元々無精者なので、毎日つけたり外したりする華奢なピアスは性に合わなかった。医療用ステンレスでできた輪をつけっぱなしにしていた。風呂に入るときは、ピアスの周りに泡立てた薬用石鹸をつけ、輪っかをぐりんぐりん回して洗う。しかる後に流水でよくすすぐ。うちのお風呂は、冬は湯が出ない。いくら半身湯船につかっていると言っても、すきま風の吹きすさぶ昭和製の風呂場で耳たぶに冷水をかけるのは荒行に近かった。
なぜそうまでしてピアスホールを丹念に洗わねばならぬのか。
理由は単純。臭くなるからである。
荒れたり腫れたり、そういったトラブルの原因にもなるけれども、それ以前の問題として、きちんと洗わないピアス穴は、激しくにおう。
魚介類の腐ったにおいだったろうか、やや美味しそうな薫製のにおいだったろうか、それともブルーチーズのにおいだったろうか。もうすでにはっきりとは思い出せないけれど、女子の耳たぶから香ってくるべきにおいでないことは確かだった。
たとえば夏の暑い日、一日中遊び回った後に入った小洒落たバーで、素敵な殿方に耳元で囁きかけられて魚介類の腐ったにおいがしたらそこでゲームオーバーである。そんなシチュエーションになることはまず考えられないのでもっと身近な例でいくと、詩の朗読会でエキサイトした後の打ち上げで隣の席に座った素敵なおじさまに耳元でボオドレエルの一節を囁きかけられたときにブルウチイズのにおいがしたらそこでゲエムオオバアである。ってこちらもあり得ないシチュエーションだけれども。
そんなわけである日、私はピアスを外し、そのままつけるのをやめてしまった。
ピアスを外してからも、残った穴は数ヶ月間塞がらない。その間も、耳を丁寧に洗わねばならない。面倒くさいことこの上ないのだがなんとか耐えて、穴の内側が繋がり、肉が盛り返してくるまでになった。
いま私の耳たぶには、えくぼのような凹みが残っている。親指と人差し指で挟んでみると、トンネルのあった名残が、固いしこりとして感じられる。そしてその指を鼻先に持って行くと……やばい。なんかまた薫製臭い気がする。
阿部サダヲ -7-
節分の赤信号に照らされる
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