オープンカフェ

「岡山の娘」岡山先行上映期間中、天神山文化プラザのピロティにオープンカフェが登場します。
 
  
<実施概要>
 
期間:2008年5月23日(金)〜25日(日)
時間:23日 午後1時〜同7時  
   24日、25日 午前9時〜午後9時
場所:天神山文化プラザ1階エントランスホール・ピロティ
席数:約30席、その他スタンディングテーブル等設置
メニュー:ドリンク類 ソフトドリンク、コーヒー等(300円)
     フード類 ベーグル、パウンドケーキ等(150〜200円)
主催:天神山文化プラザカフェピロティ実行委員会
運営:EXCAFE
問い合わせ先:天神山文化プラザカフェピロティ実行委員会(086−226−5005)

18
5月
2008

東京上映決定!

9月(予定)に「ポレポレ東中野」 [1]にて、
レイトショー公開が決まりました。
『岡山の娘』が東京にやってきます。
岡山からも見にきてください!

[1] http://www.mmjp.or.jp/pole2/

15
5月
2008

福間健二、『岡山の娘』について語る 11

夢と現実
 
増村保造監督、若尾文子主演の『青空娘』(1957)という作品をぼくが好きなのも、ぼくの映画体験のはじまりにあったもの、そこで引きつけられた要素が、濃厚にあるからです。そういうことが、『岡山の娘』を作りながらわかってきた。
『青空娘』のパロディを入れたいというのは早くからで、初めは啓介を物まね上手ということにして、彼に青空娘をやってもらおうと思ったりした。撮影に入って、西脇さんを見ていたら、ぜったい若いときの若尾文子をやれるとピーンと来た。なんでそんなのやるのと呆れられたかもしれないけど、断固としてやりました。メイクの木村比呂路さんの功績大で、西脇さんもよくて、スタッフ全員から拍手がわきましたね。
 
世の中にはロリータ趣味というものがあるけれど、ぼくの場合は、そういうのではなく、告白すると、少年がお姉さん的存在にあこがれているというのが、いつまでも残った。映画がぼくをそういうふうにしたと言ってもいい。そこからすると、この作品で、ぼくは、信三やバルカンや啓介でもあるけれど、それ以上に三原真君のやった杉太だったかのな。中学生のぼくが迷いながらあちこち歩いてここまで来た。そう思えてきます。
 
『青空娘』が、ぼくがいいと思う、若い女性が中心にいる映画の典型だとすると、それを悪夢的にひっくり返したのが、インターミッションで使ったキャシー・アッカーの小説『血みどろ臓物ハイスクール』です。これも木村比呂路さんがなかなかの仕事をしてくれたけど、西脇さん、家ノ上さん、石原さん、三人とも、しっかりと声を出している。わたしたちはアイドルじゃない、天使じゃないと叫んで、寝ている観客をたたき起こしてもらおうという狙い。その一方で、やはりぼくの好きな、美空ひばり・江利チエミ・雪村いずみの三人娘映画とかを思い出している。
ぼくとしては、『侵入し、通過してゆく』という詩集の次の仕事でもあるわけで、そこでもやった引用・言及・参照をおそれずに持ち込んでいる。詩があり、盛ちゃんの絵もある。トロツキーも出した。そして、ジム・トムプスンとアゴタ・クリストフの名前は智子が「人物紹介」で触れていますが、言ってしまうと、ほかにG・ガルシア=マルケス、マルグリット・デユラス、ジル・ドゥルーズ、フィリップ・ガレル、雨宮処凛などからヒントを得ている箇所があります。詩集のときほど、あがいてそうしたという感じにはなってない。希望的に、そう言わせてください。
 
ぼくが夢見たり考えたりしてきたのだとしても、その夢や考えが、現実に、つまり具体的に生きている人間に出会わなければ、映画は成り立たない。その意味でも、西脇さん、家ノ上さん、石原さんの三人娘をはじめとして、何人ものすてきな岡山の娘たちに出会えたことがすごい。みなさんに、啓介のように「よかった。きみに会えて」と言いたいです。
娘たちだけではないですね。
この映画に関わったみなさんに「一緒にやれてよかった」と言いたいです。

14
5月
2008

メディア掲載情報

5月10日付、読売新聞朝刊31面に、映画の一場面(旧内山下小学校屋上)の写真入りで「岡山の娘」を大きく取り上げていただきました。
 
福間監督の制作意図や思い、映画の内容についてもできるだけ伝えたいということで、監督への電話取材など熱心にして下さいました。
 
上映実行委員 小宮山泰子

10
5月
2008

FM岡山「Fresh Morning OKAYAMA」出演

FM岡山の番組で、2週にわたって『岡山の娘』が紹介されます!

FM岡山 [1] 「Fresh Morning OKAYAMA」(7時半〜10時)
この番組枠の「ウエンズディ・ウインド」(9時25 分〜9時55分)です。
 
5月14日(水)西脇裕美さん出演+監督のコメント
 
5月21日(水)小川孝雄さん出演+監督のコメント
 
皆さん、聴いてくださいね。

[1] http://www.fm-okayama.co.jp/

09
5月
2008

Radio MOMOに出演します!

5月15日と22日の2週にわたり、スギアキオさんの『コトバラジオ』という番組に『岡山の娘』の映画の話題を取り上げて頂く事になりました。
 
Radio MOMO [1] 『コトバラジオ』 [2] FM79.0MHz
放送日時は5/15と5/22の19時から20時です。
 
西脇が『岡山の娘』に関してスギさんと話をします。
また、15日の放送では福間監督のインタビューも流れます。
小川みづき役 西脇裕美 

[1] http://www.fm790.co.jp/
[2] http://kotobaradio.blog99.fc2.com/

07
5月
2008

福間健二、『岡山の娘』について語る 10

本当のはじまり
 
1979年の四月に岡山に来ました。寒い四月で、セーターとか持ってきてなかったんで、ふるえました。しばらく、岡山の言葉とか雰囲気になじめなかった。東京でやっていたある映画の仕事から逃げてきたという気持ちもあって、相当落ち込んで、雨の日曜日かな、裏道をとぼとぼ歩いてたって記憶がある。あのときの自分に、〈これからきみは岡山と親しくなって、いつか『岡山の娘』という映画を撮るんだよ〉と言ってあげられたら面白いだろうなって思う。
半年くらいたつまでに、ぼくはいろんな店を知って、一緒に飲みに行く友人たちもできた。書く詩が変わってきた。そしてひとりの岡山の娘に出会って結婚する。立花信三は、そこで奈津子と結婚できなかった。そういう違いがあるんだけど、『岡山の娘』はぼくが岡山に来たあのときからはじまっているとも言える。
 
『急にたどりついてしまう』のあと、すぐに撮りたくて、いくつか構想を練った。1998年の夏から一年、日本をはなれてウェールズに行ったところで気持ちの流れがとぎれるんですが、今回、あのころ構想していたものにつなぎたい気がして、いまから十年前という設定を考えていた時期があります。それだと、話が終わったあとに、十年後のいま、みづきはこうなってるよと示すエピローグがつく。それを考えるのがたのしかった。でも、ひとつには十年前の岡山をどう撮るんだという問題もあって、やめたんです。
あと、2005年からかな、高田亮という若い脚本家・監督と組んで、シナリオを作ってきた。ちゃんと出来たものはないんだけど、そこから始まった流れもあります。
 
いろんなはじまりがあるわけです。
近いところでは、西脇さんがわたしはこういうみづきなんだと見せてくれた瞬間、8月20日からの何日間のどこかに、決定的なはじまりがあったとも言えます。
一方、さかのぼって、遠いはじまりを探ってゆくと、こういうことに思い当たりました。
ぼくが最初に映画に夢中になったのは、中学生のときで、プレスリーの歌入り映画とジェリー・ルイスの底抜けシリーズが大好きだった。
それからドン・シーゲルのような監督によるB級アクション映画。
そういう作品に共通しているのは、スターレット(スターになる一歩手前の、可愛い女優さん、天使的存在)たちが出てくることで、いまの言葉でいえば「萌え」という感じで見たのかな。名前をあげてゆくときりがないんだけど、チューズデイ・ウェルド、ジョアン・ブラックマン、そして日本では1950年代の若尾文子。
ただアイドル的に可愛いというのでも小悪魔的というのでもない、若さがなくなってからも維持される独特のニュアンスが、彼女たちにはあった。少したって、ゴダールの映画もまずヒロインたちの魅力、その撮り方の面白さで見た。そうだったんだといま思います。
『急にたどりついてしまう』も『岡山の娘』も、中心に若い女の子がいるんだけど、どうしてなのかという根をたどると、ひとつにはこういう「はじまり」があったんです。

06
5月
2008

福間健二、『岡山の娘』について語る 9

「弱い心」について
 
岡本文子さんは、どのくらい地を出してもらうかというところで、監督のぼくが迷って行ったり来たりした。撮影技術的にもむずかしい場面があって、テイクも多くなり、ほんとうにお疲れさまでした。映画に出ることが彼女にとって事件だったということが、画面に出ている。そこが、ぼくは好きです。器用じゃないけど、人間としての大きい感じがあって、照子ってこんなふうでよかったんだと、逆に教えられました。
 
断るまでもないでしょうが、基本的に、女性が強くてしっかりしていて、男性がなにか自信がないような感じというのが、ぼくはいいんです。オーディションのときからそれを言ってきて、蓋をあけてみるとちゃんとその通りになっていた。その点は、とりわけ文句なしです。
 
「弱い心、なんにでも傷つきやすい心」の大切さを語ってくれる詩人の北川透さんが出る、岡山駅西口の「未完成」での大朗読の場面は、六月に撮りました。カメラのテストを兼ねて撮影するという、いまから思えば失礼なことをやったのですが、あのときはハイヴィジョンで撮影してません。その夜は、東井浩太郎さんも、石原ユキオさんも、それからぼくと一緒に出た西脇さんも、いい朗読をしたのですが、使いにくい映像になった。でも、北川さんの話がすばらしいんで、そこだけはなんとしても入れたいと思いました。
 
編集しているうちに、北川さんの言う「弱い心」というのが、この映画の人物たちをつらぬいている大事なモティーフだと確信しました。みんな、「弱い心」をもって生きている。そのことが、たとえばかつての大島渚や今村昌平や増村保造たちの映画の世界とはちがう、いまの世界のリアリティーになっていたらいい。
 
とくに男性陣は、啓介、信三、バルカン、盛ちゃん、みんな、そうなんです。学校に行けない杉太も、もちろん、そうだしね。志村と三船は、黒澤明作品の志村喬と三船敏郎からわざと名前を借りたんだけれど、かれらも根底に「弱い心」をもっている。男性の出演者は、ここでひとりひとり詳しく語る余裕がなさそうですが、全員、キャスティングの狙いどおりに、そういう感じをうまく出してくれた。演出としては、(女優さんに対するのと比べたら手抜きと思われるくらいに)大したことはやってないのに、ちゃんと通じたものがあった。うれしかったです。
 
北川透さんとは、ぼくが詩を書きはじめてすぐに出会った。そこからずっと北川さんの仕事を追ってきたことが、ぼくを支えてきたと思います。そして、ここでまた、北川さんの言葉に救われた。最初に言ったように、ひとつには、三角みづ紀さんのような若い世代の詩にどう向かうかというところから、『岡山の娘』は始まった。その方法として、いまから思うと奇策としかいえないようなことを考えたりしていた。そこに、「弱い心」というのをさっと突き入れてもらった。これだ、と震えが来るほどの当たりでした。

05
5月
2008

速報★さっき出石にいました。

出石芸術百貨街’08の「岡山の娘」ロケ地パネル展 [1]に顔を出させてもらいましたー。

ポケットパーク(鶴見橋のたもとの公園)の本部でただいま準備中の「ロケ地マップ」の相談。

ポケットパーク前にはカチンコを模したパネルがあります。
ほんとにカチンと鳴らせます。
この隣にモニターが置いてあって予告編が流れてます。

アタカ種苗店さんのトラックがパネルを支えている様子。
 
出石芸術百貨街’08は明日まで!
ポケットパークでは前売券の販売も行ってます。
ぜひお越し下さい(^^)
 
石原ユキオ(倉田智子役)

[1] http://d-mc.ne.jp/blog/musume/?p=50

04
5月
2008

福間健二、『岡山の娘』について語る 8

演技について
 
出演者は、志村役の真砂豪さんをのぞくと映画の経験はなかったんでしょうが、みんな、いい顔をしている。何度見ても、まったく飽きない。編集の過程のなかで、みんな、よくやってくれたなと感心しました。
前半、ぼくの演出はたぶん急ぎすぎていました。ぼくだけでなく、スタッフもなにかつかめていない。そういうなかで、ちゃんとセリフを言って動いてくれた。感謝しています。
やりながら、決まったゴールをあたえてしまわない演出がいいという考え方を学んでいったんだけど、どうだったかな。「ヨーイ、スタート」の声に力が入りすぎて圧迫したこともあったんじゃないかと反省しています。
 
西脇裕美さんは、智子からみづきの役に変わって、大変だったと思いますが、そこからぼくと相談しながら、西脇さんのみづきを少しずつ作っていった。彼女の素直さとじっくり考える力がいいかたちで発揮された。最後に、みづきがもうひとりのみづきと話をするという場面がありますが、そこまで「夢のなかで、いろんな娘になっとる」ということで、いろんな姿で登場する。いろんなみづきがいる。そういうふうに編集したので、西脇さんの魅力が多面的に出ていると思うけど、それでバラバラにならないような、体のなかに芯がしっかりとあるという動き方ができている。そこがとてもよかった。
 
家ノ上美春さんは、演技はしなくていいというようなことを、ぼくがなにかと言うんで、やりにくかったと思う。三月のオーディションのときに直感したように、お姉さん的にしっかりしていて、いいものをたくさん持っている。それをカメラの前でどう出すかということですね。脚本にもいくつか意見を出してくれ、それでさゆりの役がリアルになった。発声が安定しています。編集に入ってあらためてそれをありがたいと思いました。
 
石原ユキオさんは、俳句の書き手・朗読者としてもすごいけれど、女優としても天才的かもしれません。打ち合わせの時間が十分にないのに、明日ここをやりますという感じで頼むと、ちゃんとやってくれた。もちろん、期待して頼んでるんだけど、いつも、なぜこんなにできちゃうんだろうと驚いてしまうほどでした。石原さんは、一人二役。彼女について語りすぎると、いまはまだ秘密にしておきたいことをばらすことになってしまうかな。
 
家ノ上さんと石原さんは、それぞれ、もっと出番があってよかった。普通ならそうじゃないといけないところを、この作品の語り方は破綻を逆に活かすという方向を選んでいるので、なんとかごまかしちゃった感じで、ごめんなさいというところがあります。
西脇さんを二人が援護するかたちで、厚みができた。それがなければ、「生きる。傷つく。誘惑する。」と「岡山ドリームガールズ」のキャッチフレーズは考えられませんでした。

04
5月
2008