半分妄想トルコ日記(2日目・前編)三食朝ごはん食べたい

トルコのホテルの朝ごはんは最高だ。
日本ではデパートのお高級食材店に並ぶようなチーズが何種類も何種類も並び、オリーブの漬け物もこれまた何種類も用意され、果物は缶詰ではなく生、ああジャムと蜂蜜は日本の朝食会場でもよく見るような小さなパックで並んでいるなあ、まあ種類は多いけど、と油断したらでっかいボウルからジャムと蜂蜜を山ほど取ることもできた。せっかくだからボウルのほうからジャムをすくってみたらンンヌヌヌヌヌッッポン! という感じで粘度がすごかった。すくったらすくったでおたまからなかなか落ちてこない。重力を信じて待たねばならぬ。焦ってはいけない。時間はたっぷりある。断食中のフレディは夜明け前に朝食をとっていまはまだ眠っているはずだ。

トルコではチーズは別に高級品ではないそうです。まじかよ。

ところでチャイと言われて何を思い浮かべるだろうか。インド料理店で出てくるスパイシーなミルクティを想像する方が多いのではないだろうか。トルコではチャイといえばストレートティだ。砂糖は山ほど入れていいがミルクは入れない。トルコのチャイの最大の特徴は、濃く煮出された紅茶を適宜お湯で薄めて好みの濃度にできる(してもらえる)こと。「ふつうに紅茶」などとちょっとがっかりしたニュアンスで言われることも多いようだがフレキシブルなところにトルコらしさを感じる。
朝食会場には特に説明もなくチャイサーバーが置いてあるのだが、初見では使い方がわからなかった。注ぎ口のふたつついた給湯器の片方が熱湯、片方が煮出した紅茶なのだ。はじめは濃すぎる紅茶の方だけ飲んで「トルコはなんでもかんでも濃厚だな〜」などと思っていた。

さて、本日の予定はボスフォラス・クルーズ。夕方トルコの国鉄TCDD(テージェーデーデー)の高速鉄道に乗って首都アンカラへ向かう。

イスタンブルという街はボスフォラス海峡を隔てて西と東に分かれていて、西側はヨーロッパ、東側はアジア。その海峡を船で渡るのがボスフォラス・クルーズだ。

あ、これはわたしが乗った船ではありません。

トルコに住むフレディと日本のわたしはメッセージでだいたいの時間を決めてからビデオなり音声なりで話をすることが多かった。たった一度、いきなり着信が入ったことがある。ビデオ通話で「いまヨーロッパとアジアの間にいるよ!」とパンして両岸を見せてくれた。映像が粗くてよくわからなかったけど、普段感情を表に出さないフレディが嬉しそうにしていたのが面白かった。わたしが船に乗ってみることにしたのは、フレディの強い勧めによるものだ。

舳先の方の席に座った。海の上は風が冷たくて、五分袖のシャツ、長ズボン、頭から肩までをストールで覆っているスタイルはちょうどよかった。
数日前に、
「トルコは寒暖差が激しいので長袖の上着を必ず持ってくるんですよ!」
とパーカの写真入りでリマインドしてくれたフレディ本人は半袖のポロシャツで震えている。

ドルマバフチェ宮殿、乙女の塔、ベイレルベイ宮殿など、美しい建築物や名所をつぎつぎに海から眺めたのだが、脳の情報処理が追いつかない。そこらへんの野犬でも買い物のレシートでもなんでもかんでも珍しいのだ。豪華な宮殿も瀟洒な別荘地もすごすぎてよくわからない。
デッキの手すりに寄りかかって歌う女性たち。チャイとジュースをお盆に載せたギャルソンが回ってくる。ヨーロッパから来た白髪の男性がチャイ一杯に100リラ(2000円)札を出そうとすると、ギャルソンは財布を覗き込んで10リラを指差し、おつりを用意する。こういうとこ親切だし案外怖くないぞ、イスタンブル。

前の晩、ショッピングモールのフードコートで食事をしながら「日本の父親は子育てをしない。母親にまかせきりだ」という話をした。トルコでは父親が幼い子どもの世話をしている姿を頻繁に目にする。

スクールゾーンの写真に写り込んだトルコのお父さんによる思い切りの良い高い高い

船には一組、日本語で話している家族がいて、息子たちふたりは疲労困憊したお母さんを捕まえてずっとおしゃべり、中村勘九郎似のお父さんは写真を撮るのに忙しかった。
iPhoneに「典型的な日本人家族です」と打ってフレディに見せたら苦笑していた。

ふいにフレディが
「もう二度と結婚することはないと思う」
と言った。

それがいいよ。わたしも一生結婚しないと思う。

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