投稿者「yukioi」のアーカイブ

わかる・わからないのはなし

手打うどんつづみ「天ぷらぶっかけ」
 
かなり頻繁に美術館に通って現代アートを見慣れていると思しきひとが「現代アートはパッと見よくわからないことが多い」とSNSに書いていた。「けど、今回はアーティストトークが聞けたのでいろいろ納得した」という内容に続くのだが、そうなのですか。ほんとうにそうなのですか。と、問いつめたい。
 
専門的な美術教育を受けたことのないわたしの場合、「楽しい」「きれい」「面白い」「地味」「派手」「おいしそう」みたいなことが「パッと見」の印象だ。「わかる」とか「わからない」はほとんど意識に上らない。他人から「なぜこの画家はこんな描き方をしたと思いますか?」などと聞かれてはじめて「わかりません」が来るだろう。「わかる」「わからない」に関して鈍すぎるのかもしれない。ひとりっこのマイペースさがここにも出てしまっているのであろうか。そういえば幼いころ、遊びのルールがわかったのかわからないのかわからないまま加わって空気を悪くしていたことがあった。わかるわからないを気にすることも大事だったのだ。ごめんよ、もうきっと会うことのないおさななじみたち。
 
しかし「現代アートはパッと見よくわからないことが多い」と書いた方も、実は「現代アートは難しい」「現代アートはわかりにくい」という常套句のほうに引っ張られて本当は感じていないことを書いてしまったのではないかなぁ、という気もするのですよ。楽しく美術館通いしてるんだったらご本人の意識としては「わかる」「わからない」は二の次じゃないのかな。だからきっと「作品を鑑賞する際の糸口をアーティストに示してもらうと自分だけでは気づき得なかった部分で理解が深まる」というような感覚の方がより実態に近いのではないかと勝手に思ってしまうのです。
 
写真は猪熊弦一郎現代美術館の近くの手打うどん。

質問が難しい

 

インタビューが苦手だ。
聞かれるほうじゃなくて、聞くほう。
guca時代、わたしが聞き手となってある作家さんに取材する企画が持ち上がったのだが、どうしてもできないと言って断ったことがある。
 
なぜできないかというと、聞きたいことがないからです。
 
「訴えたいことがないんです」とは鳥肌実のネタだが、どんなに好きな作家さんであっても、とくに聞きたいことはない。
作品を楽しむ。気に入った部分を何度も読み返したりサイドストーリーを妄想したり、それはそれはおおいに楽しむ。雑誌に作家さんのインタビュー記事があれば、それも楽しく読む。しかし、自分から何か聞きたいことを思いつくかというと、まったく思いつかない。
 
個人的に聞きたいことがなくても、読者が知りたいであろうことを推測し読者をレペゼンして質問することは、理論上は可能である。ギャラの発生する仕事ならそうするだろう。でもそうやって乗り気になれないインタビュー記事をまとめたとして、面白い記事になるとは思えない。商業誌ならその種の面白くなさが許されるとしても、同人誌は前のめりな情熱がすべてだ。お金にもならないことをものすごい熱量をかけてやっているからこそ、ああどうかこいつらが赤字になりませんようにとお金を出してもらえるのである。
 
考えてみればインタビューだけではなく、初対面の相手と会話すること自体が苦手だ。天気の話くらいならできるが、そこから先に行くのが難しい。誰かと誰かが会話しているところを隣であいづちを打ちながら聞いているのならやぶさかでないのだが。
 
わたしの脳の中で「質問する」という機能を司るはずの部分が何か全然別の機能を担っているのではないか。たとえば他人よりすこし秀でている機能、早食いとか、似顔絵を描くとか、虫を素手でつかむとか。
 
こんど同人誌でインタビュアーをやらないかと持ちかけられたら、わたしが家の近所で集めた虫を持ち込んでどれなら素手で触れるかみんなで試す企画を提案しようと思う。
 
 

はからずもデトックス

 

上司のちょっとした一言に憤りを覚え怒りにまかせてミックスナッツを一抱えイッキ食いした夜中に嘔吐を繰り返し発熱し、そのまま数日間寝込んだ。おそらく感染性胃腸炎である。上司の言い方は悪かったが上司のせいばかりではないと思う。もともと体調がよくなかったからいつもならスルーできる言葉に苛立ったのだ。

ものが食べられないと何もできない、まともに歩けない、考えられない、本が読めない、あんなに入り浸っていたツイッターに何も書き込む気にならない。階段は座ったままお尻歩きで三段ごとに休み、ジョージ・A・ロメロの熱心な演技指導を受けたゾンビのような緩慢な動きでゲロ袋を蓋付きゴミ箱に捨て、冷蔵庫から経口補水液を取り出して水で薄めながら飲んだ。

ずっと座っているのはつらいが寝転ぶと背中が痛い。全身が痛い。正岡子規の苦しさがちょっとだけ理解できた気がする。台所から経口補水液を持ってくるだけでこんなに疲れるんだからへちまの水を取る気力なんてないだろうそうだろう。

で、そんな数日を経て徐々に体力は回復したのだが、胃腸炎の前と後ではっきりと変化したことがある。

回復後、おなかの調子が妙にいいのである。

たとえて言うなら以前は駅員が一枚一枚切符に鋏を入れる古式ゆかしい改札口。ラッシュ時は混乱を極めしばしば暴動が起きていた。現在は自動改札が導入されマナーのいい乗客たちが自動改札にICカードをかざしてスルッと通過していく。おわかりいただけるでしょうかこの感じ。サニーナおしりふきに頼らなくても平気になりました。

ちなみに高熱が出たせいか上司に何を言われたのかはすっかり忘れてしまいました。

 

往復

 

つばめたちが巣立ったあとの玄関にデッキブラシを往復させる

ホステスがいつも吐いてる電柱の根元に生えたひょろひょろの草

明瞭に見えない自然

『岡大短歌4』に寄稿しました。
山田成海さんとのコラボで往復書簡と短歌連作を制作。
タイトルは「こゆびくんとやくざくん」。

灰皿の中身のような街でまたベビーカステラ買えるだろうか (山田成海 as こゆびくん)
マシンガンみたいな雨を聞きながらヨド物置で頓服を噛む (石原ユキオ as やくざくん)

大森静佳さん(ゲスト)と川上まなみさんの往復書簡と短歌連作も載ってます。
こちらは「口語での自然詠」がテーマ。

暗いけどそこには海があると分かる 五歩先くらいが波際のところ  川上まなみ
川に落ちた街の明かりの動くのは川の流れているからだろう

光の奥にひかりはあって、白梅はたぶん盲目の花なんだけど  大森静佳
粘着質な夕暮れ、とでも言えそうな空気に揉まれて北門を出る

「自然詠」から「写生」について考えさせてくれる作品でした。
川上さんの「五歩先くらい」「流れているからだろう」といった部分に強く表れているんだけど、自然の風景を肉眼で見るということは、明瞭に見えないことでもある。
大森さんは自然詠に詩情をぶっこみながら「たぶん」「とでも言えそうな」と断定を避けて仕上げている。肉眼で見た曖昧な自然とクリアな想像とを馴染ませるためのグラデーションとしての「たぶん」「とでも言えそうな」なのかもしれない。(断定を避けてみた。)

↓↓『岡大短歌4』お取り寄せはこちらから↓↓
岡山大学短歌会 blog twitter

葉ね文庫に二ヶ月ほど憑依します ۵

 

葉ね文庫の壁面スペースを若手詩歌人の新作発表の場にするプロジェクト「葉ねのかべ」に参加します。
前回は高塚謙太郎さんの詩とはらだ有彩さんのイラストレーションでした。
第二弾としてわたくし石原ユキオが葉ねのかべに取り憑かせていただきます!

【期間】2016年2月27日(土)から約二ヶ月間

【会場】葉ね文庫大阪府大阪市北区中崎西1-6-36 サクラビル1F

【こんなことをします】
(1)葉ねのかべ・・・憑依俳句を展示します。

(2)作家の本棚・・・憑依現象とアイデンティティについて考える本をえらびました。一部の本には書き込みあり。

(3)販促インレジデンス・・・会期中ときどき葉ね文庫に顔を出して俳句関連書籍を中心にポップ広告の滞在制作を行います。滞在日はTwitterでお知らせします。

(4)カンパバッジ・・・何回も葉ね文庫に来たい! でも大阪ちょっと遠い! そうだ、居住地岡山から大阪までの旅費をみなさんに援助していただこう! ということで缶バッジ(新色)を1個500円という強気価格で販売します。地方在住俳人にあいの手をソイヤッソイヤッ! ご協力よろしくお願いします。

can01

(5)トークイベント

句集の耳だけかじりたい
〜俳句の本の俳句以外(帯、序文、跋文、あとがき、奥付)を味わう〜

3月13日(日)13:30〜14:30
@葉ね文庫(大阪・中崎町サクラビル1F)
出演:石原ユキオ
参加費:300円
定員:10名程度 (要予約)

俳句の本の俳句以外の部分はアバンギャルドな表現に満ちている!
あまりにも喧嘩腰な序文、うんちくを語り過ぎる跋文、謎の動物が登場するあとがき、心配になるプロフィール欄などなど、俳句本の端っこにぎゅっと濃縮された味わい深いところをスライドトークで紹介します。

トーク終了後、休憩を挟んで15:00よりプチ句会(司会:佐々木紺)あり(希望者のみ)。
投句:当季雑詠(=いまの季節を詠んだ俳句)2〜4句予定。

スペースに限りがあるため、予約制となっております。
画像のメールアドレスあてにお名前、人数、句会への参加の有無をお知らせください。
(募集は締め切りました。当日券はございませんが、そのうち追加公演があるかもよ!)

句集の耳だけかじりたい
>>クリックで拡大

活動記録(2015年)

 

●文芸すきま誌『別腹』vol.8(2015年5月4日発行)に評論「妖怪俳句アンテナ」を寄稿。付録「ねがてぃぶ絵はがき」を1点制作。

●わたなべじゅんこ俳句評論集『歩けば俳人』(2015年5月発行)の装画を担当。

●第3回BL句会「仁義なきBL句会-広島詩闘篇-」を広島市青少年センターにて開催。(2015年7月12日)

●ツイッターで「#マッドマックス怒りのデス吟行」を企画(2015年7月)。『都市』2015年10月号「新・俳句月評」で取り上げられる。

●BL俳句誌『庫内灯』創刊号(2015年9月20日発行)に巻頭言「BL俳句の醸し方」、俳句連作「茎-nakago-」、評論「魅惑の小学生男子-長嶋有第一句集『春のお辞儀』を読む-」を寄稿。

●BL俳句誌『庫内灯』創刊号リリースに合わせて「第三回文学フリマ大阪」会場内で開催されたBL句会に参加。(2015年9月20日)

 

BL俳句誌『庫内灯』予約受付中です

BL俳句誌『庫内灯』、amazonでは2015年11月30日に販売開始されます。
すでに予約受付は始まっておりますので、雪のように白くて愛らしいこの本を、ご自身へのちょっぴり早いクリスマスプレゼントとしてご予約くださいね。

ほれ!
IMG_6059

べっぴんさんじゃろ!
IMG_6066

イベントや実店舗での販売価格と比べると通販の1,512円はちょっとお高いのですが、手数料の関係でやむを得ずこの価格になってます。ごめんなさい!
11月23日(月祝)開催の第二十一回文学フリマ東京では1,000円でお買い求めいただけますよ!

その他、大阪・葉ね文庫さん、東京・ふげん社さん(11月中旬〜)で取り扱いがございます。

以下、わたくし石原の執筆した部分、お試し読みをどうぞ。

巻頭言「BL俳句の醸し方」

巻頭言「BL俳句の醸し方」

俳句連作「茎-nakago-」

俳句連作「茎-nakago-」

魅惑の小学生男子-長嶋有第一句集『春のお辞儀』を読む-

魅惑の小学生男子-長嶋有第一句集『春のお辞儀』を読む-

デス吟行が俳句の本で紹介されたぞ!

 

「マッドマックス怒りのデス吟行」が『都市』2015年10月号の「新・俳句月評」というコーナーで取り上げられました!

結社誌『都市』/撮影地:農村

書いてくれたのは栗山心さん。
栗山さんは、映画や舞台を観てその感想代わりに俳句を作ってみる、ということを以前からなさっていたそうです。

すごく共感したのは次のところ。

不思議なことに、歳時記を読んでいて、この映画のことを詠んだに違いない、と思えるほどピッタリとはまる句に出会うのも楽しく、勉強になる経験であった。

わーかーるー!
ありますよね。「この俳句はこのシーンのためにあるに違いない!!」っていうの。(わたしの場合はこれ

そして三句を挙げていらっしゃるのですが、そのうち一句が……

熱砂駆け行くは恋する者ならん  三好 曲

ニュクサブル……!! うおおお!!!!(号泣)
あと2句はぜひ、『都市』10月号(600円)をお取り寄せして読んでみてください!

また、デス吟行参加者の作品から、
固有名詞ありの句の例としてるいべえさんの、

固有名詞はないが映画を観た人には誰のことを詠んだかわかるタイプの例として松本てふこさんの、


が引用されています。

縦書きで活字になった句を読むと、ブラウザで読むのとはまたちょっと雰囲気が違いますね。
るいべえさんの句は、長音の縦棒が茎のように屹立していて、苗を一本ずつ指差していっている印象が強くなる。
てふこさんの句は、句のエレガントさが際立つように感じました。

栗山さんはこの夏、デス・ロードを一ヶ月に三往復したそうです。

↓↓お取り寄せはこちらから↓↓
都市俳句会 入会・購読のご案内