2009.1.26〜2.1.

1月26日(月)
きのうは、スティーヴン・キングを復習した。
今日は、太宰治の言葉を思い出している。
〈人間は、正直でなければならない、と最近つくづく感じます。おろかな感想ですが、きのうも道を歩きながら、つくづくそれを感じました。ごまかそうとするから、生活がむずかしく、ややこしくなるのです。正直に言い、正直に進んで行くと、生活は実に簡単になります。失敗という事がないのです。失敗というのは、ごまかそうとして、ごまかし切れなかった場合のことを言うのです。〉(「一問一答」)
それから、太宰治は、この語り手に、無欲ということの大切さを言わせる。
欲張るな、である。人は欲張るからごまかすのだ。
こういうこと、頭でわかっても、実行するのはむずかしい。
太宰治は「体得」という言葉を使った。
〈これだけの事を体得するのに、三十四年かかりました〉
わたしは、60歳近くなってもまだダメなような気がする。
夜、ホウ・シャオシェンの『好男好女』(1995)をDVDで見る。
四回目か。どちらかという苦手な作品。

1月27日(火)
映像文化論入門の授業。
マジックボードに図を描いて作品の構造を説明しているうちに、
やっと『好男好女』がわかってきた気がした。
わたしたちは、二つの過去を背負っている。
自分の生きた過去と「歴史」としての過去。
どちらにおいても事実とさまざまな主観的判断が入り組んでいる。
『好男好女』は、「歴史」の部分が、映画の中の映画になっている。
虚構の中のその虚構が、事実にもとづくものだということで、
リアリティーが二重化しているのだ。
こんなこと、ホウ・シャオシェンのファンならわかっていたことだろうが、
そこでの伊能静、リン・チャン、ガオ・ジェをつかんだところで、
『憂鬱な楽園』(1996)に入ってゆく。
映画のかれらのようにトンネルをくぐって移動したいと思い、
かれらのように立ってテーブルのおかずをとりながら
ごはんを食べたいと思うかどうか。
そこに大事な共感のポイントがある、と強引に言ってみる。

映像論は、ミケランジェロ・アントニオーニ。
『欲望』(1966)から『さすらいの二人』(1975)へ。
後者の原題 The Passenger(乗客)は、
死者と入れかわる者、死者に乗る者ということだったのだ。
ほんとうに、ここまで来ても、
知らないこと、わかっていないことだらけである。
「楽しい映画文化史」に出てくるエリザベス・テイラーの『緑園の天使』(1945)を、
昼休みと空き時間を使って断片的に見る。
高峰秀子にも『馬』(1941)がある。
子役スターは馬に恋をすると、大女優へと生きのびるのだろうか。

夜、ニコラス・レイの『ビガー・ザン・ライフ』(1955)。
主人公のジェームズ・メーソンが、
コーチゾンという薬の副作用で「傲慢な全能感」を亢進させる。
園子温の『愛のむきだし』の渡部篤郎に通じるところがある。
狂信的な父親。カルト的メロドラマの便利な装置だろうか。

1月28日(水)
太宰治の書簡集『愛と苦悩の手紙』を読んでいる。
〈仕事します。
遊びませぬ。
うんと長生きして、世の人たちからも、りっぱな男と言われるよう、忍んで忍んで努力いたします。〉
昭和14年、30歳。結婚直後の、井伏鱒二あての手紙。
〈もう十年、くるしさ、制御し、少しでも明るい世の中つくることに、努力するつもりで、ございます。
 このごろ、何か芸術について、動かせぬ信仰、持ちはじめてきました。〉
ここから、よい仕事をした。しかし十年も生きることはできなかったのだ。

夜、見逃していたタナダユキ監督『赤い文化住宅の初子』(2007)を見る。
窮屈な構図の映像でなにかをなぞってゆく感じ。
結局、初子と三島君を記号にしすぎている。
でも、坂井真紀の女教師は、やってくれてるなあと思った。

1月29日(木)
大学。授業(試験)と会議。
夜、高貝弘也さんと杉本真維子さん、うちに来て、
三人でやっている詩誌「COW」第4号をつくる。
制作から封筒入れ(明日、メール便で発送)まで、3時間でやった。
「奏」で乾杯。
真維子さんの、詩集『袖口の動物』でのH氏賞と信毎選賞。
高貝さんの、詩集『子葉声韻』での高見順賞。
それを祝い、『岡山の娘』の完成・公開も祝ってもらった。

1月30日(金)
雑誌「映画芸術」の、2008日本映画ベストテン&ワーストテン。
『岡山の娘』は、ベストの21位。
わたしは、このベストテンの選者もやり、
〈『男はつらいよ』と1969年〉という特集にも参加した。
わたしのベストテンは、

1 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(若松孝二)
2 や・り・ま・ん(坂本礼)
3 くりいむレモン 旅のおわり(前田弘二)
4 俺たちに明日はないッス(タナダユキ)
5 ホームレスが中学生(城定秀夫)
6 デコトラ☆ギャル奈美(城定秀夫)
7 ブタがいた教室(前田哲)
8 純喫茶磯辺(吉田恵輔)
9 おくりびと(滝田洋二郎)
10片腕マシンガール(井口昇)

であった。世間のベストワン映画『おくりびと』を入れているところに、
わたしの甘さが出ているだろうか。
滝田さんの風景カットのつなぎ方、うまいと唸った。
しかし、見る人によっては、それはNHKの「小さな旅」で
駆使されている技術と同等なものかもしれない。
脱線するが、古典的な名作や
アラン・レネの絵画ドキュメンタリーを見るかわりに、
日曜日の朝、NHKで「自然百景」と「小さな旅」を見る
という勉強のしかたもありそうだ。
「映画芸術」に話を戻す。去年のベストテン号もおもしろかったが、
今年も、ほかの記事もふくめて、なかなかの名言が多く、
読み出したら、やめられなくなった。

終日、雨。
妻と友人たち(フミちゃん、シーちゃん、美子さん)、うちで味噌の仕込みをした。
雨の中、出かけて、「ラグー」で飲む。
舞踏家杉田丈作さんと太極拳の先生である齋田美子さんのカップル、
「そば芳」のシーちゃん、そしてうちの夫婦という最強の5人。
シーちゃんを見送ったあと、丈作さんの
「家に帰っても、もう少し飲む」のひとことに押されて、
4人で「FUKUSUKE」へ。

1月31日(土)
『ニックス・ムービー/水上の稲妻』(1980)をDVDで。
監督、ヴィム・ヴェンダース、ニコラス・レイ。
瀕死のレイに対して、ヴェンダースは何をやりたかったのか。
それはよくわからないが、レイは大した役者だ。
すでに伝説化されていた自分を生き抜いてみせている。
エピローグの会話シーンが、うるさく、内輪的で、長い。
そして、東北新社のDVDの作り方は、なんの芸もない。

行けなかったけれど、
ポレポレ東中野、『へばの』(木村文洋監督)のレイトショーの初日だ。
「映画芸術」ベストテンの選評の、わたなべりんたろうさんの、
〈まだ未整理の部分がありながらも、「この映画を観てほしい」という強い思いが作品だけでなく、ゲリラ的な路上にスクリーンを貼っての予告編上映の宣伝からも伝わってくる。熱い作品だ。〉という、『へばの』に触れた箇所。よかった。
ポレポレ東中野という「場」もあってのことだが、
製作と上映がしっかりと結びついた作品の登場という事件がおこっている。
若い木村監督は、これから、この幸福なスタートを背負ってゆくのだ。
みなさん、見に行ってください。
『愛のむきだし』も今日からですね(at 渋谷ユーロスペース)。

2月1日(日)
2009年、もうひと月がすぎてしまった。
去年からの宿題、やりのこしが多くて、呆然。
国分寺の母のところに。
夜、148分のイ・チャンドン監督『シークレット・サンシャイン』。
わたなべりんたろうさんが熱心に押していた作品。
まったく退屈しなかった。
聞いていたのだが、
いまおかしんじ『獣たちの交わり 天使とやる』(『イサク』)にも、
園子温『愛のむきだし』にも通じるところがある。
しかし、それ以上に、これは、実は
容赦なくリアルにした「寅さん」なのではないかという気もした。