大西一光(右端)
この映画の撮影を担当することになった時の気持ちは?
もともと、自分でカメラを回して編集するスタイルなので、監督が別にいて、という現場をほとんど知りません。 「自分を殺すのは嫌だな」という不安もありましたけど、監督はファインダーもあまり覗かない方で逆にこちらが心配するくらい自由にやらせてもらいました。
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もっとテストができれば、監督の望んだルックにより近づいたという気もするのですが、ちょっとカメラに追いかけられたところもあるかな。全編ほぼノーライトという試みも、このカメラにすごくマッチしたところとそうでないところが際立った感じです。屋外でコントラストのある画を狙った時のこのカメラは、震えがくるくらいすごい。
でき上がった作品の感想は?
最初、監督から「この映画のルックはゴダールの『決別』でいこうよ」と言われ、シナリオを読むと岡山の空と川と地面が溢れていたので、自分は岡山の光を撮ろうと思いました。岡山の夏は白いんです。自分の印象として。それが、うまく伝わったのかどうか……。ノーライトの撮影は、そこにある光しか信用できないということでもあり、従来の映画の文法とはちょっと外れることでもあり、ホントはもっと女優さんを美しく撮るべきところも、トップライトだけで撮ったり……でもそのことが、逆にこの映画の力になってくれたらと思います。
スタッフについて
とにかく懸命。映画作りなど未体験のスタッフがほとんどの中、最初は意思疎通さえ満足にいかないレベルだったのに、撮影後半には、監督に指示されるのではなく、自分のいままで培った技術をどう生かしたら、自分の感じる「岡山の娘」を表現できるかというふうに、みんなが思いはじめるようになったのはちょっと驚きでした。このままずっと撮影が続くといいよね、と思わなかったですか?
女優について
女優に惚れなきゃ撮影なんてできねえよ。と、いっぱい不倫する気で撮影に望むも、ファインダー越しの恋は果して叶ったのでありましょうか?自分は生まれてからずっと岡山に暮らしているので、もしかしたら岡山の娘たちがうまく撮れないんじゃないかという恐れ、つまりはどこに視線を向ければいいのかという迷いがあったのも確かですが、この映画の娘たちは、そんなカメラマンの未熟をすり抜けて、みんな2007年の夏に岡山で生きた娘たちの姿を撮らせてくれたと思います。みづきが日々キレイになるのを、ついつい信三的目線で喜んでいたり「最初会った時は絶対変態だと思った」というさゆりのコトバに傷ついたり、智子の文学少女ぶりに感心したり、話は尽きません。
>>大西一光プロフィール [1]
[1] http://d-mc.ne.jp/blog/musume/?page_id=63