2008.11.3〜11.10.
11月3日(月)
チャンネルネコで『海女の戦慄』(志村敏夫監督・1957)を見る。
何度も見ている、大蔵貢社長時代のいかにもという新東宝作品。
肌を露出する前田通子、三ツ矢歌子、万里昌代がいいというよりも、
セットなどの安っぽさに妙な漫画的味があるのだ。
小坂一也の主題歌、マッチを折る癖のあるチンピラ、
鬼の岩太という気のいい敵役などを、今回は意識した。
斉藤環の『文学の断層 セカイ・震災・キャラクター』という本を読む。
ヤンキー文化、サブカル文化、おたく文化が、
今日の若者文化の三つの極であり、そのなかで
ヤンキー文化がいちばん動員力をもつそうだ。
レピッシュ(児戯的、「破瓜病」の特質を示す言葉)、
リアリティ的リアリズム(リアルに感じられるからリアリティがあるとする)、
メタリアル・フィクション(批評の言葉で書かれたフィクション)
などについて学習してしまった。
『おくりびと』を見てきた妻と、また『おくりびと』の話。
モッくんは日本のトニー・レオンだと妻は言うが、どうだろうか。
111月4日(火)
大学祭で、授業は休み。
午前3時起床。フルスロットルの読書マシーンとなって、
切通理作『増補決定版 宮崎駿の〈世界〉』(なんと620頁もある文庫本)
平岡篤頼『記号の霙』(すごくおもしろかった)、
荒川洋治『読むので思う』(「ひとり角力」という大道芸があったことを知る)
の三冊を読む。
雑誌「シナリオ」来る。
『岡山の娘』が『ハッピーフライト』と対でならんでいる。
シナリオの校正、甘いところがあって、反省。
生きる上での、別なことでも、甘いところがあって、反省。
午後、服部歯科。定期点検。あと二回行くことになってしまった。
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの
処女長篇『愛は死より冷酷』(1969)を、DVDで。
「15歳のときに父を殺した」
主筋とは関係ない列車の女性がそう語りはじめたのに、いちばん驚いた。
ついでに短篇の『都会の放浪者』(1966)と『小カオス』(1967)も見る。
11月5日(水)
昼は、原稿。
夜は、吉祥寺で足立正生・沖島勲の両先輩と飲む。
行こうと思っていた店が休み。
じゃあ、こっちにするかと思って行った店はずっと前に消えていた。
で、いま風の、ここに名前をあげる気にならない店に行く。
三人で飲むのは、36年ぶりだろうか。
話(「企業秘密」で、省略)は尽きないのであるが、足立さんは先に帰り、
そのあと、沖島さんと二人で行ったレトロ居酒屋「半兵衛」が、おかしかった。
パン耳揚げ(60円)なんてメニューがある安い店。
働いている女の子たちが可愛くて、
なぜかわたしたちの近くの席にいる女の子たちもみんな可愛い。
で、二人とも徹底的に飲んでしまった。
吉祥寺駅で別れたが、沖島さんがちゃんと帰ったかどうかが心配だ。
家に帰ると「キネマ旬報」があった。
インタビューも二つの批評も、『岡山の娘』を
しっかりと受けとめてくれたもので、とてもうれしい。
11月6日(木)
授業三つを無事にやったあと、
MOVIX橋本で前田哲監督の『ブタがいた教室』を見る。
26人の生徒をちゃんと撮っている。ツマブキもいい。
そして、こっちもいつのまにか参加しているような終盤のディスカッション。
ということは、いい映画なのだ。
111月7日(金)
5日の朝に撮影し、そのあと、カメラを、
マンションの屋上(うちの専用スペースに部屋から上がることができる)の
椅子に置いたままにしていた。
そして昨夜からは雨である。
しまったと思った。でも、カメラは動いた。撮れたのだ。
おれの可愛いDCR-HC40、えらいぞ、と頬ずりしたくなった。
午後6時、飯田橋の「歴程祭」の会場に行く。
北川透さんが『中原中也論集成』で歴程賞を受けたのだ。
北川さんは、スピーチの最後に、『岡山の娘』のなかと同じように
中原中也の詩を暗唱で朗読した。
すてきな若い女性が二人いたので、
『岡山の娘』のチラシを渡そうと接近したら、
なんと北川さんのお嬢さんたちだった。
去年はここで歴程新鋭賞をもらった三角みづ紀さん、
撮影班の腕章を付けて、カッコよくシャッターを切っていた。
11月8日(土)
国立市公民館の「詩のワークショップ」。きょうはゲストなし。
受講者の課題作品(「わたしにとって詩とはなにか」を作品にしたもの)
を読んだあと、連詩・対詩の例として、
三木卓・高橋順子・新藤涼子『百八つものがたり』
(連詩の作品でこれ以上のものはないというのが、わたしの持論)、
そして高貝弘也・福間健二「夏の旅」を読む。
午後7時から、新宿の「栄寿司」で
北川透さん、藤井貞和さん、瀬尾育生さんと飲む。
首都大学東京「現代詩センター」の機関誌として
四人の書く雑誌を出す。
そのための顔合わせ。あとは、いちおう「企業秘密」。
11時ごろ、国立に戻ってきて「利久」の前を通ると、
妻やワークショップの何人かが中にいるのがわかった。
中に入って、また詩の話。
朝から晩まで詩について考えた。
しかし自分は映画青年ではあっても文学青年ではないと意識しながら。
11月9日(日)
午前5時すぎに起き、羽田8時45分発のJAL便で松山へ。
詩人の堀内統義さんが空港に迎えに来てくれた。
愛媛の県民総合文化祭の「現代詩大会」の講師として招かれたのだ。
〈詩はときに慰安の場所を提供してくれる〉(詩人B氏の発言)。
講演、オープン・ディスカッション、ショートスピーチと朗読で、
あっという間に、たのしい午後の時間がすぎていった。
詩のわからなさに対してどう向かうのか、という質問に、
〈だれもが存在としてわからなさをかかえている。
そのわからなさと詩のわからなさが出会うということもある。〉
と答えることができたのが、
わたしにとっても大きな収穫であった。
カコアというNPOをやっている田中教夫さんと会場で会い、
松山での『岡山の娘』上映への協力をお願いした。
そのあとは、ホテルでの、おいしいディナー・パーティ、
そして夜の街に出てのバータイム(大好きなアイラ島のウイスキーを飲んだ)。
映画の上映準備でバタバタしている日々から
こういう場所に来て、謝礼もいただき、なにかバチが当たりそうな気がした。
11月10日(月)
暗いうちに目が覚めた。
ホテルの部屋に置いてあった漱石の『坊っちゃん』を読みだしたら、
おもしろくてやめられなくなった。
でも、松山への挨拶のしかた、
もう少しなんとかしてもよかったのではないですか、金之助君。
朝食後、一時間半ほど歩いて、松山の街を肉眼で撮影する。
地方都市はだいたいどこでも好きになるが、松山も気に入った。
堀端の木々。紅葉しかけているのもあって、きれいだった。
午前10時、堀内さんに車で向かえに来てもらい、
愛媛詩話会事務局をやっている森原直子さんと三人で内子方面へ。
目ざしたのは、大江健三郎さんの生家のある内子町の大瀬。
森も、谷間も、通りも、そして学校も、すばらしかった。
堀内さんの話でいろいろなことがわかり、
大江文学に熱中した高校時代のころの感覚がよみがえってきた。
内子町は広く、からりという「みちの駅」とフレッシュパークのある場所、
そして観光名所の内子の街並みなどに寄ってから、高速を通って、
ぎりぎり午後4時35分の飛行機
(なぜかJALが都合わるくなって、ANAに変更)
に間に合うように、送ってもらった。
おみやげは、からりで買った竹の子芋と空港で買ったじゃこ天。
松山のみなさん、ほんとうにありがとう。
愛媛って、ラブリー・ガールという意味なんですね。