物語について
 
『岡山の娘』の脚本は、何回も書きなおしました。
物語をどう作るのか。これには悩むんです。
ひとりでやっているとわからなくなるんで、東京でも、岡山でも、いろんな人たちに相談し、意見を聞きました。
若い詩人でやはり映画も作っている今村秀也さんには、準備段階から仕上げの最後までつきあってもらった。みづきと信三がどこまでわかりあえるか。そこに微妙な距離を残すようにしたのは、彼に負うところが大きいかな。
 
最初は、みづきの母親奈津子が殺され、アケガタさんという女刑事が登場するという事件物だった。永瀬清子さんの詩「あけがたにくる人よ」からとったアケガタさんでした。
それから、ぼくは、ロバート・スティーヴンスンの短篇『宿なし女』というのが好きで、信三が昔それを戯曲にして上演したことがあるという設定にして、その話を、みづき、奈津子、照子の関係にからませようとしたんだけれど、だれにもあまりよくわかってもらえない感じだった。その段階では、なんと信三と照子のベッドシーンというのもありました。
一方で、外国から帰ってくる父親をはじめとして、構成要素が『急にたどりついてしまう』に似すぎているという批判も受けた。何度も言ってることだけど、これはこたえました。
 
いろいろとありましたが、七月半ばくらいには印刷台本までこぎつけました。
みづきと智子、みづきとさゆり、みづきと啓介、みづきと信三、それぞれの関係が順番に焦点を作ってゆくというもの。
岡山の娘たちのインタビューは、智子が雑誌編集者に頼まれた仕事でやっているというふうにして、ドキュメンタリー的な要素も、ぎりぎりのところで、劇映画の普通の語り方のなかに収まっていました。
 
八月、撮影開始後にそれを大きく変えなくてはならなくなった。キャスティングの交代をよぎなくされ、西脇裕美さんが智子役からみづき役に変わった。そればかりでなく、時間的にも追いつめられていました。
『急にたどりついてしまう』も撮りながら脚本は変わっていったのですが、今度はそれ以上の激震に出会ったわけで、後半は連日、その日の明け方に起きて用意した「号外」で撮っていきました。スタッフとキャストには申し訳なかったけれど、実は、これこそが自分のやりたかった撮り方だとも思えてきました。
でも、物語をどうしたいのか。この作品をどういうものにしたいのか。まだはっきりとはわかっていなかったんです。