ご報告が遅れましたが、久しぶりのニュースです。
岡山県には、「優れた芸術文化活動の業績が認められる個人又は団体」に贈られる「岡山芸術文化賞」というものがあります。今年は第10回目で、平成20年度を対象として選考されました。その功労賞に『岡山の娘』の脚本・監督に対してということで、福間監督が選ばれました。
去る4月28日がその授賞式だったのですが、福間監督は大学での授業があり行けないので、プロデューサーの小川孝雄さんにお願いして行っていただきました。
小川さんが『岡山の娘』のメーリングリストに送ってくれた授賞式の報告を以下に転載します。
本日、岡山芸術文化賞授賞式に行ってきました。
岡山芸術文化賞の授賞式に代理に行ってもらえませんかと福間健二さんから電話があり、本日岡山県庁3階大会議室に午後1時30分からの授賞式に出席した次第です。この賞の概要は過去1年以内に岡山県において優れた文化活動を行った個人、団体に贈られるもので今回が10年目になるとのこと、来年が国民文化祭が岡山で開催されることもあり、初めての出席でしたが、県知事、県議会議長さんのあいさつも含め想いがあるものでした。福間健二さんの成果は映画『岡山の娘』の脚本・監督によるもの、グランプリ、準グランプリに続く功労賞というものでした。
グランプリは福間さんとも関係が深い詩人斎藤恵子さん、岡山県で初めての第19回日本詩人クラブ新人賞受賞というもの。他にショパン国際ピアノコンクールコンチェルトC部門金賞の土居理江さん、団体として岡山大学モダンダンス部の全日本高校・大学ダンスフェスティバル文部科学大臣賞がその受賞成果でした。
県内各方面の候補者の推薦を受けた26団体・個人のうちグランプリ3件、準グランプリ6件、功労賞3件が審査委員会を経て決定された経過とのこと。映画『岡山の娘』のことを評価してくださった方々がおられたことに率直に感謝したいと思っていますし、監督と合わせてこの映画に関わったスタッフみんなで喜びあえたらと思います。ちなみに賞状と盾、賞金3万円、上映費用に充当できますね!
というわけで、『岡山の娘』は初めての「賞」をいただきました。

4月19日(日)、広島は今日も強い日射しの晴れ。横川シネマでの上映2日目のゲストは入海洋一さん。ヒロインみづきのお父さん信三を演じた人です。
じつは入海さんは広島と深いつながりがあるのです。彼は、映画でも登場する「トーチカ」という古着屋+カフェ+散髪屋(ふしぎ!)の店主であると同時に、帽子作家でもあります(それはとてもユニークな帽子たちで、福間監督もひとつ持っています!)。昨年夏に彼の帽子展を開催したカフェ「ヲルガン座」は、広島市十日市町にあるのですが、なんとヲルガン座と横川シネマはとても親しいのです。先行上映の際に溝口さんからその話を聞いて、監督もプロデューサーもびっくり。岡山でも知る人ぞ知るの入海さんは、広島でもしかり。「ご縁ですね」の溝口さんの言葉に、これはぜひとも入海さんに舞台挨拶をお願いしなければ、ということになったわけです。
岡山から車で来てくれた入海さんは、緊張をほぐすために「ヲルガン座でビール飲んできましたよ」と来館。ニコニコ顔で迎える溝口さんに、「何話したらいいんスか」といつもの調子でテレています。
さて、舞台に上がった入海さんを溝口さんが紹介しました。
「広島と縁のある入海さんとは、初めてお会いした気がしないんですけど……。お父さん役が決まったのはどんな経緯ですか?」
「僕は、店を撮影場所として提供する、さらに衣装も、というようなところからこの映画と関わったんですけど……。信三役はオーディションというより、他に候補がいなかったから僕に来たんじゃないですか。引き受けてから、そりゃあもう大変でした。まずスペイン語おぼえるのが大変、セリフはちっとも頭に入らない。だから準備の2ヵ月大変で、撮影の1ヵ月近くはもうわけがわからなくて大変で、終わってからも3ヵ月ぐらい現実に戻れなくて大変で、半年近く大変が続きましたよ(客席笑い)。今日久しぶりに観て、すごく恥ずかしいッスね」
「入海さんは帽子作家でカフェもやり、映画にも出たというようにジャンルを超えて面白いことをやってるわけですが、岡山はそういう人たちが多いのですか?」
「そう、いま岡山はいろんなことをやろうって人がけっこういますね」
で、溝口さん、「まあじゃあ、こんなところでいいんでしょうか、いや、いけないのかな」とか言いながら、なぜか壇上に正座。入海さんもあわてて正座して「どうもどうも」とお辞儀。客席は爆笑です。なんだかふしぎな空気の二人のトークでした。
入海さん、溝口さん、どうもご苦労さまでした。
入海さんは今年の7月、ふたたびヲルガン座で帽子展を開きます。『岡山の娘』を観てくださった広島の方、ヲルガン座と横川シネマの周辺の方、入海さんの個性いっぱいの帽子をぜひ見に来てくださいね。
広島応援スタッフ モダン焼きガール

横川シネマでは3月22日(日)に先行上映を行なって、その約1ヵ月後の4月18日(土)から本上映が始まりました。
本上映に立ち会えない監督に代わって、挨拶を引き受けてくれたのはバルカン役の東井浩太郎さん。15時の回に岡山市から高速バスで駆けつけてくれました。支配人の溝口さんとはもちろん初対面ですが、溝口さんは東井さんの声ですぐにバルカンさんだとわかったそうです。そう、東井さんは現実でも詩人であり、映画のなかでも「このスープは正確に狂っている」という自作の詩を、独特の低く響く声で朗読しています。
東井さんの挨拶のあと、溝口さんからの質問でトークです。
M「この映画はオーディションで役者を見つけたということですが」
T「そうです。ほとんどが素人の人で岡山の人です。でも、僕のバルカン役だけはシナリオの段階から決まっていたそうです。ヒロインみづきのお父さんである信三がかつて岡山大学で教えていたときの教え子がバルカン、という設定は現実の福間さんと僕の関係なのです。かつ僕はフリーのコピーライターなので、バルカンの何で生計を立てているかわからないような人物、それとも重なるところがあるんです」
M「自分が投影された役を演じるのはどうでしたか?」
T「バルカン役は、『演じないこと』のむずかしさでしたね。自分を演じるのか、じゃあどう演じたらいいのか、わからなかった。すごくむずかしかったですね。悩みました。この映画に登場する男たちは、それぞれがほんとうに物語に必要なのかどうかわからないような人物たち。不良ではないけど、良でもない。正しくはないかもしれないけれど、間違ってもいない。どこか雑草のように生きている人間を、監督は描きたかったのでしょうか」
M「今日、ご覧になってどうでしたか?」
T「約2年前の猛暑の夏に撮影された映画を、季節も違うなかで観ているのは不思議な感覚でした」
2007年夏、ほんとうに暑かったですね。
今日の広島の最高気温は25度。外の日射しは夏を感じさせます。夏の光にあふれた『岡山の娘』の各地での公開はすでに半年を過ぎ、撮影時の体感を呼びさましてくれる季節が近づいてきています。東井さんに真夏に観てもらう機会があったら、またちがった答えが返ってくるのでしょうか。
東井さん、溝口さん、どうもありがとうございました。
広島応援スタッフ モダン焼きガール

香川は、数々の映画の舞台となっています。最近は、映画ロケ地をめぐる観光コースがあるほど。福間監督も、4月12日(日)の午前中、今回の企画の主宰者の成合一康さんに案内され、なんと『世界の中心で、愛を叫ぶ』の舞台となった四国最北端の町、庵治町を訪れました。その海辺の町の佇まいに「やっぱり、いい場所を探しだしてるね」。
早めの昼食をとった高松の中央市場近くの「いただきさんの海鮮食堂」も、福間監督はすっかり気に入った様子。ずらりと並んだ魚料理の皿から好きなものを選ぶセルフ式に、「これはいいな。迷ってしまうけど」と、ニコニコ顔。
今日の上映後のトークでは、まず、藤川祥虎さんの映像作品と木村恵美さんの詩朗読のコラボレーションをめぐって、「映像と言葉」の話題が、弁士による活弁のあったサイレント映画の時代にまで広がりました。そして、福間監督は、「音のことがほんとうによくわかっている映画作家はあまりいない」と、藤川さんのこれからの活動への期待を語りました。
ANNRIさんは、「昨日は、『岡山の娘』の技法的な面に焦点をあてたけど、今日は内容に切り込みます」と、さまざまの角度から質問。英語タイトル『My Dear Daughter of Okayama』の“of” の意味するものをめぐって、父と娘について、男性と女性の現在について、そしてナレーションの「もうすることはない」についてなどなど。
最後に「みづきは、このあとも岡山で暮らすのか?」という質問が出ました。藤川さんが、自分がいま高松にいる理由を語りました。福間監督はちょっと困った様子。見た人それぞれが自由に受けとっていいということでしょうか。
二日間にわたった「シネマコレクション2009」。みなさん、ほんとうにお疲れさま。
高松応援スタッフ うどん大好き娘

4月11日(土)、午後早めに高松入りした福間監督。まずは、うどんで腹ごしらえ。相変わらず、食欲旺盛。それから、四国新聞の取材を受けたあと、未来都市のような風景のなかにある会場のe−トピアにやってきました。上映のおこなわれるBBスクエアの同じ階にある録音スタジオや編集用ワークショップ室の設備に、「高松の人たちはここで映画製作を勉強できるのか。すごい環境だ」と、驚いた様子。さぬき映画祭と直結した映画実践講座「映画をつくろう」のパンフレットを熱心に見ていました。
午後6時半、総合司会のラジオ・パーソナリティ脇光雄さんの進行ではじまった「シネマコレクション2009」。最初のプログラムは、「たびだち」と題して、作曲家・DJの藤川祥虎さんの映像作品と木村恵美さんの詩朗読のコラボレーション。
「このコラボレーションのあとなら、『岡山の娘』にすんなりと入ってもらえそうな気がします」と、福間監督は上映前のあいさつで語りました。
上映後のシネマトークは、やはりラジオ・パーソナリティのANNRIさんと藤川祥虎さんが福間監督を挟むかたちでおこなわれました。
福間監督と同世代で、若いころに8ミリ映画をつくっていたというANNRIさんからは、共感の言葉ととともに「フェイドアウトが多いですね」といった鋭い指摘と質問がなされ、福間監督も『岡山の娘』の技法的な工夫について熱く語りました。
『岡山の娘』の音の使い方がすばらしいという藤川さんの言葉に、福間監督はうれしそうに「音で自然をとりかえそうとしたんだ」とまたしても熱弁。
「ANNRIさんがやっていたという8ミリ映画や、上映された藤川さんの作品のような若い世代がいまつくるDV作品。そういうものと予算をかけて製作される劇映画のあいだをつなぐような仕事がしたいんです」と福間監督が最後に語って、楽しいトークは終わりました。もっと聞いていたかった。大丈夫、明日につづくのです。
高松応援スタッフ うどん大好き娘

名古屋シネマテークでの公開初日の28日(土)、福間監督は夕方5時半ごろ名古屋に到着。シネマテークを訪れるのは3度目です。最初は「石井輝男監督特集」のトークのお相手、二度目は『急にたどりついてしまう』の公開、そして今回の『岡山の娘』の公開。そう、名古屋シネマテークは、福間監督のふたつの作品の上映を引き受けてくれた貴重な劇場です。
名古屋市の繁華街、今池にある名古屋シネマテークは、日本中知る人ぞ知る老舗のミニシアターです。設立は1982年ですが、その前身の「ナゴヤシネアスト」の活動は1971年からという歴史を持っています。ロビーには、名古屋の映画館の歴史を記した貴重な資料や、洋書も含めた映画の雑誌がたくさん置いてあり、自由に閲覧できるようになっています。映画館であると同時に、映画資料館でもあるような、映画ファンにとってはワクワクする空間です。
さて、8時すぎ、劇場ロビーには観客の方がぞくぞくと来られました。福間監督が若い頃に参加していた詩の雑誌「あんかるわ」の同人の方や名古屋近辺の詩人の方がたくさんいらしてくれました。
8時半からの上映が終わって、支配人の平野さんの進行でトークが始まりました。
「『からっぽ』や『からっぽの夏』という言葉が気になった」という観客の方からの質問に対して、監督は次のように説明しました。
「みづきの言葉としての『からっぽ』や字幕に出てくる『からっぽ』は、お父さんのセリフにある『中身がないんだ、俺は』と同じような意味で、みづきとお父さんをつなぐものとして考えました」。
そして平野さんからは鋭い指摘が出されました。
「この映画には、いわゆる悪い人というか否定されるような人物が登場しないんですが、それは福間さんの詩の表現においてもその根底にあると思える「肯定する」という姿勢につながる気がします。「肯定する」ことこそが、福間健二ワールドでしょうか」。
福間監督は、まさに意を得たりという表情でうなずきました。
最後に平野さんは、監督の次回作にふれて、
「映画作品にはいろいろあって、例えば同じく詩人の鈴木志郎康さんのようにひとりで撮影してひとりで語るものがあるけど、どうして福間さんはそれをやらないのですか」と尋ねました。
福間監督は、うーん、と考えてから次のように答えました。
「つきつめて言えば、人と出会って、いろんな人たちとやっていくのが面白いからだと思います」。
トークが終わってからも、ロビーでは観客の方たちと話が尽きない福間監督。監督にとって13年ぶりの名古屋は、外の寒さを感じさせない熱い夜となりました。
名古屋シネマテークでの上映は4月1日(水)までです。どうぞお見逃しなきよう!
名古屋応援スタッフ 今池ロルナ
岐阜から来てくれた「ピーターパン」君が、上映前の挨拶の様子を撮影してくれました。
画像は少し粗いですが、福間監督の声がしっかり聞こえます。
さあ、クリックしてみてください。
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3月22日(日)午後3時20分、松山からの高速フェリーは広島港に到着。
『へばの』と『岡山の娘』の4月上映にむけて、今日先行上映をしてくださる横川シネマの溝口さんが迎えに来てくれました。ここで木村文洋監督と山崎はなさんと福間監督、福間恵子プロデューサーの4人で記念写真。
松山を一緒に体験した木村監督とはここでお別れして、福間監督は山崎はなさんとともにサロンシネマに向かいました。前作『急にたどりついてしまう』を上映してくれた住岡支配人に会うためです。13年ぶりの再会をなつかしみながら、精力的に活動される多忙な住岡さんは、新しくできたシネツイン新天地を監督に見せてくれました。短い時間でしたが、監督は住岡さんの変わらぬ映画への情熱をしっかりと受けとめたのでした。
それから監督は、夜7時半からの先行上映の前に、横川シネマの溝口さんが設定してくれていた中国新聞の取材を受けました。4月の本上映の前に『へばの』とともに記事にしてくれるとのこと。広島の皆さん、チェックを忘れないでくださいね。
そして、初めての横川シネマへ。JR横川駅のすぐそばにある横川シネマは、元はピンク映画の劇場だったところをミニシアターにしたとのこと。確かにそういう風情のなつかしい小屋です。
ここをひとりで切り盛りしている溝口さんは、噂どおり「クマさん」の風貌。一見とっつきにくそうに見える「クマさん」は、笑うと「仔グマさん」になって、監督とすぐに意気投合。溝口さんは、福間監督の編・著作『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ』を読みながら、かつてサロンシネマの2階にあったピンク映画館で映写をしていたという。
さて、上映後のトークは、両「クマ」さん、発泡酒を片手に登場! もちろん観客の方にもお渡しして、くつろいだ雰囲気のなかで進みました。
「『岡山の娘』を観て、こんなに自由な作り方があるんだ、と驚きましたね」と溝口さん。
監督は、「いまの若い監督たちのなかにもある、古さや型にはまったものに対して、それを突きくずしたい、もっともっと自由にやりたいという思いがありました」と話しました。
さらに、暑かった夏の撮影や、時間のかかった編集の苦労話など、監督はいつもよりもラフな口調で愉しそうに語りました。
4月の本上映をどうぞよろしく、と締めくくって、熱い拍手を受けました。
駆けつけてくださった皆さん、どうもありがとうございました。
横川シネマでの本上映は、4月18日(土)から24日(金)の1週間、下記のスケジュールで行なわれます。
18日(土)・19日(日) 9:20〜、15:00〜 (1日2回上映)
20日(月)〜24日(金) 20:50〜
どうぞお見逃しなきよう、横川シネマにいらしてください。
広島応援スタッフ もみじ娘

3月22日(日)、松山上映の二日目。
福間監督は、『へばの』の木村文洋監督や『ブリュレ』チームと一緒におこなった前夜の打ち上げの疲れも見せず、午前10時半にはシネマルナティックに到着。
シネマルナティックは、大衆演劇の劇場マツゲキのあるビルにあります。映画館も、古い繁華街の名残りのあるその界隈の雰囲気も、福間監督の好みにぴったり。
今日は、去年の11月に福間監督を招いてくれた「愛媛詩話会」のみなさんが大勢来てくれました。昨日につづいて足を運んでくれた方々もいます。
ほかにも、いろんな方々に支えられて、『岡山の娘』は松山にやってきたのです。
息のあった山崎はなさんとトークの二回目。
福間監督は、熱弁をふるいながら、『岡山の娘』を作って、こうして次々に新たな出会いの機会を持つことができた喜びを、あらためてかみしめているようでした。
そして最後に、シネマルナティックが存在することの大切さ、今回の「気になるインディーズ日本映画特集」という企画の意義について語り、「どうか、みなさん、シネマルナティックをこれからもっともっと応援してください」と結びました。
トークのあとも、ロビーで話がいつまでもつづきました。
福間監督は、親しくなったシネマルナティックのスタッフのみなさんとの別れを惜しみながら、雨のなか、次の目的地広島への船が出る港へと向かいました。
松山応援スタッフ 坊ちゃん

『岡山の娘』の松山シネマルナティックでの上映は、3月21日(土)からスタート。「気になるインディーズ日本映画特集」として、『へばの』、『ホームレスが中学生』、『ブリュレ』、『大丈夫であるように〜Cocco終わらない旅〜』とともに、スライド式の上映時間で、1週間の番組が組まれました。
福間監督は、前夜、4月の高松上映のための打ち合わせと宣伝のために、高松で一泊。
この初日、お昼すぎに福間恵子プロデューサーとともにバスで松山入りしました。
映像チェックのあと、さっそく食いしん坊ぶりを発揮して、松山名物の「鍋焼きうどん」にニコニコ顔。
上映後のトークのお相手は、今回の特集上映をシネマルナティックの橋本支配人とともに企画してくれた山崎はなさん。
はなさんは、前作『急にたどりついてしまう』の上映でもお世話になった、福間監督にとっては貴重な理解者のひとり。
はなさんの好リードの下、監督は、『岡山の娘』を撮るにいたるまでの経緯と、どんな思いで『岡山の娘』を作ったのかを、表現者としての活動と人生の時間の流れが合わさって『岡山の娘』へと自分を押し出してくれたと語りました。
西脇裕美さんが魅力的な「みづき」になっていった変化の過程をはじめとして、一本の映画ができあがるまでのスリリングなエピソードの数々。
そして、はなさんが前もって宿題で出しておいたという、ほかのトークでは話していない「松山のためのとっておきの話」もしてくれましたが、例によって、福間監督の話は迷路にさまよう感じもあり、実は、何が「とっておきの話」だったのかわからなくてなってしまった気もします(笑)。
この日、駆けつけてくれた客席のファンとの質疑応答も、たのしく行なわれました。
これからのことを尋ねられて、「月曜から金曜まで大学の仕事とかをやって、土日は映画を撮るというような気楽なペースでやれたら楽しいんだけどな」と福間監督。
松山には去年の11月にも来ているので、松山がすっかり気に入り、しかもはなさんとの呼吸がぴったりで、いつになくリラックスしている様子でした。
山崎はなさん、ほんとうにありがとうございました。
松山応援スタッフ 坊ちゃん

3月8日(日)、福間監督は、阪急の十三駅前の居酒屋「十三屋」で、飲みすぎないようにと注意しながら、大感激のランチタイムをすごしたあと、午後2時、天神橋筋六丁目駅に到着。イベントの主催者、銀幕舎の高瀬進さんに案内されて、会場の古本屋カフェ「ワイルドバンチ」へ。
ぎっしり棚にならんだ古本の匂い。文学と映画とジャズの店です。
福間監督にとっては、京都「ろくでなし」の横田直寿さんや姫路の詩人大西隆志さんら、なつかしい仲間との再会の場ともなりました。
午後3時からイベント開始。
まず、『岡山の娘』を作ったいまの心境を、福間監督が語りました。
「まだ映画学校の学生が卒業制作の作品をつくったという段階の感じ。これからです」
あと2日で60歳になるというのに、若い!
それから、ロックンロールに夢中になった少年時代のことが語られました。
休憩のあと、1969年、福間監督が20歳のときに完成させた『青春伝説序論』をDVDで上映。そこから、司会の高瀬さんと福間監督による1960年代後半の文化をめぐる話が展開されました。
福間監督は、このなりゆきにいささか戸惑い気味。『青春伝説序論』についての質問には、どう答えてよいのか迷っているようでしたが、
「20歳のころはこんな馬鹿だったって証拠。それに向き合うのに、みなさんに立ち会ってもらってよかったのかもしれない」と照れくさそうに……。
駆けつけてくれた『へばの』(やはり大阪のプラネット+1で、3月7日から20日まで上映中です)の木村文洋監督があいさつをして、
「20歳でこれだけの表現をしているのに驚いた。『青春伝説序論』でも、『岡山の娘』でも、福間監督は、時代のいま、世界のいまをつかもうしている」と語ってくれました。
また、客席からの「福間さんの詩も、映画も、歩いている感じがする」という声に、福間監督は、わが意を得たように、「そうなんですよ。『青春伝説序論』のころは、まだドアをあけていなかった。それから、ドアをあけること、ドアをあけて外に出ること、外に出て歩くことこそが、表現することなんだと自分に言い聞かせてきた」と熱く語りました。
ポレポレ東中野でのオールナイトにつづく、表現者福間健二の40年を感じさせる貴重な瞬間となりました。
会のあとも、福間監督は、ビールグラス片手に「大阪ってやっぱりいいなあ」といつまでも去りがたい表情。「ワイルドバンチ」の本棚にも、そして天満駅付近の飲み屋街にも未練をたっぷり残して、新幹線に乗るため、新大阪駅へと向かいました。
大阪応援スタッフ ハウンドドッグ

『岡山の娘』の大阪公開がはじまりました。
淀川区十三にある第七藝術劇場での、1週間限定レイトショー。
3月7日(土)の初日は、50人近い観客が駆けつけてくれました。
上映後の舞台挨拶に登場した福間監督は、『岡山の娘』の準備・撮影から今日までの時間をふりかえって、「人生の時間を削ってこういう映画を作り、その一方でそれによってなにかを取り返したという思いがあります。もうすぐ60歳になりますが、表現者としてばかりでなく、ここまで自分が生きてきたことの集大成としてこの『岡山の娘』があります」と語りました。
「詩をどう使おうと考えたのか?」という質問に対しては、
「最初から考えていたところもあるけど、現場での雰囲気で、ここは詩をぶっつけられるなと感じたところでは、即興的に詩を読んでもらった。その場のノリで、詩を入れたツナギを考えたんです」。
また、岡山の風景が、アングルを変えれば世界の別な場所にも見える。岡山にこだわりながらも、そんなふうに世界のどこにでも通じるような物語を目ざしたことなどについても、福間監督は、例によって詩的な飛躍をまじえながら語りました。
第七藝術劇場の支配人松村厚さん、同劇場の映画顧問倉田剛さん、そして詩人仲間、岡山から来てくれたスタッフ・応援者のみなさんに囲まれて、打ち上げでも大いに語った福間監督。飲み屋のならぶ十三の街がすっかり気に入った様子でした。
大阪での上映は、3月13日(金)まで。
どうぞ、みなさん、大阪にやってきた『岡山の娘』をよろしく。
大阪応援スタッフ ハウンドドッグ
2009.2.17〜2.24.
2月17日(火)
二日酔い気味。
佐藤忠男さんの『私はなぜアジア映画を見つづけるか』を、
書評を書くために読む。
『岡山の娘』に肩入れしてくれた、ししらいぞうさんの
ブログ「調節作用」を見ていたら、
佐藤さんは映画批評家の「遺物」のひとりにされていた。
そんな感じもないわけではないが、
佐藤さんは、いろんなところに行って、
わたしたちが簡単には見ることができない映画をたくさん見ている。
そして、彼の書くものには、
映画批評を書きはじめた1950年代後半の
若い「思想」や「自由」が、独特の穏やかさをもって、
生きつづけている、と信じたい。
戦後まもない時期のその映画体験が、
映画がまだ若い状態にある国々の、
未知の作品との出会いを呼びよせている、
という筋をいちおう考えた。
2月18日(水)
横浜、幻野映画事務所(弟のところ)へ。
『岡山の娘』の英語字幕版づくり。
14〜16日と二泊三日でやったあとのつづき。
今日も泊まりで、遅くまでやったが、まだ終わらない。
マックのファイナルカットを使って、
かなり簡単に出来ると思っていたが、
英語字幕を入れたカットを約800枚重ねてゆくという作業で、
しかも英語の表現そのものにもまだ迷うところがあるので、
時間がかかる。
日本語で字幕を出しているところに
どう英語を入れるかという課題もある。
中川財務相、辞任にいたるまでのニュース。
「嘘をついている」「ごまかそうとしている」
「しまったと思っている」「もういいやと投げやりになっている」
というような顔と挙動はこういうものか、と演出の勉強をする。
2月19日(木)
横浜から大学へ。
教授会。
その前に小さな会議と小さな仕事。
午後8時すぎに国立に戻り、「奏」に寄る。
フミちゃんとリーちゃんに挟まれて、ワインを飲む。
外は、雨になっていた。
2月20日(金)
毎年のことだが、この時期、決断力が鈍る。
そういう体になっている。
それなのに、決断しなくてはならないことが、この時期は多い。
そうだったのだと気づかされる。
『私はなぜアジア映画を見つづけるか』の書評(770字)を片付けて、
栗田有起の「しろとりどり」(「新潮」2007年12月号)を読む。
豆腐工場で働くヒロイン。
なにもかもを白くして生きている。
職場に親しい女性がふたりいる。おもしろかった。
クリント・イーストウッド監督『チェンジリング』を立川で見る。
実話。なんともすごい話だ。
1920〜30年代風のきついメイクのアンジェリーナ・ジョリーの顔を
ローキーの暗い画調のなかにおいただけで、
勝負はつけているという感じ。
その上に、いろんな小技が効いている。
立川から南武線で谷保にまわって、「たちばな」へ。
タラの白子の天ぷら。はじめて食べた。
2月21日(土)
朝から、福間塾のための詩を書く。課題は「塀」。
「塀」でまず思い浮かぶのは、府中刑務所の塀だ。
わたしの半分は、塀のなかで規則正しい生活をしていて、
あとの半分が、ここにいて、なにかしている。
そういうアイディアにしがみついて、なんとか書き上げるが、
パソコンの調子がおかしくなって原稿が刷り出せない。
がっかりし、なぜか一瞬、暗い気持ちになる。
大げさに言うと、どうも、パソコンに苦しめられるたびに、
この世界のあり方、自分の生き方に対して、
なにかが根本的にまちがっているという気がしてくるのだ。
いつも3時間以上つづく福間塾、
最初の2時間だけつきあって、吉祥寺へ。
いせや本店での、桃ノ忌(会田綱雄忌)。
池井昌樹さんがやっている会で、今年は第十九回である。
2月22日(日)
幻野映画事務所。午前10時前に着くと、
原將人監督が来ていた。
5分の短篇をハードディスクからHDVに落とす作業で、
ハードディスクのコードを忘れた(京都に!)とかで、
手こずっていた。待っているうちに
横浜女子駅伝がはじまってしまった。
午後1時から、京急の井土ヶ谷駅近くの喫茶店で、
英語字幕の協力者、安井マイケルさんと、
字幕の英語について、最終的なチェックをする。
実際に画面に付けてゆくなかで
やっぱりどうなのかと迷い出した箇所について、
彼の意見を求めた。
なんとか意味が通じるようにしたいのと、
もうひとつ、英語でも詩を感じさせたいという希望がある。
たとえば、北川透さんが語った「弱い心」。
weak heart では、「(健康的に問題のある)弱い心臓」。
soft heart では、「優しい心」になる。
heart は、あきらめて、delicate soul とすることにした。
安井マイケルさんは、首都大学東京の同僚。
若いときに詩集を出していて、映画も作っている。
願ってもない協力者だ。
午後3時前に戻って、午後10時すぎまで字幕入れをする。
2月23日(月)
午後6時すぎ、字幕入れの作業を終える。
パソコンの画面の、分割された画像、
そのなかの文字を見つめる作業。
これを、二泊三日、一日、一泊二日と、合計6日間やった。
わたしも(決断力の鈍さもあって)疲れたが、
弟はもっと大変だったと思う。
もう少し直すところも出てくるだろうが、
いちおうできたので、ほっとする。
午後8時45分、帰宅。
NHKニュース。『おくりびと』の
アカデミー外国語映画賞受賞を大々的に報じていて、
滝田監督のお父さんが富山で大喜びしている画像もあった。
2月24日(火)
きのうも寒かったが、きょうも寒い。
きのう、横浜から帰る満員電車で読みはじめた
ジョゼフ・マクブライドの『Hawks on Hawks』を読む。
ハワード・ホークス監督のインタビュー。
前に一度読んでいるが、読みだしたらやめられなくなった。
どんなことにも深刻になる必要はない。
いいシーンが撮れそうになければ、
できるだけ速くそれを片付けるか、棄てるかして、次に進む。
楽しむこと。楽しさを引き出すこと。
登場人物それぞれを「人間」にすること。
ホークスの作品もそうだが、その言葉を読んでいるだけで、
半端な「ウツ」は吹っ飛んでしまう。
明日から3月2日まで、
苦手な仕事をしなくてはならないので、日録、休みます。
2009.2.9〜2.16.
学年度末の大学の仕事、原稿、その他で、余裕のない日々がつづいています。
今回は、日録を休んで、少し前にあるところで受けた『岡山の娘』の音楽についての質問への回答を再現してみることにします。
〈『岡山の娘』の音楽はどう考えたのか?〉
ある段階で、デヴィッド・リンチのテレビシリーズ『ツイン・ピークス』みたいなのがいいと言ってたんです。ちょっとパクリっぽいテーマ曲が、いまおかヴァージョンじゃない方の予告篇に入っていますし、完成版の本篇でも、ラストの「スワニー川」の編曲にいくらかそういう感じがあります。
好きなヒップホップ的なのも、ショートヴァージョンでは使ったんだけど、いかにも打ち込みというのが、コンピューターで作りましたって感じになりすぎるんで、やめました。
前半、ナレーション、蝉の音、字幕、それに亡くなった母の歌で、リズムが生まれている。そこに音楽があるのはじゃまな気がして、入れていた音楽を抜いていきました。
音楽の吉田孝之さんも、わたしも、だんだん、音楽がいるのかなって疑いだしたんです。雰囲気が出ていないとかいうのをカバーするために音楽を使うのは、やめることにしました。
画面の意味をなぞって説明するんじゃなくて、対位法的にぶつかるもの。それが基本でしたが、残った音楽は、結果的に人物の気持ちをよく表現していると思います。
いまの時代を生きる気分+ポップ、という感じで、できたら街の音のなかにあるもの。そういうふうにもしたかったけれど、むずかしかったです。
〈お母さんの歌う「ククルククー・パロマ」は?〉
ウォン・カーウァイもペドロ・アルモドバルも使っている曲だけど、もともとこれは、いなくなった人間(実は、浮気な女)のかわりに鳩が飛んでくるというもので、死んだ女性の声で歌われるのによいと思いました。
ちょっと気がつかないかもしれないけれど、お母さんの好きだったこの歌を父と娘でハミングしたあとのつながりで、この曲を速いテンポの明るいアレンジにして、男たちの会話の場面にも流しています。
〈ラストの「スワニー川」はどうして?〉
川が出てくるから、川の曲。そう思いながら、版権のない曲をさがしていって、フォスターにぶつかりました。そして、川べりで少年がハーモニカを吹いている感じというアイディアを、妻が出してくれたんです。
ほんとうは「故郷の人々」という題だって、あとで教えられましたが、その題も『岡山の娘』に合っている気がします。
とにかく、日本の風景も見ようによってはスペインの風景に見える。それと同様に、岡山の旭川がアメリカの川になってしまうのも、おもしろいと思いました。
それは、みづきの物語がだれでもないだれかの物語へと、そして岡山の物語がどこでもない土地の物語へと、突き抜けていけばいいってことでもあります。
以上、「音楽についての質問に答える」でした。
最近、吉田孝之さんが、実際には使わなかった曲もふくめて、
彼が『岡山の娘』のために作った曲を集めたCDを送ってくれました。
ひとつのコンセプトにつらぬかれた、なかなかのアルバムになっています。
全部で19曲。25分。
どれもよく聴いた曲で、
『岡山の娘』の音を作っていったときの「苦労」も思い出されて、なつかしく、
心の奥の、大事なものをしまっているところに響いてくるという感じです。
もうひとつの『岡山の娘』、音楽作品としての『岡山の娘』が、
確かにそこにあると思いました。