発表☆第1回ビバ!ユキオ俳句賞(3/7)

VR部門どうぶつ部門が終わり、今回はホラー部門・小太郎部門を2つまとめて発表したいと思います。

【ホラー部門】

★グランシアター賞

しかばねの息のくさゝよ霾ぐもり   西明石
耕せるなづきを土にこぼしつゝ   西明石

ビバ!ユキオ俳句賞は連作単位で読むことは想定していなかったのですが、連作として考えてくれたんだな〜という人が数人いらっしゃいました。西明石さんもそのひとり。
どう考えてもゾンビ連作なのです。5句まとめて紹介するか迷いましたが2句だけ選びました。他の句もゾンビの魅力をとてもよく捉えているのでいつか連作としてご自身のメディアで発表していただけたら嬉しいな! ゾンビ句集やゾンビ俳句ZINEのような形になったら自分用と布教用と2冊購入希望です。
一句目。普通の死体は呼吸をしませんが、ゾンビは(酸素を取り入れて二酸化炭素を排出しているとは限らないものの)呼吸に近い動きをしているのかもしれない。ゾンビは襲い掛かる際に唸り声を上げることが多いので空気が声帯を通っていることは間違いない。あるいは、腐敗により体内で発生したガスが口や鼻から出てくることを息と捉えているのかもしれない。
語り手はそれをどういう距離感で感じているのでしょうか。切羽詰まった状況というよりはどことなく余裕が感じられるので、ある程度の安全を確保した状態で歩く死体たちが通り過ぎるのを待っているところなのかもしれません。ゾンビ発生初期ではなく、ゾンビがいることが日常になった世界なんだと思う。
黄砂で空が曇る「霾ぐもり」はゾンビ映画の宣伝用のビジュアルに登場するような、ゾンビアポカリプスにぴったりの空模様のように思えてきます。
二句目。ゾンビには「生前の動作を繰り返す」という設定がしばしば与えられます。たとえば『ウォーム・ボディーズ』の冒頭、空港のシーンでは、ゾンビが金属探知機を振ったり、握りしめたモップを緩慢に動かしたりする。『ランド・オブ・ザ・デッド』には楽隊のゾンビたちが各々の楽器を持った状態で登場する。
これよ、これ。
腐乱してゆく肉体を風雨にさらしながら、生前と同じように畑を打っている死体。割れた頭から脳(なづき)がこぼれる。このひと、自ら土になりながら土を耕しているんですよ! なんという諸行無常!
「耕(たがやし)」は春の季語。ゆっくりと不器用に鍬を振る死体の周りにはオオイヌノフグリやホトケノザが咲いていることでしょう。
よい映画を観たなあ、という気持ち。

★なんとかオブザデッド賞
床に寝てふたりじゃがいも・おぶ・ざ・でっど   みやねね子

「オブ・ザ・デッドつけとけばなんでも面白くなると思うなよ!」とお思いになる向きもあるかもしれない。しかしゾンビ好きは「オブ・ザ・デッド」と言われるだけでうきうきしてしまう。なんならわたし「HAIKU OF THE DEAD」という日記形式の文章を書いたことすらありますからね。
この句は、ゾンビのいる様子を描いたものというよりも比喩と考えるのが自然だ。「ふたりの人間が、ジャガイモのように床に転がり、ゾンビのようにぐったりとしている(ときどき動く)」というような情景。
じゃがいもから連想するのは「カウチポテト」という言葉。カウチ(ソファ)にじゃがいものように座りっぱなしでTVを見ている怠惰な状態を言うらしい。床に寝たふたりの部屋にもきっとTVがあって、そこで流れているのは永遠のゾンビアポカリプス……ドラマの『ウォーキング・デッド』だったりしないだろうか。

関連映画:『Dawn of the dead(邦題:ゾンビ)』 『ショーン・オブ・ザ・デッド』 『インド・オブ・ザ・デッド』

★NAKAMA賞
痩せていく茸が好きで朗らかで   正井

「痩せていく茸」というのはおそらく水分がぬけて縮んでいくことを言っているのだろう。
たとえば壁際に薔薇を吊って水分が抜けてドライフラワーになってゆく過程を楽しむこととそのひとが「朗らか」であることは、まあ成立するような気がする。ドライフラワーはそうやって見て楽しむものだから。
しかし茸はどうだろう。「痩せていく茸が好き」であることと「朗らか」であることを並列にならべると、そこにはちょっとした違和感が生じる。
このひとは茸がカラカラになっていく過程を見て「フフッ」となっているのである。保存食にするために乾燥させているのだろうか。それともただその様子を見ているのが好きなのだろうか。
「痩せていく」という、通常は動物に対して使う言葉を用いて擬人法的に表すことで、痩せていく人間を観察しているようなイメージが頭をよぎる。っていうかそもそも茸の形状そのものが人間にすこし似ているんですよ。しめじなんかボブヘア(まさに「マッシュルームカット」という言葉がある)の人物が腰を曲げているように見えることがありませんか。
「痩せていく茸が好きでサイコパス」と書くなら随分常識的になってしまう。「朗らかで」がものすごく不穏。
そう、ハンニバル・レクター博士って、いつも朗らかなんですよね……。

注:NAKAMA(仲間)とはドラマ『ハンニバル』エピソード3に登場する日本人女性の言葉です。

★ケンカ売ってんで賞
安さうでモテさうなピンクのコート   藤田千佳

自分の着ているコートについてファッションチェックを受けたとして「安そうでモテなさそう」と言われるより、「安そうでモテそう」と言われた方がショックが大きい。
「高そうでモテそう」「高そうでモテなさそう」「安そうでモテなさそう」「安そうでモテそう」と4つ並べてみても断トツの破壊力を誇るのは「安そうでモテそう」である。
安いがゆえにモテそう。安っぽいコートを着てる女を好むようなタイプの相手にモテそう。宇野ゆうかさんの発明した「ダサピンク」という言葉がありますが、ピンクは女性性を表す際に短絡的に使われがちな色。そういう、女性にステレオタイプなイメージを当てはめ、その役割を期待するタイプの男性にモテそう。
ショップでハンガーに掛かっている服を見て思っていることではなく、ぜひ誰かがそれを着ている状態で思ったことであってほしい。このひとはきっとピンクのコートに託して「お前という人間の安っぽさ」をも言っているのだ。怖い。

★クボタン賞
来年もよろしくお願い左手の鍵   えみみ

年内最後の営業日を終え、レジを空にし、セキュリティ装置をオンにする。「警備を開始します」の音声を聞きながら裏口から出て鍵をかけ、左手の中の鍵に話しかける「来年もよろしくお願いね」。鍵は大事な店を象徴する存在だ。

と、そういう句なのだろうか。

なんだかこの句にも不穏なものを感じるのですよ。
「来年もよろしくお願いします」ではなく「来年もよろしくお願いね」でもなく、逆にぐっと短い「来年もよろしく」でもなく「来年もよろしくお願い」と書かれている。ちょっと中途半端な印象。
さらに、音の数に注目すると5・8・7。俳人が忌避する中八で、さらに下五も字余りになっている。のんびりと読みたくなる字余りと早口で読んで定型のリズムに合わせたくなる字余りがあるけれど、中八で間延びした分だけ「左手の鍵」は早口で読みたくなる。早口で読むと「左手の鍵」が秘密めいた何かに思えてくる。
ねえ、その鍵、単に鍵の機能のためだけに持っているものではないのではないですか。数々の修羅場をその鍵を使ってくぐり抜けてきたのではないですか。なんかこう、スケバンが、ピンチになったらサッと取り出す隠し武器みたいな。(イメージが古いのはご了承ください。南野陽子や浅香唯に憧れていた世代です。)
クボタンという武器がある。鍵束を付けて使用する護身用の武器である。

【小太郎部門】

全応募作の中に「小太郎」が登場する句が2句ありました。小太郎、有名人なの……?
(余談ですが「西野カナ」を詠んだひとも2人いました。こちらはまだわかる気がします。)

★ベストドレッサー賞
小太郎がまさか浴衣で来るなんて   でらっくま

なぜ「まさか」と言われているのか。小太郎が浴衣で来たシチュエーションを3つ考えてみました。

(1)花火大会の日、性格上浴衣なんて着そうにない小太郎が浴衣で来た。
(2)社長がクールビズを宣言した翌日、小太郎はスーツをやめて浴衣で来た。
(3)羽織袴で盛装すべき状況なのに、小太郎はラフな浴衣で来た。

(1)と読む場合、「小太郎」という名前を使うことに若干の違和感がある。「小太郎」は、かなり和装の似合いそうな名前だと思います。ちょんまげの時代から昭和のはじめくらいのイメージ。浴衣を着ていてもおかしくなさそう。
名前から受けるイメージだけで想像してもらいたいのですが、「フランツ・カフカ」や「李小龍」や「ニャホニャホタマクロー」が浴衣で来たというなら「まさか」という気持ちになる。
しかし浴衣を着る意外性であまり面白くなりすぎると俳句として面白くなくなっちゃうので、現代の日本人にありがちな名前にすると青春っぽく仕上がるかもしれません。

(2)いちばん応援したい小太郎です。オフィスが夏らしくなっていいと思う。しかしやはり名前のイメージからするとオフィスワークはしてなさそう。現実にはオフィスワークをする小太郎さんはいらっしゃると思うのですが、飽くまで名前から受ける印象です。

(3)は、名前のイメージ的にはいかにも羽織袴でビシッとキメてきそうな小太郎が浴衣なんていうカジュアルファッションで来ちゃった。まじかよ、いまから兄弟盃なのに、親分連中みんな羽織袴なのに、盃を受ける立場のテメエが浴衣でいいのかよ、破門されっぞ? というような場面です。小太郎、ハレの日になんでそんなことしちゃったんだ。小太郎が心配です。

その場で期待されているドレスコードによって「まさか浴衣で」と言った理由が「予想よりドレッシーだったから」にも「カジュアルすぎるから」にもなりうる。ゆえにこの句は読みがぶれるのです。「読みがぶれる」は俳句ではマイナス評価として言われることが多いけど「読みがぶれて楽しい」側面もあると思うの。
もっとも「小太郎」には何か元ネタがあるのかもしれない。全然思いつかないのでこっそり教えてください。

★あんぱん賞
目まとひや小太郎の首また落ちぬ   藤幹子

小太郎! 大事な盃の日に浴衣で行ったりするから!

思わずでらっくまさんの句の続きとして読んでしまいましたが、こちらの小太郎は何度も何度も首が落ちるという災難に遭っているらしい。
「目まとひ」は「まくなぎ」とも呼ばれる夏の羽虫。顔の周りにまとわりついてくる厄介な虫です。
払っても払っても目に入ろうとしてくるうっとうしい虫たちと、何度生まれ直しても首を打たれてしまう小太郎。メマトイはのがれられない運命の寓意です。
文楽の「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」という演目では小太郎という名前の少年が首を打たれるらしいので、そこからインスパイアされた句なのかもしれません。もしこれでなかったとしても、「小太郎」は繰り返し上演される(上映される・思い出される・二次創作される・プレイされる)物語の登場人物なのではないでしょうか。
アンパンマンやアラレちゃんのように首が取り外し可能になっている、ということではないと思う。

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