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続・能村登四郎沼の歩き方

  Radek Pestka

能村登四郎が気になり始めたみなさんにちょっとショックなことを言います。
能村登四郎先生ってね、故人なんです。2001年に90歳で亡くなりました。
つまり新刊が出ません!(イヤァァァァァー!!!)

でも。

新刊は決して供給されませんが、生涯に句集が14冊(!)も出てるので泣かないで。わたし自身全然目を通せてない部分もいっぱいある。見逃してる名句が山ほどあるに違いないので、みんなで大事にdigりましょう。

さて、前回は第3句集『枯野の沖』第5句集『幻山水』を中心に紹介しました。
今回は第8句集『天上華』第9句集『寒九』から紹介していくよ。

1. やっぱり僧が好き『天上華』

能村登四郎といえば僧侶俳句。僧侶が登場しない句集は第2句集の『合掌部落』だけ。(合掌部落にも僧侶俳句あったよ! という場合は教えてください)『天上華』には「美僧」が登場します。

春怨 昭和五十九年
逃げ水に逃げられて逢ふ美僧かな
 逃げ水は春の季語です。春の陽気。逃げ水を追いかけるように歩いていくと当然その逃げ水は消えて、そこに立っていたのはひとりの美僧。「美僧」でも「僧侶」でも音の数は同じなのに、敢えて「美僧」と言いたかったんだね。「杉の花降らす杉山に僧入れば」と並んでほとんどファンタジーの世界。

竹皮を脱ぐや僧衣も脱ぎすてに
 全集で読むと美僧を出したのと同じページにこの句があるんですよね。さっきの美しい魔物のような美僧がバサッと脱ぐとこ想像してしまう。グッジョブとしか言いようがない。発光してそう。

一雁 昭和五十六年
滝行のすみし火照りとすれ違ふ
 この句も僧侶俳句と考えていいかもしれない。滝の冷たい水に打たれた後の身体から「火照り」を感じた。っていうか火照りを感じる距離なのかよ。こういう能村登四郎の前のめりなところが好きだ。

午後からの雪 昭和五十七年
削るほど紅さす板や十二月
 ひええ! 色気がやばい! 鉋ををかけて木の肌を削っていくとだんだん赤みが見えてくる。単に木工の様子を言っているはずなのに艶やか!「紅さす」という言葉は口紅を連想させるし、人の肌が紅潮することも思わせる。「十二月」なんて素知らぬ顔で時候を季語として置いていくさりげなさが憎い。能村登四郎の句には、
身を裂いて咲く朝顔のありにけり『寒九』
散りしぶる牡丹にすこし手を貸しぬ『菊塵』
のように「美には痛みが伴う」とでも言いたげな句がときどきありますよね。滝行の句にもほんのりその空気は感じる。BDSMじゃないですか。

天上華 昭和五十八年
宿敵のゐるはるかへと豆を打つ
 ぜひ「敵手と食ふ血の厚肉と黒葡萄」とセットで読みたい。豆まきの豆を宿敵のことを思って撒くけれど、その宿敵ははるか彼方にいる。もう二度と会わない相手なのかもしれない。すでに近くにはいない宿敵にわざわざ豆を撒く必要ある? 追い払う気あるんだろうか。むしろ気づいてほしいという祈りなんじゃないのか。まるで教室の少し離れた席に向けていたずらで投げる消しゴムみたいだ。無視すんなよ、俺にかまってくれよ、お前と喧嘩できない人生なんてつまんねえよ、と。

仕置場にやや似て寒の水垢離場
 仕置場というのは処刑場のことなんだそうです。水垢離の過酷さを処刑場にたとえている。それってちょっと不謹慎ではないでしょうか。不謹慎なのは妄想がはかどりすぎるわたしでしょうか。BDSMじゃないですか。(2回目)

少年のわれゐて蝌蚪を苛(さいな)める
 蝌蚪(かと)、オタマジャクシのことですね。春の句ですよね。田んぼのわきにしゃがみ込んで棒でオタマジャクシの群れを散らして遊んでるんでしょうね。お日様の下でするちょっぴりうすぐらい遊びです。なぜだろう、そこはかとなく性的なものを感じる。お察しいただきたい。

たらの芽や男の傷は一文字
 男の! 傷って! なんですか!?

2. 『寒九』−−いまさらの「男同士もいいなあ」

昔むかし 昭和六十一年
男同士もいいなあと見て松の花
『寒九』のいちばんの突っ込みポイントは「男同士もいいなあ」です。
いや、知ってるし! ずっと男の美ばかり語ってきたじゃん、あなた!
でも、リアルタイムで作品を追っていたファンは「ふうん?」ぐらいでスルーしたかもしれません。毎月少しずつ読んでいたら、他のいろんな句にまぎれて男同士の熱い句が多いことに気づかなかったんじゃないのか。気づいたとして言いにくかっただろう。

芭蕉わすれ 昭和五十九年
夏果ての男は乳首のみ老いず
 能村登四郎、老いと若さを語りがち。この句では乳首に着目した。いやしかし、これは良さを語りにくい句だよ、即物的すぎて。夏の終わりだから夏痩せもあるのでしょう。枯れたような上半身に、ただ乳首だけは若き日とおなじ佇まいで存在している。ご自身のことをお詠みになったと考えるなら「妖艶」と言ってしまうのは憚られるけれども、故人だからいいですか。ちなみに下半身にフォーカスした句もあります。
今にある朝勃ちあはれ木槿咲く『菊塵』
こんなことも言っちゃう。
夏痩せて身の一筋のものやせず『民話』
えー……。

心づくしの秋 昭和五十九年
鷹の眼をもつ若者とひとつ湯に
 関係性を語れる句はいいな! 鷹のような鋭い眼をした若者。それを見ている自分も湯に浸かっている。二人とも裸で。「鷹」はいちおう冬の季語だけど、比喩として使われているから実在の鷹のことは詠まれていない。実質無季ですよね。だけど「鷹の眼をもつ若者」に生々しい実在感があって読者の脳裏に情景が広がる。語り手が若者を見ているということは、若者もまた語り手である年上の男を見ているわけです。鷹って捕食者ですよね。やだ〜〜〜! 食べられちゃう〜〜〜!

湖の地蔵盆 昭和六十一年
素裸の僧ゐてやはり僧なりし
 僧侶が僧衣を着ていれば当然僧侶に見える。しかし僧衣を脱ぎ捨てて素裸になってもやはり僧侶に見えると言う。これも無季っぽく見えますが「裸」が夏の季語です。素裸であってもそのひとの立ち居振る舞いがどこか僧侶らしいのだろうか。僧侶以外でスキンヘッドにするひとは目つきが極端に鋭かったり彫物があったりするから(※仁義なき戦いシリーズを何度もリピートしているひとの意見です)そこでなんとなくわかるのかもしれない。「裸」という季語を使う人は多いけれども、「裸の僧侶」について言及したのは能村登四郎ぐらいのものではないでしょうか。

はい。
ということで今回は以上です。
先日友人のMさんとメッセージのやりとりをしていてこんなことを言われました。

「能村登四郎の俳句ってBLというよりむしろJUNEなのでは」

そうだ。
ハッとしました。
植物に託されたエロスのむせかえるようなキラキラ点描世界はたしかに “JUNE” だ。男性美や男性同士の関係性が読み取れるとわたしは自動的に “BL” って言ってしまいがちだけど、能天気にラブラブハッピーだったり受がでかくてごつくてオラオラしてたりする “BL” が生まれる以前の空気感が能村登四郎の作品にはある。

それじゃあ、もっと現代の “BL” っぽい俳句を作る作家さんはいないの?

え。
いるじゃん。

少年兵追ひつめられてパンツ脱ぐ 山田耕司

どうですか。
九州男児先生を思わせるこのギャグ漫画っぽさ。
次回、山田耕司さんの俳句を紹介します!!

第3回超人 #タッグマッチ句会 プレイバック

恒例になりつつある古本斑猫軒店主ミコシさんとわたくし石原ユキオの句会プレイバック対談、今回は2019年11月〜12月に開催された第3回超人タッグマッチ句会の俳句を振り返りたいと思います。

タッグマッチ句会とは

「タッグマッチ句会」とは、二人一組で参加する句会です。共作した句を投句し、選句・選評も二人で相談して行います。

兼題は【食べ物しばり】【別に】【加湿器】。2名1組のタッグチームが兼題を含む4句を共作し、代表者がシステム上から投句しました。
句会参加者は特選1句、並選12句をタッグで選ぶというルールですが、我々もだいたい同じくらいの数を選ぼうということで各自特選1句と並選6句を選びました。

(CM)石原の句も掲載されてる『俳句は入門できる』をよろしくおねがいします。

ミコシ(古本斑猫軒)選
【特選】
記憶する水の冥きを鮟鱇が  (クリームソーダ)
【並選】
寒昴アル・アヒージョの海老縮む  (Jサポーターズ)
風花や霊柩車から空撮る子  (Jサポーターズ)
一匙の羊の脳やクリスマス  (ヘル⭐︎コンビ(from Hell))
年の瀬のトングの掴むちくわ天  (モストドンジャラスコンビ)
加湿器に重くなりゆく楮紙  (けむ子とめぇ子)
加湿器にバリスタのつぐ美しき水  (馬鈴薯姉弟)

石原ユキオ選
【特選】
どのポケットに手を入れようか寒鴉  (ヘル⭐︎コンビ(from Hell))
【並選】
小春日のフィレオフィッシュの軽さかな  (ゴールデン💘アローズ)
くらやみにトマト缶ある寒さかな  (ペーパードライヴァーズ)
タッパーのさまざま集い聖夜来る  (閉所と暗所)
雪女遅れます先はじめてて  (ラブ&サンダー)
ふりかけのをはりは粉よクリスマス  (たいやきズ)
湯気立てて職員室は明るい部屋  (ペーパードライヴァーズ)

かっこ内は(久しぶりに見るとぎょっとしますが)チーム名です。並選は選句用紙の番号順に並べました(川柳の句会みたいに評価の高い句から順に並んでいるわけではない)。

八宝湯ぜんざい

不穏なので特選にしました

どのポケットに手を入れようか寒鴉  (ヘル⭐︎コンビ(from Hell))
[ ユキオ特選 ]

ユキオ これ自分がポケットの多い服を着ていて「どのポケットに手を入れようか」と言っているのか、そこらへん歩いてる人の誰かの「どのポケットに手を入れようか」なのかどっちかわからない。他人のポケットに手をいれる話としたら、これって…
ミコシ スリですよね。
ユキオ そう。あるいは、ポケットの中で手をつないだりすることを考えて、適当にそこらへんにいるひとと不適切な関係を結んじゃおっかな的な、そういうのも感じて。
ミコシ すごい。特殊な読み方だな。
ユキオ なんかひととの距離感がいきなり変になる句じゃないですか、後者の読み方をすると。寒鴉という季語ゆえに不穏な読み方を誘ってしまうのだと思います。寒々とした街でスリを働くのかあるいは…
ミコシ そうか。ここは寒鴉じゃなくて何か穏当な季語だったらシンプルに。
ユキオ そう、シンプルに自分のポケットって思っちゃうかもしれない。でも自分のポケットってどれに手を入れようって思いますかね。ズボンかジャケットかぐらいしかない。だからどうしてもこれは他人のポケットを考えてしまいますね。

記憶する水の冥きを鮟鱇が  (クリームソーダ)
[ ミコシ特選 ]

ミコシ 今回の句の中にこういうザ・不穏! ていう句があんまりなかったということもあってこれが際立って見えました。あと、倒置法ですよね。
ユキオ 水の冥きを鮟鱇が、記憶する。
ミコシ 普通に語順を入れ替えて「鮟鱇が水の冥きを記憶する」でも成立する。というか、むしろ文章としてはそっちのほうが正解なんだけど。敢えて倒置法にしたことで鮟鱇の水底の暗いところにいる感じが出たと思います。ここは鮟鱇という文字は一番下に持ってこなきゃだめだ、という妙な納得をさせられました。
ユキオ 「記憶する」で切れて「水の冥きを」で切れて「鮟鱇が」でまた切れる、ぶつ切り感がありますけど、でもまあ鮟鱇ってぶち切られてますしね。
ミコシ 誰かも言ってたかもしれないけど鮟鱇って「吊るし切り」で解体されるんですよね。その感じと言われたらそんな気もする。語順を入れ替えたことにも意味があるように見えてしまう。
ユキオ より凄惨な感じになってるかもしれない。
ミコシ バラバラにされながらも記憶が、意識がまだそこにあるという一種のグロテスクさですね。鮟鱇ってそういうグロテスクなものに似合う言葉な気がするし。

雪女は萌選です

ユキオ 今回「萌選」というシステムは設けてなかったんですけど、自主的に萌選を挙げさせてください。

雪女遅れます先はじめてて  (ラブ&サンダー)
[ ユキオ並選かつ萌選 ]

ミコシ うん、これはシンプルにかわいいですね。
ユキオ なんか「あ~、すみません山田遅れます~」とか「秘書課遅れます~」とか自分の名前や部署名を言う感じで「雪女遅れます」って言ってる。雪女っていう役職の人なのかなとか。
ミコシ どこかで集まって口頭で言ってるのかそれともLINEメッセージみたいなもので言ってるのか。
ユキオ LINEかもしれないですね。
ミコシ このLINE感がどこから出てくるかはちょっとわからないけど。
ユキオ シチュエーションとしては飲み会ですよね。忘年会か何か宴会の前のメッセージ。友達同士というよりお仕事感覚がある気がする。ぬらりひょんの人とかも来ると思うんですよ。
ミコシ うん、来ると思います。
ユキオ そういうかわいい妄想をさせてくれるところがいい。あと雪女の職場での苦労も勝手に考えちゃうんですよ。彼女は季節労働者なので一年中いるわけじゃない。
ミコシ ああ。仕事で遅れるのかなあ。いま繁忙期だから。
ユキオ そう。夏に働くわけにはいかないですからね。
ミコシ 待ってる側もそんな話をしてるんですね。「繁忙期だからねー」って。

悲しみに対する整理のつけ方

風花や霊柩車から空撮る子  (Jサポーターズ)
[ ミコシ並選 ]

ユキオ いかにもありそうな風景ですが。
ミコシ 霊柩車に同乗しているということは亡くなったのは近親者。気軽に写真を撮るっていうのは割と最近の風俗なのでそこでなんとなくこの子の年代や雰囲気が見えてくる。
ユキオ 中学生か高校生ぐらいでお父さんかお母さんが亡くなったっていう。
ミコシ 一種無作法とか不謹慎とはたからは見えることでも、近親者の中ではその無邪気さが救いになることってやっぱりあるわけで。みんなで沈み込んでいれば不謹慎ではないけど救いはない。そこにいっこ穴を開けちゃう存在でもあるし、この子自身としてはこの子なりの悲しみに対する整理のつけ方なのかもしれない。
ユキオ なるほど。
ミコシ 風花っていう、舞いながら空から降りてくるものと、天に帰っていくものという対比もそこにあると思う。風花という季語を活かしながら近親者であるからこその心の機微を描けていると思います。

ダジャレか事故か

寒昴アル・アヒージョの海老縮む  (Jサポーターズ)
[ ミコシ並選 ]

ユキオ すみません、わたし全然調べなかったんですけど、アル・アヒージョって料理の名前なんですか。
ミコシ 海老のアヒージョのことをガンバス・アル・アヒージョというらしいんですよね。どうも「カンスバル」と「ガンバス(=海老)」のダジャレになってるようなんです。なのでこの句はとろうかどうしようかちょっと悩んだんですよね。季語の使い方どうなん? って。で、仮にダジャレではなくて「寒昴アル・アヒージョ」という架空の料理、「星座のオリーブオイル煮込み」だと解釈してみると、けっこう面白くなるんだけど今度は下五の「海老」が分からなくなってしまうし。じゃあ何故この句をとったかというと、「寒昴」という天体が、バル→アル→アヒ→エビと音の連なりを辿って食卓という地上に収斂する星座っぽさを捨ておけなかったというか。
ユキオ んー……やっぱり言葉に変な負荷をかけすぎじゃないですかね。わたしダジャレの時点でとれないな。
ミコシ じゃあ、この句はどうですか。

小春日のフィレオフィッシュの軽さかな  (ゴールデン💘アローズ)
[ ユキオ並選 ]

ユキオ 手に持ったときの物理的な軽さと噛んだときのサクッとカリッとした軽さが出ていると思いました。この変な明るさが好き。
ミコシ 屈託はないですよね。小春日にちょっとつきすぎてるかなとは思うんですが。そこは見逃していいんですか?
ユキオ 小春日、そうねえ。意外性はないですよね、たしかに。
ミコシ 変にひねってくるよりは屈託のなさという意味ではこのくらいでちょうどいいのかな。
ユキオ そういえばフィレオフィッシュってヘルシーそうに見えてカロリーが結構高いんですよね。白身魚とはいえ油で揚げているので。

ちゃんと調べてみるとフィレオフィッシュ(139g) 341kcal。ハンバーガー(104g)256kcalよりは高いものの、マクドナルドのメニューの中ではカロリー低めでした。

ミコシ 魚といえば。この「軽さかな」って「魚」とかかってると思います?
ユキオ ンッ!? え???
ミコシ 考えすぎ?
ユキオ あああああ。そう考えるととれなくなっちゃいますね。ダジャレかあ、と思うと。寒昴アル・アヒージョもダジャレかあと思うと絶対とれないし。
ミコシ わかる。それも気持ちとしてはよくわかる。
ユキオ いや、でもこっちは事故じゃない?
ミコシ うっかりダジャレかな?
ユキオ うっかりダジャレ。笑
ミコシ ところで昔の言葉遊びでこんなのがありまして。

You might think though today’s some fish.

ユキオ ????
ミコシ これ僕の中学校のときのおじいちゃん先生が教えてくれたんですけど「言うまいと思えど今日の寒さかな」って読むんですよ。
ユキオ へっ???
ミコシ You mightは「言うまいと」じゃないですか。thinkと逆接のthoughで「思えど」。today’sで「今日の」。some fishが「寒さかな」。
ユキオ これはひどい! たいしてうまくも面白くもないしなんでわざわざ!
ミコシ そうなんですよ。おじいちゃん先生がいかにも言いそうなことじゃないですか。
ユキオ たしかに!
ミコシ その寒い感じをフィレオフィッシュの句を見て思い出してとれなかったんです。
ユキオ そう言われるとわたしもとれないな。
ミコシ まあでも事故でしょうね。
ユキオ 事故だと思いたいです。

クリスマスとグロテスクさの取り合わせ

一匙の羊の脳やクリスマス  (ヘル⭐︎コンビ(from Hell))
[ ミコシ並選 ]

ミコシ これ逆にユキオさんとらなかったのが意外です。ハンニバルじゃないですか。
ユキオ あれ。ハンニバルってこんなシーンありましたっけ。
ミコシ そのまんまのシーンはないけど。脳を食べるのと『羊たちの沈黙』じゃないですか。一種のグロテスクさというか。羊の脳はハンニバル食べてないんだけど。選評でもハンニバルって書いてる人何人かいて。
ユキオ んー、なんだろう。クリスマスと羊のつきすぎ感でとれなかったのかな。
ミコシ 羊じゃないほうがよかったのかな。
ユキオ でも羊の脳は食べますもんね、実際。
ミコシ クリスマスにグロテスクなものを持ってきたという面白さ。
ユキオ 羊の脳はグロテスクなのかな。うーん。どこで誰が見た景色を誰が書いてるんだろうって考えちゃうと頭で作った感が出すぎちゃうかなっていう気もして。たぶんわたしハンニバルとか好きだからこそちょっとそこらへんには厳しくなっちゃうのかもしれないですね。

もろびとこぞりて

タッパーのさまざま集い聖夜来る  (閉所と暗所)
[ ユキオ並選 ]

ミコシ この句とろうかとるまいか迷ったんですけど。
ユキオ わたしこの「来る」のところに線を引いてるんですけど、「来る」は余計だなって思ったの。タッパーがさまざま集うっていうのは持ち寄りパーティとか、家族連れ子供連れで集まるパーティかもしれないですよね。聖夜のめでたさをいろんなうちから来たいろんな色の蓋のついたいろんな形のタッパーに託して…
ミコシ モノで示したという。
ユキオ そう。そこが面白い。
ミコシ この「集い」からクリスマスの「もろびとこぞりて」的なものを連想するけど、そこまで深読みすると面白くなくなるのかなあ。
ユキオ さまざまなタッパーが「ある」のではなく「集い」と書くことによっていろんなところから人が集まってきたことが伝わりますよね。何かを持ち寄るという行為自体が東方の三博士が贈り物を持ってやってくる姿を想起させます。
ミコシ そうですね。そこの想起させる部分をよしとするかやりすぎと取るかで分かれちゃったんですね。

加湿器と紙シリーズ

ミコシ 加湿器と紙の取り合わせの句がいくつもあったんですよね。

加湿器に重くなりゆく楮紙  (けむ子とめぇ子)
[ミコシ並選]

加湿器にあたる手紙のやわらかさ  (余花)

加湿器や校正指示を付箋紙に  (クイーン&マダムのダイナマイトお茶会)

ユキオ 加湿器で紙が湿るのってあるあるなんですかね。わたしそこまで加湿器と紙をリンクさせて考えたことがなかったんですが。そんな中ミコシさんが選んだのが「加湿器に重くなりゆく楮紙」。
ミコシ この3つでどれかと考えたときに加湿器との距離感のちょうどいい紙を選んじゃったっていうのが僕の理由なんですよね。楮紙って伝統的な和紙じゃないですか。それと加湿器っていう比較的近代的な機械との取り合わせで面白い紙を選んだという。湿気で重くなるというぱっと見ではわからない、見えない部分への洞察も面白かった。湿ってゆく紙を何で表現するかというところで手紙の句は「やわらかさ」で、楮紙の句は「重さ」で表現している。僕は「重さ」のほうがちょっといいなと思ったんです。ユキオさんは「加湿器」の句だと…
ユキオ 最終的には外したんですけど予選では付箋紙の句をとってました。加湿器と紙の関係が「湿る」ではなくて、発想はそこだったかもしれないけれど、完全に切れて全然関係ないものとして取り合わせられてる。単にオフィスかどこかの景を詠んだだけみたいな。

クリスマスの魔法

ふりかけのをはりは粉よクリスマス  (たいやきズ)

ミコシ これはなんで選んだんですか?
ユキオ スノードームをイメージしたんです、読んだときに。
ミコシ へええええ。そうですか。
ユキオ ふりかけって最初から粉だから終わりだけ粉ってわけじゃないんですけど、終わりって本当に細かい粉じゃないですか。それをさらさらさらさらご飯の上にかける様子とスノードームをひっくり返して雪が舞い降りる様子を重ねて幻視したので。
ミコシ なるほど。わりと特殊な読みではありますよね。
ユキオ ふりかけのことを詠んでいるのに雪が見える。季語がクリスマスじゃなければ雪はイメージしなかった。言葉による魔法を見せてくれたという気がします。
ミコシ この句はすごく「は」行と「り」が多いですよね。音読するとowariwaなんですけど字面で見たとき「をはりは」で。
ユキオ あああー! あれだ! ふはふはのふくろふの子のふかれをり現象だ!(ふはふはのふくろふの子のふかれをり/小澤實)
ミコシ そう。だからはらはら感が出るんですよね、ここに。粉雪が降ってる感が。
ユキオ そうかそうか。それもあるかもしれない、たしかに。

会場:無天茶坊(岡山県玉野市)

句やチーム名の間違いがあればお知らせください。

古本斑猫軒

古本斑猫軒
綺想・幻想・怪奇趣味の文学・芸術・人文書籍。民俗、妖怪、博物学、江戸趣味。レトロな暮しの本、手芸などの雑誌や児童書も。