2008.9.22〜9.28.
9月22日(月)
豊田正子『花の別れ 田村秋子とわたし』(1985)という本を読む。
有名な『綴方教室』の豊田正子である
(1938年の山本嘉次郎による映画化作品では、高峰秀子が彼女に扮した)。
文章がいい(文章は、呼吸と思いやりなのだ)。
悲運な結婚生活(左翼作家江馬修なんてもうだれも知らないよ)。
女優田村秋子の品格(この言葉をつまらなくしたのはだれだ)。
そしてなんと豊田さんは国立に住んでいたのである。
文革礼賛でダメージを負った人だが、その先へと生き抜いた。
そのあとの彼女を待っていたのは病気だ。
人に尽くしすぎる。
ある種の人たちには、
そこまでしなくてもいいでしょうとか言ってもしかたないようだ。
この本には書いてないことであるが、
小学生のときに書いてベストセラーになった『綴方教室』では
豊田正子は印税を一銭ももらっていなくて、小学校を出るとすぐに工場で働いた。
少女時代の「生き生きした貧乏」の体験が、彼女を最後まで支えた気がする。
夕方、妻とバスで府中に出て、北野武監督の『アキレスと亀』を見る。
観客はわかってくれない。その不満・不安からか、
省略の巧さが消えて、いろんな点で、くどい作り方になっている。
人が死にすぎるし、美術ギャグも量が多すぎる。
三部作の三作目。言ってしまうと、
この天才が三本つづけて浅い映像の作品をつくったのだ。
いちばんいいのは、ちょっとだけ出る脇役の人物たちの味だろうか。
でも、ちょっと耳にしたけれど、
こういうのを「監督のひとりよがり」だなんて言わない方がいい。
居酒屋「新富」で飲んで帰る。
9月23日(火)
「奏」で、ちょっとふしぎな「岡山県人会パーティー」。
岡山県人、岡山に縁のある人、そしてその友人たち。
『岡山の娘』にも出てくる岡ビル百貨店の魚屋さんから
アナゴとママカリとガラエビが届いた。
写真家平松壯さんとはじめて会う。
いま、「奏」の壁では、彼の個展。
彼がスペインのアンダルシア地方の村ロンダで撮った写真が並んでいる。
ロンダには、わたしも行ったことがある。
風景の起伏がおもしろくて、食べ物もうまい。映画を撮りたい土地のひとつ。
9月24日(水)
ショーン・ペン監督『イントゥ・ザ・ワールド』を新宿で見る。
監督第一作『インディアン・ランナー』(1991)の
せつなさ、息づかい、おののきが、
いまも強烈に残っているショーン・ペン。
文明社会の外へと逃走する主人公を追ったこの新作も、なかなかだが、
さびしい心とさびしい心が出会うエピソードの作り方が
(良質の、といっていいが)アメリカ映画のパターンになりすぎている。
国立に戻って、わが家から二番目に近い居酒屋「利久」で飲む。
9月25日(木)
夕方から、「奏」で、雑誌「映画芸術」のインタビュー。
聞き手の金子遊さんが、しっかりと「研究」してきてくれた。
高校生のわたしが若松プロに出入りしはじめたところからスタート。
大学時代に撮った40分の16ミリ作品『青春伝説序論』。
これがどうしてこういう題なのか、自分でもわからなくなっていたが、
その「序論」とは、つまり、
25年後の『急にたどりついてしまう』、38年後の『岡山の娘』、
ふたつの「青春映画」へのイントロダクションだったのだ、
と解明してもらった。
そうか、そうだったのか。
なんだかいい気分になって、
金子さんも、「映画芸術」編集長の大嶋さんも、カメラマンの矢吹さんも、
みんな酒好きだったので、しっかりと飲んで、たのしい一夜となった。
映画には、こういう場が用意される。やめられるわけがない。
9月26日(金)
大学で、ヒップホップの研究で修士論文を執筆中の安藤君と話す。
ヒップホップこそは、安藤君だけではなく、わたしにとっても、
このところいちばん熱中してきたジャンル。
詩集『侵入し、通過してゆく』も、映画『岡山の娘』も、
ヒップホップのサンプリングとフィーチャリングから多くを学んでいる。
ブレヒト、ゴダール、ヒップホップという「方法」の系譜があるのだ。
南大沢でティムール・ベクマンベトフ監督の『ウォンテッド』。
アンジェリーナ・ジョリーが大して活躍しないのと
ベクマンベトフのロシアが半端にしか活かされていないのが、不満。
国立の喫茶店「ロージナ茶房」で、東京新聞文化部の大日方さんと会う。
「『岡山の娘』をどうぞよろしく」
「どうすればいいですか」
ということで、昔からのよしみで、いろいろと考えてもらった。
大日方さんは、以前は思潮社にいて、詩集『旧世界』の編集者。
9月27日(土)
トルストイ『人は何で生きるか』を読む。
わたしは、『わたしのムイちゃん』という題で、
黒澤明もやったドストエフスキーの『白痴』を映画にしたいといつも言っているが、
それは簡単じゃない。
じゃあ、トルストイの短篇はどうでしょうか、と押してゆくのが
最近のわたしの機動力。
実は、これも簡単じゃない。
神、愛、それから性欲の問題について、まじめに考えなくてはならないから。
国立市公民館での「詩のワークショップ」。今年の第一回。
7年目なのだが、自分自身、今年がいちばん詩を書くことに意欲をもっている、
と言ってしまって、はっとした。
そうなのだ。
ここへ来て、いろんな意味で、ファイトが湧いてきた。
そうなるように『岡山の娘』を作ることができた。
よかったと思う。
ワークショップのあと、「奏」、居酒屋「さかえや」、ふたたび「奏」というコースで飲む。
9月28日(日)
藤沢周『ブエノスアイレス午前零時』(1998)を読む。
芥川賞受賞の表題作と「屋上」の2篇。
こんなにも地味な作品だったのかと驚く。
『急にたどりついてしまう』のとき、
「図書新聞」の編集者だった藤沢さんに応援してもらったのだった。
夜、「奏」で、フォーク歌手須藤もんさんのライヴ。
行く前から、妻とわたしの頭のなかでは、彼女の歌声が鳴っていた。
前半をひとりでやって、後半は夫の対馬照さんとの「夫婦(めおと)アワー」。
もんさんたちの住んでいた古い一軒家を、話に聞いて、撮影したいと思っていたのだが、
立ち退きになり、いまは跡形もないということ。
『急にたどりついてしまう』で撮影した逓信住宅も、
ずっと前に姿を消して、跡地が大きな公園になっている。
『岡山の娘』でも、春のロケハンのときにあった建物が
夏の撮影のときには消えていて、唖然としたりした。
教訓。撮りたいものがあったら、グズグズしないですぐに撮りに行くことだ。
物語や主題などは、必要なものならあとからついてくる。
「彼女が一番きれいだったとき」を逃してはならない。