2008.9.16~ 9.21.

9月16日(火)
一日、原稿執筆。
『岡山の娘』を完成させてから、
実は、書くほうも調子が上向きになっている。
わたしの最新お気に入り作家は、
『セーフサイダー』『日々の泡』の宮崎誉子さん。
彼女の文章の、まったくダラダラしない、いい意味での「貧しさ」に、あこがれる。

9月17日(水)
大学の研究室で、吉田喜重監督『ろくでなし』(1960)のDVDを見る。
何度か見ている作品だが、高千穂ひづるも、津川雅彦も、川津祐介も、しっかりと暗い。
大島渚の『青春残酷物語』の川津祐介と桑野みゆきもそうだった。
〈この世界と自分自身に抗議している〉暗さだ。
それから、瀬々敬久監督の『フライング☆ラビッツ』を橋本のMOVIXで見る。
石原さとみと真木よう子の魅力を真ん中においた、堂々たる娯楽映画。
石原さとみの能天気さと喜劇的な努力志向。一時期の斉藤由貴を上回るものがある。

9月18日(木)
大学で、午前中から、会議、会議、会議。
午後7時半ごろ、国立に戻って、旭通り、「奏」から「萬笑」へのコースで飲む。
必見のホームページ「好日の庭」の小林賢二さんと途中から一緒。
ランドスケープ・デザイナーで、『岡山の娘』の協力者でもある。
愉快な展開になって、遅くなりました。「萬笑」のアキさんとイヅミちゃんに感謝。

9月20日(土)
午後3時から、国立市公民館で「福間塾」。
公民館で「詩のワークショップ」をやっている。前は春だったが、
去年から(『岡山の娘』の準備のために、春にはできなくて)秋になった。
ワークショップの受講者の有志が、ワークショップが開かれていない期間、
月に一度集まって詩の勉強しているのが「福間塾」。
名前を貸しているだけで、最初はあまり顔を出さなかったが、
最近はできるだけ出るようにしている。
先生というわけじゃない、みんなと同じ立場。それが気楽で、たのしい。
今日は、8月の末に亡くなられた当山玄作さん
(毎日詩を書いているという、すごい人だった)のご家族が参加された。
来週からは「詩のワークショップ」が始まるので、「福間塾」はしばらくお休み。
そして、またしても「奏」から「萬笑」へのコース。

9月21日(日)
きのうの「福間塾」のために書いた詩篇「ソウルロード」に手を入れる。
それから、ヴィデオで雨の街を撮った。
午前中のうちに「詩を書き、ヴィデオも撮る」というのが果たせた一日となる。
午後、雨のなか、
豊島区千早の熊谷守一美術館の「吉田孝之個展」に妻と行く。
行ってみて、詩人の井坂洋子さんの住んでいるあたりだと気づく。
吉田孝之さんは、『岡山の娘』の音楽をやってくれた人。
コンピューター関係の編集者で、最近は絵画に力を入れている。
油絵と水彩。基本に立ち帰っているという感じで、
静物も、風景も、いかにもこれが絵だという味わい。
後期印象派的か。
映画の映像も後期印象派的なものから得るもの、まだまだある。

ポレポレ東中野に行き、
『アレンテージョ めぐり逢い』(ピエール=マリー・グレ監督)を見る。
ポルトガルのアレンテージョ地方、ぺログアルダという村の歌と人々に、
詩人アントニオ・レイス、
民俗音楽研究者ミシェル・ジャコメッティ、
そして映画監督パウロ・ローシャが、引きつけられ、仕事を残した。
そういうことがあったということと、そこからの時間経過に対して、
何をやろうとしているのか。
わからないといえばそうなのだが、ふしぎな作り方だ。
出てくる詩、音楽、映画(ローシャの『新しい人生』)、
そして人物たち。ときにイライラさせられるほど美しかった。
わが家はポルトガル・ブームがずっと続いている。
そのブームの熱を共有する若き友、フミちゃんも一緒に見た。
アレンテージョの、ワインのおいしいボルバという村に
フミちゃんはよく行っている。わたしたちも何度か行った
そのボルバのワイン、国立の「奏」で飲めますよ(宣伝です)。

ポルトガルの映画のあとは、三人で三鷹台のスペイン・バル「三鷹バル」へ。
小さなスペースを活かした、雰囲気、おいしさ、文句なしのバル。
今日は、バスク地方(「地方」ではなく「国」だと言いたい気もするが)
のシードラ(りんご酒)があった。
そうだ、『岡山の娘』の信三お父さんは、放浪中、バスクに長くいたのだと思い出して、
遠慮せずに『岡山の娘』の宣伝をさせてもらった。
「今度はこの店を使って撮影してくださいよ」とマスター。
日本に帰っていろいろと大変な信三が、
こういう店に偶然入って、ふと心がやすらぐという場面、あると思った。