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香水なんて季語は滅べ! | 俳句さんに似合う香水を見つけてあげる(3)

初回第2回はそれぞれ俳句に登場する「桃」「夏みかん」を手掛かりに似合う香水を探しました。
そのあと週刊俳句に出張して太田うさぎさんの「軽薄なふりで夜店に遊びしこと」という句に似合う香水をおすすめしてきました。
今回は「香水」という言葉が登場する俳句さんたちにどの香水が似合うか考えてあげようと思う。

俳句の中に「香水」っていう言葉は、まあまあの頻度で出てきます。
なぜなら「香水」は夏の季語だから。

でも香水好きの方は思うんじゃないだろうか。
夏は纏える香水の種類が限られてしまう。
重めの香りをつけて真夏の電車なんかぜったい乗れないじゃないか。
ちょっと歩き回ったら汗ですぐ流れちゃうし。
秋冬の方が選択肢が広がるしきれいに香らせることができるのに、と。
あるいは、次のようにも考えるだろう。
たった1本の香水でも、温度や湿度が違えば香りの印象が変わってしまう。
だから四季を通じてその香水を試し、さまざまな表情を楽しみたい。
夏だけを特別視するなんて馬鹿げている、と。

改造社の『俳諧歳時記(夏の部)』(昭和22年。たぶん初版は昭和8年)にはこうある。

香水

植物性の香料を酒精にて溶解したる化粧品なり。香料はそれより発散する微量の瓦斯蒸気又は微粒子が人の器官を刺激して快感を与ふるものなり。或ものは濃厚、或は温和、或は強烈、其他種々なる香を感ぜしむ。香料にはローズ・ジヤスミン・ヴアイオレツト・リリーなどあり。その適当なる調合によつて得らるゝ香水は近代人の薫りに対する感覚趣味に適する為め、在来の麝香・匂袋等に代りて用ゐられ、夏季殊に悪臭を消す為めに多く用ゐらる。近年天然香料の成分研究せられ、之が合成の研究進歩するに及び、人造香料の製造を見るに至れり・人造薔薇油の如し。《参照》 掛香

※漢字は新字体に改めました

ほらこれが改造社『俳諧歳時記(夏の部)』の「香水」が載ってるページよ。

そしてこちらは皆吉奏雨『俳句鑑賞歳時記 夏の俳句』(1973年 / 明治書院)での記述。

香水

常時用いられるものでもあるが、汗の臭いなどを消すための身だしなみとして夏の外出などにふりかける。そうしたところからの季題であって、就中夏季に使用されることを基にして公約的に季題となったものであって、人事の季語にはこれに類するものが多い。

なんというか、日本が香水砂漠(諸外国と比べて香水が売れないから流通する数や種類も少ない)なのは、この「におい消しとしての香水」「身だしなみとしての香水」というイメージがまだ滅んでないせいなんじゃないのかな。
義務だとしたら、人間は適当に選ぶだろうよ。それが証拠にサラリーマンのネクタイ選びなんていいかげんなもんじゃないか。(※こだわりを持って選んでらっしゃるごく少数の方ごめんなさい)
香水を夏の身だしなみだとなんとなく刷り込まれてしまったひとが「夏だしなんか匂いつけとこ」「ブランドがお墨付き与えとるから文句ないじゃろ」くらいの意識で真夏に激重オリエンタル系香水を腋の下(ギャー!)にブシュッとしたこともあっただろう。腋臭ミーツ香水、奇跡のマリアージュ。香水分子と手に手を取り合って空中へ飛び立ってゆく悪臭分子。それを鼻粘膜でキャッチしてしまった不運な人々は香水全般を嫌いになってしまったのであった……。
というのはわたしの想像でしかありませんが、そういう側面だってなきにしもアラブ香水アルハラメインじゃない?
(おっと失敬! ついフレグランス駄洒落が出てしまったね!)

不快なにおいはデオドラント製品で消しましょうと先日香水屋さん( LE SILLAGE ル・シヤージュ / 京都 )にもらった説明書に書いてありました。
悪臭を消すために香水をつけるのではなく、悪臭を消したあと香水をつけましょう。

今後、「身だしなみ」じゃなくて「自分が心地よくいられるために身につける香水」という方向に意識改革していくべきですね。
つけたくなければつけなくていいし、どうせつけるなら心地いいものを厳選して、つける場所も季節による香り選びも工夫して。
そうすることがかえって他の人を不快にさせない香水の使い方につながるのではないかと思う。
少し前になりますがイソップのヒュイル(ひのきの香り)がツイッターでバズったのは若い世代が潜在的に心地いいものとしての香水を求めてるからこそでしょう。

だからもう夏の季語としての香水は滅べ。
今後香水を夏の季語とすることはまかりならん。無季じゃ無季!

※こちらが件のバズったツイート。個人的にはヒュイルを試す前にサンタマリアノヴェッラとかラボラトリオオルファティーボとか、いわゆる「香水」のイメージとは違う心地よさのある香水を試していたので言うほどの衝撃はなかった。でも、うん、気持ちはわかる。

というわけでようやく俳句さんたちの登場です。

香水の香ぞ鉄壁をなせりける 中村草田男

とりつくしまのない感じ! 一分の隙もない感じ!
N°5  P / EDP / EDT その他いろいろ | シャネル …香水の代名詞とも言える定番中の定番。お出かけ用の香り。デパート、参観日のお母さん、スナックのママさん。キツイ! というイメージがあって避けてきた。しかしせっかく縁あって香水沼にドボンしたのだから名香と呼ばれるものは試してみなければ。今回はEDTとEDPを試香紙で試してみました。ていうかちょっと待って。パルファン(P) とオードトワレ(EDT)を調香したのがエルネスト・ボーさん(シャネルの初代調香師)で、オードパルファン(EDP)を調香したのはジャック・ポルジュさん(三代目)なのね? そしてN°5シリーズのなかにN°5ローっていう軽めのやつもあるのね? は? ヘアミトもある? 君たちはなぜ物事をそんなに複雑にしたがるのか。
中村草田男の句ですが、鉄壁さんとお呼びしましょうか。「香水キツッ!」と思って相手の懐に入っていけない感じがしたわけですよね。その香りに拒否感を覚えているのは自分なんだけど、全力で拒否されたようにすら感じる。こういうとき人は「●●の花の香りに似た香水」なんて分析はできないと思うので、初めから特定の何かの香りと表現できない(抽象的な香りとして設計された)N°5がしっくりくると思います。いかがでしょうか。あれ? おすすめされたくなかったですか? ああ、逃げていく鉄壁さんの姿が見える……。
まさに抽象的な香りなので形容しがたいのですが、EDTは思ったよりフレッシュで若々しい香り。20代のBA(美容部員 / コスメカウンターのスタッフ)さんの香りという感じがしました。EDPは粉っぽさを強く感じて、おとなっぽい。うん、たしかによく言われるように「お婆ちゃんの鏡台」と言えなくもない。EDTにしてもEDPにしてもわたし自身の考えるの心地よさとは全然違う方向の香り。でもベテランBAさん曰く「お好きな方は安眠効果があるとおっしゃるんですよ」と。そうか。マリリン・モンローはシャネルの5番を寝香水にしたと言いますからな。

香水の香の内側に安眠す 桂信子

そしてこちらはまさに寝香水の句です。いい香りすぎて一瞬でスヤァ…( ˘ω˘ ) してしまうことありますね。目が覚めてもまた枕からいい香りがして再びスヤァ…( ˘ω˘ ) しちゃうよね。もうお布団から出られない。香水の香の外側に出られない。
サイプレスマスク EDP | トバリ …ひのきの香りと匂い袋のような甘さ。能の世阿弥をイメージした香りだそうです。あまりにも心地よいので大きく吸って大きく吐いてを繰り返しているうちに強烈な眠気に襲われました。イソップのヒュイルもそうですが、ひのきの香りってひのき風呂っぽいからリラックスしすぎちゃうんだよね。Byredoのジプシーウオーターみたいなとらえどころのなさも感じる。トバリのディスカバリーセット(全種類が少量ずつ入ってるセット)を買ってじっくり試したい気持ちもあるんだけど、全部大きいボトルでほしくなりそうで怖い。

香水をひとふりくよくよしてをれず 菖蒲あや

つらいこと、悲しいことがあったとき元気付けてくれるようなポジティブな香りですね。
お名前(菖蒲)にちなんでイリス(アイリス)の香水はいかがでしょう。
シルクイリス EDP | パルファンサトリ …上のトバリと同じくこちらも日本製の香水。フランキンセンスが入っているはずなのですがそこまでお香っぽさは感じませんでした。家事や仕事を落ち着いて淡々とこなせそう。

交換しましょ香水とフラフープ 石原ユキオ

アッ! 香水を夏の季語にするのはまかりならんと言いながら過去の自分が夏の季語としての香水俳句を作っていた!
フラフープと交換しそうなのは100mlの豪華なボトルではない。
ファッションブランド系やセレブの名前を冠した香水など大量生産されている商品には100mlボトルのデザインをそのまま縮小したようなミニボトル(5mlくらい)が手に入るものがありますが、ここで言う「香水」はそうしたミニボトルではないでしょうか。あるいは樹脂製の軽いボトルに入ったボディスプレーとかフレグランスミストのような商品かもしれない。
サムライ ウーマン EDT | アラン ドロン …石原本人の20代の愛用香水。桃とサンダルウッドの組み合わせによるものか、なんとなく和風。空き瓶を嗅いでみてやや経年劣化しているものの「若い女の子の香り!」と思った。懐かしさこそあれ、もはや「自分の香り」ではない。現在販売されているものは初代の香りの雰囲気を残しながらリニューアルされたものになります。

<<引用元一覧>>
香水の香ぞ鉄壁をなせりける 中村草田男『新歳時記 夏』平井照敏・編
香水の香の内側に安眠す 桂信子『新歳時記 夏』平井照敏・編
香水をひとふりくよくよしてをれず 菖蒲あや『現代俳句の鑑賞101』長谷川櫂・編


さて、次回からは再び俳句を一句だけ取り上げて長々とあの香水がいいこの香水がいいと語る形式に戻ります。
ついに! ついに!
海外通販デビューするぞー!!!

注:2020年8月10日現在ラッキーセントというアメリカの通信販売サイトに香水サンプルを注文し出荷連絡が来た状態です。初めての海外通販がうまくいくかどうか一緒にドキドキしてください!

酢つぱし | 俳句さんに似合う香水を見つけてあげる(2)

Image by marijana1 from Pixabay

香水を誰かにすすめたい気持ちをこじらせた香水初心者が俳句に似合いそうな香水を探してくる企画の第2回です。
香りの登場する俳句ということで、本日はこちらの俳句さんにぴったりの香水を探しにいきますよ。

夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子

この句って内容的には

夏みかん 酢つぱし / いまさら 純潔など
5 4 / 4 6

と真ん中でズバッと切れてるんですよね。
まるで指に力を込めて果実を二つに割ったようなパワフルさがあります。
こんなふうに真ん中でズバッと切れる句を中間切れと呼んだりしますが、さらに字あまりもしているので、元気に暴れてる感じがする。

「酢つぱし」という表記もすごいですね。普通は「酸つぱし」と書くけど、「酢」という字をあてることで酸味が強調されてる。

この記事を書くにあたり夏みかん実物を取り寄せようとしましたが季節商品のため叶いませんでした(現在7月)。
そうだった。夏みかんは夏と言いながら春の季語なんだった。
夏みかんの収穫期は春です。
そんなわけで夏みかんの味がよくわからないまま「超すっぱいらしい」というぼんやりとしたイメージで突き進ませていただきます。
(来年夏みかんを入手して答え合わせするからね……!)

さて「いまさら純潔など」について。
省略された部分を補うならば、
「いまさら純潔なんて守っていられるか」
だろうか。
俳句の言葉を借りながら2020年に生きるわたしが言うならもう一歩踏み込んで、
「いまさら純潔なんて馬鹿げたこと言うやつまじファ●ク」
と、その「純潔」って価値観そのものを否定するかな。

この句が作られた当時(第二句集『指環』出版は1952年)は終戦後の混乱期。
「純潔」を叩きつけるように否定しなければいけないほど「純潔」が問題になる状況で、かといって「純潔」にこだわっていては死にかねなくて、力づくで奪われる「純潔」もあり、世間が「純潔」と呼んでいるものに面と向かってNOをつきつけるにはハートの強さ、高潔さが必要だったことだろう。

マッド・マックス 怒りのデス・ロードの妻たちのようにこう言いたくなる。

WE ARE NOT THINGS(あたしたちはモノじゃない)

というわけで、やっと香水の登場です。
今回は「夏みかん」にちなんで柑橘類の存在感があり、世間と戦う女性にぴったりの香りをおすすめしたいと思います。

注:本記事ではトップノート・ミドルノート・ベースノートに関してFragranticaを参考にしています。

べらんめえ! – アンセンス・アサクサ EDP –

Encens Asakusa EDP

ブランド:オーケストラパルファム

トップノート:インセンス(=お香)
ミドルノート:アイリス
ベースノート:ムスク

ブランド公式サイトの記述によると、メインノートとしてオリバナムインセンス(教会のお香)、ピンクベリーズ(って何?)、サイプレス(ひのき)、アイリス(日本ぽく言えば菖蒲)、ヴァイオレット(すみれ)、ミルラ(これもお香。ミイラ作るときも使うやつ)、ホワイトムスク(石鹸っぽい)。

「お香(アンセンス) / 浅草」と言われたら、浅草寺の境内に立ち込める線香の煙をイメージするのではないだろうか。
ところがどっこい、その予想は鮮やかに裏切られるんだな。

最初に飛び出してくるのがめちゃくちゃフレッシュな柑橘!

でもほら、上の香料見てもシトラスともレモンともグレープフルーツとも書いてないでしょ。
公式の画像にはピンクペッパーとかホタルブクロの仲間っぽいピンクの花が載ってるから、そこらへんがこの柑橘っぽさを出しているの? それともリストに載ってないだけで実は柑橘が入ってるの? この酸味はどこから来てるの? わからん。香水初心者には難しい。
でも信じて。柑橘(らしきもの)ほんとにいるんだもん。
で、その柑橘(っぽさ)と同時にスパイスも爆発してて、江戸っ子が啖呵を切るような威勢の良さを感じるんだ。
鮮烈なトップノート、酢つぱしさんもきっと気にいるはず。
ミドルノート以降はスパイシーさを残しつつ、アイリスのおしろいっぽさとムスクの石鹸ぽさで凪いでいく。
一貫して線香の煙の匂いではないんだけど、お香といえばお香。火をつける前の線香や粉末の塗香に似てるかも。

オーケストラパルファムは楽器からインスピレーションを受けた調香師が香水を作り、それをミュージシャンが音として解釈して演奏するという、コンテンポラリーアート的手法を取っているブランド。
YouTubeチャンネルから各香水のために制作された曲やミュージシャンのインタビューが試聴できるようになっており、この香水の場合は日本の琴奏者日原史絵氏が演奏を寄せています
たしかにトップノートの謎の柑橘爆発は琴の高音のキーン! とした感じに近いかもしれない。

シャワーのように浴びたい柑橘 – 4711 アクアコロニア –

4711 アクアコロニア
ピンクペッパー & グレープフルーツ

ブランド:4711

ノート:ピンクペッパー、グレープフルーツ ※時間経過による変化なし

ドンキで投げ売りされていたらすぐにお迎えするべきオーデコロン。
(わたしが買ったときは50mlが500円になっていました。)

アクアコロニアシリーズは絶世の美女になった気がしたり、戦闘力が高まったりするタイプの香水ではない。
そのかわり、肩こりや筋肉痛に塗る軟膏のように、気持ちをほぐしてリフレッシュさせてくれるものです。

酢つぱしさん、あなた世間に対して怒りを持っているはずだ。
その怒りにまかせてスプレーを押しまくってほしい。
そしてこのオーデコロンを全身に浴びてくれ。
酢つぱい! 酢つぱきもちいい!
ヒュー!
よし、ついでに冷えたビール飲んじゃお。
それからマイクロビーズ入りのソファに倒れ込んでネットフリックスで海外ドラマとか見るといいよ。

4711アクアコロニア、名前の通りオーデコロンなので、持続性も拡散性もありません。(香料の濃度で言うとパルファン>オーデパルファン>オードトワレ>オーデコロン)
同じシリーズのブラッドオレンジ & バジルは香りがもうすこし強め。でも甘すぎないオレンジ。どちらも愛用中です。
最初はいちばん小さいサイズを試して、気に入ったら大瓶を取り寄せるといいよ。
(なおこの系統が好きでもうちょっと贅沢に自分をもてなしたい方はゲランのアクアアレゴリアシリーズから何かお迎えすると幸せになれると思います。)

不潔ですが何か? – ダーティ レモン EDP –

DIRTY LEMON EDP
ブランド:ヘレティック・パルファム

トップノート:レモン、ベルガモット、ライム、シトラスリーフ
ミドルノート:ジュニパー、ブラックペッパー、イランイラン
ベースノート:パチュリ、オーストラリアンサンダルウッド
ブランド公式サイトに示されているメインノートはレモン、イランイラン、ブラックペッパー

ごめん、実はこれ試してない。
ムエット(試香紙)すら嗅いでないんだ。
でもコンセプトと広告ビジュアルがおもしろいからブラインドレコメンドしちゃう。
(香水沼界隈では香水を試さずにいきなり購入することを “ブラインド買い” “blind buy” と呼びます。)

ダーティレモンは「純潔」とかそういう次元じゃない、セックスがあっけらかんと受け入れられる世界の商品だ。
こちらの画像をごらんください。


Artist: Tony Futura | Instagram

乳房に見立てられたレモン。
片方の「乳首」に飾られたボディピアス。
明るくてエロティックでユーモラスなこのイメージは Tony Futura というベルリンに拠点を置くアーティストによるもの。
アメリカ(ヘレティックはアメリカのブランドです。)に比べたら日本はそうでもないとはいえ、セックスは昔ほど後ろ暗くないんだよね。
したいときにしたい相手とセックスすることも望まないセックスを拒否することも女性の(人間の)当然の権利だ。
それを認めさせるための戦いはいまもまだ続いているけど、少なくとも1952年から言えばいくらかましになってるとわたしは思う。だから、こう言うと失礼かもしれないけど、酢つぱしさんの作者、鈴木しづ子さんの俳句は現代の基準から言えばたいして大胆でもスキャンダラスでもないんだ。

裸か身や股の血脈あをく引き
情慾や乱雲とみにかたち変へ
娼婦またよきか熟れたる柿食(た)うぶ
コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ
遊郭へ此の道つづく月の照り

鈴木しづ子『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』(2009)より引用

師・松村巨湫の跋文なども含めて鈴木しづ子の句集を読むと、当時の基準でのスキャンダラスな演出(あえて物議を醸しそうな句を積極的に採用したような選句、ストーリーの成り立つような構成)を狙った形跡と、役割を演じる痛みを受け取らずにはいられない。搾取だよなーとか他人の人生の消費だよなーとか感じてしまって無邪気には楽しめない。

夏みかん酢つぱしいまさら純潔など

「純潔」っていう言葉は古臭い。
現代ではセックスした経験がないことを「純潔」って呼んで特別視しなくてもいいの。
セックスしたことで汚れるわけじゃない。
レイプもセックスワークもあなたを汚しはしない。
セックスしたくなければしなくていい。しない権利がある。
処女をほしがる奴は女を人間として見ていない。

酢つぱしさんは自分の古風なところについてどう思いますか。
個人的には、世の中が前に進んで自分が古びて見えるのは自分の手柄だと思うようにしてるよ。
微力ながらわたしがじたばた抵抗した成果がいくらか出たのだと。
だから酢つぱしさんもそう思うといいんじゃないだろうか。(いや、わたしなんかに言われなくてもあなたのほうがよっぽど影響力大きいけどさ。)
あと、このブランドのビジュアルのセンス自体も一昔前のSMカルチャーのパロディみたいな雰囲気を感じるから、ひょっとしたらいまの10代20代が見たら古臭いと思うのかもしれない。

結論

今回はどれが一番おすすめというより用途別です。
戦いに際して景気付けに2〜3プッシュいってほしいのはアンセンス・アサクサ。
風呂上がりに今日も生存お疲れ様〜! と5プッシュ〜10プッシュいっときたいのは4711アクアコロニア。
ダーティレモンは世の中かわったなぁ、というのを感じてもらえるかと思って。

自分を大切にして、パワーを回復して、それからまた世間に回し蹴りをくらわしましょう!

その他これから試したい柑橘系の香り

ユー オア サムワン ライク ユー | エタ リーブル ド オランジェ …こちらはフランスのブランドだけど、ヘレティックパルファムに近いヴァイブスを感じる。
グレープフルーツコロン | ジョー マローン ロンドン …試香紙で試した感じだとローズマリーが効いていてアロマティック。薬草っぽい癒しの柑橘。今度は肌に乗せたい。
レプリカ EDT アンダー ザ レモンツリー | メゾン マルジェラ フレグランス …特定の場所・特定の時刻の情景をイメージして香りを構成したレプリカオードトワレコレクションのうちの1本。シリーズの中では「レイジーサンデーモーニング」が人気らしい。10mlボトルがあるらしいじゃないですか。ほほう……。

<おまけ>
鈴木しづ子についての情報はKAWADE道の手帖の『鈴木しづ子』という本にざっくりまとまっているのですが、鈴木しづ子は「娼婦」だったという説に関して、その説を否定する立場で批評している文章もセックスワーカーへの差別意識にまみれたものが多く、ぶっちゃけ見るに堪えない。
救いをもたらしているのは雨宮処凛さんの文章なので気になる人はそこから読んで「あ、無理っぽいな」と思ったら放り出すのがいいと思う。わたしは全部読むのは諦めました。

#野性俳壇 第39回 | 野性時代2020年8月号

野性俳壇、兼題「泳ぎ」の回。
長嶋有さんの佳作に選ばれていました。

カルキくさいゆびからもらうフエラムネ 石原ユキオ

以下、他の方の入選句の感想。

<長嶋有特選>

手紙入りクリアファイルと夏の雲 友常甘酢

メールやSMSでなんでも済むので紙の手紙(おっとレトロニムだ。)を詠むと嘘っぽくなりがちだが、クリアファイルに入れたことにより急に実在感が増す。
というか、実際にこれをやることがありますね、わたし。
手紙が来て、その返事を書いた便箋と白紙の封筒と元の手紙を全部クリアファイルに入れて出かけ、出かけた先で住所を書き写して郵便局から出す。クリアファイルには相手の手紙だけが残っている。

背泳ぎの今か今かと天の罰 公木正

友人がこの句を読んだ瞬間笑った。「背泳ぎ、なんか(上から)来そうじゃん」と。
うん、ちょっとわかる。

泳ぎと予感「しかない」荒涼たる海だ。

との長嶋さんの評が良い。
俳句ってモノで書けと言われがちだけど、この句はモノのなさによって景が浮かぶ。水と空と自分だけの景が。

<夏井いつき特選>

夜行性の水を叩いて泳ぎゆく 仁和田永

「夜行性の水」がポエティックなんだけどかっこつけすぎにならないギリギリのバランスでかっこよくきまっている。
夜のプール。たぶん屋内の。「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る(能村登四郎)」のような孤独を感じる。

<長嶋有佳作>

大恋愛じゃない恋愛半ズボン 中島潤也

そんなこと言うなよ。すべての恋愛は大恋愛なんじゃないの。照れ隠しで言ってるだろ。ちがうの?
半ズボンはおとなも穿くけど青春性があっていいですね。

アイスコーヒーのはっきりしない飲み終り 徳山雅記

わーかーるー! 明らかにもう味しなくても氷が解けてきたらまた飲んじゃう。

<夏井いつき佳作>

水泳や日陰に匂ひ立つギブス 木江

骨折して水泳の授業見学してるんだね。いまの自分の感覚では水に入れない生徒がプールサイドで見学しなきゃいけない合理的な理由がわからない。図書室なり保健室なりで涼しく勉強していてはだめだったのか。
ついつい思い出し怒りしてしまったがわたしは骨折したことがありません。
ギブスを「匂い立つ」と言ったのがすごいよね。メントールの匂いがしてきそう。ほいでちょっと色っぽいぞ。
余談だけどギブスと書くかギプスと書くかいつも迷いませんか。

黒々とプールサイドに尻の跡 徳山雅記

また徳山さん!
8の字にプールサイドに尻の跡がついてるのかわいいですよね。
どんな美男美女もどんな偉いひともプールサイドでは水を含んだスタンプなのよ。
人類かわいいな。

夜の桃 | 俳句さんに似合う香水を見つけてあげる(1)

桃ジュースを売るジューススタンド

桃ジュースの美味しい季節です。

香水にちょっとはまってしまった。
知識は少ないがひとに香水をすすめたい。
誰かがわたしの好きな香りを身につけてくれたら嬉しい。
だがたいていの香水ラヴァーはわたしより知識が豊富なので、わたしからすすめられる機会は少ない。

大丈夫。
わたしには俳句があるから。

俳句さんに似合う香水を勝手にすすめてあげようと思う。

まずは香るものが登場する俳句からいってみよう。
記念すべき第1回の俳句さんはこちら。

中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼

季語は「桃」。秋の句です。
中年という人生の一時期と、夜の闇のむこう側に遠く実っているが気配としてはありありと感じられる桃の存在。
西東三鬼その人のいかにもダンディな写真や小説『神戸』『続神戸』のイメージが重なるから、中年男の胸をふとよぎった恋の気配(あるいはもっと生々しい欲望の比喩としての “恋” )、みたいに読んでしまう。
「恋は遠い日の花火ではない」というサントリーの古いコマーシャルがあるが、長塚京三が若い女性の部下に「課長の背中見るの好きなんです」と言われる、あんな感じではないだろうか。

そう、この「遠く」は「遠くだと思っておかなければいけない」「近づいて触れてはいけない」「でもぜったいおいしいだろ」「いやだめだめだめ」「あー」みたいな内心のジタバタ感をぐっと凝縮した「遠く」でしょ。もっと下世話な言い方をしてしまうと、若い子とセックスしたいけどエロオヤジだと思われたくないからすごく「夜の桃」なんて上品な (?) 比喩を考えたけどかえってエロオヤジっぽさが滲み出てしまってダサいパターンだ。いやだがそこがリアル。「みのれる」「夜の桃」とか音もマ行ナ行ラ行のヌルヌル感がいやらしいじゃないですか。桃に触れてないけど、脳内でもう何度も剥いてるでしょ!!!

どんどんでぃどん、しゅびらでん、おでーえーえーえーおー♪

むしろ俺がエロオヤジだ。

さて。
「ピーチ」とか「ネクタリン」とか書いてあったら桃の香りであろう、ということでいくつか量り売りで取り寄せてみました。

注:トップ・ミドル・ベースに関してはFragranticaを参考にしました。

昼の桃 – ネクタリン ブロッサム & ハニー –

Nectarine Blossom & Honey Cologne

ブランド:ジョー マローン ロンドン

トップノート:グリーンノート、ブラックカラント、プチグレイン(カシス)
ミドルノート:ネクタリン、ブラックローカスト(アカシアハニー)
ベースノート:ベチバー、ピーチ、プラム(ピーチ
カッコ内はFragranticaではなく公式ウェブサイト上での記載内容。

コロンなのでたっぷりめに(両腕+お腹)つけてみました。
生の桃ではないですね、これは。
桃を含むフルーツ、それからシトラスやグリーンの人工的なフレッシュさ。
デオドラントスプレーっぽい。中学生・高校生がつけていても違和感なさそう。
夜というよりは昼間の香り。
桃というと女性のイメージが強いと思うけど、敢えてメンズファッションと合わせるとおしゃれかもしれない。
かっちりしたスーツだとさすがにちょっと違う気がするので、くすみピンクのTシャツとハーフパンツ、足元はスポサンでコロンはネクタリンってどうですか。
いや、コーディネートの話ではなかった。
夜の桃の句にぴったりの香水を見つけてあげたいのだ。
これはあまりにも昼っぽいので却下です。
わたしの趣味とはちょっと違うけどデオドラントスプレーやシャンプーの桃の香りが好きで常にまとっていたい & ちょっとおとなな雰囲気にアップデートしたいひとにはおすすめできる。

仏壇に供えられた桃 – ミツコEDP –

MITSOUKO EAU DE PARFUM
(日本のサイトにミツコEDPがなかったからリンク先はUKよ! 2020年名香が日本から大量撤退と話題のゲランさん…)

ブランド:ゲラン

トップノート:シトラス、ジャスミン、ベルガモット、ローズ
ミドルノート:ライラック、ピーチ、ジャスミン、イランイラン、ローズ
ベースノート:スパイス、アンバー、シナモン、ベチバー、オークモス

ゲラン帝国より名香ミツコ様(EDP)をお招きしました。
調べるまで桃のイメージなかったけど、Fragranticaを見ると案外桃の画像が大きく出てる。
が、トップではどこかに桃がいる気がまったくしない。
お香っぽいスパイシーなオープニングに、ジャスミンかな? 中国の土産物屋かな? アッ、白檀扇子で扇がれた(白檀は入っていないはず……)? などと思いながらしばらく(30分? 1時間?)待つと徐々に甘みが現れ桃とシナモンが前面に出てきました。こっくりした完熟の桃。いいね。いい桃だね!
移り変わってゆく香りが美しいので、「ミツコは桃の香りです!」とは言えないのだけど、夜の桃の句のイメージにはかなり近い。
お香っぽいスパイスの香りって、もっと言えば線香の匂い。沈香とか、ちょっと塩辛い感じの。だからそこが「中年」ぽくもある。親戚や知人の死。逃避としてではなく現実的に意識し始める自分の死。だからこそ生命力の塊のような桃を対置したくなるのでしょうね。遠く離れた夜の闇の向こうに見いだすのは過去の自分の若さなのかもしれないね。ごめんな、エロオヤジ扱いして。
ただし、

おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼

やっぱりこういう句を作るひとなんで、いっぺんハリセンでしばいておきたいですね、西東三鬼。

いちおう桃 – サムサラEDP –

SAMSARA EAU DE PARFUM
(今度はリンク先日本よ)

ブランド:ゲラン

トップノート:グリーンノート、ピーチ、イランイラン、ベルガモット、レモン
ミドルノート:アイリス、ヴァイオレット、オリスルート、ジャスミン、ローズ、水仙
ベースノート:アイリス、サンダルウッド、トンカビーン、アンバー、ムスク、ヴァニラ

ミツコを試したならサムサラも試してみなければ、と思って試しけり。
結論としては桃っぽさはあまりなかったです。
高級なおしろいっぽいパウダリーから始まり、何か強い花(イランイランとジャスミンかな?)がジャジャーンと来る。
そしてレモンを絞った手で白檀扇子を持ってあおがれます。
どちらかというと重めの香りのはずなのに、なぜかすっごい夏を感じる。
ああこれは。
夏の天満屋6階、冷房のきいた葦川(いせん)会館ですね。岡山に住んだひとにしかわからない比喩だが。
要するにデパートの催し物フロアに美術展を見に来た夏着物のご婦人っぽい。
ミツコのラストがスパイシーなのに対し、サムサラのラストはぐっと甘くなるのが意外でした。

結論

中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼

この句におすすめしたい香水はひとまず現時点ではミツコEDPです。ひとにすすめるのではなく俳句にすすめてあげているだけとはいえ、P(パルファン)もEDT(オードトワレ)バージョンもあるものをEDP(オーデパルファン)だけ試して判断するのは申し訳なさを感じないでもない。
これを書いているのは新型コロナウイルスの第二波とGoToキャンペーンが重なるという最悪の時期で、もしそうでなければ関西まで出かけてあちこちの香水売場でいろいろ試したかった。状況がよくなってあれこれ試せたら追記するね。たとえ誰も待っていなくてもな!

買ってきた桃

桃の香りって実物はどんなのだっけ……? と思って購入した白桃250円。そのうしろはつるむらさき100円。

その他気になっている桃の香り

1969 | イストワール・ドゥ・パルファン …チョコレートと桃らしい。
Tian Di | フラッサイ …「天地」の中国読みの名前をつけられたアルゼンチン生まれの香水。
ピーチ | 武蔵野ワークス …悩むような値段ではないのでサクッと買えばいいんだぞ。

2021年7月10日追記:サムサラのEDTかEDPを購入しようかと思って店舗に足を運んだり小分けを取り寄せたりして試してみたのですが、鼻が鍛えられたのか体調の問題なのか最近サムサラに桃のフルーティな甘さを感じます。一年で結構嗜好が変わったかもしれない。なんかねえ、だんだんパウダリーさ(化粧品っぽい粉っぽさ)がよく思えてきたんだよね……。サムサラたっぷりめにつけて同世代のひとに会ったら参観日臭って言われそう。そうそう。フラッサイのTian Diも試しました。パワフルにややビターに香る桃です。黄桃、生よりはやや缶詰寄りの感じ。前日の夜お腹につけて翌日軽作業をしていたら香りが爆発的な勢いで戻ってきたのでかなり持続力があります。

『俳句と雑文 B』を(やくざ映画として)読む −ディレクターズエディション−

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瀬戸正洋『俳句と雑文 B』における俳句の世界は、やくざ映画の世界観に極めて近い。

【暴力の匂い】

拳銃を撃つや春月落つこちさう

サンダルと人とプールに浮びけり

句集の左右のページに隣り合って並んでいる二句である。拳銃を撃つ。銃声が空高く響く(消音器つけなくてよかったのかな)。空には春の月。目の前のプールには撃たれた人間とサンダルが浮かんでいる。そんなシーンが見えてくる。前者が春の句、後者が夏の句なのは気にしなくていいだろう。サンダルもプールも一年中あるのだ。

冷素麺口中切れてゐたりけり

草いきれ顔殴られてしまひけり

こちらは同じページに並べられた二句。「顔を殴られて口の中が切れてしまった」という物語が浮かび上がってくる。夏草の生い茂った土手で殴り合う男たち。草を踏みしだけば、むせるほど濃いにおいが鼻腔を冒す。ゴロのあとの冷素麺は、できるだけ傷にしみないようにつゆをほとんどつけずに啜るのだろう。

荒梅雨の私ひとりが濡れにけり

土居組組長、土居清の殺害を命じられた広能昌三(菅原文太)が、土砂降りのなか土居が現れるのを待つ。雪駄履きの素足が泥水に濡れる。足元に何本も吸い殻が落ちていることで長時間待っていたことがわかる。『仁義なき戦い』第一作の名場面である。

大綿や繋がれたるもの飛び跳ねて

大綿とは綿虫のこと。繋がれているのは犬だろうか。いや、人間だ。これはリンチの様子なのだ。目前に迫る死からなんとか逃れようともがく人間のまわりを、まるで命の儚さの比喩であるかのように綿虫が飛んでいる。凄惨な場面に感傷的で繊細な音楽を流すような演出は、深作欣二ではなく北野武のスタイルだろう。

ばらばらな人間ばらばらな西日

ばらばらなのは人と人の気持ち。ばらばらな西日とはブラインド越しに差してくる縞々の西日のこと。そう読めばいいのかもしれない。しかし、これはやくざ映画である。ばらばらになっているのは文字通り……

家庭用高圧洗浄機日短

高圧洗浄機で洗い流すのは当然、床の血痕だ。

【エンコ詰め】

やくざ映画といえば、組員が指詰めによって落とし前をつける場面は欠かせない。

油照左手爆発してをりぬ

蒸し暑い夏の日に詰めた左の小指。爆発したように飛び散った血。拍動のたびに痛む左手。『BROTHER』にこんな場面がある。モー(ロンバルド・ボイヤー)が「(小指を)切ったらどうなる」とたずねる。寺島進演じる加藤はこう答える。
“He can’t swim straight anymore.”(まっすぐ泳げないね)
瀬戸正洋はこう答える。

短日の右手が重くなりにけり

【組員の日常】

新涼のもぬけの殻の事務所かな

事務所には代紋の入った提灯や額などが飾られているに違いない。季語が「新涼」なので、九月頃。秋祭りで的屋の仕事が忙しく、組員は出払っているのだ。

仕事始めのプライベートの名刺かな

『竜二』の主人公花城竜二は、堅気風の名刺と極道仕様の名刺の二種類を持っている。それらはどちらも仕事のために用意した名刺である。やくざにとってのプライベートの名刺とはどんなものだろう。見てみたい。

ボクサーが蜜豆食うてゐたりけり

ボクシングの興行も組の重要な資金源だ。「おい、おめえ蜜豆なんか食ってていいのか」「さっき体重測定パスしたんスよ」「おうそうか、しっかり力つけていい試合しろよ」
テーブルに千円札を置いて肩で風を切りながら甘味処を出ていくパンチパーマの男。誰も指摘できないが、口髭に生クリームがついている。

【懲役】

雌伏十余年寒桜愛でにけり

組のために罪を被ってくれと頼まれ、懲役十余年。刑務所に植えられた寒桜に重ね合わせるのは愛しい女の面影か、兄貴の背中の桜吹雪か。

復活祭徒党を組んでゐたりけり

「復活祭」はイースターのことだが、懲役を勤め上げて娑婆に出た喜びに「復活」という言葉がふさわしい。組の仲間が何人も刑務所の出入り口の前まで迎えにきて、煙草を差し出し、火をつけ、労いの言葉をかけてくれる。「徒党を組む」とは軽い自虐だ。親分はイエス様、などとうそぶいて組を抜けていったかつての仲間に軽い皮肉を言っているのかもしれない。

【女たち】

烏貝嚙み難く妻は怖ろしく

おそろしいくらいでなければやくざものの女房は務まらない。噛みにくいながらも噛めばじわりと旨味の染み出てくる烏貝によって、苦楽を共にしてきた妻への信頼感が表現されている。

春の闇自宅へ帰るための酒

ときには妻の顔を見たくない夜もある。一杯ひっかけてほろ酔いで自宅へ向かう。

肌寒の思はず噓を付きにけり

ちからいつぱい頬叩かれて秋深し

これも二句の並びが鮮烈である。「あんた、またあの女のところに行ってたね」「いや、サブのとこだよ」「サブちゃんならさっき煙草屋の前で会ったわよ、馬鹿!」パシーン!
「秋深し」という叙情たっぷりの季語からは余韻が感じられ、叩かれた痛みをがいつまでも消えずに残っているような印象を受ける。

香水は厄除婦人警察官

男性の多い職場に女性が入れば「女のくせに生意気な」と言われるが、ことさらに「女らしく」振舞うことによって「わたしは弱い女性であり、あなた方男性の領域を侵犯するつもりはありません」というメッセージを発することができる。化粧は、スカートは、香水はまさに厄除なのだ。働く女性の処世術である。
しかし昭和なやくざがそこまで考えるだろうか。「うえっ! このねえちゃん香水付けすぎだな!」という気持ちをちょっぴり粋に言ってみたのだろう。

【ダメ。ゼッタイ。】

にんげんの顔がいつぱい瓜畑

出目金は生きるべきかを尋ねけり

扇風機左右に動く胃痛かな

薬物は人間の心身を蝕む。

夏負けの酒も薬も止めにけり

うん、うん。やめたほうがいいですよ。

この他、ガサ入れ、政界との癒着、密輸、彫物など、やくざ映画の定番モチーフを描いた(ように読める)句は枚挙にいとまがない。お疑いの向きはこぶしのきいた演歌を流しながらもう一度この句集を読み返してみてほしい。昔気質の極道の照れたような笑顔が、行間に見え隠れしているはずだ。

この文章は月刊俳句同人誌『里』二〇一四年三月号に掲載された「『俳句と雑文B』を(やくざ映画として)読む」に文字数の関係からカットしていた部分を加えたものです。

天使かよ! 山田耕司『不純』は非常によいBLだからぜひ読んでみてほしい

※BLが好きでなおかつ俳句にもちょっと興味がある方向けの記事です。俳句が好きでBLにもちょっと興味がある方にもお楽しみいただけるかと思います。能村登四郎沼の歩き方続・能村登四郎沼の歩き方も併せてどうぞ。

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友人Mによると最近の石油王は受が主流(注1)なのだそうです。

向日葵よ目隠しは本当に要らないんだな  山田耕司『不純』

これはMさんが石油王受に認定した句です。
尋ねられている方が石油王ということですね。ほほう…。

目隠しをするシチュエーションとしてわたしが最初に思い浮かべるのは処刑ですが、「本当に」なんて念を押して質問している(=コミュニケーションが成立している)ことで緊迫感は弱まりどことなく間の抜けた性愛の場面のようにも思えます。
よしんば、
「目隠しなんかいるか。さっさと殺せ」
「おいおい。お前はそうやっていつも俺の親切心を踏みにじるんだ。せっかく用意してやったのに。本当にいらないんだな?」
という処刑の場面だったとしても、いや……むしろ完全にBLですね。(注2)

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能村登四郎を耽美的な翳りを帯びたJUNEとするならば、山田耕司さんの俳句はBL的な明るさとユーモアに溢れています。ちょっと極端な例を比べてみますが、

夏痩せて少年のゐる樹下を過ぐ  能村登四郎
鷹の眼をもつ若者とひとつ湯に

といった感じで年嵩の男から若者を眩しく見がち(ベニスに死すか!)な能村登四郎に対して、山田耕司は、

春それは麦わらを挿す穴ではない  山田耕司
つむじ嗅ぐ理由など知らず卒業期
泣く人に海鼠を見せてをりました
みつ豆の叱る側だけ泣きながら

こんなふうに同年代の男の子ふたり(年齢の近い先輩後輩?)のじゃれあいっぽい句が目立ちます。
もうちょっと引用するからとりあえず読んでみて。(以下引用はすべて山田耕司『不純』より)

濡らさるるこの奥ゆきをところてん
名月や背をなぞりゆく人の鼻
重陽の嗅ぎつくしてもなほ二人
乳首など要らぬといふを鳥わたる
耳咬むに至らず会釈春隣
妙な声出すまで春の泥うがつ

どうだ。
読んでるこっちが妙な声出ちゃうだろう。

とくに「ところてん」は直截的すぎてどう受け止めていいかわからない。(注3)

もうこれだけで『不純』が男×男として読むことで輝きを増す句が多い句集っぽいぞ! というのは十分にお察しいただけるかと思いますが、『不純』の面白い点は「そもそもこのひとたちは人間なのか」という疑問がわいてくるところです。わたしは男同士が好きだから男同士だと思って読んでるけど、性別以前の問題として、ヒトだと思っていいんだっけ、という。
というのも、まるで自分の肉体を珍しがるような句がたくさんあって、

たんぽぽに穴ある顔を寄する吹く
顔に穴があるのは当たり前では……?

鼻のあなに舌はとどかずヒヤシンス
試した。うん。それ試したよ子供の頃。

いきんでも羽根は出ぬなり潮干狩
それは試したことないな。むしろなぜ出ると思った?

河童忌を吐かずにゐられなくて息
吸って吸って吸って止めてたん?

囀りやくちびるもまた穴のふち
いろんな穴にいろんなふちがあるよね!

眼の球はぬれつつ裸ふきのたう
なぜそんな純真な目で下ネタに寄せるんだ。

豆の花おのが耳穴は覗けず
ってかお前、穴が好きだな。

つちふるやたて線上のここは臍
お外ではお臍しまってもらっていいかな?

座布団は全裸に狭しほととぎす
着て!

突っ込みを入れながら読んでしまいますが、この(ヒトの肉体を珍しがるような一言)+(季語)の組み合わせ、めちゃくちゃぐっときませんか。おかしなことを言っているというのに、季語との組み合わせが絶妙でピュアな透明感ときらめきが溢れてしまう

自分の肉体を不思議がるのは人間の肉体を得てから日が浅いひとの感覚ではないかと思います。子供とか、天使をやめて人間になったとか。そういう意味では推しが人間界に暮らすことになった天使や悪魔という方や、モノや概念(鉄道・武器・国 etc…)の擬人化ジャンルを愛する方ならなおさら楽しめる句集かもしれない。(注4)

山田耕司句集『不純』が気になったら、ぜひ週刊俳句の下記の回を読んでみてください。

第594号 2018年9月9日
佐藤文香プロデュース
特集 山田耕司句集『不純』を読む

版元のサイトはこちら

(注1)その後調べたところ石油王受のサンプル数が少なかったため石油王受が主流とまでは言い切れないとの訂正が入りました。「私の好みというバイアスがかかっていましたことをここにお詫びします」友人M談。
(注2)当方光属性のため、このあとの展開は「クソッ。サプライズが台無しだ」と言いながら目隠しを床に投げつけてポケットから指輪を出したところで処刑されかかった方のひとに「ふざけんな」って蹴り飛ばされるといいと思います。
(注3)竿に触らずに菊門の刺激だけで腎水が出ちゃう方のところてんを想像せずにはいられない! と識者の間では有名。
(注4)俳句の本を読むとき、「イメソン」的なものとして「イメ俳」を探すと楽しいです。

続・能村登四郎沼の歩き方

  Radek Pestka

能村登四郎が気になり始めたみなさんにちょっとショックなことを言います。
能村登四郎先生ってね、故人なんです。2001年に90歳で亡くなりました。
つまり新刊が出ません!(イヤァァァァァー!!!)

でも。

新刊は決して供給されませんが、生涯に句集が14冊(!)も出てるので泣かないで。わたし自身全然目を通せてない部分もいっぱいある。見逃してる名句が山ほどあるに違いないので、みんなで大事にdigりましょう。

さて、前回は第3句集『枯野の沖』第5句集『幻山水』を中心に紹介しました。
今回は第8句集『天上華』第9句集『寒九』から紹介していくよ。

1. やっぱり僧が好き『天上華』

能村登四郎といえば僧侶俳句。僧侶が登場しない句集は第2句集の『合掌部落』だけ。(合掌部落にも僧侶俳句あったよ! という場合は教えてください)『天上華』には「美僧」が登場します。

春怨 昭和五十九年
逃げ水に逃げられて逢ふ美僧かな
 逃げ水は春の季語です。春の陽気。逃げ水を追いかけるように歩いていくと当然その逃げ水は消えて、そこに立っていたのはひとりの美僧。「美僧」でも「僧侶」でも音の数は同じなのに、敢えて「美僧」と言いたかったんだね。「杉の花降らす杉山に僧入れば」と並んでほとんどファンタジーの世界。

竹皮を脱ぐや僧衣も脱ぎすてに
 全集で読むと美僧を出したのと同じページにこの句があるんですよね。さっきの美しい魔物のような美僧がバサッと脱ぐとこ想像してしまう。グッジョブとしか言いようがない。発光してそう。

一雁 昭和五十六年
滝行のすみし火照りとすれ違ふ
 この句も僧侶俳句と考えていいかもしれない。滝の冷たい水に打たれた後の身体から「火照り」を感じた。っていうか火照りを感じる距離なのかよ。こういう能村登四郎の前のめりなところが好きだ。

午後からの雪 昭和五十七年
削るほど紅さす板や十二月
 ひええ! 色気がやばい! 鉋ををかけて木の肌を削っていくとだんだん赤みが見えてくる。単に木工の様子を言っているはずなのに艶やか!「紅さす」という言葉は口紅を連想させるし、人の肌が紅潮することも思わせる。「十二月」なんて素知らぬ顔で時候を季語として置いていくさりげなさが憎い。能村登四郎の句には、
身を裂いて咲く朝顔のありにけり『寒九』
散りしぶる牡丹にすこし手を貸しぬ『菊塵』
のように「美には痛みが伴う」とでも言いたげな句がときどきありますよね。滝行の句にもほんのりその空気は感じる。BDSMじゃないですか。

天上華 昭和五十八年
宿敵のゐるはるかへと豆を打つ
 ぜひ「敵手と食ふ血の厚肉と黒葡萄」とセットで読みたい。豆まきの豆を宿敵のことを思って撒くけれど、その宿敵ははるか彼方にいる。もう二度と会わない相手なのかもしれない。すでに近くにはいない宿敵にわざわざ豆を撒く必要ある? 追い払う気あるんだろうか。むしろ気づいてほしいという祈りなんじゃないのか。まるで教室の少し離れた席に向けていたずらで投げる消しゴムみたいだ。無視すんなよ、俺にかまってくれよ、お前と喧嘩できない人生なんてつまんねえよ、と。

仕置場にやや似て寒の水垢離場
 仕置場というのは処刑場のことなんだそうです。水垢離の過酷さを処刑場にたとえている。それってちょっと不謹慎ではないでしょうか。不謹慎なのは妄想がはかどりすぎるわたしでしょうか。BDSMじゃないですか。(2回目)

少年のわれゐて蝌蚪を苛(さいな)める
 蝌蚪(かと)、オタマジャクシのことですね。春の句ですよね。田んぼのわきにしゃがみ込んで棒でオタマジャクシの群れを散らして遊んでるんでしょうね。お日様の下でするちょっぴりうすぐらい遊びです。なぜだろう、そこはかとなく性的なものを感じる。お察しいただきたい。

たらの芽や男の傷は一文字
 男の! 傷って! なんですか!?

2. 『寒九』−−いまさらの「男同士もいいなあ」

昔むかし 昭和六十一年
男同士もいいなあと見て松の花
『寒九』のいちばんの突っ込みポイントは「男同士もいいなあ」です。
いや、知ってるし! ずっと男の美ばかり語ってきたじゃん、あなた!
でも、リアルタイムで作品を追っていたファンは「ふうん?」ぐらいでスルーしたかもしれません。毎月少しずつ読んでいたら、他のいろんな句にまぎれて男同士の熱い句が多いことに気づかなかったんじゃないのか。気づいたとして言いにくかっただろう。

芭蕉わすれ 昭和五十九年
夏果ての男は乳首のみ老いず
 能村登四郎、老いと若さを語りがち。この句では乳首に着目した。いやしかし、これは良さを語りにくい句だよ、即物的すぎて。夏の終わりだから夏痩せもあるのでしょう。枯れたような上半身に、ただ乳首だけは若き日とおなじ佇まいで存在している。ご自身のことをお詠みになったと考えるなら「妖艶」と言ってしまうのは憚られるけれども、故人だからいいですか。ちなみに下半身にフォーカスした句もあります。
今にある朝勃ちあはれ木槿咲く『菊塵』
こんなことも言っちゃう。
夏痩せて身の一筋のものやせず『民話』
えー……。

心づくしの秋 昭和五十九年
鷹の眼をもつ若者とひとつ湯に
 関係性を語れる句はいいな! 鷹のような鋭い眼をした若者。それを見ている自分も湯に浸かっている。二人とも裸で。「鷹」はいちおう冬の季語だけど、比喩として使われているから実在の鷹のことは詠まれていない。実質無季ですよね。だけど「鷹の眼をもつ若者」に生々しい実在感があって読者の脳裏に情景が広がる。語り手が若者を見ているということは、若者もまた語り手である年上の男を見ているわけです。鷹って捕食者ですよね。やだ〜〜〜! 食べられちゃう〜〜〜!

湖の地蔵盆 昭和六十一年
素裸の僧ゐてやはり僧なりし
 僧侶が僧衣を着ていれば当然僧侶に見える。しかし僧衣を脱ぎ捨てて素裸になってもやはり僧侶に見えると言う。これも無季っぽく見えますが「裸」が夏の季語です。素裸であってもそのひとの立ち居振る舞いがどこか僧侶らしいのだろうか。僧侶以外でスキンヘッドにするひとは目つきが極端に鋭かったり彫物があったりするから(※仁義なき戦いシリーズを何度もリピートしているひとの意見です)そこでなんとなくわかるのかもしれない。「裸」という季語を使う人は多いけれども、「裸の僧侶」について言及したのは能村登四郎ぐらいのものではないでしょうか。

はい。
ということで今回は以上です。
先日友人のMさんとメッセージのやりとりをしていてこんなことを言われました。

「能村登四郎の俳句ってBLというよりむしろJUNEなのでは」

そうだ。
ハッとしました。
植物に託されたエロスのむせかえるようなキラキラ点描世界はたしかに “JUNE” だ。男性美や男性同士の関係性が読み取れるとわたしは自動的に “BL” って言ってしまいがちだけど、能天気にラブラブハッピーだったり受がでかくてごつくてオラオラしてたりする “BL” が生まれる以前の空気感が能村登四郎の作品にはある。

それじゃあ、もっと現代の “BL” っぽい俳句を作る作家さんはいないの?

え。
いるじゃん。

少年兵追ひつめられてパンツ脱ぐ 山田耕司

どうですか。
九州男児先生を思わせるこのギャグ漫画っぽさ。
次回、山田耕司さんの俳句を紹介します!!

能村登四郎沼の歩き方

能村登四郎読本

能村登四郎が訪れた金陵山西大寺(岡山市)で撮影しました。

この記事は「俳人能村登四郎は男×男的な意味でたいへん熱い作家だと聞いている」「能村登四郎のライフワークは男性美の追求だったんですよね?」「美僧! 美僧!」というような方向で能村登四郎が気になり始めたひとに向けて書いています。

さて、能村登四郎を読みたいと思ったとき、図書館に行って『能村登四郎全句集』もしくは『能村登四郎読本』を書庫の奥から引っ張り出してもらうことになるのではないでしょうか。全集は完全に鈍器だし、読本にしたって読むところがいっぱいあってどこから手をつけていいかわかんない。ご安心ください。能村登四郎の魅力がぎゅっと凝縮したおすすめの箇所を紹介します。

1. まずは第3句集『枯野の沖』を読もう

悲母変 昭和三十四年
麦刈りの少年の腋毛おどろかす
 三島由紀夫的な!? とツッコミを入れてしまったなら既にあなたは能村登四郎沼の民です。おめでとうございます。

同温 昭和三十六年 – 三十七年
夏痩せて少年のゐる樹下を過ぐ
 完全に夏に負けている老いた自分と涼しげな木陰にいる少年の若さの対比。
シャワー浴ぶ若き火照りの身をもがき
 シャワーを浴びる仕草ってもがいているように見えるかもしれない。それを「若き火照りの身をもがき」と表現してしまう。これも「若くない自分」が「若者」を見ている句と考えていいと思う。水滴を弾くギリシャ彫刻のような肉体を想像させてくれます。
敵手と食ふ血の厚肉と黒葡萄
 ライバル同士で! 血の滴るステーキと黒葡萄を! 食べているんですね! それもまたひとつの闘いのように! 肉と葡萄という組み合わせの地中海っぽさ。やっぱり何かギリシャを感じる。ちなみに能村登四郎が実際にギリシャを訪れるのは昭和42年です。
青年なまめく乾草ぎつしり納め来て
蓼あかし売るときちよつと豚拭かれ
 乾草の句と豚の句はぜひセットで読んでほしい。豚農家の話ではないのだが「ゴッズ・オウン・カントリー」というボーイ・ミーツ・ボーイな映画を観てほしい。汗臭さ+獣臭さ+若さのきらめき。

露一粒 昭和四十一年
冷されし馬なりすれちがひざま匂ふ
 濡れた何かとすれ違うときににおいを感じる俳句というのは、能村登四郎全句集の中でときどき遭遇するのですが、これは馬。「冷し馬すれちがひざま匂ひけり」とか書けば定型に収まるだろうに、敢えての破調。強い意図を感じませんか。字余りによって馬の長さが強調され、馬の頭から首筋、胴体、尻、尻尾…とずっと凝視したまま見送ったのではないかという印象。たてがみからしっぽまで馬の匂いを肺深く吸い込んでいる。
冷し馬濡れ毛のなりに拭ひやり
「濡れ毛のなりに」がちょっとわかりにくいけど、濡れた毛の流れにそって拭ってやっている様子なのだろうか。馬というモチーフはどうしても性的な連想を誘う。
露が露を散らす朝の髭荒剃り
 ひとつの葉から露が落ちて、下にある葉の露を散らす秋の朝。まるでアフターシェーブローションのコマーシャルのよう。

ながれ鳰 昭和四十一年
楤の芽をわかきけもののごとく嗅ぐ
 俳句ではよく主語が省略される。ゆえに妄想の余地がたっぷりと確保されている。楤の芽をてのひらに包んで荒々しく嗅いだ若くもない俺、なのか、あるいは「お前はまるで若いけもののように嗅ぐんだな」なのか。後者がいいな。
夜ざくらに屋を掩はれて眠り得ず
 一瞬「夜ざくらに攫われて」に空目して「何それ懐かしい!」と思いましたが屋を掩(おお)われてたのね。家の中からは桜は見えないはずなのに外に桜があるから眠れないと言う。なんと繊細な、なんと耽美な。実質攫われているも同然だと思う。
笑つてすぐ涙にじむよ鳥曇
 えっ。かわいい。

藁のねむり 昭和四十三年
中山法華経寺に荒行僧をたづねて
しづかな熱気寒行後の僧匂ふ
 はい。濡れてにおうシリーズです。いままさに寒行を終えた僧侶の熱気。身に張り付く白装束。寒行は冬ですが似たようなモチーフの夏の句では「滝行のすみし火照りとすれ違ふ」が第8句集『天上華』に入っています。

悪霊 昭和四十三年
若木ばかりの林がかもす朝曇
 グーテンモルゲン。僕たちのギムナジウムへようこそ。昭和の少女漫画を感じる。
起きてすぐ手触れしものに夏の露
 初めて読んだとき「誤読よな?」と思って10回ぐらい繰り返し読み直しましたがやはり朝のペニスを美しく表現したとしか思えない。一万歩譲ってペニスでないとしたら「キャンプの朝かな?」「野宿してみたのかな?」と思えなくもないがやはり無理がある。夏の朝の森林とベッドルームを頭の中で二重写しにしてむせかえるような青臭さを感じてください。
あたらしき水着の痒さ海まで駈く
 真新しい水着はきつくてぴっちりして痒い。その痒さを振り切るように砂浜を走って海へ。若さが弾けている。っていうか「痒さ」だけでいかにその水着がきつく肉体に密着しているか表現できているのがすごくないですか。水着の種類まで限定されている。絶対にサーファーパンツではない。ブーメランしかありえない。
潮焼にねむれず炎えて男の眼
 日焼けの痛みをこんなに艶かしく言うなんていけない子だな。日焼けだけが原因ではないと白状してるみたいじゃないか。

2. 第5句集『幻山水』もやばいぞ

自然を詠んでいるように見せかけてるけど…これ…もしかして男同士の愛なのでは……?
という句が多い句集です。
よく訓練された読者に向けて「みなさま、おわかりですね?」と差し出される優雅なほのめかしを楽しみましょう。

木晩 昭和四十七年
鬼羊歯の毛深き崖の多聞天
臼杵石仏(摩崖仏)を詠んだ四句のうちの四句目。毛深いのは鬼羊歯なのだが、筋骨隆隆たる多聞天(毘沙門天)に胸毛が生えているところを想像してしまう。

遠野の春 昭和四十八年
ザイルの露乾き男の匂ひせり
 これも一種の濡れてにおうシリーズと考えていいだろうか。乾いて(乾きかけで?)におうやつです。登山をしないのでよく知らないのですが、ザイル(登山用ロープ)ってにおいがつくような材質なんでしょうか。バックパックに入れていたら持ち主の体臭がついたり煙草のにおいがついたりするのかな。においに対して受け身になるのではなく積極的に嗅いでいく姿勢が感じられる。
葉月潮男の欲のうねりもて
充つるときむしろ声なき葉月潮
 二句セットで読んでください。「充つるときむしろ声なき」で意味的には切れているも同然。「充つる」の本当の主語は「葉月潮」じゃなくて「お前って」だろ。「お前って最初はあんあん騒ぐのに気持ちよくなりすぎると逆に静かになるよな」「し…しらねえよ!」「何恥ずかしがってんだよ」「うるせー」。

うらみ葛の葉 昭和四十九年
血をすこし薄めんと出づ夜の朧
 こういう抑制の効いた色気もすごくいい。
杉の花降らす杉山に僧入れば
 能村登四郎は僧侶に神秘性を託すことがままあるのですが、この句は僧侶と山の間で何かが通じ合っていそう。山の精霊が美僧を山に閉じ込めてしまいそう。
濃厚に渇きをそそる八重ざくら
 華やかな八重桜を見て喉が渇くというのは甘いもの食べ過ぎて喉が渇く感じなんでしょうか。なんとなくヴァンパイアみがある。
月ありて若さを洗ふ冬の僧
「洗ふ」は「月光を浴びる」の比喩なのか、月光の下で水垢離をしているのか、それとも洗濯をしているのか。洗濯だとしたら褌であるはずだ。俺にはわかる、わかるよ、としろう!!
大き手に恍惚と餅伸されゐる
 つきたての餅が餅取り粉を敷いた容器に移される。粉だらけにした手で撫でられながらその重みのままにののーんと伸びてゆく。その伸ばされてゆく餅に「恍惚」を見出している。擬人化というよりもむしろ餅と同化しているかのような。「大き手」はごつごつとした男の手と読んで餅の質感との対比を楽しみたい。

余談ですが「裸詣り」や「裸押し」という言葉を畳み掛ける「西大寺会陽」連作15句が収録されているのも『幻山水』。正直、西大寺会陽という祭りを知らないと特に面白くはないと思うのですが、祭りの歴史の中でここまで大喜びして筆を走らせたひとはいなかったんじゃないかという興奮ぶりが伝わるかと思います。

※以上、引用句はすべて『能村登四郎全句集』(二〇一〇年九月/ふらんす堂)より

3. 『能村登四郎読本』で散文を読むなら「欧州紀行」か「雁渡し」

『能村登四郎読本』には俳句だけではなく随筆や紀行文が入っています。
「欧州紀行」シリーズは能村登四郎が教育事情の視察のために団体で欧州10カ国を巡った際の思い出が書かれています。「おう、視察言いながらなんで闘牛みとんじゃワレ?」と詰め寄りたくなったりしますが(いやわかるよ、視察にも休日はあるよね、文化に触れるのも大事だよね)当時の日本人てこうだったんだ、というのが随所にうかがえてなかなかおもしろい。アテネ国立考古学博物館のポセイドン像をめっちゃほめてるところも良い。としろう’s ベストギリシャ彫刻はポセイドンです。

随筆なら「雁渡し」。時間がないひとは騙されたと思って「雁渡し」だけでも読んで。
ちょっとだけ引用します。

今でも時々思い出すふしぎな思いがある。それは少年の日にふと抱いた初恋に似た思いで、とうに消えてよい筈のものが三十年近い歳月を縷々と消えず生きつづいた。
その人は中学上級の時、一年だけ受持になったKという国語教師であった。

能村登四郎は中学校の恩師K先生に憧れて自らも教師になりました。
文句なしの名随筆ですが、手放しにキュンとする、といってしまっていいのかわからない。今よりもずっと難しい時代だったろう。注意深く言葉を選んで書かれているようにも感じる。
個人的には、能村登四郎本人がかつて男性に恋のような気持ちを持ったことと俳句作品が男性美に溢れていることはできるだけ分けて考えるよう心がけています。
(と言いながら一連の流れの中で紹介してごめん……)

石川美南「休休通信(1)」より

命令も指令も届かないような五月の猛暑に手足くるまれ  川谷ふじの

だれが振る鈴だれが書く墨の文字「命令の令、指令の令ね」  石川美南

「休休(やすみやすみ)通信」は “誰かと交互に短歌を作り、八首できたらはがきに刷って配るというシンプルな企画” (通信より引用)。今回はしりとりのように相手の短歌から要素を拾って次の歌に繋ぐスタイル。これはもしかしたらゲストによっては全然違う作り方になったりするんだろうか。

歌集『猫は踏まずに』

猫は踏まずに

白菜を白菜がもつ水で煮るいささかむごいレシピを習ふ 本多真弓『猫は踏まずに』

花山多佳子さんが栞で次のように書いている。

蒸し野菜はみな「もつ水で煮る」のだが誰も「むごい」なんて思わない。でも「白菜を白菜がもつ水で煮る」と言われてしまうと俄然、むごく感じられる。

そうなんですよ。つい、「獣の革を獣の脳の脂肪分でなめす(※平山夢明から得た知識)」とか「サボテンの針を抜いてサボテンに刺す(※臨死!!江古田ちゃんのお姉ちゃん)」とか思い出してしまうんですよね。

たぶん、これを「むごい」と感じられるのは、主体が同じ目に遭っているからだ。

引用した歌は実家への帰省がモチーフの「おののののろ」の一首だが、歌集の流れのなかで読むと、白菜のもつ水分で白菜がこげつくこともなく都合よく煮られるように、会社勤務の女性が会社の一員として、あるいは「長女」として、社会の期待に合わせて自らを抑圧して生きざるを得ない、そしてそれは自ら望んだことのように仕向けられているんだよねえええええええええうおおおおおおしんどいよおおおおおおおおおおおお!!!!!!

ということを考えてしまって、うううううう……。よくぞ書いてくださいました。

会社勤めをしたことのあるひと(主に事務系の女性)は頷きすぎて首が何個ももげる歌集だと思います。

背をむけてきみは翼をしまひこむ(ひにんするのはひとだけだつて)

という最高にすてきな「事後」とか、

リア充が爆死してゐるかたはらを手もあはせずに通りすぎたり

というユーモアとか、あとバレンタインBL短歌も入ってますよ!

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