発表☆第1回ビバ!ユキオ俳句賞(2/7)


前回は「VR部門」受賞者を発表しました。
今回は「どうぶつ部門」。
動物と人外の句をどうぶつ部門としてまとめました。

【どうぶつ部門】

★金熊賞
熊穴を出づマカロンの踏んだやつ   尼崎武

この句を含めて入賞した熊が4頭いるのですが、その中でマイベスト熊だったので金熊賞です。
「熊穴を出づ」で春の句。冬眠から覚めた熊がマカロンを踏んだとは読みたくない。穴からのっそりと出てきた熊と踏まれて粉々ベトベトになったマカロンは飽くまでも別のショット。「踏み砕かれしマカロンあり」みたいな文語ではなく見た瞬間つぶやいてしまったような「マカロンの踏んだやつ」というフレーズの唐突感がいい。
マカロンの小ささ脆さに対するとき、人間は熊のように重く巨大な存在だということを思い起こさせます。春っぽいよねマカロンは。

★シェイプ・オブ・クマ賞
抱きあえばどこまでうすくなる熊よ   亀山朧

熊と抱擁する。腕が背中に回りきらず巨木の幹にはりついている蝉のように。と思っていたら熊はどんどんしぼんでいって抱きしめられるほどの薄さになり、抱きしめたその力でさらに薄くなりああこのままでは敷物のように毛皮だけのぺちゃんこになってしまう……。抱きしめたいという欲求を満たそうとすればするだけすり抜けていって満たされない。
セックスの後に心身ともにしぼんでしまう男性の比喩、というのは頭をよぎるのですが、そう考えてしまうとあまりにも直截的で夢がない。ほんものの熊の姿をしたものが空気を抜かれた人形のようにぺしゃんこになっていくさびしさ切なさを味わいたいです。

★萌え吐き賞
か、ち、かち、とだぶるくりっくするヒグマ   おのだみき

本州にいる黒いツキノワグマではなく北海道の茶色くて大きなヒグマ。
大きなヒグマの手でマウスをクリックするのは難しい。
「か、ち、かち、」というダブルクリックは、ゆっくりすぎてシングルクリック2回と認識されるのではないか。だからヒグマさんはダブルクリックと認識されるまでなんどもなんどもかちかちかちかちかちかちかちかちを繰り返さなければいけません。読点が利いています。ひらがなも「人間のするというだぶるくりっくとやら」をしている感じが出ています。
だいぶ冷静に書きましたが大きくてかわいいものがいっしょうけんめい細かい作業をしているかわいらしさがおわかりいただけるだろうか。
このヒグマはタイピングもあまり得意ではないはずです。どんな文章を打つか想像してほしい。「こんんひjちひゃ とんwりにひこそkてkみたくまでし・(訳:こんにちは。隣に引っ越してきたくまです。)」みたいなメールをもらうところを想像してみてほしい。キーボードに蜂蜜をこぼしたりするしUSBメモリがうまくささらなくて30分格闘した末に諦めたりしますよ…ウッ…ウッ…かわいそうかわいい…!
もしもこの句が「カチカチとダブルクリックするヒグマ」と書かれていたらそんなに面白くなかったでしょう。何の問題もなく人間にまぎれこんでスーツ着て中央省庁で働けてしまいそう。(でもヒグマが平気な顔をしてオフィスで働いていたらそれはそれでかわいい。)

★ボストンバレエ団賞
離陸する形になつてゐる羆   八鍬爽風

もうねえ、これは、見てください。ボストンバレエ団のクマを。

ところで熊が冬の季語とされるのはなぜなんだろう。
狩猟の対象としての熊。冬眠の途中に腹が空いて人里に出てきたとおぼしき熊。冬を暖かく過ごすための道具、毛皮としての熊。歳時記に載っている例句からするとだいたいそんなところ。ただし「生くることしんじつわびし熊を見る/安住敦」とかも載ってるんですよね。こういうのは一年中会える動物園の熊だと思う。
江戸時代のひとたちも「俺ら熊は冬ってことにしてるけどじっさい熊って見たことなくないっすか。冬って言われて実感なくないっすか…」って言ってたんじゃないだろうか。
10年以上俳句を作ったり読んだりしていますが「季語」や「有季定型」の便利さとツッコミどころの多さに興味が尽きません。

★あざとかわいい賞
仔猫歩くぱぱんぴぴぴんぱと歩く   鈴木牛後

「ぱぱんぴぴぴんぱ」という擬音で、仔猫の軽さ小ささ、足取りのおぼつかない様子が表現されています。「ぱぱんぴぴぴんぱ」って、まるでおもちゃのピアノのよう。「ぱ」と広げられた前肢の肉球を見れば表面張力でまるまったプルンプルンのピンクのゲルみたい。触りたい! 触らせろ!「ぴぴぴ」と進んでよろけて止まる「んぱ」!!!
仔猫がかわいいのは全人類が知っている。こんなわかりやすいかわいらしさで殴ってくるなんて卑怯です。くやしい。

おのだみきさんの「か、ち、かち、とだぶるくりっくするヒグマ」のときも思いましたが「かわいい」という心の動きは残酷なものです。自分より弱いもの、不器用なものに感じる好ましさ。ヒグマの句は人間より明らかに大きく強い存在が背中を丸めて不器用にも人間の暮らしを真似しようとしている健気さが「かわいい」。人間の暮らしにおいては人間は優位に立てるから、それが上手くできないものを(野生の状態では獰猛であるにもかかわらず)「かわいい」と思える。
「かわいい」が「守りたい」に繋がればいいんだけど、世の中には「かわいい」から「いじめたい」の方に舵を切ってしまうひともいますよね(例:Guardians of the Galaxy Vol. 2におけるベイビー・グルートの受難)。わたしもときどきどうぶつの森のエレフィンさんや奈良のしかまろくんを責め苛む妄想をします。

★信頼できない語り手賞
「違うんです。生け簀の亀の鳴く声です」   みやさと

だれかの発言であることを表すかぎかっこがついています。
生け簀に亀を飼っていることがあるだろうか。生け簀にいるのは大概スッポンです。
そして春の季語「亀鳴く」。亀が口から音を発することはあっても「鳴く」といえる程ではないので「亀鳴く」は「想像上の季語※」とも言われています。
以上のようなことを念頭に置いて、3分程度座禅を組んでみてほしい。ふと、とんねるずの「おならじゃないのよ、おならじゃないのよ、ちょっと空気が入っただけ」という今の感覚では許容しがたいギャグが鎌首をもたげてきはしまいか。
亀を持ち出した時点で男性から男性への言葉として読んでほしいことを示唆しているようにも思えます。だとすればそれは解剖学的にはほぼ「おなら」なのではないか
この俳句も「VR部門」の松本てふこさんの句と同様、BL部門に入れようかどうしようか非常に迷いました。

※平井照敏編『新歳時記 春』河出文庫

★高丘親王賞
貘の仔をおぼろの街へ放ちけり   加留かるか

動物園の獏ではなさそう。夢を食べるほうの獏ではないでしょうか。
寒さの緩んだ春の夜。ぼんやりとかすんだ街に獏を放つ。人間たちの夢をたーんと食べておいで……。
澁澤龍彦『高丘親王航海記』によると、人間の夢を食べた獏は白い薄い膜におおわれた夢の食べかすを排泄します。膜の中には香りの成分が詰まっており、悪夢を食べた獏は悪臭のする糞を、良い夢を食べた獏は馥郁たる香りの糞を排泄するのだそうです。(おっと。どうぶつ部門、ちょっと尾籠な方向に傾いてきたぜ。)
朝もやの街には、ある種のきのこのような、濁ったしゃぼんだまのような、獏の食べ残しが転がっているかもしれません。

★秋葉原賞
豆撒きの鬼面のかわいすぎる件   土井探花

「かわいすぎる」「件」ってライトノベルのタイトルのよう。このお面、鬼の角がついた美少女のイラストなのではないでしょうか。そうよ。さっき言ってたのこういうことなんですよ。かわいいものに豆をぶつけたがるんだよ人類は!
オタク文化の中で好んで使われる言葉を取り入れた軽妙なおかしさがある一方で、その界隈でしばしば目にする「お金を出してるんだから何をしてもOK」「表現は自由であるべきで何を描いてもいいしゾーニングは必要ない」というような意見を思い起こさせて、素直には笑えない句です。
なんだかディスっているようになってしまいましたが、そういうマイナス面を示唆する、非常に今日的な表現であるというところを高く評価したいです。

★象を称えよ賞
十月の象を洗へる女かな   森舞華

象は形状からして男性器の比喩では、なんてそんな無粋なことを言ってはいけない。(言っちゃった! ごめん! 忘れて!)
象とそれを洗う女性の組み合わせにエロスを感じるならむしろ象と人間の肌の質感の違いや、圧倒的な大きさの違いからくる危うさ、あるいは現代アメリカにおける「洗車する女性」という定番の性的なモチーフなどに目を向けたい。
「十月」は動きそう(=他の言葉に置き換えることができてしまいそう)に見えますが、七月や八月ならば「馬洗う」「牛洗う」という夏の季語のイメージとぶつかってしまうし、「一月」にすると寒々しくなってしまう。「三月」だと春先のふわふわした感じがエロスに寄与しすぎてちょっぴり下品。「六月」は雨が降るから洗う意味がなさそう。と考えたときにやはり「十月」くらいがちょうどいいような気がします。水気があるのに不思議とドライ。