カテゴリー別アーカイブ: 読書

真逆にいたり、引き合ったり。

S極N極
 

アネモネアネモネ顔を上げたらその口にアネモネを活けているような愛  野口あや子
 
葉牡丹に霜のきらめき 水たばこ  佐藤文香

佐藤文香野口あや子のユニットS極N極による『S極N極』。

俳句・短歌とエッセイに、みんな大好き安福望さんのイラストがついた贅沢なZINE。

個人的なツボは、野口さんがカラオケで歌うのが相対性理論、山口百恵、椎名林檎と歌集のイメージ通りなところと、さとあやが薄毛愛を語っているところ。

最近自分が関わったものは何故か食がテーマになる本が多くて(『線と情事』 『別腹』)、ついでにわたしが尊敬して止まない『生活考察』vol.05も “食” 本考察という特集を組んでいたし、食、流行ってるのか、いや、食わずに生きていけるひとなんていないし人類普遍のテーマだからか、などと思っていたら『S極N極』にも野口さんによる「あなたと食いつなぐ短歌」という文章が。
こんな短歌が紹介されてます。

買ったんはボルビックやったのに半分くらい飲むとクリスタルなんとかなんですわええかげんなもんですわ  吉岡太朗

お取り寄せはこちらから。
 
 

密着!俳句警察24時

週刊俳句第365号特集「悪い俳句」に「俳句警察24時~『遊戯の家』に潜入せよ!~」を寄稿しました。(イラストつき!)

もともと「俳句警察」や「歳時記警察」というのは表現よりも規範を優先する俳人のことを揶揄して言った言葉(……と、わたしはとらえているんですが、合ってますでしょうか)なのですが、今回の記事では文字通り二人の刑事が登場して事件性のある俳句を捜査します。

俳句警察

(右)山さん。ベテラン刑事。一人娘を溺愛している。
(左)インバネス。新米刑事。(日本の一般的な警察組織では刑事同士が『ジーパン』『テキサス』『スニーカー』といったニックネームで呼び合う習慣があるらしいので、俳句っぽいニックネームをつけてみました。)

ちなみに、『遊戯の家』のほかに捜査対象として考えられていた句集・アンソロジーは次のようなもの。
悪い俳句、探してみてくださいね。

  

 

吹きっさらしのプラットホーム

高橋千波『プラットホーム』

高橋千波(@_hushabye)さんの小さな歌集『プラットホーム』(2014.2.11発行)から好きな歌を。

そのひとを思い出すときホームではひときわ圧を増すあぶらぜみ  高橋千波

間違えてばかりの僕にぽたぽたと修正液の花びらが降る

かみころされたあくびたちふかふかとふりつもる百貨店のフロアに

一首目。油蝉の声が急に大きくなったように感じることを「圧を増す」と表現してる。そのひとは別れた恋人かもしれないし、亡くなった友人かもしれない。学生時代の部活のライバルかもしれない。山がすぐ側にある新神戸のホームを思い出す。
二首目。花びらの形と大きさ、わずかな厚み。修正液とそっくりっていう発見。
三首目。やなぎみわのエレベーターガールのシリーズみたい。

プラットホームはどこかへ行くために一時的に立つ場所。その心もとない感じ。
中綴じの冊子を手に取ったときの薄さやわらかさが、繊細な歌の佇まいによく合っている。

行間からフェロモン

 
榮猿丸さんの句集『点滅』からいい匂いがするような気がして、鼻を近づけていっしょうけんめい嗅いでみたのですが、気のせいでした。
 
こんばんは、石原です。
 
ちょっと前に掲載していただいたものの報告ですが、週刊俳句第351号(2014年1月12日)「それでも愛し愛されて生きるのさ 小津夜景「ほんのささやかな喪失を旅するディスクール」について」という文章が載ってます。
 
ロラン・バルトってよくわからないけど、天ぷらをレースにたとえたのはとても素敵なことだと思います。

『冬夕焼』のお菓子俳句について

『線と情事』第二号の「SWEET HAIKU REPLAY」では紹介できなかったのですが、金子敦さんの『冬夕焼』(2008年、ふらんす堂)はお菓子俳句的にかなり熱い句集です。

如月のざらめびつしりリーフパイ  金子敦

二月の寒さと乾燥がリーフパイのかさかさした感じとよく合っていて美味しそう。
(もし六月ならリーフパイは湿気でべちゃっとしてると思う。)

かき氷ひかりをこぼしつつ運ぶ  〃

運びながら崩れて落ちていくかき氷の粒を「ひかり」と言っています。
手元も濡れてきらきらして、運んでいるひとの汗も光ってます。
少女漫画っぽい。

飴を切る音の幽かに寒牡丹  〃

庭で寒牡丹を見ていると、どこからか、かすかに飴を切る音がする。柔らかい飴をバチンと鋏で切る音なのか、硬い飴を包丁で叩き切る音なのか。なんとなく前者の飴細工のような気がします。老舗の和菓子屋さんっぽい。冬のさびしい庭に一点だけ咲いた寒の牡丹と、口の中にほんのりと甘味を感じさせるような飴の音。抑制のきいた華やぎがかっこいいです。

行く春やロールケーキの緩き渦  〃

「SWEET HAIKU REPLAY」では相子智恵さんの「ロールケーキ切ればのの字やうららなる」(『新撰21』より)について書きました。
この二本のロールケーキを比較すると、パティスリー・アイコのロールケーキはスポンジにもクリームにも弾力が感じられるのに対し、パティスリー・カネコのロールケーキは生クリーム多めで全体的にとろけるような柔らかさが感じられます。
この印象がどこから来るかというと、「行く春」「緩き」の「ゆ」音から導かれる柔らかさ。そして、春の終わり頃であることから、気温が高め、よってクリームが溶けやすい、という連想だと思います。
(どちらもすごく美味しそうです。ううう。食べてみたい……)

水たまり跳び越えバレンタインデー  〃

これはすごくかわいらしい句。好きな人にチョコレートを渡したったぞ! 笑顔で受け取ってもらえたぞ! という喜びなのか、好きな人からチョコレートもらったぞ! という喜びなのか。それともこれから意気揚々と渡しに行こうとしているところなのか。冷たい冬の雨のあと、あるいは雪がとけたあとにできた「水たまり」が、幸せな未来を予感させます。

リカ、お前はあきらめろ。

猫は踏まずに
 
本多真弓(本多響乃)さんの歌集『猫は踏まずに』から好きな歌と、その感想を。

わたくしは
けふも会社へまゐります
一匹たりとも猫は踏まずに

猫を踏まないのは普通のことだ。
猫を踏まないことをなぜわざわざ言うのだろう。
このひとは猫を踏むことを考えながら通勤しているんじゃないかしら。
猫を踏んだときの「フギャッ!」という激しいリアクション。
「一匹たりとも」と強調されることによって、
目に入る猫をかたっぱしから踏んでしまうことも
彼女の頭の中にはあるんだろうなという気がする。
「フギャッ!」「フギャッ!」「フギャッ!」
たいへんな騒ぎになるにちがいない。
しかしこのひとはそれを頭の中だけにとどめて
淡々と日常的な仕事をこなすのである。
こんなひとは絶対に怒らせたくない。

半年の通勤定期ちやんと買ふ
わたくしはいつも長女ですから

この歌も、当たり前のことをわざわざ言っている。
敢えて言うのは、「ちやんと買」わないという選択肢が存在するからだ。
区間や通勤手段を偽って申請すれば、
交通費として手に入れたお金をお小遣いにしてしまうこともできるのだろう。
だけどこのひとは「ちやんと買ふ」と言う。
したら得することはわかっていて、
けれど、してはいけないことになっているから、それをしない。
その理由を「わたくしはいつも長女」だからだと言う。
弟妹に規範を示せるように、長女としていつも親の期待通りに行動してきた。
おとなになってもそのことをひきずってしまう不器用さが、
「わたくし」「長女ですから」という真面目そうな口調にも現れている。
ただ、油断してはならない。
このひとは、悪事の可能性も、ちゃんと念頭に置いているのだ。

リカへ
 
 
ありがたう
教へてくれて
ケンちゃんの
キスの仕方は知つてゐたけど

最後の一行が衝撃的で、
急に人間関係が明らかになりドラマが生まれる。
リカさんはこのひとに対して
最近付き合いはじめたケンちゃんのキスの仕方などを
楽しそうに話したのだろう。
しかし、このひとは、
すでにケンちゃんのキスの仕方を知っている。
ケンちゃんと、キスしたことがあるから。
そして、ケンちゃんのことを憎からず思っているのだ。
この歌、とくに後ろの二行は、
リカに対して話しかけた言葉や
送られたメールではなくて、
心の中の独白のように思える。

悪いことは言わない。
逃げろ、リカさん。
ケンちゃんのことはあきらめた方が身のためだ。

このひとは、敵に回してはいけないひとだ。

「BLな俳句」のこと

 
腐女子なの?

と聞かれると返答に困る。

たとえば、いま現在「TIGER&BUNNY」「黒子のバスケ」「進撃の巨人」、といった特定のジャンルが好きで同人誌を集めたりイベントに参加したりしているわけではないから。

かといって、ボーイズラブのカテゴリに入るものに興味がないかというとそんなことはなくて、美しい男性二人が主演の映画があったりするととりあえず観ておこうかという気になるし、李博士やピンクフラミンゴを知るきっかけになったのは小野塚カホリだし、愛用のトートバッグは高畠華宵プリントだ(残念ながら女性像だが)。

微妙な感じが説明しづらくて「腐女子です」と言ってしまうこともあるが、心の中でなんとなく謝りながら使っている。
わたしなんかが腐女子を名乗るのはおこがましいと思ってるんです。でも便利だから使っちゃう。ごめんなさい。夜道で突然コピックを嗅がされて意識失ってるうちに簀巻きにされてお台場のへんから海に投げ込まれても仕方がない。
たとえば熱心な腐女子が艶やかに腐乱したロメロゾンビだとしたら、わたしは「28日後…」に登場するレイジウイルス感染者みたいな半チクである。
(こういう、腐っているようないないような、中途半端な状態が15年ほど続いている)

ところで、昨年、Twitterで#BL短歌というタグが流行した。※

BL短歌ブームは俳句クラスタにも波及し、#BL俳句というタグが登場したが、BL短歌タグが実作メインなのに対し、BL俳句タグには「この俳句がBL読みできる」という既存の俳句が多く寄せられた(このあたりの経緯は松本てふこさんの俳句時評をご覧ください)。おそらくはこのTwitter上の盛り上がりがきっかけになって、ふらんす堂通信で関悦史氏の「BLな俳句」という連載が始まった。

『ふらんす堂通信』136号に掲載された「BLな俳句」第一回では、

怒らぬから青野でしめる友の首  島津亮『記録』
かたつむりつるめば肉の食ひ入るや  永田耕衣『驢鳴集』
抱かねば水仙の揺れやまざるよ 岡本眸『十指』

といった俳句が紹介されている。

「怒らぬから…」の評を一部引用してみよう。

「青野」は夏の季語。両者の若々しさをいやが上にも暗示しますが、それだけではありません。この語があるから、二人は正面から向かい合って立っているのではなく、語り手が友を組み伏せているのだとのイメージが強まるのです。
草いきれに包まれつつの激情と密着。それは深い交歓の図以外の何ものでもありません。

おお。そうだったのか関さん!
ちなみにわたしは、俳句の入門書でこの句を知って、夏草の茂った河川敷みたいなところで学生服の少年Aが少年Bの首をふざける感じで絞めてるところを想像してたよ。歩きながら。じゃれ合う感じで。「怒れよ〜」っつって。そうか、萩原朔太郎の「愛憐」みたいなところまでいってよかったのか。いっていいもなにもないけど。
「それは深い交歓の図以外の何ものでもありません」っていうのは、意識としてはもうほとんどセックスと等しいということですよね! おおお……。

「BLな俳句」では(批評としては当たり前のことかもしれないけど)なぜそれがBLとして読めるのか、厳密に俳句の中の言葉に根拠を求めて指し示す、という方針があるようだ。

かたつむりの句では「雌雄同体という特徴」があること、水仙の句では水仙の学名「Narcissus」が自己愛の果てに命を落とした美少年ナルキッソスに由来することが根拠となっている。
これは男性同士に違いない、理由などない、敢えて言うならそのほうがわたしは萌えるからだ! という強引な突っ走り方を決してしない。
この姿勢は真っ当で健全で、読むほうとしたらすごくありがたい。
俳句の批評って、「ここ強引すぎんじゃね……?」っていうのに度々出会うので。

ただ、第二回以降で、関さんのテンションが上がりすぎて、BLの匂いが微塵も感じられない句を強引にBL化して読んでいくようになったらそれはそれで面白いのではないかとも思っている。理路整然とした冷静な関さんもいいけど、荒ぶる関さんも見てみたいのだ。

共有結晶×ふらんす堂通信

※ BL短歌
@AyahSakiさん曰く、BL短歌とは「五七五七七に萌えをぶっこむこと!」
2012年11月『共有結晶』という作品集がリリースされた。
まだ手元にないひとはアマゾンでも売ってるので、買いましょう。短歌作品も対談も漫画も入ってて読み応えあります。

Papa, hold me.

30代後半の女性が20代の夫との間に娘を授かり
産後すぐに亡くなり
若く美しい夫を愛するあまり
その魂は娘に憑依して
表面上は夫のことを「お父さん」と呼んでいるけれど
中身はおとなだからものすごいおませさんで
拗ねたりもするけど概ねききわけがよく
70〜80年代あたりのSFにほとんどマニアックなほど詳しい
という話として
榛野なな恵の『Papa told me 〜私の好きな惑星〜
を読んだので
知世ちゃんはときどき
お父さんの飲み物に睡眠薬を仕込んで
お父さんの身体にいたずらとかしてるんじゃないかと
むしろわたしがしたいと
思いました
 
 

あのルドンを貼っておきます。

この本の、

109ページにある、

60棒109ページ

この部分。
わたしがツイートしたコラージュ画像を見て関さんが詠んだ俳句が載ってます。

元になったコラージュは、これ↓

さぬきルドン

さぬきルドン。
元の画像を知らないひとが気になってるかもしれないので。
後世の研究のために保存しとくとよいよ!

実は60棒にはツイートを元にした俳句が他にもいろいろ載ってる。
詞書(ことばがき)として、元になるツイートが添えられて。

《ぼくは一年前から機会あるごとに言い続けてきたんだが、意外と知られていないんだな。Twitter=神への長い道説。》東浩紀氏のツイート
超未来の言語の《我》や囀れる

ツイートという言葉そのものも、何度か登場する。

世界中とtweet僭主追放成る

※”tweet”に”さへづり”とルビ

(ああ、そうか。句集とは、俳句をトゥギャったものなのだ。)

『さよならバグ・チルドレン』のヒドさについて

こんばんは。ヒド歌評論家の石原ユキオです。作中主体(男性)が女性に対してヒドい言動をおこなう短歌のことを「ヒド歌」と呼び、蒐集・鑑賞することを無上の喜びとしております。

さて。山田航第一歌集『さよならバグ・チルドレン』の中にヒド歌はあるでしょうか。

やや距離をおいて笑へば「君」といふ二人称から青葉のかをり
てのひらをくすぐりながらぼくたちは渚辺といふ世界を歩む
翼なきふたりそれでも一対の薄き翼でありたし永遠(とは)に

青春ですね。「きみ」「ぼく」「ぼくたち」「ふたり」といった言葉で描かれる恋は、すこしぎこちないけれど、とてもやさしい雰囲気。残念ながらヒドくない。作中のふたりの幸せを願わずにはいられません。しかしここで引き下がってはヒド歌評論家としてのわたしの名が廃ります。どこかにヒドさを見つけなければ!

フランスパン輪切りしながらわかつてる君が誰よりがんばつてること

やっと見つけました。この歌はヒドいと言えるのではないでしょうか。「NIJNTJE(ナインチェ)」と題された八首の連作のうちのひとつです。

ナインチェ・プラウス 横顔は無く本当にかなしいときは後ろを向くの
ミッフィーが無敵を誇るにらめつこ大会けふも君の部屋にて

ナインチェ・プラウス(=ミッフィー)の大好きな彼女。感情を表に出すことの少ない人物であるように思えます。「にらめつこ大会」は楽しい遊びではなく、彼女と彼がどう言葉にしていいかわからない気持ちを抱えて黙り込んでいる状況でしょう。

すこし風に乱れた髪とリクルートスーツの君が抱く白うさぎ

彼女は就職活動中。「白うさぎ」と言われて思い浮かぶのは、ぬいぐるみではなく生きているうさぎ。疲れ果てて帰ってきた彼女はスーツに毛がつくのもおかまいなしに、癒しを求めるようにペットのうさぎを抱き上げる。そんな光景のすぐ後に置かれたのが、「フランスパン輪切りしながらわかつてる君が誰よりがんばつてること」です。
部屋の隅の小さなキッチンで二人ぶんのパンを切りながら、彼女が誰よりがんばってると信じる彼。けなげではあるけれど、彼女と対話することで生じる軋轢を避けているようにも見えます。この「誰より」というのがヒドい。「誰より」だなんて実際にはあり得ないし、なんの根拠もない。真に彼女の気持ちを慮っているなら出てくるはずのない言葉です。就職活動はストレスの溜まるもの。ミッフィーの口が開いたときに飛び出す言葉は、彼に対する罵詈雑言かもしれません。一見やさしい彼のようですが、自分が傷ついてまで彼女を癒す気はないのでしょう。よけいなお世話を承知で言いますが、きみたち、もっと話し合ったほうがいい。

君といふ小箱の内に満ちてゐる真水に嘘は溶けてゆくんだ

この歌もなかなかヒドい。「君」のついた嘘でしょうか。それとも「僕」のついた嘘でしょうか。どちらにしても、「君」のなかにある純粋なものが嘘によって汚されていくイメージ。嘘そのものにヒドさは感じません。ヒドいのは「真水」という決めつけです。水質検査でもしたのか。わたしの内に満ちている水なんか、仮に真水だったとしても、ミカヅキモとゾウリムシとアオミドロがびっしり詰まっててドロッドロです。少々の嘘くらい餌にしてしまいます。結局この作中主体は「君」をきれいなものとしてちょっと離れたところに置いておきたいのではないでしょうか。そんな関係で本当にいいのですか。ともに泥水を飲み合ってこその恋愛でありませんか。やっぱりきみたち、もっと話し合ったほうがいい。

噴水に腰かけ授乳してゐたる女はみづのつばさをまとふ

噴水からの連想がはたらいて哺乳瓶ではなく胸をはだけて授乳しているように読めます。場所は公園でしょう。重い乳児を抱えて座るには噴水の縁は不安定すぎるのでは。誰もベンチを譲らなかったのでしょうか。現実の道具立てを用いながら現実にはなかなか存在しない美しすぎる世界が描かれているような気がします。天使のように、あるいは聖母のように、過剰に美化された母性。女性をこんなふうに見ている男は子育てに参加しなさそうです。現実に目を向けるために、翼の正体を顕微鏡で観察してみるといい。きっとミカヅキモとゾウリムシとアオミドロがびっしり詰まってて……くどいですか。すみません。

こうして見ていくと、山田航短歌に登場する男のヒドさは、一見やさしそうに見えて対象との衝突が起きないように身をかわしている点と言えるでしょう。女性は美しい別の生き物、みたいな感覚。キュンとするようなきれいな世界が描かれていますが、恋人にはしたくないタイプの作中主体です。わたしにとっては。

あ、例外が一つありました。

揺すつたくらゐぢや起きないきみに捧げよう目覚めのための濃き一滴を

強制モーニングフェラからの口内発射。こういう遠慮のない男、嫌いじゃない。

初出『かばん』第29巻第9号(2012年12月1日発行)

◆

山田航氏のブログはこちら→トナカイ語研究日誌