福間健二の、質問に答える&日録 8

 2008.10.20〜10.26.

10月20日(月)
母(84歳)の弟(79歳)、つまり叔父さんが島根から上京。
『岡山の娘』のチラシを見せると、
「兄弟が力を合わせてやってるのがいいね」
やはり朝の連ドラの『だんだん』の出雲弁はおかしいという話。
そして、昔話。
わたしと弟が子どものころ、上京した叔父が新宿に連れていってくれた。
ミラノ座でディズニー映画『南海漂流』を見て、おすしをご馳走になった。
そのころの歌舞伎町の風景がよみがえってくる。

10月21日(火)
「映像文化論入門」は、ゴダールの初期短篇2本と『勝手にしやがれ』。
「映像論」は、ウェルズの『市民ケーン』から『上海から来た女』へ。
『上海から来た女』の終結部、鏡のシーンは、何度見ても圧倒される。
でも、若い娘たちのいきいきした姿をつかまえるゴダールのあとでは、
ウェルズの凝った縦構図の技法は、しつこすぎて空虚だと感じられるところも。

後期、火曜日は授業が四つ。
3時限目、「表象言語の諸問題」という授業。粕谷栄市さんの詩を読む。
5時限目は、英語の授業で、テクストはなんでもいいのだが、
いまは『楽しい映画文化史』。副題が「エディソンからスピルバーグまで」。
きょうは、「映画以前の映画」をたどって、ジャワの影絵芝居、
カメラ・オブスキュラ(暗箱)、マジックランタン(幻灯)などについて。

午後6時以降がアフタースクール。
MOVIX橋本で、アダム・シャンクマン監督『ヘアースプレー』を見る。
〈ハマる!ハジケる!ハチキレる!〉という惹句通りの楽しい作品。
アメリカ映画ならではの、さからえない「正義」で押し切っている。
会員なら500円で見れる「橋本音楽映画祭2008」という企画のなかの番組。
こういう企画をやれるMOVIX橋本は、わたしの知っているかぎり、
日本で最高のシネコンである。
『岡山の娘』をふくむインディーズ映画祭もやってほしい。

10月22日(水)
わたしたちの誕生の前にあるのは、快楽。
その前は無(死)。
その前は、前世。
というようなことを、
昨日の授業で読んだ粕谷さんの作品から考えているうちに、
24年前に体をわるくして、
大阪の霊術研究家井村宏次さんの治療を受けたことを思い出した。
鍼、灸、血抜き、漢方薬。気の療法のセット。
一回の治療が夜の12時ごろからはじまって朝方までつづくこともあったが、
「わいの治療は、メッセージとしてやっとるから」
と、お金は一銭もとらない。
しかし、口がわるいというか、手きびしい言葉がぽんぽんと飛び出した。
「詩を書いとるとか、大学の教師だからって、
自分をえらいと思っとったら、病気直らんよ」
といった調子だが、こういう言葉もメッセージなのだった。
また、わたしは、前世がチベットに修行に来たスコットランド人かなにかで、
そのときから頭がグチャグチャになっている、
というような冗談も言われた。
いや、冗談じゃなかったかもしれない。

10月23日(木)
授業、授業、会議、授業(中断して、緊急会議あり)、
さらに会議(来年度の時間割が決まった)のあとの
アフタースクールは、きょうも〈橋本音楽映画祭2008〉。
トッド・へインズ監督『アイム・ノット・ゼア』。
同僚で詩人の瀬尾育生さんの激賞した作品で、
女優ケイト・ブランシェットをふくむ六人のキャストがボブ・ディランを演じる。
これもあり、それもありと技法の自由自在のオンパレードで、
全部ノートに書き取っていつかパクってやろうと思ったが、
どこか焦点ボケのような気もした。
「いま」が足りないのだ。
しかし、クレジットロールの最後の最後で、
アンソニーの歌う「ノック・オン・ザ・へヴンズ・ドア」が流れた瞬間、
「いま」を感じた。
やっぱりすごい映画です。

「奏」に寄る。英文科時代の教え子、南谷君とカウンターの席でならぶ。
教室に来て「先週、どこまでやったけ?」と学生に聞く教師は最低である、
という彼の意見。学びました。
カメラマンの鈴木一博さんも来ていた。
ここには内容を書かないが、この夜の彼の言葉をわたしは一生忘れないだろう。

10月24日(金)
宮崎誉子「欠落」(「新潮」2007年9月号)を読む。120枚。
語り手は、派遣で、女性たちに囲まれてテレオペの見習いをする鳩山太一(ポッポちゃんと呼ばれたりする)。彼と、ひきこもるヤクマルとの、きれいじゃない友情の物語。
それだけじゃない内容をもつが、ラストは、
〈ヤクマルの汚い泣き顔を見てたら、期間限定で応援してやってもいいかなと思った。〉
人にやさしくすることが、その人を傷つけることと紙一重でつながっている。
そんな関係性をとらえて、けっして停滞しない。

来週の授業のために、
ルキノ・ヴィスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を見る。
1942年の作品。画面が全部いい。
さらに『揺れる大地』(1948)を途中まで。これも映像がすごい。
ヴィスコンティの、この初期の二本を、なんとなくあまり意識しなくなっていた。
そのことを反省する。画期的な、すごい映画だったのだ。

10月25日(土)
国立市公民館の「詩のワークショップ」。第三回。
永瀬清子の仕事に焦点をあてる。
とくに『短章集』の、詩が自分にとってどういうものかを語った言葉。
理屈としてどうなのかなと思うところもあるが、
永瀬さんの言葉には、つよさ、はげしさ、かわいさがある。
きょうは、『空白期』の詩人高田昭子さんが特別参加。
最初にみんなでやった言葉遊びで、わたしの作った例。

ゆ ゆさぶるな
め 目が痛い
の ノーゲス、ドミニク
な なにもかもが
か かすんでいる
で 出口、物語からの

紹介できないのが残念だが、
受講者のみなさんの方がこれより面白いものをどんどん作った。
ワークショップのあと、「奏」から「利久」へのコース。酔いました。

10月26日(日)
「現代詩手帖」11月号。
原將人さんの『岡山の娘』論(「夢に母があらわれる迄」)が載っている。
ここで、どうして漢字の「迄」なのか。
漱石の『彼岸過迄』が彼の頭にあるからかな。

夜、「奏」で鈴木常吉ソロ・ライブ。
わたしは二回目だが、すっかりファンになった。
ヴォーカル、ギター、アコーディオンのどれにも、彼の音色が鮮明にある。
元セメントミキサーズ。文学+パンク。
日本には、ブコウスキーのかわりに、彼がいるのだ。
ライブのあと、飲みながら、常吉さんと話した。
詩人の石毛拓郎さん、映画作家の山?幹夫さんなど、共通の知人もいて、
接点がいろいろとあって、話が弾んだ。
山?監督の『プ』をはじめとして、彼は映画にも出ている。
「ピンク映画、どうですか?」と聞くと、
「出たいですよ」
いまおかくん(読んでいますか?)、鈴木常吉主演できっとすごい映画ができるよ。

27
10月
2008

福間健二の、質問に答える&日録 7

 2008.10.13〜10.19.

10月13日(月)
午後4時ごろ、原將人さん、アボガドを持って遊びに来る。
撮影した8ミリフィルムを現像に出すため柴崎のフジフィルムに行き、そのあと、
京王線で府中に出て、府中からバスで国立にやってきた。
その前に、新宿の紀伊国屋で吉本隆明の本をたくさん買ってきた
とテーブルに並べる。
吉本さんの『心的現象論』は映画の理論に使えるという。
そうだったかと驚く。
そして、ジル・ドゥルーズの話。出たばかりの『シネマ1』を
わたしはまだ読んでいないが、『シネマ1』『シネマ2』を
二人でしっかり読み抜こうと話す。哲学の本であると同時に、
哲学の限界を映画によって超えようとしている本であり、
実際に映画を作る者にこそ得るものがすごくある本なのである。
それから、夏目漱石の話。
彼は、とくに漱石の『こころ』をやりたいと言う。
午後7時すぎから、舞踏家の杉田丈作さんも来る。
『急にたどりついてしまう』に出演した彼は、原さんとは中学・高校が一緒。
東京の子たちだ。レッツ・ダンス!

10月14日(火)
1時限目、「映像文化論入門」は、ロッセリーニの二回目。
イングリッド・バーグマンとのコンビ第一作『ストロンボリ』(1950)を中心に。
2時限目、「映像論」は、先週やったフェリーニの『道』のラストを、
デ・シーカ『自転車泥棒』(1948)と
ロッセリーニ『ドイツ零年』(1948)のラストと比較したあとに、
強引にオーソン・ウェルズの『市民ケーン』(1941)に入っていった。
午後、(二日後になってわかる)大ポカをやっていた。

10月15日(水)
ウェールズの友人ノーマンから、
彼の編集した彼のパートナーのデボラ・ケイ・デイヴィスの短篇集が届く。
タイトルは、『grace, tamar and lazlo the beautiful』
詩集『things you think I don’t know』もそうだったが、
デボラの本は、タイトルと表紙(白黒写真を使った)からしてカッコいい。

10月16日(木)
授業と会議に追われた一日のあと、
午後6時半から、首都大学東京の学生劇団「時計」の公演『キステ』を見る。
脚本・演出は、わが表象分野の4年生、千葉咲紀子さん。
これは彼女の卒業制作。その演出ノートほかを評価の対象とする。
映画のセットに使いたくなるような立体的な装置を作って、
それを活かしている。
『岡山の娘』の美術の、たぶん10倍以上の労力とコスト。

10月17日(金)
夜8時から「奏」で、雑誌「キネマ旬報」のためのインタビュー。
聞き手の切通理作さん、編集長の明智惠子さんと
たのしい雰囲気で飲みながらいつまでも話し込む。
明智さんとは初対面だが、彼女のお母さんがわたしの詩を読んでくれていた
ということで、最初から乗りました。

10月18日(土)
大学院の授業の予習として、瀬尾育生さんの『鮎川信夫論』を読み直していたら、
映画の構想がひとつ忽然と湧きおこった。
戦前の満州を未来に移したSFで、
その「満州」では日本人と白人が差別されている。
『ブレードランナー』+ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』といった感じの
めちゃくちゃな混血言語が話され、
瀬尾育生を特別ゲストとする「荒地派」詩人グループの青春がそこにあって、
そしてタイトルはディラン・トマスの(田村隆一もまねして使った)『十月の詩』。
なぜか紅葉がその未来の旧満州をおおうのだ。
この構想を「タイトル、構想、予定」というファイルに書き込んだ。
夜9時半、「奏」に行く。
フミちゃん、こころちゃん、祐子ちゃんの学習院OGトリオに、
『岡山の娘』をどうぞよろしく、チラシ配ってね、とお願いする。

10月19日(日)
野口整体の活元運動というものが、わたしを支えている。
身も心も、それで大丈夫なのだが、その上に、
「飲んで、書いて、そして映画も」というハタ迷惑な生き方を
どんなダメージの嵐にも耐えるものにするため
(ジョークではない)、
ほかにもいろんなことをやっている。
このところ好きなのは「うしろ歩き」。
前歩きで普通に年をとってゆく時間を、
うしろ向きに歩いて(ちがう筋肉を使うことで)逆流させるのだ。
この数日、その「うしろ歩き」のコツをちょっと会得した気がしている。

夜、NECOチャンネルで萩生田宏治監督の『神童』を見る。
天才少女ピアニストの話。前に脚本(向井康介)も読んでいた。
才能ある人たちの仕事だとは思うが、
音楽がいちばん大事なファクターなのに、音楽・音声の使い方が甘い。
手塚理美の母親があまりにもいいところなしなのも、つらい。

27
10月
2008

『岡山の娘』へのコメント

母の死と父の帰還がもたらす混乱・を契機とする自分探し・とは無関連にリズムが刻まれる〈身体〉と〈世界〉・がもたらす許しゆえに、ある意味で荒唐無稽に肯定される「今・ここ」。主人公の振る舞いというよりも、福間監督の肯定の身振りが、観客に感染を惹起する。宮台真司/社会学者    

素人に近い演技者たちの持っている存在感、オーラが映画によく活かされている。ゲンジツからずり落ちそうになっている主人公の姿を描きながら、全体に明るいのは、みづき演じる女性の弾力性のある心身に由来するのだろうか。心と身との統一を図ることができたとき、自分にめぐり合えるのだと思うが、遠い意志が、ただひとときの「わたし」というコマ、「自然」というコマを動かしているのが感じられる映画だとも思った。井坂洋子/詩人    

詩と岡山、そこで放浪の父と娘は生きる力を回復する。鈴木志郎康/詩人・映画作家    

自分と自分が一致するというのが人生のスタートラインだとしたら、見ている私もまた、いまだに生き惑っているのではないかと問いかけられた気がして、ハッとさせられる。切通理作/評論家    

父の死後・母の帰還という物語が息子たちを捉えるように、母の死後・父の帰還という物語が娘たちを捉える。福間健二は、ひとりの娘のすばらしい現在形を描いた。瀬尾育生/詩人    

これはわたしじゃない
わたしじゃないけれど
すべての娘の物語三角みづ紀/詩人    

話し言葉が登場人物の口の中でころころと転がり、光り輝く軽快な詩的言語となる。そんな心躍るリズムを刻む日本映画はこれまで存在したことがなかった。加藤幹郎/映画批評家    

『岡山の娘』は、まさしく歌う映画だ。ここに出てくる母を失った少女、孤児の青年は、どこにでもいる。いや、むしろ親のいる当たり前の若者誰もが彼らと同じからっぽのココロに喘いでいる今、この映画を慣れない砂利道を地図もなく踏み進むように最後まで辿り着くと、喘ぎがいつの間にかココロを晴らす深呼吸に変わっていることに気づくだろう。田中重幸/映画監督    
世界がまるで悪質な映画のように我々の前に出現する今、
『岡山の娘』は、映画を信じる者に希望を与え、
人間と世界との絆を取り戻す試みである。
そんな映画に久し振りに出会えて、
すごくうれしい。原將人/映画監督    

映像で書かれた詩である事が分かれば、見るのに理屈はいらない。
最後まで感覚で見ました。TVディレクター/小松原貢    

明らかにその質感や分野の異なる手法・技法を意図的に混在させることによって、映画と夢と現実が何度も反転したり、単純な流れのなかではなんということのない台詞や映像が重要な意味を持つなどするところが印象的だった。岡山の町が魅力的に見えた。その他にもいろんなことを思った。やほほ。町田康/作家・ミュージシャン                          

21
10月
2008

福間健二の、質問に答える&日録 6

 2008.10.6〜10.12.

10月6日(月)
宮崎誉子の「子供だヨ! 全員集合」という短篇に登場する
中野君という小6の男の子のことが、頭から離れない。
〈中野君てホチキスの針のように手に刺さる子供だ〉。
彼は、この現実のきつさと競争するように
語り手である女性教師に生意気な言葉を連発しながら、
「……俺、生きててもいいのかな」と言ったりする。
たとえば、彼をちゃんと生きさせること。
文学でも映画でも、大事なのはそれができるかどうかだ。

10月7日(火)
「映像文化論入門」という授業の第一回。
ロベルト・ロッセリーニの『ドイツ零年』(1948)をとりあげる。
主人公の男の子エドムントは自殺する。
自分の生きる世界の恐ろしさを知ってしまったからか。
朝の1時限目にこれをやった。
2時限目の「映像論」は、フェリーニの『道』。
エドムントやジェルソミーナの生きられなかった世界。
わたしたちはそれを生きているのだと思った。
午後の授業のあいだも、それを思った。
そんな一日のしめくくりに
富士見通りのビア・レストラン「ラグー」へ。
壁に『岡山の娘』のポスターを貼ってもらう。

10月8日(水)
岡山に住む友人、世良利和の『沖縄映画大全』が届く。
沖縄に少しでも関係のある映画のすべてを知ろうとしている。
映画に関心にある人間ならぜったい必読の、ものすごい本である。
版元は沖縄の「ボーダーインク」。定価2100円(税込)と破格の安さだ。

授業の準備のために、増村保造『妻は告白する』(1961)をDVDで見る。
特典として付いている、ヒロイン彩子を演じた若尾文子の話がおもしろい。
撮影初日にラストを撮ったことはよく知られているが、
若尾文子が川口浩に「一年に一回でも会ってくれ」と迫るところ、
若尾文子の考えてきたシバイ(演技)と
テンポを速くする増村案のシバイの二通りが撮られ、
実際に使われたのは若尾案の方。
ほとんど全篇、セットで撮影。
山の岩壁は30メートルの高さのセットが作られ、
その30メートルの高さのところでシバイをした。
裁判所のシーンは、「中抜き」で、違う日のシーンの
同じアングルのカットを、若尾文子が衣装を変えるだけで、つづけて撮ったが、
〈演技の計算ができていたので、不安はなかった〉。

この『妻は告白する』のすばらしさを語る
山川方夫の「増村保造氏の個性とエロティシズム」(1962)。
〈僕たちはそこに呼吸のつまるほどなまなましく、美しい一人の女を見た〉。

10月9日(木)
夜、「萬笑」で、営業時間後にマツタケごはんと秋刀魚をごちそうになる。
満ち足りた気分で旭通りに出ると、隣に住む藤原さんに声をかけられた。
藤原さんちでも(とくに奥さんが)このブログを見ていると言われ、
恥ずかしい気がしたが、
いっそのこと、藤原さんに会ったことも書こうと思った。で、書きました。

10月10日(金)
『岡山の娘』の新しいチラシ、できあがる。
11人の方による『岡山の娘』へのコメントを載せて、
オールナイトの情報も詳しく入れた二つ折りである。
ポレポレ東中野に一万枚。うちにも一万枚。
これをどうさばくのか。
わが家の「戦場化」はさらに進行する。
チラシ配布に協力していただける方は、どうぞご連絡ください。
きょうは、結婚記念日。26回目の。

10月11日(土)
午後3時から「詩のワークショップ」第2回。
ゲスト、財部鳥子さん。
エッセイ集の帯にあるとおりの、〈きらめきとイロニー〉の人である。
新しい詩集『胡桃を割る人』から作品を読んでもらった。
たのしく、快調なテンポで、あっという間に2時間がすぎた。

10月12日(日)
秋のつめたい風が吹いている。
〈あの葉っぱたち、風に当たり、子供っぽい、激しい恐れにとらえられながら震えている。
無垢にして新鮮な葉っぱは、まだ生きてゆこうとしているのだ。〉
マルグリット・デュラスの短篇「エダ、または木の葉」。
エダ、もうじき死ぬ。
そのエダをおいて町に行く夫ジャン。
自分の、捨てられている、だが美しいものを始末できずに。
まさに呼吸のつまるほど美しく、苛酷な作品だ。

赤坂の「シナリオ」編集部で、
映画批評家塩田時敏さんからインタビューを受ける。
彼はプサン映画祭に行ってきたところ。その話を聞きながら、
『岡山の娘』の英語版も早く作らなくてはと思った。

18
10月
2008

福間健二の、質問に答える&日録 5

 2008.9.29〜10.5.

9月29日(月)
前回の9月26日の『ウォンテッド』について、補足。
〈ベクマンベトフのロシアが半端にしか活かされていない〉は、
ロシア人を出しているのに、カザフスタン出身のベクマンベトフの
ロシアへの気持ちが見えてこない、ということでした。

NHK朝の連続ドラマ『瞳』が先週で終わって、今日から『だんだん』。
島根と京都が舞台。双子の女の子が別々に育っている。
わたしは、両親とも出雲出身なので、自分の血は「出雲人」だと思っている。
第一回を見ただけで、島根の場面にわたしのその「出雲人」が
はげしく抵抗した。もう見ないかもしれない。
『瞳』は、文句を言いながらも、
ヒップホップ+父と娘の物語が気になって、週に四回は見た。
それよりも何よりも、朝のたのしみということでいえば、実は
高橋美鈴アナウンサーが「おはよう日本」に出ていたころが懐かしい。

9月30日(火)
雨のなか、「萬笑」でラーメン+チャーシューごはんセットの昼食。
「奏」の常連で岡山県人の編集者ユウちゃんに会った。
そのあと、古本屋2軒とレコード屋1軒をまわる、つかのまの休日パターン。
古本3冊(ボルヘス、寺山修司、『映画監督術』)と、
マカオに行ったときの飛行機で聴いて気になっていた
ダフィーのCD『ロックフェリー』を買った。
ダフィーは、ウェールズの小さな村ネヴィンの生まれ。
60年代風ソウルと「ウェールズのダサいねーちゃん」のたまらない魅力。

わたしは新潟県の亀田というところに小4までいたが
(めんどうくさくて、欲張りで、申し訳ないが)、
出雲地方、朝鮮半島、ウェールズ、イベリア半島、バルカン半島などに
故郷的なものを感じる。つまりは、故郷のない人間なのだ。

10月1日(水)
「シナリオ」編集部に『岡山の娘』のシナリオを送る。
「シナリオ」にシナリオとインタビューを載せてもらえるとは、
ほっぺたをつねりたくなる。
オブリガード、ブラゴダラム、ムゴイ、だんだん!

10月2日(木)
夜8時ごろ、大学から戻り、谷保の「たちばな」で飲む。
帰宅後、『フィルム』(アレン・シュナイダー監督)を見る。
サミュエル・ベケット作、バスター・キートン主演。
1965年の、22分の作品。
見られることの恐怖。
自分を見ているのは、自分なのだ。
この老いたバスター・キートンに、
なんと『岡山の娘』の啓介がつながってくるのだが、
わたしたちは、見られている自分(見る自分)から逃れられない。
この世に映画が存在している以上、そうなのであり、
それが映画の存在する理由でもある。酔いがぶっとんだ。
金子遊さんから送ってもらったDVDで、このあとに
ゴダール/ゴランの『ジェーンへの手紙』(1972)も入っていた。
これも映画なのか。と考えているうちに、睡魔との闘いとなってしまった。

10月3日(金)
三軒茶屋中央劇場で、熊坂出監督の『パーク アンド ラブホテル』と
井口奈己監督の『人のセックスを笑うな』の二本立て。
前者は、エピソードが上っつらだけですんでいる気もしたが、
ラブホテルの屋上が解放区的な公園になっているというのは
なかなかのアイディア。いろんな手を考えているし、主演のリリイもよかった。
後者は、題名のどぎつさのわりには面白味のない物語を、
アクションの自然さ(を通りこしたおかしな感じ?)で
なんとかしようとしているのはわかったが、
長くなりすぎたし、横から覗き見的に撮りすぎている。
人物の見た目のショットを撮るのがいやなのだろうか。

東中野にまわり、「好日」のラーメンを食べたあと、
ポレポレで王兵監督の『鳳鳴――中国の記憶』。
老いた女性が政治に翻弄されたその苦難の人生について語るのを、
ほとんどずっと固定ショットでとらえている。
ものすごく力のある語りと存在感。
このカメラの前にしっかりとすわるために
彼女はここまで生き抜いたのだ、と思わされる。
『ジェーンへの手紙』とこれを見て、
苦しくなったときにやる手のヒントも受けとった気がする。
国立に戻って、「奏」でビールとタコのガリシア風。

10月6日(日)
自転車で、国立市中央図書館へ。
マルグリット・デユラス『戦争ノート』(田中倫郎訳)、
宮崎誉子『少女@ロボット』ほか5冊を借りる。
デュラスと宮崎誉子。
この二者を同時に読みたいのが、いまのわたしだ。
『戦争ノート』の訳者あとがきにエミリー・ディキンスンの名を見つけ、
「ああ、そうか、ディキンスンの詩のような場所に行きついて、
さらにその先を歩かなくてはならないんだ」
と、空から雨が落ちてくるなか、自転車をとばしながら思った。

夜は、フェリーニの『道』を見た。
ジェルソミーナ。魂、無垢、天使的存在。
ザンパノ。男、暴君的な体力、動物としての人間、悔恨。
イル・マットー。道化師、アーティスト。
それぞれの原型性。
妻のいちばん好きな映画で、もう何度見たかわからない。
ほとんど全カットをおぼえてしまった気がする。
男だったらドストエフスキーの『白痴』のムイシュキン。
女だったらこの『道』のジェルソミーナ。
究極のところ、わたしが映画で出会いたいのはこういう天使的存在なのだ。
そう思ってもいい。ザンパノのように天からの音楽にふるえて
夜の砂浜で泣きくずれてもいい。
でも、それでは終わらない。その先があるのだ。

09
10月
2008

『岡山の娘』によせて  三角みづ紀

あらゆる娘たちにはそれまでの日々があり、日常があり経験があり、傷跡や噛み跡がある。それぞれ背負ってきたものはその娘しか背負えず、娘たちは「主人公」となり、「わたしだけはみんなと違う」と叫び続けていくとしても、ふと視界が拓けるときは必ず訪れる。
あまりにも果てしない世界と対峙するは自分自身の存在と対峙すること、そしてその自分は世界よりも果てしない世界だということ。
そんなそれぞれの世界が擦れ合ってひとつの世界へ収束している。
自分と向き合うとき、ようやく夜は明け、ふいに世界に少しだけ手が届く朝が訪れる。
岡山の娘たちは、この瞬間もそんな朝を耳元に感じている。

09
10月
2008

福間健二の、質問に答える&日録 4

 2008.9.22〜9.28.

9月22日(月)
豊田正子『花の別れ 田村秋子とわたし』(1985)という本を読む。
有名な『綴方教室』の豊田正子である
(1938年の山本嘉次郎による映画化作品では、高峰秀子が彼女に扮した)。
文章がいい(文章は、呼吸と思いやりなのだ)。
悲運な結婚生活(左翼作家江馬修なんてもうだれも知らないよ)。
女優田村秋子の品格(この言葉をつまらなくしたのはだれだ)。
そしてなんと豊田さんは国立に住んでいたのである。
文革礼賛でダメージを負った人だが、その先へと生き抜いた。
そのあとの彼女を待っていたのは病気だ。
人に尽くしすぎる。
ある種の人たちには、
そこまでしなくてもいいでしょうとか言ってもしかたないようだ。
この本には書いてないことであるが、
小学生のときに書いてベストセラーになった『綴方教室』では
豊田正子は印税を一銭ももらっていなくて、小学校を出るとすぐに工場で働いた。
少女時代の「生き生きした貧乏」の体験が、彼女を最後まで支えた気がする。

夕方、妻とバスで府中に出て、北野武監督の『アキレスと亀』を見る。
観客はわかってくれない。その不満・不安からか、
省略の巧さが消えて、いろんな点で、くどい作り方になっている。
人が死にすぎるし、美術ギャグも量が多すぎる。
三部作の三作目。言ってしまうと、
この天才が三本つづけて浅い映像の作品をつくったのだ。
いちばんいいのは、ちょっとだけ出る脇役の人物たちの味だろうか。
でも、ちょっと耳にしたけれど、
こういうのを「監督のひとりよがり」だなんて言わない方がいい。
居酒屋「新富」で飲んで帰る。

9月23日(火)
「奏」で、ちょっとふしぎな「岡山県人会パーティー」。
岡山県人、岡山に縁のある人、そしてその友人たち。
『岡山の娘』にも出てくる岡ビル百貨店の魚屋さんから
アナゴとママカリとガラエビが届いた。
写真家平松壯さんとはじめて会う。
いま、「奏」の壁では、彼の個展。
彼がスペインのアンダルシア地方の村ロンダで撮った写真が並んでいる。
ロンダには、わたしも行ったことがある。
風景の起伏がおもしろくて、食べ物もうまい。映画を撮りたい土地のひとつ。

9月24日(水)
ショーン・ペン監督『イントゥ・ザ・ワールド』を新宿で見る。
監督第一作『インディアン・ランナー』(1991)の
せつなさ、息づかい、おののきが、
いまも強烈に残っているショーン・ペン。
文明社会の外へと逃走する主人公を追ったこの新作も、なかなかだが、
さびしい心とさびしい心が出会うエピソードの作り方が
(良質の、といっていいが)アメリカ映画のパターンになりすぎている。
国立に戻って、わが家から二番目に近い居酒屋「利久」で飲む。

9月25日(木)
夕方から、「奏」で、雑誌「映画芸術」のインタビュー。
聞き手の金子遊さんが、しっかりと「研究」してきてくれた。
高校生のわたしが若松プロに出入りしはじめたところからスタート。
大学時代に撮った40分の16ミリ作品『青春伝説序論』。
これがどうしてこういう題なのか、自分でもわからなくなっていたが、
その「序論」とは、つまり、
25年後の『急にたどりついてしまう』、38年後の『岡山の娘』、
ふたつの「青春映画」へのイントロダクションだったのだ、
と解明してもらった。
そうか、そうだったのか。
なんだかいい気分になって、
金子さんも、「映画芸術」編集長の大嶋さんも、カメラマンの矢吹さんも、
みんな酒好きだったので、しっかりと飲んで、たのしい一夜となった。
映画には、こういう場が用意される。やめられるわけがない。

9月26日(金)
大学で、ヒップホップの研究で修士論文を執筆中の安藤君と話す。
ヒップホップこそは、安藤君だけではなく、わたしにとっても、
このところいちばん熱中してきたジャンル。
詩集『侵入し、通過してゆく』も、映画『岡山の娘』も、
ヒップホップのサンプリングとフィーチャリングから多くを学んでいる。
ブレヒト、ゴダール、ヒップホップという「方法」の系譜があるのだ。

南大沢でティムール・ベクマンベトフ監督の『ウォンテッド』。
アンジェリーナ・ジョリーが大して活躍しないのと
ベクマンベトフのロシアが半端にしか活かされていないのが、不満。

国立の喫茶店「ロージナ茶房」で、東京新聞文化部の大日方さんと会う。
「『岡山の娘』をどうぞよろしく」
「どうすればいいですか」
ということで、昔からのよしみで、いろいろと考えてもらった。
大日方さんは、以前は思潮社にいて、詩集『旧世界』の編集者。

9月27日(土)
トルストイ『人は何で生きるか』を読む。
わたしは、『わたしのムイちゃん』という題で、
黒澤明もやったドストエフスキーの『白痴』を映画にしたいといつも言っているが、
それは簡単じゃない。
じゃあ、トルストイの短篇はどうでしょうか、と押してゆくのが
最近のわたしの機動力。
実は、これも簡単じゃない。
神、愛、それから性欲の問題について、まじめに考えなくてはならないから。

国立市公民館での「詩のワークショップ」。今年の第一回。
7年目なのだが、自分自身、今年がいちばん詩を書くことに意欲をもっている、
と言ってしまって、はっとした。
そうなのだ。
ここへ来て、いろんな意味で、ファイトが湧いてきた。
そうなるように『岡山の娘』を作ることができた。
よかったと思う。
ワークショップのあと、「奏」、居酒屋「さかえや」、ふたたび「奏」というコースで飲む。

9月28日(日)
藤沢周『ブエノスアイレス午前零時』(1998)を読む。
芥川賞受賞の表題作と「屋上」の2篇。
こんなにも地味な作品だったのかと驚く。
『急にたどりついてしまう』のとき、
「図書新聞」の編集者だった藤沢さんに応援してもらったのだった。

夜、「奏」で、フォーク歌手須藤もんさんのライヴ。
行く前から、妻とわたしの頭のなかでは、彼女の歌声が鳴っていた。
前半をひとりでやって、後半は夫の対馬照さんとの「夫婦(めおと)アワー」。
もんさんたちの住んでいた古い一軒家を、話に聞いて、撮影したいと思っていたのだが、
立ち退きになり、いまは跡形もないということ。
『急にたどりついてしまう』で撮影した逓信住宅も、
ずっと前に姿を消して、跡地が大きな公園になっている。
『岡山の娘』でも、春のロケハンのときにあった建物が
夏の撮影のときには消えていて、唖然としたりした。

教訓。撮りたいものがあったら、グズグズしないですぐに撮りに行くことだ。
物語や主題などは、必要なものならあとからついてくる。
「彼女が一番きれいだったとき」を逃してはならない。

02
10月
2008