高松霞さんの「短歌・俳句・連句の会でのセクハラ体験談」に関連して書かれた坂西涼太さんの「創作活動とサステナビリティの視点からみるハラスメント問題」という記事を読みました。
同じ問題に関心を持っているにもかかわらず、同意できない部分が多かった。
坂西さんは「自分用にまとめたメモ」と前置きした上で
- 一般的視点から:ハラスメント対策を講じることが結社・団体のサステナビリティにつながる
- 個別的視点から:ハラスメントによる民事上のリスクは個人的な活動のサステナビリティ問題である
- まとめ:ハラスメントの結果として活動終了する個人や団体が存在することは損失
という内容を書かれているのですが(ざっくりした要約ですみません。実際の文章はリンク先をご確認ください)持続可能性をベースに人権問題を扱うことには忌避感があります。※1
人権は尊重されなければならない。それには理由はない。傷つけちゃだめだから傷つけちゃだめなんだと言いたい。
個人の権利が守られた結果として社会が持続可能になることはたしかにあるかもしれない。これはたとえば、貧富の差が少ない方が凶悪犯罪が起きにくいとか紛争が起きにくいとかそういうことだよね。
でもこれを結社にあてはめられるのかどうか、ハラスメント対策が結社や団体の維持のために必要かどうか正直わたしはわからない。※2
それから「個別的視点」についてはセクハラで訴訟を起こす大変さを思うとどのくらい脅し文句として効くのか疑問。
とはいえわたしは坂西さんに対して「お前さんはなーんもわかっとりゃせんのう!」などと文句を言いたいわけではなく、こういうのは考え方の違い、問題の捉え方の違いであって、さしあたりなにも問題はない。批判するつもりはない。
坂西さんのメモは、組織を維持していく側のひと、つまり結社の主宰にハラスメント対策を講じるメリットを説明する視点で書かれている文章のように感じられる。だからわたしにはピンとこないということもあるのだと思う。組織にいた経験が実質ないからね。でも、こういった視点で説得したほうがわかってくれる相手もきっといるのだろう。
わたしと坂西さんは考え方が違うけれど「ハラスメントは許さない」という点においては問題意識を共有できている。この一点においては連帯できる。むしろそこに希望を感じた。
いろんなひとがいろんな視点でハラスメント問題に関わって、それぞれの言葉で発信していくことが大事なのだと思う。どんな言葉が誰に響くかわからないから。
※1 SDGsの掲げる目標の中には「ジェンダー平等」や「人や国の不平等をなくそう」などもあるわけで、わたしがSDGsをちゃんと理解できてないからそう思うのかもしれません。
※2 だってさー。SMや昼ドラみたいな搾取と愛憎にまみれたドロドロの師弟関係もあるじゃないですか。そっちのほうが組織を維持できるのかもしれないと考えてしまう。わたしはハラスメントのない結社にする方向でお願いしたいけど「ハラスメント対策したほうが結社の維持につながります!」と自信いっぱいには言えない。「結社の維持に繋がるかどうかは知らないけど人間を傷つけてはいけないのでハラスメント対策してください」としか言えない。あとついでに「SMプレイは他人に見えない場所でやってください」も言いたい。