追撮まで
 
よく言われることだけど、映画の監督は、弁当のときに隣に座ってくれる人がいなかったりする。そのくらい孤立する。今回もぼくは孤立したでしょうが、キャストもスタッフもやさしかったですね。みんな、すれていないから。そのことをすごく感謝しています。
最初は、ぼくがちょっと遠慮しすぎたのと、打ち合わせの時間がとれないために、コミュニケーションがうまく行ってないところがあった。でも、後半に行くにしたがい、ほんとうに変わりました。それぞれが持ち味を発揮してきて、自分のやり方を見つけていた。こっちがワンテイクごとに気合いを入れている、その気合いに対して、動きが具体的に返ってくるようになった。いける、と思いました。
8月30日のクランクアップ。打ち上げはものすごく盛り上がりましたが、まだやめたくないし、ここまでをトレーニング期間だったことにして、ここから本番だったらどんなにすごいかと思った。お金と余裕のある現場ならそうやったっておかしくない。
 
東京に戻ってラッシュを見ていると、まだみんなと一緒に仕事をしている気がしました。これ、どうするんだと言いたくなる部分もありましたが、そういうところもふくめて、素材としての生命力を感じました。ちょうど詩人で映画作家でもある鈴木志郎康さんに会う機会があって、「ぼくはOKショットは使わない。NGを使う」という意味のことを言われ、それに励まされたように、ラッシュを全部、何度も何度も見ました。
とくに救われたなと思ったのは、B班撮影として学生スタッフだけで撮ってきてもらった風景。あれがないと岡山をちゃんと撮ってないってことになったかもしれない。
もちろん、悩むのは得意ですから、だめかなって思ったこともある。
もうひとつ、「ぼくはどうして映画を作るのか。それは怒っているからだ」と言えるようになっていない気がした。それで、みづきに「なんなんじゃ!」と怒ってもらおうと思いました。それが追撮に踏み切ったいちばんの理由です。
 
9月の末に追撮をやりました。西脇裕美さんに手紙を書き、それをスタッフにも読んでもらい、こういうことをやるんだというのをはっきりさせていたのですが、それでも間をおいたから心配でした。岡山に着いてまず感じたのは、もう夏の光がなくて、人々の服装も夏とは変わっていたこと。しかし、あきらめるわけにいかない。
まず、最初のカットの、西脇さんの演技。これが文句なしによくて、みんな、乗りました。大西カメラマンの言葉でいうと「怒涛の撮影」の二日間でしたが、撮ったもの、全部よかったです。これで映画の芯ができたと思いました。