2008.12.22〜12.28.

12月22日(月)
午前中、原稿執筆。
午後から、大学へ。
10月にやった高校生の体験学習。
その感想をまとめた冊子ができていて、
わたしの「映像論」を受けた6人が、
それぞれ、しっかりした内容のことを書いている。
大学生が負けてしまいそうだ。

杉本博司を中心に写真論をやる卒論の松島君と、
ヒップホップ研究で修士論文の安藤君。
二人の「指導」をおこなう。
提出まであと3週間というところ。
「指導」というよりも、一緒に考えているだけだが、
ここまで来ると、とにかく書いてくださいと言うしかない。
写真についても、ヒップホップについても、
わたし自身が考え抜けていない。
絵画としての写真。
発話と引用の場としてのヒップホップ。
そういう「表現論」で十分にやれそうな気がしていたのだが、
なにか、空回りしている。

雨のなか、大学のある南大沢から
橋本、町田をとおって、小田急線の相模大野へ。
忘年会、「さねさし相模の会」という会の。
相模大野駅(大きいので、びっくりした)南口から
徒歩2分のビルの二階の「やのや」という店に、
詩人・歌人・俳人、21名が集まった。
神奈川県なので、『岡山の娘』横浜上映の宣伝をしっかりとやり、
おいしい日本酒の盃をかさねる。
帰りは、登戸に出て、南武線で帰った。

12月23日(火)
朝、NHKテレビの「天皇誕生日 皇室この一年」を見る。
世界のいろんな場所が出てくる。
皇后が軽快なパンツ姿でなにかしていた。
何をしていたのか。見終わったすぐあと、もう思い出せない。
番組には、来日したスペインの国王カルロスとその夫人も登場した。
一時期、スペインびいきになっていたわが家では、
カルロス一家のことがときどき話題になる。
昔のハリウッド・スターみたいだったカルロスも、すっかり老いた。

と、スペインのことを思っているところに、
ポレポレ東中野のスタッフ、小原君と堀田さんから、
クリスマス・イヴにと、スペインのカバ(シャンパン)の贈りもの。
一日早く届いたみたいなのだが、
じゃあ、今夜、イヴをやってしまおうということに。
福間塾のメンバー、小貫麻美さんを招いて、小宴会。
小貫さんの「人間観察」に感心しているうちに、
気持ちよく酔いがまわった。
ふと、皇后はピアノを弾いていたのだ、と思い出した。

12月24日(水)
ポレポレ東中野の「桜映画はしなやかである」という特集。
妻と二人で行き、『海ッ子山ッ子』(木村荘十二監督、1958)を見る。
木村荘十二監督は、戦前の『彦六大いに笑ふ』(1936)をおぼえている。
満州に行き、1953年まで中国にいた。
帰国後、〈共産党に入党して映画における平和運動に力を〉注いだ。
『海ッ子山ッ子』は、伊豆のどこかが舞台。
漁業で生きる海辺の子たち(映画のなかでは、磯ッ子)と、
みかん栽培で生きる山側の子たち。
昔からずっと大人も一緒になって対立していた両者が
仲良くなるまでの、文字通り平和な作品。
『野菊の如き君なりき』の有田紀子が、バスの車掌役で顔を出していた。

なんとなく、のどかな気分になって、ぶらぶらしたあと、
見逃していたタナダユキ監督の『百万円と苦虫女』を
飯田橋ギンレイホールで。
ものすごくおもしろい発想で、蒼井優もわるくないが、
作りすぎ、考えすぎになっていると思った。
最後がとくに納得できない。
映画は、あるところまで行ったら、
作者のアイディアを超えたもの(素材の力、現実の力、その他)に
持っていかれるくらいの方がいいのかな、と感じた。
おなじタナダ監督の『俺たちに明日はないッス』は
そうなっていて、それでとてもよかったのだ。

飯田橋から秋葉原をとおって谷中へ。
「あかしや」で飲む。
わたしは二回目、妻は初めてだった。
ここに書いてしまうのが惜しいくらいの飲み屋。
〈まるで実家に帰ったような気がする〉
と鈴木常吉さんがそのブログに書いていた。
それで行った。常吉さんの歌がさらに好きになった。

12月25日(木)
「映画芸術」の特集〈1969年と『男はつらいよ』〉のアンケート。
書いて、送ったあとも、いろいろと思う。
ポレポレ東中野での、『岡山の娘』公開記念オールナイトの番組のうち、
『青春伝説序論』と『女学生ゲリラ』の二つが1969年の作品だった。
20歳。自分がどんな馬鹿だったかという証拠が残っている。
何を考えていたか。
最後は野垂れ死にするくらいの覚悟で勝手な生き方をしたい。
そう思っていたのを、思い出した。
それにしては、ここまで安全に切り抜けてきた。
もうすぐ、60歳。
途中を抜いて、20歳のところから生き直すとしたら、どうだろう。
映画をやりたいというのは、そういうことでもある。
「還暦=三度目の成人式」説。
聞き飽きた人もいるでしょうが、
みなさんどうぞよろしく。

12月26日(金)
「映画芸術」のベストテンの原稿を書く。
わたしの今年の日本映画ベストテンは、
雑誌が出るまで、いちおう内緒にしておくが、
評でとくに力が入ったのは、
若松孝二『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』
坂本礼『や・り・ま.・ん』
前田弘二『くりいむレモン 旅のおわり』
の三本である。

夕方から「奏」で、
いまはもう出ていない「ゲニウス」(途中から「GIP」になった)の
メンバーのうち、七人が集まった忘年会。
「昔話がたのしい年頃になった」と瀬尾育生さん。
まあ、そんなものでしょう。

12月27日(土)
朝、妻と散歩して、久しぶりに一橋大ラグビー場わきの道から、
雪をかぶった富士山を見た。
ココちゃん(近所の犬)にも会った。
一日、必死に原稿を書く。
書きあぐむ。
書けない。
それでも、書く。
ウィンドウズ・メディア・プレイヤーで、
ダフィー『ロックフェリー』
リサ・マリー・プレスリー『ナウ・ホワット』
ブロー・コンボ『こわれゆく私』
アウトキャスト『アイドルワイルド』
リル・キム『ネイキッド・トゥルース』
フロエトリー『フロオロジー』
イマーニ・コッポラ『チュパカブラ』
吉原すみれ『エコー・フロム・サウス』
ジャーハイム『ゲットー・クラシックス』
リーラ・ジェイムズ『ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム』
(これが、けさ選んだ、今日の10枚。実は、聞き切れなかった)
といったCDを鳴らして、頭をからっぽにして。

12月28日(日)
午前中、正月用のビール、ワイン、日本酒を仕入れに、
国分寺西町の業務スーパー「パスポート」へ。
最近も若い同僚の赤塚若樹さんに
「アルコール吸引力」を感心されたが、
酒量は減らない。
持病の痛風さえ眠らせておけば、
最近は喧嘩とかしないから、まあいいのかな。
ついでに書かせてもらうが、
赤塚若樹さんは、今年、『シュヴァンクマイエルとチェコ・アート』
という本(発行・未知谷)を出した。
シュヴァンクマイエルとチェコ映画とチェコ・アートを語る好著だ。

午後は、原稿。
首都大学東京現代詩センターで出す雑誌
(誌名はいまのところ仮に「詩論」としている)
のための100枚。年内にということで、
量を稼ぐ書き方をしているのに、まだ70枚ちょっとのところ。
書くのは「三度のメシより」好きなのだ
と毎日言い聞かせているが、
いちばん楽しかったのは、
高校時代、授業中に内職でなにか書いていたときかな。
理由は簡単で、どんなことでも、
許されないことをしていると思うと楽しいのだ。
いまは、書いてくださいと言われて書いていることが多く、
逃げだす口実ばかり考える(これは、編集者には内緒)。
大事なのは、どんな場合も、
〈自分が好きなもの、自分がよいと思うもの、
自分が心から惹かれるものに忠実であること〉(加藤典洋)。
それがちゃんとできていない、ということだろうか。

夜は、井の頭線池ノ上のGARIGARIでの「ガリガリ会」に参加。
『岡山の娘』の配給でもすっかりお世話になっている
ピンク映画の会社「国映」、
その周辺にいる映画人の忘年会で、
GARIGARIは、映画監督のガイラこと小水一男さんの店。
ガイラさんとも若松プロで出会った。それから40年になる。
「来年は映画を撮りたい。商業映画じゃないかたちで」
という彼の、腕をふるった料理をしっかりと食べ、
ビール、焼酎、ワインを飲む。
初対面の評論家谷岡雅樹さんと意気投合。
パンクロックの時代、ヤクザ映画の時代、
さらにもっと昔までさかのぼる「人情」をひきずって
おれは(表現活動を)やっている、と力説してしまった。
終電のひとつ前の電車で国立にもどり、
FUKUSUKEにちょっと寄った。

みなさん、今年一年、ほんとうにお世話になりました。
2009年もどうぞよろしくお願いします。