上映会の会場について

岡山先行上映の会場についてのお問い合わせをいただいております。
会場の岡山県天神山文化プラザ [1]は、旧・岡山県総合文化センターです。
県立美術館 [2]の隣です。

交通アクセス JR岡山駅から徒歩15分
市内電車/東山行「城下」下車徒歩3分
バス/藤原団地行「天神町」下車
>>地図を見る [3]

[1] http://www.tenplaza.info/
[2] http://www.pref.okayama.jp/seikatsu/kenbi/index.html
[3] http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&q=%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E5%B1%B1%E6%96%87%E5%8C%96%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6&s=AARTsJpag7eGVGCOPvWbmQQ71iosTZ498g&sll=36.562600,136.362305&sspn=21.648293,28.344727&ei=GM8XSIXRDqXiiwOhhIHZDA&cd=1&cid=34668170,133929767,4759043196630382310&li=lmd&ll=34.681217,133.943853&spn=0.031479,0.057335&z=14&iwloc=A

30
4月
2008

福間健二、『岡山の娘』について語る 7

編集・仕上げについて
 
十月から本格的な編集に入りました。
どういうふうにまとめるか。ずっと迷っていました。思い切りがつかなくて、決め手不足のまま、2時間を越える長さのヴァージョンを作り、いったん休み、岡山映画祭で上映したショートヴァージョンにとりかかりました。これは、力づよさを出したかった。吉田孝之さんの音楽も少しずつ出来てきたので、試しに使ってみました。自分では相当いい感じにつながったと思ったけれど、まだどうとでもなるという状態。
訳がわからないとも、何をやりたいのかわからないとも言われましたね。ショートヴァージョンには出演者のほとんど全員が出てきますが、それぞれがぼくになにかを語りかけてくる。それに耳を傾けていました。つまり、無理に映画のかたちに押し込むのではなく、素材の方から自然に出てくるものを待つ感じで、年を越しました。
 
一月の下旬に編集作業を再開。
どういう映画にするのかという方向が見えてきました。
普通の劇映画の語り方で物語をたどってゆくのではなく、むしろその語り方が破綻するところに、ヒロインみづきと岡山の「いま」を生み出す。
でも、作品から物語を追い出しているわけではない。
むしろ、そこまでに切りすてなくてはならなかった物語が呼びよせられ、重なりあって、からみあってゆく。
そういうふうにしたいと思いました。
神様あるいは作者が作るひとつの決定的な物語があるのではなく、語る人それぞれによるいくつもの物語があるという地平へ、この作品が踏み込もうとしていることに、確信をもってきたのです。
 
編集は、実におもしろいんです。横浜の弟のところ(幻野映画事務所)で、四泊五日とか五泊六日の泊り込み作業を何度もくりかえしてやりましたが、そのあいだは映画のことだけ考えていればいいんで、ある意味では撮影のとき以上に集中できる。やっていると、現場を再現しているような気分になってくる。いつまでもやっていたいような感じです。
画像も音も、普通でいえばOKとは言えないものがだいぶあった。でも、すべて活かし方次第なんです。マックのファイナルカットという編集システムを使っていますが、これが便利すぎるくらいのしろもので、なんでも出来る。やりだしたらきりがない。
どこまで処理していいか、いじっていいか。
最後はそういう勝負になってきました。とにかく、みんなで力を合わせて生みだした画像と音が少しでもよく活きるように作業をつづけました。

27
4月
2008

福間健二、『岡山の娘』について語る 6

追撮まで
 
よく言われることだけど、映画の監督は、弁当のときに隣に座ってくれる人がいなかったりする。そのくらい孤立する。今回もぼくは孤立したでしょうが、キャストもスタッフもやさしかったですね。みんな、すれていないから。そのことをすごく感謝しています。
最初は、ぼくがちょっと遠慮しすぎたのと、打ち合わせの時間がとれないために、コミュニケーションがうまく行ってないところがあった。でも、後半に行くにしたがい、ほんとうに変わりました。それぞれが持ち味を発揮してきて、自分のやり方を見つけていた。こっちがワンテイクごとに気合いを入れている、その気合いに対して、動きが具体的に返ってくるようになった。いける、と思いました。
8月30日のクランクアップ。打ち上げはものすごく盛り上がりましたが、まだやめたくないし、ここまでをトレーニング期間だったことにして、ここから本番だったらどんなにすごいかと思った。お金と余裕のある現場ならそうやったっておかしくない。
 
東京に戻ってラッシュを見ていると、まだみんなと一緒に仕事をしている気がしました。これ、どうするんだと言いたくなる部分もありましたが、そういうところもふくめて、素材としての生命力を感じました。ちょうど詩人で映画作家でもある鈴木志郎康さんに会う機会があって、「ぼくはOKショットは使わない。NGを使う」という意味のことを言われ、それに励まされたように、ラッシュを全部、何度も何度も見ました。
とくに救われたなと思ったのは、B班撮影として学生スタッフだけで撮ってきてもらった風景。あれがないと岡山をちゃんと撮ってないってことになったかもしれない。
もちろん、悩むのは得意ですから、だめかなって思ったこともある。
もうひとつ、「ぼくはどうして映画を作るのか。それは怒っているからだ」と言えるようになっていない気がした。それで、みづきに「なんなんじゃ!」と怒ってもらおうと思いました。それが追撮に踏み切ったいちばんの理由です。
 
9月の末に追撮をやりました。西脇裕美さんに手紙を書き、それをスタッフにも読んでもらい、こういうことをやるんだというのをはっきりさせていたのですが、それでも間をおいたから心配でした。岡山に着いてまず感じたのは、もう夏の光がなくて、人々の服装も夏とは変わっていたこと。しかし、あきらめるわけにいかない。
まず、最初のカットの、西脇さんの演技。これが文句なしによくて、みんな、乗りました。大西カメラマンの言葉でいうと「怒涛の撮影」の二日間でしたが、撮ったもの、全部よかったです。これで映画の芯ができたと思いました。

26
4月
2008

福間健二、『岡山の娘』について語る 5

夏の光のなかで
 
クランクインは8月11日でしたが、大西さんと考えて、経験のないスタッフに早く仕事に慣れてほしかったのと、インしたあとに夜の撮影が少ない方がラクだという理由で、前撮というのかな、8月7日、8日、9日、夕方から数時間撮りました。花火を撮らないといけないってこともありました。そこから、途中、キャスト交代による構想の練り直しのための三日間の空きもあったけど、30日のクランクアップまで一気に走り抜けた。久々でちゃんと監督やれるかどうかの心配の前に、動きだして止まらなくなっていたって感じ。いまからあやまっても遅いけど、まわりはだいぶ迷惑したでしょう。
 
とにかく、夏。ものすごく暑かった。その上に、仕事の分担も指示の流れもどうなっているのかわからないような状態からスタートし、スケジュール通りにはやれない、いろんな問題がかさなって、文字通り「映画は戦場だ」という現場。ぼくは、映画となると気合いがふだんとちがってくるから平気なんだけど、みんな、よく一緒にやってくれたと思います。後半はとくに、毎日、興奮で眠れないせいもあって、夜明け前から起きて、信じられないくらい意欲が湧いてくるのを感じながら、その日やることを書いた「号外」を作りました。58歳の自分の体力にも、朝になるとみんなが来てくれるのにも、ありがたいなと思いました。
 
狙ったことをその通りにやれるかどうかではなく、今回の予算と条件、このスタッフとキャストで、やれることをひとつひとつ発見してゆく。アマチュアにはアマチュアならではのよさがある。たとえば、約束事に縛られない自由さがある。そういうものを最大限に活かすことが大事で、そこから出てくるものが、出会うべき現実、出会うべき岡山につながってくると思った。見込みちがいやミスも大して気にしない。結果を心配するよりも、撮れるだけ撮ってしまおうと、ひたすら貪欲になっていました。
 
夏の光、岡山の光。上から来るし、すごく変化するんですよね。
これに負けないように撮る。いろんな意味で、そういう勝負だったかな。ルックはゴダールの『決別』で行こうと話していたのは、そんなにうまく行かなかったかもしれないけど、風景の緑に光がふりそそいでいる。あとはどうやって影を作るか、闇を見つけるか。それが問題でした。大西カメラマンが疲労困憊しながらもがんばってくれたし、パナソニックAG-HVX200というカメラが、やっかいな反面、やっぱりいいんです。
大西さんとは、好きな映画がだいたい一致しているんで、やりやすかった。半分冗談なんだけど、今日は鈴木清順で行こうとか、ここはホウ・シャオシェンといった調子でやれた。でもね、「シナリオを読めばわかるだろう」という任せ方はしてませんよ(笑)。
そして、一週間で人が変わったみたいに成長する若いスタッフたち。
みんなで作ってゆく。
暑さに負けてなんかいられないと思いました。

26
4月
2008

福間健二、『岡山の娘』について語る 4

岡山という現実
 
どういう映画になるのか。ほんとうは、よくわかっていない。
そもそも最初からずっとそういうところがありました。
でも、作るっていうことは、一面ではいつもそういう冒険なんです。
ぼくの頭のなかにある「作品」をみんなに押し付けて、それが出来あがるようにやってくれっていうことでは、いけないんだと思ってきました。
肝に銘じていたのは、岡山の人と風景に出会ってゆくなかで生まれてくるものが大事だってこと。ワンカットずつ、発見してゆくように撮りたかった。
 
2006年12月の岡山映像祭で製作発表をすることになって、それに間に合うように、「あらすじ」と一緒に「岡山への挨拶」と「製作のためのメモ」を書きました。才能や経験とかではなく、また、主題やメッセージの積極性でもなく、自分の表現への信念、情熱、さらには映画への欲望っていうものを買ってもらおうと。
 
お金のかかっている普通の劇映画の真似をするつもりはなく、かといって、最後まで人間をあたたかい視点でとらえることをしない高級そうな芸術にも、うんざりしている。
前衛とか実験とかいうようなことは、形式としてそれだけを目的にするなら、簡単なんです。その表現が、普通に人が生きている現実の地平につながるかどうか。それが勝負。いままでになかった新しいものをつくる。でもひとりよがりな芸術をやるんじゃない、というところで、しぶとく粘ってやっていこう。そう思っていたわけです。
 
人間へのあたたかい視点が必要で、ただの前衛はだめで、ひとりよがりは許されないっていうのは、主に詩を書きながら考えてきたことだけど、それを、たとえば東京に対して岡山がもつ感じ方につなげていたかもしれません。
また、ぼくが岡山を好きだっていうことは、自分の信念に岡山の具体的な風景をあたえるということで、そこから岡山を舞台にした映画が始まる。強引な言い方に聞こえるかもしれないけど、そう思っていました。
 
現実に出会い、現実を見なおし、さらには新しい現実を生みだす場所として、岡山をつかまえようとした。ロケハン(撮影場所探し)をしながら、いちばん感じていたのは、そういうことです。そこに住んで慣れているのでもなく、旅行者として驚きながら通過するのでもない、5年間岡山にいたことがあっていろんなつながりをもってきた自分の目を信じたいと思いました。

26
4月
2008

舞台挨拶について

岡山先行上映のチラシに記載されている

全上映終了後、監督ほかの舞台挨拶。各日18:00〜18:30トークショーあり。

について、「全」がどこにかかっているの??
・毎日、最終上映後の挨拶一度だけ?
・毎回、上映後の挨拶?
というお問い合わせがありました。
 
毎回、上映後です!!
 
天神山文化プラザでお待ちしています♪

25
4月
2008

大西カメラマンに質問

大西一光(右端)

この映画の撮影を担当することになった時の気持ちは?
    

もともと、自分でカメラを回して編集するスタイルなので、監督が別にいて、という現場をほとんど知りません。 「自分を殺すのは嫌だな」という不安もありましたけど、監督はファインダーもあまり覗かない方で逆にこちらが心配するくらい自由にやらせてもらいました。
 
新しいヴィデオカメラPanasonic AG-HVX200について
    

もっとテストができれば、監督の望んだルックにより近づいたという気もするのですが、ちょっとカメラに追いかけられたところもあるかな。全編ほぼノーライトという試みも、このカメラにすごくマッチしたところとそうでないところが際立った感じです。屋外でコントラストのある画を狙った時のこのカメラは、震えがくるくらいすごい。
 
でき上がった作品の感想は?
    

最初、監督から「この映画のルックはゴダールの『決別』でいこうよ」と言われ、シナリオを読むと岡山の空と川と地面が溢れていたので、自分は岡山の光を撮ろうと思いました。岡山の夏は白いんです。自分の印象として。それが、うまく伝わったのかどうか……。ノーライトの撮影は、そこにある光しか信用できないということでもあり、従来の映画の文法とはちょっと外れることでもあり、ホントはもっと女優さんを美しく撮るべきところも、トップライトだけで撮ったり……でもそのことが、逆にこの映画の力になってくれたらと思います。
 
スタッフについて
    

とにかく懸命。映画作りなど未体験のスタッフがほとんどの中、最初は意思疎通さえ満足にいかないレベルだったのに、撮影後半には、監督に指示されるのではなく、自分のいままで培った技術をどう生かしたら、自分の感じる「岡山の娘」を表現できるかというふうに、みんなが思いはじめるようになったのはちょっと驚きでした。このままずっと撮影が続くといいよね、と思わなかったですか?
 
女優について
    

女優に惚れなきゃ撮影なんてできねえよ。と、いっぱい不倫する気で撮影に望むも、ファインダー越しの恋は果して叶ったのでありましょうか?自分は生まれてからずっと岡山に暮らしているので、もしかしたら岡山の娘たちがうまく撮れないんじゃないかという恐れ、つまりはどこに視線を向ければいいのかという迷いがあったのも確かですが、この映画の娘たちは、そんなカメラマンの未熟をすり抜けて、みんな2007年の夏に岡山で生きた娘たちの姿を撮らせてくれたと思います。みづきが日々キレイになるのを、ついつい信三的目線で喜んでいたり「最初会った時は絶対変態だと思った」というさゆりのコトバに傷ついたり、智子の文学少女ぶりに感心したり、話は尽きません。

>>大西一光プロフィール [1]

[1] http://d-mc.ne.jp/blog/musume/?page_id=63

23
4月
2008

チケットのご購入について

「岡山の娘」岡山上映会の前売券は、ぎんざやプレイガイドでお求めいただけます。
ぎんざやプレイガイド(岡山市表町1丁目10−35旧表町アルバビル 086-223-8875)
>>地図を見る [1]

 
また、チケットのお取り置きも可能です。
事前にお電話でご予約いただいたお客様は上映会当日、受付にて前売り金額(800円)でご購入いただけます。
ご予約は 岡山映画祭事務局 086-254-0238(ナカチ)まで

[1] http://maps.google.com/maps?f=l&hl=ja&q=%E3%81%8E%E3%82%93%E3%81%96%E3%82%84%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89&jsv=107&sll=37.0625,-95.677068&sspn=50.244827,92.285156&ie=UTF8&cd=1&near=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C&geocode=0,34.698389,133.856970&ll=34.662502,133.929563&spn=0.006424,0.011265&z=17&iwloc=A

20
4月
2008

福間健二、『岡山の娘』について語る 3

物語について
 
『岡山の娘』の脚本は、何回も書きなおしました。
物語をどう作るのか。これには悩むんです。
ひとりでやっているとわからなくなるんで、東京でも、岡山でも、いろんな人たちに相談し、意見を聞きました。
若い詩人でやはり映画も作っている今村秀也さんには、準備段階から仕上げの最後までつきあってもらった。みづきと信三がどこまでわかりあえるか。そこに微妙な距離を残すようにしたのは、彼に負うところが大きいかな。
 
最初は、みづきの母親奈津子が殺され、アケガタさんという女刑事が登場するという事件物だった。永瀬清子さんの詩「あけがたにくる人よ」からとったアケガタさんでした。
それから、ぼくは、ロバート・スティーヴンスンの短篇『宿なし女』というのが好きで、信三が昔それを戯曲にして上演したことがあるという設定にして、その話を、みづき、奈津子、照子の関係にからませようとしたんだけれど、だれにもあまりよくわかってもらえない感じだった。その段階では、なんと信三と照子のベッドシーンというのもありました。
一方で、外国から帰ってくる父親をはじめとして、構成要素が『急にたどりついてしまう』に似すぎているという批判も受けた。何度も言ってることだけど、これはこたえました。
 
いろいろとありましたが、七月半ばくらいには印刷台本までこぎつけました。
みづきと智子、みづきとさゆり、みづきと啓介、みづきと信三、それぞれの関係が順番に焦点を作ってゆくというもの。
岡山の娘たちのインタビューは、智子が雑誌編集者に頼まれた仕事でやっているというふうにして、ドキュメンタリー的な要素も、ぎりぎりのところで、劇映画の普通の語り方のなかに収まっていました。
 
八月、撮影開始後にそれを大きく変えなくてはならなくなった。キャスティングの交代をよぎなくされ、西脇裕美さんが智子役からみづき役に変わった。そればかりでなく、時間的にも追いつめられていました。
『急にたどりついてしまう』も撮りながら脚本は変わっていったのですが、今度はそれ以上の激震に出会ったわけで、後半は連日、その日の明け方に起きて用意した「号外」で撮っていきました。スタッフとキャストには申し訳なかったけれど、実は、これこそが自分のやりたかった撮り方だとも思えてきました。
でも、物語をどうしたいのか。この作品をどういうものにしたいのか。まだはっきりとはわかっていなかったんです。

20
4月
2008

福間健二、『岡山の娘』について語る 2

詩について
 
もうひとつ、ぼくのような年代の人間が、若い世代の表現、とくに若い詩人たちの言葉をどう受けとめたらいいかということがありました。
三角みづ紀さんの詩集『カナシヤル』を読んだところで、その詩にぼくがどう接近するかというモティーフが、父親が娘に会いに来るという筋にかさなって、みづきという名前のヒロインが生まれたんです。
ついでに言うと、小川みづきの「小川」は、墓のシーンを小川孝雄プロデューサーの家の墓で撮ることから決まりました。
 
三角みづ紀さんは、大学で映像を学び、自分でも映画を作っている。
詩をぼくの映画に使いたいと言うとすぐに乗ってくれました。
結局、映画に出てくる三角さんの詩は、「ひかりの先」という短い作品と、「あまのがわ」の一部だけになったけれど、オーディションとリハーサルの段階から、彼女の作品をいろんなかたちで使いました。
みづきの、そして『岡山の娘』の、影の部分。矛盾した言い方になるかもしれないけど、そこに三角みづ紀さんの言葉の「光」がさしこんでいる。そうなってくれてるといい。
 
いちばん最初にキャスティングを決めたバルカン役の東井浩太郎さんの詩も出したくて、「このスープは正確に狂っている」という作品を書き下ろしてもらった。
それから、ぼく自身は、去年、機会があるたびに『岡山の娘』につながるモティーフで作品を書いたんですが、そのなかから、みづきが母親奈津子の残した靴をはいて外に出るという「その靴をはいて」と、奈津子が書いた詩として「窓」を使いました。
 
あと、編集作業になってから入れることにしたんだけど、北川透さんとディラン・トマスと鈴木志郎康さんの詩句が、字幕で出てくる。ぼくが学生時代から熱中して読んできた詩人たちです。北川さんは、映画のなかにも登場し、中原中也の詩の一節を読み、作品の核のひとつとなる、とても大事なことを語ってくれています。
 
『急にたどりついてしまう』(1995)のときは、途中から詩を使うことになった。今回は、最初から、ミュージカル作品に歌と踊りがあるように、詩のある映画にしようと思った。映画と詩。なぜこの二つをやるのか。
『急にたどりついてしまう』を作ったあと、この質問に悩まされました。
いまは、悩みません。

19
4月
2008