の感覚。それは親しい人の今際の際に直面しているときの息苦しさのようだ。

★炎帝受け※3
   富士登山
めくらみ登る炎帝の赤肌は   高山れおな

「炎帝」とは夏の擬人化キャラクターです。
俳句では、一般的に炎帝は攻め攻めしく描かれがち。
BL読者諸姉諸兄の中には「攻め攻めしいということはつまり受け受けしいということである」というような、禅の境地に向かわれる方もいらっしゃるかと思いますが、まずはちょっと読んでみてほしい。

炎帝に組み伏せられているごとし   谷雅子
腕撫して炎帝の寵ほしいまま   能村登四郎
炎帝に召し使はれて肥担ぐ   上田五千石

一句目、襲い受けではなく炎帝は攻めだと解釈しました。
二句目、寵愛をほしいままにしているというのだから炎帝は攻めだと解釈しました。
三句目、炎帝に強制労働させられている句なので炎帝は攻めだと解釈しました。

解釈違いはご甘受ください。

そして、高山れおなさんの句である。夏の暑さそのものを炎帝と呼んでいるのとは少し違うようだ。炎帝の赤肌に登るというのだから、ここでは(夏の)富士山を「炎帝」に喩えている。火山である富士山を炎帝と呼ぶのは言われてみれば本当にしっくりくる。やばいかっこいい。
圧倒的な大きさの赤い山肌を登って行くショタのごとき人間。炎帝であるところの富士山は、悠々と構えた年上の受けのようだ。赤肌は興奮して紅潮した肌であり、登山者の眩暈もまた興奮から生じたもののように思えてくる。

★僧侶受け賞
寒明や肌着の上に数珠を置き   なかやまなな

さきほどの炎帝受けについては大方の同意をいたただけたかと思うのだが、この句が僧侶受けだということに関しては完全にわたしの個人的な趣味だ。中性的な顔立ちの美僧が敢えて剃髪していてほしいし、肌着はきちんと畳まれていてほしい。そこにきれいに数珠が置かれているわけです。この俳句は事後の光景なんですよ。二人が致した翌朝の。「数珠を置き」というのが現在の時制みたいにも思えるけど(こんなにきちんと)数珠を置き(そのあとあんなに激しく乱れたんだなこいつは)の括弧内が省略された形で、つまり攻め側の感慨なんです。
搔きむしるように脱いでぐっちゃぐちゃな事後の光景もいいけれど、冷静に几帳面に脱いだ後に身も世もなくむしゃぶりついてきやがったぜ、というのも味わい深いのである。
念のため書いておくと、俳句そのものには僧衣の肌着だとは書かれていない。数珠を持っているからといって僧侶とは限らない。未亡人の線もアリだと思う。いや、性行為を連想する必要もないのだ本当は。

って、書いてこの記事をアップロードした後にようやく気づいたんですが、寒明って寒中の朝じゃなくて寒の時期の終わりって意味じゃねえか! ようするに立春です。スライディング土下座して謝ります! 申し訳ない! 季語を間違えて覚えそうになった俳句ビギナーの方、お手元の歳時記でご確認の上わたくしの轍を踏まぬようお気をつけください。
ところでこの件を知った友人から「ということは、あったかくなって、裸になりやすくなったんだね」というメッセージが飛んできました。うん。事後じゃなくてこれからまさに始めるところっていう可能性が高くなるかと思います。(4/8 23:30追記)

★いやむしろつきあってない賞
ラーメンの汁は共有若葉風   田中目八

「ラーメンの汁は・・・・若葉風」という俳句の4音分の空白にあてはまる言葉を考えてください、という問題を出したとして、正解できるひとは限りなくゼロに近いだろう。「味噌味」とか「ギトギト」とか「少なめ」とか答えたくなるはずだ。
ふつうしないじゃないですか。ラーメンの汁の「共有」なんて。
ひとりがラーメンを食べて、残った汁にもうひとりが麺を入れて食べる。
鍋や巨大パフェをみんなでつつくことには抵抗がなくても、ラーメンの汁の共有はちょっと気持ち悪い。
だから、それを平気でやってのけているこのひとたちは、だいぶ親密な仲です。家族か。恋人か。距離の近すぎる親友か。
本日はぜひね、この「距離の近すぎる親友」として読むのをおすすめしたいと思いますよ。
いかがでしょうか。ブロマンスなどと呼んでみてもいいかもしれません。
若葉風がさわやかです。

★レボルシオン賞
西日さす君にチェ・ゲバラ・エプロンを   ちなみ

西日のさす夏の午後。ありふれたチェ・ゲバラのTシャツではなく、君にはチェ・ゲバラのエプロンをあげるよ。
「君」は西日に照らされて、すこし汗ばんだ顔で料理をしている。
革命家としてのゲバラ。多くの若者に慕われた兄貴分のようなゲバラ。喘息に苦しんだゲバラ。医師としてのゲバラ。女ったらしのゲバラ。バイクで旅をした若き日のゲバラ。数限りなくあるゲバラのイメージ、有名な逸話の中のいくつかを、語り手は「君」に重ねてみたりするのだろう。
そもそも「チェ」という名前は、エルネスト・ゲバラが相手に「チェ」と呼びかけることから付いた愛称だ。「君」と呼びかける癖のあるひとに愛とからかいを込めて「君」と呼び返しているのである。この、「君」と「君」の往還がまさにBLではないですか。
ちなみさんの作品は5句連作でした。察するに神回の誉れ高い「チョイ住み in キューバ」を元にしたのではないかな。
はい、みなさん思い出して。

「よごれてないたまご」と云へり夏の朝  ちなみ(珍部門「ハッピーイースター賞」受賞作)

この句のシチュエーションもキューバならなんとなく納得がいく。
そう、わたしは本当に人生を損していると思うんですけど、界隈で話題になったこの番組を見てないんですよね……。
他の句もあわせて読んでいただきたい。が、敢えてここでは全句を紹介しないスタイル。ご本人から何かの形で発表してもらえるかもしれないので、待つ!

★スタンドバイミー賞
手を引いてくぐる踏切夏の星   佐々木紺

踏切の中で立ち止まっていたら遮断機が下りてしまって、手を引いて一緒に脱出したのか。それとも遮断機の下りている踏切に進入していくところなのか。書かれている言葉の順に想像していくなら前者とは考えにくい。このふたりは、手を引いて踏切の外から中へ進入したように思える。無事に走って通過したのか、心中を図ったのか。助かったのか、ふたりとも亡くなったのか、ひとりは生き残ったのか。カメラは夏の星空にパンしてしまってふたりの行く末を見せてはくれない。
現実にはなかなか実行するひとはいないし、実行したひとはそれを書かない種類の行為なので、臨場感があったり、見てきたような上手い嘘をついたりするタイプの句ではない。むしろ夢の中のような幻想的な雰囲気。しかし誰か親密な相手と一緒に危険を冒す、その危うさには確かな手触りがある。

★ひとり賞
引き金の湿つてゐたる花野かな   喪字男

いままでの句は基本的に誰かと誰かの関係性を読み取ってきたのですが、これはソロ。でもわたしがBLに求めている良さとこの句の良さは非常に近いんです。
引き金というのは拳銃の引き金だろう。引き金にかけた指が汗で湿っている。花野は秋草の生えた高原などを表す季語。

なぜこのひとは花野で引き金に指をかけているのだろう。
自殺あるいは、自慰の比喩。
秋の野原は華やかでありながら死の匂いに満ちている。

硬質な銃と、小さく繊細な花々。ローラ・アシュレイキャス・キッドソンのパターンに囲まれたおじさんを連想してしまう。怖いとかわいいは両立する、むさくるしいと可憐は両立する、BLはそういったことを(BLという言葉が生まれる前の時代から)繰り返し繰り返し描いてきたように思う。

※1 BLとはボーイズラブの略語です。ボーイ(少年)に限らず男性同士の関係性の機微を鑑賞する趣味、という程度にざっくりとご理解ください。
※2 この連載を途中から読み始めた方のために補足しておくと、「ビバ!ユキオ俳句賞」は部門別に句を募集したわけではなく、お題を一切設けずに募集した俳句を選者が勝手に部門に振り分けて表彰しています。BLみを強引に嗅ぎ取っているのは選者の方で全然BLじゃないじゃないかというご意見もあろうかと思います。
※3 BLにおいて、挿入する側を「攻め」、挿入される側を「受け」と呼ぶ。

なお、本稿では「萌える」「尊い」「無理」をNGワードに設定し、血反吐を吐きながら語彙をひねり出してお送りしました。

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駅前留学生活

ひと月ほど前から、常に英語がきこえてくる職場で働いている。
面接では「日常会話程度ならなんとかなります」と言ったし必ずしも嘘ではないが正直失敗した感が強い。

ある日の朝礼で新しい外国人スタッフが紹介され(英語で)、よーし、それではみんな自己紹介をしよう、と上司が言った(英語で)。
順番が回ってきたのでゆりやんレトリィバァをイメージしつつイントロディースマイセルフしたが、通じているかはいまひとつわからなかった。いや、こういうのは通じているかどうかではない。挨拶をすることに意味があるのだ。それでその場が和やかになるのだ。どうせ相手も全員の名前をすぐには覚えられない。単なる儀式だ。

基本的に雰囲気の良い職場なのだが、雰囲気が良いだけに「日常会話」が本当にある。
まわりのひとが雑談するペースについていけない。
もともと他人の言葉をさえぎってまで話す性格ではないので会話に加わるタイミングがない。
上司の冗談には、わかる範囲で笑う。
(わたしの理解が間違っていなければ「羊羹をよう噛んで食べる」という駄洒落を英語で説明していたようだった。)

今日は、夏からこちらに赴任してくる予定の外国人上司にメールを書いた。
初めての英文メールである。
本文を英語の得意な(年下の)先輩に添削してもらい、件名もいい感じにつけて送信した。

あとで送信済みボックスを見たら “About the meeeting” と書いてあった。

(脳内で再生されるGReeeeN。)

日本にいるのに、日本に帰りたい。

発表☆第1回ビバ!ユキオ俳句賞(4/7)

珍部門受賞作の発表です。
「なぜこんなことを俳句でやろうと思ったの……?」
と考え込まずにはいられない不思議な味わいの俳句を集めました。勇気とサービス精神に珍の称号を捧げます。
(これまで発表した部門:VR部門どうぶつ部門ホラー部門・小太郎部門

「なぜこんなことを俳句でやろうと思ったの……?」と思っている羊

【珍部門】

★あんぽ柿賞
つくられた干柿さわられる干柿   井口可奈

「つくられた干柿さわられる干柿」と「干柿」が繰り返されることで想像するのは、軒下にたくさんの干柿が並んでぶら下がっているところ。
しかしこの「つくられた」がよくわからない。「つくられた干柿」とはどういうことを言っているのか。皮を剥いて紐で吊るされた状態なのか、そこからしばらく経って水分がいくらか抜けた状態なのか、もういつ食べても大丈夫という状態なのか、すでに紐をはずされて食卓に供されているのか。
わたしにとっての干柿は「つくる」というより、皮を剥いて吊っておいたら勝手にできたり、失敗して黴が生えたりするものだ。もちろん生え始めた黴を落としてリカバリする方法などもあるわけだが、概ねただただ食べごろになるのを待つものであり、「つくる」というよりは「する」という意識で、「あんたほうまだ干柿しとらんのん?」「へえ、天気う見てしょう思よんじゃ」……
と、つらつらと考えていてやっと気づく。
この句は、自分の家の軒下を見ているのではなく、有名な柿の産地で生産されてスーパーやデパートなどに並ぶ、美しい干柿の生産過程を、消費するひとの側から詠んだものなのでは、と。

すみません、田舎の暮らしはいいぞマウンティングみたいに見えたらごめんなさい。都会で暮らしたことがないのです。家とも干柿とも距離を置かず狭い世界で生きております。

出荷するための干柿生産の様子を、ニュース映像で見たことがある。たくさんの干柿が “農協婦人部” (というものがいまもあるのかどうかわからないが)のような組織の女性たちの手で揉まれていた。干柿は製造段階で大いに「さわられる」のだ。揉むことによってより甘く柔らかくなる、というような理由だったと思うが、知らないひとの手が触れたものを口にすることへのわずかな抵抗感を、この「さわられる」は意識させる。
俳句で食べ物をおいしそうに描けたらすばらしいし、多くの人はそれを目指す。だけど、こんなふうにほんの一瞬頭をよぎってすぐに忘れてしまっているような抵抗感・違和感を拾い上げてくれる句もいい。

★羊の賞
ムートンのにほひ生年月日かな   榊陽子

すごくシンプルな「取り合わせ」「二物衝撃」ですが、取り合わせるものが変わっています。
「ムートンのにほひ」「生年月日」て!

ムートンは季語として使っていると考えたい。コートかブーツだろうか。ムートン何それおいしいのという方はおぐぐりください。絶対見たことあると思う。
ムートンのにおいには形はないし、生年月日も概念。具体的な景を結びにくい言葉の選び方ではあるものの、わたしの場合はこの組み合わせからムートンコートを着たまま市役所の隅の机で書類を書いている人物が見えてきました。
市役所の中は暖房が入っているのですこし暑くなってくる。体温の上昇でムートンコートの獣のにおいがふわりと立ちのぼる。いま自分が衣服として着ているものに、生きて牧場を走り回っていた過去があるということ。わたしたちはそれを知識として知っているけれど、普段は完全に忘れている。
「生年月日かな」なんて普通なら詠嘆するようなことではない。単なる身分証明のための数字の羅列にすぎない。しかし、一頭の家畜の生と死を意識したことで、生年月日はただの数字を超えてこの肉体が「生まれた」という事実を思い起こさせ、そしてその先には死があるということに、ふと立ち止まってしまうのだ。
余談ですが「にほひ」の歴史的仮名遣いはムートンのモフモフ感を増幅してると思います。

★ギャラクシー賞
短冊を刃に織姫の脾腹割く   藤幹子

願い事の書かれた七夕の短冊。その短冊で織姫の腹を割く、と言う。
暴力のようでもあり、解剖のようでもある。
姫の割けた腹からこぼれ出るのは血か色とりどりの糸か星屑か。

「最低限の情報をのせた一枚絵を置いておきますので、あとはご自由に妄想してください」とでも言うかのような句だ。澁澤龍彦風の耽美的な小説にするもよし。MARVELDCのような銀河を股にかけたアクションにするもよし。

ところで彦星はどうした。彦星の不在感がすごい。織姫、抵抗しなかったのか。戦って負けたのか。おとなしく腹を差し出したのか。そこにほのかな百合を感じる。

★専門店街賞
山眠る報知器専門店へ行く   久石ソナ

5句中3句に「◯◯専門店」を登場させた久石ソナさん。3軒の専門店の中で「取り合わせ」としてぐっときたのは「報知器専門店」でした。
彩度の低い冬山と、火災報知器の鮮やかな赤。山の静寂と「報知器」から感じるけたたましい警告音の対比。(描かれている情景としては「報知器専門店へ行く」だから報知器はまだ鳴っていないのだが、意識の中では一瞬報知器の音が鳴り響く。)
「報知器専門店」などというものは実在しないのではないかと思うが、川上弘美的リアリティラインというか、現実からほんのすこしだけ浮き上がったファンタジーとしてとても魅力的。

参考:ホーチキ株式会社(名前がそのまんまですごくない!?)

★ハッピーイースター賞
「よごれてないたまご」と云へり夏の朝   ちなみ

幼い頃、うちの庭には二羽ほど鶏がいたように記憶しているのだが(シャレじゃなくてほんとうなんです!)蛇だかイタチだかに食われていなくなってしまった。家の鶏が産んだたまごは茶色く汚れていたような気がする。いまの生活では汚れたたまごを見るのはなかなか難しい。スーパーで買うたまごはきれいに洗われていてまるで工業製品のようだ。(実際工業製品と同じように大型の装置で洗浄されて検品後出荷されるようです。工場見学してみたい。)
「よごれてないたまご」と敢えて言うのは、この俳句の登場人物たちがいま「よごれたたまご」がざらにある環境に置かれているからなのではないか。「よごれてないたまご」が当たり前の場所ではそんな発言は出てこない。
養鶏場に来てみたのか、農家の放し飼いか。それとも外国の市場なのか。
「言う」「聞こえる」「見える」「思う」といった言葉は俳句では省略されがちだが、敢えて記述された「云へり」には軽い驚きがこもっている。「『よごれてないたまご』と言ってるよこの人!」と。
夏の朝。強い日差しと涼しい空気。サンダルばきで向かった鶏小屋、あるいは市場。彼らの見ている汚れたたまごや汚れていないたまごはきっとどれも産みたての新鮮なたまごで、触るとまだほのかにあたたかい。
最後に予言しておきます。我はBL部門でこの話題にもう一度触れるであろう!

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