水滴のひとつひとつが笑っている顔だ 顕信
この句を見ていると、太宰を思い出す。「葉」の最後の部分だ。
生活。
よい仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつっているのさ
どうにか、なる。
顕信の描いた「笑っている顔」は擬人化された水滴の顔なのだろうか。それとも、太宰の様に、映り込んだ自分の顔を見ているのだろうか。
スパークリングワインはたいして冷えてもいないし、外気は冷えまくっているから、ボトルは結露しない。街灯にボトルをかざしてあぶくを観察しようとするけれど、私の顔を映すにはあまりにも小さな泡だ。
乾杯のつもりで句碑にボトルをぶつけて、残りを一気に飲み干した。
初詣に向かう酔客の間から、懐かしい都々逸が聞こえてくる。
渡る京橋中橋小橋
ほんに切ない恋の橋
阿部サダヲ -5-