去りゆく三谷と花粉症

花粉症らしき症状はいつの間にか治まってしまった。ただの風邪だったのかもしれないし、甜茶をバスタブぐらいの量飲んだからそれでかもしれない。新年度である。新しい上司が真ん前に座っていて、三谷がリプレイスしたPCは元気よく動いている。三谷たちが去った後、私の机の周りにいくつか落ちていたものがあった。その一。水色で透明、何かのキャップらしきもの。長さおよそ3センチ、幅およそ8ミリ、厚さおよそ3ミリ。スーパーボールと同じような素材でできていると思われる。その二。およそ1センチ角の黒いゴム状のもの。PC本体、おそらく床に接する部分についていたのだろう。その三。プラスチック製のクリップ。ばね式のクリップではなく、ゼムクリップ状。きれいな黄緑色。PCのデータを入れ替えたりLANケーブルを引きまわしたりする仕事のどこかでこんなビビッドな文房具が必要になってくるのだろうか、それともただの趣味か、あるいはずっと前、私の前にここで働いていた若い女性が落として、PCの下に入り込んでそのままになっていたのか。その四。数字を書いたメモ。ピンク色の大判のふせんにゲルインクのボールペンで「19」。19は私の誕生日だ。土手の桜は七分咲きといったところ。肉の焦げるにおいがただよってくる。三谷、三谷、三谷って呼びかけたけど、三谷はもういい。ごめんね、三谷。私の中で三谷を増やして、見渡す限りの三谷だらけにして、三谷という三谷を飼い馴らして、撫で回して、噛みつかれて、噛みつかせて、涎とか鼻水とかいっぱいぐじゅぐじゅにしたから、もういいんだ。三谷っていう潮はもう引いてくれていいんだ。三谷っていう季節は過ぎてくれていいんだ。三谷っていう書類はシュレッダーにかけてもらってかまわないんだ。ずぶぬれの三谷、ありがとう。傷だらけの三谷、ありがとう。血だらけの三谷、ありがとう。骨が見えてる三谷、なんか引きずってる三谷、真っ黒な三谷、ありがとう。三谷の焼けるのをいっぱい吸い込んで、三谷の散るのを見て、三谷がこけて三谷に叱られる、三谷に溺れる三谷を救助する三谷。大音響で通り過ぎる三谷を掲げた三谷のアジテーションも、もういいよ、三谷。

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