何人も我をキャッシュする勿れ

二段重ねのそれはもうどうにもこうにもお花見弁当なのでありました。明らかに着色されている蕗のビビッドなグリーン。三色のあられ状のものがまぶされた海老の天ぷら。菜の花の瑞々しく濃厚な涙が出る味付け。それらの上に散らされている薄いもの。それはれんこんだかなんだかよくわからない白っぽい切片のぐるりがピンク色で桜の花びらをかたどっているのでした。
 
 
おとなになると自分のお金では食べられないものを食べることができます。
食べることができるときには、食べないことはできません。
 
これは学舎を巣立って行かれるみなさんには是非知っておいていただきたいことです。
 
 
大学からパンフレットに出ませんかという連絡が来たりするのですが、卒業後定職につかずふらふらしている、それも夢やら目標やらがあって定職につかないのではなく、ややこしい仕事をしたくないから定職につかない、フリーターなのでわりかし余る時間がある、暇があるので俳人や詩人のまねごとをしてみる、まねごとをしているうちにそっちの用事が増える、用事が増えるので就職活動する気がなくなる、以下無限ループという状況に陥っている人間ですので、ロールモデルだとかカタログの商品写真だとかにはめっぽう向かないように思います。正直に書いてもらえればいいですが、私がさも立派な人のように脚色されるのは不本意ですので、ありのままをお話して判断していただこうと思います。
 
 
山桜が咲いていました。
咲いたそばから散っていました。
はかないです、弱いです、がんばってます、きれいです、みたいな。そういうのは嫌いです。
ソメイヨシノの、しぶとく図々しい感じも嫌いです。
花見という行為のどこかにひとかけらの風流さでもあるのなら……いや、そもそも風流というのが図々しいのではないですか。
嫌いだ。捨てたい。こんな身体、どこかに捨てたい。それを発情期と名付けて、啼いて、産むことのカタルシスは知らない、知りたくない、何も残したくない、残す価値もないのはあんたらのほうだ、ひとりよがりなあてつけ、何人も我をキャッシュする勿れ、きっと通じない、赤い紐を引きずる、泥にまみれて、爪がにじむまで畳を、仮想のDドライブ奥深く、昔々あるところに女優になりたい少女がいました、彼女の母親がかつて舞台に立っていたから、顔を知らない父親、演出家なのだと聞かされていたから、どこからが作り話で、君のために書いた役だなんて誰にでも、やりたいあなたと傷つくのが趣味の、ご利用ください、お気をつけてご利用ください、自己責任でご利用ください、報われぬかすばかり吹きだまっている、この春の闇に、山桜が咲いていました、咲いたそばから散っていました、自分の物ではない掌で確実に効率よくお願いしたい、お互い様です、お世話様です、何卒お願い申し上げます、どうか。

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