福間健二の、質問に答える&日録 15

2009.1.19〜1.25.

1月19日(月)
なにか構想ありすぎの感じで、なんにもできない。
「ほんとは、何も考えてないんじゃない?」
と、なんでも見抜いている友人に言われ、はっとする。
去年のいまごろは、『岡山の娘』をどう仕上げるかで頭がいっぱいだった。
いまは、自分が中心をもってひとつの方向に動いてゆくことができていない。
そんな、ダレた感じでいるところに、
書評を頼まれた宮崎誉子さんの新しい本『派遣ちゃん』のゲラが届き、一気に読む。
言ってみたいこと、いろいろと浮かんでくるが、
しめきりはだいぶ先なので、少し寝かせてから書こう(わるい癖?)。

1月20日(火)
朝、南大沢で福間塾の岩田英哉さんに会い、
夕方、国立で福間塾の小貫麻美さんに会う。
学校の嫌いな子どもの行き帰りにも、こういう出会いがあったらいいのだ。
その行き帰りのあいだに、授業四つ。
ホウ・シャオシェン。
『恋恋風塵』から『非情城市』へ。
ミケランジェロ・アントニオーニ。
『夜』から『太陽はひとりぼっち』へ。
荒川洋治。
詩集『一時間の犬』の「アンカラ」の骨がやっとわかった気がする。
楽しい映画文化史。サイレントからトーキーへ。
とくにアルフレッド・ヒッチコックの『恐喝(ゆすり)』(1929)。
それぞれについて、あらたな「発見」があった。
そういう、だれよりも自分が学ぶ授業をしている。
なにかバチがあたりそうだ。

「ミュージックマガジン」2月号を買う。
ブランキー・ジェット・シティ特集。
ベンジーとテルちゃんとタツヤ。
やっぱりすごいバンドだったのだ
と、過去形になるのがつらい。
アルバム・レヴュー(歌謡曲)の保母大三郎さんの文章がますます快調。

1月21日(水)
縁あって、西家孝子歌集『是風』を手にとることになった。
三島由紀夫の文学と死から多くを受けとっている、1931年生まれの歌人。
何年か前に多磨霊園に行ったついでに
三島由紀夫の墓の前に立ったが、このところ、
彼のことをあまり思わないようにしてきたことに気づかされる。
〈わたくしがわたくし語にてもの思ひ百合は百合語の美を咲き出でぬ〉
という明快な歌も。

1月22日(木)
大学院の授業で、吉田喜重監督をとりあげる。
かなり惹かれていた時期があり、
この授業もだいぶ前から準備もしていたのだが、
吉田喜重の映画はこうなのだという核心をつかめない。
くやしいので、
今回見なおした作品について、わざと意地悪に言ってみる。
『甘い夜の果て』(1961)。
津川雅彦と山下輝世は、ほんとうは惹かれあっている。
それをはっきりさせないまま、山下を事故で死なせて、津川を荒れさせる。
現実の残酷さのなかに人物を突き放しているというよりも、
作者がそう作っているだけだという感じ。
『秋津温泉』(1962)。
死ぬ岡田茉莉子も、ずるい長門裕之も、
結局、そう作っているだけというところがある。
それに、長門裕之の奥さんの描き方、あれでいいのか。
『日本脱出』(1964)。
鈴木やすしが、ラジオの実況で、桑野みゆきについて誤解したことを言う。
こいつは最後まで馬鹿なんだと思わされる。
桑野みゆきは、無理無理のケバさを出して、すごくいいのに。
『樹氷のよろめき』(1968)。
一時的不能におちいり、理屈をこねまわしたあげくの蜷川幸雄の死。
これも愚かしいだけということになりそうだ。

大学からの帰り、調布・明大前経由で、吉祥寺に出る。
友人の武田さんのいるディスクインで、
アントニー&ザ・ジョンソンズの新譜『クライング・ライト』を買う。
さっそく「奏」でかけてもらう。
「奏」から「萬笑」へ。
家で『クライング・ライト』をもう一度、じっくりと。
前作『アイ・アム・ア・バード・ナウ』ほどじゃないとしても、まあ大丈夫。

1月23日(金)
妻にすすめられて読んだ栗田有起の短篇集『蟋蟀』(2008)。すごくいい。
アントニオーニの『欲望』(1966)を、DVDで途中まで。
すごく久しぶりに見た。このポップカルチャーは色褪せていない。
そして、ルーファス・ウェインライトのCD『リリース・ザ・スターズ』(2007)。
聞き逃していて、やはりきのう買った。これもまあ大丈夫。
アントニーの「静」に対してルーファスの「動」というのが、
「母」になりたいアントニーと「母」に甘えたいルーファス
という構図でもあると見えてきた。
それで、ほんとうに大丈夫かなと思う気持ちも。

横浜ジャック&ベティでの上映、最終日。
上映後のあいさつのあと、例によって「聚香園」へ。
『イサク』の脚本家港岳彦さんと
「DUV」という雑誌をやっている中山孝洋君が来てくれた。
この界隈ともしばらくお別れかと思うと、
なにか去りがたくて、わざと黄金劇場の前を通ったり、
気になる「売春飲食街を撲滅しよう」の看板の前にも行ったりする。
結局、「松林」でもう少し飲む。
帰りの南武線で、(ちょっと書きにくい)痛い目にあった。

1月24日(土)
栗田有起さんの本をワクワクしながら読んでゆく。
『お縫子テルミー』(2004)
『オテル モル』(2005)
『マルコの夢』(2005)
全部、おもしろい。
栗田有起と宮崎誉子。二人とも、1972年生まれだ。
1972年、連合赤軍の「事件」の年。
どんなときでも生まれてくる子どもはいるのだ。

高貝弘也さんと杉本真維子さんとの丑年トリオでやっている雑誌「COW」。
久しぶりに出すので、表紙用の紙を買いに行った。お昼前。
そのころ、ちらっと雪。国立では、初雪か。
キム・ジョンイルの長男が北京にあらわれたというニュース。
MTV、エミネムのヴィデオ特集を見る。
夜遅く「利久」に。ふきの煮物がおいしかった。

1月25日(日)
朝からゴチャゴチャと原稿書く。
いきなりであるが、書くことをめぐって、
スティーヴン・キングに学んだのは、
とにかく〈ドアを閉じて外部と隔絶すること〉。
休みは、週に一日だけ。
〈それ以上休むと、発想の気が抜けて、意欲が萎える〉。
で、一語一語書いてゆく。短いものでも、長いものでも、
〈文章はつまるところ、一語一語の積み重ねである〉。
キングはハードロックを鳴らしながら書いているが、
〈音楽もまた、ドアを閉じる手段の一つ〉。
世界を締め出して自分の世界を創造する。
夢を見るためにドアを閉めきる。
『小説作法』という本(池央耿訳)に書いてあることだ。
キングの言うことを聞いていると、いくらでも書けそうな気がしてくる。
名前を変えてベストセラー小説を書き、お金が入ってきて、
それで映画を作るというような古典的な空想が、ちらかった机の上に。

夕方、うちから徒歩4分の銭湯「鳩の湯」に行く。
「日曜日の娯楽」という言葉が浮かんだ。
しっかりと楽しんで脱衣場に出ると、
テレビの大相撲、ちょうど「これより三役」。
白鵬が朝青龍を破るのを見てから、
いそいで家に戻り、二人の決定戦を見た。朝青龍が勝つ。

夜は、「奏」のライヴ。
鈴木常吉(ヴォーカル、ギター、アコーディオン)
with 桜井芳樹(バンジョー)。
常さんは、すでにこの日録(日録8、10月26日)に登場している。
今日も、めちゃくちゃよかった。
桜井さんは、ライヴは初めてだが、CD『new high lonesome sound
(ロンサム・ストリングス vol.1)』を愛聴してきた。
その『vol.3』が明日発売とのこと。
ライヴのあと、うちの知り合いグループのテーブルに常さんが来て、
いろんなことを話した。
「福間健二の撮る『仁義なき戦い』に出たい」って、
興奮して眠れなくなるような、うれしいことを言ってくれる人だ。
彼の、国分寺での、中国人女性との「交流」も、おかしかった。
銭湯、相撲、鈴木常吉。〈こんなに目が覚めた〉という
あたりまえさ、理不尽さ、そしていくばくかの抒情詩で、人生は続いてゆく。

28
1月
2009

横浜上映レポート 5

ジャック&ベティでの上映の2週間はまたたく間にすぎて、1月23日金曜日、最終日を迎えた。
何度か通ううちに、黄金町あたりの「下町的横浜」になじんできた福間監督。この日は、京急線黄金町駅のひとつ手前の日ノ出町駅で降りて、町を散策した。
場外馬券売り場があり、ストリップ劇場、ピンク映画館、めちゃくちゃ安い定食屋、小さな居酒屋、中華食堂、川に沿った飲み屋小路。そして川を渡るとハングル一色のコリアン街がつづく。海に近いほうの「観光横浜」とは、色も匂いも異なる「アジア」がそこにはある。「きれいなもの」より「猥雑なもの」に惹かれる福間監督は、また来たいなあ、と名残りを惜しみながら劇場へと向かった。

横浜での最後の上映が終了。決して多いとは言えない数のお客様だったが、監督はていねいに挨拶をした。
「2007年の暑い夏の撮影があって、長い編集の時間を経て、幸運にも東京で公開できて、こうして横浜でも上映できた。そのなかで、いろんないい出会いを持つことができてうれしい。『岡山の娘』は結果的に、自分のここまでの詩もふくめた表現の集大成になったと思う。もうすぐ60歳を迎えるけれど、ここからまた新たに歩んでゆきたい」
こうしめくくって、拍手を受けた。
シネマ・ジャック&ベティに来てくださった皆さん、ほんとうにありがとうございました。

今後の『岡山の娘』の上映は、3月7日(土)から1週間のレイトショーで、大阪第七藝術劇場、そのあと、松山シネマルナティック、名古屋シネマテークが決まっています。
また新たな出会いをもとめて『岡山の娘』は全国をまわります。
どうぞひきつづき『岡山の娘』を応援してください。

宣伝スタッフ おかやまメリー

25
1月
2009

横浜上映レポート 4

シネマ・ジャック&ベティでの上映も1週間がすぎた。
1月18日、日曜日。
この日のトークゲストは、『ヨコハマメリー』の監督、中村高寛さん。「たかひろ」さんと読むのだと思っていたら、「たかゆき」さんだそうです。ごめんなさい、中村監督。
ジャック&ベティのすぐ近所に住んでいるという中村監督は、横浜育ち。中学生の頃からメリーさんを町でよく見かけていたそうだ。そういう原体験と、「メリーさん」と関わりを持った人たちとの出会いが『ヨコハマメリー』を生んだ。
『岡山の娘』の生まれ方は『ヨコハマメリー』とはすこしちがうけれど、タイトルに地名が入っていることをはじめに、共通の構成要素がたくさんあると福間監督は話した。
 『ヨコハマメリー』=メリーさん+まわりの人たち+横浜の町
 『岡山の娘』=みづき+まわりの人たち+岡山の町
ぶっつけ本番のふたりのトークは、町と人をめぐって次第にトーンが上がっていった。
「観光地としての横浜ではなく、素顔の横浜を、どうやれば撮れるのか。何を撮れば横浜という町のメンタリティーが出せるのか。そのことをずっと考えていましたね」
と中村監督。
「僕は5年間しか岡山に暮らしていないけど、人生をやり直すような体験をした土地として、自分の好きだった場所を撮ったら、それが生きた、その風景に教えられたという印象がありますね」と福間監督。
「横浜は東京に限りなく近い大都市だけど、やはりひとつの地方都市で、東京にはない地方都市のリズムがある。渋谷にはない黄金町のリズム、ホームタウンのリズム。ぼくは毎日この界隈を歩くんですけど、漠然と町を見るのではなくカメラでとらえると、変化が見えてくるんです。それがおもしろい。そうして気づいたものを映画にしたいですね」
中村監督の言葉から、『ヨコハマメリー』という映画はメリーさんをきっかけにした自分の町の「記録」なのだと思えてきた。
中村監督の次の作品は、ボクシングのカシアス内藤を撮るのだそうだ。もちろん横浜で、来月から撮影に入るとのこと。
「福間さんは、次はどこで撮るのですか」
中村監督の質問に、福間監督は少々うろたえながら、
「前作はいま住んでいる国立だったし、今回は岡山。うーん、次に撮りたいのはずっと北に飛んで稚内あたりなんだけど。ロシア語と日本語の二重表記の土地に興味があるし……でもお金がかかるし……」と、まだ構想はかたちにならない(?)ようだった。
地元の方がたくさん来てくださった、ジャック&ベティでの最後のトーク。それにふさわしい話題の展開となった。

上映は23日の金曜日までつづきます。
まだご覧になってない方、ぜひ観てください!
最終日23日は、監督がお礼の挨拶をします。

宣伝スタッフ おかやまメリー

19
1月
2009

横浜上映レポート 3

1月17日(土)。今日のトークゲストは、映画評論家であり、映像作家としても活動している金子遊さん。初めて観たときから『岡山の娘』のファン(もう今日が5回目の鑑賞だそうです)だという金子さんからの質問に、監督が答えるというスタイルでトークショーははじまりました。

金子さんは『岡山の娘』について、50年後のヌーヴェルヴァーグを観るようだと言います。『岡山の娘』における、HDカメラによる撮影、すでに充分なほど文法化され、規格化された映画の形式に挑戦するかのような映像構成はとても斬新だ、と。また、ゴダールやトリュフォーといった、かつてのヌーヴェルヴーグの若い作家たちが仮に今映画を撮るとしたら、やはりこのような映画の創造に挑むのではないか、と。それを受けて福間監督は、映画の中で重要ないくつかのシーン(みづきがひとりで怒るシーンなど)は追撮によって得られた素材を用いている、といった制作現場の風景を語る。
それから金子さんが、現在の社会情勢と『岡山の娘』の関連にも言及して、「いま雇用問題などが本当に深刻化している。映画の中のみづきも死んだ母の借金を背負い、自己破産をして、大学をやめ、青果市場で働く。そんななかで「生きさせろだよ」というみづきの科白は真にせまって印象的だった」と話されると、監督も「いまはみづきのような状況が決して他人事じゃないところがある。この映画は社会派の映画でもなんでもないけれど、こういう深刻な情勢が『岡山の娘』を後押ししてくれてるようにも思う。」と答えました。

金子さんがもっとも『岡山の娘』について関心をひいたのは、やはりこの映画の根本的な構造として、映像と詩の双方が含まれるという点だとのこと。「最初は字幕スーパーのように表れる言葉や詩と、映像と、相互に補完し合っているように思ったけれど違う。ほんとうは詩と映像がせめぎ合って、スパークしてるんだと。」監督がこれまで繰り返し語ってきた、『岡山の娘』の構造的な意図――映像と言葉とを拮抗させたい――に論点が及ぶと、トークショーの終盤はまた『岡山の娘』のラディカルな部分に議論が集中。岡山のさまざまな娘たちへのインタビューから映画の「みづき」へとそのままつながっていく冒頭のシーンにおけるドキュメンタリーとフィクションの混淆や、唐突なインターミッション、劇中の『青空娘』のパロディといった部分を取り上げ、『岡山の娘』の映像世界が、映画文法の規格外のところで描こうとしている自由について、余すことなく意見が交わされました。

今日は、ほんとうに15分あまりとは思えないほど濃密に、『岡山の娘』の映画考察がなされたように思います。『岡山の娘』は時代遅れなまでに新しいのだと、また一つ映画の魅力が明らかになりました。
金子遊さん、本当にありがとうございました。

宣伝スタッフ・河野まりえ

19
1月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 14

 2009.1.12〜2009.1.18

1月12日(月)
明日からの大学の授業の準備。必死にやる。
午後、ジャック&ベティに。
谷保、武蔵小杉、横浜、黄金町のコース。
『岡山の娘』編集のために幻野映画事務所に通ったときは、
谷保、武蔵小杉、横浜、屏風ヶ浦のコース。
途中下車して遊ぶほどの暇がないのが、残念。
電車のなかでは、普通は、
本を読むか
寝るか
景色を見るか
人間を観察するか、だろうが、
きょうは頭のなかで詩をひとつ書いた。
(長くなるので、作品略。)

上映、きのうまでのHDVからDVカムに切りかえたので、
念入りに映像チェック。
集中したので、ひと息つきたくなった。
一緒にチェックした弟と「松林」という店で、ビール。
そして紹興酒に。この中華風居酒屋も、かなりすごい。
結局、遊んでばかりいる(という人生になった)ようで、
ひりひりした空気のこの不況下、申し訳ないのであるが、
国立に戻り、「奏」のライヴへ。
3月に大阪へ移住するという塩本彰さんのギターとMCに、
太田・土井・宮野・佐藤の「管」四本というセット。
大学のこと、横浜上映のことなど、
なんとか頭から追い出して、
音楽に身を沈める。

1月13日(火)〜16日(金)
この4日間、日付を特定するとやばい事情があるので、まとめて書く。
まず、授業。
映像文化論入門。
ジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』(1986)に入る前に、
先週発見したサイレントの『Making an American Citizen』(1912)を見る。
ジャームッシュ作品には、内容的にも、感触的にも、技術的にも、
映画とアメリカの「初期」に直接つながっているものがある。
グリフィスとフォードが基礎を作ったハリウッドのメインストリームと
連絡しつつも、それとはまったく別な回路なのだ。
アメリカ人になる。そのことにも、さまざまな回路があるように。

映像論。
フェリーニの『甘い生活』(1959)とアントニオーニの『夜』(1961)を対決させる。
どちらも、マルチェロ・マストロヤンニ主演。
それぞれの方法で「現代の症候を楽しんでいる」が、
いまの時点で、かつ(言えば身も蓋もないことになるが)低予算で、
真似しやすいのは、アントニオーニの方だ。

表象言語の諸問題。
荒川洋治の作品「秘密」「冬のそよ風」「丘」を読む。
作品の「鑑賞」がだんだん謎解きクイズみたいになってゆく。
学生たちにわかってもらおうと無理すれば、
答はなんとか捻りだせる。でも、相当の珍答だろうが。

実践英語、三つのうち、
『楽しい映画文化史入門』の方は、初期のハリウッド・スターの興隆。
とくにダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォード、
ルドルフ・ヴァレンチノの三人について。
ヴァレンチノの俳優になるまでの半生、おもしろい。

あとの二つは、今日の新聞とマクルーハンを読む。
新聞は、中央大学後楽園キャンパスの教授刺殺事件。
大学の1時間目というのは、授業をやっている教室以外は、
しんとしている。恐ろしい事件もおこるだろうと思う。
マクルーハン。1960年代前半のソ連で、
〈チャールストンは許されたが、ツイストはタブーだった〉。
前者は、ホットで、工業化初期の「機械」に通じる、操り人形的な動き。
後者は、クールで、原始的で、反動的な全身表現。
というあたりを読む。
学生たちは、しかし、チャールストンもツイストも知らなかった。

芸術表象文化研究。
これも、荒川洋治の詩を読む。
なぜか大学院生相手だと、おもしろく読む感じにならない。
以上、授業のこと。

12月の横浜学生映画祭で上映された『古屋の次第』を、借りたDVDで見る。
大阪芸術大学の加藤秀仁の卒業制作作品、2007年。78分。
すごい。
キム・ギドク、ジャ・ジャンクー、小説家ジム・トムプソン、
もうひとつ言ってよければ「狂った朝日」のブランキー・ジェット・シティに
通じる、強烈な作品だ。
去年見ていれば、ベストテンの上位に入れただろう。
フィルムで撮っている。ぜひスクリーンで見たい。批評を書きたい。

いまおかしんじ監督『イサク』(公開タイトル『獣の交わり 天使とやる』)の
初号試写に行く。電車を乗りまちがえて遅刻し、最初の5分を見逃したが、
見ごたえ十分。いいなあと感心するシーンが次々に展開。
脚本、港岳彦。撮影、鈴木一博。
港さんは、文学的な誠実さと切実さの人、自分の詩をもっている人だと感じた。
その「文学」をていねいに(だが、クドさなしに)ほどいていく映像があった。
キリストの足に(全身も出てきたが)驚かされる。
新宿「さくら水産」での打ち上げに参加。
新宿にむかう電車から、初対面のわたなべりんたろうさんと話す。
彼の豊富な「情報」に接して、
自分が、とくに、最近の外国映画、ほとんど見ていなかったと気づかされた。
ヒロイン役の吉沢美優ちゃんとも話す。
「映画初出演で、6日間の撮影で、あれだけやれたら大したものだ」と励ます。

人間のやること。たいていのことは、それほど力んでやることはない。
力まずに、でも、だれないように、やるのだ。
映画だって、そうだろう。
60歳近くなって、そんなことがやっとわかる。
いまおかしんじ監督の作品は、それを教えている気がする。

そんなことを考えているうちに、16日の夕方になった。
新宿のベルクで妻と待ち合わせて、
新宿眼科画廊での「ほたる日和」。
ほたる(葉月螢から改名した)と中島朋人の芝居(映像付き)。
落語の「転宅」をもとにしたコントで、
まあ、ほたるちゃんだから許されるというものか。
そのあと、ゴールデン街。話に聞くばかりで
行ったことのなかった「鳥立ち(トダチ)」に。

1月17日(土)
横浜、相鉄ムービルで瀬々敬久監督『感染列島』(感想、略)を見たあと、
関内に出て伊勢佐木町界隈を散策
(こちらについても、感想がまとまらない)。
午後5時すぎにジャック&ベティに到着。
『岡山の娘』、今日はお客さんがよく入った。
知り合い&知り合いの知り合いに頼っている動員であるが、
おせじでなく、魅力的な女性客が多かった。

上映後のトーク、金子遊さんと。
雑誌「映画芸術」のインタビューの聞き手も、彼だったが、
今日も申し訳ないほどしっかり準備してきてもらった。
やはり「映画芸術」に書いている若木康輔さんも来てくれた。
こういう若い世代から応援も受けて、
先につながるような交流ができたということ。
『岡山の娘』をやった大きな収穫である。
「聚香園」での打ち上げから、
横浜に詳しい金子さんと
松島みき子さん(トークの写真を撮ってくれている松島君のお母さんで、
茅ヶ崎市議会議員で、元気いっぱいの人!)
の先導で、野毛方面、ディープな横浜の夜の探訪へ。
「野毛通信社」で出会ったみなさん、エールを送ります。
横浜の「構造」がやっと少しずつわかってきて、
明日は『ヨコハマメリー』の中村高寛監督と話をするのだ。

1月18日(日)
午前中、国分寺の母のところに。
午後2時前に戻り、1時間ほどパソコンに向かってから、横浜へ。
日曜日で、武蔵小杉駅も、横浜駅も、人があふれている。
夕暮れの黄金町。
ここは、ちょっとさびしい。
中村高寛監督とのトーク。打ち合わせなしでやった。
今回のジャック&ベティでの上映が、
『岡山の娘』が『ヨコハマメリー』に出会う
という、なにか運命的な、うれしい機会であったことを、
いくつもの意味で確認。
「聚香園」での打ち上げは、今日も盛り上がった。
志村役の真砂豪が横浜に来て出会った人たちをはじめ、
横浜の好男好女が集合。
中村監督は、やはり横浜で、ボクシングのカシアス内藤を
撮るという次回作の撮影に、来月から入るという。
それやこれ、話題がとびかって、いけない、中村監督が12月に会ってきた
中国のジャ・ジャンクー監督の話をするのを忘れていた!

19
1月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 13

 2009.1.6〜2009.1.11.

1月6日(火)
大学へ。車中で、
新幹線で読みきれなかったハヤカワ・ミステリ、
パトリック・ルエル(レジナルド・ヒル)の『ただ一度の挑戦』を読み終える。
訳文(羽田詩津子)もあまりパッとしないし、強引な筋立てで、
アイルランドとIRAの描き方もおざなりだが、
最後の最後、ドッグと呼ばれる元警部が、
一度だけ体の関係をもった人妻を探し出して、
「わたしと来ないか」と言うところは、よかった。
というか、そういうハッピーエンドになりそうな気がして、
それで引っぱられた。

大学では、卒業論文と修士論文の「指導」。
卒論(松島君)、写真論。
写真のなかでは、実像と虚像の区別はない。
写真のなかには、時間が存在しない。
この二つのことを「真実を見抜く」という主題に
どうからませるか、という焦点が見えてきた。
修論(安藤君)、ヒップホップ論。こちらは、
「ポピュラー・ミュージック」の妥協・穏健・微温に抵抗する
二つの要素として、ヒップホップの
アンチヒーロー性とエイリアン性を浮かびあがらせた。
どちらも、あと一週間で提出。もうあとがない。

JR南武線の谷保から帰って、「たちばな」に。
『岡山の娘』の、みづきの母の遺影で登場した吉野晶ちゃんをはじめ、
いろんな人たちと会って、新年のあいさつ。
ついでに「利久」にも。今年もよろしく。

1月7日(水)
歌人の加藤英彦さんに『岡山の娘』横浜上映のチラシを送る。
考えてみると、彼の歌集『スサノオの泣き虫』が
しばらく前から、いつも手もとにある。
〈生きるとは怖ろしきことうつくしき言葉のうらでだれを殺せる〉
大きくて、はげしく、せつない「男性」の歌だ。
いきおいで、読みかけだったエルモア・レナード『スワッグ』(高見浩訳)を読了。
訳者解説にある「酒とバラと強盗の日々」の、天国気分。
そのまま、なんの悩みもないよ、
とやってくれたら、大したものだったが、
能天気な毎日だけでは、
人生も、小説も、やることがなくなってしまうのだろう。

チャンネルNECOで、
『薔薇いくたびか』(1955、衣笠貞之助監督)。
キスシーンひとつない、超じれったいメロドラマで、136分(15巻)もある。
見所は、画面づくりのていねいさ(撮影・渡辺公夫)と
21歳の若尾文子(「性典」シリーズや溝口『祗園囃子』のあと、
溝口『赤線地帯』や市川『処刑の部屋』の前である)。
相手役は、根上淳。
オールスターキャスト作品で、
南田洋子、山本富士子、雷蔵、チョイ役で勝新まで出るが、
京マチ子と長谷川一夫が若尾・根上をハッピーエンドにみちびく儲け役。
(かわいそうなのは、根上が若尾と結ばれるためにふられる長谷川の妹役。
好みではないが、女優さんの名前を知っておきたい。)
こういう大映メロドラマを
速度・行動・主張・肉体をもつ人間のドラマへとひっくりかえしたのが、
1958年に登場した増村保造だ。
『岡山の娘』で引用した『青空娘』も、そういう増村作品のひとつ。

午後7時、雲の流れる空を見上げた。
金星がくっきりと。星はそれだけ。
5日前、赤磐市の小宮山家(丘の上にある)に着いたときの、
頭上にひろがった満天の星を思い、
さらにポルトガルの夜空を思った。
ポルトガルのアレンテージョ地方、
ワインのうまいボルバ村へと
妻とわたしを先導してくれた文ちゃん、来て、遅くまで飲む。

1月8日(木)
12月に見た園子温監督の『愛のむきだし』へのコメントを考える。
〈奇想天外のメロドラマ。罪という罠から世界を救い出すための237分、まったく退屈させない。〉というもの。
50字以内という制限。
こういうとき、何を言うのがいちばんいいのか。
〈痛い逆説となった「変態」が疾走する〉というフレーズが浮かんだが、
あえてそれを使わないという選択をした。
メロドラマということで、
きのう見た『薔薇いくたびか』からの距離を考える。
その間に増村保造以降のメロドラマ批判があるだけでなく、
漫画・劇画に逃げ込んだメロドラマの居直りがあり、
さらに最近の小説での、
リアリティーの混乱に乗じた
「物語性」のめちゃくちゃな展開がおこった先で、
『愛のむきだし』は、
園子温監督の、いい意味での幼稚さが、
とんでもなく大きな起伏を呼び込んでいる。
(コメント、この2行でもよかったのかな。)

THE MOVIE BEGINS: A Treasury of Early Cinema
というDVD5巻のボックスから、第3巻と第5巻。
こういう初期の映画には、(カメラ位置と構図を
ほかに選びようがないと感じさせる)決定的なショットが詰まっている。
そういう決定性。リュミエール兄弟だけのものではなかったのだ。
今日見た中でのベスト3。
A Day in the life of a Coalminer(1910)
炭鉱の労働のドキュメンタリー。とくに女性労働者のたくましさが印象深い。
Making an American Citizen(1912)
ロシアからの移民夫婦。夫の方が旧世界的な暴君の座から引き下ろされるまで。
The Girl and Her Trust(1912)
D・W・グリフィスのバイオグラフ社時代の最後の作品。
鉄道駅の電信連絡係の若い娘が果敢な動きで悪漢たちに抵抗する。

1月9日(金)
チャンネルNECOで、『三人娘乾杯!』(1962、番匠義彰監督)。
三人娘映画が好きで、『岡山の娘』もその側面を意識してつくったが、
実は、ひばり・チエミ・いずみの時代から、
三人娘映画は、大して内容がないと相場が決まっている。
これもそうだが、心配したよりはうまく出来ている。
川津祐介と津川雅彦が、骨抜きされたヌーヴェルヴァーグという感じで、
平凡な役に耐えている。その二人と山本豊三が男性陣。
娘たちの方は、倍賞千恵子が脇にまわって、
結局、岩下志麻と鰐淵晴子の勝負。
二人は筋の上でも川津をめぐって争うが、
演技的にも、容姿的にも、対照的で、
小粒でおとなしい岩下が、大きくて派手な鰐淵に、勝っている。
ここからの女優としての可能性の差、というよりも、
松竹大船調という微温的な夢の性格をものがたっているものがある。

かつての日本映画がなつかしくなっているのは、
正月気分が抜けないせいか。
時代劇チャンネルで、『桃太郎侍』(1963、井上昭監督)。
斬新な映像感覚で話題を呼んだ『勝負は夜つけろ』の、ひとつ前の井上作品。
大映京都の、撮影所としての「力」は感じさせるが、
ハッとするような場面はなかった。
本郷功次郎のひとり二役。
はまり役の久保菜穂子がいつもの水準以上によかった。

サンプルDVDを借りていた『SRサイタマノラッパー』も見た。
3月公開の作品。Directed and Written by Yu Irie.
ヒップホップと映画の出会いということでは、
どちらも遠慮しすぎていると思ったが、なにかニクメナイ。
ワンシーン・ワンカットの手法。
不器用さと我慢づよさ。
伝えようとしているものが徐々に見えてくる。
表現は、自分のいま、自分のいる場所、
そのみじめさを見つめることから、はじまる。
それを確かめて主張している、リアルで正直な作品だ。

1月10日(土)
久しぶりに、早起き。
きょうから、『岡山の娘』の、横浜での公開がはじまる。
そのために落ち着かないということもあるが、
遅れている仕事がいろいろとある。

午後2時前に、シネマ・ジャック&ベティに着き、
ベティで『岡山の娘』の前のプログラム、
アレックス・コックス監督『サーチャーズ2.0』を見る。
バカな映画かもしれないが、それこそニクメナイ。
チラシに、〈金にならなくても映画を撮るのが好きでたまらないんだ。
だから俺は撮りつづける。〉というコックス監督の言葉。
映画のなかで、映画のことばかりしゃべっている男たち。
それしか話題がないのかと腹を立てながら、
結局、かれらにやさしい、つきあってくれる娘がいる。
そこが、この監督の見る夢の、大事なところかな。

18日のトークゲスト、
『ヨコハマ・メリー』の中村高寛監督と話したりしているうちに、
あっというまに、『岡山の娘』の上映時間になった。
いきなりサイズちがいで映写され、やりなおしをするなど、
いくつか予想外のことがおこる。
それもあって、上映後、ちょっとバタバタしました。
今日のトークゲストは、三角みづ紀さん。
詩の朗読(彼女は、その一部をうたう)。
そして、質問(前もって頼んでおいた)。
どちらも、しっかりとやってもらった。
黄金町駅ちかくの飲み屋で、打ち上げ。
東中野にも来てくれ、きょうは『サーチャーズ2.0』から
一緒だったかながわ女性センターの高野さん、
いまは横浜に住んでいる志村役の真砂豪さんも、参加。
みづ紀ちゃんを駅で見送ってから、さらにもう一軒。
東京から見に来てくれた知人もそこで飲んでいた。
高野さんから、カンボジアの娼婦たちを描いたドキュメンタリー作品
『紙は余燼を包めない』を上映する江ノ島アジア映画祭(2月15日)の話を聞く。
いろんなふうに、人がつながってゆく。
上映はそういう場だとあらためて思う。

1月11日(日)
快晴。遠くの山並みの稜線がくっきりと見える。
午後、横浜へ。
南武線の車中、酔っ払いのおっさんがひとりでずっとしゃべっている。
久慈駅あたりだったか、別のおっさんが電車からおりて、
ホームで尻餅をついた。
「倒れた?」「大丈夫か」という車内からの反応。

今日のトークゲストは、松江哲明監督。
東中野でのトークショーの続きの感じで、一気に展開。
『ユメノ』の鎌田義孝監督と久しぶりに会う。
その友人の、劇団トラッシュマスターズの吹上タツヒロ君、
今週二度目の登場の文ちゃんと真砂君、
そして印刷会社「グラビティ」の細谷麻美ちゃんなど、
九人で、ジャック&ベティのとなりの中華料理店「聚香園」で打ち上げ。
松江監督推奨の麻婆豆腐と餃子は、もちろん、
焼きそばもビーフンも、そのほか何でも、おいしい。
これから、この店に来るのも、たのしみのひとつ。
そして、時間があれば入りたいと思っているのが、
『岡山の娘』のチラシを表に貼ってくれている
ストリップ劇場の黄金劇場。
行きも帰りも、その前を通った。
それから、黄金町には、
ロマンポルノのポスターがたくさんある古本屋もある(松江情報)。
映画プラスアルファーの楽しみのある横浜、ということで、
みなさん、(実は、集客、かなり心配なので)
ぜひシネマ・ジャック&ベティに何度でも足を運んでください。

12
1月
2009

横浜上映レポート 2

1月11日(日)。横浜上映2日目の今日は、昨日よりだいぶ暖かい。
今日のトークゲストは、やはり東中野でも登場してもらったドキュメンタリー監督の松江哲明さん。
支配人の梶原さんの紹介を受けて登場した福間監督と松江監督は、「東中野のつづきをやろう」と最初から熱の入ったトークバトルを開始。
ドキュメンタリー映画も、ドキュメンタリーの要素を含んでいる『岡山の娘』も、編集が大きなポイントだという話になった。

福間:「編集と画面の映画」という言い方があるけど、編集してない映画なんてものはないよね。
松江:そう、切ることはすごくむずかしいですよね。『岡山の娘』は編集が大変だったと思いますけど、福間さんの切り方のポイントは?
福間:作者の主観が見えるのはよくないと思うんだよね。ポイントは主観を消す作業かな。
松江:そうなんです。『童貞。をプロデュース』でも、自分を消す作業を必死でやった。 でも、消しても消えない。主観は消してもぜったい残る、そう思いますね。
そういえば、「映画芸術」のベストテンで、福間さんと僕は同じ作品をけっこう選んでるって話ですけど、その共通性は、主観は少ないんだけど伝わる、そういう映画なのかなって思ったり……。

ふたりの話は尽きず、またたくまに時間切れ。「女の子は、カメラを回したら女優さんになる」からAVの話題への展開はならず、再び次の機会へと持ち越された。
さて、ジャック&ベティ入口でのツーショット。まるで「じいちゃんと孫」みたい!?
と言っては失礼か……。
プログラムピクチャーから個人映画まで、幅広く、貪欲に映画を追いつづけるふたりの監督。おいしい中華料理屋さんに行っても、話の種は尽きないようだった。

宣伝スタッフ おかやまメリー

12
1月
2009

横浜上映レポート 1

みなさまお元気で新しい年をお迎えのことと思います。
『岡山の娘』の2009年は、横浜は黄金町でスタートを切りました。
1月10日土曜日。
前日の寒波到来で、晴れているものの関東は冷たい風が吹いています。
京浜急行線の黄金町駅から歩いて3分のところにあるシネマ・ジャック&ベティ。
映画好きなら誰もが知っている横浜の老舗映画館です。
ここはシネマ・ジャックとシネマ・ベティの二つがあります。
『岡山の娘』はタイトルにふさわしく「ベティ」の方で、1月23日までの2週間、毎日16時10分から上映されます。
ちなみに『岡山の娘』は、アレックス・コックス監督の新作『サーチャーズ 2.0』とミシェル・ゴンドリー監督の新作『僕らのミライへ逆回転』にはさまれての上映です。
そして、すでにお知らせしているように、監督とゲストとのトークショーも4回やります。

さて、初日10日のゲストは、東中野にも来ていただいた詩人の三角みづ紀さん。
福間監督が三角さんを紹介したあと、三角さんは自身の詩をふたつ朗読した。
『岡山の娘』のなかで使われた「あまのがわ」と「ひかりの先」。今回は東中野のときとちがって音楽なしでの朗読。やわらかく透き通った三角さんの声は、客席の耳をひとつにして、大きな拍手を受けた。
そして、三角さんが用意してきた監督への質問。
そのひとつ。映画のなかで詩人の北川透さんが「弱い心」について語ったことにふれて、
「わたしは自分が弱いから、強くならなければいけないと思っていたけど、この北川さんの言葉で、そうか、弱くていいんだ、と思えてうれしかった」と。
この場面は、たまたま北川さんが岡山で朗読するときに、カメラテストをかねて撮影させてもらったそうだ。
そこで監督は、北川さんが語った「いま表現に必要なのは、弱い心ではないか」ということが、この映画の核になっていると話した。

シネマ・ベティは広いので、人で埋まったという印象にはならない初日ではありましたが、トークのあとの観客の方の顔はいちように満足げで、スタッフとしてはうれしい横浜第一日目となりました。

横浜近隣の方、東京で見逃した方、もう一度見たかった方、そしてこのブログを見て興味を持ってくださった方、どうぞジャック&ベティにいらしてください!

宣伝スタッフ おかやまメリー

12
1月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 12

 2008.12.29〜2009.1.5.

12月29 日(月)
嵯峨直樹『神の翼』を読む。歌集である。
短歌をどう読んだらいいのか、いつもとまどうが、
この1971年生まれの歌人の仕事には新鮮な「いま」を感じた。
たとえば、
〈君よ君、かわいい人よ、粗っぽい現実の来る期限は近い〉
の〈粗っぽい〉が〈荒っぽい〉ではないこと。
へんな言い方になるけど、
現実感のタガがはずれていることのリアルさがある。

窓拭きをする。たいしてきれいにならなかったが、
久しぶりの「肉体労働」。そのあと、しばらくぼんやりした。
午後6時半から、野口整体の活元会。
いったん帰宅し、入浴し、
ちょっと食べて、ちょっと仕事してから、
「奏」に行く。
いろんなミュージシャンの出る、今年最後のライヴ。
そのあとのパーティー。演奏がつづく。
(朝の9時まで演奏がつづいたそうだ。)

12月30日(火)
年賀状を書きはじめる。
そして、原稿。
大江健三郎の文学について考える。
その影響から逃れることが、二十代からの大きな課題だった。
いまは、ちがう態度で接するときだ。
彼の生まれた村へ行き、それから
加藤典洋さんの『文学地図 大江と村上と二十年』という本を読み、
その思いをつよくした。
午後8時、今年の「仕事」はここまでと断念して、
FUKUSUKEへ。
福間塾の藤井さんと小山さん、
そして洋菓子作りの先生の堀田さんと、
忘年会シリーズの最終回。

12月31 日(水)
母がひとり暮らす国分寺の実家に行き、
弟(福間雄三)と大掃除をする。
物心ついたときから、外国に行って留守だった数年をのぞいて、
ずっと大晦日は実家の大掃除をしている。

1月1日(木)
お正月。午前中、国分寺で。午後は、国立で。
年末年始は、国分寺と国立を往復する。
国立に住むようになって20年以上、ずっとそうしている。

1月2日(金)
午前中、国分寺。
午後、新幹線で、岡山へ。
赤磐市にある妻の実家、小宮山家で、
義母、義兄夫婦、義妹夫婦との新年会。
(この人たちがみんなで『岡山の娘』製作・上映をサポートしてくれた。)
甥と姪の若い世代も。
『岡山の娘』にも出てくれた姪の小宮山香ちゃんの
バレエの公演のDVDを見る。
『くるみ割り人形』のクララ。
映画では「お嫁さんになりたい」と言っていた彼女だが、
4月から化粧品会社に就職する。
岡山市谷万成の禰屋家(義妹夫婦の家)へ。

1月3日(土)
『岡山の娘』のヒロイン、みづきの家として
撮影にも使わせてもらった禰屋家。
ここに泊まる大きな楽しみのひとつは、
朝、犬のリッキーと散歩すること。
笹ヶ瀬川の川べりに行く。
冬枯れで緑がほとんど消えているけれど、
『岡山の娘』の「夢のかたすみで」みづきがさまよう場所だ。
散歩のときに頭に入れているので、
ここなら、目をつむっても撮影できるほどだったのだ。

禰屋家にいるもうひとつの楽しみは、
ケーブルTVで映画を見ること。
ヴィデオやDVDに録画したものも無尽蔵にある。
で、今日は「シネフィル・イマジカ」というチャンネルの
ハロルド・ロイド特集。
『猛進ロイド』(監督サム・テイラー、フレッド・ニューメイヤー、1924)。
これは、後半、ヒロインと重婚男の「結婚」をひっくりかえすために
ロイドが式場に向かう、その「猛進」を徹底的にやる。
やはりテイラーとニューメイヤーによる『ロイドの人気者』(1925)も見たが、
こちらはそれほどでもない。
どちらも、ヒロイン役の女優ジョビナ・ラルストンが可愛い。

「アクア東中野」以来、風呂好きになっているわたしの提案で、
温泉に行こう、ということになって、
近くの苫田温泉「桃太郎風呂」へ。
帰りに、岡山名物ぼっこうそば(知らなかった)の水仙亭へ。
温泉のあとの、そば焼酎のそば湯割りで、
120パーセントいい気持ちになった。
完全に「岡山の休日」気分。
夜は、岡山に来たらかならず食べる「大漁寿司」の出前をとってもらう。

松山善三の第一回監督作品『名もなく貧しく美しく』(1961)を
たぶん47年ぶりに見た。
どちらかといえば軽んじてきた作品だが、
ろうあ者の夫婦がけんめいに生き抜く姿、
玉井正夫のカメラ、小林桂樹と高峰秀子の演技、
手話による会話でのスーパーの使い方など、
なかなかいいなあと思って見ていた。
しかし、ラストがまったく納得できない。
何のために高峰秀子が死ななくてはならないのか。
「愛と感動の物語」、そのために安易に人を殺すな。

短篇映画もいくつか見た。
フランスの二本、
『アンナのトリップ』(1998、ギヨーム・ブレオ監督)と
『ギターのレッスン』(2006、マーティン・リット監督)がよかった。
前者の、少女が中年男の家から逃げるときのバックの色が目に残り、
後者で使われた歌「レティシア」が耳に残った。

1月4日(日)
朝、リッキーとの散歩。
朝、いい景色のなかに犬と散歩に出るというのは、
いろんな点から考えて、ものすごく贅沢なことだ。
ハロルド・ロイドの『スピーディ』(1928、テッド・ワイルド監督)。
たとえば仕事をクビになっても困らないというのは、
人生においてばかりでなく、映画の作劇法からいっても、気楽なものだ。
ハッピーエンドにむかって遊びながら進むだけ。それでいいのだ。

バスで、岡山のセンターへ。
表町の、『岡山の娘』で集合場所にしていた時計台前。
そばにテーブルと椅子のある喫煙コーナーが出来ている。
信三がしゃがんで、女の子が通るのを見るカットを撮ったところだ。
いたるところに、『岡山の娘』で撮った風景がある。
一年数か月という時間の経過も感じるが、
夏と冬ではこんなにちがうのかとも驚かされる。
めちゃくちゃ暑くてめちゃくちゃ大変だったけれど、
『岡山の娘』は夏に撮らなくてはならない作品だったのだ。

シネマクレールで『僕は君のために蝶になる』を見る。
香港映画、ジョニー・トー監督。
音楽評論家保母大三郎さんのまねをすれば、
「自称乙女のおばさんか足の太い女子高校生向け」のバカな映画だが、
いまの女性が好む要素、彼女たちが夢見るダメージの受け方などについて、
謙虚に学ぼうと思った。

表町のOTOYAでコーヒーを飲み、
西口へとゆっくりと歩き、
奉還町の閑散ぶりを観察して、
午後5時、新年会の会場、MIKANSEIへ。
『岡山の娘』のスタッフ・キャスト、
製作・上映の協力者のみなさんが集まってくれた。

途中から日本酒をハイピッチで飲んでしまい、酔ってしまった。
二次会は、岡山上映会の打ち上げをやった「優々庵」へ。
MIKANSEIでの後半から、記憶があまりはっきりしない。
年末年始、なんとか押さえ気味に飲んできたのだが、
岡山の親しい人たちに囲まれて、
すっかり気がゆるんでしまった、ということにさせてください。
途中、すでに岡山映像祭で上映されていた木村文洋監督『へばの』の話をした。
『へばの』は後半の20分がいいのだというわたしの意見に対して、
何人か、まったくちがう意見を持っていたようだ。
帰りのタクシーのなか、
妻とバルカンの東井浩太郎さんになにか言って、なだめられていた。
『岡山の娘』で果たせなかったこと。やりのこしたこと。
それを言った。それは、はっきりとおぼえている。
いや、ほんとうは単純にバカなことを言っていたような気もする。

1月5日(月)
リッキーとの散歩から一日がはじまる。
次にやれるのは、いつだろう。
15時3分岡山始発の「のぞみ」で帰る。
その前に、甥の康ちゃんとそのガールフレンドの亜矢ちゃんに会い、
ものすごく久しぶりに中華料理店「廣華楼」に行った。
康ちゃんからいうと伯母、つまり、わたしの妻と、
母、つまり、わたしの義妹が一緒。
ということで、五人でテーブルを囲んだ。
今回は、天神そばも成田屋もない岡山だったが、
それでも「廣華楼」の豚天があるのだ。
岡ビル(市場)は今日からで、もちろん、行きました。
午後8時近く、国立に戻る。
「奏」に寄って、そこでも、
家に帰ってからも、岡ビルで買ってきた「ちょっとしたもの」を肴に、
(『岡山の娘』のみづきとさゆりのように)飲みました。

みなさん、遅くなりましたが、新年のあいさつを送ります。
2009年、遠くでも近くでも、
さまざまに大変なことがあるでしょう。
でも、よろこびにあふれる一年となりますように。
そして『岡山の娘』、いろんなところに行きます。
どうぞ応援してください。

07
1月
2009