男同士の性愛を描いたらBL?

男同士の性愛を描いたものはBLである。

×か。

BLというものに対する考え方はいろいろあると思うが、腐女子を自認しているひとにアンケートを取ってみたら、八割方は×をつけるのではないだろうか。しかし○と考えるひとがいてもおかしくない。あるいは、いろんな可能性を考えて△をつける。

Wikipediaのボーイズラブの項にはこのように書いてある。

ボーイズラブ(和製英語)とは、日本における男性(少年)同士の同性愛を題材とした小説や漫画などのジャンルのこと。書き手も読み手も主として異性愛女性によって担われている。

つまり細かいことをバッサリ切り落として単純に言えば「女性向けに男性同士の性愛を描いたものがBL」ということになる。
男同士の性愛を描く創作物のジャンルはBLだけではない。
ゲイ当事者向けに描かれる漫画や小説もある。
書店では腐女子にも人気のゲイ作家の作品がBLの棚に並べられることもあるが(例:近所のジュンク堂では田亀源五郎作品がBLコーナーに陳列されている)実際に手に取って絵柄を見比べてみると、両者にはかなり違いがあると感じるはずである。
冒頭で×をつけたひとは「男同士の性愛を描いているからといってBLとは限らない」「男同士の性愛をゲイ当事者向けに描いたものはBLではない」という考えだろう。

BLとして提供されているもの以外をBLとして受容することもある。
いわゆる二次創作では、原作の「敵意」や「友情」を「愛」に読みかえていくような解釈がなされる。
また、個人の妄想の中でこれを行うこともある。
BLという言葉は商業BLから発生したものなので、多少の違和感はあるかもしれないが
「『進撃の巨人』はBLとしか思えない」
「学校で夏目漱石の『こころ』読んだんだけど…これなんてBL…(°言°;)」
というような言い方も成立する。
この考え方でいくと、男同士の性愛が描かれていなくてもわたしの妄想を刺激してくれるならBLと呼ぼう! ということになる。
BL的な匂いがすればわたしにとってBLだし、ゲイ当事者向けの創作物であってもBLとして楽しめるならわたしにとってはBLです。
そう。「わたしにとっては」を入れるならばなんでもBLになり得る。
男同士の性愛を描いたものはBLである。
うん、マル!
古典文学も鉛筆と消しゴムもゲイ漫画もわたしにとってはBL!

この○と考えるひとと×と考えるひとの違いは「ジャンル」を見るか「自分の萌えるツボ」を見るかの違いによる。
だから、「ジャンルとしてはBL漫画とゲイ漫画は違うけど、ジャンルをまたいで両方の雑誌に描く作家さんもいるし、ゲイ漫画の中にもBLとして萌える作品があるし…」などと考え始めると△をつけざるを得なくなってくる。

以上のようなことは、実際に書店に足を運んでBLを購入し(あるいは電子書籍を探し、購入し)読んでみれば感覚的にわかるはずなのだが、BLを読んだことがないひと(特に異性愛者・男性)の中には、短絡的に「男同士の性愛を描いたものはBLである」と考えるひとがいるように感じたので書きました。

ところで、「わたしにとってはBL」という目線が、いまツイッターで小さな盛り上がりを見せ始めた「BL俳句」を考える上で最も重要なことではないかと考えています。ですが、いまわたしは『ジェラールとジャック』を読み返すのに忙しいので、これについてはまたあらためて筆を執ろうと思います。

※Wikipediaの記載について補足
BLの書き手・読み手は飽くまで「主として」異性愛女性というだけで、実際にはバイセクシャル、レズビアン、異性愛者の男性、ゲイ男性、三次元での性愛に興味のないひと、自分の性指向がわからないひと……いろんなひとが存在する。
親しい友人にはバイセクシャルのBL読者がいる。わたしは現状として異性愛女性BL読者(ああ、わたしがマジョリティだなんて!)である。