名古屋シネマテークでの公開初日の28日(土)、福間監督は夕方5時半ごろ名古屋に到着。シネマテークを訪れるのは3度目です。最初は「石井輝男監督特集」のトークのお相手、二度目は『急にたどりついてしまう』の公開、そして今回の『岡山の娘』の公開。そう、名古屋シネマテークは、福間監督のふたつの作品の上映を引き受けてくれた貴重な劇場です。
名古屋市の繁華街、今池にある名古屋シネマテークは、日本中知る人ぞ知る老舗のミニシアターです。設立は1982年ですが、その前身の「ナゴヤシネアスト」の活動は1971年からという歴史を持っています。ロビーには、名古屋の映画館の歴史を記した貴重な資料や、洋書も含めた映画の雑誌がたくさん置いてあり、自由に閲覧できるようになっています。映画館であると同時に、映画資料館でもあるような、映画ファンにとってはワクワクする空間です。
さて、8時すぎ、劇場ロビーには観客の方がぞくぞくと来られました。福間監督が若い頃に参加していた詩の雑誌「あんかるわ」の同人の方や名古屋近辺の詩人の方がたくさんいらしてくれました。
8時半からの上映が終わって、支配人の平野さんの進行でトークが始まりました。
「『からっぽ』や『からっぽの夏』という言葉が気になった」という観客の方からの質問に対して、監督は次のように説明しました。
「みづきの言葉としての『からっぽ』や字幕に出てくる『からっぽ』は、お父さんのセリフにある『中身がないんだ、俺は』と同じような意味で、みづきとお父さんをつなぐものとして考えました」。
そして平野さんからは鋭い指摘が出されました。
「この映画には、いわゆる悪い人というか否定されるような人物が登場しないんですが、それは福間さんの詩の表現においてもその根底にあると思える「肯定する」という姿勢につながる気がします。「肯定する」ことこそが、福間健二ワールドでしょうか」。
福間監督は、まさに意を得たりという表情でうなずきました。
最後に平野さんは、監督の次回作にふれて、
「映画作品にはいろいろあって、例えば同じく詩人の鈴木志郎康さんのようにひとりで撮影してひとりで語るものがあるけど、どうして福間さんはそれをやらないのですか」と尋ねました。
福間監督は、うーん、と考えてから次のように答えました。
「つきつめて言えば、人と出会って、いろんな人たちとやっていくのが面白いからだと思います」。

トークが終わってからも、ロビーでは観客の方たちと話が尽きない福間監督。監督にとって13年ぶりの名古屋は、外の寒さを感じさせない熱い夜となりました。
名古屋シネマテークでの上映は4月1日(水)までです。どうぞお見逃しなきよう!

名古屋応援スタッフ 今池ロルナ
 
 
 
岐阜から来てくれた「ピーターパン」君が、上映前の挨拶の様子を撮影してくれました。
画像は少し粗いですが、福間監督の声がしっかり聞こえます。
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[1] http://www.watchme.tv/v/?mid=2389369ed5fc5dd1ad978de168e17dea