第24回高崎映画祭にて上映決定!

しばらく上映の機会のなかった『岡山の娘』ですが、3月27日(土)から16日間にわたって開催される高崎映画祭で上映されることになりました。
映画祭は7部門あって、上映作品は63作品。『岡山の娘』は「映画力:視線の先にあるもの」という部門の10作品のなかのひとつとして選ばれました。
平日の昼間の2回だけの上映ですが、東京以北での初めての上映なので、たくさんの方に見てもらえることを願っています。
東京で見逃した方や、関東近辺のお知り合いにどうぞ声をかけてください。

日程は以下の通りです。
 4月6日(火) 13:00〜14:32  シネマテークたかさき
 4月7日(水) 11:00〜12:32  シネマテークたかさき

映画祭の詳細と会場の地図などについては、下記の映画祭HPをご覧ください。

高崎映画祭HP [1]

[1] http://www.wind.ne.jp/tff/index.html

23
2月
2010

岡山芸術文化賞受賞!

ご報告が遅れましたが、久しぶりのニュースです。
岡山県には、「優れた芸術文化活動の業績が認められる個人又は団体」に贈られる「岡山芸術文化賞」というものがあります。今年は第10回目で、平成20年度を対象として選考されました。その功労賞に『岡山の娘』の脚本・監督に対してということで、福間監督が選ばれました。
去る4月28日がその授賞式だったのですが、福間監督は大学での授業があり行けないので、プロデューサーの小川孝雄さんにお願いして行っていただきました。
小川さんが『岡山の娘』のメーリングリストに送ってくれた授賞式の報告を以下に転載します。

本日、岡山芸術文化賞授賞式に行ってきました。
岡山芸術文化賞の授賞式に代理に行ってもらえませんかと福間健二さんから電話があり、本日岡山県庁3階大会議室に午後1時30分からの授賞式に出席した次第です。この賞の概要は過去1年以内に岡山県において優れた文化活動を行った個人、団体に贈られるもので今回が10年目になるとのこと、来年が国民文化祭が岡山で開催されることもあり、初めての出席でしたが、県知事、県議会議長さんのあいさつも含め想いがあるものでした。福間健二さんの成果は映画『岡山の娘』の脚本・監督によるもの、グランプリ、準グランプリに続く功労賞というものでした。
グランプリは福間さんとも関係が深い詩人斎藤恵子さん、岡山県で初めての第19回日本詩人クラブ新人賞受賞というもの。他にショパン国際ピアノコンクールコンチェルトC部門金賞の土居理江さん、団体として岡山大学モダンダンス部の全日本高校・大学ダンスフェスティバル文部科学大臣賞がその受賞成果でした。
県内各方面の候補者の推薦を受けた26団体・個人のうちグランプリ3件、準グランプリ6件、功労賞3件が審査委員会を経て決定された経過とのこと。映画『岡山の娘』のことを評価してくださった方々がおられたことに率直に感謝したいと思っていますし、監督と合わせてこの映画に関わったスタッフみんなで喜びあえたらと思います。ちなみに賞状と盾、賞金3万円、上映費用に充当できますね!

というわけで、『岡山の娘』は初めての「賞」をいただきました。

10
5月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 19

2009.2.17〜2.24.

2月17日(火)
二日酔い気味。
佐藤忠男さんの『私はなぜアジア映画を見つづけるか』を、
書評を書くために読む。
『岡山の娘』に肩入れしてくれた、ししらいぞうさんの
ブログ「調節作用」を見ていたら、
佐藤さんは映画批評家の「遺物」のひとりにされていた。
そんな感じもないわけではないが、
佐藤さんは、いろんなところに行って、
わたしたちが簡単には見ることができない映画をたくさん見ている。
そして、彼の書くものには、
映画批評を書きはじめた1950年代後半の
若い「思想」や「自由」が、独特の穏やかさをもって、
生きつづけている、と信じたい。
戦後まもない時期のその映画体験が、
映画がまだ若い状態にある国々の、
未知の作品との出会いを呼びよせている、
という筋をいちおう考えた。

2月18日(水)
横浜、幻野映画事務所(弟のところ)へ。
『岡山の娘』の英語字幕版づくり。
14〜16日と二泊三日でやったあとのつづき。
今日も泊まりで、遅くまでやったが、まだ終わらない。
マックのファイナルカットを使って、
かなり簡単に出来ると思っていたが、
英語字幕を入れたカットを約800枚重ねてゆくという作業で、
しかも英語の表現そのものにもまだ迷うところがあるので、
時間がかかる。
日本語で字幕を出しているところに
どう英語を入れるかという課題もある。
中川財務相、辞任にいたるまでのニュース。
「嘘をついている」「ごまかそうとしている」
「しまったと思っている」「もういいやと投げやりになっている」
というような顔と挙動はこういうものか、と演出の勉強をする。

2月19日(木)
横浜から大学へ。
教授会。
その前に小さな会議と小さな仕事。
午後8時すぎに国立に戻り、「奏」に寄る。
フミちゃんとリーちゃんに挟まれて、ワインを飲む。
外は、雨になっていた。

2月20日(金)
毎年のことだが、この時期、決断力が鈍る。
そういう体になっている。
それなのに、決断しなくてはならないことが、この時期は多い。
そうだったのだと気づかされる。
『私はなぜアジア映画を見つづけるか』の書評(770字)を片付けて、
栗田有起の「しろとりどり」(「新潮」2007年12月号)を読む。
豆腐工場で働くヒロイン。
なにもかもを白くして生きている。
職場に親しい女性がふたりいる。おもしろかった。

クリント・イーストウッド監督『チェンジリング』を立川で見る。
実話。なんともすごい話だ。
1920〜30年代風のきついメイクのアンジェリーナ・ジョリーの顔を
ローキーの暗い画調のなかにおいただけで、
勝負はつけているという感じ。
その上に、いろんな小技が効いている。
立川から南武線で谷保にまわって、「たちばな」へ。
タラの白子の天ぷら。はじめて食べた。

2月21日(土)
朝から、福間塾のための詩を書く。課題は「塀」。
「塀」でまず思い浮かぶのは、府中刑務所の塀だ。
わたしの半分は、塀のなかで規則正しい生活をしていて、
あとの半分が、ここにいて、なにかしている。
そういうアイディアにしがみついて、なんとか書き上げるが、
パソコンの調子がおかしくなって原稿が刷り出せない。
がっかりし、なぜか一瞬、暗い気持ちになる。
大げさに言うと、どうも、パソコンに苦しめられるたびに、
この世界のあり方、自分の生き方に対して、
なにかが根本的にまちがっているという気がしてくるのだ。
いつも3時間以上つづく福間塾、
最初の2時間だけつきあって、吉祥寺へ。
いせや本店での、桃ノ忌(会田綱雄忌)。
池井昌樹さんがやっている会で、今年は第十九回である。

2月22日(日)
幻野映画事務所。午前10時前に着くと、
原將人監督が来ていた。
5分の短篇をハードディスクからHDVに落とす作業で、
ハードディスクのコードを忘れた(京都に!)とかで、
手こずっていた。待っているうちに
横浜女子駅伝がはじまってしまった。

午後1時から、京急の井土ヶ谷駅近くの喫茶店で、
英語字幕の協力者、安井マイケルさんと、
字幕の英語について、最終的なチェックをする。
実際に画面に付けてゆくなかで
やっぱりどうなのかと迷い出した箇所について、
彼の意見を求めた。
なんとか意味が通じるようにしたいのと、
もうひとつ、英語でも詩を感じさせたいという希望がある。
たとえば、北川透さんが語った「弱い心」。
weak heart では、「(健康的に問題のある)弱い心臓」。
soft heart では、「優しい心」になる。
heart は、あきらめて、delicate soul とすることにした。
安井マイケルさんは、首都大学東京の同僚。
若いときに詩集を出していて、映画も作っている。
願ってもない協力者だ。
午後3時前に戻って、午後10時すぎまで字幕入れをする。

2月23日(月)
午後6時すぎ、字幕入れの作業を終える。
パソコンの画面の、分割された画像、
そのなかの文字を見つめる作業。
これを、二泊三日、一日、一泊二日と、合計6日間やった。
わたしも(決断力の鈍さもあって)疲れたが、
弟はもっと大変だったと思う。
もう少し直すところも出てくるだろうが、
いちおうできたので、ほっとする。
午後8時45分、帰宅。
NHKニュース。『おくりびと』の
アカデミー外国語映画賞受賞を大々的に報じていて、
滝田監督のお父さんが富山で大喜びしている画像もあった。

2月24日(火)
きのうも寒かったが、きょうも寒い。
きのう、横浜から帰る満員電車で読みはじめた
ジョゼフ・マクブライドの『Hawks on Hawks』を読む。
ハワード・ホークス監督のインタビュー。
前に一度読んでいるが、読みだしたらやめられなくなった。
どんなことにも深刻になる必要はない。
いいシーンが撮れそうになければ、
できるだけ速くそれを片付けるか、棄てるかして、次に進む。
楽しむこと。楽しさを引き出すこと。
登場人物それぞれを「人間」にすること。
ホークスの作品もそうだが、その言葉を読んでいるだけで、
半端な「ウツ」は吹っ飛んでしまう。
明日から3月2日まで、
苦手な仕事をしなくてはならないので、日録、休みます。

25
2月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 18

2009.2.9〜2.16.

学年度末の大学の仕事、原稿、その他で、余裕のない日々がつづいています。
今回は、日録を休んで、少し前にあるところで受けた『岡山の娘』の音楽についての質問への回答を再現してみることにします。

〈『岡山の娘』の音楽はどう考えたのか?〉
ある段階で、デヴィッド・リンチのテレビシリーズ『ツイン・ピークス』みたいなのがいいと言ってたんです。ちょっとパクリっぽいテーマ曲が、いまおかヴァージョンじゃない方の予告篇に入っていますし、完成版の本篇でも、ラストの「スワニー川」の編曲にいくらかそういう感じがあります。
好きなヒップホップ的なのも、ショートヴァージョンでは使ったんだけど、いかにも打ち込みというのが、コンピューターで作りましたって感じになりすぎるんで、やめました。
前半、ナレーション、蝉の音、字幕、それに亡くなった母の歌で、リズムが生まれている。そこに音楽があるのはじゃまな気がして、入れていた音楽を抜いていきました。
音楽の吉田孝之さんも、わたしも、だんだん、音楽がいるのかなって疑いだしたんです。雰囲気が出ていないとかいうのをカバーするために音楽を使うのは、やめることにしました。
画面の意味をなぞって説明するんじゃなくて、対位法的にぶつかるもの。それが基本でしたが、残った音楽は、結果的に人物の気持ちをよく表現していると思います。
いまの時代を生きる気分+ポップ、という感じで、できたら街の音のなかにあるもの。そういうふうにもしたかったけれど、むずかしかったです。

〈お母さんの歌う「ククルククー・パロマ」は?〉
ウォン・カーウァイもペドロ・アルモドバルも使っている曲だけど、もともとこれは、いなくなった人間(実は、浮気な女)のかわりに鳩が飛んでくるというもので、死んだ女性の声で歌われるのによいと思いました。
ちょっと気がつかないかもしれないけれど、お母さんの好きだったこの歌を父と娘でハミングしたあとのつながりで、この曲を速いテンポの明るいアレンジにして、男たちの会話の場面にも流しています。

〈ラストの「スワニー川」はどうして?〉
川が出てくるから、川の曲。そう思いながら、版権のない曲をさがしていって、フォスターにぶつかりました。そして、川べりで少年がハーモニカを吹いている感じというアイディアを、妻が出してくれたんです。
ほんとうは「故郷の人々」という題だって、あとで教えられましたが、その題も『岡山の娘』に合っている気がします。
とにかく、日本の風景も見ようによってはスペインの風景に見える。それと同様に、岡山の旭川がアメリカの川になってしまうのも、おもしろいと思いました。
それは、みづきの物語がだれでもないだれかの物語へと、そして岡山の物語がどこでもない土地の物語へと、突き抜けていけばいいってことでもあります。

以上、「音楽についての質問に答える」でした。
最近、吉田孝之さんが、実際には使わなかった曲もふくめて、
彼が『岡山の娘』のために作った曲を集めたCDを送ってくれました。
ひとつのコンセプトにつらぬかれた、なかなかのアルバムになっています。
全部で19曲。25分。
どれもよく聴いた曲で、
『岡山の娘』の音を作っていったときの「苦労」も思い出されて、なつかしく、
心の奥の、大事なものをしまっているところに響いてくるという感じです。
もうひとつの『岡山の娘』、音楽作品としての『岡山の娘』が、
確かにそこにあると思いました。

19
2月
2009

イベント情報

第2回 銀幕舎 映画を考える会 協力/天満CINEMA倶楽部
★映画『岡山の娘』公開記念
福間健二監督トークイベント
「新作映画『岡山の娘』の公開(3月7日〜第七藝術劇場にて)にあわせて、監督の福間健二が来阪します。詩人としても一流の福間健二がつむぐ、世界と映画への新しいヴィジョンを、目撃してみませんか。」

トーク:福間健二×高瀬進(銀幕舎主宰)
参考上映:『青春伝説序論』1969年40分 
     監督・脚本=福間健二 撮影=高間賢治 出演=長谷川隆志、林いづみ

日時:2009年3月8日(日) 15:00〜17:00頃(開場14:45)
料金:1500円+別途1ドリンク(500円)
場所:ブックカフェ・ワイルドバンチ
   大阪市北区長柄中1−4−7 公ビル1F
   予約電話・FAX番号/問い合わせ 06−4800−4900
   メールでの予約は bcwildbunch@ybb.ne.jp まで。
ブックカフェ・ワイルドバンチHP [1]

[1] http://bcwildbunch.com/

10
2月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 17

2009.2.2〜2.8.

2月2日(月)
浅間山の火山灰。国立にも降って、
うちのマンションもうっすらと灰色におおわれた。
先に気づいた妻、気づかないわたしの鈍感さをチェック。
午前中、自転車で
詩人新井豊美さんち、TSUTAYA、100円ショップのMEETS、
そして国立中央図書館へ。
図書館は休んでいたのが今日から再開で、人が大勢いた。
 
夜、7時半すぎから、
(いきなり書いてしまうが)
あやちゃん、コーちゃん、フミちゃん、ヒトミさん、リーちゃんの順にやってきて、
岡山のかきを食べる会。
後半、かなり酔って
(あとで思うとビールとワインのほかに日本酒も飲んだのが効いた)、
客の迷惑もかえりみず、音楽をかけまくる。
アントニーからはじまって、ルーファス・ウェインライト、
ティラノザウスルス・レックス、リサ・マリ・プレスリー、リーラ・ジェイムズ、
デル・シャノンなど。最後もアントニー。

2月3日(火)
四つの授業で、期末試験。
1時限目の履修者180人以上の「映像文化論入門」のレポートと答案を
読みはじめるが、読み切れない。
夜、妻と待ち合わせて、ポレポレ東中野で『へばの』を見る。
試写で見たとき以上に、木村文洋監督の若い「苦悩」に共感をもった。
打ち上げに参加。
今日は、横浜聡子監督がトークゲスト。
新作『ウルトラ・ミラクル・ラブストーリー』(6月公開)のヒットを
みんなで祈る気持ちになった。

2月4日(水)
英語(首都大学東京では「実践英語」という科目名)の
統一期末試験の監督を、朝から夕方まで。
約100人ずつの1年生と2年生。
かれらと同じ部屋で時間をすごす。
授業では感じないことだが、
この200人にカメラを向けるだけでも一本の映画ができる気がした。

夜、ジャン=リュック・ゴダールの『ワールドミュージック』を見なおす。
ヒロインが湖畔を歩く「天国篇」の美しさ。
そこまでたどりつくのが並大抵のことではないが、
どんな作品でもこういう夢をはらんでいる必要があるのでは、と思った。

2月5日(木)
朝、NECOチャンネルに回して、
李香蘭(山口淑子)と長谷川一夫の『支那の夜』(1940)を見てしまう。
92分の総集編で、だいぶ切られているのだろうが、
31歳で夭折した伏水修監督の画面作りの巧さに感心する。
午後、マイテレビの人が来て、デジタルへの変換をおこなった。
ようやく、わが家でも
ハイヴィジョン放送の番組を見ることができるようになったのだ。

夜、国立駅に山?はなさんを迎えに行く。
長い物語をハショらなくてはならないが、
『急にたどりついてしまう』のときから応援してもらい、
今度も松山上映に大尽力してくれた人。
妻のいる「奏」に案内する。
ポレポレ東中野の小原さんとカフェ「ポレポレ」のマイちゃんが
先に来ていて、みんなでテーブルを囲む。

2月6日(金)
夜遅く、ジャック・ロジェの『アデュー・フィリピーヌ』(1963)をついに見る。
見終わった瞬間にもう一度最初から見たくなった。
すごい作品だということだ。

2月7日(土)
修士論文(午前)、卒業論文(午後)の口頭試問。
さらに評価のための会議。
学生も大変だろうが、
こちらも教師としての能力を問われる気がする。
疲労と沈む気分をかかえて、国立に戻る。
気持ちを切りかえて、「ロージナ茶房」へ。
『岡山の娘』大阪公開に合わせて
「福間健二監督トークイベント」というのを
やってくれる「銀幕舎」の高瀬進さんとの打ち合わせ。
最近国立に越してきた歌人の今橋愛さんとも話す。
最近、なぜか、歌人との出会いがある。
うちから二番目に近い飲み屋「利久」から
いちばん近い飲み屋「旬家」へと、妻とハシゴする。
「旬家」のカウンターにある水槽の小さな魚たちに生命を感じる。

2月8日(日)
ジャン・ルノワールの『ピクニック』(1936)を見た。
39分。未完の作品をプロデューサーたちが完成させたもの。
DVDには、「撮影風景」「リハーサル」も入っている。
川の水とシルヴィア・バタイユ。
『アデュー・フィリピーヌ』にも通じるが、
官能への予感と魅惑をふりまきながら、
底のところで悲しいことやきついことがおこっている。
これでいいんだなと納得してしまった。

10
2月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 16

2009.1.26〜2.1.

1月26日(月)
きのうは、スティーヴン・キングを復習した。
今日は、太宰治の言葉を思い出している。
〈人間は、正直でなければならない、と最近つくづく感じます。おろかな感想ですが、きのうも道を歩きながら、つくづくそれを感じました。ごまかそうとするから、生活がむずかしく、ややこしくなるのです。正直に言い、正直に進んで行くと、生活は実に簡単になります。失敗という事がないのです。失敗というのは、ごまかそうとして、ごまかし切れなかった場合のことを言うのです。〉(「一問一答」)
それから、太宰治は、この語り手に、無欲ということの大切さを言わせる。
欲張るな、である。人は欲張るからごまかすのだ。
こういうこと、頭でわかっても、実行するのはむずかしい。
太宰治は「体得」という言葉を使った。
〈これだけの事を体得するのに、三十四年かかりました〉
わたしは、60歳近くなってもまだダメなような気がする。
夜、ホウ・シャオシェンの『好男好女』(1995)をDVDで見る。
四回目か。どちらかという苦手な作品。

1月27日(火)
映像文化論入門の授業。
マジックボードに図を描いて作品の構造を説明しているうちに、
やっと『好男好女』がわかってきた気がした。
わたしたちは、二つの過去を背負っている。
自分の生きた過去と「歴史」としての過去。
どちらにおいても事実とさまざまな主観的判断が入り組んでいる。
『好男好女』は、「歴史」の部分が、映画の中の映画になっている。
虚構の中のその虚構が、事実にもとづくものだということで、
リアリティーが二重化しているのだ。
こんなこと、ホウ・シャオシェンのファンならわかっていたことだろうが、
そこでの伊能静、リン・チャン、ガオ・ジェをつかんだところで、
『憂鬱な楽園』(1996)に入ってゆく。
映画のかれらのようにトンネルをくぐって移動したいと思い、
かれらのように立ってテーブルのおかずをとりながら
ごはんを食べたいと思うかどうか。
そこに大事な共感のポイントがある、と強引に言ってみる。

映像論は、ミケランジェロ・アントニオーニ。
『欲望』(1966)から『さすらいの二人』(1975)へ。
後者の原題 The Passenger(乗客)は、
死者と入れかわる者、死者に乗る者ということだったのだ。
ほんとうに、ここまで来ても、
知らないこと、わかっていないことだらけである。
「楽しい映画文化史」に出てくるエリザベス・テイラーの『緑園の天使』(1945)を、
昼休みと空き時間を使って断片的に見る。
高峰秀子にも『馬』(1941)がある。
子役スターは馬に恋をすると、大女優へと生きのびるのだろうか。

夜、ニコラス・レイの『ビガー・ザン・ライフ』(1955)。
主人公のジェームズ・メーソンが、
コーチゾンという薬の副作用で「傲慢な全能感」を亢進させる。
園子温の『愛のむきだし』の渡部篤郎に通じるところがある。
狂信的な父親。カルト的メロドラマの便利な装置だろうか。

1月28日(水)
太宰治の書簡集『愛と苦悩の手紙』を読んでいる。
〈仕事します。
遊びませぬ。
うんと長生きして、世の人たちからも、りっぱな男と言われるよう、忍んで忍んで努力いたします。〉
昭和14年、30歳。結婚直後の、井伏鱒二あての手紙。
〈もう十年、くるしさ、制御し、少しでも明るい世の中つくることに、努力するつもりで、ございます。
 このごろ、何か芸術について、動かせぬ信仰、持ちはじめてきました。〉
ここから、よい仕事をした。しかし十年も生きることはできなかったのだ。

夜、見逃していたタナダユキ監督『赤い文化住宅の初子』(2007)を見る。
窮屈な構図の映像でなにかをなぞってゆく感じ。
結局、初子と三島君を記号にしすぎている。
でも、坂井真紀の女教師は、やってくれてるなあと思った。

1月29日(木)
大学。授業(試験)と会議。
夜、高貝弘也さんと杉本真維子さん、うちに来て、
三人でやっている詩誌「COW」第4号をつくる。
制作から封筒入れ(明日、メール便で発送)まで、3時間でやった。
「奏」で乾杯。
真維子さんの、詩集『袖口の動物』でのH氏賞と信毎選賞。
高貝さんの、詩集『子葉声韻』での高見順賞。
それを祝い、『岡山の娘』の完成・公開も祝ってもらった。

1月30日(金)
雑誌「映画芸術」の、2008日本映画ベストテン&ワーストテン。
『岡山の娘』は、ベストの21位。
わたしは、このベストテンの選者もやり、
〈『男はつらいよ』と1969年〉という特集にも参加した。
わたしのベストテンは、

1 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(若松孝二)
2 や・り・ま・ん(坂本礼)
3 くりいむレモン 旅のおわり(前田弘二)
4 俺たちに明日はないッス(タナダユキ)
5 ホームレスが中学生(城定秀夫)
6 デコトラ☆ギャル奈美(城定秀夫)
7 ブタがいた教室(前田哲)
8 純喫茶磯辺(吉田恵輔)
9 おくりびと(滝田洋二郎)
10片腕マシンガール(井口昇)

であった。世間のベストワン映画『おくりびと』を入れているところに、
わたしの甘さが出ているだろうか。
滝田さんの風景カットのつなぎ方、うまいと唸った。
しかし、見る人によっては、それはNHKの「小さな旅」で
駆使されている技術と同等なものかもしれない。
脱線するが、古典的な名作や
アラン・レネの絵画ドキュメンタリーを見るかわりに、
日曜日の朝、NHKで「自然百景」と「小さな旅」を見る
という勉強のしかたもありそうだ。
「映画芸術」に話を戻す。去年のベストテン号もおもしろかったが、
今年も、ほかの記事もふくめて、なかなかの名言が多く、
読み出したら、やめられなくなった。

終日、雨。
妻と友人たち(フミちゃん、シーちゃん、美子さん)、うちで味噌の仕込みをした。
雨の中、出かけて、「ラグー」で飲む。
舞踏家杉田丈作さんと太極拳の先生である齋田美子さんのカップル、
「そば芳」のシーちゃん、そしてうちの夫婦という最強の5人。
シーちゃんを見送ったあと、丈作さんの
「家に帰っても、もう少し飲む」のひとことに押されて、
4人で「FUKUSUKE」へ。

1月31日(土)
『ニックス・ムービー/水上の稲妻』(1980)をDVDで。
監督、ヴィム・ヴェンダース、ニコラス・レイ。
瀕死のレイに対して、ヴェンダースは何をやりたかったのか。
それはよくわからないが、レイは大した役者だ。
すでに伝説化されていた自分を生き抜いてみせている。
エピローグの会話シーンが、うるさく、内輪的で、長い。
そして、東北新社のDVDの作り方は、なんの芸もない。

行けなかったけれど、
ポレポレ東中野、『へばの』(木村文洋監督)のレイトショーの初日だ。
「映画芸術」ベストテンの選評の、わたなべりんたろうさんの、
〈まだ未整理の部分がありながらも、「この映画を観てほしい」という強い思いが作品だけでなく、ゲリラ的な路上にスクリーンを貼っての予告編上映の宣伝からも伝わってくる。熱い作品だ。〉という、『へばの』に触れた箇所。よかった。
ポレポレ東中野という「場」もあってのことだが、
製作と上映がしっかりと結びついた作品の登場という事件がおこっている。
若い木村監督は、これから、この幸福なスタートを背負ってゆくのだ。
みなさん、見に行ってください。
『愛のむきだし』も今日からですね(at 渋谷ユーロスペース)。

2月1日(日)
2009年、もうひと月がすぎてしまった。
去年からの宿題、やりのこしが多くて、呆然。
国分寺の母のところに。
夜、148分のイ・チャンドン監督『シークレット・サンシャイン』。
わたなべりんたろうさんが熱心に押していた作品。
まったく退屈しなかった。
聞いていたのだが、
いまおかしんじ『獣たちの交わり 天使とやる』(『イサク』)にも、
園子温『愛のむきだし』にも通じるところがある。
しかし、それ以上に、これは、実は
容赦なくリアルにした「寅さん」なのではないかという気もした。

03
2月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 15

2009.1.19〜1.25.

1月19日(月)
なにか構想ありすぎの感じで、なんにもできない。
「ほんとは、何も考えてないんじゃない?」
と、なんでも見抜いている友人に言われ、はっとする。
去年のいまごろは、『岡山の娘』をどう仕上げるかで頭がいっぱいだった。
いまは、自分が中心をもってひとつの方向に動いてゆくことができていない。
そんな、ダレた感じでいるところに、
書評を頼まれた宮崎誉子さんの新しい本『派遣ちゃん』のゲラが届き、一気に読む。
言ってみたいこと、いろいろと浮かんでくるが、
しめきりはだいぶ先なので、少し寝かせてから書こう(わるい癖?)。

1月20日(火)
朝、南大沢で福間塾の岩田英哉さんに会い、
夕方、国立で福間塾の小貫麻美さんに会う。
学校の嫌いな子どもの行き帰りにも、こういう出会いがあったらいいのだ。
その行き帰りのあいだに、授業四つ。
ホウ・シャオシェン。
『恋恋風塵』から『非情城市』へ。
ミケランジェロ・アントニオーニ。
『夜』から『太陽はひとりぼっち』へ。
荒川洋治。
詩集『一時間の犬』の「アンカラ」の骨がやっとわかった気がする。
楽しい映画文化史。サイレントからトーキーへ。
とくにアルフレッド・ヒッチコックの『恐喝(ゆすり)』(1929)。
それぞれについて、あらたな「発見」があった。
そういう、だれよりも自分が学ぶ授業をしている。
なにかバチがあたりそうだ。

「ミュージックマガジン」2月号を買う。
ブランキー・ジェット・シティ特集。
ベンジーとテルちゃんとタツヤ。
やっぱりすごいバンドだったのだ
と、過去形になるのがつらい。
アルバム・レヴュー(歌謡曲)の保母大三郎さんの文章がますます快調。

1月21日(水)
縁あって、西家孝子歌集『是風』を手にとることになった。
三島由紀夫の文学と死から多くを受けとっている、1931年生まれの歌人。
何年か前に多磨霊園に行ったついでに
三島由紀夫の墓の前に立ったが、このところ、
彼のことをあまり思わないようにしてきたことに気づかされる。
〈わたくしがわたくし語にてもの思ひ百合は百合語の美を咲き出でぬ〉
という明快な歌も。

1月22日(木)
大学院の授業で、吉田喜重監督をとりあげる。
かなり惹かれていた時期があり、
この授業もだいぶ前から準備もしていたのだが、
吉田喜重の映画はこうなのだという核心をつかめない。
くやしいので、
今回見なおした作品について、わざと意地悪に言ってみる。
『甘い夜の果て』(1961)。
津川雅彦と山下輝世は、ほんとうは惹かれあっている。
それをはっきりさせないまま、山下を事故で死なせて、津川を荒れさせる。
現実の残酷さのなかに人物を突き放しているというよりも、
作者がそう作っているだけだという感じ。
『秋津温泉』(1962)。
死ぬ岡田茉莉子も、ずるい長門裕之も、
結局、そう作っているだけというところがある。
それに、長門裕之の奥さんの描き方、あれでいいのか。
『日本脱出』(1964)。
鈴木やすしが、ラジオの実況で、桑野みゆきについて誤解したことを言う。
こいつは最後まで馬鹿なんだと思わされる。
桑野みゆきは、無理無理のケバさを出して、すごくいいのに。
『樹氷のよろめき』(1968)。
一時的不能におちいり、理屈をこねまわしたあげくの蜷川幸雄の死。
これも愚かしいだけということになりそうだ。

大学からの帰り、調布・明大前経由で、吉祥寺に出る。
友人の武田さんのいるディスクインで、
アントニー&ザ・ジョンソンズの新譜『クライング・ライト』を買う。
さっそく「奏」でかけてもらう。
「奏」から「萬笑」へ。
家で『クライング・ライト』をもう一度、じっくりと。
前作『アイ・アム・ア・バード・ナウ』ほどじゃないとしても、まあ大丈夫。

1月23日(金)
妻にすすめられて読んだ栗田有起の短篇集『蟋蟀』(2008)。すごくいい。
アントニオーニの『欲望』(1966)を、DVDで途中まで。
すごく久しぶりに見た。このポップカルチャーは色褪せていない。
そして、ルーファス・ウェインライトのCD『リリース・ザ・スターズ』(2007)。
聞き逃していて、やはりきのう買った。これもまあ大丈夫。
アントニーの「静」に対してルーファスの「動」というのが、
「母」になりたいアントニーと「母」に甘えたいルーファス
という構図でもあると見えてきた。
それで、ほんとうに大丈夫かなと思う気持ちも。

横浜ジャック&ベティでの上映、最終日。
上映後のあいさつのあと、例によって「聚香園」へ。
『イサク』の脚本家港岳彦さんと
「DUV」という雑誌をやっている中山孝洋君が来てくれた。
この界隈ともしばらくお別れかと思うと、
なにか去りがたくて、わざと黄金劇場の前を通ったり、
気になる「売春飲食街を撲滅しよう」の看板の前にも行ったりする。
結局、「松林」でもう少し飲む。
帰りの南武線で、(ちょっと書きにくい)痛い目にあった。

1月24日(土)
栗田有起さんの本をワクワクしながら読んでゆく。
『お縫子テルミー』(2004)
『オテル モル』(2005)
『マルコの夢』(2005)
全部、おもしろい。
栗田有起と宮崎誉子。二人とも、1972年生まれだ。
1972年、連合赤軍の「事件」の年。
どんなときでも生まれてくる子どもはいるのだ。

高貝弘也さんと杉本真維子さんとの丑年トリオでやっている雑誌「COW」。
久しぶりに出すので、表紙用の紙を買いに行った。お昼前。
そのころ、ちらっと雪。国立では、初雪か。
キム・ジョンイルの長男が北京にあらわれたというニュース。
MTV、エミネムのヴィデオ特集を見る。
夜遅く「利久」に。ふきの煮物がおいしかった。

1月25日(日)
朝からゴチャゴチャと原稿書く。
いきなりであるが、書くことをめぐって、
スティーヴン・キングに学んだのは、
とにかく〈ドアを閉じて外部と隔絶すること〉。
休みは、週に一日だけ。
〈それ以上休むと、発想の気が抜けて、意欲が萎える〉。
で、一語一語書いてゆく。短いものでも、長いものでも、
〈文章はつまるところ、一語一語の積み重ねである〉。
キングはハードロックを鳴らしながら書いているが、
〈音楽もまた、ドアを閉じる手段の一つ〉。
世界を締め出して自分の世界を創造する。
夢を見るためにドアを閉めきる。
『小説作法』という本(池央耿訳)に書いてあることだ。
キングの言うことを聞いていると、いくらでも書けそうな気がしてくる。
名前を変えてベストセラー小説を書き、お金が入ってきて、
それで映画を作るというような古典的な空想が、ちらかった机の上に。

夕方、うちから徒歩4分の銭湯「鳩の湯」に行く。
「日曜日の娯楽」という言葉が浮かんだ。
しっかりと楽しんで脱衣場に出ると、
テレビの大相撲、ちょうど「これより三役」。
白鵬が朝青龍を破るのを見てから、
いそいで家に戻り、二人の決定戦を見た。朝青龍が勝つ。

夜は、「奏」のライヴ。
鈴木常吉(ヴォーカル、ギター、アコーディオン)
with 桜井芳樹(バンジョー)。
常さんは、すでにこの日録(日録8、10月26日)に登場している。
今日も、めちゃくちゃよかった。
桜井さんは、ライヴは初めてだが、CD『new high lonesome sound
(ロンサム・ストリングス vol.1)』を愛聴してきた。
その『vol.3』が明日発売とのこと。
ライヴのあと、うちの知り合いグループのテーブルに常さんが来て、
いろんなことを話した。
「福間健二の撮る『仁義なき戦い』に出たい」って、
興奮して眠れなくなるような、うれしいことを言ってくれる人だ。
彼の、国分寺での、中国人女性との「交流」も、おかしかった。
銭湯、相撲、鈴木常吉。〈こんなに目が覚めた〉という
あたりまえさ、理不尽さ、そしていくばくかの抒情詩で、人生は続いてゆく。

28
1月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 14

 2009.1.12〜2009.1.18

1月12日(月)
明日からの大学の授業の準備。必死にやる。
午後、ジャック&ベティに。
谷保、武蔵小杉、横浜、黄金町のコース。
『岡山の娘』編集のために幻野映画事務所に通ったときは、
谷保、武蔵小杉、横浜、屏風ヶ浦のコース。
途中下車して遊ぶほどの暇がないのが、残念。
電車のなかでは、普通は、
本を読むか
寝るか
景色を見るか
人間を観察するか、だろうが、
きょうは頭のなかで詩をひとつ書いた。
(長くなるので、作品略。)

上映、きのうまでのHDVからDVカムに切りかえたので、
念入りに映像チェック。
集中したので、ひと息つきたくなった。
一緒にチェックした弟と「松林」という店で、ビール。
そして紹興酒に。この中華風居酒屋も、かなりすごい。
結局、遊んでばかりいる(という人生になった)ようで、
ひりひりした空気のこの不況下、申し訳ないのであるが、
国立に戻り、「奏」のライヴへ。
3月に大阪へ移住するという塩本彰さんのギターとMCに、
太田・土井・宮野・佐藤の「管」四本というセット。
大学のこと、横浜上映のことなど、
なんとか頭から追い出して、
音楽に身を沈める。

1月13日(火)〜16日(金)
この4日間、日付を特定するとやばい事情があるので、まとめて書く。
まず、授業。
映像文化論入門。
ジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』(1986)に入る前に、
先週発見したサイレントの『Making an American Citizen』(1912)を見る。
ジャームッシュ作品には、内容的にも、感触的にも、技術的にも、
映画とアメリカの「初期」に直接つながっているものがある。
グリフィスとフォードが基礎を作ったハリウッドのメインストリームと
連絡しつつも、それとはまったく別な回路なのだ。
アメリカ人になる。そのことにも、さまざまな回路があるように。

映像論。
フェリーニの『甘い生活』(1959)とアントニオーニの『夜』(1961)を対決させる。
どちらも、マルチェロ・マストロヤンニ主演。
それぞれの方法で「現代の症候を楽しんでいる」が、
いまの時点で、かつ(言えば身も蓋もないことになるが)低予算で、
真似しやすいのは、アントニオーニの方だ。

表象言語の諸問題。
荒川洋治の作品「秘密」「冬のそよ風」「丘」を読む。
作品の「鑑賞」がだんだん謎解きクイズみたいになってゆく。
学生たちにわかってもらおうと無理すれば、
答はなんとか捻りだせる。でも、相当の珍答だろうが。

実践英語、三つのうち、
『楽しい映画文化史入門』の方は、初期のハリウッド・スターの興隆。
とくにダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォード、
ルドルフ・ヴァレンチノの三人について。
ヴァレンチノの俳優になるまでの半生、おもしろい。

あとの二つは、今日の新聞とマクルーハンを読む。
新聞は、中央大学後楽園キャンパスの教授刺殺事件。
大学の1時間目というのは、授業をやっている教室以外は、
しんとしている。恐ろしい事件もおこるだろうと思う。
マクルーハン。1960年代前半のソ連で、
〈チャールストンは許されたが、ツイストはタブーだった〉。
前者は、ホットで、工業化初期の「機械」に通じる、操り人形的な動き。
後者は、クールで、原始的で、反動的な全身表現。
というあたりを読む。
学生たちは、しかし、チャールストンもツイストも知らなかった。

芸術表象文化研究。
これも、荒川洋治の詩を読む。
なぜか大学院生相手だと、おもしろく読む感じにならない。
以上、授業のこと。

12月の横浜学生映画祭で上映された『古屋の次第』を、借りたDVDで見る。
大阪芸術大学の加藤秀仁の卒業制作作品、2007年。78分。
すごい。
キム・ギドク、ジャ・ジャンクー、小説家ジム・トムプソン、
もうひとつ言ってよければ「狂った朝日」のブランキー・ジェット・シティに
通じる、強烈な作品だ。
去年見ていれば、ベストテンの上位に入れただろう。
フィルムで撮っている。ぜひスクリーンで見たい。批評を書きたい。

いまおかしんじ監督『イサク』(公開タイトル『獣の交わり 天使とやる』)の
初号試写に行く。電車を乗りまちがえて遅刻し、最初の5分を見逃したが、
見ごたえ十分。いいなあと感心するシーンが次々に展開。
脚本、港岳彦。撮影、鈴木一博。
港さんは、文学的な誠実さと切実さの人、自分の詩をもっている人だと感じた。
その「文学」をていねいに(だが、クドさなしに)ほどいていく映像があった。
キリストの足に(全身も出てきたが)驚かされる。
新宿「さくら水産」での打ち上げに参加。
新宿にむかう電車から、初対面のわたなべりんたろうさんと話す。
彼の豊富な「情報」に接して、
自分が、とくに、最近の外国映画、ほとんど見ていなかったと気づかされた。
ヒロイン役の吉沢美優ちゃんとも話す。
「映画初出演で、6日間の撮影で、あれだけやれたら大したものだ」と励ます。

人間のやること。たいていのことは、それほど力んでやることはない。
力まずに、でも、だれないように、やるのだ。
映画だって、そうだろう。
60歳近くなって、そんなことがやっとわかる。
いまおかしんじ監督の作品は、それを教えている気がする。

そんなことを考えているうちに、16日の夕方になった。
新宿のベルクで妻と待ち合わせて、
新宿眼科画廊での「ほたる日和」。
ほたる(葉月螢から改名した)と中島朋人の芝居(映像付き)。
落語の「転宅」をもとにしたコントで、
まあ、ほたるちゃんだから許されるというものか。
そのあと、ゴールデン街。話に聞くばかりで
行ったことのなかった「鳥立ち(トダチ)」に。

1月17日(土)
横浜、相鉄ムービルで瀬々敬久監督『感染列島』(感想、略)を見たあと、
関内に出て伊勢佐木町界隈を散策
(こちらについても、感想がまとまらない)。
午後5時すぎにジャック&ベティに到着。
『岡山の娘』、今日はお客さんがよく入った。
知り合い&知り合いの知り合いに頼っている動員であるが、
おせじでなく、魅力的な女性客が多かった。

上映後のトーク、金子遊さんと。
雑誌「映画芸術」のインタビューの聞き手も、彼だったが、
今日も申し訳ないほどしっかり準備してきてもらった。
やはり「映画芸術」に書いている若木康輔さんも来てくれた。
こういう若い世代から応援も受けて、
先につながるような交流ができたということ。
『岡山の娘』をやった大きな収穫である。
「聚香園」での打ち上げから、
横浜に詳しい金子さんと
松島みき子さん(トークの写真を撮ってくれている松島君のお母さんで、
茅ヶ崎市議会議員で、元気いっぱいの人!)
の先導で、野毛方面、ディープな横浜の夜の探訪へ。
「野毛通信社」で出会ったみなさん、エールを送ります。
横浜の「構造」がやっと少しずつわかってきて、
明日は『ヨコハマメリー』の中村高寛監督と話をするのだ。

1月18日(日)
午前中、国分寺の母のところに。
午後2時前に戻り、1時間ほどパソコンに向かってから、横浜へ。
日曜日で、武蔵小杉駅も、横浜駅も、人があふれている。
夕暮れの黄金町。
ここは、ちょっとさびしい。
中村高寛監督とのトーク。打ち合わせなしでやった。
今回のジャック&ベティでの上映が、
『岡山の娘』が『ヨコハマメリー』に出会う
という、なにか運命的な、うれしい機会であったことを、
いくつもの意味で確認。
「聚香園」での打ち上げは、今日も盛り上がった。
志村役の真砂豪が横浜に来て出会った人たちをはじめ、
横浜の好男好女が集合。
中村監督は、やはり横浜で、ボクシングのカシアス内藤を
撮るという次回作の撮影に、来月から入るという。
それやこれ、話題がとびかって、いけない、中村監督が12月に会ってきた
中国のジャ・ジャンクー監督の話をするのを忘れていた!

19
1月
2009

福間健二の、質問に答える&日録 13

 2009.1.6〜2009.1.11.

1月6日(火)
大学へ。車中で、
新幹線で読みきれなかったハヤカワ・ミステリ、
パトリック・ルエル(レジナルド・ヒル)の『ただ一度の挑戦』を読み終える。
訳文(羽田詩津子)もあまりパッとしないし、強引な筋立てで、
アイルランドとIRAの描き方もおざなりだが、
最後の最後、ドッグと呼ばれる元警部が、
一度だけ体の関係をもった人妻を探し出して、
「わたしと来ないか」と言うところは、よかった。
というか、そういうハッピーエンドになりそうな気がして、
それで引っぱられた。

大学では、卒業論文と修士論文の「指導」。
卒論(松島君)、写真論。
写真のなかでは、実像と虚像の区別はない。
写真のなかには、時間が存在しない。
この二つのことを「真実を見抜く」という主題に
どうからませるか、という焦点が見えてきた。
修論(安藤君)、ヒップホップ論。こちらは、
「ポピュラー・ミュージック」の妥協・穏健・微温に抵抗する
二つの要素として、ヒップホップの
アンチヒーロー性とエイリアン性を浮かびあがらせた。
どちらも、あと一週間で提出。もうあとがない。

JR南武線の谷保から帰って、「たちばな」に。
『岡山の娘』の、みづきの母の遺影で登場した吉野晶ちゃんをはじめ、
いろんな人たちと会って、新年のあいさつ。
ついでに「利久」にも。今年もよろしく。

1月7日(水)
歌人の加藤英彦さんに『岡山の娘』横浜上映のチラシを送る。
考えてみると、彼の歌集『スサノオの泣き虫』が
しばらく前から、いつも手もとにある。
〈生きるとは怖ろしきことうつくしき言葉のうらでだれを殺せる〉
大きくて、はげしく、せつない「男性」の歌だ。
いきおいで、読みかけだったエルモア・レナード『スワッグ』(高見浩訳)を読了。
訳者解説にある「酒とバラと強盗の日々」の、天国気分。
そのまま、なんの悩みもないよ、
とやってくれたら、大したものだったが、
能天気な毎日だけでは、
人生も、小説も、やることがなくなってしまうのだろう。

チャンネルNECOで、
『薔薇いくたびか』(1955、衣笠貞之助監督)。
キスシーンひとつない、超じれったいメロドラマで、136分(15巻)もある。
見所は、画面づくりのていねいさ(撮影・渡辺公夫)と
21歳の若尾文子(「性典」シリーズや溝口『祗園囃子』のあと、
溝口『赤線地帯』や市川『処刑の部屋』の前である)。
相手役は、根上淳。
オールスターキャスト作品で、
南田洋子、山本富士子、雷蔵、チョイ役で勝新まで出るが、
京マチ子と長谷川一夫が若尾・根上をハッピーエンドにみちびく儲け役。
(かわいそうなのは、根上が若尾と結ばれるためにふられる長谷川の妹役。
好みではないが、女優さんの名前を知っておきたい。)
こういう大映メロドラマを
速度・行動・主張・肉体をもつ人間のドラマへとひっくりかえしたのが、
1958年に登場した増村保造だ。
『岡山の娘』で引用した『青空娘』も、そういう増村作品のひとつ。

午後7時、雲の流れる空を見上げた。
金星がくっきりと。星はそれだけ。
5日前、赤磐市の小宮山家(丘の上にある)に着いたときの、
頭上にひろがった満天の星を思い、
さらにポルトガルの夜空を思った。
ポルトガルのアレンテージョ地方、
ワインのうまいボルバ村へと
妻とわたしを先導してくれた文ちゃん、来て、遅くまで飲む。

1月8日(木)
12月に見た園子温監督の『愛のむきだし』へのコメントを考える。
〈奇想天外のメロドラマ。罪という罠から世界を救い出すための237分、まったく退屈させない。〉というもの。
50字以内という制限。
こういうとき、何を言うのがいちばんいいのか。
〈痛い逆説となった「変態」が疾走する〉というフレーズが浮かんだが、
あえてそれを使わないという選択をした。
メロドラマということで、
きのう見た『薔薇いくたびか』からの距離を考える。
その間に増村保造以降のメロドラマ批判があるだけでなく、
漫画・劇画に逃げ込んだメロドラマの居直りがあり、
さらに最近の小説での、
リアリティーの混乱に乗じた
「物語性」のめちゃくちゃな展開がおこった先で、
『愛のむきだし』は、
園子温監督の、いい意味での幼稚さが、
とんでもなく大きな起伏を呼び込んでいる。
(コメント、この2行でもよかったのかな。)

THE MOVIE BEGINS: A Treasury of Early Cinema
というDVD5巻のボックスから、第3巻と第5巻。
こういう初期の映画には、(カメラ位置と構図を
ほかに選びようがないと感じさせる)決定的なショットが詰まっている。
そういう決定性。リュミエール兄弟だけのものではなかったのだ。
今日見た中でのベスト3。
A Day in the life of a Coalminer(1910)
炭鉱の労働のドキュメンタリー。とくに女性労働者のたくましさが印象深い。
Making an American Citizen(1912)
ロシアからの移民夫婦。夫の方が旧世界的な暴君の座から引き下ろされるまで。
The Girl and Her Trust(1912)
D・W・グリフィスのバイオグラフ社時代の最後の作品。
鉄道駅の電信連絡係の若い娘が果敢な動きで悪漢たちに抵抗する。

1月9日(金)
チャンネルNECOで、『三人娘乾杯!』(1962、番匠義彰監督)。
三人娘映画が好きで、『岡山の娘』もその側面を意識してつくったが、
実は、ひばり・チエミ・いずみの時代から、
三人娘映画は、大して内容がないと相場が決まっている。
これもそうだが、心配したよりはうまく出来ている。
川津祐介と津川雅彦が、骨抜きされたヌーヴェルヴァーグという感じで、
平凡な役に耐えている。その二人と山本豊三が男性陣。
娘たちの方は、倍賞千恵子が脇にまわって、
結局、岩下志麻と鰐淵晴子の勝負。
二人は筋の上でも川津をめぐって争うが、
演技的にも、容姿的にも、対照的で、
小粒でおとなしい岩下が、大きくて派手な鰐淵に、勝っている。
ここからの女優としての可能性の差、というよりも、
松竹大船調という微温的な夢の性格をものがたっているものがある。

かつての日本映画がなつかしくなっているのは、
正月気分が抜けないせいか。
時代劇チャンネルで、『桃太郎侍』(1963、井上昭監督)。
斬新な映像感覚で話題を呼んだ『勝負は夜つけろ』の、ひとつ前の井上作品。
大映京都の、撮影所としての「力」は感じさせるが、
ハッとするような場面はなかった。
本郷功次郎のひとり二役。
はまり役の久保菜穂子がいつもの水準以上によかった。

サンプルDVDを借りていた『SRサイタマノラッパー』も見た。
3月公開の作品。Directed and Written by Yu Irie.
ヒップホップと映画の出会いということでは、
どちらも遠慮しすぎていると思ったが、なにかニクメナイ。
ワンシーン・ワンカットの手法。
不器用さと我慢づよさ。
伝えようとしているものが徐々に見えてくる。
表現は、自分のいま、自分のいる場所、
そのみじめさを見つめることから、はじまる。
それを確かめて主張している、リアルで正直な作品だ。

1月10日(土)
久しぶりに、早起き。
きょうから、『岡山の娘』の、横浜での公開がはじまる。
そのために落ち着かないということもあるが、
遅れている仕事がいろいろとある。

午後2時前に、シネマ・ジャック&ベティに着き、
ベティで『岡山の娘』の前のプログラム、
アレックス・コックス監督『サーチャーズ2.0』を見る。
バカな映画かもしれないが、それこそニクメナイ。
チラシに、〈金にならなくても映画を撮るのが好きでたまらないんだ。
だから俺は撮りつづける。〉というコックス監督の言葉。
映画のなかで、映画のことばかりしゃべっている男たち。
それしか話題がないのかと腹を立てながら、
結局、かれらにやさしい、つきあってくれる娘がいる。
そこが、この監督の見る夢の、大事なところかな。

18日のトークゲスト、
『ヨコハマ・メリー』の中村高寛監督と話したりしているうちに、
あっというまに、『岡山の娘』の上映時間になった。
いきなりサイズちがいで映写され、やりなおしをするなど、
いくつか予想外のことがおこる。
それもあって、上映後、ちょっとバタバタしました。
今日のトークゲストは、三角みづ紀さん。
詩の朗読(彼女は、その一部をうたう)。
そして、質問(前もって頼んでおいた)。
どちらも、しっかりとやってもらった。
黄金町駅ちかくの飲み屋で、打ち上げ。
東中野にも来てくれ、きょうは『サーチャーズ2.0』から
一緒だったかながわ女性センターの高野さん、
いまは横浜に住んでいる志村役の真砂豪さんも、参加。
みづ紀ちゃんを駅で見送ってから、さらにもう一軒。
東京から見に来てくれた知人もそこで飲んでいた。
高野さんから、カンボジアの娼婦たちを描いたドキュメンタリー作品
『紙は余燼を包めない』を上映する江ノ島アジア映画祭(2月15日)の話を聞く。
いろんなふうに、人がつながってゆく。
上映はそういう場だとあらためて思う。

1月11日(日)
快晴。遠くの山並みの稜線がくっきりと見える。
午後、横浜へ。
南武線の車中、酔っ払いのおっさんがひとりでずっとしゃべっている。
久慈駅あたりだったか、別のおっさんが電車からおりて、
ホームで尻餅をついた。
「倒れた?」「大丈夫か」という車内からの反応。

今日のトークゲストは、松江哲明監督。
東中野でのトークショーの続きの感じで、一気に展開。
『ユメノ』の鎌田義孝監督と久しぶりに会う。
その友人の、劇団トラッシュマスターズの吹上タツヒロ君、
今週二度目の登場の文ちゃんと真砂君、
そして印刷会社「グラビティ」の細谷麻美ちゃんなど、
九人で、ジャック&ベティのとなりの中華料理店「聚香園」で打ち上げ。
松江監督推奨の麻婆豆腐と餃子は、もちろん、
焼きそばもビーフンも、そのほか何でも、おいしい。
これから、この店に来るのも、たのしみのひとつ。
そして、時間があれば入りたいと思っているのが、
『岡山の娘』のチラシを表に貼ってくれている
ストリップ劇場の黄金劇場。
行きも帰りも、その前を通った。
それから、黄金町には、
ロマンポルノのポスターがたくさんある古本屋もある(松江情報)。
映画プラスアルファーの楽しみのある横浜、ということで、
みなさん、(実は、集客、かなり心配なので)
ぜひシネマ・ジャック&ベティに何度でも足を運んでください。

12
1月
2009