追加トークショー決定!

ポレポレ東中野にて好評上映中の『岡山の娘』ですが、追加イベントが決定しました!

※上映前トークショー
11/30(日) ゲスト:松江哲明(ドキュメンタリー監督)
12/2(火) ゲスト:瀬々敬久(映画監督)
(すべて福間健二監督とのトークになります)

まだまだ上映は続きます!
皆様のご来場、心よりお待ちしております。

22
11月
2008

東中野上映レポート 3

11月19日水曜日。冬晴れの夜は冷えこんでいる。今日のトークゲストは、詩人で映像作家でもある三角みづ紀さん。三角さんの処女詩集『オウバアキル』は中原中也賞を受け、『岡山の娘』のなかに登場する詩集『カナシヤル』は昨年の歴程新鋭賞を受けた。いま海外からも注目されている詩人である。

映画のヒロインみづきは三角さんがモデルではないが、名前は彼女からもらったそうだ。けれども、『岡山の娘』は三角さんの詩と映像からいろんなかたちでインスピレーションを受けている、と監督は言う。

さて、今日のトークは後半に三角さんの朗読がある。

監督の「映画のなかで詩を使わせてもらいたいとお願いしたとき、どう思った?」の質問に、「すごくうれしかった」と答えた三角さんの笑顔が印象に残った。

ふたりともちょっと照れているようなトークのあと、石井ようへいさん(失礼!漢字がわかりません)のギター&パーカッションとともに三角さんの朗読は始まった。映画のなかで使われた「ひかりの先」と「あまのがわ」。しずかにひびく透き通った声はときに歌になり、リフレインして、わたしたちの胸に届く。二つの詩を自在に行き来しながら、三角みづ紀の詩は音楽になる。うつくしい音色の「魅惑にみちた苛酷な世界」にいつのまにかひきずりこまれていた。

詩人の方がたくさん来てくださった5日目でした。

宣伝スタッフ Antony

22
11月
2008

あいさつ&お願いなど

ポレポレ東中野でのレイトショー公開がはじまりました。
宣伝そのほか、ご尽力いただいた方々、
応援してくださっている方々、
ほんとうにありがとうございます。

初日の舞台挨拶は、
「あがってたね」「緊張してたぞ」とみんなに言われました。
岡山から駆けつけてくれたわれらがラブリー・ガール、
みづき=西脇裕美にだいぶ助けられた気がします。
二日目は、若松孝二監督との爆笑トークになって、リラックスできました。
高校生のときにこういうめちゃくちゃに面白いおっさんに出会った。
そこからの40 年、
いろいろあったけれどしぶとくやってきたなあ、
ここで『岡山の娘』を作ることができてよかったなあ、
と幸福感にひたりました。
若松さんのあったかさが身にしみました。

活字メディアでは好意的な記事・批評がならびましたが、
ネットでは早くも手きびしい批判が出ています。
そういうのも含めて、映画には、
本を出すのとはちがったかたちの「出会い」が起こるわけですね。
3週間、怖くもあるけれど、たのしみでもあります。

で、これから、ハードスケジュールになって
余裕がなくなりそうなので、
東中野での上映が終わるまでのあいだ、
「答える&日録」の連載は休みます。
そのかわりに、宣伝スタッフによる上映レポートが載ります。
ぜひ、みなさんもコメント入れてください。

ポレポレ東中野には、トークのある日以外も、できるかぎり、
わたしか福間恵子のどちらかが行っているようにします。
『岡山の娘』に会いに来てください。
では、ポレポレ東中野で。
                             福間健二

18
11月
2008

東中野上映レポート 2

上映2日目の11月16日は、「レイトショーの日曜日はきびしい」に追い討ちをかけるような小雨のぱらつく曇天。しかし午後8時30分、「ポレポレ東中野」の前は明るい。整理券と引き換えて「岡山ミニみやげ」を手にした人たちが笑顔で開場を待っている。

今日のトークゲストは『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が大ヒットしている若松孝二監督。福間監督が到着すると、若松監督はすでにロビーに待機していた。かつての弟子に「観客を迎えるのはこういうことだ」と態度で示すように。

9時、支配人の大槻さんの司会でトークが始まった。若松監督のメッセージは熱い。その温度は場内に浸透してゆく。「現実の世界で警察を殺したらすぐに刑務所だけど、映画の中なら100人殺したっていいんだ。オレはそうやって映画を作ってきた」

60年代、ピンク映画に革命を起こし、72歳のいま、2年をかけて作り上げた『連合赤軍』を引っさげて、文字通り世界に立ち向かう。

「オレも福間君もこれからまだまだ映画を作りたいんだ。だから皆さん、みんなに声かけて『岡山の娘』を盛り上げてやってくれ」

アンパンマンとヤクザが同居するようなこの大監督のあたたかい言葉。

若松監督、ありがとうございました。

宣伝スタッフ Antony

18
11月
2008

東中野上映レポート 1

11月15日土曜日。映画『岡山の娘』はついに公開初日を迎えることができました。当日のポレポレ東中野には、開場30分以上前から当日券を求めるお客さまが沢山集まって下さいました。

この日は福間監督もそわそわと緊張した様子で、舞台挨拶前にはこっそり「お散歩」にお出掛け。でも主演女優・西脇裕美さんをお迎えしていよいよ舞台挨拶が始まると、監督は『岡山の娘』への思い入れや映画の見所などを、熱く訴えていきます。西脇さんも、これから女優さんとして成長していくのが楽しみになるような、しっかりとした口調で、また、ときにユニークな表現で、『岡山の娘』とご自身について話され、会場は和やかな雰囲気で上映を開始しました。

終映後、劇場のドアが開かれると、監督の元には多くの方が駆けつけさまざまな感想を聞かせてくださいました。そして、西脇さんにはサインを求めるファンの姿が。

『岡山の娘』がご来場くださった皆さま一人一人の胸に、それぞれの感じ方で響き、記憶として残り、またいつかもう一度観たいと思って頂けたなら、監督・スタッフ一同、共にとても嬉しく思います。公開期間中は半券をお持ちになっていただくとリピーター割引がありますので、皆さま是非またご来場ください。

改めて、ご来場いただいた皆さまに心よりお礼申し上げます。

ありがとうございました!

宣伝スタッフ 河野まりえ

18
11月
2008

東京公開初日!

ポレポレ東中野でのレイトショー、
いよいよ今夜からです。

上映期間は、3週間(12月5日まで)。
毎日、午後9時からスタート。
終了予定は、
監督とゲストのトークのある日は、午後11時ごろ。
トークのない日は、午後10時45分ごろです。
前売券の方も、当日券の方も、
整理券の番号順による入場になります。
トークは午後9時から(上映の前に)行ないます。
トークのある日は、どうぞお早めに。
近くの方も、遠くの方も、
みなさん、ぜひ足を運んでください。

15
11月
2008

福間健二の、質問に答える&日録 10

2008.11.3〜11.10.

11月3日(月)
チャンネルネコで『海女の戦慄』(志村敏夫監督・1957)を見る。
何度も見ている、大蔵貢社長時代のいかにもという新東宝作品。
肌を露出する前田通子、三ツ矢歌子、万里昌代がいいというよりも、
セットなどの安っぽさに妙な漫画的味があるのだ。
小坂一也の主題歌、マッチを折る癖のあるチンピラ、
鬼の岩太という気のいい敵役などを、今回は意識した。

斉藤環の『文学の断層 セカイ・震災・キャラクター』という本を読む。
ヤンキー文化、サブカル文化、おたく文化が、
今日の若者文化の三つの極であり、そのなかで
ヤンキー文化がいちばん動員力をもつそうだ。
レピッシュ(児戯的、「破瓜病」の特質を示す言葉)、
リアリティ的リアリズム(リアルに感じられるからリアリティがあるとする)、
メタリアル・フィクション(批評の言葉で書かれたフィクション)
などについて学習してしまった。
『おくりびと』を見てきた妻と、また『おくりびと』の話。
モッくんは日本のトニー・レオンだと妻は言うが、どうだろうか。

111月4日(火)
大学祭で、授業は休み。
午前3時起床。フルスロットルの読書マシーンとなって、
切通理作『増補決定版 宮崎駿の〈世界〉』(なんと620頁もある文庫本)
平岡篤頼『記号の霙』(すごくおもしろかった)、
荒川洋治『読むので思う』(「ひとり角力」という大道芸があったことを知る)
の三冊を読む。

雑誌「シナリオ」来る。
『岡山の娘』が『ハッピーフライト』と対でならんでいる。
シナリオの校正、甘いところがあって、反省。
生きる上での、別なことでも、甘いところがあって、反省。
午後、服部歯科。定期点検。あと二回行くことになってしまった。
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの
処女長篇『愛は死より冷酷』(1969)を、DVDで。
「15歳のときに父を殺した」
主筋とは関係ない列車の女性がそう語りはじめたのに、いちばん驚いた。
ついでに短篇の『都会の放浪者』(1966)と『小カオス』(1967)も見る。

11月5日(水)
昼は、原稿。
夜は、吉祥寺で足立正生・沖島勲の両先輩と飲む。
行こうと思っていた店が休み。
じゃあ、こっちにするかと思って行った店はずっと前に消えていた。
で、いま風の、ここに名前をあげる気にならない店に行く。
三人で飲むのは、36年ぶりだろうか。
話(「企業秘密」で、省略)は尽きないのであるが、足立さんは先に帰り、
そのあと、沖島さんと二人で行ったレトロ居酒屋「半兵衛」が、おかしかった。
パン耳揚げ(60円)なんてメニューがある安い店。
働いている女の子たちが可愛くて、
なぜかわたしたちの近くの席にいる女の子たちもみんな可愛い。
で、二人とも徹底的に飲んでしまった。
吉祥寺駅で別れたが、沖島さんがちゃんと帰ったかどうかが心配だ。
家に帰ると「キネマ旬報」があった。
インタビューも二つの批評も、『岡山の娘』を
しっかりと受けとめてくれたもので、とてもうれしい。

11月6日(木)
授業三つを無事にやったあと、
MOVIX橋本で前田哲監督の『ブタがいた教室』を見る。
26人の生徒をちゃんと撮っている。ツマブキもいい。
そして、こっちもいつのまにか参加しているような終盤のディスカッション。
ということは、いい映画なのだ。

111月7日(金)
5日の朝に撮影し、そのあと、カメラを、
マンションの屋上(うちの専用スペースに部屋から上がることができる)の
椅子に置いたままにしていた。
そして昨夜からは雨である。
しまったと思った。でも、カメラは動いた。撮れたのだ。
おれの可愛いDCR-HC40、えらいぞ、と頬ずりしたくなった。

午後6時、飯田橋の「歴程祭」の会場に行く。
北川透さんが『中原中也論集成』で歴程賞を受けたのだ。
北川さんは、スピーチの最後に、『岡山の娘』のなかと同じように
中原中也の詩を暗唱で朗読した。
すてきな若い女性が二人いたので、
『岡山の娘』のチラシを渡そうと接近したら、
なんと北川さんのお嬢さんたちだった。
去年はここで歴程新鋭賞をもらった三角みづ紀さん、
撮影班の腕章を付けて、カッコよくシャッターを切っていた。

11月8日(土)
国立市公民館の「詩のワークショップ」。きょうはゲストなし。
受講者の課題作品(「わたしにとって詩とはなにか」を作品にしたもの)
を読んだあと、連詩・対詩の例として、
三木卓・高橋順子・新藤涼子『百八つものがたり』
(連詩の作品でこれ以上のものはないというのが、わたしの持論)、
そして高貝弘也・福間健二「夏の旅」を読む。

午後7時から、新宿の「栄寿司」で
北川透さん、藤井貞和さん、瀬尾育生さんと飲む。
首都大学東京「現代詩センター」の機関誌として
四人の書く雑誌を出す。
そのための顔合わせ。あとは、いちおう「企業秘密」。
11時ごろ、国立に戻ってきて「利久」の前を通ると、
妻やワークショップの何人かが中にいるのがわかった。
中に入って、また詩の話。
朝から晩まで詩について考えた。
しかし自分は映画青年ではあっても文学青年ではないと意識しながら。

11月9日(日)
午前5時すぎに起き、羽田8時45分発のJAL便で松山へ。
詩人の堀内統義さんが空港に迎えに来てくれた。
愛媛の県民総合文化祭の「現代詩大会」の講師として招かれたのだ。
〈詩はときに慰安の場所を提供してくれる〉(詩人B氏の発言)。
講演、オープン・ディスカッション、ショートスピーチと朗読で、
あっという間に、たのしい午後の時間がすぎていった。
詩のわからなさに対してどう向かうのか、という質問に、
〈だれもが存在としてわからなさをかかえている。
そのわからなさと詩のわからなさが出会うということもある。〉
と答えることができたのが、
わたしにとっても大きな収穫であった。

カコアというNPOをやっている田中教夫さんと会場で会い、
松山での『岡山の娘』上映への協力をお願いした。
そのあとは、ホテルでの、おいしいディナー・パーティ、
そして夜の街に出てのバータイム(大好きなアイラ島のウイスキーを飲んだ)。
映画の上映準備でバタバタしている日々から
こういう場所に来て、謝礼もいただき、なにかバチが当たりそうな気がした。

11月10日(月)
暗いうちに目が覚めた。
ホテルの部屋に置いてあった漱石の『坊っちゃん』を読みだしたら、
おもしろくてやめられなくなった。
でも、松山への挨拶のしかた、
もう少しなんとかしてもよかったのではないですか、金之助君。
朝食後、一時間半ほど歩いて、松山の街を肉眼で撮影する。
地方都市はだいたいどこでも好きになるが、松山も気に入った。
堀端の木々。紅葉しかけているのもあって、きれいだった。

午前10時、堀内さんに車で向かえに来てもらい、
愛媛詩話会事務局をやっている森原直子さんと三人で内子方面へ。
目ざしたのは、大江健三郎さんの生家のある内子町の大瀬。
森も、谷間も、通りも、そして学校も、すばらしかった。
堀内さんの話でいろいろなことがわかり、
大江文学に熱中した高校時代のころの感覚がよみがえってきた。
内子町は広く、からりという「みちの駅」とフレッシュパークのある場所、
そして観光名所の内子の街並みなどに寄ってから、高速を通って、
ぎりぎり午後4時35分の飛行機
(なぜかJALが都合わるくなって、ANAに変更)
に間に合うように、送ってもらった。
おみやげは、からりで買った竹の子芋と空港で買ったじゃこ天。
松山のみなさん、ほんとうにありがとう。
愛媛って、ラブリー・ガールという意味なんですね。

15
11月
2008

メディア情報

『岡山の娘』の批評などが以下のメディアに掲載されました。
どうぞ読んでください。

「現代詩手帖」11月号    作品評(原將人)

「映画芸術」 425号   インタビュー(聞き手/金子遊)
              作品評(那須千里)

「シナリオ」12月号    『岡山の娘』シナリオ掲載
             インタビュー(聞き手/塩田時敏)

「キネマ旬報」11月下旬号  インタビュー(聞き手/切通理作)
             作品評(石原陽一郎・暉峻創三)

「STUDIO VOICE」12月号 作品評(川本ケン)

「朝日新聞」11月7日夕刊  紹介記事
            

10
11月
2008

福間健二の、質問に答える&日録 9

 2008.10.27〜11.2.

10月27日(月)
夢のなかで。
新東宝(1961年につぶれた映画会社)の世界のような、
そして新東宝映画をやっている映画館のある街を
歩いていることが、よくある。けさも、
石井輝男の『黒線地帯』と『女体渦巻島』と
あと一本(奇天烈なタイトル、忘れた)
をやっている映画館の前に立っていた。
早朝割引で入りたいのだが、開館までだいぶ時間がある。
どうしようかと迷っているうちに、
なぜか東北からやってきた若者と親しくなって、
彼のセピア色の青春のなかに紛れ込み、
警察か犯罪組織かよくわからない「敵」から逃げまわっていた。

ヴィスコンティの『白夜』(1957)をDVDで。
オールセットで、いい画面を要領よく作っているが、
ドストエフスキーの原作を使っていることが活きてこない。
帰ってこない恋人を待つ女性に恋をした男の物語ということなら、
鈴木英夫監督の『二人で見る星』(1948)の方がずっとおもしろい。

去年の話題作『鉄コン筋クリート』を、ケーブルのムービープラスで。
おれの街をどうするんだとか、子どもがまじめにものを言いすぎて、
話がウルトラすぎる。
その前に、結局、わたしはアニメの見方がわかってないのかもしれない。
松本太陽の原作。実は、この原作をベースにした
瀬々敬久監督の『牝臭 とろける花芯』(1996)というピンク映画があって、
その方がずっとおもしろい。

10月28日(火)
例によって、授業四つの日。
1時限目、ゴダールの『小さな兵隊』『女と男のいる舗道』『気狂いピエロ』
『彼女について知っている二、三の事柄』を、一気にやった。
2時限目、ヴィスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』と『揺れる大地』。
後者のどこを一時停止して見せても、
名画のようになっていることにあらためて驚く。
この授業、「高校生の体験学習」ということで、
可愛い女子高校生(なぜか男子はゼロ)が6人も来てくれた。
はりきってやったのは、もちろんだ。
実は、『岡山の娘』の西脇=みづきがいちばんアピールするのは
高校生たちなのではないかという説もある。
しかし高校生たちに作品の存在を知らせる方途がわからない。
そうだ、このチャンスを逃すまいと思って、
授業のあと、女子高校生たちにしっかりと宣伝し、協力をお願いした。

3時限目、藤井貞和さんの詩を読む。
藤井さんの作品〈「『清貧譚』試論」補遺〉に出てくる
太宰治の短篇「清貧譚」を読んできてくれ
と言っておいたのに、読んできた学生は、12人中2人。
文句は言わない。
ただ、「清貧譚」の筋とおもしろさを、読んできた二人とていねいに確認した。

5時限目の「楽しい映画文化史」は、映画の誕生直前の、「動く絵」の展開。
なぜかヨーロッパにとって異郷的な名前の装置が考案されていた。
ゾーイトロープ、フェナキストスコープ、ソーマトロープ、プラクシノスコープ、
そして競走馬の分解写真を撮ったE・マイブリッジのズープラクシスコープ。
そして1888年、G・イーストマンによる
感光紙製ロール・フィルムを使ったカメラ「コダック」の登場まで。

はなまるうどん(大好き!)を食べてから、ポレポレ東中野へ。
城定秀夫監督の『デコトラ☆ギャル奈美』を見る。
『岡山の娘』のみづきは、母の残した借金に対して、自己破産の選択をするが、
奈美ちゃんは、父の残した借金を返すために必死に働くのだ。
つよい女、やさしい男(吉岡睦雄、よかった)、天使的存在、
そして最後の「奇跡的飛躍」(松江哲明)。
なんとこれはわたしの好きな映画の要素が効率よく、
グズグズしないで、そして冒険的にくりだされる快作だ。
城定監督、松江哲明さん、漫画家の花くまゆうさくさん、そして司会は
SPOTTED PRODUCTIONS の直井さんの、上映後のトーク。
それを聞きながら、
処女作『味見したい人妻たち』(2003、ピンク映画)を見て以来、
城定秀夫作品を見ることがなかった自分の不明を恥じた。
その間に、彼は製作条件の悪化するVシネマの荒野で35本も撮っていたのだ。

10月29日(水)
「映画芸術」秋季号。
表2の『岡山の娘』の広告、しっかりと目立っている。
自分のインタビュー(聞き手・金子遊)と
那須千里さんという人の『岡山の娘』評を何度も読む。
季刊誌に、タイミングよく、こういうふうに取り上げてもらえたのも、
関係者のおかげプラス『岡山の娘』はツイている、なのだ。
ほかの誌面では、古谷利裕さんの『アキレスと亀』評にとくに感心した。

夜、アヤコちゃん・コーちゃんの若いカップル、遊びに来る。
アヤコちゃんは、野口整体での知り合いだったが、
なんとこの夏、マカオから帰る途中の台北空港で、
半年のインド滞在から戻る二人と偶然に会ったのだ。
コーちゃんは『青春伝説序論』を見たという貴重な存在でもある。

10月30日(木)
木曜日の午前の授業は、二つとも同じ内容の「実践英語」。
その日のデイリーヨミウリの一面と、
マクルーハンのメディア論を読んでいる。
今日読んだマクルーハンは、
〈演習の授業よりも講義が、対話よりも本が、
「参加度」の低い、つまりクールなメディアだ〉から、
〈フロイトの言う「検閲」は、道徳的な働きであるよりも、
経験を受け入れすぎてパンクするのを避ける防御のためだ〉へと
一気に展開した。
午後、3時限目は大学院の授業。
詩と映画。それぞれの「戦後」を考えようとしている。
鮎川信夫の詩を読んだ。
わが友瀬尾育生の二十代の仕事である『鮎川信夫論』の凄さに、
いまさらながら圧倒されている。

橋本MOVIXで滝田洋二郎監督の『おくりびと』。
たぶん出来すぎといっていいくらいの脚本に、
文句なしのキャスティング。
そして滝田監督の、すきのないショットの重ね方。
安易に人を死なせている作品の作り手たちを恥じ入らせるような、
日本映画に久しぶりにあらわれた「まともな映画」である。
こういう映画が一方にあってくれたら、
安心して「こわれた映画」を作っていけるというものだ。

自主映画の拠点でもある明るい居酒屋「木乃久兵衛」で、
スイスから戻ったばかりの写真家十字和子さんと妻の三人で飲む。
途中、アラブ問題でわたしと十字さんがちょっと激論。
現地に行って見て感じてきている彼女に対して、
わたしはエドワード・サイードの受け売り。
分は悪いが、たまには、押しても倒れない人を相手に
思い切り意見を言ってみたくなる。
そのあと、「木乃久兵衛」の近くの、伝説的居酒屋「月家」に妻と二人で。
いつも国立市東で飲んでいるが、西にもいい店があるのだ。

10月31日(金)
『おくりびと』の滝田さんのショットの「つなぎ方」には酔わされたが、
主にMTVで見ているPV(プロモーション・ヴィデオ)で、
ときどきハッとするような「つなぎ方」に出会う。
最近は、マイリー・サイラスの「7 things」がおもしろい。
バンドの前で歌うマイリーの姿が、同ポジで、いろんな女の子と変わってゆく。
トッド・ソロンズの『終わらない物語』を瞬間的にやっている感じだ。

古川日出男『ボディ・アンド・ソウル』を読む。
これが小説になるのなら、この日録だって小説になる。
わたしも古川日出男のような「書く機械」になることを夢見たこともあった。
いや、いまも〈熱烈に/夢見ている〉(鮎川信夫)。

11月1日(土)
国立は、今日から天下市というお祭り。
春のサクラのころとこの時期、なにかソワソワしてしまう。
同僚でアメリカ文学者の野口肇さんと「奏」で飲む。
学生時代にバスでアメリカ中をまわった話。
野口さんの専門であるアメリカ南部の女流作家フラナリー・オコナーの話。
日本のいろんな文学者が行っているアイオワの話。
宮大工で町工場も経営していたお父さんの話。
「大学教師になったのは……」という、ここには書きにくい話。
などなど、話は尽きず、ビールをしっかりと飲んだ。

野口さんが帰ったあと、「萬笑」に遊びに行って、
まかないのハヤシライスのお相伴にあずかった。
今日の「萬笑」は、お祭り態勢というわけでもないだろうが、
アキさん、イヅミちゃん、そしてアニメをやっているゲンちゃんもいた。
それからまた「奏」に戻る。
今日の「奏」は、完全にお祭り気分。いつのまにか眠り込んでいた。

11月2日(日)
国分寺の母のところに。
庭仕事のあと、庭の写真を撮った。
国分寺から直接、富士見通りの美容室「メッセ」に
車で送ってもらって、髪をカット。
祭りでにぎわう街を、歩いて横断して帰ってきた。

見逃していた井口昇監督『片腕マシンガール』を、
送ってもらったサンプルDVDで見る。
ロドリゲスやタランティーノとは「運動」の方向がちがうと思った。
アメリカ資本ということでの企画の自由さに、堰を切ったように
出てくる井口監督のアイディアを実現しようとする
スタッフ・キャストのがんばりが伝わってくる作品だ。
最初の5分間の印象がすごい。見終わったあと、
フラナリー・オコナーの短篇「善人はなかなかいない」の最後のセリフ、
「人生に、ほんとの楽しみなんかあるものか」が頭に浮かんだ。
人をひとり殺したあとで、脱獄囚の男がそう言うのだ。

04
11月
2008

福間健二の、質問に答える&日録 8

 2008.10.20〜10.26.

10月20日(月)
母(84歳)の弟(79歳)、つまり叔父さんが島根から上京。
『岡山の娘』のチラシを見せると、
「兄弟が力を合わせてやってるのがいいね」
やはり朝の連ドラの『だんだん』の出雲弁はおかしいという話。
そして、昔話。
わたしと弟が子どものころ、上京した叔父が新宿に連れていってくれた。
ミラノ座でディズニー映画『南海漂流』を見て、おすしをご馳走になった。
そのころの歌舞伎町の風景がよみがえってくる。

10月21日(火)
「映像文化論入門」は、ゴダールの初期短篇2本と『勝手にしやがれ』。
「映像論」は、ウェルズの『市民ケーン』から『上海から来た女』へ。
『上海から来た女』の終結部、鏡のシーンは、何度見ても圧倒される。
でも、若い娘たちのいきいきした姿をつかまえるゴダールのあとでは、
ウェルズの凝った縦構図の技法は、しつこすぎて空虚だと感じられるところも。

後期、火曜日は授業が四つ。
3時限目、「表象言語の諸問題」という授業。粕谷栄市さんの詩を読む。
5時限目は、英語の授業で、テクストはなんでもいいのだが、
いまは『楽しい映画文化史』。副題が「エディソンからスピルバーグまで」。
きょうは、「映画以前の映画」をたどって、ジャワの影絵芝居、
カメラ・オブスキュラ(暗箱)、マジックランタン(幻灯)などについて。

午後6時以降がアフタースクール。
MOVIX橋本で、アダム・シャンクマン監督『ヘアースプレー』を見る。
〈ハマる!ハジケる!ハチキレる!〉という惹句通りの楽しい作品。
アメリカ映画ならではの、さからえない「正義」で押し切っている。
会員なら500円で見れる「橋本音楽映画祭2008」という企画のなかの番組。
こういう企画をやれるMOVIX橋本は、わたしの知っているかぎり、
日本で最高のシネコンである。
『岡山の娘』をふくむインディーズ映画祭もやってほしい。

10月22日(水)
わたしたちの誕生の前にあるのは、快楽。
その前は無(死)。
その前は、前世。
というようなことを、
昨日の授業で読んだ粕谷さんの作品から考えているうちに、
24年前に体をわるくして、
大阪の霊術研究家井村宏次さんの治療を受けたことを思い出した。
鍼、灸、血抜き、漢方薬。気の療法のセット。
一回の治療が夜の12時ごろからはじまって朝方までつづくこともあったが、
「わいの治療は、メッセージとしてやっとるから」
と、お金は一銭もとらない。
しかし、口がわるいというか、手きびしい言葉がぽんぽんと飛び出した。
「詩を書いとるとか、大学の教師だからって、
自分をえらいと思っとったら、病気直らんよ」
といった調子だが、こういう言葉もメッセージなのだった。
また、わたしは、前世がチベットに修行に来たスコットランド人かなにかで、
そのときから頭がグチャグチャになっている、
というような冗談も言われた。
いや、冗談じゃなかったかもしれない。

10月23日(木)
授業、授業、会議、授業(中断して、緊急会議あり)、
さらに会議(来年度の時間割が決まった)のあとの
アフタースクールは、きょうも〈橋本音楽映画祭2008〉。
トッド・へインズ監督『アイム・ノット・ゼア』。
同僚で詩人の瀬尾育生さんの激賞した作品で、
女優ケイト・ブランシェットをふくむ六人のキャストがボブ・ディランを演じる。
これもあり、それもありと技法の自由自在のオンパレードで、
全部ノートに書き取っていつかパクってやろうと思ったが、
どこか焦点ボケのような気もした。
「いま」が足りないのだ。
しかし、クレジットロールの最後の最後で、
アンソニーの歌う「ノック・オン・ザ・へヴンズ・ドア」が流れた瞬間、
「いま」を感じた。
やっぱりすごい映画です。

「奏」に寄る。英文科時代の教え子、南谷君とカウンターの席でならぶ。
教室に来て「先週、どこまでやったけ?」と学生に聞く教師は最低である、
という彼の意見。学びました。
カメラマンの鈴木一博さんも来ていた。
ここには内容を書かないが、この夜の彼の言葉をわたしは一生忘れないだろう。

10月24日(金)
宮崎誉子「欠落」(「新潮」2007年9月号)を読む。120枚。
語り手は、派遣で、女性たちに囲まれてテレオペの見習いをする鳩山太一(ポッポちゃんと呼ばれたりする)。彼と、ひきこもるヤクマルとの、きれいじゃない友情の物語。
それだけじゃない内容をもつが、ラストは、
〈ヤクマルの汚い泣き顔を見てたら、期間限定で応援してやってもいいかなと思った。〉
人にやさしくすることが、その人を傷つけることと紙一重でつながっている。
そんな関係性をとらえて、けっして停滞しない。

来週の授業のために、
ルキノ・ヴィスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を見る。
1942年の作品。画面が全部いい。
さらに『揺れる大地』(1948)を途中まで。これも映像がすごい。
ヴィスコンティの、この初期の二本を、なんとなくあまり意識しなくなっていた。
そのことを反省する。画期的な、すごい映画だったのだ。

10月25日(土)
国立市公民館の「詩のワークショップ」。第三回。
永瀬清子の仕事に焦点をあてる。
とくに『短章集』の、詩が自分にとってどういうものかを語った言葉。
理屈としてどうなのかなと思うところもあるが、
永瀬さんの言葉には、つよさ、はげしさ、かわいさがある。
きょうは、『空白期』の詩人高田昭子さんが特別参加。
最初にみんなでやった言葉遊びで、わたしの作った例。

ゆ ゆさぶるな
め 目が痛い
の ノーゲス、ドミニク
な なにもかもが
か かすんでいる
で 出口、物語からの

紹介できないのが残念だが、
受講者のみなさんの方がこれより面白いものをどんどん作った。
ワークショップのあと、「奏」から「利久」へのコース。酔いました。

10月26日(日)
「現代詩手帖」11月号。
原將人さんの『岡山の娘』論(「夢に母があらわれる迄」)が載っている。
ここで、どうして漢字の「迄」なのか。
漱石の『彼岸過迄』が彼の頭にあるからかな。

夜、「奏」で鈴木常吉ソロ・ライブ。
わたしは二回目だが、すっかりファンになった。
ヴォーカル、ギター、アコーディオンのどれにも、彼の音色が鮮明にある。
元セメントミキサーズ。文学+パンク。
日本には、ブコウスキーのかわりに、彼がいるのだ。
ライブのあと、飲みながら、常吉さんと話した。
詩人の石毛拓郎さん、映画作家の山?幹夫さんなど、共通の知人もいて、
接点がいろいろとあって、話が弾んだ。
山?監督の『プ』をはじめとして、彼は映画にも出ている。
「ピンク映画、どうですか?」と聞くと、
「出たいですよ」
いまおかくん(読んでいますか?)、鈴木常吉主演できっとすごい映画ができるよ。

27
10月
2008