『岡山の娘』大阪公開記念「福間健二トークイベント」レポート

3月8日(日)、福間監督は、阪急の十三駅前の居酒屋「十三屋」で、飲みすぎないようにと注意しながら、大感激のランチタイムをすごしたあと、午後2時、天神橋筋六丁目駅に到着。イベントの主催者、銀幕舎の高瀬進さんに案内されて、会場の古本屋カフェ「ワイルドバンチ」へ。
ぎっしり棚にならんだ古本の匂い。文学と映画とジャズの店です。
福間監督にとっては、京都「ろくでなし」の横田直寿さんや姫路の詩人大西隆志さんら、なつかしい仲間との再会の場ともなりました。
午後3時からイベント開始。
まず、『岡山の娘』を作ったいまの心境を、福間監督が語りました。
「まだ映画学校の学生が卒業制作の作品をつくったという段階の感じ。これからです」
あと2日で60歳になるというのに、若い!
それから、ロックンロールに夢中になった少年時代のことが語られました。
休憩のあと、1969年、福間監督が20歳のときに完成させた『青春伝説序論』をDVDで上映。そこから、司会の高瀬さんと福間監督による1960年代後半の文化をめぐる話が展開されました。
福間監督は、このなりゆきにいささか戸惑い気味。『青春伝説序論』についての質問には、どう答えてよいのか迷っているようでしたが、
「20歳のころはこんな馬鹿だったって証拠。それに向き合うのに、みなさんに立ち会ってもらってよかったのかもしれない」と照れくさそうに……。
駆けつけてくれた『へばの』(やはり大阪のプラネット+1で、3月7日から20日まで上映中です)の木村文洋監督があいさつをして、
「20歳でこれだけの表現をしているのに驚いた。『青春伝説序論』でも、『岡山の娘』でも、福間監督は、時代のいま、世界のいまをつかもうしている」と語ってくれました。
また、客席からの「福間さんの詩も、映画も、歩いている感じがする」という声に、福間監督は、わが意を得たように、「そうなんですよ。『青春伝説序論』のころは、まだドアをあけていなかった。それから、ドアをあけること、ドアをあけて外に出ること、外に出て歩くことこそが、表現することなんだと自分に言い聞かせてきた」と熱く語りました。
ポレポレ東中野でのオールナイトにつづく、表現者福間健二の40年を感じさせる貴重な瞬間となりました。
会のあとも、福間監督は、ビールグラス片手に「大阪ってやっぱりいいなあ」といつまでも去りがたい表情。「ワイルドバンチ」の本棚にも、そして天満駅付近の飲み屋街にも未練をたっぷり残して、新幹線に乗るため、新大阪駅へと向かいました。

大阪応援スタッフ ハウンドドッグ

10
3月
2009

大阪上映レポート

『岡山の娘』の大阪公開がはじまりました。
淀川区十三にある第七藝術劇場での、1週間限定レイトショー。
3月7日(土)の初日は、50人近い観客が駆けつけてくれました。
上映後の舞台挨拶に登場した福間監督は、『岡山の娘』の準備・撮影から今日までの時間をふりかえって、「人生の時間を削ってこういう映画を作り、その一方でそれによってなにかを取り返したという思いがあります。もうすぐ60歳になりますが、表現者としてばかりでなく、ここまで自分が生きてきたことの集大成としてこの『岡山の娘』があります」と語りました。
「詩をどう使おうと考えたのか?」という質問に対しては、
「最初から考えていたところもあるけど、現場での雰囲気で、ここは詩をぶっつけられるなと感じたところでは、即興的に詩を読んでもらった。その場のノリで、詩を入れたツナギを考えたんです」。
また、岡山の風景が、アングルを変えれば世界の別な場所にも見える。岡山にこだわりながらも、そんなふうに世界のどこにでも通じるような物語を目ざしたことなどについても、福間監督は、例によって詩的な飛躍をまじえながら語りました。
第七藝術劇場の支配人松村厚さん、同劇場の映画顧問倉田剛さん、そして詩人仲間、岡山から来てくれたスタッフ・応援者のみなさんに囲まれて、打ち上げでも大いに語った福間監督。飲み屋のならぶ十三の街がすっかり気に入った様子でした。
大阪での上映は、3月13日(金)まで。
どうぞ、みなさん、大阪にやってきた『岡山の娘』をよろしく。

大阪応援スタッフ ハウンドドッグ

10
3月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 19

2009.2.17〜2.24.

2月17日(火)
二日酔い気味。
佐藤忠男さんの『私はなぜアジア映画を見つづけるか』を、
書評を書くために読む。
『岡山の娘』に肩入れしてくれた、ししらいぞうさんの
ブログ「調節作用」を見ていたら、
佐藤さんは映画批評家の「遺物」のひとりにされていた。
そんな感じもないわけではないが、
佐藤さんは、いろんなところに行って、
わたしたちが簡単には見ることができない映画をたくさん見ている。
そして、彼の書くものには、
映画批評を書きはじめた1950年代後半の
若い「思想」や「自由」が、独特の穏やかさをもって、
生きつづけている、と信じたい。
戦後まもない時期のその映画体験が、
映画がまだ若い状態にある国々の、
未知の作品との出会いを呼びよせている、
という筋をいちおう考えた。

2月18日(水)
横浜、幻野映画事務所(弟のところ)へ。
『岡山の娘』の英語字幕版づくり。
14〜16日と二泊三日でやったあとのつづき。
今日も泊まりで、遅くまでやったが、まだ終わらない。
マックのファイナルカットを使って、
かなり簡単に出来ると思っていたが、
英語字幕を入れたカットを約800枚重ねてゆくという作業で、
しかも英語の表現そのものにもまだ迷うところがあるので、
時間がかかる。
日本語で字幕を出しているところに
どう英語を入れるかという課題もある。
中川財務相、辞任にいたるまでのニュース。
「嘘をついている」「ごまかそうとしている」
「しまったと思っている」「もういいやと投げやりになっている」
というような顔と挙動はこういうものか、と演出の勉強をする。

2月19日(木)
横浜から大学へ。
教授会。
その前に小さな会議と小さな仕事。
午後8時すぎに国立に戻り、「奏」に寄る。
フミちゃんとリーちゃんに挟まれて、ワインを飲む。
外は、雨になっていた。

2月20日(金)
毎年のことだが、この時期、決断力が鈍る。
そういう体になっている。
それなのに、決断しなくてはならないことが、この時期は多い。
そうだったのだと気づかされる。
『私はなぜアジア映画を見つづけるか』の書評(770字)を片付けて、
栗田有起の「しろとりどり」(「新潮」2007年12月号)を読む。
豆腐工場で働くヒロイン。
なにもかもを白くして生きている。
職場に親しい女性がふたりいる。おもしろかった。

クリント・イーストウッド監督『チェンジリング』を立川で見る。
実話。なんともすごい話だ。
1920〜30年代風のきついメイクのアンジェリーナ・ジョリーの顔を
ローキーの暗い画調のなかにおいただけで、
勝負はつけているという感じ。
その上に、いろんな小技が効いている。
立川から南武線で谷保にまわって、「たちばな」へ。
タラの白子の天ぷら。はじめて食べた。

2月21日(土)
朝から、福間塾のための詩を書く。課題は「塀」。
「塀」でまず思い浮かぶのは、府中刑務所の塀だ。
わたしの半分は、塀のなかで規則正しい生活をしていて、
あとの半分が、ここにいて、なにかしている。
そういうアイディアにしがみついて、なんとか書き上げるが、
パソコンの調子がおかしくなって原稿が刷り出せない。
がっかりし、なぜか一瞬、暗い気持ちになる。
大げさに言うと、どうも、パソコンに苦しめられるたびに、
この世界のあり方、自分の生き方に対して、
なにかが根本的にまちがっているという気がしてくるのだ。
いつも3時間以上つづく福間塾、
最初の2時間だけつきあって、吉祥寺へ。
いせや本店での、桃ノ忌(会田綱雄忌)。
池井昌樹さんがやっている会で、今年は第十九回である。

2月22日(日)
幻野映画事務所。午前10時前に着くと、
原將人監督が来ていた。
5分の短篇をハードディスクからHDVに落とす作業で、
ハードディスクのコードを忘れた(京都に!)とかで、
手こずっていた。待っているうちに
横浜女子駅伝がはじまってしまった。

午後1時から、京急の井土ヶ谷駅近くの喫茶店で、
英語字幕の協力者、安井マイケルさんと、
字幕の英語について、最終的なチェックをする。
実際に画面に付けてゆくなかで
やっぱりどうなのかと迷い出した箇所について、
彼の意見を求めた。
なんとか意味が通じるようにしたいのと、
もうひとつ、英語でも詩を感じさせたいという希望がある。
たとえば、北川透さんが語った「弱い心」。
weak heart では、「(健康的に問題のある)弱い心臓」。
soft heart では、「優しい心」になる。
heart は、あきらめて、delicate soul とすることにした。
安井マイケルさんは、首都大学東京の同僚。
若いときに詩集を出していて、映画も作っている。
願ってもない協力者だ。
午後3時前に戻って、午後10時すぎまで字幕入れをする。

2月23日(月)
午後6時すぎ、字幕入れの作業を終える。
パソコンの画面の、分割された画像、
そのなかの文字を見つめる作業。
これを、二泊三日、一日、一泊二日と、合計6日間やった。
わたしも(決断力の鈍さもあって)疲れたが、
弟はもっと大変だったと思う。
もう少し直すところも出てくるだろうが、
いちおうできたので、ほっとする。
午後8時45分、帰宅。
NHKニュース。『おくりびと』の
アカデミー外国語映画賞受賞を大々的に報じていて、
滝田監督のお父さんが富山で大喜びしている画像もあった。

2月24日(火)
きのうも寒かったが、きょうも寒い。
きのう、横浜から帰る満員電車で読みはじめた
ジョゼフ・マクブライドの『Hawks on Hawks』を読む。
ハワード・ホークス監督のインタビュー。
前に一度読んでいるが、読みだしたらやめられなくなった。
どんなことにも深刻になる必要はない。
いいシーンが撮れそうになければ、
できるだけ速くそれを片付けるか、棄てるかして、次に進む。
楽しむこと。楽しさを引き出すこと。
登場人物それぞれを「人間」にすること。
ホークスの作品もそうだが、その言葉を読んでいるだけで、
半端な「ウツ」は吹っ飛んでしまう。
明日から3月2日まで、
苦手な仕事をしなくてはならないので、日録、休みます。

25
2月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 18

2009.2.9〜2.16.

学年度末の大学の仕事、原稿、その他で、余裕のない日々がつづいています。
今回は、日録を休んで、少し前にあるところで受けた『岡山の娘』の音楽についての質問への回答を再現してみることにします。

〈『岡山の娘』の音楽はどう考えたのか?〉
ある段階で、デヴィッド・リンチのテレビシリーズ『ツイン・ピークス』みたいなのがいいと言ってたんです。ちょっとパクリっぽいテーマ曲が、いまおかヴァージョンじゃない方の予告篇に入っていますし、完成版の本篇でも、ラストの「スワニー川」の編曲にいくらかそういう感じがあります。
好きなヒップホップ的なのも、ショートヴァージョンでは使ったんだけど、いかにも打ち込みというのが、コンピューターで作りましたって感じになりすぎるんで、やめました。
前半、ナレーション、蝉の音、字幕、それに亡くなった母の歌で、リズムが生まれている。そこに音楽があるのはじゃまな気がして、入れていた音楽を抜いていきました。
音楽の吉田孝之さんも、わたしも、だんだん、音楽がいるのかなって疑いだしたんです。雰囲気が出ていないとかいうのをカバーするために音楽を使うのは、やめることにしました。
画面の意味をなぞって説明するんじゃなくて、対位法的にぶつかるもの。それが基本でしたが、残った音楽は、結果的に人物の気持ちをよく表現していると思います。
いまの時代を生きる気分+ポップ、という感じで、できたら街の音のなかにあるもの。そういうふうにもしたかったけれど、むずかしかったです。

〈お母さんの歌う「ククルククー・パロマ」は?〉
ウォン・カーウァイもペドロ・アルモドバルも使っている曲だけど、もともとこれは、いなくなった人間(実は、浮気な女)のかわりに鳩が飛んでくるというもので、死んだ女性の声で歌われるのによいと思いました。
ちょっと気がつかないかもしれないけれど、お母さんの好きだったこの歌を父と娘でハミングしたあとのつながりで、この曲を速いテンポの明るいアレンジにして、男たちの会話の場面にも流しています。

〈ラストの「スワニー川」はどうして?〉
川が出てくるから、川の曲。そう思いながら、版権のない曲をさがしていって、フォスターにぶつかりました。そして、川べりで少年がハーモニカを吹いている感じというアイディアを、妻が出してくれたんです。
ほんとうは「故郷の人々」という題だって、あとで教えられましたが、その題も『岡山の娘』に合っている気がします。
とにかく、日本の風景も見ようによってはスペインの風景に見える。それと同様に、岡山の旭川がアメリカの川になってしまうのも、おもしろいと思いました。
それは、みづきの物語がだれでもないだれかの物語へと、そして岡山の物語がどこでもない土地の物語へと、突き抜けていけばいいってことでもあります。

以上、「音楽についての質問に答える」でした。
最近、吉田孝之さんが、実際には使わなかった曲もふくめて、
彼が『岡山の娘』のために作った曲を集めたCDを送ってくれました。
ひとつのコンセプトにつらぬかれた、なかなかのアルバムになっています。
全部で19曲。25分。
どれもよく聴いた曲で、
『岡山の娘』の音を作っていったときの「苦労」も思い出されて、なつかしく、
心の奥の、大事なものをしまっているところに響いてくるという感じです。
もうひとつの『岡山の娘』、音楽作品としての『岡山の娘』が、
確かにそこにあると思いました。

19
2月
2009

イベント情報

第2回 銀幕舎 映画を考える会 協力/天満CINEMA倶楽部
★映画『岡山の娘』公開記念
福間健二監督トークイベント
「新作映画『岡山の娘』の公開(3月7日〜第七藝術劇場にて)にあわせて、監督の福間健二が来阪します。詩人としても一流の福間健二がつむぐ、世界と映画への新しいヴィジョンを、目撃してみませんか。」

トーク:福間健二×高瀬進(銀幕舎主宰)
参考上映:『青春伝説序論』1969年40分 
     監督・脚本=福間健二 撮影=高間賢治 出演=長谷川隆志、林いづみ

日時:2009年3月8日(日) 15:00〜17:00頃(開場14:45)
料金:1500円+別途1ドリンク(500円)
場所:ブックカフェ・ワイルドバンチ
   大阪市北区長柄中1−4−7 公ビル1F
   予約電話・FAX番号/問い合わせ 06−4800−4900
   メールでの予約は bcwildbunch@ybb.ne.jp まで。
ブックカフェ・ワイルドバンチHP [1]

[1] http://bcwildbunch.com/

10
2月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 17

2009.2.2〜2.8.

2月2日(月)
浅間山の火山灰。国立にも降って、
うちのマンションもうっすらと灰色におおわれた。
先に気づいた妻、気づかないわたしの鈍感さをチェック。
午前中、自転車で
詩人新井豊美さんち、TSUTAYA、100円ショップのMEETS、
そして国立中央図書館へ。
図書館は休んでいたのが今日から再開で、人が大勢いた。
 
夜、7時半すぎから、
(いきなり書いてしまうが)
あやちゃん、コーちゃん、フミちゃん、ヒトミさん、リーちゃんの順にやってきて、
岡山のかきを食べる会。
後半、かなり酔って
(あとで思うとビールとワインのほかに日本酒も飲んだのが効いた)、
客の迷惑もかえりみず、音楽をかけまくる。
アントニーからはじまって、ルーファス・ウェインライト、
ティラノザウスルス・レックス、リサ・マリ・プレスリー、リーラ・ジェイムズ、
デル・シャノンなど。最後もアントニー。

2月3日(火)
四つの授業で、期末試験。
1時限目の履修者180人以上の「映像文化論入門」のレポートと答案を
読みはじめるが、読み切れない。
夜、妻と待ち合わせて、ポレポレ東中野で『へばの』を見る。
試写で見たとき以上に、木村文洋監督の若い「苦悩」に共感をもった。
打ち上げに参加。
今日は、横浜聡子監督がトークゲスト。
新作『ウルトラ・ミラクル・ラブストーリー』(6月公開)のヒットを
みんなで祈る気持ちになった。

2月4日(水)
英語(首都大学東京では「実践英語」という科目名)の
統一期末試験の監督を、朝から夕方まで。
約100人ずつの1年生と2年生。
かれらと同じ部屋で時間をすごす。
授業では感じないことだが、
この200人にカメラを向けるだけでも一本の映画ができる気がした。

夜、ジャン=リュック・ゴダールの『ワールドミュージック』を見なおす。
ヒロインが湖畔を歩く「天国篇」の美しさ。
そこまでたどりつくのが並大抵のことではないが、
どんな作品でもこういう夢をはらんでいる必要があるのでは、と思った。

2月5日(木)
朝、NECOチャンネルに回して、
李香蘭(山口淑子)と長谷川一夫の『支那の夜』(1940)を見てしまう。
92分の総集編で、だいぶ切られているのだろうが、
31歳で夭折した伏水修監督の画面作りの巧さに感心する。
午後、マイテレビの人が来て、デジタルへの変換をおこなった。
ようやく、わが家でも
ハイヴィジョン放送の番組を見ることができるようになったのだ。

夜、国立駅に山?はなさんを迎えに行く。
長い物語をハショらなくてはならないが、
『急にたどりついてしまう』のときから応援してもらい、
今度も松山上映に大尽力してくれた人。
妻のいる「奏」に案内する。
ポレポレ東中野の小原さんとカフェ「ポレポレ」のマイちゃんが
先に来ていて、みんなでテーブルを囲む。

2月6日(金)
夜遅く、ジャック・ロジェの『アデュー・フィリピーヌ』(1963)をついに見る。
見終わった瞬間にもう一度最初から見たくなった。
すごい作品だということだ。

2月7日(土)
修士論文(午前)、卒業論文(午後)の口頭試問。
さらに評価のための会議。
学生も大変だろうが、
こちらも教師としての能力を問われる気がする。
疲労と沈む気分をかかえて、国立に戻る。
気持ちを切りかえて、「ロージナ茶房」へ。
『岡山の娘』大阪公開に合わせて
「福間健二監督トークイベント」というのを
やってくれる「銀幕舎」の高瀬進さんとの打ち合わせ。
最近国立に越してきた歌人の今橋愛さんとも話す。
最近、なぜか、歌人との出会いがある。
うちから二番目に近い飲み屋「利久」から
いちばん近い飲み屋「旬家」へと、妻とハシゴする。
「旬家」のカウンターにある水槽の小さな魚たちに生命を感じる。

2月8日(日)
ジャン・ルノワールの『ピクニック』(1936)を見た。
39分。未完の作品をプロデューサーたちが完成させたもの。
DVDには、「撮影風景」「リハーサル」も入っている。
川の水とシルヴィア・バタイユ。
『アデュー・フィリピーヌ』にも通じるが、
官能への予感と魅惑をふりまきながら、
底のところで悲しいことやきついことがおこっている。
これでいいんだなと納得してしまった。

10
2月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 16

2009.1.26〜2.1.

1月26日(月)
きのうは、スティーヴン・キングを復習した。
今日は、太宰治の言葉を思い出している。
〈人間は、正直でなければならない、と最近つくづく感じます。おろかな感想ですが、きのうも道を歩きながら、つくづくそれを感じました。ごまかそうとするから、生活がむずかしく、ややこしくなるのです。正直に言い、正直に進んで行くと、生活は実に簡単になります。失敗という事がないのです。失敗というのは、ごまかそうとして、ごまかし切れなかった場合のことを言うのです。〉(「一問一答」)
それから、太宰治は、この語り手に、無欲ということの大切さを言わせる。
欲張るな、である。人は欲張るからごまかすのだ。
こういうこと、頭でわかっても、実行するのはむずかしい。
太宰治は「体得」という言葉を使った。
〈これだけの事を体得するのに、三十四年かかりました〉
わたしは、60歳近くなってもまだダメなような気がする。
夜、ホウ・シャオシェンの『好男好女』(1995)をDVDで見る。
四回目か。どちらかという苦手な作品。

1月27日(火)
映像文化論入門の授業。
マジックボードに図を描いて作品の構造を説明しているうちに、
やっと『好男好女』がわかってきた気がした。
わたしたちは、二つの過去を背負っている。
自分の生きた過去と「歴史」としての過去。
どちらにおいても事実とさまざまな主観的判断が入り組んでいる。
『好男好女』は、「歴史」の部分が、映画の中の映画になっている。
虚構の中のその虚構が、事実にもとづくものだということで、
リアリティーが二重化しているのだ。
こんなこと、ホウ・シャオシェンのファンならわかっていたことだろうが、
そこでの伊能静、リン・チャン、ガオ・ジェをつかんだところで、
『憂鬱な楽園』(1996)に入ってゆく。
映画のかれらのようにトンネルをくぐって移動したいと思い、
かれらのように立ってテーブルのおかずをとりながら
ごはんを食べたいと思うかどうか。
そこに大事な共感のポイントがある、と強引に言ってみる。

映像論は、ミケランジェロ・アントニオーニ。
『欲望』(1966)から『さすらいの二人』(1975)へ。
後者の原題 The Passenger(乗客)は、
死者と入れかわる者、死者に乗る者ということだったのだ。
ほんとうに、ここまで来ても、
知らないこと、わかっていないことだらけである。
「楽しい映画文化史」に出てくるエリザベス・テイラーの『緑園の天使』(1945)を、
昼休みと空き時間を使って断片的に見る。
高峰秀子にも『馬』(1941)がある。
子役スターは馬に恋をすると、大女優へと生きのびるのだろうか。

夜、ニコラス・レイの『ビガー・ザン・ライフ』(1955)。
主人公のジェームズ・メーソンが、
コーチゾンという薬の副作用で「傲慢な全能感」を亢進させる。
園子温の『愛のむきだし』の渡部篤郎に通じるところがある。
狂信的な父親。カルト的メロドラマの便利な装置だろうか。

1月28日(水)
太宰治の書簡集『愛と苦悩の手紙』を読んでいる。
〈仕事します。
遊びませぬ。
うんと長生きして、世の人たちからも、りっぱな男と言われるよう、忍んで忍んで努力いたします。〉
昭和14年、30歳。結婚直後の、井伏鱒二あての手紙。
〈もう十年、くるしさ、制御し、少しでも明るい世の中つくることに、努力するつもりで、ございます。
 このごろ、何か芸術について、動かせぬ信仰、持ちはじめてきました。〉
ここから、よい仕事をした。しかし十年も生きることはできなかったのだ。

夜、見逃していたタナダユキ監督『赤い文化住宅の初子』(2007)を見る。
窮屈な構図の映像でなにかをなぞってゆく感じ。
結局、初子と三島君を記号にしすぎている。
でも、坂井真紀の女教師は、やってくれてるなあと思った。

1月29日(木)
大学。授業(試験)と会議。
夜、高貝弘也さんと杉本真維子さん、うちに来て、
三人でやっている詩誌「COW」第4号をつくる。
制作から封筒入れ(明日、メール便で発送)まで、3時間でやった。
「奏」で乾杯。
真維子さんの、詩集『袖口の動物』でのH氏賞と信毎選賞。
高貝さんの、詩集『子葉声韻』での高見順賞。
それを祝い、『岡山の娘』の完成・公開も祝ってもらった。

1月30日(金)
雑誌「映画芸術」の、2008日本映画ベストテン&ワーストテン。
『岡山の娘』は、ベストの21位。
わたしは、このベストテンの選者もやり、
〈『男はつらいよ』と1969年〉という特集にも参加した。
わたしのベストテンは、

1 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(若松孝二)
2 や・り・ま・ん(坂本礼)
3 くりいむレモン 旅のおわり(前田弘二)
4 俺たちに明日はないッス(タナダユキ)
5 ホームレスが中学生(城定秀夫)
6 デコトラ☆ギャル奈美(城定秀夫)
7 ブタがいた教室(前田哲)
8 純喫茶磯辺(吉田恵輔)
9 おくりびと(滝田洋二郎)
10片腕マシンガール(井口昇)

であった。世間のベストワン映画『おくりびと』を入れているところに、
わたしの甘さが出ているだろうか。
滝田さんの風景カットのつなぎ方、うまいと唸った。
しかし、見る人によっては、それはNHKの「小さな旅」で
駆使されている技術と同等なものかもしれない。
脱線するが、古典的な名作や
アラン・レネの絵画ドキュメンタリーを見るかわりに、
日曜日の朝、NHKで「自然百景」と「小さな旅」を見る
という勉強のしかたもありそうだ。
「映画芸術」に話を戻す。去年のベストテン号もおもしろかったが、
今年も、ほかの記事もふくめて、なかなかの名言が多く、
読み出したら、やめられなくなった。

終日、雨。
妻と友人たち(フミちゃん、シーちゃん、美子さん)、うちで味噌の仕込みをした。
雨の中、出かけて、「ラグー」で飲む。
舞踏家杉田丈作さんと太極拳の先生である齋田美子さんのカップル、
「そば芳」のシーちゃん、そしてうちの夫婦という最強の5人。
シーちゃんを見送ったあと、丈作さんの
「家に帰っても、もう少し飲む」のひとことに押されて、
4人で「FUKUSUKE」へ。

1月31日(土)
『ニックス・ムービー/水上の稲妻』(1980)をDVDで。
監督、ヴィム・ヴェンダース、ニコラス・レイ。
瀕死のレイに対して、ヴェンダースは何をやりたかったのか。
それはよくわからないが、レイは大した役者だ。
すでに伝説化されていた自分を生き抜いてみせている。
エピローグの会話シーンが、うるさく、内輪的で、長い。
そして、東北新社のDVDの作り方は、なんの芸もない。

行けなかったけれど、
ポレポレ東中野、『へばの』(木村文洋監督)のレイトショーの初日だ。
「映画芸術」ベストテンの選評の、わたなべりんたろうさんの、
〈まだ未整理の部分がありながらも、「この映画を観てほしい」という強い思いが作品だけでなく、ゲリラ的な路上にスクリーンを貼っての予告編上映の宣伝からも伝わってくる。熱い作品だ。〉という、『へばの』に触れた箇所。よかった。
ポレポレ東中野という「場」もあってのことだが、
製作と上映がしっかりと結びついた作品の登場という事件がおこっている。
若い木村監督は、これから、この幸福なスタートを背負ってゆくのだ。
みなさん、見に行ってください。
『愛のむきだし』も今日からですね(at 渋谷ユーロスペース)。

2月1日(日)
2009年、もうひと月がすぎてしまった。
去年からの宿題、やりのこしが多くて、呆然。
国分寺の母のところに。
夜、148分のイ・チャンドン監督『シークレット・サンシャイン』。
わたなべりんたろうさんが熱心に押していた作品。
まったく退屈しなかった。
聞いていたのだが、
いまおかしんじ『獣たちの交わり 天使とやる』(『イサク』)にも、
園子温『愛のむきだし』にも通じるところがある。
しかし、それ以上に、これは、実は
容赦なくリアルにした「寅さん」なのではないかという気もした。

03
2月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 15

2009.1.19〜1.25.

1月19日(月)
なにか構想ありすぎの感じで、なんにもできない。
「ほんとは、何も考えてないんじゃない?」
と、なんでも見抜いている友人に言われ、はっとする。
去年のいまごろは、『岡山の娘』をどう仕上げるかで頭がいっぱいだった。
いまは、自分が中心をもってひとつの方向に動いてゆくことができていない。
そんな、ダレた感じでいるところに、
書評を頼まれた宮崎誉子さんの新しい本『派遣ちゃん』のゲラが届き、一気に読む。
言ってみたいこと、いろいろと浮かんでくるが、
しめきりはだいぶ先なので、少し寝かせてから書こう(わるい癖?)。

1月20日(火)
朝、南大沢で福間塾の岩田英哉さんに会い、
夕方、国立で福間塾の小貫麻美さんに会う。
学校の嫌いな子どもの行き帰りにも、こういう出会いがあったらいいのだ。
その行き帰りのあいだに、授業四つ。
ホウ・シャオシェン。
『恋恋風塵』から『非情城市』へ。
ミケランジェロ・アントニオーニ。
『夜』から『太陽はひとりぼっち』へ。
荒川洋治。
詩集『一時間の犬』の「アンカラ」の骨がやっとわかった気がする。
楽しい映画文化史。サイレントからトーキーへ。
とくにアルフレッド・ヒッチコックの『恐喝(ゆすり)』(1929)。
それぞれについて、あらたな「発見」があった。
そういう、だれよりも自分が学ぶ授業をしている。
なにかバチがあたりそうだ。

「ミュージックマガジン」2月号を買う。
ブランキー・ジェット・シティ特集。
ベンジーとテルちゃんとタツヤ。
やっぱりすごいバンドだったのだ
と、過去形になるのがつらい。
アルバム・レヴュー(歌謡曲)の保母大三郎さんの文章がますます快調。

1月21日(水)
縁あって、西家孝子歌集『是風』を手にとることになった。
三島由紀夫の文学と死から多くを受けとっている、1931年生まれの歌人。
何年か前に多磨霊園に行ったついでに
三島由紀夫の墓の前に立ったが、このところ、
彼のことをあまり思わないようにしてきたことに気づかされる。
〈わたくしがわたくし語にてもの思ひ百合は百合語の美を咲き出でぬ〉
という明快な歌も。

1月22日(木)
大学院の授業で、吉田喜重監督をとりあげる。
かなり惹かれていた時期があり、
この授業もだいぶ前から準備もしていたのだが、
吉田喜重の映画はこうなのだという核心をつかめない。
くやしいので、
今回見なおした作品について、わざと意地悪に言ってみる。
『甘い夜の果て』(1961)。
津川雅彦と山下輝世は、ほんとうは惹かれあっている。
それをはっきりさせないまま、山下を事故で死なせて、津川を荒れさせる。
現実の残酷さのなかに人物を突き放しているというよりも、
作者がそう作っているだけだという感じ。
『秋津温泉』(1962)。
死ぬ岡田茉莉子も、ずるい長門裕之も、
結局、そう作っているだけというところがある。
それに、長門裕之の奥さんの描き方、あれでいいのか。
『日本脱出』(1964)。
鈴木やすしが、ラジオの実況で、桑野みゆきについて誤解したことを言う。
こいつは最後まで馬鹿なんだと思わされる。
桑野みゆきは、無理無理のケバさを出して、すごくいいのに。
『樹氷のよろめき』(1968)。
一時的不能におちいり、理屈をこねまわしたあげくの蜷川幸雄の死。
これも愚かしいだけということになりそうだ。

大学からの帰り、調布・明大前経由で、吉祥寺に出る。
友人の武田さんのいるディスクインで、
アントニー&ザ・ジョンソンズの新譜『クライング・ライト』を買う。
さっそく「奏」でかけてもらう。
「奏」から「萬笑」へ。
家で『クライング・ライト』をもう一度、じっくりと。
前作『アイ・アム・ア・バード・ナウ』ほどじゃないとしても、まあ大丈夫。

1月23日(金)
妻にすすめられて読んだ栗田有起の短篇集『蟋蟀』(2008)。すごくいい。
アントニオーニの『欲望』(1966)を、DVDで途中まで。
すごく久しぶりに見た。このポップカルチャーは色褪せていない。
そして、ルーファス・ウェインライトのCD『リリース・ザ・スターズ』(2007)。
聞き逃していて、やはりきのう買った。これもまあ大丈夫。
アントニーの「静」に対してルーファスの「動」というのが、
「母」になりたいアントニーと「母」に甘えたいルーファス
という構図でもあると見えてきた。
それで、ほんとうに大丈夫かなと思う気持ちも。

横浜ジャック&ベティでの上映、最終日。
上映後のあいさつのあと、例によって「聚香園」へ。
『イサク』の脚本家港岳彦さんと
「DUV」という雑誌をやっている中山孝洋君が来てくれた。
この界隈ともしばらくお別れかと思うと、
なにか去りがたくて、わざと黄金劇場の前を通ったり、
気になる「売春飲食街を撲滅しよう」の看板の前にも行ったりする。
結局、「松林」でもう少し飲む。
帰りの南武線で、(ちょっと書きにくい)痛い目にあった。

1月24日(土)
栗田有起さんの本をワクワクしながら読んでゆく。
『お縫子テルミー』(2004)
『オテル モル』(2005)
『マルコの夢』(2005)
全部、おもしろい。
栗田有起と宮崎誉子。二人とも、1972年生まれだ。
1972年、連合赤軍の「事件」の年。
どんなときでも生まれてくる子どもはいるのだ。

高貝弘也さんと杉本真維子さんとの丑年トリオでやっている雑誌「COW」。
久しぶりに出すので、表紙用の紙を買いに行った。お昼前。
そのころ、ちらっと雪。国立では、初雪か。
キム・ジョンイルの長男が北京にあらわれたというニュース。
MTV、エミネムのヴィデオ特集を見る。
夜遅く「利久」に。ふきの煮物がおいしかった。

1月25日(日)
朝からゴチャゴチャと原稿書く。
いきなりであるが、書くことをめぐって、
スティーヴン・キングに学んだのは、
とにかく〈ドアを閉じて外部と隔絶すること〉。
休みは、週に一日だけ。
〈それ以上休むと、発想の気が抜けて、意欲が萎える〉。
で、一語一語書いてゆく。短いものでも、長いものでも、
〈文章はつまるところ、一語一語の積み重ねである〉。
キングはハードロックを鳴らしながら書いているが、
〈音楽もまた、ドアを閉じる手段の一つ〉。
世界を締め出して自分の世界を創造する。
夢を見るためにドアを閉めきる。
『小説作法』という本(池央耿訳)に書いてあることだ。
キングの言うことを聞いていると、いくらでも書けそうな気がしてくる。
名前を変えてベストセラー小説を書き、お金が入ってきて、
それで映画を作るというような古典的な空想が、ちらかった机の上に。

夕方、うちから徒歩4分の銭湯「鳩の湯」に行く。
「日曜日の娯楽」という言葉が浮かんだ。
しっかりと楽しんで脱衣場に出ると、
テレビの大相撲、ちょうど「これより三役」。
白鵬が朝青龍を破るのを見てから、
いそいで家に戻り、二人の決定戦を見た。朝青龍が勝つ。

夜は、「奏」のライヴ。
鈴木常吉(ヴォーカル、ギター、アコーディオン)
with 桜井芳樹(バンジョー)。
常さんは、すでにこの日録(日録8、10月26日)に登場している。
今日も、めちゃくちゃよかった。
桜井さんは、ライヴは初めてだが、CD『new high lonesome sound
(ロンサム・ストリングス vol.1)』を愛聴してきた。
その『vol.3』が明日発売とのこと。
ライヴのあと、うちの知り合いグループのテーブルに常さんが来て、
いろんなことを話した。
「福間健二の撮る『仁義なき戦い』に出たい」って、
興奮して眠れなくなるような、うれしいことを言ってくれる人だ。
彼の、国分寺での、中国人女性との「交流」も、おかしかった。
銭湯、相撲、鈴木常吉。〈こんなに目が覚めた〉という
あたりまえさ、理不尽さ、そしていくばくかの抒情詩で、人生は続いてゆく。

28
1月
2009

横浜上映レポート 5

ジャック&ベティでの上映の2週間はまたたく間にすぎて、1月23日金曜日、最終日を迎えた。
何度か通ううちに、黄金町あたりの「下町的横浜」になじんできた福間監督。この日は、京急線黄金町駅のひとつ手前の日ノ出町駅で降りて、町を散策した。
場外馬券売り場があり、ストリップ劇場、ピンク映画館、めちゃくちゃ安い定食屋、小さな居酒屋、中華食堂、川に沿った飲み屋小路。そして川を渡るとハングル一色のコリアン街がつづく。海に近いほうの「観光横浜」とは、色も匂いも異なる「アジア」がそこにはある。「きれいなもの」より「猥雑なもの」に惹かれる福間監督は、また来たいなあ、と名残りを惜しみながら劇場へと向かった。

横浜での最後の上映が終了。決して多いとは言えない数のお客様だったが、監督はていねいに挨拶をした。
「2007年の暑い夏の撮影があって、長い編集の時間を経て、幸運にも東京で公開できて、こうして横浜でも上映できた。そのなかで、いろんないい出会いを持つことができてうれしい。『岡山の娘』は結果的に、自分のここまでの詩もふくめた表現の集大成になったと思う。もうすぐ60歳を迎えるけれど、ここからまた新たに歩んでゆきたい」
こうしめくくって、拍手を受けた。
シネマ・ジャック&ベティに来てくださった皆さん、ほんとうにありがとうございました。

今後の『岡山の娘』の上映は、3月7日(土)から1週間のレイトショーで、大阪第七藝術劇場、そのあと、松山シネマルナティック、名古屋シネマテークが決まっています。
また新たな出会いをもとめて『岡山の娘』は全国をまわります。
どうぞひきつづき『岡山の娘』を応援してください。

宣伝スタッフ おかやまメリー

25
1月
2009

横浜上映レポート 4

シネマ・ジャック&ベティでの上映も1週間がすぎた。
1月18日、日曜日。
この日のトークゲストは、『ヨコハマメリー』の監督、中村高寛さん。「たかひろ」さんと読むのだと思っていたら、「たかゆき」さんだそうです。ごめんなさい、中村監督。
ジャック&ベティのすぐ近所に住んでいるという中村監督は、横浜育ち。中学生の頃からメリーさんを町でよく見かけていたそうだ。そういう原体験と、「メリーさん」と関わりを持った人たちとの出会いが『ヨコハマメリー』を生んだ。
『岡山の娘』の生まれ方は『ヨコハマメリー』とはすこしちがうけれど、タイトルに地名が入っていることをはじめに、共通の構成要素がたくさんあると福間監督は話した。
 『ヨコハマメリー』=メリーさん+まわりの人たち+横浜の町
 『岡山の娘』=みづき+まわりの人たち+岡山の町
ぶっつけ本番のふたりのトークは、町と人をめぐって次第にトーンが上がっていった。
「観光地としての横浜ではなく、素顔の横浜を、どうやれば撮れるのか。何を撮れば横浜という町のメンタリティーが出せるのか。そのことをずっと考えていましたね」
と中村監督。
「僕は5年間しか岡山に暮らしていないけど、人生をやり直すような体験をした土地として、自分の好きだった場所を撮ったら、それが生きた、その風景に教えられたという印象がありますね」と福間監督。
「横浜は東京に限りなく近い大都市だけど、やはりひとつの地方都市で、東京にはない地方都市のリズムがある。渋谷にはない黄金町のリズム、ホームタウンのリズム。ぼくは毎日この界隈を歩くんですけど、漠然と町を見るのではなくカメラでとらえると、変化が見えてくるんです。それがおもしろい。そうして気づいたものを映画にしたいですね」
中村監督の言葉から、『ヨコハマメリー』という映画はメリーさんをきっかけにした自分の町の「記録」なのだと思えてきた。
中村監督の次の作品は、ボクシングのカシアス内藤を撮るのだそうだ。もちろん横浜で、来月から撮影に入るとのこと。
「福間さんは、次はどこで撮るのですか」
中村監督の質問に、福間監督は少々うろたえながら、
「前作はいま住んでいる国立だったし、今回は岡山。うーん、次に撮りたいのはずっと北に飛んで稚内あたりなんだけど。ロシア語と日本語の二重表記の土地に興味があるし……でもお金がかかるし……」と、まだ構想はかたちにならない(?)ようだった。
地元の方がたくさん来てくださった、ジャック&ベティでの最後のトーク。それにふさわしい話題の展開となった。

上映は23日の金曜日までつづきます。
まだご覧になってない方、ぜひ観てください!
最終日23日は、監督がお礼の挨拶をします。

宣伝スタッフ おかやまメリー

19
1月
2009