日記」カテゴリーアーカイブ

完全に自慢だがLOOPY!の服を見てくれ

ショッパー持ってご満悦

台湾のゆるゆる雑貨ブランドLOOPY!鹿皮のスエットを買ったので見てください。

口下手でも上手にケンカを売れるスエットなのです

象の顔のところがマジックテープでバリッと剥がせるようになっております。
中国語ではケンカを始めるときに「てめえの面の皮剥がしやがれ」みたいな言い方をするらしく、この象さんをバリッとすることにより!なんと!口下手なわたしも!簡単にケンカが始められる便利なスエットなんですよ!!!

LOOPY!のGAGAさん&LUCKYさん、今度大阪にいらっしゃるみたい〜。
大阪のみなさん会いに行ってみてね〜!

駅前留学生活

ひと月ほど前から、常に英語がきこえてくる職場で働いている。
面接では「日常会話程度ならなんとかなります」と言ったし必ずしも嘘ではないが正直失敗した感が強い。

ある日の朝礼で新しい外国人スタッフが紹介され(英語で)、よーし、それではみんな自己紹介をしよう、と上司が言った(英語で)。
順番が回ってきたのでゆりやんレトリィバァをイメージしつつイントロディースマイセルフしたが、通じているかはいまひとつわからなかった。いや、こういうのは通じているかどうかではない。挨拶をすることに意味があるのだ。それでその場が和やかになるのだ。どうせ相手も全員の名前をすぐには覚えられない。単なる儀式だ。

基本的に雰囲気の良い職場なのだが、雰囲気が良いだけに「日常会話」が本当にある。
まわりのひとが雑談するペースについていけない。
もともと他人の言葉をさえぎってまで話す性格ではないので会話に加わるタイミングがない。
上司の冗談には、わかる範囲で笑う。
(わたしの理解が間違っていなければ「羊羹をよう噛んで食べる」という駄洒落を英語で説明していたようだった。)

今日は、夏からこちらに赴任してくる予定の外国人上司にメールを書いた。
初めての英文メールである。
本文を英語の得意な(年下の)先輩に添削してもらい、件名もいい感じにつけて送信した。

あとで送信済みボックスを見たら “About the meeeting” と書いてあった。

(脳内で再生されるGReeeeN。)

日本にいるのに、日本に帰りたい。

初夢2018

夫の個展会場を下見する。小さな雑居ビルの一室。会期の後半は会場がすぐ隣の建物に移るため、個展のDMに忘れず書いておかなければ。東京の駅でいちばん好きなのはどこだろうと考える。

分厚いステーキが売り物のファミリーレストランに入る。この店は持ち合わせが少ないときは労働することで食事の対価を払うことができるのだ。よいシステムのようだが年配の客が多く誰も皆どことなく不幸せに見える。わたしはこの店に通ってはいけない、深みにはまってはいけない

工事中の車線に黄色く塗られたブルドッグが何匹も繋がれており、車が侵入すると激しく吠える。

*   *   *

 

不二貿易 座れるぬいぐるみ ブルドッグ 耐荷重:80kg 34485

10/28(土)イチョウ並木の本まつりに出店したよ

瀬戸内ブッククルーズ「イチョウ並木の本まつり」に参加しました。

瀬戸正洋『俳句と雑文B』
佐藤文香『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』
『BL俳句誌 庫内灯 2』『guca紙(ぐーかし)』など、
俳句の本をすこしだけ持っていったところ……

まさかの完売!!!!

本当にありがとうございました。
(そして、ほしいのに買えなかった方ごめんなさい)

ガラスに何か貼ってあるのは……

「店主のオススメ本Z」というトークのコーナーで紹介した瀬戸正洋『俳句と雑文B』に入っている俳句です。ちなみにこの本はわたしから買うか、版元から著者に連絡してもらうか、直接著者本人に連絡する以外手にいれる方法がありません。

もっと俳句の本を流通させなければ! という思いを強くした一日でした。

坂出・高松

青春18きっぷの旅。
坂出で讃岐醤油画資料館と、四谷シモン人形館・淡翁荘を見た後、高松の半空へ。
第二回半空文学賞に応募してみました。
応募原稿(A4ペラ1枚)には名前は書いておりません。
もし半空に行くことがあったら、どれがわたしの作か推理してみてね。

ところで醤油画資料館、受付の方が懇切丁寧に「これは小沢剛先生という現代美術の作家さんが実在の作品をモデルにして製作した架空の美術史でして……」と説明してくれたのは、やはり何も知らずに見に来て怒っちゃうひともいるからなんでしょうな……。

2017初夢コレクション

千利休と秀吉とその家臣の若者が黄金の茶室の中でコカインをたのしんでいる。
「HIPHOPシーンを徳川の思うようにさせてはならぬ」


朗読バトルに出場するための衣装を探す。パンツが見える丈のミニスカートがよい。


牛窓チェーンソー


太いゲル状の構造物が円筒形にそそり立っている。
筋骨隆隆たる男がつるはしを持って工事を行っているがゲルをかき混ぜるだけで実際どれほど工事になっているのかわからない。つややかで美しい上腕二頭筋。


一緒に帰ろうと後輩を誘うが断られ、またねーと手を振って先に生物教室を出る。
バレー部が練習場所にしている第一体育館はバックヤードが複雑な滑り台になっており選手の体力作りに役立っているようだ。通り慣れないそこを通って昇降口へ向かう。スカートがスポンジのカスだらけだ。


校庭でトム・ヒドルストンが決闘をしている。女生徒たちがその様子を教室の窓から見守っている。


蔭山周監督と混浴


宿直室に年配の男性と若い女性がいて、男性のほうがタールのように黒い液体をコップに注ぐ。
アメリカではみんな普通に飲みますよと言うその口ぶりで軽々しく手を出してはならないものだとわかる。
丁寧に断るものの、土産として持たされたクッキーの中にもそれが混ぜられており結局口に入ってしまう。


ミラーボール乱れ廻るや年新た

打越マトリクス

バレンタインデー前後にTwitter上で佐藤文香考案「打越マトリクス」が(ごくごく局地的に)流行したのでこちらにも記録しておきます。

打越マトリクスまとめ https://togetter.com/li/1081579
打越マトリクス交換 https://togetter.com/li/1081596実駒さんによるまとめ)


以下は打越マトリクスの詳しいやり方が載っている『俳句を遊べ!』ほか佐藤さんの著書(の一部)。
(ここからお買い上げいただくと石原の私腹がすこしだけ肥えます。飴ちゃん1個分ぐらい。)



メルカトル図法とメンブレン式

 

金氏徹平のメルカトル・メンブレン

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
会期:2016年7月17日(日)-11月6日(日) *会期中無休

金氏徹平のメルカトル・メンブレン
金氏徹平のメルカトル・メンブレン
金氏徹平のメルカトル・メンブレン
金氏徹平のメルカトル・メンブレン

鼎談 金氏徹平×長嶋有×福永信「超訳!金氏徹平アワー」に行ってきました。
展覧会タイトルは金氏さんの依頼を受けて長嶋有さんが考えたもの。
現行のタイトルに決まるまでの紆余曲折をメールやSMSの画面を見せながら解説してくれるの面白かった。
長嶋有さんは結構強気に交渉するタイプなんだ! という驚き。

わかる・わからないのはなし

手打うどんつづみ「天ぷらぶっかけ」
 
かなり頻繁に美術館に通って現代アートを見慣れていると思しきひとが「現代アートはパッと見よくわからないことが多い」とSNSに書いていた。「けど、今回はアーティストトークが聞けたのでいろいろ納得した」という内容に続くのだが、そうなのですか。ほんとうにそうなのですか。と、問いつめたい。
 
専門的な美術教育を受けたことのないわたしの場合、「楽しい」「きれい」「面白い」「地味」「派手」「おいしそう」みたいなことが「パッと見」の印象だ。「わかる」とか「わからない」はほとんど意識に上らない。他人から「なぜこの画家はこんな描き方をしたと思いますか?」などと聞かれてはじめて「わかりません」が来るだろう。「わかる」「わからない」に関して鈍すぎるのかもしれない。ひとりっこのマイペースさがここにも出てしまっているのであろうか。そういえば幼いころ、遊びのルールがわかったのかわからないのかわからないまま加わって空気を悪くしていたことがあった。わかるわからないを気にすることも大事だったのだ。ごめんよ、もうきっと会うことのないおさななじみたち。
 
しかし「現代アートはパッと見よくわからないことが多い」と書いた方も、実は「現代アートは難しい」「現代アートはわかりにくい」という常套句のほうに引っ張られて本当は感じていないことを書いてしまったのではないかなぁ、という気もするのですよ。楽しく美術館通いしてるんだったらご本人の意識としては「わかる」「わからない」は二の次じゃないのかな。だからきっと「作品を鑑賞する際の糸口をアーティストに示してもらうと自分だけでは気づき得なかった部分で理解が深まる」というような感覚の方がより実態に近いのではないかと勝手に思ってしまうのです。
 
写真は猪熊弦一郎現代美術館の近くの手打うどん。

質問が難しい

 

インタビューが苦手だ。
聞かれるほうじゃなくて、聞くほう。
guca時代、わたしが聞き手となってある作家さんに取材する企画が持ち上がったのだが、どうしてもできないと言って断ったことがある。
 
なぜできないかというと、聞きたいことがないからです。
 
「訴えたいことがないんです」とは鳥肌実のネタだが、どんなに好きな作家さんであっても、とくに聞きたいことはない。
作品を楽しむ。気に入った部分を何度も読み返したりサイドストーリーを妄想したり、それはそれはおおいに楽しむ。雑誌に作家さんのインタビュー記事があれば、それも楽しく読む。しかし、自分から何か聞きたいことを思いつくかというと、まったく思いつかない。
 
個人的に聞きたいことがなくても、読者が知りたいであろうことを推測し読者をレペゼンして質問することは、理論上は可能である。ギャラの発生する仕事ならそうするだろう。でもそうやって乗り気になれないインタビュー記事をまとめたとして、面白い記事になるとは思えない。商業誌ならその種の面白くなさが許されるとしても、同人誌は前のめりな情熱がすべてだ。お金にもならないことをものすごい熱量をかけてやっているからこそ、ああどうかこいつらが赤字になりませんようにとお金を出してもらえるのである。
 
考えてみればインタビューだけではなく、初対面の相手と会話すること自体が苦手だ。天気の話くらいならできるが、そこから先に行くのが難しい。誰かと誰かが会話しているところを隣であいづちを打ちながら聞いているのならやぶさかでないのだが。
 
わたしの脳の中で「質問する」という機能を司るはずの部分が何か全然別の機能を担っているのではないか。たとえば他人よりすこし秀でている機能、早食いとか、似顔絵を描くとか、虫を素手でつかむとか。
 
こんど同人誌でインタビュアーをやらないかと持ちかけられたら、わたしが家の近所で集めた虫を持ち込んでどれなら素手で触れるかみんなで試す企画を提案しようと思う。