岡山の人と風景を撮影する。
議論から抜けだして、映画を楽しむ。
とにかく映画が好きだということから出発する。
現在の商業映画の作り方とはちがう、超低予算の自主映画の「自由」を追求する。
劇映画の要素を、ドキュメンタリー的な映像のなかに組み込んでゆく。物語を説明的にたどるのではなく、いま、この世界がどうなっているのかが見えてくるように、この世界に存在するものをとらえる。そのためには、いわゆる演技よりも、人がそこに存在して、そしてなにか別なものになろうとしている、そこを撮りたい。
言葉と映像を拮抗させる(サイレント的表現と字幕を使う)。
ゴダール以後、大島渚以後という時代を生きていることを忘れないようにする。
五十代の父親が二十代の娘に会いに行くように、離れているもの、遠くにあると感じているものに出会うためには、自分にどういう変化が必要なのか、を考える。
この世界に生きていること。それがどういうことなのかを確かめる。
10 ひとりの「作者」の表現には終わらないものを求める。
11 だれの人生も、その人個人だけのものではないからこそ、面白いのだ。
12 完結することよりも、さらなる出会いへと開かれていることが、ずっと大切だ。