2009.1.19〜1.25.
1月19日(月)
なにか構想ありすぎの感じで、なんにもできない。
「ほんとは、何も考えてないんじゃない?」
と、なんでも見抜いている友人に言われ、はっとする。
去年のいまごろは、『岡山の娘』をどう仕上げるかで頭がいっぱいだった。
いまは、自分が中心をもってひとつの方向に動いてゆくことができていない。
そんな、ダレた感じでいるところに、
書評を頼まれた宮崎誉子さんの新しい本『派遣ちゃん』のゲラが届き、一気に読む。
言ってみたいこと、いろいろと浮かんでくるが、
しめきりはだいぶ先なので、少し寝かせてから書こう(わるい癖?)。
1月20日(火)
朝、南大沢で福間塾の岩田英哉さんに会い、
夕方、国立で福間塾の小貫麻美さんに会う。
学校の嫌いな子どもの行き帰りにも、こういう出会いがあったらいいのだ。
その行き帰りのあいだに、授業四つ。
ホウ・シャオシェン。
『恋恋風塵』から『非情城市』へ。
ミケランジェロ・アントニオーニ。
『夜』から『太陽はひとりぼっち』へ。
荒川洋治。
詩集『一時間の犬』の「アンカラ」の骨がやっとわかった気がする。
楽しい映画文化史。サイレントからトーキーへ。
とくにアルフレッド・ヒッチコックの『恐喝(ゆすり)』(1929)。
それぞれについて、あらたな「発見」があった。
そういう、だれよりも自分が学ぶ授業をしている。
なにかバチがあたりそうだ。
「ミュージックマガジン」2月号を買う。
ブランキー・ジェット・シティ特集。
ベンジーとテルちゃんとタツヤ。
やっぱりすごいバンドだったのだ
と、過去形になるのがつらい。
アルバム・レヴュー(歌謡曲)の保母大三郎さんの文章がますます快調。
1月21日(水)
縁あって、西家孝子歌集『是風』を手にとることになった。
三島由紀夫の文学と死から多くを受けとっている、1931年生まれの歌人。
何年か前に多磨霊園に行ったついでに
三島由紀夫の墓の前に立ったが、このところ、
彼のことをあまり思わないようにしてきたことに気づかされる。
〈わたくしがわたくし語にてもの思ひ百合は百合語の美を咲き出でぬ〉
という明快な歌も。
1月22日(木)
大学院の授業で、吉田喜重監督をとりあげる。
かなり惹かれていた時期があり、
この授業もだいぶ前から準備もしていたのだが、
吉田喜重の映画はこうなのだという核心をつかめない。
くやしいので、
今回見なおした作品について、わざと意地悪に言ってみる。
『甘い夜の果て』(1961)。
津川雅彦と山下輝世は、ほんとうは惹かれあっている。
それをはっきりさせないまま、山下を事故で死なせて、津川を荒れさせる。
現実の残酷さのなかに人物を突き放しているというよりも、
作者がそう作っているだけだという感じ。
『秋津温泉』(1962)。
死ぬ岡田茉莉子も、ずるい長門裕之も、
結局、そう作っているだけというところがある。
それに、長門裕之の奥さんの描き方、あれでいいのか。
『日本脱出』(1964)。
鈴木やすしが、ラジオの実況で、桑野みゆきについて誤解したことを言う。
こいつは最後まで馬鹿なんだと思わされる。
桑野みゆきは、無理無理のケバさを出して、すごくいいのに。
『樹氷のよろめき』(1968)。
一時的不能におちいり、理屈をこねまわしたあげくの蜷川幸雄の死。
これも愚かしいだけということになりそうだ。
大学からの帰り、調布・明大前経由で、吉祥寺に出る。
友人の武田さんのいるディスクインで、
アントニー&ザ・ジョンソンズの新譜『クライング・ライト』を買う。
さっそく「奏」でかけてもらう。
「奏」から「萬笑」へ。
家で『クライング・ライト』をもう一度、じっくりと。
前作『アイ・アム・ア・バード・ナウ』ほどじゃないとしても、まあ大丈夫。
1月23日(金)
妻にすすめられて読んだ栗田有起の短篇集『蟋蟀』(2008)。すごくいい。
アントニオーニの『欲望』(1966)を、DVDで途中まで。
すごく久しぶりに見た。このポップカルチャーは色褪せていない。
そして、ルーファス・ウェインライトのCD『リリース・ザ・スターズ』(2007)。
聞き逃していて、やはりきのう買った。これもまあ大丈夫。
アントニーの「静」に対してルーファスの「動」というのが、
「母」になりたいアントニーと「母」に甘えたいルーファス
という構図でもあると見えてきた。
それで、ほんとうに大丈夫かなと思う気持ちも。
横浜ジャック&ベティでの上映、最終日。
上映後のあいさつのあと、例によって「聚香園」へ。
『イサク』の脚本家港岳彦さんと
「DUV」という雑誌をやっている中山孝洋君が来てくれた。
この界隈ともしばらくお別れかと思うと、
なにか去りがたくて、わざと黄金劇場の前を通ったり、
気になる「売春飲食街を撲滅しよう」の看板の前にも行ったりする。
結局、「松林」でもう少し飲む。
帰りの南武線で、(ちょっと書きにくい)痛い目にあった。
1月24日(土)
栗田有起さんの本をワクワクしながら読んでゆく。
『お縫子テルミー』(2004)
『オテル モル』(2005)
『マルコの夢』(2005)
全部、おもしろい。
栗田有起と宮崎誉子。二人とも、1972年生まれだ。
1972年、連合赤軍の「事件」の年。
どんなときでも生まれてくる子どもはいるのだ。
高貝弘也さんと杉本真維子さんとの丑年トリオでやっている雑誌「COW」。
久しぶりに出すので、表紙用の紙を買いに行った。お昼前。
そのころ、ちらっと雪。国立では、初雪か。
キム・ジョンイルの長男が北京にあらわれたというニュース。
MTV、エミネムのヴィデオ特集を見る。
夜遅く「利久」に。ふきの煮物がおいしかった。
1月25日(日)
朝からゴチャゴチャと原稿書く。
いきなりであるが、書くことをめぐって、
スティーヴン・キングに学んだのは、
とにかく〈ドアを閉じて外部と隔絶すること〉。
休みは、週に一日だけ。
〈それ以上休むと、発想の気が抜けて、意欲が萎える〉。
で、一語一語書いてゆく。短いものでも、長いものでも、
〈文章はつまるところ、一語一語の積み重ねである〉。
キングはハードロックを鳴らしながら書いているが、
〈音楽もまた、ドアを閉じる手段の一つ〉。
世界を締め出して自分の世界を創造する。
夢を見るためにドアを閉めきる。
『小説作法』という本(池央耿訳)に書いてあることだ。
キングの言うことを聞いていると、いくらでも書けそうな気がしてくる。
名前を変えてベストセラー小説を書き、お金が入ってきて、
それで映画を作るというような古典的な空想が、ちらかった机の上に。
夕方、うちから徒歩4分の銭湯「鳩の湯」に行く。
「日曜日の娯楽」という言葉が浮かんだ。
しっかりと楽しんで脱衣場に出ると、
テレビの大相撲、ちょうど「これより三役」。
白鵬が朝青龍を破るのを見てから、
いそいで家に戻り、二人の決定戦を見た。朝青龍が勝つ。
夜は、「奏」のライヴ。
鈴木常吉(ヴォーカル、ギター、アコーディオン)
with 桜井芳樹(バンジョー)。
常さんは、すでにこの日録(日録8、10月26日)に登場している。
今日も、めちゃくちゃよかった。
桜井さんは、ライヴは初めてだが、CD『new high lonesome sound
(ロンサム・ストリングス vol.1)』を愛聴してきた。
その『vol.3』が明日発売とのこと。
ライヴのあと、うちの知り合いグループのテーブルに常さんが来て、
いろんなことを話した。
「福間健二の撮る『仁義なき戦い』に出たい」って、
興奮して眠れなくなるような、うれしいことを言ってくれる人だ。
彼の、国分寺での、中国人女性との「交流」も、おかしかった。
銭湯、相撲、鈴木常吉。〈こんなに目が覚めた〉という
あたりまえさ、理不尽さ、そしていくばくかの抒情詩で、人生は続いてゆく。